はてなキーワード: 臨機応変とは
義務教育、例えば中学校の体育祭では「興味がない」生徒も参加が義務付けられていた。義務教育の外を出ると、私たちは参加拒否などの「選択肢」を得て、興味のないことに必然的に巻き込まれるという経験を失っていく。
今回のオリンピックのサマータイム導入に関しては、オリンピックに興味がないといっている人たちも必然的に巻き込まれてしまう。彼彼女らにはサマータイムに適応しないという選択肢が与えられない。
これまで選択肢を選んできた人間にとって、これは只事ではない。
さらにいうならば、そもそもアメリカでの放送時刻を気にして開催国の日本時間に合わせられないようにしなければならないだなんてそんなの本末転倒だし開催国があまりにも軽んじられている。皆が文句を言うべきはそこではないのか?
あと、スポーツのルールを変えること。室外競技だから〜とかやかましい。これから先の気象条件に合わせて臨機応変に対応すればいいだろ。それができなければこの先どのスポーツも衰退するよ。人間を壊すな。ばかじゃねえの。やめちまえそんなの。
今回、被災地の至近ということで、
復旧支援に関わる人員の手配というものに携わることになったのだけれども、
よく言われる「兵站の重要性」というのが実感として理解できた。
まず、そもそも人間だけ送り込むのであれば、通常業務を顧みなければ即日投入は可能だった。
しかし、支援作業人員の宿泊場所、食料、熱中症対策etcを用意しようとした場合、やはりそれなりに調達ルートを確保していたとしても2日は必要だった。
※この2日はたぶん並の調整力では難しい。会社が災害に備えていたことはやはり大きかったと思う。
また、今後1週間を越えて活動を続けていく上で、道路復旧に全力を挙げてもらった点は非常に助かった。
継続的に作業員を食べさせる物資の調達は夏だと食中毒の危険があり特に気を使う。
その中でスーパーやコンビニが再開してくれることは調達力を外部に頼れるという点で融通がきく。
金を作業員に持たせておくことで、臨機応変に必要なものを買ってもらうことができるというのは作業員の精神衛生上も助かる。
やはり配給品だけで1週間の作業となると、不平不満もあろうというものだ
テレビだと悲惨さが切り取られて全体が酷く見えてしまっているかもしれないが、ただ物がないだけで、普通の暮らしがおくれるエリアが大半である。
一刻も早い「通常生活」に戻るよう、頑張らなければいけない。
自分はどういう行動をするのが正しいんだろう?仕事を休んでボランティアに行くほど仕事に余裕ないし、あまり気の利くタイプでなく、非常事態に臨機応変に対応するのも苦手なので、仮に現地に行っても足手まといになるのが落ちだろう。
下手に援助物資を送るより、一番役に立つのはお金だということで、東日本大震災のときは日本赤十字社とか被災地の県庁にお金を振り込んだりしたけど、今回もそれで良いんだろうか。日本赤十字社への寄付は、現地にお金が渡るのに恐ろしく時間がかかると聞いたので、向こうの自治体に直接振り込む方がいいのかな。
あと、SNSにわりと能天気な(…というか普通に遊びに行ったとかそういう日常生活を普通に送っている人ならではの)記事を投稿するときに、取ってつけたように「○○で被災された方々におかれましては心よりお見舞いを申し上げます」とか書く人がいるけど、あれって書いた方が良いのかね?
