はてなキーワード: 懲役刑とは
現在は順風満帆に暮らしていますが、自分が中学生の時に兄が犯罪で捕まり、約2年の懲役刑を受けました。もう10年前になろうとしている話ですが、今なおその時の思いは続いています。
何か事件があった時、一番に配慮されるべきは被害者であることは言うまでもありません。しかし、被害者への配慮と同時に、加害者やその家族も苦しんでいるのも事実です。被害者のことを思うと加害者やその家族は苦しみを語ることは許されません。
また、自らの子供が犯罪を犯したとき、その兄弟はどう思うのか、犯罪加害者の親の皆さんにぜひ知っていただきたいです。
私の家庭はごく一般的な家庭です。サラリーマンとパートの両親と、しっかりと学校に通っている息子3人兄弟でした。犯罪を犯したのは長男で当時は高校を卒業し、専門学生でした(以下、兄)。
どこで、間違えたのか兄は専門学校在学中に犯罪を犯し、逮捕されました。恐らく逮捕され起訴され…と続いたのでしょうが、当時中学2年の私には詳しくは知らされませんでした。不思議なことに逮捕された時や、それを知らされた時の記憶は全くありません。きっとキッチンの机で家族が集まり話されたのだと思うのですが全く記憶がありません。恐らくそれだけ大きな話だったのでしょう。
○罪を犯したその後(両親)
家族が罪を犯したとき、家族はどうなるでしょうか?私の家族の場合、両親は兄の人生に絶望しながらも心配していました。被害者への謝罪の気持ちはもちろんあったと思います。ですがやはり、兄(息子)のことを一番に考えていたと思います。
しかし、両親は自らの子育てに後悔し、とても苦しんでいました。なぜ息子の苦しみに気がついてあげれなかったのか、なぜ寄り添って挙げれなかったのか、なぜ犯罪を未然に防げなかったのか、兄を責めきれず自分の罪のように日々苦悩していた両親は倒れる寸前まで憔悴していました。後悔すること自体は止めることは出来ません。しかし、その様に苦しんでいる人間はどこに救いを求めれば良いでしょうか?「犯罪者の親」の弱音を吐く場所はどこにあるでしょうか?罪は責められても仕方ないと思いますが、必要以上に苦しむ必要はあるのでしょか?ぜひ、どこかで犯罪者家族が救われるような制度があってほしいと思います。
○(私)
私は当時中学生で、両親が憔悴していたため誰にも頼ることはできませんでした。私は思春期であったこともあり多感な時期ですが、家族にも頼れず、また加害者家族である思いが弱音を吐くことを許しませんでした。当時は、加害者家族であることでここまで苦しまねばならないのかと思った記憶があります。
しかし、もしここで自分が挫けてしまえば両親は命を断ってしまうのではないか、何もかも壊れるのではないかととても不安に思いました。そのため、両親に気を遣い、兄の社会復帰について賛同し、兄を責めない立場に尽くしました。
結局自分語りですが、その経験は今にも大きく影響を及ぼし、家は安らぐ場所ではなく気を遣う場所になりました。社会人になってからはすぐさま一人暮らしを始めました。ですが当時の振る舞いは後悔していません。恐らくそうするか、グレて両親の命を含め全てを失うかだったと思います。
○その後への影響
罪を犯したあとの影響はたくさんありました。
・どこかでバレるのではないか。
たくさんのことを気にして生きてきました。一番苦しかったのは両親もそれを気にしており自分の罪のように心配していることです。何度も言いますが、そこまで苦しまねばならないのでしょうか。
取留めなくなり始めたのですまとめます。
犯罪者家族は苦しみ、苦しみ、苦しんでいます。また、それはずっと続きます。
私は犯罪者は罪を償い更生するチャンスがあると思っています。例え罪を犯したとしても、更生するチャンスを与えてください。それが、救いにもなると思います。
罪を犯しても人は更生できます。息子や兄、弟を信じてあげてください。苦しい日々だとは思いますが、皆が責めるわけではありません。罪を犯したら全てがだめになるわけではありません、人生はどうだってなります。長い目で頑張りましょう。
沢山の反応があり驚いています。そして、様々なコメントや意見を拝見し、色んな考え方があるなぁと思いました。犯罪に対して様々な意見があると同時にどこを主観に置くかで考えが変わるようにも思います。
少なからず私の駄文で不快に思われた方もいらっしゃるかと思いますが、私は犯罪者加害者の弟としての目線でしか物を語れません。申し訳ありません。こういう目線もあるのかと思って頂けたらとおもいます。
