はてなキーワード: 不審者とは
いきなり何言ってんだってのはまぁ置いておけよ
20代から月1程度で風俗嬢抱いてきたけどなんかこう、風俗めんどくさくなったのよね。自分から動いたりしたくねえ。横になってるだけで勝手に気持ちよくしてほしいわ
ここは本当に個人差あるからなんとも言えないけど、俺はそうなったの。
で、風俗に代わる他の女遊び探そうぜって事で目をつけたのがメンズエステ・マンションエステってヤツですね。
よく「メンズエステなんてヘルスやソープと大して金額変わらないのにヌキ(射精)が無い、劣化風俗」って言うヤツがいるんだよねー。
以下は指名料込みです
ね?全然違うでしょ?
こんだけ違うのに「同じ」って言う奴は計算下手くそではなかろうかって思います。
ここらへん。
つまり、働いてるセラピストからすれば客から変な事されないし、ちんちん舐めたり咥えなくていいわけで。そりゃ働きやすいよなって思う。
で、風俗に飽きた人にとっては、色々とすげー楽なのよ。ずっと横になってるだけでいいのでね・・・。受け身には最高の店ですよ。
ずーっと受け身でいいしー
風俗と違って無理なく毎週通える料金だしー
ずっと相手の顔見っぱなしの風俗と違ってほとんどずっと尻向けてれば勝手に全部してくれるしー
俺は、誰がなんというとメンズエステ大好き!これからも楽しむぜ!
あなたの隣の部屋に決まった住人はいなくて、そこは日々、違う女が、違う男の客を招き入れて、全裸にして四つん這いにさせている、怪しげな部屋なのである。
って、下手なホラーより怖いっすね。
確率じゃ測れない問題だという視点はもっともなんだけど、確率の話をさせてください。
不審者によって危ない目にあう確率というのは、あくまで不審者のほうが「あなたの子供」または「誰でも良いから子供を」狙っていないと起きえません。その点、ショッピングモールなどと違って、温泉旅館で不審者がずっと張り付いている可能性は極めて低いと言えます。子供を死産してしまった精神的に不安定な女性が、気晴らしにと出かけた温泉旅館でひとりぼっちの子供を見つけて、魔が差す…といった確率は、極めて低いということです。
もちろん、これが誰でも入れるスーパー銭湯だとかになってくると、話は違ってくるでしょう。先ほど例に挙げたような不審者が事前に計画を立てるとして、「ひとりぼっちの子がいるかどうかもわからない温泉旅館」に狙いを付けることは考えられませんが、スーパー銭湯に連日通い詰めようと考えることはありうるかもしれないからです。しかし計画するにしても、ショッピングモールではなくわざわざスーパー銭湯を選ぶでしょうか?
今までのあらすじ
男性様に反抗的な態度を取る生意気なメス・仁藤に対し苛立ちを募らせてきたはてな民
何か批判できるポイントはないか?と血眼になり探した結果、(売春やセクハラを行う)男性様に「キモい」と連呼するツイートを発見!
