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はてなキーワード: 鋳造とは

2019-07-20

anond:20190720070935

いろんなことに疲れきって、石投げられるのが当然に生きてきたのだから、多少は勘弁してやれ。

金は鋳造された自由で、それを奪われきって、嫌なことにも屈しないとならない人生を歩んできたのだから

2019-07-03

anond:20190703111248

THE ビッグオーというアニメに登場する巨大ロボ、ザ・ビッグシリーズ

起動時に『CAST IN THE NAME OF GOD, YE NOT GUILTY.(我、神の名においてこれを鋳造する。汝ら罪なし)』という文章流れる

これは12世紀ドイツ処刑人が用いる処刑用の剣に刻まれていたものと同じである

というカッチョイイ設定はフィクションであった



これは「そうなんだ。」ってなる知識だったな

2019-02-23

anond:20190222171332

元は剃刀(ソリッド)のことなんですよ。

重鋼でない鋳造刃物で刃を入れなくても切れるので肉や髪を切るのに便利だったので

髪を剃る際に使っていたから、かみそり と読むようになったのです。

2018-12-01

[]くるみ割り人形秘密王国(つづき)

anond:20181201181251

の続き。

変態による変態のための変態映画(後編)

てなわけでー。テーマ性とか物語性とか、そういういつも以上に堅い話はノルマクリアしたので、こっからは書きたいこと書きますよー。

ぶっちゃけて言えば、前述した脚本とかね、監督脚本家に丸投げしてたんじゃねーかと思います。正直言って観客である自分はある種のアリバイ作りを感じました。「批評家に突っ込まれるような部分はちゃんと作っておきましたよ、これで文句ないでしょ」みたいな。

自分も前編で喪失回復とか継承とかそれっぽい感想書いたんでノルマクリアー。そういう意味共感しますよっと。

じゃあだとして、この作品監督は何をしたかったのよ? なにがドライブエンジンなのよ? といえば、それは変態フェチ)っすわ。

もう圧倒的な、服飾と、小道具と、美術に対するフェチ

際限のないクオリティ要求と、完全性に対する病的なこだわり。

フェティッシュ意味で、変態による変態映画

本年いろんな映画がありました。素晴らしい傑作映画、佳作映画、名作、快作、問題作。そしてうんこ漏らすほどの駄作。でも年末になってこれほど「やばい映画が来るとは思わなかった。

薄々そういう部分あるかな? と思っていったわけですが、度肝抜かれますよまじで。そういう趣味のない人には全く刺さらないと思うけど。興味ある人にとっては、鼻血ブーです。

そもそも舞台背景(現実世界側)はヴィクトリア朝ロンドンなわけです。おそらく爵位持ちのストームボール家がタウンハウスでのクリスマスの飾り付け準備ーからのー、名付け親ドロッセルマイヤー(眼帯をした黒人イケメンすぎるおじさま)邸宅に移動。

バラからブルーグレイに沈みゆちょっと煙っぽいロンドンの夕暮れを移動する馬車。街を行き交うあらゆる階層の人々! 

ドロッセルマイヤー家では係累おおよそ数百人を招いたクリスマスの催しが今まさに開かれようとしていますヴィクトリア朝舞踏会です!

スターウォーズクローン兵を見てがっかりした人いませんか? 自分がっかりしました。そりゃね、数万人が現れての合戦シーンは迫力あるって言われればそうかもしれないですけれど、でもCGでそれやるって、コピペじゃないですか。ウルトロンときもそうですけれど、大軍勢、大群衆は3Dモデル使い回して同じ姿の軍勢がうわーって押し寄せるわけでしょ。すごいけど、要するにそれってのっぺりした画面でもある。

でもこの舞踏会コピペがないんですよ。全員色とりどりの、贅を凝らしたドレスやらタキシードやらなわけです。どんだけスタイリスト動員して、服飾に予算投入してんだよ、鼻血出すぞこら。

主人公クララがね、おしゃれが苦手だっていうこの娘が、おねいちゃん(素が出てきた)に髪の毛とかしてもらって、すみれ色のオーガンジードレスで現れるわけですよ。オーガンジー。髪飾りは多分朱子織り。

