いわゆる『自称オラオラ系』を愛そうと試みて三ヶ月が経過した。
ちなみにこの自称スタンド使いとは以下と以下に近いの発言をする人々をやんわりと含む。
「裁くのは俺のスタンドだー」「やれやれだぜ」「間抜けは見つかったようだな」「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラー」
この手の発言をされると、そこそこ好印象を抱いていた人物に対しても熱がヒューっと下がるようにウンザリしてしまうので、
そっと距離感をとるように心がけて生きてきた。
何故なら、このセリフを吐く奴のスタンドは近距離パワー型だから。
だが20過ぎてこれを主張するのは、近距離パワー型のポジションを自称して置くことで実は過剰なスタンドとしての性を意識している他ならず、
その過剰な自意識が見ていて痛々しい。何故そこまで、自分の本質を客観視できないんだ…。
で、かなりの高確率でオラオラしてるやつは他人なり身内なりとすぐモメる。
で、「こんなおれにも はき気のする「悪」はわかる!!「悪」とは てめー自身のためだけに弱者を利用しふみつけるやつのことだ!!」とかいう。
吐き気のするって言ってるオメーが一番吐き気のする要因なんだよ、とは誰も言わない。みんな大人だから。
そうやって、自称スタンド使いは自分がさらにスタンド使いだと盲信を深めていく。
だが、とある日ふっと
親の仇のごとく自称スタンド使いを蔑んでしまうのは、自分にも近い部分があるからではないのか。
自称スタンド使いによく分からない因縁つけられ絡まれたりした経験もあるからだと漠然と思っていたが、
もしかしたら自分の中に『自称スタンド使い』と同じ魂というか、近い性質を抱いているので、
ここまで無邪気という名のアケスケの下に、スタンド使いを名乗れる彼等がどこかで羨ましいのではないか。
彼等はある意味本物の〝天然〟だ。
全くオラオラなどしていない、むしろ花京院っこい性質全開なのに、自分を合理的と称し得体が知れない「男脳」と名乗れるほど。そんな自分をつゆほども疑ってはいない。
魂は限りなく自由だ。
そんな姿を見ていると、自分がもしかしたら…万が一その橋を渡って彼岸に行ってしまうのではないか…または既にそう他人から思われているのではないか…と恐れ、
身震いし、彼等を憎んで蔑んでしまうのではないだろうか。
一大決心をして、その手の人を憎むのをやめてみた。
たまたま仕事で知り合った自称スタンド使いの海洋学者(同い年)と積極的に距離を詰めてみた。
飲みにも行ってみた。
「酒飲めない女の子には、きつすぎるぜ」
みたいな痛々しい発言にも、穏やかに微笑んだ。
一緒にディオに挑んでボコボコに殴られた彼をとりあえず何とか救急車に押し込んだが、その後どうやら救急車内でディオの血をジョセフに輸血したらしい。
彼はスピードワゴン財団で身柄を確保され、超特急でホリィの元へ帰ることになる。
「てめーは俺を怒らせた」
でもLINEブロックしていただいて、むしろものすごくホッとしてる自分がいる。
人を愛しぬいて得た結論だ。
清々しい朝だ。
失敗した記憶や恥をかいた記憶がふと頭をよぎったとき、「死にてー」と呟くのが癖になっていることに気づき、これはいけないと思ったのは確か去年の秋ごろ。
それから半年。「死にたい」などということを安易に口に出すことがなくなった代わりに、今度は何か嫌なことを思い出すと「うんこ」と呟くのが癖になってしまった。
うんこ。
あー、うんこ。
まじうんこ。
これはこれで問題だ。今日は公衆浴場の脱衣所で無意識に口に出してしまっていた。別の言葉に置き換えるか、あるいはもっと根本的な何かを改めないと。
まじで儒教徒うざいよな。
本当に日本人やめたくなる。
日本人として誇りを持ち、楽しく生きたいが、日本国に忠誠を持つのは嫌で仕方ない。
日本人にはそれがなかなかない。日本人は日本に住み儒教を信仰しなければならない。信仰の自由なんかない。
先輩(笑)に対して儒教的な態度で接しなければ社会から不当に孤立させられる。
頭のおかしい人間がトップでも先輩(笑)には従わなければならない。
