はてなキーワード: 懲役刑とは
真面目に答えてくれる人がいたので、やりすぎると増田らしくないけどちょっとだけお返事します。あと、全体に増田の言ってることはよく理解できるので、特に異論のないとこは省略するよ。
まず「更生と刑は両立する」のくだりについては、「それは日本の制度がおかしいのでは?」としか言いようがない。わざわざ更生させといて、それから殺す。それに何の意味があるのだろう、って、合理的思考ができる増田は不思議に思わないだろうか。だいたい、裁判でも「改悛の情が明らか」であることが減刑の理由にはなるよね。懲役刑だって、反省態度で仮釈放までの期間が変わる。これは実質的な減刑じゃないかな。駐車違反をネタに「反省したら刑が割引なんてないでしょ」という理屈は、ちょっと納得がいきかねるね。
次に「国家」という仕組みへの不信の話。
国家を信じないなら何を信じるのか、というのは旧きリベラリズムにとっての急所だし。そもそも国家が信用ならないなら、終身刑のほうが不安だ。国家が正しく終身刑をやりとげる、という「国家への信頼」はいったいどこから発生するのか。
実は君はここで、致命的なスキを晒していると俺は思う。
なるほど、立場が変われば見方も変わるものだなあ、と感心しながら読んだ。増田の周りの「旧きリベラリスト」たちは、そこで沈黙したのかなあ。
まず、増田は国家を信頼し、犯罪者を「裁く」目線で物を言ってる(一応言っておくがそれがいい悪いという話じゃない)よね。一方、旧サヨクに共感する私としては、国家というモノにいつ何時理不尽に「裁かれ」「殺されるかもしれない」という目線で物を言ってるんだよ。だから、国家が終身刑を「やり遂げる」ことができないとしても「ああ、やっぱりな」と思うだけだ。終身刑を誤るなら、死刑だって誤るだろう。そして、後者を誤るよりは前者を誤る方が、取り返しがつくだけマシだと思う。だって終身刑を失敗して誤って仮釈放してしまったとしても、誤りが判明したらもう一度収監することである程度取り返しはつくけど、「間違って死刑しちゃったわ(テヘペロ)」だと何をどうやったって取り返しなんてつかないんだから。(ここでも、増田は多分誤って釈放された凶悪犯を想定するだろうね。そして私は誤って殺される無実の囚人を想像するわけだ。これは価値観の問題、物の見方の違いとしかいいようがない。)
ついで、「国家に代わる何があるのか」「それが旧リベラルの弱点だ」と増田は言うけど、現代だって、日常的に人々が信じているのはもっと身近なコミュニティや属する組織なんかであって、「国家」などという漠然としたものによっかかって生きてる人って、霞が関の中にもあまりいないんじゃない? いたらあんなに不正がはびこらんでしょ。ああいう不正って、国家とかそういう漠然としたものじゃなくて、自分の目の届く範囲の狭い狭いコミュニティに殉じるからこそ起きるもんだよね。小さな組織、小さなボス、それに従うから、大きな外から見たら「不正」としか見えないことに手を染めるわけで、彼らがいくら「お国の為」と口にしようと、それは口当たりのいい欺瞞に過ぎないくらいのことは、増田にだって分かってるだろう。
それに、たとえば終戦直後、国家が国家として機能していなかったときも人はそれなりにたくましく生きていたわけで、国家がなけりゃ人はない、なんてことはない。もちろんそれが理想的な社会だったとは別に言わないけど、近代国民国家を〈唯一完成した人類社会の最終形態〉みたいに言うとなると、それは無邪気すぎるんじゃないかなあ。国家に不信を抱くのは、むしろ現在と未来を生きる人間にとっては必須の要件だ、くらいに私は思ってるんだけども。
それから、死刑をする最大の理由はお金だ、って話。増田はそれを「現実的」な立場で語ったつもりなんだと思う。その現実主義を揶揄するわけではないよ。けど、それなら次に述べる四つの点についてどう思うかは聞きたい。
米各州で死刑制度廃止の動き、経費削減のため https://www.afpbb.com/articles/fp/2572851
いや、死刑制度を維持するのって、意外とお金かかるんですよ? 「生かしておく方が金がかかるに違いない」というのは思い込みで、文明社会で人一人殺すというのはそんな簡単なことじゃないんだ。日本とアメリカで事情は違うと思うかもしれないけど、見方によっては日本の方が"殺し方"としてはより丁寧であって、それはつまり「よりお金をかけて殺している」ということでもあるんだよね。
さて、そうやって莫大な経費をかけて死刑を執行して、それで社会に一体どんなプラスがあるんだろう。増田も同意してくれたように、そこには見せしめとしての抑止効果もないし、遺族感情なんて不確かなものは宛にならない。つまり、死刑によって得られるプラスなんて、無いんだ。
