はてなキーワード: 絶対的とは
文章をよめばわるかと思いますが、私は頭がありまよくないです。
加速する可処分時間奪い合い競争の中において、睡眠時間を確保するためには漠然とした「ちゃんと寝なきゃなあ~~~」ではもう無理です。
「私は、何時間寝たい」 →
「私は、いつも何時に起きる」 →
この三段論法によって寝る時間と起きる時間をコントロールしていかなければ、理想的な睡眠時間の確保は不可能です。
学校の授業が前もって何時に何をやるのかが決まっているのと同じように、自分の人生において前もって「夜の何時~朝の何時までは寝る時間」と決めておく必要があります。
その時間に推しの配信があろうが関係なく、寝る時間だから寝るという絶対的なルールを定めていく。
もしも入試の日と推しのLIVEが被ったとして、貴方は入試をスッポかしますか?
本当に人生の全てを捧げる覚悟があるならスッポかすという選択もありますが、そこまでの覚悟がないなら入試を優先するべきですよね?
それぐらいの気持ちで「寝る時間は前もって絶対的に決まっている」という気持ちで日々を生きることにしていました。
同級生の中には様々な理由で生活リズムを乱していた人がいましたが、そういった人達とは基礎的な体力や健康状態の面で圧倒的優位に立っていたと思います。
ぶっちゃけ単なる有酸素運動は毎日の通学時に少し早歩きしていれば勝手にハァハァ息が上がってくれるので十分だと考えています。
ですが単に早歩きしただけでは痛めつけ方が足りない筋肉達が元気を持て余し身体のリズムがおかしくなっていくようです。
私は帰宅部な上に体育の授業も積極的にサボるタイプだったので全く運動せずに高校生活の前半を過ごしましたが、段々身体の調子が悪くなっていくのを感じました。
何より、いざ基礎体力が必要になった時に全然力が出ないんですよね。
椅子にいつもよりも長く座るとかそういうことさえ難しい。
ネットでHIITを調べてそれを実行するだけです。
ただ、タンパク質を取らずに筋トレだけすると筋肉痛がヤバイのでプロテインを飲むことにしました。
私は親がジムに持って行く分のプロテインを拝借していましたが、家族からプロテインを分けて貰えない人は自分で買う必要があるでしょう。
学生の金銭感覚だと高いですけど、社会人が健康維持に使う経費としてはかなり安いと思うのでプロテインはちゃんと飲みましょう。
他人に褒めてもらうことを期待して生きていると意外と上手くいきません。
頑張って成績を上げても親は段々と「よく分からんが、ガチればこれぐらい出来るもんなんだろう」みたいな感じで「そうなんだ。すごいね」で終わらせてくるようになります。
1年・2年と続く受験勉強を日々積み上げていく中で「B判定が出たよ。頑張ったね」なんて薄っぺらい模試の結果にだけ一喜一憂するだけではモチベなんて維持不能です。
定期的に「凄いな。ちゃんと勉強してるぞ」 「今日は委員会活動サボらなかったの偉いなあ」 「筋トレ毎日続いてるとか、帰宅部で一番健康なのお前だよ」とか褒めてやります。
「1 ちゃんと寝る」の中で寝る時間を決めていると書きましたが、寝る時間を決めても中々寝付けないときがやはり出てきますので、そういうときがチャンスでした。
ベッドにいるけどいまいち意識が遠のかず、かといって起きて勉強なんてしたら生活リズムが乱れてしまうという状態を、「自分を褒めちぎってやるのに丁度いい時間が出来た」と解釈するわけです。
電気を消した部屋の中でぼーっと天井をみながら「今日も3食残さず食べたなあ」「毎日学校行くって案外大変だけどちゃんとやってるなあ」「毎日風呂で丁寧に身体洗ってるから清潔だなあ」といった今更誰も褒めてくれないし他人から褒められたら困るようなことまでひたすら自分を褒め続けます。
「他人から言われたら皮肉にしかならないけど、それをやるのに全く何の苦労も一切ないわけではないもの」というのは人生に山ほどあるので、そういった「自分で褒めるしかないもの」をひたすら褒めて心をメンテしてやりました。
こういうのってジワジワと自尊感情に効くらしいんですよね。
うつ病になった人なんかはこれと同じことを毎晩積極的にやれって医者から指示されたりするとかなんとか。
私はメンタルがまだまだ健全なので、タイミングがいい時に数週間分まとめてやってしまってますが。
重要だと思ったことを上から3つ挙げたら見事に勉強と無関係になりましたね。
受験勉強って結局のところは「モチベの維持が難しい長期戦」なわけで、そこで大事なのは如何にして心身のメンテを行うかなんですよね。
