はてなキーワード: 突っ込みとは
いろいろ間違っているので、つい突っ込みを。
・日蓮正宗の寺側とは別物です。
・説伏ではなく、折伏です。
ここからは持論なので誤りがあるかも。
・ほとんどの人はたまに参加する人で、一部の人たちが周りの面倒をみています。
・折伏は好きでやっている人と、まわりの後押しでやっている人が多いです。
・折伏されている人は、本当に仲がいいか、信頼されている人か、助けてあげたいほどヤバい人です。
・折伏されている人は、折伏する側が信用しているから創価学会とカミングアウトしているわけで、そこは認めてあげてください。
・入会するのも断るのも本人の自由ですが、断られても入会を勧めるのも自由です。
・入会は若いうちか、死ぬ前がおススメです。いろんな人が祝ってくれます。※ただし、中年で入るのはおススメしません。おっさん、おばさんから祝福されます。
そんな小保方博士は、ねつ造だなんだとたたかれたので、実験手順を公開した。
確かに、突っ込みどころを見つけたくなるようなセンセーショナルな内容だし、図だって言われてみればなんだかなあ、という感じの論文。
しかしだ。
私が思うに、彼女は神の手の持ち主かつ非常に自分の手の動きに敏感だから、こんなトリッキーな研究ができたんだと思う。
彼女は「ピペッティングの刺激が細胞のストレスになるから、幹細胞ができる」と判断したから、ここまで研究を進めた。
これはtwitterで歩弥丸さんが言及していらっしゃるが、尋常ではない。
https://twitter.com/hmmr03/status/428738964174819328
ではなぜ尋常ではないのか?
それはおそらく、自他ともに認めるずばぬけた実験の正確さと、すばぬけた手の動きへの敏感さが小保方博士にはあるからだろう。
「ピペッティングの刺激が細胞のストレスになる」という判断はおそらく、
・ピペッティングがマイルドだったときは幹細胞化した細胞が少なかった
・ピペッティングが粗暴だったときは幹細胞化した細胞が多かった
ではピペッティングをしてる人にお聞きしたい。
・多少の指の力や、ピペッティングのスピードや丁寧さを加減することができても、各操作の力やスピードの違いを覚えているだろうか?
・その違いを数量化して、実験結果に照らし合わせられるだろうか?
・さらにその違いを比べて議論できるほど、精度の高いピペッティングを普段からできているか?
ちなみに私はどれにもいいえと答えますwww
皆さんはどうだろう?
私は使えない人間なので外れ値なんかも知れないが...
もし彼女のような感覚と手腕が多くの研究者にあれば、そうとう生命科学は進歩するだろうなあ。
というわけで、そこまでの人間はめったにいないので、ほかの人が再現するのが難しいんじゃないのか、という気もする。
が話題になっているようです。書いてあることそのものには賛成ですが、だからといって、ちきりんのいうことに意味がないとは思えません。
院卒で地方都市の高校というと、トップクラスの高校で教えてるんじゃないでしょうか?自分も理系院卒です。他の院生は高校教育に関わったとしても、トップクラスの塾・高校で教えている人間が多かったのですが、自分は、普通の高校に通えない生徒が通う通信制高校サポート校のスタッフなどをしていました。現在は文系・理系ともにある中堅総合大学で教員をしながら、研究プロジェクトで高校教育の現場にも顔を出しています(ただし、教育そのものは専門ではありません)。偏差値で言うと学部によって50を超えるところと下回るところがある程度です。その世代の高校卒業者の平均に近いのではないかと思います。
その立場から言わせてもらうと、「ちきりんの言っていることには、たしかに間違いが含まれていて、突っ込みたくなる気持ちは分かるが、全体としてはちきりんに賛成」です。
今の高校の理科教育ははっきり言って機能していなません。大学の理系の授業で、必須科目、「理科総合A」の内容を前提にすることはできません。中学理科もかなり微妙ですが、キーワードくらいなら覚えていることが多いです。授業なんか聞いてないか、聞いていても覚えていない。自分は高校の教育課程を把握しているので「この内容は、高校の必須なんだけど、覚えているかな?」などと良く振るのですが、「え?なにそれ、名前すら覚えていない」という反応が多いです。彼らは、教えれば少なくともその場では理解できて、小テストに正しい答えを書く程度の理解力を持っているし、受験で使った科目や、中学理科の内容であれば、覚えていることが多いです。だけど、高校の授業について全く覚えていない。おそらく聞いていないか、かりに聞いていたとしても、小学校・中学校の理科の比べてずっと定着率が低いようなのです。
「技術立国のために科学教育が大事」とかいうけど、あたしにいくら科学教育を与えても、技術立国には一歩たりとも近づきません。
ただし、理科教育といっても、物理と生物は大きく違うし、物理の中の分野でも「この分野は得意だけど、他は興味ない」という人もいるだろうから、「生物だけは特進クラスで学ぶ」みたいに細かく分野で分ければいいと思います。
