はてなキーワード: パワハラとは
化石なIT観だけでなく、おつむおかしい人がいる世界線で働いてるブクマカとブクマカ兼ねてる増田がおるよな
増田におると労務管理しているのは世界でワイだけか?とか錯覚に陥るわ
いいえ。そうでもないです
創業者なら自分の金と時間と会社評判なので自己責任で好きにすれば良いですが、
おまえの給与から裁判に取られた時間と費用を払えやっていう話です
そんな意趣返しみたいなしょぼい裁判起こすとか性格悪すぎだろ。
そもそも『復讐』が目的であり、利益を求めてはいない事が大半です
1. 会社の時間を浪費させる (裁判は時間が掛かります。社労士や顧問弁護士に丸投げでもそこそこ掛かります)
2. 会社のお金を浪費させる (裁判は弁護士費用ほかお金が掛かります)
3. 会社の名前をネットや労働判例集に載せ評判を落とす (公開裁判は当然だれでも閲覧可能です)
4. 会社がうけている助成金などに悪影響を与える(離職理由が特定受給資格に該当するため)
雇われの癖にパワハラして労務リスクを作るクズは無能
大企業は、大金や福利厚生に目が眩んで入ってくる人が後を絶たないので、
重大事件 (殺人/因果関係が誰の目にも明らかな自殺者/明らかな安全配慮義務違反による重度の障害/児童搾取) でも無い限り、屁でもないですし、
零細企業も「金ないで〜〜す、会社をたたみま〜〜す」で 逃げられますので、やはり屁でもないです
クリティカルなのは、中堅〜中小規模の会社でしょう
判例記録で社名があちらこちらに出る、社内士気や採用活動に影響が出る、助成金に影響が出ることは、
とても無視は出来ません
ただブクマカのブクバカ発言ではなく、通常のblogで、障がい者雇用で働いてる人にトンデモねー発言してるの見たんだよな
blog書いた人が障がい者雇用で働いている当事者なんだけどよく我慢するなぁって思った
外資ITなら1発アウトっすわ、内資の企業でもある程度の規模感ならスムーズに配置換え通るヤツ
「うつ病を心の病気と言うから気の持ちようだと言われるんだ、心が弱いとか甘えや怠けだと言われるんだ。だからうつは心の病気じゃなくて脳の病気だ」という理屈、
自分は、うつ病になったって話を聞いたらよっぽど労働環境が酷くて長時間労働やパワハラセクハラでストレスが溜まってたんだろうとか
当人の心が弱いとか甘えとか怠けとか、そんなふうに考えた事って一切ない。
だって心の強さなんて人間そんなに大差ないに決まっているでしょうに。
逆に、うつ病と違って純粋に『脳の問題』とされている統合失調症や発達障害の方が
当人の脳が異常なだけなので全部自己責任、親や職場環境には何ら問題なし、周りの責任は一切問うな
精神科に行って薬さえ飲めばそれでOK、とにかく薬を飲め
……という扱いを受けていて、うつ病よりもよほど酷い扱いだと思うんだけど。
リクルート社はコンプライアンス研修に力を入れている素晴らしい会社です。
コンプライアンスというのは日本語で(法令)遵守という意味ですね。簡単に言えば法律を破らなければそれで良いのです。リクルート社が今までに法律を破ったことはあったでしょうか。ありますね。リクルート事件という世紀の贈賄事件がありました。他にもパワハラだ詐欺だ色々とありましたがリクルート事件ほどの大問題にはなっていません。リクルートにとって関心のあるコンプライアンスというのは基本的には贈賄をしないというこれ一点に尽きます。
さて、そんなリクルートにおけるコンプライアンストレーニングは簡単な選択式のテストを行うというものです。ここに出てくる問題の9割以上は贈賄関係の内容です。リクルート事件さえ再発させなければ良いという姿勢を強く感じますね!他のことは問題が起きて大きくなってから対応すれば良いんです。
キム兄みたいなさ〜、フランクな先輩を装うけど本当にフランクに対応したらキレる先輩いるよな
で、一度キレたらずっと根に持って事あるごとにグチグチいう、いわゆるパワハラ
フランクに対応して相手が凍りつくのは普段からそういう奴だから
めんどくせえ