一方、終身刑であっても、何割かの囚人がそこで「更生」したとする(何割かの更生は期待できる、という話は前にした)。彼らは自らの体験を語るかもしれないし、それが誰かに影響を与えるかもしれない。「更生」という言葉が語るように、それはプラスの効果であるだろうね。事件の全容が「更生」した犯人自身の口から語られることで、社会にあったセキュリティホールを少しふさぐことができるようになるかもしれないし、見落とされていた福祉の穴が埋まるかもしれない。また、道を踏み外しかけた人が、はっと踏みとどまれるかもしれない。何よりも、重大な罪を犯してしまった人でも、心から後悔し立ち直ってもう一度人生を歩もうと思えるようになれるのだ、というロールモデルを示すことは、社会にとって大きなプラスだと思うが、どうだろう。終身刑にだって、制度としての仮釈放はあるんだよ。
前の項目の中にもあげたことだけど、死刑というのは、犯罪の根源についての追及をそこでストップさせてしまう。なぜそんな犯罪が起きたのか、社会はそれとどう向き合うのか。どうすれば類似の犯罪は防げるのか。そういった議論を、全て、「我々の社会とは共存できないモンスター」のせいにして、封じ込めてしまうのがぶっちゃけ「死刑」という制度なんだよね。そういう目線で死刑と言う制度を考えたことはあった? 非文明社会、非文明国なら、それでいいんだよ。というか、それしかできない。たとえば、文明社会から離れた孤島で、30人くらいのコミュニティで原始的な生活を営んでいたときに、原因不明の殺人が起きたとして、明らかに犯人と分かっている奴がいたとする。そりゃそいつを吊るすしかないよな、なにせ原因が分からないし社会の不安を解消する方法がそれしかないんだから。でも、本当は深掘りすれば、殺人衝動を起こさせる風土病が原因だったかもしれないし、殺された奴に原因があったかもしれない。もっと文明が発達して、いろいろと調べる手段があれば、助ける方法があったかもしれないな、と、増田がその島にいたら思うかもしれない。私もそう思うんだよ。現代の「死刑」が、何もかもを明らかにして、完璧に調べつくして、その上で執行されている…というようには見えない。
いや、死刑議論は哲学だ、なんて言を弄するのは止めにして、もうこれいい加減真面目に考えるべきなんじゃないかと思うんだけど、世界で死刑制度の現況を見てみれば、
……という状況なんだよね。でもって、アメリカもさっきのニュースで見たような状況なわけで。で、君、どっちのグループに入りたいねん! て話なんだよ。こと”人権”という視点で世界と向き合う時に、死刑制度を存置しているということは、マイナスに働く要因ではあってもプラスに働くことは一切無いと言える。ここでも死刑制度は明らかに「高く」ついてるんだよ。死刑制度を擁護することは、実質的に人権問題において、中国やイスラムの側に立ちますよと言ってるに等しいわけで、これがリスクでなくてなんなんだろうと思うわけです。
というわけで、増田が「死刑制度を存置するのは、単に経済的合理性のため」という立場を取るなら、以上4点については反論する必要があると思うのだけど、どうだろう。
私は別に「美しい矜持を飾るためにお金払おうぜ」と言ってるわけじゃないし、別に経済的に合理的だから死刑を廃止しようと言ってるわけでもない。私が死刑を廃止した方がいいと思ってる理由は、全く前に書いたとおりだ。でも、単に経済的な合理性を考えても、実は死刑には合理性がないんじゃないかとは思ってるよ。
前回の分はこちら。anond:20211225174826
と題して、死刑反対派の反対理由として想定される考え方を簡単な形で挙げて、それに対して私の反論を述べることにする。
〈反対理由その1〉:冤罪の可能性があるので、死刑には反対する。
〈反論その1〉:それは「医療過誤の可能性があるので、ガンの外科的な切除手術は廃止すべきである」と言っているようなものである。目指すべきことは、外科的切除の廃止ではなく、ガンであるか否かを間違えるような誤診断の発生を無くす/減らすことである。
誤診断が存在する可能性をゼロにはできないが、だからといって外科的なガン切除技術の価値がゼロになるものではない。それと同じことで、冤罪の発生する可能性が有ろうと、死刑の存置を選択肢に入れることには合理性がある。
〈反論その2〉:死刑以外の懲役刑などであれば、冤罪であっても取り返しがつくのだろうか?そんなことはない。
かつて、強姦の罪で服役した人物の冤罪が判明した(実は、被害が虚偽申告による全くのデッチ上げであったことを、後に"被害者(を騙っていた女性)"が自供した)という事例があった。強姦の罪で服役した人物は、懲戒解雇で仕事を失い、妻から離婚された。さて、この冤罪の被害者のことを「生きているので、損害を取り戻すことは可能である」と言えるだろうか?答えは否である。
ならば「取り返しがつかないから、懲役刑は無くすべき/反対するべきである」と、あなたは言うだろうか?おそらく言わないだろうと思う。
仮に冤罪の虞を理由にするならば、死刑だけではなく、懲役刑や罰金刑など全ての刑罰の廃止を主張しなければ辻褄が合わないであろう。
ー ここから補足(a) ー