はてな民男性は仁藤のキモい発言を批判するために、「キモいは差別用語・攻撃」という新概念を主張しはじめた
ところが元増田により、「キモいはヤバいのようにネガティブな意味を広く包含する言葉なのでは?」という主張がなされる
キモいが差別用語や攻撃ではないケースを具体的に例示されてしまったはてな民は、
「キモいは良い意味で驚いたという意味でも使う」「自分の精神状態を指す」という独自解釈を展開してしまう←イマココ
20代だが、エグいは褒め言葉でも使うし驚いた時にも使うが、キモいを褒め言葉や驚いた時に使ったことなんかないしそんな用法してる奴実際に見たことねーよ
はてな民も最初から「”キモい”は発言者が気持ち悪いと感じたものやことを形容する時に使用する言葉」と認めていれば、不審者に突入されたアイドルが叫んだ「キモい」も「発言者が気持ち悪いと感じたものやことを形容する」言葉だと認められたのに、
仁藤を批判する道具として「キモいは差別用語・攻撃」と主張してしまったがため、言葉の曲解を認めることができず、
「キモいは差別用語・攻撃や自らの驚き、精神状態、ネガティブな意味全般を指す!」と自分定義を振りかざすしかなくなってるだけだろ
2023年1月26日(木)、午後4時05分ころ、葛飾区高砂2丁目13番の公園内で、小学生(女の子)が遊んでいたところ、男に声をかけられました。
■声かけ等の内容
・「子供何人つくれる?」
■不審者の特徴
・お子様には、少しでも「こわい」と思ったら、大声で助けを求めたり、防犯ブザーを鳴らすなどして、すぐに逃げるよう指導してください。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-1010461
https://www.gaccom.jp/img/safety_avatar/1010/1010461/1010461_avatar_detail_1674732392177.png
船橋市によると、26日午前6時55分ごろ、船橋市前原西7丁目付近で女子生徒への声かけが発生しました。
■実行者の特徴:年配男性、白髪交じり、黒色系上衣、紺色ウインドブレーカー風ズボン
■実行者の言動や状況
・女子生徒に声をかけた。
・「おはよう」
・「寒そうだね」
強盗団のニュースがにぎやかだけど、地域での防犯対策として「挨拶する」というのがある
子供から大人まですれ違いざまに声をかけていけば犯罪を未然に防ぐことができる
「挨拶が多い=お互いの事を見てる」ざっくり話すとこういう事なんだけど
たまに挨拶しても聞こえないふりするとか反応してるのに無言とかいう増田に多いタイプの人間が地域に多いと
地域コミュニケーションが少なくなって、結果的に犯罪者に狙われるリスクが高まる
周りの人を気にする必要は無いけど、道ですれ違ったら挨拶するくらいはできるようになっといた方が良い
「不審者情報 時間:朝、通学時 特徴:30代~40代男性 事象:すれ違いざまに「おはよう」と声をかけられる」ってなったらご愁傷様
1月25日午後3時50分頃、苫小牧市大成町1丁目の路上で男が女子生徒に対し下半身を露出する事案が発生。
https://www.gaccom.jp/safety/detail-1009928
https://www.gaccom.jp/img/safety_avatar/1009/1009928/1009928_avatar_detail_1674696004010.png
担当者の名前告げて「お前じゃ話にならんからさっさと繋げよ」ってキレて
すげー不服そうに「すいませんでした」みたいに謝るからめちゃくちゃ腹立ったわ
実際ここで一人で暴れてるのを見ると不審者で合ってるやんという印象
女さんとか関係ないが
アイドルグループか何かの女性4~5人集団にドッキリを仕掛けると。
近所を不審者がうろついているという設定で
クライマックスでは部屋に不審者が押し入ってくるというモノだ。
様々な仕掛けで散々怖がらせたあと、とうとうクライマックス。
俺の感覚では「キモイ」とは相手に対しての侮辱、嘲笑、精神的ダメージを与えるための攻撃、陰口の場合もあるだろうが
「バカ!アホ!マヌケ!」といった意味の言葉を口走ったのだろうか?
おそらくそれは違って、状況を鑑みれば
「怖い!怖い!怖い!」もしくは「嫌だ!嫌だ!嫌だ!」というような意味だと予想できる。
つまりアレだ。俺のようなオッサンでも「ヤバい」という言葉が非常に多種多様に使われているというのは知っていたが
