はてなキーワード: じゃがいもとは
ベースとトッピングを選ぶんじゃなかったっけ、と思いながら、並んだセットメニューからトッピングとして選択可能なものを抽出する。久し振りだからカツにソーセージとかそういうあたまわるい最高に楽しいやつにしよう。
注文して、えーっと普通? と答えてメニューを閉じようとしたら、見返し部分にトッピング一覧と辛さやごはんの量が書いてあった。重要な情報はそこに全部あった。
ごはん多かった。成人が食べていい量では無い。若者の店だからかと思ったが、年齢も体型も曲がり角を曲がりきった人が多かった。
でも楽しかった。増田でカレーのじゃがいもの話をしていたから、やさいも入れた。日本カレーにはやっぱじゃがいも必須だろ。
そして牛乳だろ。とアイスミルクも頼んだら、スジャータのコーヒーフレッシュがついてきた。一番むずかしかった。どうすればよかったんだろう。
お母さんがいなくなった事実がじわじわ精神のバランスおかしくしている。
今日も元気にじゃがいもを5個揚げてフライドポテトにして一気に食べて少し時間をおいてわざと吐いた。
お母さんの葬式の前日の夜にケンタッキーを6ピース買って全部食べて一気に吐いたことを思い出した。
お母さんが死んですぐはいつも通りの日常を過ごそうと思って、洗濯も料理も掃除も力を入れて頑張った。
でもここ最近風呂にも入らず自動販売機とコンビニしか行ってない。
毎日料理してスーパーで野菜を買って、作り置きをしたり魚を食べたりご飯の量をはかったり健康的だったのに最近食べるのは揚げ物とか出来合いばっかり。
昨日も今日と似たような食事内容で、キットカット一袋と出来合いのカツ丼、チーズに衣をつけて揚げたジャンキーなチーズフライ、じゃがいも4個分のフライドポテトと大量のマヨネーズとケチャップ、三ツ矢サイダー・・・
あとほかにも色々食べたけど忘れちゃった。
夜中の12時過ぎにどうしても我慢できなくて自動販売機のお菓子を買いに行った。それもキットカット。どんだけキットカット好きなんだよって感じだけど今年に入って初めて食べた。昨日。
全部吐けてる気が全くしないけど、一気にたくさん吐けると気持ちよくてそれが癖になっちゃってやめられなくなってきた。
どうしたらいいのかわからない。
極端なやせ型ではないどころかむしろ太ってるから、拒食症でも過食ってほど量も食べてないから病院に行ってもしかたない
というか今かかってる心療内科の医者は全く信用できないから言う気はないでも言ったほうがいいのかな。
お母さんに会いたくても会えないし、誰もトイレで吐いてるの心配してくれないし私個人のことを本気で考えてくれる人はこの世に一人もいない。
お母さんは私のことを本気で心配してたように見えたけど最後には自分のことで精いっぱいだったように見えたから本当に一人もいなくなっちゃった。
自分が生まれてこなければお母さんの人生はもうちょっと穏やかだったと思うし、悲しい思いもさせずに済んだし、地震がくるたびに極度におびえて、新しい仕事に行くたびに泣きわめくのを面倒見たりしなくて済んだ。
でも私のことをかわいいって常日頃言ってくれてたしありがとうって感謝の思いでいっぱいだけど、なんで私のことおいてったのという疑問ばっかりでありがとうって言いたい気分にならない。
いつもいろんなところに出かけて、近所だけど。なんでそれなのにお母さんと私は珍しく何週間もあってないなんて不思議で仕方ないし、お母さんは骨になっちゃった。
今からまた食べて吐くけど、お母さんのせいじゃないと思う。
トイレににおいがついたかもしれなくて、対処方法がわからない。
体調大丈夫って急に聞かれたからにおいで吐いてるのばれたかもしれない。