共感や反応が欲しい時、ツイッターとかインスタとかユーチューブとかはてな匿名ダイアリーとかに自分の気持ちを書くことがあると思うんだけど、でもなかなかそんなにはレスポンス無いよね。でも一つだけダイレクトに反応が楽しめるアプリがあるんだ。それはバブルという愚痴を投稿出来るアプリ。グチった側から共感の反応がピロリン♪と返ってくる。この匿名ダイアリーは反応ゼロだろうからバブルで憂さ晴らしする。さいなら。
研究と教育を切り離せという意見がありますが、研究していないと教育できない(特に上位の大学では)ので、研究と教育を切り離すのは難しいです。
ただ、事務職員でもできるような仕事を教員がやっているというのは確かにそうで、一員としても謎なままやらされています。試験監督はその最たるもの。
文章を作成したり校正したりという作業は、事務職員の基礎学力があって、文章の推敲ができるレベルならよいのですがそうでない大学では事務職員ができないから教員がやらないといけないのかもと思ったりもします(短大で教えたことがある方はわかると思いますが、短大には日本語がままならない方もおり、でもそういう方が「エクセルができます」とか言って大学の職員に採用されたりする。)文科省に出す書類は分厚く大量なので、文章の読み書きになれた文系の教員でないと作成したり誤字脱字を修正したりというのが難しいようです。教員が見て初めて修正された部分がいくつもありました。
事務と教員のパワーバランスの問題もあります。私がいたところでは、事務の職員が「忙しくてできない(実際は能力が低くてさばききれない)」と投げ出した仕事を教員がやらざるを得ない状態でした。やらないと管理職に「あの教員が働かないから辞めさせろ」と言いに行くのです。
比較的偏差値の高い大学で、大学の事務職員が卒業生だと基礎学力もモラルも愛校心もあり、それほど大きな問題は起きないのですが、いろいろな大学があり事務職員も多様なので、事務の能力や意欲の問題からできない(やらない)で教員にやらせている仕事が結構あるように思います。
プログラムとかで短期に教員、事務職員を雇用してという形で予算が出るので、教員は予算をとるための書類書きや事務仕事に追われます。事務職員もいろいろな人が雇われるので質もばらつきが出ます。文科省の予算のつけ方を変えるのが一つの解決策なのでは。
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コメントが付いたので追記です。
一時私立大で非常勤をし、ある国立大学で学位を取り、ある国立大学のプログラムで働いていた者の意見です。
「東大は~」という意見がありますが、東大とは前提として違うところがいろいろあり、こちらも東大の状況をよく知らないので何とも言えないところがあります。ただ、東大の~研究所でも学部生の授業を持っていたり、院生の指導をしていたり学振PDを受け入れたりというのを結構聞きます。独立行政法人の研究所でバイトしていた時もありましたが、そこは研究だけしていたら良いようでいて、意外と他の大学の非常勤に行っている人が多かった。教えることを通して学ぶこともあるので、研究だけ、教育だけと分けなければいけない、というものでもないのではと思います。教育と研究を両方やるのは別に普通だけれど、教員が事務仕事や生活指導のような雑務を異様に多くやるのが問題なのではと私は思います。
事務は事務が専門で、教員は教育と研究が専門なのだから、教員が事務仕事をやるのはおかしいというのは確かに最もで、本来はそうあるべき(かつてはそうだった)のかもしれません。ただ、現実として、試験監督や文科省に提出するプログラム運営に必要な分厚い書類を若手が作らされるというのはあり、それを拒否することはできません。他大ではもしかするとそのあたりの事務仕事も事務の方がやっているのかもしれませんが、私がいたプログラムでは事務仕事は大量にあり、だれも逃れられない状態にありました。事務の専門を尊重してというのはやってきましたが、その事務の専門性も危うく(日本語が危ういとか仕事に対する意識の低い職員が少なからずいる)教員が教員の専門を尊重されることはほとんどなかった。若手の教員は次々に変わっていき、「代わりはいくらでもいるんだ」という態度を管理職からも事務からもとられていて、すべてを受け入れないといられない状態でした。若手研究者が過多で足元を見られて酷使されるというのはポスドク問題とも関係してくる問題なので、文科省が競争させてプログラムにお金をつけるという方針であることだけに起因するものではなく、複合的に生じた問題のように思います。
