はてなキーワード: スッキリとは
定期的に出現するこういった奴らなんですけど
過去のニュースや映画や漫画で散々最低な行為として扱われていると思うんです。
誰もが感情移入できないし、そいつらがヒーローにやられるとスッキリする。
ヒーローになりたいと思わないのか?
そこを不思議に思う。
鬱鬱としてる時に、隣の芝は青々として光り輝いて椰子の木が生えてるようなSNSを見つけてしまって、もう道端に座り込むネズミ男みたいな気分
彼と知り合った時、私たちは19歳で、大人になったばっかりで自由になったら出来ることを全て一緒にやった。自由とは言えまだ責任とは程遠い私たちはザ・若気の至り的な事をたくさん一緒にした。それこそ朝から晩まで毎日毎日そこら中でSEXもした。ヒリヒリするのにした。会話は止まらず、必ずどこかの皮膚が接触していて、何もかも面白かった。アホみたいな理由で泣くようなケンカもしたり、お互いの家族友達ペットもみんな混ざった。今でも笑える思い出話はあの時の事が多い。
ホルモンのご指導通り3年ぐらいで別れたけど、家族や友達を混ぜてしまったのでつながりはあったから焼け木杭みたいな事も一回あったな。家族友達の冠婚葬祭、私が結婚した事も向こうが結婚した事も生まれた子供の写真のやり取りもした。
お互い連絡先はずっと知っているけど直接連絡を取ったことはない。
2人とも地元を遠く離れているけど一度だけ、地元でもない、住んでいるとこでもないとこで偶然会った事があった。びっくりしすぎて、やだこれ運命?!とか言って再会を純粋に喜んで立ち話をした。お茶か食事でもと誘うのはお互い躊躇して、立ち話のまま、後ろ髪を100mぐらい引きずりながらじゃあまたね!と言ったのが10年前か。
で、今、急に彼がとても幸せだと言うのをSNSで見た。彼の妻が世界に発信している。
映える手作りのおやつ、記念日の食事、たまの大人デート、親子で楽しそうに勉強したり、バリキャリ女子のオフィス。
ああ、あの人は私と別れて良かったんだ。めちゃ幸せそう。こんなデザートや食事私では到底無理。私の大人デートは友達の居酒屋。仕事場は夫が屁をこきながら寝転がってるのが見えるここ。
楽しかった思い出は本当にただの思い出。二度と帰らないってマジなんだな。
考えてみたらあの映えるデザートだって買ったのかも知れないし、記念日の食事だって無理やりかもしれないな。って言うかデパ地下食材並べただけとか。子どもだってうちの子の方が可愛いし。大体結婚式の写真見て思ったもん。私のが可愛いやんけ。バリキャリ気取ったオフィスの写真て何やねん。誰得。あんなSNS世界に発信するような女と結婚するなんてあいつも知れとんな
30過ぎて女と付き合ったことない童貞で、自分自身の寂しさ、虚しさとともに、
両親にも孫の顔見せてやれなくてすまないなあとか、自分の血はここで終わりか申し訳ねえなあとか思ってたけど、
GWに実家に帰って、両親と話してみたら、親への申し訳なさは薄らいだ
話してみたらというか、話そうとしたら会話にならなかったので、
この親にしてこの子ありか、そりゃ親がこんだけコミュ障なら子もコミュ障になるし、
俺が女と、というか他人とコミュニケーション取れないのもやむを得んわ。って吹っ切れたと言う意味だが
親もそろそろ高齢なもんで、老化で諸々いろんなことができなくなったり、最悪死んだりした場合にどうするか、
いろんなことを考えなくちゃならん。
で、ちょっとその話の一端でも触れようとすると、そんな話はしたくないのだと。
自分らで考えて決める。面倒にはならんようにするから、話をしてくれるな。と。
普通、そういう話って、一方通行じゃなくて、お互いにこうしたいああしたいという目的があり、
それが一致しているか確認して、ズレてるなら妥協点を探るもんだろうと思うのだが、
そういうお互いの利害を探るとか、お互いの気持ちを知るとかそういう歩み寄りの姿勢が一切ないのだよ。
カフカっぽいんだよね。感情的なコミュニケーションがなく、どこかから決定事項が降ってくる。
俺も相当のコミュ障だが、親元を離れて会社で働き、それでまあようやく生きていけるぐらいには、
一般的なコミュニケーションを騙し騙しやれるぐらいにはなったが、
田舎の狭い世界で定年までやってきた両親では、そういう他者とのコミュニケーション能力が発達しなかったのだろう
「当事者」と16回も連呼しているし、レースクィーンのコスプレをした現役風俗嬢だと思ったら違うのね。
皆も誤解していない?本当にあのとっちらかった長文を理解しているの?