勉強の内容自体は究極は教科書と過去問だけひたすらやってれば何とかなるとも言われてますし、あとは如何にして集中力と時間を確保し続けるか。
要するに「心身の健康維持」 「勉強時間確保」を先に固めてしまうのが大事で、そっから先は個々人が好きなように気晴らしを選べばいいだけだと思うんですよ。
自由時間はひたすらゲームやるでも、部活に専念するでも、そこでの時間の使い方は大事じゃないっていうか。
そもそも勉強の方法も脳のタイプが人によって違うから他人のやり方は参考にならないっていう話もありますからね。
というわけで、私としては1に睡眠、2に筋トレ、3に自分を褒めるの3つが東大現役合格できた理由なんだろうなと思ったわけですな。
うん。
頭わそるうな文章だな本当。
1千や2千程度の人数ならともかく1万を超える兵力を派兵するとなると必ずその帰還兵は大きな不安定要素となって閉鎖された北朝鮮社会に大きな動揺を与えると考えられる。
アジアではベトナム戦争の終結以来大きな紛争は起こっていない。
日本にしろ中国にしろ北朝鮮にしろ、どの国の軍隊も戦争を経験していない兵士ばかりだ。
この点が定期的に実践を経験している米兵やずっと紛争状態を維持している中東の兵隊、アフリカの兵士たちと違うところだ。
同じ軍隊と言っても本当に戦うための軍隊と、そうでない軍隊とでは大きく意味が違ってくる。
笑い話で、戦争が始まれば自衛隊の隊員は一斉に除隊をする、などと言われるように実際の生き死に関わることとただ日々の生活のための働き口としての軍隊は意味が異なる。
独裁者からすれば自分の命令であれば軍人は喜んで死にに行く、と思っているのかもしれないが、もちろんそんなわけはない。
ただ北朝鮮のような閉鎖社会であれば洗脳ブーストが掛かるので、普通の民主主義社会と比べれば多少は独裁者への絶対的忠誠心をもつ人の比率は高いかもしれない。
しかし、それも実際に戦場で自分の命が失われる可能性に直面すれば、あっという間に正気に戻るだろう。
そして、ウクライナに行った兵隊たちに起こるであろう心理的変化だ。
おそらく北朝鮮のような閉鎖社会は極度に相互監視の状態にある。
誰それが何時にトイレに行った、そこで誰それとコソコソ話をしていた。
そんなことすら互いに意識し合いながら生きている社会のはずだ。
だがウクライナの戦場へと行けば、ある意味での「自由」を得ることになる。
また戦争という本物の仕事を遂行するのは、相互監視閉鎖社会での儀礼としての仕事をすることとは大きく異なるはずだ。
彼らはある意味、本当の人生がウクライナの戦地で始まるとさえ言っても過言ではない。
目的のために自由に行動して、自由に考え、自由に話し合える場所としての戦場。
自分の頭で考え始めた人たち。
すべての武器の始祖とも言われる棍を使った武術の中でも特に足元への攻撃を中心として威力を発揮するのが下方棍を使った下方棍術である。
元来、武器というものは上半身を中心とした攻撃となりがちである。
妥当な点
1. 選挙結果は政党の絶対的な優位性を証明するものではない:
• この意見の中心的な主張は、選挙で勝利した政党が他の政党より必ずしも優れているとは限らないという点です。これは、多くの民主主義国家で見られる現実であり、選挙の結果が必ずしも有権者全員の理想を反映しているわけではないという考え方に基づいています。
• 有権者の判断が必ずしも完全に情報に基づいているとは限らず、さまざまな要因(感情、メディアの影響、候補者のイメージなど)が投票行動に影響を与えることもあります。このため、選挙での勝利が政党の「優位性」や「正当性」を単純に示すものではないという指摘は正当です。
• 「裏金」や「カルト団体の影響」といった問題は、日本の政治においても話題になってきたことがあり、自民党を含む多くの政党が過去に疑惑に巻き込まれたことがあります。こうした疑惑が政治的な意思決定に影響を与えている可能性は、選挙の公平性についての議論の一部を構成します。
この意見にはいくつかの妥当な点と問題点があります。以下に、それらを整理して説明します。
妥当な点
1. 選挙結果は政党の絶対的な優位性を証明するものではない:
• この意見の中心的な主張は、選挙で勝利した政党が他の政党より必ずしも優れているとは限らないという点です。これは、多くの民主主義国家で見られる現実であり、選挙の結果が必ずしも有権者全員の理想を反映しているわけではないという考え方に基づいています。