アンガーマネジメントが有効なのは上の立場にいる者だけだ、下の立場の者は怒りを制御してはいけない。パワハラされたら殺すべきだしセクハラされたら殺すべきだ。搾取されたら殺すべきだし騙されたら殺すべき。
この文書で何が批判されているか知りたいだけの人は、一番下の節「まとめ」までジャンプ。
清水先生の講演についてここ一週間くらい悪口をTwitterで書いてた江口先生に、それブログに纏めてよと言ったら気が乗らないと断られてしまったので
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
と最新のブログで書かれているのを、清水先生の講演を題材に自分なりにスケッチしてみる。
続き、というか中間にあたるのだが「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」を書くかは未定。
つまり、この記事は書き起こしで言う「Part1 〜学問の自由とその濫用〜 」の検討が中心だが
最後の方で全体を対象にする前に他のPartの検討を書くべきところ、途中で力尽きている。
とはいえだいたいPart1の検討とほぼ同じものを繰り返すだけ
を先に見ていることが前提。
の説明はほぼ書かないので、分からなければブログを参照するように。
1998年 国際大学協会(IAU)声明「学問の自由、大学の自治と社会的責任」による定義です。
「学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者、教員や学生が、倫理的規則と国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由」
人びとがその言葉をどう使っているかを国語辞典の載っているような形で説明している。
「一般的には、〜〜、というふうに考えることができる。」
「従来はそして一般的には、〜〜、というふうに理解されています。」
世間一般の用法という文脈なわけですから、当然、スライドの引用の言い換えに相当する語釈が、聴衆には予期される、
同じく 辞書的定義 が与えられようとしているものと解釈されます。
実際に与えられた定義を見てみましょう。
ある種の公の定義であるIAU声明に対する言い換えとして、清水先生による定義を読んでみると一つ気にかかるところがあります。
と非常に具体的な形になっています。
世間一般の用法として紹介される割には、議論のあり得るところで
「こういうのは多数派も少数派もない、学問の独立って話なんですが、多数派からの圧力は特に抵抗しにくいので」
というふうに説明するほうが世間の認識とあっているように思える。
とはいえ、ここまでならば、代表的な「外部からの圧力」を並べただけ、ただの例示ゆえに言い換えの範疇であり、辞書的定義のままだと受け取ることもできる。
ただ、ここで私が書きにくくて困ってしまうのが、清水先生が「具体的に」何を批判されているのかさっぱりわからないことです。詳しくは後の節でも取り扱います。
「現代の誰かが主張している「学問の自由の侵害」とは、〜〜だ」と、清水先生が定義していると読める箇所を、少し文言を修正の上、抜き出します。
見事にすべて 説得的定義 ですね。江口先生のブログで挙がっている
「中絶とは、女性を望まない負担から解放する安全な外科的処置である」
などと同じ形式となっている。
ただ、読みながら何を論じているのかわからなくなって辛くなってしまうのは、
中絶の例ならば、中絶の 辞書的定義 は共有されているという前提のもとで、 説得的定義 を用いているのに対し、
清水先生は、この文脈での「学問の自由の侵害」とは 辞書的定義 の学問の自由の侵害とは全く異なるものだと論じていることです。
(下の2節は「どう論じているのか」という細かいレトリックの解説なので
どう辛いのかについては、「批判対象の曖昧さ、具体性の欠如」でページ内検索してジャンプ。)
これらは学問の自由の侵害の定義として読むことができるものであり、
先に導入された説得的定義「社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立て」とは対義の関係にある。よって等号で結ばれることはありえない。
