はてなキーワード: 公立とは
群馬の20代夫婦の女の方に似てた同級生がいた。似すぎて思い出したことがある。
その子をA子とする。私とA子は義務教育期間の9年間同じクラスだった。
A子は小学校入学時から同級生の2倍くらいの横の大きさだった。小3の時から不登校気味になった。
先生も同級生もA子に対して優しく、というか甘やかした。結果、A子は大人しい子をいじめる保健室登校児に進化した。変に口出ししたら、自分のせいにされ、不登校になるから誰も注意できなくなった。
小5になった。厳しいが理解のある男の先生が担任になった。A子の将来のことを踏まえて、教室に来れるように取り組んだ。その一環として、私の親友であるB美がA 子のお気に入りだったので私含めたグループで一緒に行動するように言われた。
しかし、A子は私が気に入らなかった。理由は、A子の言うことを聞く大人しい子ではなかったから。A子は私をハブにした。私は本人に面と向かって注意した。当たり前の主張をしたはずだが、本人からしたらあり得ないことだったので、A子は担任に私のせいで学校行かない旨を言った。担任は、状況把握してたので私は悪くないことを知っていたらしい。次から何かあったらA子に直接言わないで、先生経由で注意するから相談するように言われた。
しかし、私の存在自体が気に入らなかったみたいなので、女子トイレの壁に「私の名前」と「死ね」を書かれた。事態を掻き回すのが大好きな意地悪な同級生と一緒に。ちなみにコンパスの針で。消えないやつじゃんwww
他の同級生が私の味方になってくれた。そしてA子は学校に来なくなった。
例の意地悪な同級生がその子が学校に来れるように、クラスのみんなに寄せ書きするように呼びかけた。私は断った。凄い顔で「は?」とか言われた。他の同級生の計らいで、私は書かなくていいことになった。書いたとしても「お前将来どうするの?」的な、追い詰めることしか書かなかったと思う。今思えば、書けばよかったかな。
その後は学校に来たり来なかったり。私に関わらなくなった。A子はB美がお気に入りだったからつるんでた。私はA子とB美が一緒にいる時は間に入らないようにして、他グループに入ってた。
中学3年間も同じクラスだった。最初は心機一転学校来てたがだんだん来なくなった。担任も同級生も、ちゃんと来れるように取りなしたが効果なし。他人の善意が当然なのか簡単に無駄にできるのが、世間知らずというか、少し哀れだった。
A子が保健室登校してる日に私は席が近いので給食を届けたことがある。目を合わさず何も言わないで受け取ってて、「ありがとうじゃないの?」と言ったら、次の日先生からA子の給食運ぶ係のクビを言い渡された。中学で会話?したのはこれだけ。私は、特別扱いしないで他の同級生と同じように接しようとしたが、上から目線が良くなかったかな。
義務教育終了したらあと、A子は高校に進学していない。本当は公立の定時制高校に進学するつもりだが直前でいきなり受験しない宣言をだした。
現在、たまに仕事の外回りでA子の実家を通る。前からゴミ屋敷だなーーて思ってた家がだんだんひどくなっている。動物禁止の借家なのに猫が何匹もうろついている。A子がその家にいるかは知らない。うまいこと、周りに恵まれて自立できてたらいいなとは思う。
日本国内で言う「普通の子育て」は、金がかかる。個人的に、原因は先進国じゃないのに形だけの先進国らしさがあるからだと思ってる。
例えば…
保育園入れない←祖父母や親戚と暮らせ、それができない被虐家庭は連鎖するから子づくりするな
教育費が高い←給付型奨学金もらえないような頭の子供は義務教育+公立高校で終わらせろ
養育費取れない←その程度の稼ぎしかない男と子づくりするのが間違い
ほかいろいろ
これが現実
保育園←概念がない。暴力や虐待は日常茶飯事だから被虐家庭っていう概念もない
案外、日本もこんな感じじゃない?もう、日本は途上国なんだよ。この程度で暮らさないといけないの。子供いたらこういう暮らしになるんだよ。わかる?