それと同じような形で使われているのではなかろうか。
比較的ポジティブな時は「ヤバい」。ネガティブな時は「キモイ」という具合に。
キモイは女性のセンサーみたいな話が出てた時に、苦しい言い訳してんなぁと思ってみてたけど
そもそも世代や所属クラスタによって言葉の意味が大きく違うのであれば、すれ違いが出るのも仕方ないのかもしれない。
まあ、センサーにはなってないと思うが。
近い将来、
という日本語が聞こえてくるかもね
結局のとこ「安心して接することができる」=なめられてることにほかならないからな。
社会でやっていくには年取らない化け物みたいに怖がらせとかないと若いもんが言うこと聞かねえのよ。
子育て中の母親が金髪にして不審者避けするのと同じく、終わったババアになれない事情があってみんな小綺麗にしてんのよ。
増田がそういう連中を気持ち悪いって感じるのは、30代後半になって自分は勝負を降りて楽になりたいのに、現役やってるババアがいると自分の怠惰を突きつけられるようでいたたまれないんでしょ。
自分が勝負に出なくても旦那とか後ろ盾になってくれる実家があるなら平気でもさっとしてればいいと思うけど、一生自分で食ってくつもりだったらそれなりの武装は必要なんよ。
今朝は旗振り当番だった。七時五分に家を出た。たぶん、その五分後には旗振りポイントに着いていたと思う。
本来は七時二十分から四十分までが当番の時間なのだが、以前は七時に到着しても最初に通過する子供たちは既に通過した後というのが常だったので、決まりよりも早くから立つのが習慣になってしまった。ここ二年ばかりは、年度初めの保護者会で、役員の人たちが「子供たちを旗振り当番の時間よりも早くに登校させる事がないように」と強い口調で保護者たちに言い聞かせている。その甲斐あってか、子供たちが先を争うようにして七時頃に旗振りポイントを駆け抜けて行くという姿は、あまり見られなくなった。
子供たちが来るまで十分くらい、押しボタン式信号の下で立って待つ。その間、鳥を見て過ごすのが好きだ。今日はほんの数羽しか見かけなかった。電線に留まったキジバトとスズメ。カラスは声は聞けども姿は見えず。そして、あまり羽を広げて羽ばたかず、水面すれすれを跳ねるトビウオの様な動きで飛んでいった鳥。
子供たちはまだかと、視線を住宅街の中に向けたところ、どこからかキジバトの特徴的な鳴き声が聴こえた。どこからか、というか、顔を上げればすぐそこの電線にキジバトがまだ居るのだが、それと鳴き声とがすぐに結びつかなかった。鳴き声が家々の壁に反響しているのか、どの方向から聴こえて来るのか判らなかったのだ。電線のキジバトを目を凝らして見れば、その胸の辺りが鳴き声に合わせて膨らんだり縮んだりを繰り返しているのだが、鳴き声がそこから聴こえて来るようにはどうしても感じられない。ほんの数年前までは、鳥のさえずりを聴けばどこで鳴いているのか大体見当をつける事が出来たのだが、今はそれが出来ないのだ。これも老いの兆候なのだろうか。声は聴けども姿は見えずのカラスも、意外と見える所にいたのかもしれない。
子供たちは予定通りに七時二十分頃に現れた。いつもどおり、四人ほどのグループを作って、こちらが挨拶をすればちゃんと応え、悪ふざけもせずに横断歩道を渡っていった。最近、この地区に転入してきたばかりの家の子と思われる、中学年の女子が混ざっていた。どうやら親のどちらかが白人であるらしく、日本人離れした顔立ちをしている。この子には背の高くて顔立ちのよく似た兄がいるのだが、兄の方は姿が見えなかった。前回の当番の時は、その男の子だけが早くに旗振りポイントを通過していったので、今日も私が旗振りに来る前に通過したのかもしれない。
三十分になる前に、地区の子供たちは皆通過していったので、十分早いが帰る事にした。私の家は地区の外れにあり、地区の外側を取り囲む大通りを通って帰る方が早いのだが、旗を次の家に回さなければならないので、地区の内側の道を歩いて帰る事にした。実は今日は本来はうちが旗振りの当番なのではなくて、うちの次の家と日を交換したのだ。本来はうちの次に当番の回る家はうちの斜向いの家なのだが、今日は次の次の家に回さなければならないということ。その家は地区の内側のちょっと入り組んだ場所にある。