• 有権者の判断が必ずしも完全に情報に基づいているとは限らず、さまざまな要因(感情、メディアの影響、候補者のイメージなど)が投票行動に影響を与えることもあります。このため、選挙での勝利が政党の「優位性」や「正当性」を単純に示すものではないという指摘は正当です。
• 「裏金」や「カルト団体の影響」といった問題は、日本の政治においても話題になってきたことがあり、自民党を含む多くの政党が過去に疑惑に巻き込まれたことがあります。こうした疑惑が政治的な意思決定に影響を与えている可能性は、選挙の公平性についての議論の一部を構成します。
• 「クズ」「真正の馬鹿」「罵倒されて当然」といった感情的で攻撃的な表現は、冷静な議論を妨げ、相手の意見を聞く姿勢を欠いたものになりがちです。このような言葉遣いは、意見の妥当性や説得力を弱めることがあります。
• 建設的な議論を行うためには、相手を攻撃するのではなく、冷静かつ論理的に主張を展開することが重要です。
2. 偏った見解:
• 意見全体が特定の政党(自民党)に対する否定的な見解に偏っており、他の政党や政治システム全体の問題に対する公平な視点が欠けています。自民党だけでなく、他の政党にも問題があることを認識し、幅広い視野で評価することが重要です。
3. 民主主義の誤解:
• 民主主義では、選挙の勝利が「多数の意見に基づく決定」であることを意味しますが、これは必ずしもその政党が「最も優れている」という意味にはなりません。しかし、民主主義のプロセスは、有権者が自分の意思を表明する手段であり、その結果が最も多くの人々に支持された選択肢であるという意味では重要です。意見の中で「民主主義の常識」として述べられている部分は、正確に理解されていると言い切れない部分があります。
• 冷静な論理展開を心がける:感情的な言葉を排し、根拠に基づいて論理的に意見を述べると、議論の質が向上します。
• 偏らない視点を持つ:どの政党にも問題点と長所があることを認識し、公平な視点で評価することが重要です。
• 民主主義の理解を深める:民主主義のプロセスの意味や限界について正確な理解を持つことが、より説得力のある議論に繋がります。
この意見は一部の主張には妥当性がありますが、感情的な言葉遣いと偏った見解が問題となり得るため、より建設的かつ理性的な議論に向けて改善が必要です。
日本社会は、ある程度「権威主義的」と見なすことができます。この評価は、政治、ビジネス、教育、家庭生活など、さまざまな側面に見られる特徴によって支えられています。以下に、日本が権威主義的だとされる具体的な例を挙げます。
• 長期政権の継続: 日本の政治では、長期にわたり同じ政党(特に自民党)が政権を維持する傾向が強いです。自民党は戦後ほとんどの期間で政権を維持しており、これは政治的な安定をもたらしている反面、変革や多様な意見の採用を難しくしていると批判されています。政権交代が少なく、権威的な政治構造が固定化されていることが、民主主義の機能を制約していると指摘されることもあります。
• 縦割り行政と官僚支配: 日本の官僚制度は非常に強力で、行政機関内での権威的な階層構造が存在します。官僚が政策決定に大きな影響を持ち、政治家よりも官僚が実質的に行政をコントロールしていることも多いです。このような官僚支配は、トップダウンの指導や決定が優先される権威主義的な要素を持っています。
• 年功序列と上下関係の強調: 日本の企業文化は年功序列制度が根強く残っており、職位や年齢に基づく権威が強調される傾向があります。このため、上司や年長者に対して従順であることが重視され、新しいアイデアや異議申し立てを行うことが困難な環境が生まれます。若い社員や新入社員が自由に意見を述べることが難しく、トップダウンの意思決定が主流です。
• 企業と個人の関係性: 日本の企業は、従業員に対して忠誠心を強く求める傾向があります。終身雇用制度や企業内での社内教育が一般的で、会社が生活の中心となることが期待されるため、個人の意思よりも組織の利益が優先されやすいです。このような企業と個人の関係性も、権威主義的な側面と関連しています。
• 画一的な教育: 日本の教育システムは画一的で、受験制度を通じて統一されたカリキュラムや教育方針が全国的に採用されています。生徒たちは一様なルールや規範に従うことを求められ、個性や異なる意見の尊重が少ない環境が形成されがちです。教育現場では、教師や教育機関の指示に従うことが重視され、批判的な思考や創造性の発揮が難しいことが問題視されています。