そういう現状から言うと、ちきりんの上の意見には賛成するしかありません。たしかに、そうではない「理想の理科教育」を語るの自由です。でも、文句あるなら、そうじゃないような理科教育を実現してから言えよ。現状の理科教育では、ちきりんの言うことを受け入れるしかないじゃん。っていうのが、自分の意見です。
残りの 7割の人には、今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要な科学知識」を教えてほしいです。
そこで批判されていた上の部分ですが。たしかに、批判する意見ももっともで、それに対しては何一つ再反論するつもりはありません。つまり、「生活するために必要な科学知識」と理論教育は矛盾するものではないという反論には全面的に賛成です。何より、自分が大学でやっている授業の大部分(1、2年次の基礎教育に関係するもの)は、まさに、「生活するために必要な科学知識」としての理論科学を教えるものであり、自分もそれを実践しているという自負があります。
でも、ちきりんの上の文章にはものすごくうなずいてしまいます。命題としての正しさとは関係なく、「そのように多くの人が考えてしまうような現状がある」と思うからです。
自分の授業では、しゃべっていて、反応が悪いと、その場で別の資料を出してきて、良い反応が返ってくるまで、同じ内容を繰り返し説明し続けます。カリキュラムを大幅に変更することも珍しくありません。それこそ、ちきりんが例に出したような日常の話、ニュース、芸能・・・話の引き出しをいろいろ引き出しとして持っていて、興味をもたせられるように話すわけです。ライブパフォーマンスとして授業をするように心がけています。だけど、自分が学生のときの感覚で言うと、きちんと学生の反応を見ている先生とそうじゃない先生は半々くらいかなというきがします。そして、多くの人は同意してくれると思いますが、実際問題大部分の授業は受ける側に立ってみるとつまらないです。自分だっていろいろ努力はしていますが、つまらないと思っている学生もいると思います。
科学教育に関して言うと、「聞き手の興味を持たせる」ことは、「生活するために必要な科学知識」を教えることとかなり一致します。しかし、これは一筋縄ではいかない難しいことだし、今の日本の教員には、これが得意ではない人間が多いというのは、紛うことがなき現実ではないかと思います。この現状で、
って言うのは当然の反応です。
自分はこれとほぼ同じことを塾の生徒、高校の生徒、大学の学生・・・に何度も言われました。なので、これはちきりんの特殊な意見として見るのではなく、学生・生徒たちの率直な意見として受け止めてほしいというのが、科学教育に携わってきた自分からの切実なお願いします。
もちろん、だからといって、「今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)」を教える必要はありません。今教えている内容を、「生活するために必要な科学知識」でもあることを強調するする形に変えるべきということです。これは、科学教育に携わる人間が常に取り組んでいかないといけない課題です。そして、これは今まで自分が教員としてやってきたことだし、ちきりんに対して反論していたバッタさんの意見とも一致すると思います。
他の人も言っていましたが、自分はちきりんの意見とそれに対する反論を見ていて、「これはないな」と思いました。議論が噛み合っていない。ブログに書いたことに、論理上の粗があるのは当然です。そういったことについては、作者にメールするなり、コメントするなり、あるいは別エントリーを立てるなりして、ブラッシュアップしていけば良いことです。こういうのは、普通の社会人、あるいは研究者なら普段、仕事上行っていることと同じだと思います。でも、ネットだと「議論をより良いものにするために意見を言う」ということができない人が多い。
科学を愛する者、科学に生涯を捧げた者が古今東西多数いることを知らないわけでもなかろうに、科学に対する冒涜と取られかねないような表現を用いるのは、売文屋、自己啓発屋として作戦ミスだと思います。いわゆる「炎上商法」「釣り」のつもりなのかも知れませんが。
アクセスを稼ぐためなのか、小さな問題でも、相手の議論の全部を否定したり、場合によっては、人格まで否定するようなことを書く人が多いです。そして、そのために、ネット上の議論の多くが、無駄なものになってしまっていることは、大変残念なことだと思います。
「また、あいつか、叩いてやろう」と思ってエントリーを書いたときは、「もしかして、このエントリーがネットの言論空間をダメにしているかもしれない」ということに想像力を働かせてもらえると幸いです。
批判する人たちには、たぶん何かの理由がある。
1。何か間違っている点がある場合
これに該当するのは、論理的に間違っている点を記載している場合。
2。鬱憤晴らし