分かる人には「オーガンジーの透け感のあるシュークリーム袖」という説明だけで、その可憐さが伝わることでしょう。

クリスマスパーティープレゼント交換会で館の奥深くに迷い込んでいくクララがたどるその通路ろうそくキャンドルゆらゆらと照らされる邸宅の暗がりの美しさ、赤い壁紙には黒いフクロウテキスタイルがやがて黒いネズミのそれに変わっていく。

現実世界物語内人であるフクロウドロッセルマイヤーおじさまのペットから幻想世界物語内人であるネズミねずみマウスリンクス)へと引き継がれていくその暗示を、美術レベルでやってのけるその凄まじさ。

暗い木の洞を抜けて館の暗がりから抜け出たその先は、幻想世界の「クリスマスの森」。雪で白くデコレートされた、しかし緑が目に染みる清冽な森のなかを、泥棒ネズミを追いかけるクララすみれ色のドレスネズミダイブしてぱっと舞い散るザラメのような雪の結晶幻想的な美しさ。

そこで出会う「くるみ割り人形衛兵」の大尉

めっちゃイケメン黒人青年。赤い軍服に金のモール飾り。腰にはサーベル騎兵兜。すべてが完全にフェティッシュ。完敗。映画鑑賞中の感情をあえて言語化すると「ぎょぇわぁ!?」って感じです。

この映画の服飾はジェニー・ビーバンっていうおばちゃんがやってるのだけど、明らかに変態。っていうかおばちゃんマッドマックス 怒りのデス・ロード』でモヒカン衣装を量産してたじゃん? そんな二面性を持っていたのか。流石に度肝を抜かれたわ。おばちゃん最高や。

もしくは美術ガイ・ヘンドリックスディアス犯人なのか? 『アレクサンドリア』もかなりキてたもんな。

幻想世界にいっちゃってからは、その病的な美術追求がとどまるところをしらない。捻くれて枯れ果てた真っ暗な「遊びの国」の森には、鮮血のように赤い毒キノコが咲き乱れているとか、廃墟化した遊園地回転木馬グランギニョール道化ハーレクインの禍々しい美しさ。

巨大な城! 瀑布に差し出される水車と歯車! 真鍮の道管の迷路地下通路に、濡れてベッタリとした湿気。輝かしい水晶天井に照らされる螺旋階段

回想シーンで母に慰められる少女クララが着ている生成りエプロンドレスの白い生地には、藍色スズラン刺繍が散らされていて、これってもう完全にカネコイサオが『ワンダフルワールド』で夢見た世界なわけですよ。っていうか、全体的にカネコイサオでしょ。

10年代最後半にはいっていまさらそんな角度から奇襲受けるとは思わないじゃないですか? いくらヴィクトリア朝だとはいって、『ワンダフルワールド』のフェチズムが立ち現れるとは、キン肉マンフェニックスのあふれる知性でも予測出来ないわけですよ。

色彩設計がほんとうにほんとうに美しい。ローズガーデンのヴァイオレットベース茶色ラインとか、オリーブグリーンに熟れたオレンジ差し色とか。ため息が出るとかじゃなくて、鼻血が出るタイプの美しさ。

少女趣味オーバードーズフェチになってしまった病的な完全主義美術背景の惑乱

もうね、福井晴敏宇宙世紀が殺されるとか言ってる場合じゃないです。ディズニーカネコイサオが殺される。なお、もらい弾で少女革命幾原邦彦死ぬ

なぜなら遊びの国へ金の鍵を取り戻すため軍を率いて旅立つ王女クララがまとうのは、黒の軍服(金モール)に赤のロングスカートから。このロングスカート、品が悪くなりそうなところなのに布の質感と裾の縫い取り刺繍だけで男装めいた凛々しさをだしてるのだ。やばい。やばみ。