途中でやめてしまったところもあるので、主にコメントで指摘のあった不足分を書きたいと思います。
○具体的な犯罪の内容について
具体的な犯罪を教えてほしいとのコメントも多かったと思います。私は何をしたかについては知っていますが、「もしここで話したら特定されるのでは」と言う怖さがあります。そしてこの文をもし家族が見た場合分かってしまう可能性があるため伏せさせてください。隠し続けてきた癖が残っているのかもしれません。
どうしても自分語りで終えてしまった所もあり、被害者(家族)への思いはあまり書いていませんでした。そのことについて追記します。
私は、まず大前提として被害者が救済が第一だと思っています。その考えは一般的であり、被害者救済の制度や取り組みは数多くあると思います。私が言うことはおこがましいですが、兄の犯罪で苦しんだ方々もどこかで救済されていて頂きたいと思います。
上の考えを大前提として、ここでは、私自身の個別具体的な思いを書きたいと思います。
私も、被害者が苦しんでいるのに兄の幸せを願うのは間違ってるだろうと思ったこともあります。そしてその考えが加害者(家族)が悩む本質的なところがあると思います。「罪を犯して他人を苦しめた家族」の幸せを願うことは道徳に反しているのではないのかという考えです。これについて私は答えが出ていません。その影響か、兄の幸せを願うとき私は被害者の姿が見えなくなります。誤解を恐れずに言えば私にとってはどうしても家族が幸せになってほしいと思ってしまいます。
ですが、被害者のことを思うことと家族の幸せを願うことは同時に成立しうることなんだと最近思い始めました。偽善的な言い方ですが、罪に関連した全ての人が幸せに暮らすことが一番だと思います。
なお、私は被害者(家族)と兄(両親)がどの様なやり取りをしたかについて全く知りません。それは両親が徹底的に私に隠そうとしていたからだと思います。なので私は兄の犯罪のそれ自体には情報が極端に少ないです。その点両親は大変気を遣っていたのだろうと思います。
○兄の更生について
兄について具体的なことを話すことは避けたいと思います。先にも書きましたがもし仮にこの文が知られた場合どんな影響があるか分からない怖さがあるからです。申し訳ないです。また、兄は深く反省し後悔しています。だからこそ兄を思うことができるのだと思います。もし兄が反省していなかったら見放していたと思います。
具体的な話は避けますが、兄は就職し結婚もしています。結婚相手は兄の犯罪を知っていてそれを受け入れていると聞いています。
加害者や加害者家族の皆さんは未来が全くの暗闇に見えていると思います。ですが、しっかりと反省し更生すれば理解してくれる人がいると思います。決して絶望することなく、ただひたむきに生きてほしいと思います。罪を償うことと生きることは同時にも行なえます。
○私や家族への影響
私は当時中学生でしたので、少しだけ周りから兄のことについて言われたことはありました。当時はとても苦しかったですがなぜかあまり記憶にはありません。そのことを両親には言えず隠していた記憶はあります。当時の担任の先生は私のことによく気を遣ってくれて、それが救いになっていたと思います。その経験から先生という存在はとても素晴らしい仕事だと思っています。
また、家や仕事を追いやられることはありませんでした。そのおかげで兄の更生を考える余裕があったのかもしれません。
そして私も就職に影響はなく、公的な機関で働いています。ですが警察等では影響があるのかもしれません。両親はそのことをとても気にしており、色々と情報収集していたようです。悩んでる方の参考となればいいですが、少なくとも私は就職に関しては困りませんでした。(全てがそうだとは言えないのが不安になる要因です、もしかしたら企業によっては影響があるのかもしれません)
私はまだ結婚していませんが、恋人には兄のことを話したことはありません。話したらどうなるのかという不安があるからです。でもいつかは話さなければいけないとも思っています。
加害者や加害者家族には、罪の種類や家族の在り方、反省の度合いなど沢山の違いがあると思います。私の場合のようではないことも沢山あると思います。その上でそれぞれの人がどんな思いを得て生きているのが考える機会になればと思います。