相手を見下す言葉やレトリックが使われ、そこには論理性が欠けている事も多い。
普段、見下された生活を送っている者、または見下されて育ってきた経緯がある者も少なくない。
3。正義の味方のつもり
やたら正義感だけが強すぎて、正しくない・悪と思ったものに対して我慢していられず、感情的になり否定の言葉を連ねる。
感情が先走りして理由不明で批判する事もある。前述の鬱憤晴らしと近いところはあるが、本人は善意のつもりでいるところが相違点。
何が悪で何が善なの、と突っ込みを入れることで冷静になることもある。
また、後述の誘導型批判論者の神輿担ぎになる事も多い。
4。何らかの意見へ誘導する誘導型批判
反対論者がよく使う手段。反対論者ではなくとも、己の主張に有利に働くよう使う場合もあり。
分かり易いように対立意見を述べる場合もあれば、一見しただけでは同意見なのか反対意見論者なのか解りにくい場合もある。でも、何らかの意見へ流されている場合に、これに該当する。
なかには、第三者や味方の同意見を装い、わざと論破されやすい意見を書くことで論理破綻を招かさせる手法もあり。
使う人間はわりと知能犯であり確信犯。単純に記述内容だけでは、これに該当すると判断できない事も多い。
以上、大雑把に4つにくくってみた。もちろん重複することはあるでしょうが、たいてい2番か3番。4番もたまに見かける気がする。
お前は何なんだ、と問われると、なんだろ。1番のつもりの2番か3番。ちょびっと4番でしょか。雰囲気わるいから作ったという側面あるし。
確かに俺も浅田真央には感動した。
結果6位でも素晴らしいと思ったし、フィギュア界隈でとはいえ世界的な話題にもなった。
でも、メダルなんてどうでもいいとかぬかし始めてる外野にはメダルにしかこだわってない外野と同じレベルで
オリンピックやら世界選手権やらスポーツ大会に向けて時間割いて選手が何のために頑張ってるかって言うと
やっぱり結局メダルなんだよ。
結果としてのメダルが全てというのは間違ってるけど、そこはメダルなんだ。
そのメダルの価値をどうでもいいとか外野がわかってる風に言って同調し始めてるのにアホかと申し上げる。
とりあえず、この映画に関して感じたことを箇条書きで書いていこうと思います。ネタバレ注意です。
・カメラワークが気持ち悪い
ドキュメンタリーのようなカメラワークなんですが、手ブレがひどいです。クローバーフィールド、recにも引けをとらないんじゃないんでしょうか
階段の下から上がろうとしたところで画面が切り替わり、一瞬で階段の上にいる画面になったり、無駄がおおすぎてストレスが溜まりまくり。なんでこんな撮り方してるの?と今まで撮り方なんて気にしてなかった素人にも思わせます。
・話し方気持ち悪すぎ
美男美女じゃないからって文句を言っているわけではありません。セリフ回し(字幕で見たので説得力に欠けます)も全員、自分の立場に酔ったような話し方をしてます。よく周囲にいますよね。お前ドラマかよ!って突っ込みたくなるような話し方する人。いちいち鼻につく話し方でストレス爆発しそうになります。
・主人公頭悪すぎ
これについて文句言いたくは無かったのですが、裁判のシーンで「これはアカン……」となったので
心が綺麗だとかそんなレベルじゃないです。知恵遅れとかそういった障害があるとしか思えない。このキャラクターがこの映画のテーマ?である母性を際立たせているのでしょうが、あまりにも頭が悪すぎます。僕にとって頭の悪い純粋な弱者ほど腸が煮えくり返るものはないです。そら映画館のおっさんも怒るわ。
・ミュージカル長すぎ
ヤフー映画のレビューで「母性を感じた!」「芸術作品!」とか絶賛してる人たちが信じられませんでした。
理解できないものに「芸術」というレッテルを貼って自分を偉く見せているようにしか思えないんです。
「ここがいいんだよ」という所があれば是非教えていただきたいです
コイン500枚
はてぶでまわってきた今ページ
http://www.0-roof.com/blog/?p=48
まず最初にこの記事の突っ込みどころとして、おそらく雪降ろしんなんてしたことのない素人が
一体誰に向けて書いたのかわからないようなてん。
というか、お前の勝手なまとめはいいからその国土交通省の話だけでいいだろ、てきな。
まあ、それはいいんだけど、このページがやけに香ばしかったのでなんなのかみてみると、
屋根がただで修理できる、と言うことをうたっているサイトらしい。
なんざら?と思って調べてみると、そういうのは結構いる
http://www.fireinsu-roofrepa.net/
んで、調べて見ると、こんな話が。
http://knowledge.realestate.yahoo.co.jp/chiebukuro/detail/1495527084/
ま、多分、合法なんだろうけど(見積の水増しの件がどこまでか、によるけど)
なんいしろ、世の中こういう汚い事をして生きてる人って沢山居るんだな。
なんのために生きてるんだろうな。