でもそれ以上何も聞いてきてくれないから、聞いてくれるように今日も吐いてみる。
吐いたりしちゃだめだよって言ってきてくれないと気が済まない。隠れてこそこそ吐くの疲れた。
キットカットとかのごみを片付けたいのにごみ袋がもうなくなっちゃって買いに行かないといけないのにどこに売ってるか知らなくて困ってる。
今日は何食べようかな~って思うんだけどむなしい
コンサートもなにもなくなって明日いいことはおこんないんだろうなーって思いながら寝るのがつらい。
睡眠のリズムは今のところ元気だから多分元気なんだろうけどなかなか元気になりきれない。
抗不安薬の頓服もらいに行けってキレられてもらったけど結局飲んでない。
昨日もおとといも薬飲み忘れた。今日もまだ飲んでない。
お母さんに会いたいって思うと涙が出てくる
一生お母さんに会えないで生きていかないといけないなんて信じられない。
お母さんに何にも教わらないでいて何してたんだろう
お母さんにいろいろ聞きたいことあるのにどこで聞けばいいんだろう
あの世に行って、あの世でお母さんは私に会ってくれるかわからないし、あの世にいくには私は若すぎるからあの世でまたお母さんに悲しい顔させるの確定しちゃうからまだいけない気がする。
お母さんがどこからかフラっと帰ってきてくれるような気ばっかりしちゃって毎日毎日だらだらしてたら呆れてくれてしっかりしてたら褒めてくれるような気がする。
お母さんに会いたくてももう会えないのがつらい。
お母さんに会いたい。
お母さんの代わりになってくれる人はいないしお母さん以上に大好きな人なんてこの世にいない。お母さんの声が聴きたい。
もう会えないのが受け入れられない。
この前派遣の仕事の最終日でもらったお菓子の中に火葬場で食べたお菓子が入ってて嫌だったんだよ。
筋トレも何日もさぼってるんだよ。
なにも通常通りじゃないよ助けてお母さん
お母さんが戻ってくれば全部解決することばっかりだから戻ってくるなら今しかないよ。
四十九日っていうのがまだだから、みんな今戻ってきてくれたら喜ぶよ。お願いだから戻ってきて
また一緒に買い物にいってうどん食べて、コメダに行って家電屋さんに行っていつも頑張ってるからって言ってなんか買ってほしいんだけどいつ帰ってきてくれるの?
お母さんまた会いたい一緒にかき氷とすいか食べよう、回転寿司行っていろいろ食べよう
お母さんに聞かないと何にもしたくない
お母さんに電話したいお母さんにプレゼントがしたいお母さんに会いたい
これから先お母さんがいないなんて考えたくないお母さんがいないのがさみしい
https://anond.hatelabo.jp/20200804004750
https://anond.hatelabo.jp/20200804130231
この流れに冷や水を掛ける意図はないのだが、私はインド料理は豆・野菜料理が美味いと思う。
今日話題になった増田はいずれもチキンカレーをレシピのシンプルさや調理時間の短さを中心に論じたものだ。
一方、インド料理には多数の豆・野菜料理があり、その中には非常にシンプルで美味いものがある。
これほど頻繁にインド料理が話題になるのにもかかわらず、ほぼすべてが肉を使ったカレーに関するもので、
この罠の話をまずしたい。ただし断っておくが与太話だ。
そしてその後いくつか簡単に作れる野菜を用いたインド料理を紹介する。
クートゥ、ラサム、サンバル辺りも美味いが豆を煮るのが少しハードルが高いかもしれないので省く。
スパイスカレーの罠、それは様々な場所に張り巡らされている。罠はインド料理に興味を持つ人を対象に据えられており、