• 体罰と厳しい規律: 学校では、いまだに体罰や厳しい規律が存在することも指摘されています。教師が生徒に対して絶対的な権威を持ち、命令に従うことが期待されるため、権威主義的な文化が学校教育の中でも再生産されています。
• 村社会の文化: 日本社会では、同調圧力が強く、「空気を読む」という考え方が重要視されます。個人の意見や異なる考え方が表面化しにくく、周囲に合わせることが求められるため、異端視されることを恐れて自由な表現が抑制されることが多いです。この同調圧力は、個人の意見を尊重しない権威主義的な側面と関連しています。
• 社会的ヒエラルキーの強調: 社会や職場において、年齢や立場による序列が非常に重視され、権威に従うことが当然視される文化が根強く残っています。これにより、階層的な社会構造が維持され、上位者の意見や決定が強く支持される状況が続いています。
まとめ
日本社会には、政治、ビジネス、教育、社会文化の各分野において権威主義的な要素が存在しています。これらの要素が、社会の変化や個人の自由な発言を抑制し、改革や多様性の受容を困難にしていると考えられます。日本社会が権威主義的とされる背景には、長い歴史に根ざしたヒエラルキーと伝統的な価値観が影響していると考えられます。
選挙に行こうキャンペーンやってたの朝日新聞だけど、あれは実質的には中立の立場を取る必要があるマスコミが中立を装いながらやってる野党の選挙運動よ。白紙委任っていうのは現状のままで良いという意思表明だから与党支持でいいのよ。たとえ立憲民主党政権でも。
与野党相乗りで対立候補が共産党しかいないような地方の首長選挙で大差で現職が圧勝するのが目に見えてるときなんか投票率30%とかだったりするけど誰も不満じゃないからその投票率なの。発展途上国のように投票率が高いというのは裏を返せば政治不信ということなので投票率自体が政治に対する信頼を表してるんだから無理に投票率上げてバイアスかける必要なんかない。
良い政治なら投票率はむしろ低くなる、それどころか選挙する必要すらなくなって無投票で再選する。多選の弊害があるから無投票が続くのが絶対的にいいとは言わないが。
前々からタナトフォビアで年2回くらい、しかも一瞬だけ死後を想起して物凄い不安や恐怖に襲われることがあったけど今回はもう3週間くらいこの症状が続いててしんどい。死……誰しも逃れられない絶対的な平等、しかしてその後が明かされることはなく、死後のことを想像するだけで胸が恐怖と不安と緊張に押しつぶされる。死だけでなく、宇宙、星の寿命、未来なども同様に考えてしまい、今の人生を3倍生きたらおおよそ寿命で、なんて思ってしまって気が触れそうな毎日。自らの精神の不調を招くので考えるだけ無駄なのだが、日常に隙があれば脳裏によぎりまた不調……あまりにも酷いので抗鬱薬を貰い、緊張状態は緩和されたが考えてしまうのは完治せず。どうしたものか
死への恐怖や未来への不安、世界の摂理への不可思議なんて他人に詳しく話してその人も同じパニック状態になってなんて欲しいわけが無いので他人に話したことはない。それでも誰かに聞いて欲しいのでここに書き留めておく。思いついたそばから書きなぐっているので駄文になってるのはご愛嬌。
何より大きいのは完成品と出力が完全に一致しているということ。
デジタルデータは何らかのアウトプットを行わなければ人間が目で見ることが出来る状態にできない。
つまり、何らかの変換によって失われる絶対的な損失が発生しないってこと。
そもそもデジタル絵の解像度って結局はGPUによる見えない上限があるわけじゃん。
1/1000のレベルまで色相を練り上げることが出来るし、アナログの解像度は1000dpiなんかで頭打ちになったりせず分子レベルまで広がってる。
こんなの、ちょっと考える頭があれば小学生でも理解できるけど、成人になってもこんなことさえ理解できてない人間が大勢いるの、怖いよね。
別にテキストに起こしても絶対的に面白いトークのやりとりしたいわけじゃないと思うんだけどなー。
話者によって面白数値の変動がないような強度あるエピ(ネタ)ぶつけ合いはそらコミュニティ内ではバトル!って感じで男女問わず行われてて、そのコミュニティ内で評価されやすいエピの傾向は違うよねたしかに。
ただ親密な間柄、あるいは親密になろうとしてるという場で元増田が"おもんない"って評価になったのって、ってそっちは自己開示するきないじゃーんていうつまんなさなに見えた。予定調和な話の中に話者の感情があったらそこに奥行きでるくない?