自分の正しさばかりを主張するひとにあった。
信用が「押し問答」のなかで失われつつあるなか、かろうじて互いの理性でギリギリ関係が成立している状態。それを横で部外者として話しを聞いていた。
ある組織が提供しているサービスを利用しているその女性は「話しが違う」という趣旨のこと延々と主張していた。かたや組織の人間は「そんな約束はしていないしそれを証明する方法も無いでしょ?」ということをやんわりと伝えていた。
恐らく法律的に組織側に瑕疵がある部分はなく、誤解を生んだ言い回しは希望的観測の範囲内の発言だったと言える感じ(とはいえそれが原因だから問題と言えば問題だが)。
一方女性の主張は、「自分が何を信じて行動し、それが信じた通りにならなかったことによってどれだけの不利益が合ったか」といった趣旨のことを延々と述べていた。結構冷静に。
サービスを提供している側としては、その女性はお客さんだ。だからその部分を加味して、当然直接的な言い方は出来ない。そしてその女性は「その歯切れの悪い部分」に突っ込みを入れる。「誤解を生むようなことをいうひとの責任が云々」みたいな。。
この女性に決定的に掛けているのは「自分を客観的に見る視点」だと思う。
世の中には悪いやつに騙されたとしても「騙される自分に隙があったのだ。それがそもそもの原因だったのだ」と考える人も少なからずいる。もちろんそう考えるからといって、人を騙したやつの罪が消える訳ではない。問題は騙された側の心の「ありよう」だ。責任の所在やトラブルの原因を他者に求めるのは比較的容易だ。泥棒にも三分の理、ということわざもあるくらいだ。
自分の価値。それは他者によって決められる。これは「せかいにひとつだけの花」の唄の歌詞のようにはいかない。ありのままで価値を持っているものなどこの世には存在せず、価値は「見いだす人」がいて初めて価値になる。ちょっと考えれば子供でも分かる話しだ。
この女性は、自分の価値に対して揺るぎのない自信を持っている。それは人が通常生きるうえで必要な「自信」とは、別なものになっていると感じた。
「自信」は自分を支えるのに使うものであって、何かを攻撃するためのものではないはずだ。これは推測になるが、この女性はいままでずっと「自分を守るための道具」を「武器」として使い、社会と向き合ってきたんだと思う。そしてそれをそうやって使うことにより、多くの成果を得ることに成功しているのかもしれない。(他者と違うアプローチをすると、得てして良い結果を得やすいものだ)
正直醜いと思った。
自分を客観視できない醜さ。そしてその醜さにも気づかず、当然それを背負う気概もなく、ただただ問題の原因を他者に押し付ける主張を続ける。醜い以外のなにものでない。
ちなみに当の本人、外見はすこぶる美人だった。
ラノベもそれ以外の本も読むけれど、あんまり違いを意識して読んだことはないなあ。
一般小説でも主人公これGA文庫の主人公かよwって突っ込みたくなるぐらい会う女に片っ端から惚れられてるような本だってあるし、ラノベでもガガガあたり読んでるとなんでこれ小学館の普通レーベルにいかないんだろう、ソッチのほうが売れそうなのにって思うのもあるし。
MWなんて一般レーベルの皮かぶってるけどどうみたってラノベだし。
歴史小説の中にもこれどうみたってラノベって言いたくなる山田風太郎もあるし、あれやこれやあんまり考えて分けて読まない。
ただ、ラノベでもなんでもいいから文字を読むことが苦にならないようになっておくと、それ以降必要に迫られて本を読むとき楽かなって思う。
そういえば今度映画化するっていう超高速!参勤交代がまるっきりラノベで、見せ場を作ったり主人公が実は最強だったり読んでて面白かった。
ニコニコ動画で、これ系統の動画が上がってるのをチラチラ見ていたが、正直最初は邪魔っていうか、婦女子が盛ってるのかあ?って感じだった。ただウザかった。
がしかし、ツイッターで絡んでいた高校生がやたらそのネタを使っていて、どうやら野獣先輩というキャラのアイコンも使っていて、なんだこいつ?って思ってはいた。
ある時、そいつが、「そうだよ(迫真)」みたいなネタを使っていて、語尾に()を付けて言うのっておもしれえなって思って俺も真似して使っていた。
そしたら、その高校生が「元ネタ知らずに使う奴増えたよなあ」みたいな、古参ぶった物言いをしてきて、なんだこいつ工房の癖にと思って、ググってみたら、淫夢ネタなんだなこれ。
はまった。
面白すぎる。なんでこんなただのホモAVが面白いのかわからないが、突っ込み所が面白すぎる。
こ↑こ↓ 一つとっても、 監督の指示説、こっここ説、ここここ説 等等。
ひで に対する突っ込みもあるわあるわ。
びっくりした。一つの動画だけでもこんなに突っ込みどころってあるのか、考察するとこんなにあるのかってのがびっくりした。
あるいはそこらのつまらないビデオでも実は面白いとかあるのかもしれない。
まずいですよ!←なぜ他人事なのか
アイスティーしかなかったけど ←なぜ麦茶でなくアイスティーを常備しているのか?