tettekete37564 実に優れた論考
eyww 初めてまともな意見。
toro-chan 珍しく真っ当な指摘。
aceraceae あの件のいちばんモヤモヤしたところをいちばんスッキリさせているエントリかと。
i196 藤田氏の記事の綺麗事感が好きになれないと思ってたけど、これ読んでしっくりきた
oyagee1120 ただただ納得しかなかった。
hotelsekininsya 筋の通った骨太な記事だなぁ。納得感もある。
gotchang 極めてまともな指摘。
metarunametaruna 極めてまっとうな主張。読む価値あり
twwgot 最も納得感の高い考察
superabbit 岡村叩きの気持ち悪さの理由がわかりやすく言語化されている。腑に落ちた。
sunagisunagi 完全に納得できる
wuzuki この件の記事の中でもっとも良かった。藤田氏のことも嫌いではないけれど、あの批判記事はズレていたように思う。
qyosshy 同意しかないわ。特にここ。同性婚とか騒いでるならこれやるべき。〉性風俗に逃げてくる人々をなくすため、結婚制度を廃止・禁止すべきと思いませんか?
doksensei 序盤で躓かず中盤後半を読んで欲しい。激しく同意する
yass14 これまでのところ岡村氏関係で最も腑に落ちる記事
raebchen 自分もこの記事は極めて真っ当だと思う。なかなか言葉にできなかったモヤモヤを的確に表現してくれてる。
toakai 極めて真っ当。今までの議論の気持ち悪さが払拭された。私が学び聞き共感してきたフェミニズムとはこういうものだった。
ikedas ようやく真っ当な意見を読んだ。コロナ禍が始まってから、
mouseion 藤田氏は無知から来る思い込みで岡村発言や風俗嬢の現状について批判してるがこの記事ではその理由を詳しく説明している。
greenmold 至極真っ当
warulaw うむ。とても妥当な指摘だと思う
e_te_koe_te_ko 岡村発言関連で一番しっくりきた
wakuwakuojisan 風俗にしてもAV女優にしても「あなたはカワイソウな人間です」って余計なお世話もいいとこ。文中に述べられているが、藤田は自分に酔ってるヒロイズム男。助けるのに自分が金出すわけでもないのに否定だけは立派。
xufeiknm 藤田の一面化によって風俗業はあってはならないものとされ、従業者への支援も保護も届かなくなる。てめえの名を上げるために人をダシに使うなよという話。
ヤバい。ヤバすぎ。在宅勤務with2歳児で心と体が持つ気がしない。どうしよ???
大前提として子どもはめちゃめちゃかわいく楽しく愉快で愛しい存在なのだが、さすがに4月初め(ちょっと風邪っぽかったので早めに休んでた)から1ヶ月、四六時中一緒にいると疲れてきた。
1ヶ月でこんななのにあと2ヶ月か………先が……長すぎる……………。
私は自堕落でテキトーで部屋が汚くても平気な人間なので、普段子どもがバタバタしたり汚したりしてもムカついたりイラついたりすることがあまりないのですが、それでもなんだかいらっときて怒っちゃう、「やめてよ!!!」って声荒げちゃうことが増えてきた。
まあまあ耐性がある私でさえこうなのだから、日本中の家庭で暴力や虐待増えまくってること容易に想像がつく。心配!!