そのロングスカートから革のブーツでキックするクララ(なお、このキックが主兵装)。

この映画興行的には失敗だと本国では判断されているのですが、当たり前ですよ。だって制作費100億超えですもん。『ボヘミアン・ラプソディ』の二倍以上でしょう。見た感じ、そのほとんどを美術と背景に突っ込んでいるようにみえる。出演者の演技も悪くないけれど、目立った名前キーラ・ナイトレイくらいで他はあまり大きなギャラは発生していないのじゃないかな。

(このキーラ・ナイトレイ演じるシュガープラム金平糖の精)は、かなり演技が良かった。ちょっと頭の弱いアーパーふわふわした妖精キャラキーラ・ナイトレイがやっているのだけど、キーラ・ナイトレイだと気づかなかったですよ。この味は往年に美人だった頃のシンディ・ローパーが醸し出していたあれじゃなかろうか?)

とにかく、画面のどこを見ても、美術的な意味で隙がない。コピペで穴を埋めておけとか、それっぽい小道具をおいてごまかしておけとか、撮影時に陰影をつかってしょぼいのを隠せとか、そういう気配がひとつもない。

監督もしくは美術の美意識が、一部の隙もなく、「この世界観でこのカメラアングルで、この角度を撮ったときには、ここにはこれがないとだめでしょうお前らなんでそれわからねえの!?」と言わんばかりの画面が、延々と、延々と続く。

それはたとえばパーティーシーンでテーブルの上のグラスがこちらのゴブレットは真鍮に銀メッキだけど、あちらのゴブレットは磨いた銅に幻獣鋳造とか、そういうレベル気合が入ってるにも関わらずそのゴブレットは2つ合わせても画面の面積の1%以下で5秒も写ってないとか、病気しか言いようがない。

変態が怖い意味やばい映画なのだった。冒頭に言った+50点はまさにこの変態性に対する評価なのです。もうちょっと金が出したいのもこの部分であり、実を言えばこの鼻血は、パンフを購入してもDVDを購入しても払拭できる気がしません(画面小さくなると美術の細部がわかりづらくなるので)。究極的にはエルミタージュ美術館にでもいかないと、この興奮(というか発作)は解消されないとおもいます

そんなあたりが『くるみ割り人形秘密王国』の感想でした。この映画感想後編がわかった方には強烈におすすめです。それ以外の人にはそこそこ映画だったと思います

追記

この映画のもうひとつの特徴である「量産化ピエール瀧軍団vsドルイド文明の巨大人兵器」という側面には触れませんでした。この部分に対する評価は他の方に譲ります

2018-05-30

高級乗用車のサスをアルミ鋳造で作ったら割れたんですって

何言ってんだよ……チャイカかよ……

2018-03-28

anond:20180328101954

1ヶ月タダ働きというのが下記に相当するものなのかが不明です。

締切日と支払日が1ヶ月以上離れていても、直ちに労働基準法(以下、労基法違反とはなりません。ただし、支払間隔が不当に長い期間となる場合は、労基法趣旨に反する。労働基準法24条)が定める賃金の支払いに関する5つの原則です。通貨払い、直接払い、全額払い、毎月1回以上払い、一定期日払いの5原則です。毎月1回以上払い、一定期日払いの原則を一つにまとめて、賃金支払いの4原則という場合もあります。具体的には

1.通貨払いの原則

賃金通貨で支払わなければならないという原則です。「通貨」とは、国内強制的通用する貨幣銀行券鋳造貨幣)のことです。外国通貨小切手は、換金の不便さや価値の変動リスクから通貨」とは認められません。また現物給与は換金が不便な上、換金により価値が減少するおそれがあるため支払い手段としては、原則利用できません。ただし、賃金労働者同意を得た上で、労働者指定する金融機関へ振り込む場合労働組合労働協約を締結して現物給与支給する場合などでは、通貨払いの原則例外が認められています

2.直接払いの原則

賃金を直接労働者本人に支払わなければならないという原則です。労働者親権者などの法定代理人労働者委任を受けた任意代理人への支払いは、いずれも違反です。ただし配偶者秘書など単なる「使者」に支払うことは差し支えありません。