ゆえに、「従来から論じられてきた一般的な節(辞書的定義)」学問の自由ではない、という論証。
しかし、これはIAU声明にはなく清水先生が付け加えた箇所のはずですね。
先程はただの例示と見ればという限定をつけて辞書的定義と認めました。
逆に言えば、「そうでなかったら学問の自由でない」というふうに使うならば、もはや例示ではなく、清水先生の独自見解です。
すなわち、この時点で辞書的定義として導入された学問の自由という概念が
「学問の自由を〜と私は定義します!」という約定的定義へとすり替えられているのです。
一旦まとめると、
「よくわからないものを」「なんか悪そうに定義して(説得的定義)」、
「その悪そうな要素にぴったり当てはまらない要素を、一般的な定義の中に紛れこませる(定義のすり替え)」
学問の自由とは
「力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、 研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのもの」
まさに、
「うまい人びとは、前に書いた辞書的定義や約定的定義や明確化定義や理論的定義なんかを縦横に駆使して説得にかかってきます」
そのものですね。
この一節は憲法学の理論を援用しているため、少し強引ですが理論的定義を示したものとも言えるでしょう。
実際、この定義を根拠に「学問の自由の侵害」を「なんか悪そうに定義した」説得的定義に対し
これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。
なぜかけ離れているのかというのは詳しく述べられていませんが、
要は憲法学の理論「憲法は原則としては国家権力を監督するものであり、私人間効力の議論も私人相互に大きな権力差がある場合の話である」という話でしょう。
権力差をどう捉えるか、例えば「学界から事実上キャンセルできたというのは、権力差があったといえるのではないか」というのが憲法上の論点になるわけですが、
そこを 説得的定義 から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図でクリアするわけです。
ここまでいろんな種類の定義を用いたレトリックが使われてきましたが、
正直なところ、説得的定義から導かれる「抑圧側 VS 被抑圧側における抑圧側が学問の自由を主張している」という構図を用いた時点で
直感的にはそれは学問の自由ではないでしょうという話になります。
ゆえに最も問題になるのは、そう定義されるのが具体的になんなのかです。
清水先生は「こういった言説が具体的にどう現れてきたのかご説明したい」と30分近く説明してくださっているのですが、
書き起こしを全文検索してもらえればわかるのですが「学問の自由」を直接的に濫用している例として挙げられているといえるのは、
Horowitzによる、Academic Bill of Rights (ABOR) のみです。
ほか間接的な繋がりとしては「ポリティカル・コレクトネス」「キャンセル・カルチャー」の事例が話されているのですが
これも抽象的な定義の操作に時間を割いていて、具体的な文脈はほぼない。学問の自由とどう関係するかも全くと言っていいほど書かれない。
詳しくはそれぞれをどう定義しているのか、という点を検討する必要がありますが、
これは別の記事「(2) ポリティカル・コレクトネスってなんだろう」「(3)キャンセル・カルチャーってなんだろう」に譲り、
当記事「(1) 学問の自由ってなんだろう」では、直接的な例、ABORに絞ります。
清水先生はABORを曲解して参照しているのではないか、という指摘もあるのですが、
とりあえずここは論点にせず、清水先生の解説をそのまま採用します。
ABORの主張は、
「ナチスの政治哲学の擁護であるとか、あるいは進化論の否定であるとか、 そういうものを学術的に正当な主張の一つとして教えるべき」
「ナチス肯定論文を学問の自由で擁護することはできない(マルコ・ポーロ事件)」じゃないですよ?