それにかかると様々なインド料理を作りたいと思いつつも、ひたすらに肉を使った同じようなカレーを作り続けてしまう。
こう言われて思い当たる節がある人もいるのではないのだろうか。
私はかつてこの罠にかかっていた。インド料理に興味をもち、毛色の違ういくつかのレシピ本を買い、基本的なスパイスを揃えた。
本をめくり、近所のインド料理屋では見たことのない料理や、レシピから味を想像することのできない未知の料理を眺め、
いつか作りたい。そう考えた。しかし結局のところ私は鶏、豚、羊肉でいわゆるカレーを作り続け、次第に飽き、
何故このような事態になったのか、それは断定できる類のものではないが、
大抵の人がインドカレーと初めて会うのはインド(もしくはネパール)料理屋だろう。
ターリやミールスを提供する本格的な店も多数あるだろうが、それはインド料理屋全体から見たら少数で、
多くの人にとっては名店でもない、いわゆる普通のインド料理屋が出会いの場となるだろう。
カレーを1つ注文するとナンとサラダがついてきて1000円弱というような店だ。
そうして食べるカレーは、これまで食べてきたルーを使ったカレーとは異なり、
スパイスの鮮烈な香りがあり、焼きたてのふかふかとしたナンをつけて食べると、間違いなく美味い。
こうして一部の人はインドカレーの虜となり、店に通いだし、いつしか自分で作ることを志す。
しかしここに罠が仕掛けられている。この手のインド料理屋はメニューのほとんどがカレーなのだ。
メニューには様々なカレーが並んでいて、説明書きによれば具材やスパイスの使い方が異なっているとのことだが、
実際食べて見ると確かにそれぞれ味は違うが、根っこの部分では似たような味がする。
こうしてインド料理といったらこういう味のするカレーという図式が脳内に知らず知らず構成されてしまう。
無論、レシピ本を開けば様々な料理が載っているのだからそちらに目が向くのではないかという考えはもっともだが、
しかし自分の中に確固とした目指すべき像があると、正解の味を知らない、想像もつかない料理を作るのはハードルが高い。
インド料理屋で出てくるカレーは銀色の小さい器に盛られていて、
あれはカロリーや油の量からしてもあの程度に収めておくのが健康的だが、自分で作るときにあの量だけ作るのは難しい。
余程小さいフライパンを使わない限り、調理しにくくない分量で作ると優に3人前近くはできてしまう。
これは健康を無視すれば特に無理なく食べきることのできる量だが、米飯もしくはナンと共に食べるとすると、
もうこれだけで十分満腹になるほどの量にはなる。するとせいぜいこれに付け加えてもサラダぐらいのもので、
こうして種々のレシピ本に載っているメインを張るほどではない料理は作られる機会を失う。
サブジは野菜の蒸し焼きでじゃがいも、人参、大根といった根菜からブロッコリー、
カリフラワー、インゲン、キャベツなどかなり幅広い野菜が使える。
とりあえずここでは細かいことは気にしない。
・マスタードシード or クミンシード (両方入れてもいい)
・ヒング(なくてもいい)
・油(多め)をフライパンに熱し、スタータースパイスを加熱する。
・刻んだ野菜を加え、油をなじませる。
・蓋をして、弱火から中火で加熱
・完成
要するにターメリックとカイエンペッパーをまぶして蒸し焼きしただけの料理で、
味もそう予想を裏切るものではない。
ただ実際食べて見れば塩味にスパイスの風味が加わるだけで十分に美味いことが分かると思う。
サブジを作り、完成し火を止めた後にココナッツシュレッド(フレーク状のココナッツ、製菓材料売り場にある)をドバっと入れてかき混ぜたら完成。
ココナッツのトロピカルな風味とわずかな甘みが予想以上に仕事をする。