自分の住んでいる地区なのに、地区内を散歩でもするように歩くのは、かなり久しぶりだ。下の子供が小学校に上がったために、頻繁に散歩に連れ出す事がなくなった。一人でぶらぶらと歩いていると不審者かと思われて警戒されてしまう。ここは田舎だが、都会と同じかもしかするとそれ以上に近所の人達との交流が希薄だ。昔、東京の新宿の外れに住んでいた事があるが、その時の方が同じマンションに住む人達と顔を合わせれば挨拶ぐらいはしていた。今は、すぐ隣に住んでいる人達ともあまり挨拶を交わす機会がない。道やゴミ集積所で行き会ったとして、こちらから挨拶をしない限りはお互いに無視して通り過ぎる事が多い。
朝八時前だが、既に住宅街はひとけが乏しくしんと静まり返っている。人の気配がないとスズメも寄り付かなくなるので、たまにカラスや季節の鳥が鳴く以外は、本当に静かなのだ。歩きながら家々の外観や植えられた草花を見て歩くのが好きなのだが、この地方出身であるうちの配偶者は、そうやって人の家をジロジロ見るのは恥ずかしいし喧嘩売ってると思われるからやめてくれと言う。
今はパンジーかビオラしか見られる花がない。山茶花や椿も季節の様な気がするが、さっぱり見かけない。かつては美容院だったらしい民家の軒先には、以前はよく何かしらの花の植わったプランターが置かれていたが、今はなかった。その先の家はここ数年に建てられた新しい家で、郵便ポストの下にレトロな薬缶が置いてあり、その口からパンジーの花が今にも溢れ落ちそうな格好で顔を出していた。そのまた先の家も比較的新しい家なのだが、敷地が道路よりも高く、玄関口が階段数段分のところにある。そして最近の家だったら駐車場に使いそうな空間に木造の屋根を建ててある。屋根のてっぺんが家の一階の天井の高さくらいのところにある。そして屋根の下には盆栽がいくつも並んでいた。盆栽棚だけの為に建てられた四阿だったのだ。見上げないと盆栽棚があると分からないので、ずっと気づかなかった。盆栽は、よく手入れのされた松や真柏のようだった。
この辺は、まだ昔ながらに大谷石のブロックで出来た高い塀をめぐらした家が多い。そういう家にはいわゆるシンボルツリーではなく、豪農の家の庭のように見栄えのいい庭木が植えてあるのが見える。本職の植木屋によって剪定が施されたものだ。最近まで、本職の植木屋の仕事というものに興味がなかったのだが、気をつけて見てみるとプロの技は本当に凄いんだなと思い知らされる。太さのある枝毎に丸い形に剪定されている木があるが、それらの丸の内側には葉があまりない。何故かというと、木の葉というのは日に当たる所しか機能しないからだ。それでも、夏場の木は内側だろうが外側だろうが所構わずに枝葉を生やす。そのまま手入れをしなかった場合は枝がごちゃごちゃに混み合ってしまう。植木屋は、内側を向いていてどうせ育たない運命の枝を優先的に切り落とす。だから手入れの行き届いた木の場合、樹形の外側にだけ枝葉があって、内側は綺麗に空いているのだ。そしてどの葉にも適度に日が当たるようになっている。
ブロック塀だけでなく、生け垣で敷地を囲う家も結構ある。生け垣もプロが剪定したものと、家の主が自前で剪定したものは違う。プロが剪定した生け垣は、横から見ると緩やかな形のAの字になるよう剪定されているのだ。それは、頂部を強く剪定すると樹高が高くなりにくいという樹木の性質を利用した、樹形管理の方法だ。また、下の方の枝につく葉にも日が当たるようにするためという理由もある。一本の樹木は、葉で合成された養分によって主幹を養っている。ところが、その枝はといえば、他の枝で作られた養分を回してもらって生きるということが出来ない。枝は自らが生やした葉で作った養分で食べて行かなければならないのだ。という事は、日の当たらない場所に生えた枝は、樹全体がどんなに繁茂していても生きられない運命なのだ。自らの葉から養分を得られないためである。つまり、生け垣のように上から下まで葉を繁茂させないと格好のつかない樹は、下の方の枝を長く、上部の枝を短く剪定して全ての葉に日光を当てるよう剪定すべきなのだ。それで、緩やかなAの字の様な形にするという訳だ。
旗を次の当番の家のポストの下に置き、家に帰った。
洗濯物を干す前に、昨日買ってきたばかりの紅目木のミニ盆栽を剪定し、育苗ポットから駄温鉢に植え替えた。まだ植え替えの時期ではないが、週末には寒波が来るというので、水はけの良い土に替えて、厚みがあって保温性のある鉢に入れたかったのだ。
道具を片付けて水をやり、しばらく紅目木を眺めてボーッとしていた。ぼんやりしているのは、何かに夢中になっているときよりも案外脳みそがせわしなく働いていて良くないらしいのだが、スマホを見て過ごすよりはまだマシな様な気がする。