30過ぎて女と付き合ったことない童貞で、自分自身の寂しさ、虚しさとともに、
両親にも孫の顔見せてやれなくてすまないなあとか、自分の血はここで終わりか申し訳ねえなあとか思ってたけど、
GWに実家に帰って、両親と話してみたら、親への申し訳なさは薄らいだ
話してみたらというか、話そうとしたら会話にならなかったので、
この親にしてこの子ありか、そりゃ親がこんだけコミュ障なら子もコミュ障になるし、
俺が女と、というか他人とコミュニケーション取れないのもやむを得んわ。って吹っ切れたと言う意味だが
親もそろそろ高齢なもんで、老化で諸々いろんなことができなくなったり、最悪死んだりした場合にどうするか、
いろんなことを考えなくちゃならん。
で、ちょっとその話の一端でも触れようとすると、そんな話はしたくないのだと。
自分らで考えて決める。面倒にはならんようにするから、話をしてくれるな。と。
普通、そういう話って、一方通行じゃなくて、お互いにこうしたいああしたいという目的があり、
それが一致しているか確認して、ズレてるなら妥協点を探るもんだろうと思うのだが、
そういうお互いの利害を探るとか、お互いの気持ちを知るとかそういう歩み寄りの姿勢が一切ないのだよ。
カフカっぽいんだよね。感情的なコミュニケーションがなく、どこかから決定事項が降ってくる。
俺も相当のコミュ障だが、親元を離れて会社で働き、それでまあようやく生きていけるぐらいには、
一般的なコミュニケーションを騙し騙しやれるぐらいにはなったが、
田舎の狭い世界で定年までやってきた両親では、そういう他者とのコミュニケーション能力が発達しなかったのだろう