格差社会が許せないなら自分でその悔しさを終わらせようとは思わないのかね?少なくとも、自分はここで終わらせようと思う。こんな国に子供を産み落とすのは、子供が気の毒だ。絶対に産まない。そんなこともわからないアホだから貧乏人になるんだよな。貧乏子沢山は途上国の象徴だもんね。
でも、鶴丸から鹿児島大学に行く連中は医学部以外は挫折感に苛まれている場合が多いとか。せめて九州大学と
なお、鹿児島市長はラ・サール東大卒。鹿児島県知事もラ・サール東大。前市長はラ・サール横国。1区の代議士はラ・サール早稲田。おいおい、公立高校出はどこ行った?
俺はギリ年収1000万円超えるくらいですが富裕層なんですかね?
でもさ、俺子供2人いる。大卒。学費は全部親に出してもらった。
母校の学費は学費だけで約2000万円です。2人分だと4000万円。まともに稼げるようになったのは最近で、35歳くらいまでは年収300万円台とかだった。独身時代の貯蓄なんて全くない。
自宅は郊外の建売中古で手数料とか全部フルローンで3000万円。
子供達の将来の学費や現在の教育費を考えたら贅沢なんて全くできない。車だって最近燃費が異常に悪いけど買い替えなんて考えられない。金がない。俺は富裕層なんです?壊れそうな車も買い替えられないのに?
再配分って何です?働けない人に金をばら撒くのが再配分なんです?
やっぱさ、国を築くのは教育だと思うんですよ。
教育無償化が一番大事なんじゃねーかな。そこに所得制限とかかけんなよ。なんでお隣は無償で高校行けるのに同じ形の建売に住んで同じような生活してるうちは有償なのよ。高度な教育を受けてそれを仕事にすると罰ゲームを受けるんですか。何なんですかこの国は。
だったら同レベルの国公立に入って、年収が落ちるとしてももっと多くの人ができる仕事をして、子どもにも教育費かけない方が豊かな人生じゃん。俺は仕事が生きがいなタイプじゃないのよ。子供達かわいい。彼らが生きがい。父親になれて本当に良かった。
だからさぁ、何が言いたいのかよくわからなくなってきちゃったけど、教育の無償化って大事だと思うのよ。俺の周りでは金が欲しいのってつまりは子供達のためであって、自分が贅沢したいって人はほぼいない。
税金高くて、大きく稼いでも全部持っていかれるような累進性が強い税制でも、誰もが能力があれば平等に教育を受けられるなら、稼げる金額じゃなくてみんながやりたい仕事ができるじゃん。
左翼ってそういう思想じゃないのと思うんだけど、はてなでは生活保護のあり方とか安楽死とか、なんか枝葉末節ばかりよね。
どこを支持したら良いのかね。
え? 公立なのに共学がないの? そりゃ珍しい....