みたいな、言われれば確かに!っていう突っ込みどころが深い。
ある種国語っつーか、文学の味わいっていうか。ピンチョンみてーな。
一番好きな淫夢キャラはAOK。(http://www.nicovideo.jp/watch/sm22135895)
恰好よすぎる。
なんでこんな面白いんだろ。
これ漫画の台詞だけど、漫画の登場人物が「努力なしには成功できない」と主張する場面での発言だったと思う。だから成功しなかった人を責めるニュアンスなんて不要で、努力しなかった人を責めるニュアンスがある原文の方が適切。
猫と名乗ってる人が猫シルエットのアイコンを使うことはなんら不思議はないわけであるが、
かつて彼女は顔だけを隠した下着姿の実写アイコンを使用していた。
なぜ変えたのか。
最初からあたりさわりのない猫シルエットにしとけばよかったのに。
これは相当なことだ。
自撮り画像を定期的にさらしてくださる天使のごとき峰なゆか嬢ですら、
なぜそんな大それたことをしたかといえば、「熱にうかされていた」のだろう。
心と頭を使ってエントリを練りにねって書き、ツイッターでキャッキャウフフしてるフリしつつ、全方位警戒していたはずだ。
それでも、彼女は下着姿をさらした(よくよく見るとなゆゆのような玄人ではないゆえ、いろいろ突っ込みどころのある下着姿であるのに)。
なぜ?
賢い彼女ですら、飲み込まれてしまうほどの熱気があったのであろう。
結局ひっこめることになったんですけどね。
プライベートを報じられる/報じられない境界はどこにあるんかな。
ってことを、小保方博士の件を見てて思ったんですよ。
つらつら思いつくままに挙げていってみます。
でも、その報道の中では別にプライベートには突っ込まれてなかったような気がする。
見た目の地味さ(個人的には良いメガネっ娘だと思う)、将棋という種目のストイックさが阻んだのか?
ちょっと古い話ですけど、W杯とオリンピックの活躍の後の報道といったら、そりゃもうアレでしたよね。
川澄さんは(柏木に似ているものの)カワイイという一般的評価を得ている方ですから、やっぱり見た目でしょうか。
あとはネイルとかピンクのゴムとか、突っ込みどころが割とあったせいかもしれません。
女流作家の受賞も多い芥川賞ですが、男女の別を問わず、結構プライベートまで報じられがちに感じます。
「それまでの人生が作品のバックボーンになっている」という思想なんですかね?
歴代でも報道過熱といえば、綿矢りささん・金原ひとみさんのW受賞の時でしょう。若さ・ビジュアル・キャラ立ちと完璧でした。
余談ですが、直木賞の方は比較的人物報道が軽めなのはなんででしょうね。
若いしビジュアルも悪くない、でもそこまでプライベートが話題になっていた記憶はありません。
こと政治家は身近さを売り出すためか、家族だの好物だの、自らプライベートなことをPRしがちだと思うんですが。
とりとめもない印象の書きなぐりですけど、結局のところ
・見た目が華やかか/地味か
ということなんでしょうかね。
小保方博士もお気の毒なことでした。
ikd18 金になるかならないか。
いやそうなんですけど、その『「お父さんのための~」の対象になるか/金になるか/数字がとれるか』の基準はどこにあんの?って話です。