むしろ、何が相手だろうと自由であると肯定する、過激な自由論者ほど否定する内容です。
「大学でナチスの擁護を正当な主張の一つとして教えるべき」、自由でもなんでもないじゃないですか。
まとめると、
最終的には、そして本質的には、清水先生は「学問の自由」について議論の余地のないことしか言っていません。
じゃあなんで議論になるのか。
清水先生の立場からすれば、「学問の自由」の濫用だと当然問題視しているであろう例が
清水先生にとって非常に身近な例であるはずのそれは2例あります。
このちょうどいい2人については講演では全く触れない。
特に後者の呉座先生については質疑応答で「学問の自由」を求めている人として名前が挙がったにもかかわらず、
「ちょっとわからない」「詳しくない」「法律の専門家ではない」「裁判をはっきりきちんと見ているわけではない」「労働争議であって学問の自由ではないんじゃないかなぁ」
との返事。
「そうです。呉座さんの事例こそが私が批判した「学問の自由」の濫用です」ではなく「詳しくない」。
訴訟の原告の1人であるからには詳しくないわけはないのですが、文字通り解釈するならば
この「学問の自由」の濫用批判において、呉座先生の事例は検討すらされていない、ということになる。
またこの回答の続きとして、呉座のことを言っているわけではないという注釈付きで、「学問の自由では擁護できない」例が出されました。
せめて多少は「学問の自由」と文脈がつながるように「酷いセクハラ・パワハラを長年犯してきた超一流哲学者が大学から追放されたことを、学問の自由で擁護はできない(ジョン・サール事件)」くらいにしましょうよ。
文脈がわかるくらい解説をつける具体的な例については、当たり前を超えてもはや関係のない例しか出さない。
それでいて、批判対象に対して一般に共有されるような辞書的定義には触れないで、
何を批判しているのかも厳密には不明確なまま、説得的定義に対する抽象的な定義操作を元に議論を行う。
今時、障害者を障害者雇用で受け入れておきながらこんなこと言うやついるんだなぁみたいな
けどまぁ偉い人に詰められたら問題になるってだけで、こういうトンデモ発言をなぁなぁで許しちゃう会社もあるのかもしれないな
ブクマカやブクマカ兼ねてそうな増田が外資に夢見すぎで糞ウンザリしてるけど、
流石にこのレベルの発言、しかも1on1ではなく、みんなが見てる前で繰り返しかましたら、外資ITなら処されますね
というか外資でもフツーにパワハラやバチバチはあるけど、ここまであからさまな馬鹿は見たことねーです
こんな直接的なトンデモ発言を第三者も見ている・記録も撮れる中でしたら、
会社と自分がどんな不利益を被るか理解するってそんなに高度な要求じゃないと思います。頭におが屑でも詰めてるのやろか?
つか内資の企業でもある程度の規模感ならスムーズに配置換え通るヤツっすな
しかし、これ職場で見ちゃったら何もかもブチ壊してしまいそうだなって思った
だってこれバカキャラやって積極的に絡んで牽制していくの無理なレベルの馬鹿だろ
いじめられている本人が我慢してトンデモ野郎がいなくなる・落ち着くのを待つ選択をしてるなら触るべきではないと頭では理解していても
電通でパワハラ自殺した女の子がいたがあれはその後電通社内では面倒ごととして扱われあの事件以後の新卒社員はしごきづらいと古参社員からは疎まれて孤立している。電通社員は基本的に働くことが大好きで働くことが趣味だというような人間が多いため長時間労働やパワハラに厳しくなる原因を作り出した自殺者を内心恨んでおり内輪で話すときはそれを隠すこともしない。パワハラで自殺したところでただ疎まれるだけなので意味はない。トップを殺すことで世界は変わっていく。他人を不当に扱えば殺されるかもしれないという恐怖が人々の行動を改めていく。その昔そのような恐怖は神により与えられていたが無宗教な現代で神の恐怖を与えるのは殺意を持った弱者である。
アマゾンプライムで今見れるぞ!
多分他のサイトとかでも見れると思うが俺はよー知らん。
何が面白いって散々言われてきた「ハリーポッターはもう杖じゃなくて拳銃を持て」「グリフィンドール出身って卒業後はイキった汚いヤク中になりそう」みたいなイメージの終着駅な所よ。
クソみたいな課金ソシャゲを作る会社でパワハラされまくるメガネのナード。
そして二丁の拳銃。
つうかダニエル・ラドクリフやっぱ演技上手いわ。
経験値が違うね。
悪党になりきれない悪戯好きな小市民からの空気読めないがゆえの正義の味方ってロール完璧に演じれてますわ。
酷い目に合ってるの見てて楽しくなれるタイプのウザさ。