いっつもこういう時に対女のときは共感ベースで!とかいう方向に行くのわからんではないのだが、それはそれで取りこぼし多くない?という気がしてしまう。どんな間柄でもすり合わせが必要なのはそうなんだけどさー。
■最近明らかに「ただ女を罵倒したくてアンフェをやってる」って人が増えたなぁ
ってミラーリングしようかとおもったけど逆だな。単なるミソが女を大っぴらに叩ける理屈としてアンフェの殻を被っただけだから基本的にフェミニズム関係ないわ。発端が女が男より偉そうにするのが許せない、金を稼ぐのが許せないといった程度の幼稚で歪んだお気持ちの発露なので理屈とか無いんだわ。そもそも対等になろうという気持ちなんか無いんだからどうしようもない。ここまで書いて思ったけど、イスラム原理主義とかインドのカーストと根本的には同じだな。女は男より下なんだという絶対的な階層意識に支配されている人達。
絶対的な王政に権力の集中しているサウジアラビアでは、アメリカの兵器を大量に購入しているよ。
ただしサウジ軍に求められるのはクーデターによる政権転覆を行わないことで、部隊間の連絡すらかなり制限がかかってるんだ。
イエメンに介入したときは何十もの中隊が相互連携をとれずに大損害を被って負けたよ。
名目上は彼らがアメリカに代わってイスラエルを保護するための戦力という扱いだったけど、無理なことが露呈したんだね。
最近のイスラエルの暴走は彼らの弱さが引き金といってもいいかもね!
イスラエルは過去の中東戦争や小競り合いで何度も勝利を重ねてきたよ。
でもそれは外交や周辺国への調略による賜物で、軍隊はその時間を稼ぐだけしかできなかったんだ(役割は十二分に果たしている)
前者は兵器の開発思想や運用に特に悪影響を及ぼしていて、全ての前線の兵士が装甲車両に乗れるようにしてるんだ、
そのため作戦のために十分な数を集められなかったり、車両間の連携がうまく取れなくて戦術行動が難しいんだ。
そして2番目が影響してくるんだけど、アメリカ軍だとあまりに準備不足だと作戦が延期や中止になるけど、イスラエルは行っちゃうんだ。
神の軍隊が負けるわけないってね。負けてるよ!
でも政治と外交で勝つから終わりよければ全てよし、で数十年と改革が進まないんだ。
ちなみに世界の中小国の軍隊は、先進国の1個師団ほどの規模すら平時は持たないよ!
実際には編成の関係で内訳は全然違うけど、頭数としてはそんな感じ。
共通点はなーんだ?