弓矢を手に入れては射ることをやめた。
http://anond.hatelabo.jp/20170323100500
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やってみたらいいと思う。
経験職種がNGという意思が変わらないのなら、なんの仕事についても短期職歴が増えるリスクは同じだよ。
IT業界の広告系で、通訳さん頼んで海外の人と話したこともあるけど、ITが詳しい通訳って少ないという印象がある。
コンピューター用語だけど普通の単語でもあるやつを日本語にしてしまって、結果カオスな訳になってるってこととかよくある。
TOEICの点数より、訳する業界の知識がどれくらいあるかじゃないかな。
先方が乗り気なら、働きながら学んだらいいじゃない。
化学のエンジニアをやって来たが、中年になり短期記憶力の低下で、いつか重大なミス(取り返しの付かない状況下でのサンプルの取り違いや高額の計測機器を壊すなど)をするのではないかと不安で仕方なく、それが起こる前に回避しないとヤバいと思い詰め、逃げるように離職した。よくある話だが、その後の職が全く見つからない。40代で経験職種がNGだったら当たり前だ。昔だったら大歓迎された下位職や小規模企業も、40代未経験を雇ってくれる奇特な会社はない。
短期記憶力が駄目なので、営業などの客商売も出来ないだろう。記憶は一定して駄目というわけではなく、まれに、あるとき簡単なことがスポっと抜ける。何故か複雑なことはできるのに、非常に簡単なことがスコンと抜ける。正直記憶力はかなりよい方だったので、記憶力をカバーする技術や習慣が身についておらず、また起こる頻度が稀なので備えるにも備えようがなく、自分が別物になってしまったようで、おそろしくて仕方がない。CTやMRIでは異常無らしい。
まともな職は諦め、もう派遣するしかないと思って紹介を受けた。英語が多少話せるのと、大学・院時代の研究がコンピュータシミュレーション系だったので、ネットワーク系の英語サポートアシスタントの仕事が当たり、先方は乗り気らしい。英文科卒の通訳畑の人よりも、別分野でも中高年でも理系センスがある方がよいという理由らしい。しかし本格的な翻通訳の経験はなく、ずっとそれをやってきた人とは比べ物にならないだろうし、正直英語も大したことなく、非ネイティブとして手加減してもらえば会話できるレベル。失業してはじめてTOEIC受けたら800台だった。こんなんでやっていいのだろうか。結局すぐチェンジになり、短期職歴を重ねるだけになってしまうのではないだろうか。
IT系ならとっさのミスで大金が吹っ飛び、借金を負うみたいなことはないんじゃないか、それにアシスタントなんだし、と思って返事をしたが、非常に不安になってきている。IT系に詳しいはてなーのみなさんにお聞きしたい。これ聞いて、止めとけと思う?もう直接、清掃や介護に行った方がよいのだろうか。
産んだら可愛くなるんだよ~☆っていう奴はクズ
子育てに向いてない奴もいるんだ
産んで可愛くなるやつもいるだろうが、虐待するようなのは得てして
実は増田を使うのは初めてであったため(増田の意もさっきググって知った)、このような反応を貰える場所ではなく、投げっぱの便所の落書きLikeと誤解していた。
しかし実際は僕がここ数日間血眼で見続けていた「デート ドタキャン インフルエンザor機会があれば」を見ているより余程心の助けになるのーべるな内容であったことには違いない為、そして安易な承認欲を満たす為、ここに感謝の意を表します。
前日思いの丈を綴り、女系家族のカースト最下位たる僕は風呂が愚妹に占拠されていることを確認した後、羽毛布団に頭のみを突っ込み永久に自己を下げる発言と承認欲を捨てよと続けジタバタしていた。