たしかに前提知識を必要とする文章の読解は英語力の問題ではないわな。
ただ、現状の自動翻訳って最低でも高校生程度の英語力ないとそもそも役に立たん。
君は覚えていない/もしくは歩んだ進路によっては知らないかもしれないけど、公立の中学ですでにには英語が
まったくできない人がごまんといたよ。先に進んだ人たちにとっては、大抵の場合、高校生以降はそういった人たちとの
接点が激減するんだけど、今ここネットで再開して、改めて思い出すんだ。おぉう話が通じない。。。と。
首都圏に住んでいて、中学受験の娘にどちらがいいのか考えてる。
中学共学、高校別学(またはその逆)という人はいるが、中学や高校で共学と別学の両方にたとえば1年以上通った人はほとんどいないので評価が難しい。
別学の中学に入ったが1~2年通ったあと事情で共学校に転校したというような人の話を聞きたい。
そもそも公立か私立か、進学校かどうかでも変わってきそうだし校風や本人の性格にもよるだろう。
結局人それぞれということになるのかもしれない。
女子校は異性の目がないため自立心が育まれ抑圧が少ないのがよさそう。(重い荷物を運ぶのを頼める相手がいないので自分で工夫する、変人が排除されない傾向)
共学校は最低限の免疫がつきそう…?(夫婦そろって別学なのでよくわからない)
共学に行った人に、別学よりいいところを挙げてもらいたい。
anond:20210910013227は共学に行ったが女子校がよかったという。
公立高校では教師の質と生徒の質が悪いので、昼間の8時間なりの時間は完全に無駄である
私立進学校のような密度がないため、学習塾に通うことになり体力の無駄である
ポーランドではブルマーを何と呼んでいたか。調査が難航したため、僕は気分転換のためハンガリーについて調べた。そこで、思いがけない事実を見つけた。どうやらハンガリーではブルマーでは少数派で、レオタードが中心であったらしい。しかも、学校によっては今でも使われている形跡があるのだ。以下、ハンガリーのレオタード事情について概説する。
Így tornázott a nagyi meg a dédi: az iskolai testnevelés története képekben - Dívány
ハンガリーでは、体育の授業は内務相や文化相を務めたKuno von Klebelsbergの時代に導入された。ウィキペディアによれば、彼は地方に小学校を作り、大学を近代化し、ハンガリーの文化を海外に紹介する機関を創設した。その一方で、彼はハンガリー至上主義者であり、かつてのハプスブルク帝国内の少数民族に対してその優位性を主張していた。また、トリアノン条約によるやブルジョア・共産主義革命などの原因として、ユダヤ人を非難していた。
さて、当時の体操着を見てみよう。男子の制服は、写真を見ると白いシャツに短パン、それからおそらく革の靴であった。女子は、次のページを見る限り1930年代では、膝の上まであるワンピースタイプの運動着であった。初期のレオタードである。
それ以降の写真を見ていると、女子は短パンになっていくように見える。
だが、次のサイトを見ると、30年間から40年前はレオタードが使用されていた、と書かれている。2018年の記事だから、1979年から1989年に該当する。
Ilyen volt a tornaóra régen! | nlc
男子はポーランドのようにノースリーブに短パンなのに対し、女子は靴下にナイロン製のレオタードだった。また、お尻にゴムの跡がついて苦痛だった、男子がうらやましかった、とも書いてある。
この下の記事によれば色は青か黒、赤はめったになかった。また、素材のせいか汗をかくとべたついて嫌だったそうだ。
Ebben tornáztunk 30 éve! | nlc
学校のものかどうかはわからないが、60年代のレオタードをこちらで見つけることができた。
Május elseje régen – IV. | elekfoto
Tornaóra – 1976. – Szegvár Online
ところで、次のページを見ていただきたい。
szeged.hu - Lányok, asszonyok a Tisza-parton és konflisban
こちらでは、レオタード姿の女子が外でジョギングしている写真がある。1981年のことである。レオタードが室内着だと思っていた自分は面食らった。よく、ブルマーで校外を走らされるマラソン大会が苦痛だった、という女性の声をしばしば聞く。ましてや、より体型の出るレオタードというのは、率直なところ驚いてしまった。