米飯によく合う。一度食べて見ないとこれの美味しさは分からない。
・野菜(サブジと同様に色々使える、たくさんの種類を入れた方が美味い)
ココナッツマサラ
・カイエンペッパー(なくてもいい)
・フライパンに野菜を入れ、わずかな水を入れて煮て火を通す。火が通った時にほとんど水が残らないぐらい。
・ココナッツマサラをつくる。ココナッツシュレッド、水、クミンシード、青唐辛子をブレンダーで回す(ブレンダーを使うのを回避したかったらクミンシードの代わりにパウダーを使い、青唐辛子を適当に刻んで混ぜればいい)
・煮た野菜にココナッツマサラ、塩、パウダースパイスを加え、少し煮る。
・火を弱め、ヨーグルトを加え、温まったらすぐ火を消す(ヨーグルトの分離を防ぐため、分離してもどうということはない)
・完成
よくインド料理に必須のパウダースパイスはターメリック、カイエンペッパー、クミン、コリアンダーといわれ、その風味の強さからクミン、コリアンダーあたりが重要視されていると感じているが、ターメリック、カイエンペッパーは想像以上に役に立つスパイスだ。今回記したレシピのようにスパイスの種類を絞った料理を作ってみるとそれがよくわかると思う。
ただ今回紹介したレシピはいずれも簡略化したものでもっと様々なスパイスを加えるなど、工夫した方が美味く仕上がるだろうことは断っておく。
自分は前の晩にハウスザカリーを箱の裏に書いてあるとおりに作って
この時期だったら扇風機をガーッとあてて冷やしてから冷蔵庫にいれて一晩おいて食べている
にんじん、じゃがいも、肉の具材にもカレーがしっかりなじんで、だいたい美味しい
肉は、なんでもいいけど、鶏、豚、牛の順かな
ラップとレンチンで皮付きの丸ごとじゃがいもを均一に加熱するのむずくない?
いっつも底面は加熱しすぎでシワシワのスカスカ、なのに真ん中は芯が残ってるみたいな状態になる
さらにラップが熱で癒着してると最悪で、破いた拍子に熱湯が飛び出し何度も火傷した
・じゃがいもは生のうちに皮と芽を除く
セブンイレブンのやつな
そんなことわかりきってるんだよね
てかブロッコリーはよく買う 茎も茹でてそこに塩とかマヨネーズとかしょうゆとか あるいは混ぜても良い 俺は断然味噌マヨネーズ派
だから「お、ブロッコリーがゴロゴロと入ってる」と思ってしまうとそら買うよ
それらを下に溜まっているバジルドレッシングで和える バジルの爽やかな香りに癖のないじゃがいもや、強烈な夏の香りがするえだまめ、タコと相性がいい
食感が楽しいことに気づく。タコのコリッコリッとした食感、じゃがいものザクザク、えだまめのぷちぷち、そしてブロッコリーのシャキシャキ
他のコンビニのサラダと言うと生野菜サラダが多いように感じる。
生野菜サラダは大好きなのだが吸収効率を考えるとこういった熱が通してある野菜が食べたいのだがセブンは完全に網羅してきたね。
ぜひ試していただきたい。
買いたかったら買えばいいと思うよ。じゃがいもって基本的に5個入りの袋とかじゃないと買えない場合も多いから「じゃがいもたくさんあっても困るけど今日ちょっとだけポテトサラダが食べたいんだよね」とか「マヨネーズ買っても使わないけど今ポテトサラダ食べたいんだよね」とか「スーパーで買ったポテトサラダの味こそが好きなんだよね」とか理由は色々あると思うし。ポテトサラダ作らずに買うのは全く問題じゃないんだよ。
買いたかったら買えばいいじゃんてだけなのに、「ポテトサラダ作るのがどれだけ大変か…」みたいなツイートとかブコメがやたら付いてるのが違和感だった。ポテトサラダ、芋をレンジでチンしてマヨネーズと切ったきゅうりと塩こしょうを混ぜるだけだが?