テレビで被災地の状況を見れば大変なことになっているのは分かる。けど、知人・友人・親戚の類いが現地にいない限り結局他人ごとなのだ。変に自粛して楽しげな遊び投稿を止めておくのも変な気がする。
銀行口座に給料等が振り込まれる。そこから幾らかを引き出すんだけど、ここがいわば資産管理と言うべきもの。
引き出す前後に口座の残高を見て、家賃とか電気ガス水道とかローンとか保険とか携帯料金とか各種サイトの月額支払とか来月は結婚式が2つあるなあとか姪っ子の誕生日だし何か買ってやるかなあとか考えて、実質的な残高と今の段階の可処分を大雑把に計算する。
あとは財布の中の具合を見ながら使うペースを調節するんだけど、これは資産管理というよりお小遣い管理に近い。
資産全体からある程度の塊を切り分けて、その塊の使い方はその場その場で臨機応変に適当に自由にというやり方。
カードになると、使うたびに全体から小さな量を切り分けるというイメージになる。これが面倒なんだ。そしてこの面倒さが、分からない人には分からないんだ。
確かに使った額はカードの方が正確に分かる。サイトを見に行ったりアプリを使ったり便利なものはいろいろある。けど財布を開くより手間なのは変わらない。
カードの使用履歴は素の状態だと必要経費もお小遣いの範囲で使ったものも並列に並べられて合算される。ずらずらと並んだ数字の羅列に目が滑るって人もそこそこいる。
欲しいのは「正確な支出および資産全体の情報」よりも「ざっくり今これくらい使えるという大雑把な情報」なんだ。
といくら言っても別の感覚を持つ人には伝わらないんだろうけど。
あと、さっきカードの利用お知らせ通知が来た。使ったのは10日前のコンビニって遅すぎだ。
というかマニュアル否定してるけどあれってお前のためじゃなくて
どうしてもマニュアル対応が嫌ならそれなりの店にだけ行けば良いじゃん
そういう店なら年1でしか行かなくてもちゃんと顔も覚えてくれるし
色々気遣ってサービスしてくれるよ
世の中にはそう考えない人もいて、
「顧客ごとに違う対応を行っている!これは差別だ!人権侵害だ!平等に対応しろ!」
日本のサービスは押し付け、マニュアル通りの過剰なサービスを相手構わず押し付けて、おもてなしとかって悦に入ってる、迷惑なもの。
この人はこれを求めてる、求めてない、って判断して、相手によって臨機応変に対応を変えるのが、本当の良いサービスだろう…
誰に対しても同じことを押し付けてきて、こっちが望んでないにも関わらず、要らないサービスをしてきて、腹が立つ。
だから、極力、そういう過剰接客をしてくる店には行かないけど、チェーン店とか…
過剰接客とマニュアル通りで融通が利かない、思考停止したマニュアル人間に腹が立つ、ほんとうに。
そうやって言われた通りに、思考停止して何にも考えずにやってるから、こんな国になってるんだ、と、日本での思考停止人間の多さに、腹が立つし。
思考停止して他者や組織の言う通りにしか動けない、自立してない人間が多すぎる、イライラする。
もっと自分の頭で考えろよ。組織は、自分の頭で考えないマニュアル人間を量産するなよ。考えられる人間を評価しろよ。
効率化、となったとき、マニュアルの重みが増すけど、マニュアルを重視しつつ、頭で考える人間を評価する、って、両立可能だから。
学歴職歴ではモテスペック満載のような米山隆一知事でさえ、出会い系に頼らなければ異性がゲットできなかったことにショックを受けている人は多い。
しかし、世の中には学歴職歴はからっきしでも平然とモテている奴もいる。つまり、ヒモやジゴロの才能のある奴だ。そういう奴はどういう能力に長けているのだろうか? 考え得る要素をばくぜんと並べてみる。
・容姿はずば抜けたイケメンでなくても可(顔面偏差値60以上は最低限)
・コミュ力が高い
・ワルを好むタイプならば不良の大物など臨機応変な人脈自慢ができる
・タイミングや欲しい物など相手のツボをついたプレゼントができる
・自分の店を持ちたいなど相手の願望に応じた「デカい話」が得意
・手をつないだり肩に手を回したりが手慣れていてさりげない
・ダメ過ぎない程度に女の方が構いたくなるウィークポイントも装備
…etcetc
言うまでないことだが、世の女性も十人十色である。ワルを好む女性もいれば、優等生を好む女性もいる。顔はそこそこ良いがちょっと服装がダサい男の方が自分が世話してやりたい心理が働く女性もいるだろうし、一方的にリードされるのが良い女性もいるだろう。