3.全額払いの原則

賃金は、その全額を支払わなければならないという原則です。賃金の一部をかってに差し引いたり(控除という)、積立金、貯蓄金等の名目賃金の一部の支払いを留保したり、貸付金との相殺を行うことは許されません。ただし社会保険料や源泉所得税など、法令に基づく控除は認められています。また事業場労働者過半数組織する労働組合等と労使協定を締結した場合は、賃金の一部控除が可能となります

4.毎月1回以上払いの原則

賃金は、少なくとも毎月1回以上支払わなければならないという原則です。臨時に支払われる賃金賞与等については、この原則適用されません。

5.一定期日払いの原則

賃金は毎月一定の期日を定めて、定期的に支払わなければならないという原則です。賃金の支払日が毎月変動すると、労働者生活不安定になることから定められた原則です。例えば、支払期日を「毎月第3月曜日」とするという定め方は、月により支払日がずれるので適切ではありません。

2018-01-04

鋳造と鍛造の違い

言われればわかるんだが、金属加工について普段から気にしてる訳じゃないか

違いがあることを忘れてしま

2017-11-07

Factorio

SteamでアーリーアクセスゲームFactorioやばい

軽い気持ちで買ってみたらリアル生活堕落してやばい

宇宙で見知らぬ土地に墜落してしまい、その星から脱出するためのロケットを作り発射して星を出るまで頑張るやつ。

墜落した星には資源豊富にあるものの、手作業で木を切ったり石や鉄を採掘しなければならなく、ロケットを作るまで長い年月を費やさなければならないことになる。

そこで、採掘製造工程を全てオートメーション化することによって自動資源採掘部品製造を行うことになる。

鉄板、銅板への加工、ネジや銅線の製作採掘機械鋳造機械製造など様々な部品機械効率よく大量に生産し進めていく。

遠方から資源調達するにも輸送時間がかかってしまうため今度は輸送時間の短縮で車や機関車も作って資源輸送を行うこともできる。

電気必要になれば、ポンプ作成し、水源から水を汲み上げ、石炭を燃やして蒸気で電力を作ったりとやることたくさん。

正式リリースも楽しみな作品やばい

2017-06-11

白紙に戻せぬ遣唐使教科書の読み比べ)

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない」

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの筆者です。

id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。

  

なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。

山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。

618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジア大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。

東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本から遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度国際的文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。

朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。

これはひどい遣唐使派遣再開が何年だったかという記述がありません。

そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。

一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。

  

ちなみに、他の教科書では、遣唐使派遣再開についての説明が次のようになっています

7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」

東京書籍日本史B』(日B 004)

「また政府は、8世紀のはじめに遣唐使派遣して、669年以後とだえていた唐との国交を回復した。」

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

「日本は唐の文化積極的にとり入れようと意欲をもやし、ほぼ20年に1度くらいの割合で遣唐使派遣した。」

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)

白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島から渡来人新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」

桐原書店新日本史B』(日B 011)

律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物制度摂取につとめた。[中略]

こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

引用者注教科書のページを戻って「白村江の戦い国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]

この中では、桐原書店ダントツに優れていると思います

遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます

  

三省堂記述おもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています

大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代様相として語っているのがすごい。

  

東京書籍実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。

  

山川出版社高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代出来事と把握すると誤りになります)

  

  

  

東大入試でよくわかる遣唐使

東大入試2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています

次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。

(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。

(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。

(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまり大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。

  

設問:この時代の日本にとって、唐との関係新羅との関係もつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。

これの答えがピンポイントで載っている教科書があります

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですからいくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂のぞく。後述)

8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]

一方、日本の律令国家内では天皇皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。

白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人仲介したものが多いと考えられる。[後略]

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B018)

以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。

  

(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。

(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。

(3)は、日本と新羅関係悪化について述べています新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。

(4)は、日本と新羅政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。

  

教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試対応するためだけではありません。

例えば『詳説日本史』には、最初引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。

  

ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまます

もしくは、これは2003年入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史シリーズ2000年2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズから引用しておきましょう。

国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正天皇諸蕃』)

  

坂上康俊『日本の歴史05巻 律令国家の転換と「日本」』

さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。

実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである

[中略]

このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しか東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。

  

網野善彦日本の歴史00巻 日本とは何か』

日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。

いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。

こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。

  

私がこのエントリ題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者国内国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います

それに、このことは現代外交問題についても、重要示唆を与えてくれます。例えば政府国内に向けて愛国心ナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調アピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。

あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。

  

  

  

教科書の読み比べ

遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

遣唐使船はふつう「よつのふね」とよばれ、1隻に100人まりが乗りくみ、多い時で約500人の大使節団であった。

悪くはないですが、遣唐使について普通説明があるだけです。

おもしろい特色がありません。

無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。

華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚イベントになったと推測できますもっとも、沈没行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

  

……って、今回はここで文字数制限なのか。

引用をしていると、あっというまに文字数が膨らみますね!

つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459

2015-11-14

アニメシンデレラガールズ」はEDH《大祖始》だったのかもしれない

アニメアイドルマスター シンデレラガールズ」が最終回を迎えてから、約半月が経過した。

作品のもの感想視聴者それぞれに思うところがあり、また既に多数の感想記事が上げられていることから割愛するとして。

《溶鉄の尖峰、ヴァラクート》アニメとしての『ビビッドレッド・オペレーション』(http://wasasula.hatenablog.com/entry/2014/06/29/012233)という記事があった。こちらをリスペクトし、今回はシンデレラガールズとはどういうデッキなのか、について迫りたいと思う。

シンデレラガールズ原作にあたるゲームは、いわゆる普通フォーマットゲームではない。現在スターライトステージ稼働中はいえ、アニメ制作段階では、アニメ原作と呼べるものソーシャルゲームのみであった。

ゲーム内の登場人物100人を軽く超えている。とてもじゃないが、通常の60枚構築ではゲームの、その中のキャラクターの魅力を表現できない。その上、構築にあたってデッキビルダーは「特定カードデッキに入れること」を要求された。

そこで発想の転換が行われた。アニメシンデレラガールズ」はスタンダードデッキではなく、統率者戦、EDHのデッキとして構築する。

EDHとは、伝説クリーチャー1枚を統率者として指定し、統率者が持つ色の99枚ちょうどのハイランダーデッキを構築する多人数戦用のフォーマットである

大切になるのが統率者選びだが、入れたいカード、入れなくてはいけないカードが5色に散らばっていた時点で選択肢は狭まっていた。5色の伝説クリーチャー、《大祖始》。

Progenitus / 大祖始 (白)(白)(青)(青)(黒)(黒)(赤)(赤)(緑)(緑)

伝説クリーチャーハイドラ(Hydra) アバター(Avatar)

プロテクション(すべて)

大祖始がいずれかの領域からいずれかの墓地に置かれる場合、代わりに大祖始を公開しそれをオーナーライブラリーに加えた上で切り直す。

10/10

後は、強いカードを片っ端から入れていくだけだった。幸い、資金は潤沢にあり、必要カードは全て手に入った。

三色アドバンテージの塊、《残酷根本原理》。

《歓楽の神、ゼナゴス》と《化膿獣》による一撃必殺。

美しく高い性能を誇る、《悪斬の天使》。

軽量アーティファクトとそれを支える《求道者テゼレット》。

玄武岩モノリス》《ブライトハース指輪》による無限マナ、そして《ゴブリン大砲》。

赤と青、相反する二色により生み出される速攻持ちの無限トークン

強いカードだけで組まれ100枚。

アニメ第一話、デッキを用意してゲームを始める直前の統率者顔合わせ……その時提示した《大祖始》を見て、対戦相手……つまりは我々視聴者は、「とんでもないデッキがくる」と覚悟をした。