在宅勤務はしてるものの2歳児が1人でじっとしてるわけはなく、夫と交代で面倒見なきゃいけないのだが、ちょう〜〜〜ど運悪く史上最高にママべったりな時期で何をしてても呼び戻される。全然集中できねえ。安息の時間、しまじろうといないいないばあで15分ずつが限界。まとまった作業は夜中に起きてやるしかない。ので毎日眠い。早朝起床するのもやってみたけど即バレして一緒に起きてくるので無理でした。
会社も幸運なことに寛容で、仕事にならないことはある程度仕方ないと割り切ってるし、そこまで悩んでないつもりだったけど、自分の中で不甲斐なさがどんどん溜まっていく。特に誰にも怒られないが自分の時間が全然ないこと、やりたいこと(ここに仕事も入る日が来るなんて!!!)が予定通りにできないことにしんどみが募ってく。生活がアンコントローラブルだと、自分の人生って感じが薄れる。ぐぬぬ。
そんなこんなでこの数日精神的かなりキツくなってきており、そこにダメ押しで休園大延長っす!よろしくね!!の報が入って泡を吹いた。いやもちろんすぐは無理だろうもう少しかかるだろうと覚悟はしてたけど……に、に、にかげつ!!あと2ヶ月!?!?まだいま折り返し地点にもやなってないってこと?疲れた。もうだめ。ばたんきゅー。
あーーーーなんかこうドサドサと書き出したら平気なフリしてかなりかなりストレス溜めてるのかもしれない。ないと思う、けど、万が一子どもに手をあげたりしたらどうしよう。そういうことが一瞬頭をよぎる程度には疲弊しているな。
産後うつにも無縁だった、対子どもメンタル強めな自分がこんなに弱るの初めてかも。育児相談とか電話したほうがいいかな!?!?何かアドバイスあったらください。
ここまで勢いで書いたらだいぶスッキリしてきた。別に子持ちの大変さをアピりたいわけじゃなくてさ、むしろ私は家族がいて好きな時にしゃべったり一緒にご飯食べたりできるから精神的にもってる部分もめちゃくちゃあると思ってて。例えば日当たりの悪い狭い部屋に一人暮らしで気軽に連絡とれる友達少なかったあの時代に今の状況だったらそれはそれで死ぬほどしんどかっただろうな、むしろもっと早く病んでたかも……って超思う。そして今そういう状況の人もいっぱいいるよね。おつかれさま。みんな違うしんどさがある。みんな偉いよ。
女と付き合う時もそんなこと考えるんか?
字下げ増田が今よりも調子が良かった(?)頃に書いた日記の断片を見つけた。
2002年4月10日から2003年3月11日まで,九州北部の某予備校で寮に入って勉強し,一浪の末,ついに東京大学文科Ⅰ類に合格した。
寮での生活は規則正しいもので,出発前の僕の生活とは正反対のものであった(一年前の日記を参照)。おかげでスランプも体調不良もなく無事に受験生活を終えることが出来た。
僕の人生でこの一年ほど充実した一年はなかったであろう。一年前,入寮した時はウツであった。何せパソコンがないのである。
直ちに禁断症状が現われた。しばらくは勉強できず,書店で「2ちゃんねる」という本を買って読んだり,プリントの裏にモナーの絵を書いたりしていたのであった。
しばらくすると,寮の生活に慣れた。これほどよい生活はない。早朝起床,散歩に朝食,登校して授業ないしは自習,下校して夕食,入浴,そして夜自習して就寝。
これを一ヶ月ばかり繰り返すと,精神・体調ともに安定し,頭はスッキリし,プラトンのいうイデアの世界が透視できるようになるまであと一歩という,清澄で健康な心身の状態に到達していた。
また,現役時代と違い,予備校でのそれ相当のレベルの授業に毎日欠かさず受けることにより,学力の底上げと精神の安定がもたらされ,7月のYゼミ東大プレではA判定で成績優秀者ランキングの上位に掲載された。
また8月の河合OP,駿台実戦でもA判定を得ることができた。秋のOP,実戦では解答欄ミスが目立ちB判定と不本意に終わったものの,12月のYゼミ東大プレでは総合300点近くを達成し,全国で50位になった。
センターは645点で不本意に終わったが,その後の追い上げによりセンターでのビハインドをカバーできるくらいの二次力をつけ,結局合格した。とにかく最高の一年であった。
これほど生活にメリハリがあり,また自分でよく考えて受験計画の立案と実行をおこない,それを完遂して見事合格したという経験は以後の人生のための大きな糧となるであろう。
.vueはコンポーネントで振り分けちゃえばスッキリしてて好きだけどなstyleのスコープが謎のときあるけど
デコレーターなんて、言ってしまえばGotoみたいなもんやんけTypeScriptなんて型指定以外いらんわとおもう3ヶ月めの初学者であった
弊社もほぼ全社員が在宅ワークとなり業務連絡はメールやチャットが主流になった。
メールできたものについては送信者も即レスを期待していないことが多いため
一方、チャットについては即レスを求められ、返さずにいると、おーい?なんてコメントが追加されることがある。
ただでさえ、在宅勤務で集中力にムラができやすい(これは私だけかもしれないが)なか、