沢山の反応があり、関心の高いことなんだと感じました。また、様々な意見があり自分や犯罪被害者、加害者について深く考える時間となりました。これを機会に皆さんも考えを深め、どういう形になれどもより良い社会になってほしいと思いました。私は今後加害者家族等の支援の組織のことなども調べ、誰かの助けになれたらと思っています。沢山のお言葉ありがとうございました。
大多数の羊は幸福。1人っこ政策が3人っこ政策に転換したので3人の子持ちとしていきていける。男女もそこそこ平等。
でもひとたび政府の気に入らないことをしでかすとばかすか死刑にされてるヒトがいる。
たとえば日本でウィニー事件があって、研究開発に便利なツールだがネット犯罪にも使えるツールを公開した技術者が有罪にされ懲役刑になったが、これが中国だと有罪のあと高確率で死刑がまってる。いくら有能でも秩序を乱したら容赦がない。
最近では女性のテニス選手(世界ランキング上位)が政府要人の愛人にされていて、それが国民にバレてなぜか男が怒られるのではなく、女がどのテニス試合にも出場できないようにされた。おそらく監禁されているから二度とトッププレイヤーに返り咲くことがない。
ユーチューバーも政府に不合理なことをしたやつは監禁。死刑になったという噂がでたら監視のもとで「生きています」というビデオメッセージだけ公開させる。
チベットなどで不合理でもいいから不合理な生き方をしたい人を合理化しようとしてできなくて結局現地自治体と警察が暴走して監禁や拷問してしまった。
台湾、香港は中国でありながらほぼ日本とおなじ自由な状況だったが、しめつけを強化している。
独立運動とかしたら監禁。このままいけば死刑になる人もでるだろう。
真面目に答えてくれる人がいたので、やりすぎると増田らしくないけどちょっとだけお返事します。あと、全体に増田の言ってることはよく理解できるので、特に異論のないとこは省略するよ。
まず「更生と刑は両立する」のくだりについては、「それは日本の制度がおかしいのでは?」としか言いようがない。わざわざ更生させといて、それから殺す。それに何の意味があるのだろう、って、合理的思考ができる増田は不思議に思わないだろうか。だいたい、裁判でも「改悛の情が明らか」であることが減刑の理由にはなるよね。懲役刑だって、反省態度で仮釈放までの期間が変わる。これは実質的な減刑じゃないかな。駐車違反をネタに「反省したら刑が割引なんてないでしょ」という理屈は、ちょっと納得がいきかねるね。
次に「国家」という仕組みへの不信の話。
国家を信じないなら何を信じるのか、というのは旧きリベラリズムにとっての急所だし。そもそも国家が信用ならないなら、終身刑のほうが不安だ。国家が正しく終身刑をやりとげる、という「国家への信頼」はいったいどこから発生するのか。
実は君はここで、致命的なスキを晒していると俺は思う。
なるほど、立場が変われば見方も変わるものだなあ、と感心しながら読んだ。増田の周りの「旧きリベラリスト」たちは、そこで沈黙したのかなあ。
まず、増田は国家を信頼し、犯罪者を「裁く」目線で物を言ってる(一応言っておくがそれがいい悪いという話じゃない)よね。一方、旧サヨクに共感する私としては、国家というモノにいつ何時理不尽に「裁かれ」「殺されるかもしれない」という目線で物を言ってるんだよ。だから、国家が終身刑を「やり遂げる」ことができないとしても「ああ、やっぱりな」と思うだけだ。終身刑を誤るなら、死刑だって誤るだろう。そして、後者を誤るよりは前者を誤る方が、取り返しがつくだけマシだと思う。だって終身刑を失敗して誤って仮釈放してしまったとしても、誤りが判明したらもう一度収監することである程度取り返しはつくけど、「間違って死刑しちゃったわ(テヘペロ)」だと何をどうやったって取り返しなんてつかないんだから。(ここでも、増田は多分誤って釈放された凶悪犯を想定するだろうね。そして私は誤って殺される無実の囚人を想像するわけだ。これは価値観の問題、物の見方の違いとしかいいようがない。)
ついで、「国家に代わる何があるのか」「それが旧リベラルの弱点だ」と増田は言うけど、現代だって、日常的に人々が信じているのはもっと身近なコミュニティや属する組織なんかであって、「国家」などという漠然としたものによっかかって生きてる人って、霞が関の中にもあまりいないんじゃない? いたらあんなに不正がはびこらんでしょ。ああいう不正って、国家とかそういう漠然としたものじゃなくて、自分の目の届く範囲の狭い狭いコミュニティに殉じるからこそ起きるもんだよね。小さな組織、小さなボス、それに従うから、大きな外から見たら「不正」としか見えないことに手を染めるわけで、彼らがいくら「お国の為」と口にしようと、それは口当たりのいい欺瞞に過ぎないくらいのことは、増田にだって分かってるだろう。