この3軍は戦闘力は決して弱いわけじゃないけど、汚職が酷かったんだ。
イラク軍は小銃26万丁を反政府勢力やイスラム国に流したし、名簿はあるけど実際には存在しない幽霊兵士が最大5万人いたよ。
アフガン軍は有志連合への空爆要請を私的利用することが横行していたんだ。
あいつはテロリストだ!って対抗部族を攻撃させたりしたんだ。結婚式場の爆撃が有名だね。
アメリカ軍が基地の外に一歩でも出たら襲われたのも内通者のネットワークのおかげだね。
徴兵逃れで1小銭、兵隊を亡命させて1小銭、逃げた兵隊の給与で1小銭、儲けてる将校たちはそれで家を建てちゃうくらいなんだ。
出遅れの話題ではあるけれど、色々と思うことを自分の中で整理するうちに時間が経ってしまった。僕の心の整理のために言語化し、誰かに見てもらうことで、さらに心の整理をしたいと思うので、ご協力いただけるとありがたく思う。
「母親の方が大変だ」とか「お前にも原因があるんだろう」とか、そういう相対的な話ではなく、絶対的に僕自身が、「辛い」「死にたい」「許せない」と感じ、深く傷付いたという話。憶測に基づく異論も反論もあろうが、それは、僕がどう感じたかということとは関係がない。だって、そう感じたんだから。気分を害する人がいたら、それは申し訳なく思う。お許し願いたい。
さて、僕たち夫婦には二人の娘がいる。今現在、二人ともそれなりの大きさになり、手も離れるようになった。「産後の恨み」からは、それなりに時間のたった今でも、次女の妊娠が分かってから産後1年程度経つまでの、僕にとって地獄のような時間のことは、はっきりと覚えているし、今後も死ぬまで忘れることはないと思う。当時のことを振り返りたい。
妊娠が分かってからというもの、妻の様子が明らかにおかしくなった。元来、精神的に不安定なところはあったが、それがとても強く出るようになった。四六時中というわけではないが、理不尽なことを言われる頻度が格段に増えた。ホルモンバランスの変化だとかも一因だろうが、それだけが原因だったとは思えない。妻はストレスを過剰に感じ、それを自己処理できず、近しい人間(僕やちょこちょこ手伝いに加勢してくれていた義母)に八つ当たりして発散していたようにしか見えなかった。当初は会話による解決を試みたが、妻は頑なで、全く聞く耳を持たない。耐え切れず、反発したことも、声を荒げたことも、恥ずかしながら涙ながらに訴えたこともあるが、僕がどんな反応をしようが、妻のそれが変わることはなかった。
「母親のストレスがお腹の子どもに悪影響を与えるかもしれない」とか「長女の前で険悪な様子を見せ続けるわけにはいかない」と、ただひたすらに耐えることにした。どんな形であれ、妻の理不尽な言動に僕が反応すると、妻は怒り続けたが、全く反応を示さなければ、または物理的に距離をおけば、そのうち静かになる。無反応なぬいぐるみに怒声を浴びせ続けることはできない、というのと同じだと思う。ただ、僕自身がそこに至るまでには相当な時間を要したし、僕はぬいぐるみではないので、心は疲弊し続けた。
次女が生まれてからも、それは変わらなかった。「どうにかなりうなほど辛い気持ちになる。そんな言い方はしないでくれ。」と訴えたこともあるが、「私が悪いと言うのか。」と、火に油をそそぐだけだった。
子どもの世話という点では、母親のほうが父親よりも大変だということは言うまでもないのだろうが、父親だって大変だ。子どもが生まれたからと言って職場での仕事が減るわけではなく、自宅に帰ってからは子育てというプラスアルファのタスクをこなさなければならないし、夜中に起こされることも日常茶飯事なので、体力と精神を削られる。男性の10人に1人が「産後うつ」になると言うが、僕は実体験としてよく分かる。
とりわけ、うちには理不尽極まりない妻がいる。「仕事で疲れたけど、家には帰りたくない」と毎日思ったし、「この橋から飛び降りてしまおうか」と何度も思ったし、「あいつ、事故かなんかで、死なねーかな」とずっと思っていた。案外「殺してやる」というような感情が湧いてくることはなく、ただただ近付きたくなかった。この辺りで、妻に対する愛想は完全に尽きてしまっていたんだと思う。後に妻は大病を患うことになるのだけれど、それが分かったときも、僕は憐憫の感情は抱かなかったし、なんなら「なんだ、死なねーのか」くらいに感じていた。
なぜ、離婚しないでいられたのかと言えば、ただただ子ども達の存在に尽きる。子ども達は、心の底から大事な存在なので、離れ離れには決してなりたくない。「その大事な子どもを産み、育てたのは妻の存在ありきだろう」という指摘があるとすれば、それはごもっともなのだが、妻が僕や子どもにしてくれたことと妻が僕にぶつけ続けた理不尽な言動とは、少なくとも僕の中では、決してトレードオフの関係にはならない。僕が「辛い」「死にたい」「許せない」と感じ、深く傷付いたことと、僕が妻に抱く感謝の念とは共存し得るものだ。ただ、僕は妻に物理的に触れたくないし、触られたくもないと感じるようになった。
いまだに妻は不安定な部分はあるものの、次女が生まれる前程度には安定し、理不尽な言動をする頻度は減ったので、生活はしやすくなったし、子ども達は相変わらず愛おしい。だから、少なくとも今のところは、離婚しようだとかいう気持ちはないし、楽しい思い出も増えていくのだろうという予感もある。ただそれでも、あの時抱いた「産後の恨み」は一生忘れることはないだろうし、どんな言葉を重ねられたとしても、それを許すことはないと思う。