恐らく、ヒモやジゴロの才能に長けた男というのは、そういう女性ごとのタイプの違いを見抜いたうえで接し方の使い分けができているか、自分が御しやすいタイプに標的を絞り、さらにその中で逆らいそうにない相手に出会うまで何度でも何度でもアプローチをくり返しているのではないか。
――と、畳上の水練のように理論を語るのはたやすいが、いかにすればそのような臨機応変なコミュ力だの女性受けする引き出しだのが身につくかといえば「場数を踏む」しかないと思える。
つまり、トートロジーめくが、モテる奴はますますモテる。学歴や収入が高く医師や弁護士や政治家でも童貞センス丸出しのまま歳を重ねた奴は(たまたま超偶然そういうウブいエリートがタイプの女性に出会わない限り)、ひたすら不利ということなのか。
ぶっちゃけこの人、本当にバカだなぁってイライラして、どうしたもんかなぁってなんとなく検索した時に「頭がいい人は怒らない」「バカだと思う自分こそがバカ」っていう風な事が出てきて
あ~~そうなんだろうな、と納得してネットを閉じて、自分から改善していくしかないと思ったはいいけど……、その後もやっぱりちょっとイラっとする
いやもう、バカでも何とでも呼んでもらって結構なんだけど、正直ちょっと困ってる、まいってる
何度も何度も何度も教えてもダメ、覚えてくれた!と思っても結局他の事をしたら忘れるし、資料とか作ってこれならどうだ!と思ってもダメ
所謂臨機応変ってやつなんてできた試しも無い それを続けて早3年
自分の教え方が悪すぎるのか……と思って改善しようにも、最早自分の力量不足でお手上げ状態
結局自分含めて3人しか人がいないからそれとない仕事を振り続けるっていうのにも限界がある
毎朝起きること、毎日電車に乗ること、毎日誰かと顔を合わせること自体が駄目だった。ストレスになる。
その上で仕事とかもう無理。
そう思って引きこもって仕事してんだけど
臨機応変が苦手なので。
この間、少し大きい仕事が来た。せっかくなので受けてみた。
このお金に対する責任感、期待されてるプレッシャー、いいものを作らなければならないという強迫観念。
ちなみに本来1日で終わるような仕事だが、緊張のあまりやり直しにやり直しを重ねまくって現在作業4日目。
ストレスは続いている。
3日目の朝、起きてもめまいは治っておらず、加えて耳鳴りと軽い耳詰まり。
今もめまいがするし、割と吐きそう。
こんなことぐらいで。
受けたからにはやらなければ。
本当はもっと気楽にやりたい。
駄目なら次から依頼来ないっしょ、くらいのノリで。
なんでそんなノリになれないのだろう。
辛い。しんどい。
ストレス耐性が無さすぎる。
作業しているあいだ、呼吸は浅く、緊張のあまり歯ぎしりをし、へんな汗をかいている。
はぁ・・・
「間違えられない」
実際にはメールでのやりとりでも間違った事を書いてしまうというのはよく起こります。
ただし、
「内容を深追いせず、臨機応変に流せるか」という点においてとても違いがあると思います。
プライベートで知人友人とメールでやりとりするときなんかは自分はかなーり気を使います。
友人からガチ目の相談をメールで受けた時には、書いては消し、書いては消しを繰り返し疲れ切ってしまい結局なにが言いたいのかよくわからないメールを出してドン引きされた事もあります。
わからない事もないんです。自分も面と向かっては言い出せそうにないこと、メールで出しちゃったりするし。
なにが嫌かというと、
間違いが起こるのが嫌というより、
それを未然に防げる手段が確実に用意されているというのが嫌なんです。
たまにバカみたいな誤字をそのまま送ってくる人とかいますが、ただただ凄いなと思います。
ちなみにこの文章も誤字や言い間違えはあるかもしれません。単純に読みにくいとか。でもそれは増田だからいいの。知らない人だから別にいい。
とにかく真面目な話をメールでしようとする人がいなくなってほしい。
目の前で話してるのなら、相手の反応を見ながら話の内容を調整したりできるのに、相手の反応に対する情報量が少なすぎるんです。
せめて電話にしてほしい。
それならなにかおかしな事を言ってしまってもすぐに「あ、ゴメンね今のは」と笑って訂正できるし、少しずつ吐き出す事もできるし、今は言うのやめとこうって変えられるし、なによりあなたの声が聞けるし。