聞く曲はやさしくなりたい、Shadow behind,虹色バスである。Hikkiは復活後のも良いじゃんと友人と話していたことは忘れた。東京に行ったことはないがやはり東京NIGHTSが好きなのである。ADHDはすぐに話が脱線するのである。
見ざる聞かざる言わざるを念頭に復学後のラボ生活を送ってきた私は他者との関わりを最小限に留めるべく、周りの一つ下となった同期には目もくれずやっていたつもりであったが、だめであった。
彼らはとても良い子達であった。中でも妙に僕を気にかけてくれる彼女は気づいたらまあ勉学の妨げにはなっていた。
バタバタしている途中でそれを思い出し、残り湯の中でこの相手に対して依存的な思考は俺の考えるべき所ではなかったと思い直したのだった。
風邪、本当にごめんね、機会があれば誘ってやってくれ、そして文章の後ろに必ず付く三点リーダーの全てが僕を追い込んでいる。
今まで映画しか誘ってなかったくせに、あわよくば唾棄すべき鴨川等間隔男女女男に参列するつもりだなコイツとニュータイプばりに感じ取られたのか。
しかしまあ、時間的拘束が強まる前に決めてしまおうと言う邪な考えが不味かったんだろうと今では思えている。
当たり前なのだが、インフル発症でわざわざ出る阿呆なぞいない。移してはいけないと言う優しさをも汲み取れる。そういう当たり前の思考すら奪うのであるから末恐ろしい。
NGワードが出た次に行けとはやはり皆さん仰るが、僕だってNGワードな事くらいは分かっておりますとも。
しかしもう一度誘っても構わんだろう、病気だったのだから来れなかったのだ。
わしが若い頃はドライブデートで決めたなどと言うジジイ達の妄言を無視するが如くスルーさせて頂く。そもそも僕は二輪乗りである。
休学中に世話になっていた厨房の裏で君はまだ本当に愛せる子と出会っていないのだなあとバツイチの昔はイケメンだったろうおっちゃんが僕のタバコを吸いながらしみじみと言っていたのも思い出すわけである。
週が明けたら調子はどうですかくらい送ろうと思う、やっぱ歩き回るコースはしんどいから辞めた僕は谷六にあるバーに行きたいのだと言うのである。決めにかかるのも延長だ。また手が繋げればそれで良い。
春からの生活はとっても不安定で、どうしようもなく不安なのだが、恐らく元気になりました!と一言来れば全て忘れるに違いない。
わからないことがあった時、Googleがあるし、調べたらもしかしたらわかるかもしれないけど、調べるのに多分数時間はかかると思われる時ってあるじゃん。
私はそういう時、聞いた方が早いなら聞いた方がいいなと思うタイプ。
的外れな調べ方で数時間を浪費する時間にも、会社は私に給料を払っている。
でも世の中には、聞く前に調べろ(というか最終的にインターネットの海に答えがあるならわかるまで調べろ)派もいる。
そういう考え方にはその人なりの理由があるのだろうし、ポリシーを否定したいわけじゃない。
ただそういう人達にとって、きっと私は怠け者に見えるのだろうし、怠け者に対していい感情は抱かないと思う。
先輩や同僚に負の感情をもたれて、良い事はまぁ無い。
そういう考え方の異なる人達と、上手い事お互いにポリシーを捻じ曲げずに上手い事やる方法ってなんかないのかな。
現状でいうと私は組織の中で下っ端なので、聞いた方が早いじゃんと思いながらめっちゃ調べて、あーすっげ時間無駄にした気がするなーと思いながら、フラストレーションを溜めている。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170323-00000005-jct-soci
この記事を読んで、(全くの他人事だけども)久しぶりに真剣に腹が立った。
「ポジティブに読むのであれば、子供が泣くのは仕方がないけれど、それを親がフォローしないのは如何なものか、公共の場は皆が気持ちよく過ごせるように全員で協力しましょうね」ていう趣旨なんだろうけど、それでも「うるせー」としか思わないし、本当に腹立たしい。
100歩譲って、公共の場だから少数の人間の特殊事情が大多数の人間の迷惑になる場合は、少数の問題を抱えている方が我慢するというルールを受け入れるとしよう。
それで、そのジャッジをするのは誰なの?