死刑反対派の中には「国家による殺人である死刑は、取り返しがつかないものであるが、個人による殺人は、取り返しがつく」と考えている人たちが存在するように外部からは見える。しかし、その考え方は、非・死刑反対派の目から見ると、論理性を欠くように感じられる。上でも述べたとおり、死刑以外の刑罰も、取り返しはつかないからである。
おそらく、死刑反対派は次のように2つの派閥に分かれるだろう。
A.同次元派:「死刑も国家による殺人である。同じ殺人なのだから、死刑には反対である」と考える人
B.別次元派:「『個人による殺人』と『国家による殺人(死刑)』は次元が異なる。異なる次元であるが故に、死刑には反対である」と考える人
「死刑は取り返しがつかない」と言う人たちは、おそらく別次元派であろう。取り返しがつかないことは反対理由にならないというのは、私からの反論として上に述べたとおりである。
「殺人の取り返しはつく」と考える人は、おそらく同次元派であろう。同次元派に対する反論は、また別に述べることにする。
ー ここまで補足(a) ー
今まで何度か現実に死刑存廃の議論したことあるけど一番受け入れられたのがこれだった
凶悪犯罪に対して、懲役刑では軽すぎる。そこから死刑やむ無しとなるひとが多いのだけれど、実際死刑でも刑罰は軽すぎる
目には目をで考えるなら、凶悪犯罪に対する死刑は、目には爪をぐらいの話で全然成立してない
それなら現行法のなかで運用されてる刑罰懲罰をアレンジして妥当な罰を与える続けるしかない
例えば、こんな感じ
無期懲役を完全な終身刑にして、今も運用されてる座らされて壁一点を見つめ続けるという罰を生涯かす
いわば、一生反省させ続ける刑
廃止論者の意見はほとんど被害者を蔑ろにしてることに無自覚だから受け入れられないんだよ
死刑は人殺し→刑罰は人殺しじゃない。懲役が監禁じゃないのと同じ
刑務官の負担→俺が押そうか?執行ボタン押しても負担ないって人を沢山いるよ
死刑賛成派がエンタメとして消費してる→懲役刑では不釣り合いだから死刑やむ無しってだけだよそれ妄想じゃない?
死刑になりたいって人がいる→死刑にならないからって凶悪犯罪するやつもいるよ
その他全部、いやそれは反論出来すぎて納得出来ないってものが多すぎる
一番納得出来るので、そういう宗教観なんですってやつ
「遺族を盾に無関係の人間が社会正義を振りかざし、エンターテインメント的に悪人を断罪するのは下種の極み」
それ根拠があって言ってるの?
それなんだよ
本当は拷問でも生ぬるいけど、現実に拷問は出来ないから懲役刑以外の現実的な極刑死刑が残されるのもやむ無しとなる
ここがいや懲役が拷問に近いから一生懲役だって人もいるだろうけど、それは既にあるから被害者がそう望めば懲役刑考慮で問題なし死刑なくす必要はない
長期懲役刑になりたい人はどこにもいない
一言で述べるなら、ある種の受刑者にとって、死刑が懲罰になってないからです。
附属池田小の事件を初めとして、最近だと京王線の無差別傷害事件や兵庫県稲美町の放火殺人事件など、長生きしたくないタイプの犯罪者の方にとっては、むしろ死刑が望まれているフシがあります。
こういった犯罪を計画している人々に対して、死刑が懲罰にも予防にもなってはいません。
一方、Youtuber の懲役太郎氏の動画などでも度々語られている通り、無期懲役は想像以上に辛いと述べられています。
この記事をたまたま読んだであろうあなたも、私も、なんだかんだで自由な時間を持っていますし、覚悟を決めれば明日からでも自由に過ごすことができます。
しかし、懲役刑を受けている方は創作に励んだりテレビを見たりという少々の自由を除き、基本的に自由がありません。
また、私たちには量の多寡はありますが、これからの未来をどうしていくか自分である程度はコントールできます。その気になれば来年の今を温泉地でゆっくり過ごすことができます。
しかし、無期懲役刑の受刑者は、これからも、ずっと塀の中です。現実には仮釈放すらなかなか出ません。そう、無期懲役系は実質的に終身刑です。
一言で述べるなら、ある種の受刑者にとって、死刑が懲罰になってないからです。
附属池田小の事件を初めとして、最近だと京王線の無差別傷害事件や兵庫県稲美町の放火殺人事件など、長生きしたくないタイプの犯罪者の方にとっては、むしろ死刑が望まれているフシがあります。
こういった犯罪を計画している人々に対して、死刑が懲罰にも予防にもなってはいません。
一方、Youtuber の懲役太郎氏の動画などでも度々語られている通り、無期懲役は想像以上に辛いと述べられています。
この記事をたまたま読んだであろうあなたも、私も、なんだかんだで自由な時間を持っていますし、覚悟を決めれば明日からでも自由に過ごすことができます。
しかし、懲役刑を受けている方は創作に励んだりテレビを見たりという少々の自由を除き、基本的に自由がありません。
また、私たちには量の多寡はありますが、これからの未来をどうしていくか自分である程度はコントールできます。その気になれば来年の今を温泉地でゆっくり過ごすことができます。
しかし、無期懲役刑の受刑者は、これからも、ずっと塀の中です。現実には仮釈放すらなかなか出ません。そう、無期懲役系は実質的に終身刑です。