アニメシンデレラガールズ」とはつまり、以下の様なデッキだった。

統率者:大祖始

クリーチャー

タルモゴイフ

悪斬の天使

鏡割りのキキジ

帝国徴募

やっかい

士気溢れる微集兵

修復の天使

シルヴォクののけ者、メリー

台所の嫌がらせ

残忍なレッドキャップ

包囲サイ

無限に廻るものウラモグ

壊死のウーズ

石鍛冶の神秘

歓楽の神、ゼナゴス

荒廃鋼の巨像

化膿獣

ボガーダンのヘルカイト

シヴのヘルカイト

ボロスの反攻者

瞬唱の魔道士

山賊の頭、伍堂

最後トロールスラー

ラッカワーム

テラストド

ワームとぐろエンジン

聖別されたスフィンクス

飢餓の声、ヴォリンクレックス

プレインズウォーカー

精神を刻む者、ジェイス

求道者テゼレット

野生語りのガラク

遍歴の騎士、エルズペス

ヴェールリリア

呪文

Mana Crypt

太陽指輪

魔力の櫃

玄武岩モノリス

ブライトハース指輪

ダークスティールの鋳塊

殴打頭蓋

稲妻すね当て

梅澤の十手

寺院の鐘

危険な櫃

師範占い独楽

頭蓋骨絞め

demonic Tutor

吸血の教示者

忌むべき者のかがり火

苦悶触手

ぶどう

苦花

ティムールの隆盛

残酷根本原理

歯と爪

force of will

arcane denial

mana drain

サイクロンの裂け目

至高の評決

神の怒り

塵への帰結

汚損破

スフィンクスの啓示

出産の殻

意外な授かり物

青の太陽の頂点

時を越えた探索

精神力

全知

渦まく知識

生体融合外骨格

自然要求

剣を鍬に

四肢切断

流刑への道

実物提示教育

騙し討ち

欠片の双子

ファイレクシアの闘技場

土地

Tundra

Underground Sea

Badlands

Taiga

Savannah

Scrubland

Volcanic Island

Bayou

Plateau

Tropical Island

神聖なる泉

湿った墓

血の墓所

踏み鳴らされる地

寺院の庭

神無き祭殿

蒸気孔

草むした墓

聖なる鋳造

繁殖

2014-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20141123111703

2014年8月27日中国メディア・網易は「日本人はなぜマンホールのふたを盗まないのか」と題した記事掲載した。

26日、北京市通州区の路上にあるマンホールのふた40枚以上が盗難に遭ったという報道があった。そこでにわか世間の注目を集めて

いるのが日本の状況だ。日本ではマンホールのふたの大量盗難事件など発生しない。それはなぜか。

中国では、盗まれマンホールのふたは金属回収業者などに転売され、換金される。日本では「資源の有効な利用の促進に関する法律

や「廃棄物処理法」などの関連法規により、業者一般市民から再生資源の買い取りをすることはほとんどない。もし、マンホールのふたを

盗んだ者がこれを換金しようとするならば、違法金属回収業者を探すしかない。だが、こうしたヤミ回収業者は常に警察摘発対象

なっている。

日本マンホールのふたは各自治体の水道局の管轄下にある。ふたの表面には固有の管理番号や敷設年度などが記載されており、

市や区から委託された民間企業によって厳格に管理されている。また、安全性などを考慮し、ふたは強度のある鋳鉄製で、重さは40kg以上、

厚みは17cm以上ある。すべてのふたは日本下水道協会が実施する品質検査合格しており、毎年定期的に専門機関による点検を受けている。

中国マンホールのふたは、大きさにバラつきがあるため、その上を車両が通過すると大きな騒音を出す。鋳造ミリ単位の正確さが

求められる日本のふたは騒音とは無縁だ。さらに、日本マンホールの中に監視カメラを設置。豪雨によるふたの破損や歩行者が落下

した場合、迅速な対応ができるようになっている。

日本には地域名産や特色をモチーフにしたデザインマンホールもある。そのデザイン多種多様で、6000種を超えるとの報告も。

アニメ主人公かわいいキャラクターの描かれたマンホールもあり、マニアには垂涎(すいぜん)の的だが、これを盗むことは事実上

非常に困難なのだ。(翻訳編集/本郷

http://www.recordchina.co.jp/a93441.html

2014-11-14

物々交換儀礼お金基本的お話

人類学って言うのはどうしても「実例」の丹念な積み重ねになるので、その「解釈」つまり読み解き方には差が出る。

で、「物々交換なんか無かったんや」てなエントリー話題さらって、それに対する反論に引っかかるところがあったんでソレについて。

「暮れの元気のご挨拶」と「スーパーでの買い物」

人類学宿命とも言える所に、「やっぱ珍しいところから入るだろJK問題というのがある。

日本人って、デート神社縁日金魚すくい彼女浴衣を着てくるのが普通なんだろ?」とイギリス人から言われたらどう応える?