Jobb nő - lesz - Faluság(短パンの写真もあるが、おそらく例外的なものだろう)
身体を伸ばすバレエならともかく、高校の体育で伸縮性のあるレオタードは不要ではないか。しかも、それで市街地を走らなければならないとは。ブログの主はそう口にしつつ、じろじろ見られることを苦痛の理由として挙げている。まったく、その通りだ。どうしてこんなことがまかり通っていたのかという疑問が浮かぶが、ブルマーが30年も通用していた国の人間が言えた義理ではない。繰り返すが、露出度の多い衣装の強制には反対する。
しかし、だ。現在グーグルで「iskola testnevelés」(学校 体育)と検索すると、レオタード姿の女子が少しだけヒットするのである(2010年代前半の記事が多い)。これが私立なのか公立なのかはわからない。おそらく例外だとは思う。上記のレオタードとは色も違う。ほとんどが日本と同じようなシャツに短パンだ。だが、ハンガリーのジェンダー意識は、日本よりも保守的である可能性がある。
気が向いたら、他の国の事情について調べる。
また、映画の中でブルマやレオタードがどう表現されてきたか、についても調べたい。しかし、先日「フランス映画 ブルマー」と検索したら、なぜかフランス書院のページしか引っかからず、ずっこけた。
また、それとは別に、20世紀の体育の授業を見ると、まるで軍事教練のように男子が上半身裸の例が多い。このあたりの規範についても時間があればまとめたい。
それと、ウィキぺディアの制服のページを見ると、日本統治下の台湾で、提灯ブルマーかモンペが採用されているのが見えた。もしこれが提灯ブルマーならば、なぜ台湾や韓国ではショーツ型ブルマーにならなかったのか。最初から短パンだったのならともかく、疑問である。
服飾史、まったく沼が深くて驚いている。
「あなた、SAPIXのことなんだけど…」帰宅すると、妻が暗い顔をしてテーブルに座っていた。なんだ、夏期講習と8月分の月謝、しめて30万円はもう払っただろう。こっちは障害を起こした職場のITシステムの要件定義書紛失が発覚して大変なん…
「みつるがね、どうしてもαクラスに入りたいんだって…」テーブルには個別指導塾プリバードと書かれたチラシが置いてある。SAPIXの授業だけで理解が足りない子向けに、専任講師がマンツーマンで指導してくれるというやつだ。授業料は一コマ6000円。週に二回通うと、それだけで月に5万円かかる計算だ。
「たかし君はパパが算数を見てくれるらしいんだけどね…」妻の言葉が、刃のように襲いかかる。同じタワマンの最上階に住むたかしくんのパパは国立大卒の開業医。たかし君はαクラスで開成や筑駒も狙えると聞いた。高校で数Ⅲ・Cを捨てて私大文系に逃げた俺とは、スペックが違うと暗に責めてるのだろう。
だいたい地方公立高出身の身としては、都内の中学受験の過酷さは意味不明だ。御三家から東大に入った所で、何が変わるんだ。メガバンクに入行し最初に配属された地方支店では、ハッピを着て宝くじを一番売ったのは俺だった。東大卒の同期がモジモジしている横で声を張り上げ、支店長に褒められた。
パワハラで東大卒が精神を病み休職する中、中小企業を回って数字を上げつつカラオケではタンバリンを鳴らし、東京本店でのポジションを勝ち取った。一般職の妻と結婚し、子供を授かり、成功の象徴である湾岸のタワマンを買い一国一城の主となった。控えめに見て、「勝ち組」に仲間入りしたはずだった。
しかし、現実は甘くなかった。タワマンといっても炊飯器で問題なく米を炊ける低層階。高層階の住民との差は歴然としている。加えて階層社会のタワマンでは子供の学力までヒエラルキーの対象だ。毎月30万円近いローンを払いながら、何故親子ともども劣等感にさいなまされなけばいけないんだ…。
住むもの全てを狂わせる東京砂漠の楼閣、タワマン。気づけば妻は狂気の世界の住人となっていた。冷蔵庫のプレミアムモルツは金麦になり、お小遣い制度が導入された。「ちゃんと勉強しないとパパみたいな限界メガバンしか入れないよ!」先日帰宅した時は、妻の怒号がホテルライクな内廊下に響いていた。
「どこで間違えたんだ…」個別指導塾への課金を了承し、トイレの個室で呟く。子供が健やかに育ってくれれば十分だったはずなのに。俺が悪いのか、タワマンが悪いのか、SAPIXが悪いのか。台風が来ると流れないタワマン低層階のトイレが、異臭とともに「ブリリア!ブリリア!」と儚げな音を出していた…