それに、たとえば終戦直後、国家が国家として機能していなかったときも人はそれなりにたくましく生きていたわけで、国家がなけりゃ人はない、なんてことはない。もちろんそれが理想的な社会だったとは別に言わないけど、近代国民国家を〈唯一完成した人類社会の最終形態〉みたいに言うとなると、それは無邪気すぎるんじゃないかなあ。国家に不信を抱くのは、むしろ現在と未来を生きる人間にとっては必須の要件だ、くらいに私は思ってるんだけども。
それから、死刑をする最大の理由はお金だ、って話。増田はそれを「現実的」な立場で語ったつもりなんだと思う。その現実主義を揶揄するわけではないよ。けど、それなら次に述べる四つの点についてどう思うかは聞きたい。
米各州で死刑制度廃止の動き、経費削減のため https://www.afpbb.com/articles/fp/2572851
いや、死刑制度を維持するのって、意外とお金かかるんですよ? 「生かしておく方が金がかかるに違いない」というのは思い込みで、文明社会で人一人殺すというのはそんな簡単なことじゃないんだ。日本とアメリカで事情は違うと思うかもしれないけど、見方によっては日本の方が"殺し方"としてはより丁寧であって、それはつまり「よりお金をかけて殺している」ということでもあるんだよね。
さて、そうやって莫大な経費をかけて死刑を執行して、それで社会に一体どんなプラスがあるんだろう。増田も同意してくれたように、そこには見せしめとしての抑止効果もないし、遺族感情なんて不確かなものは宛にならない。つまり、死刑によって得られるプラスなんて、無いんだ。
一方、終身刑であっても、何割かの囚人がそこで「更生」したとする(何割かの更生は期待できる、という話は前にした)。彼らは自らの体験を語るかもしれないし、それが誰かに影響を与えるかもしれない。「更生」という言葉が語るように、それはプラスの効果であるだろうね。事件の全容が「更生」した犯人自身の口から語られることで、社会にあったセキュリティホールを少しふさぐことができるようになるかもしれないし、見落とされていた福祉の穴が埋まるかもしれない。また、道を踏み外しかけた人が、はっと踏みとどまれるかもしれない。何よりも、重大な罪を犯してしまった人でも、心から後悔し立ち直ってもう一度人生を歩もうと思えるようになれるのだ、というロールモデルを示すことは、社会にとって大きなプラスだと思うが、どうだろう。終身刑にだって、制度としての仮釈放はあるんだよ。
前の項目の中にもあげたことだけど、死刑というのは、犯罪の根源についての追及をそこでストップさせてしまう。なぜそんな犯罪が起きたのか、社会はそれとどう向き合うのか。どうすれば類似の犯罪は防げるのか。そういった議論を、全て、「我々の社会とは共存できないモンスター」のせいにして、封じ込めてしまうのがぶっちゃけ「死刑」という制度なんだよね。そういう目線で死刑と言う制度を考えたことはあった? 非文明社会、非文明国なら、それでいいんだよ。というか、それしかできない。たとえば、文明社会から離れた孤島で、30人くらいのコミュニティで原始的な生活を営んでいたときに、原因不明の殺人が起きたとして、明らかに犯人と分かっている奴がいたとする。そりゃそいつを吊るすしかないよな、なにせ原因が分からないし社会の不安を解消する方法がそれしかないんだから。でも、本当は深掘りすれば、殺人衝動を起こさせる風土病が原因だったかもしれないし、殺された奴に原因があったかもしれない。もっと文明が発達して、いろいろと調べる手段があれば、助ける方法があったかもしれないな、と、増田がその島にいたら思うかもしれない。私もそう思うんだよ。現代の「死刑」が、何もかもを明らかにして、完璧に調べつくして、その上で執行されている…というようには見えない。
いや、死刑議論は哲学だ、なんて言を弄するのは止めにして、もうこれいい加減真面目に考えるべきなんじゃないかと思うんだけど、世界で死刑制度の現況を見てみれば、