自分はサービス業だ。お客様相手に商売をして、お客様の要望に応え、お客様の顔色を伺い、時と場合によっては奴隷のようにこき使われている。
今回の土俵女人禁制のあれこれ、誰が一番カスなのかと言ったら、それは行司ではないと思う。
通り一遍のニュースしか見ていないが、【顧客】からの「なんで女が土俵に居るんだ」の声で行司のあのアナウンスに至ったと見た。
行司のアナウンスは判断ミスであったというのは否定しようがないと自分も思う。
どんなときでも人命より優先されるものなどないし、もう少し一歩立ち止まって冷静な判断ができていればあのようなアナウンスにはならなかったと思う。
また、あのアナウンスに行き着いてしまう相撲というものの体質にも問題はあると思う。
ここからは想像だけれど、ニュースでわざわざ【顧客】と表現されるからには、ある程度の発言力のあった人間だったんじゃないかと思う。
それが金銭的なものか政治的なものかは知る由もないけれど、そういう人間から声があったとき、客商売の人間の力はすごく弱い。
行司の立場が自分だったらと置き換えるとひょっとしたら自分もそうしてしまったかもしれないという思いは捨てきれない。
そこに加えて、土俵の上で人がぶっ倒れるという前代未聞の事態があれば、冷静な判断力を欠いても、仕方ないとは言わないまでもある程度は同情してしまう。
自分の職場で何かが起こったとき、万全な対応ができるように日ごろの消防訓練も受けているけれど、たとえば超超常連客に、避難したあとで「どうしても取りに戻らないといけない書類がある」とか言われたら、それを留めることができるかどうかは、正直あまり自信がない。
今の冷静な頭では絶対に押し留めると思っていても、それが小火だったり、低震度の地震だったりしたら、ひょっとしたら許してしまうかもしれない。
あくまでひょっとしたらの話だけど。(小火や低震度地震と人命救助がイコールじゃないのはわかっている。あくまでそういう要素があった場合としての話で)
繰り返し言うと、現場の判断としては間違いなくあれは間違った判断だった。
でも間違いのない人間なんて居ないわけで、行司の「動転していた」という弁解はそれ以上でもそれ以下でもないと思う。
必要なときに必要な行動が取れる人間というのは普段思っているより少ない。その点、あそこで土俵に迷いなく上れた女性は本当にすごい。
相撲業界もあの体質だから、きっと体育会系で女人禁制に始まる相撲のしきたりを身体に叩き込まれてたんだろうと思う。
そうなってしまうと、悲しいかなイレギュラーなケースでその目に映るのは現実への対処よりも凝り固まった原則やしきたりなんだよね。
そういう現場は、今まで自分がサービス業で仕事をしている中でもゴマンと見た。普通の日本の企業で働いていても、そういうことって実務レベルでも日ごろからあると思う。
何より強調したいのは、誰が一番カスかというと【顧客】だと思う。
昼間に飯屋で流れてたニュースで、常連のおっさんはひたすらに行司を悪く言っていた。それに対して、明日はわが身のサービス業としては、何も言えなかった。
職務を果たせばいいだけの話だけど、それを忠実に冷静に、臨機応変にできる人間はそうそう居ない。
責めるべきはミスよりも、無責任に大した想像力も働かせず声を出した【顧客】であると自分は思ってしまって仕方がない。
世の中は声のでかい馬鹿(この場合は顧客)を中心に回ってるんだな、と思えて仕方がなくて少し悲しくなった。
毎日の弁当作り、かなり親(主に母親)に多大な負担かかってんだけど。
で、「今までずっとこうだからー」って、変化が大っ嫌いな組織(※役所、教育委員会、学校)が関わってくるんだよなー。
臨機応変に動く事が嫌ですか??
「家庭で作った弁当を子供に持参させる事こそ母の愛」とか、なにそれ???
共働きワンオペ家事育児して、フラフラの母親は夕飯朝食の準備すらままならないのに、ギリギリの精神状態で更に「弁当作れや」って、死ぬぞ母親!!!!
作れたら作るよ弁当。
でも作れない位、倒れそうな位クッソ忙しいのよ母親は。
今、教育の場に立っている40〜50代の責任者や担当者ってさ、「だって、自分の母親は毎日弁当作ってたし、あなたも働きながらできるでしょ?」って価値観なんだよ。
ひとくくりにしてんなヴォケーーーーー!!!!!!!!!