ある程度時間を費やして集中していた糸がぷっつり切れてしまう(もちろんまた、集中するが時間がかかる)
在宅勤務になったからと、業務が減るわけでもなく、むしろ増えている中、ストレスでしかない。
ビジネス関係の記事を読めば、即レスしないやつはクズだくらいのことを言ってくる
むしろ、お前が都合いい時間にこっちの都合を考えないで送ってきた連絡に対して、
その頃自分はM1からM2に上がりたてで、HCI系の研究室に所属していたが特別ブラックというわけでもなく(直接指導にあたる教員との相性は悪かったが)、記事を読んでも筆者の境遇に思いを馳せるぐらいの月並みなことしかできなかった。
それでも、HCIは「一見役立たなさそうなおもちゃのようなものに、理屈をこねくり回して正当化させるのが多いように感じ」るという主張に心から共感したことは覚えている。「おもちゃ」という表現がぴったりだと感じたのだ。「ゴミ」とか「クズ」ではなく、「おもちゃ」。自分も含めて学士・修士の研究は大半がゴミ同然なのだろうけれど、どうしてかHCI研究の一部は「おもちゃ」であるように思えてならない。当時その理由を漠然と考えてみたりもしたが、結局まとまらないうちにほとぼりが冷めてしまった。
今、自分は修士課程を修了して労働をしている……が、このご時世なのでここの所はずっと自宅待機で時間を持て余している。だから、今のうちに寝かせたままのもやもやを整理し、言語化しておきたい。そういうわけで、増田に書くことにした。
一応断っておくと、これから書くことは修士卒の人間の主観に満ちたお気持ち表明であり、HCI全体のごくごく狭い領域の事情を述べているに過ぎない。HCIの学際的な領域は多岐にわたるが、その中でも自分は記憶・感情・コミュニケーションといった人間の精神的な活動をコンピュータ技術で支援しようという趣のことをやっていたから、余計におもちゃ性の強い研究に触れる機会が多かったのかもしれない。そのあたりを踏まえた上で、読んでもらえると幸いだ。
HCIが立派な研究であるかどうかは、HCIおもちゃ問題を考える上で大きな問題にならないと自分は思う。正しく研究のフォーマットに則ってさえいればそれは研究と呼ぶ他ないはずだし、研究の質的な議論は何もHCIという分野に限られたことではない。
学問の有用性は、例えば人文学の軽視だとか、もっと次元を低くすれば三角関数を習う意味だとかで、これまたよく議論の対象となる話題である。自分としては、一般的な学問に関しては直接的な人間への有用性という観点のみで議論されるべきではないと思っている。学問による間接的な恩恵や将来への投資を無視するのはあまりに浅慮であるし、根源的な欲求の充足というのにも価値はあるはずだと考えるからだ。
しかし、HCIは例外だ。HCIは、人を対象とし、大半の場合はエンジニアリング的なアプローチによる課題解決を目指しているのだから、人の役に立たなければ意味を持たない。しょうもないHCI研究は、道具・ツールとして失格の烙印を押されたガラクタの「おもちゃ」なのだ。
自分は、ワゴンいっぱいのガラクタのおもちゃの中にあって気持ちがみるみる冷めていったし、元増田の筆者もきっと同じだったのだろう。
ここからは、自分がおもちゃだなと感じてしまうHCIの特徴について列挙していく。
遊ぶように楽しめる何かを作ること自体は結構だが、課題解決を目指す工学において繰り返しに耐えないモノを作るのは全くのナンセンスだ。
それこそ、人間にとってのお役立ち度は、縁日の射的の景品やヨーヨーと全く変わらないということになる。
HCIの研究やプロダクトが役に立つ前提として、人間というのは常に明るく元気で前向きで、人と繋がりたくってしょうがない生き物なんだと考えているんじゃないかと思わされることが何度もあった。確かに現在の社会においてそのような人々は理想的で偉いのかもしれないが、現実を見ればそのような前提を掲げられるはずもないことは火を見るより明らかだろう。
また、人々に高度な認知的能力を要求するような例も多いが、そのような人々がいくらかエンハンスされたとしてもそれに対するHCIの貢献度は、はじめからA判定の生徒を受け持つ家庭教師のような疑わしさが持たれて然るべきだ。
これは元増田にも指摘のあったことだが、他分野を無理のある形で援用してトンデモ仮説を作るようなことが見受けられた。逆ソーカル事件といえるようなことが、あちこちで起こっているんじゃないかと思う。
大いなる研究の礎として失敗した研究が存在するという考え方があるが、おもちゃHCIは礎たりえない。それは、そこに積み上げられるものが全くないか、あるいは逆にバベルの塔を建てようとしているからだ。つまるところ、未来が両極端なのだ。
当たり前のことだが、何もHCI全体を否定しているのではない。優れた研究・研究者は数多く存在しており、今後も我々の生活を豊かにしてくれるのだろう。
ただ、おもちゃHCIが存在するのも事実で、それに関わると残念ながら莫大なリソースが無駄に終わってしまうから、ちょっと口出ししておきたかったのだ。