……という状況なんだよね。でもって、アメリカもさっきのニュースで見たような状況なわけで。で、君、どっちのグループに入りたいねん! て話なんだよ。こと”人権”という視点で世界と向き合う時に、死刑制度を存置しているということは、マイナスに働く要因ではあってもプラスに働くことは一切無いと言える。ここでも死刑制度は明らかに「高く」ついてるんだよ。死刑制度を擁護することは、実質的に人権問題において、中国やイスラムの側に立ちますよと言ってるに等しいわけで、これがリスクでなくてなんなんだろうと思うわけです。
というわけで、増田が「死刑制度を存置するのは、単に経済的合理性のため」という立場を取るなら、以上4点については反論する必要があると思うのだけど、どうだろう。
私は別に「美しい矜持を飾るためにお金払おうぜ」と言ってるわけじゃないし、別に経済的に合理的だから死刑を廃止しようと言ってるわけでもない。私が死刑を廃止した方がいいと思ってる理由は、全く前に書いたとおりだ。でも、単に経済的な合理性を考えても、実は死刑には合理性がないんじゃないかとは思ってるよ。
前回の分はこちら。anond:20211225174826
と題して、死刑反対派の反対理由として想定される考え方を簡単な形で挙げて、それに対して私の反論を述べることにする。
〈反対理由その1〉:冤罪の可能性があるので、死刑には反対する。
〈反論その1〉:それは「医療過誤の可能性があるので、ガンの外科的な切除手術は廃止すべきである」と言っているようなものである。目指すべきことは、外科的切除の廃止ではなく、ガンであるか否かを間違えるような誤診断の発生を無くす/減らすことである。
誤診断が存在する可能性をゼロにはできないが、だからといって外科的なガン切除技術の価値がゼロになるものではない。それと同じことで、冤罪の発生する可能性が有ろうと、死刑の存置を選択肢に入れることには合理性がある。
〈反論その2〉:死刑以外の懲役刑などであれば、冤罪であっても取り返しがつくのだろうか?そんなことはない。
かつて、強姦の罪で服役した人物の冤罪が判明した(実は、被害が虚偽申告による全くのデッチ上げであったことを、後に"被害者(を騙っていた女性)"が自供した)という事例があった。強姦の罪で服役した人物は、懲戒解雇で仕事を失い、妻から離婚された。さて、この冤罪の被害者のことを「生きているので、損害を取り戻すことは可能である」と言えるだろうか?答えは否である。
ならば「取り返しがつかないから、懲役刑は無くすべき/反対するべきである」と、あなたは言うだろうか?おそらく言わないだろうと思う。
仮に冤罪の虞を理由にするならば、死刑だけではなく、懲役刑や罰金刑など全ての刑罰の廃止を主張しなければ辻褄が合わないであろう。
ー ここから補足(a) ー
死刑反対派の中には「国家による殺人である死刑は、取り返しがつかないものであるが、個人による殺人は、取り返しがつく」と考えている人たちが存在するように外部からは見える。しかし、その考え方は、非・死刑反対派の目から見ると、論理性を欠くように感じられる。上でも述べたとおり、死刑以外の刑罰も、取り返しはつかないからである。
おそらく、死刑反対派は次のように2つの派閥に分かれるだろう。
A.同次元派:「死刑も国家による殺人である。同じ殺人なのだから、死刑には反対である」と考える人
B.別次元派:「『個人による殺人』と『国家による殺人(死刑)』は次元が異なる。異なる次元であるが故に、死刑には反対である」と考える人
「死刑は取り返しがつかない」と言う人たちは、おそらく別次元派であろう。取り返しがつかないことは反対理由にならないというのは、私からの反論として上に述べたとおりである。
「殺人の取り返しはつく」と考える人は、おそらく同次元派であろう。同次元派に対する反論は、また別に述べることにする。
ー ここまで補足(a) ー
今まで何度か現実に死刑存廃の議論したことあるけど一番受け入れられたのがこれだった
凶悪犯罪に対して、懲役刑では軽すぎる。そこから死刑やむ無しとなるひとが多いのだけれど、実際死刑でも刑罰は軽すぎる
目には目をで考えるなら、凶悪犯罪に対する死刑は、目には爪をぐらいの話で全然成立してない
それなら現行法のなかで運用されてる刑罰懲罰をアレンジして妥当な罰を与える続けるしかない
例えば、こんな感じ
無期懲役を完全な終身刑にして、今も運用されてる座らされて壁一点を見つめ続けるという罰を生涯かす
いわば、一生反省させ続ける刑
廃止論者の意見はほとんど被害者を蔑ろにしてることに無自覚だから受け入れられないんだよ