「声の大きな人」「会話をしてる人たち」「酒臭い人」「化粧臭い人」「顔が好みじゃない人」「太っている人」「汗をかいている人」「体臭のある人」「口臭のある人」「見た感じ何か嫌な人」「泣いてる赤ちゃん」みんなデッキから追い出すの?板東英二さんはどれにも該当しないの?最終的に新幹線の席に座ってられる人っているの?新幹線のトイレ足りる?
要約すれば、ただの「いじめ」じゃないの?
あと、親なんだから子供が泣いていたらあやせばいいんだ、というのが本題なんだろうけども。
それこそ本当に腹立たしい話しだと思う。
あやすってなんだよ。
赤ん坊が腹を空かせればご飯をあげる、オムツが汚れたら交換する、怖がっていたら気を紛らわせる。
やってるに決まってるじゃん、赤ん坊が泣いてる親は全員なんもしてないと思ってるの?それ本気かよ???
そんなに育児放棄している親がゴロゴロいたら、もう子供なんて全員死んでるし、児童相談所も孤児院も満杯でパンパンだろうよ。
そうじゃなくて赤ちゃんは泣くんだし、板東英二さんだって僕だって誰だって、みんな赤ちゃんのときは泣いて何かを知らせて、泣くしか出来ないってことでしょ??
こんな発言をを公共の放送でシラフで出来る、その発言を聞いた人が誰も全力で反論しない、1つの意見として成り立ってしまう社会こそがどうかしていると思う。
子供が泣いて親がオロオロする必要なんて全くない、そのまま当たり前に座っていて欲しい、周りの人が協力しろとかでもなく、腹がたっても少しだけ寛容で許しあればいいのに、心からそう思う
いまだに腹が立ったまま書いてるから支離滅裂かもしれないけど、書かずにはいられなかった。
ていうか僕は何にそれほど怒っているのだろうか……。
大学生や大学の先生は、こんな風にカンマとピリオドの書き方にするのが普通な気が。。
具体的に言うと、
・日本語での説明があんまりうまくできない。今日も後輩にJVMってなんですか、Staticってなんですかって聞かれたけど、なんかうまく説明できなかった。
あーなってこうなってっ説明しても、相手は「???」みたいな顔をしている…。
・深く考えられない。相手から意見言われと、思考が停止して「それが正しいまさに正解だ」という気持ちになってしまう。
たぶん他人から「1+1は3だよ」って言われたら、「えっ!?そうなの?そうなのか…」みたいな気持ちになって、最終的に納得してしまう。そんなレベル。
・不適切な場面で万能感が湧き上がることがある。「なんかできる気がする!!!」スイッチが突然入る。
ただ、それは大体「気がする」止まりで、最終的に痛い目をみることが多い。
今日もJVMの説明するとき、説明の筋道考えてる最中に突然「なんかできる気がする!!!」スイッチがONになってしまい、
その勢いのまま説明を始めてしまった。結局、私の口からはぐしゃぐしゃした言葉しか出てこなかった。
・単体テスト仕様書を作ると、割りとテストケースが足りてない。しかもそれは難しい観点のケースじゃないんだ。
自分の中で、もはや当たり前になってた観点なのに、ときどきボロンと抜け落ちる。
・誤字脱字などのケアレスミスも多い。印字切れとかもよくやる。
・主体性がない。責任感がない。当事者意識がない。進んであれやりますこれやりますって、言ったことないなあ。
…もし上記を読んで「あーああいうタイプの人間ね」みたいに想像ついた方いらっしゃったら、
恐れ入りますが現状を改善するためのアドバイスをいただきたいです…。
上司に「そのままのキャラでいいよ」といじられるけど、本音は"もう諦めてる"なのかなあ。
ちゃんとした人間になりたいよ。