「皮を剥いて切って茹でて、冷まして、マッシャーで潰して…」って余計な工程を足して難しく盛ってるのもそれはそれで嫌だなと思った。
個人的には「人の食事に他人がとやかく言うな」って話であって、ポテトサラダが実際に作ると大変とか大変じゃないとかそういう話じゃないと思ったんだよな。「ポテトサラダが本当は面倒な食べ物だって知らないからそんなこと言える」って話にしちゃうと「じゃあ簡単なものだったら作れ」って話になるじゃん。私なんてスパゲッティ茹でてレトルトかけるだけのことすら面倒でコンビニでパスタ買ったりするのに。
ポテトサラダというと、じゃがいもを茹でて(もしくは蒸して)潰したものに、きゅうりなどの野菜を刻んだものを加えて主にマヨネーズで調味した物を思い浮かべると思う。
ただこのタイプのポテサラもじゃがいもの潰し方や、加える野菜の種類やマヨネーズの量で結構味が変わってくる。
俺がよく作るのはポテサラに解答したミックスベジタブルとミックスビーンズを加えて、ちょっと控えめのマヨネーズとオリーブオイル、クレイジーソルトで調味したものだ。
使うじゃがいもを潰すのではなく、粉吹き芋にしたもので作っても美味い。
親父曰く、粉吹き芋にした方はつまみにもなるそうだ(俺は飲まないので分からないが)。
うちは玉ねぎはあまり加えない場合が多いのだが、お惣菜屋さんで売ってるポテサラだとスライス玉ねぎが入ってる場合が結構ある。
業務用スーパーで売ってる1kgのポテサラにも玉ねぎが入っている場合が多い。
おそらく変色しにくいなどといった理由があるのではないかと思う。
以前入ったカフェではマヨ控えめのポテサラと蒸してほぐした鶏胸を耐熱容器に詰めて、上にチーズを乗せてバーナーで炙ってチーズだけとろけさせた変わり種のポテサラみたいなものを出していた。
へーそういうのもあるんだねーと感心したのをよく憶えている。
ポテトサラダの定義をじゃがいもを使ったサラダというとこまで広げると、さらにバリエーションは増える。
例えば細い短冊切りにしたじゃがいもをサッと茹でて、水に晒したものを和風ドレッシングで食べるサラダや、生野菜サラダの上に細めのフライドポテトを乗せて食べたりってのもある。
おそらく俺の知らないポテトサラダがまだまだあるのだろう。
いつか出会えると思うととても楽しみだ。
いつものスーパーの、お総菜コーナー。ポテトサラダのパックに右手を伸ばそうとしたその時だった。
振り向くと、見知らぬ老人がじっとこちらを睨んでいた。
「ママ?」
左手に感じる我が子の手のひらに力が入ったのがわかる。視線が怖くて、ポテトサラダを取らずに慌ててお総菜コーナーを後にした。
帰って冷蔵庫に買ったものを詰め込む。ふと、野菜室の隅に鎮座したじゃがいもが目に止まった。
じゃがいもの皮に切り込みを入れて蒸し器でふかして皮を丁寧に取り除く。
「アチッ!」
「ママ! お手伝いする!」
「じゃあ、じゃがいもを潰すのお願いしようかな?」
「うん!」
剥いたじゃがいもは食感が残るように軽く潰してあら熱を取る。
きゅうりは薄切りにして塩揉み。じゃがいもが冷めたらきゅうりの水気を切ってじゃがいもに加えてマヨネーズと、少しだけウスターソースと粗挽きの胡椒を加えて完成。
「おいしそう! ママすごい!」
ポテトサラダを作るなんて何年ぶりだろう。時間をとられ過ぎた。後は簡単にお肉を焼いて、味噌汁はワカメと玉ねぎでいいか。
夫ははにかんで食卓についた。手伝ったんだ!と自慢する子どもに笑顔を見せる。
「そうだね~。でも大変だったでしょ?」
まあね、と適当にごまかして山盛りのポテトサラダに箸を伸ばした。
「そういえば、父さんが昔作ってくれた味に似てるなあ……」
「えっ、亡くなったお義父さん?」
「死んだの、俺が学生の時だし知らないよな」
「どんな人だったの?」
「頑固だし、ほとんど台所になんて立ったことなかったよ。でも、一回だけ母さんの誕生日にね」
「そうなんだ……」
食後、夫が見せてくれたアルバムには、今日と同じ山盛りのポテトサラダの前でぎこちない笑顔を見せる義父の姿があった。
「この人…」
それは紛れもなく、私に今日声をかけてくれた、あの奇妙な老人だったのだ。