まあ、厳密に言えば間違いとはいえないがそれはほぼファンタジーだぞ、という説明は難しい。

例えば、物々交換はあったと言う例でスターを集めているコメントに以下のものがある。

いやいやいやいや。ヤップ島の例だけを根拠学説全否定するのはどう考えてもおかしいでしょ。トロブリアンド諸島のクラとか、ポトラッチ(蕩尽)とかどう説明するの。人類学の成果を無視しすぎ。

トロブリアンド諸島のクラ』とは、ザックリ言えばパプア・ニューギニアの島々で行われている儀礼的な交易を言う。

Kula ringなんかでググると出てくるから省略するが、これはgift economies、つまり贈与経済とされる。

というかだ、仮にも人類学という単語を発するからには、近代人類学の父と呼ばれるブロニスワフ・マリノフスキを避けては通れないし、

彼がその名声を確立したクラをめぐる『西太平洋の遠洋航海者』を読んではいなくても概要ぐらいは触れたことがあるだろう。

単なる装身具にすぎない腕輪や首飾りを交換するためだけに危険海洋交易を行う理由が、経済的な財物の交換ではなく、政治的権威とその維持を含めた儀礼的な制度であるという主張だ。

また、『ポトラッチ(蕩尽)』も同様だ。これも「贈り物」が語源とされる北米インディアン伝統的な贈与経済だと言われている。

ザックリ説明すれば、その構成グループの中でイベントがあると、一番持っているヤツが振る舞うという、風習だ。

簡単に例えよう。

日本には古来物々交換なんぞ無かったと言われて「おいおい、お中元お歳暮無視する気かよ」と返しているのと同じだ。

普段のお買い物の話に対して、儀礼的な相互贈与で反論するのは、控えめに言っても筋が悪い。

古代物々交換の話

というかだ、人類学チョコっとでもかじったことがある人間なら、クラ、ポトラッチとくればピンとくる。

フランス文化人類学であるマルセル・モースの代表作とも言える「贈与論」だ。

文化人類学では「お返しを期待する贈り物」を「互酬」と言い、リターンを期待しない「真の贈り物」とは区別して語られる。

で、この互酬のうち、遅延して交換するものは、基本的儀礼的だったり政治的だったりする。

そして、即時の交換(その場で交換する)ものを、Barterつまり物々交換と呼ぶ。

で、この物々交換お金起源として(比較的悪しざまに)主張したのが、アダム・スミス国富論(The Wealth of Nations)だ。

ただ、さっきまでの話で判る通り、文化人類学者は常々「いや、物々交換って基本的には部外者とのやりとりに使ってただけで、村人同士では儀礼的なものだよ」と言ってきた。

じゃあ、お金ってどこから来たの?

言葉が通じる同じ仲間同士で、物々交換が行われていたという強固な証拠は無い。というか見つけづらい。

が、沈黙交易(Silent Trade)と呼ばれる、言葉の通じない(場合によっては通じても姿を見せない)相手との物々交換が行われていた記録はある。

信用も無く関係性も希薄なので、その場で交換する必要があって、社会的義務政治的権威とは切り離される。

この場合、お互いに価値が有るものとして砂金や塩を用いることはあった。

古代エジプトにおいても、鋳造貨幣は対国家のような対外取引でしか用いられなかった事からも、貨幣は信用と切り離されて当初存在した。

それがそのうちに、「金銀を持ち歩くの危ないから、金庫に入れておいて引き出せる札だけやりとりしようぜ」となった。

これが紙幣発生の一形態だ。(他の発生形態もあるので、調べてみると面白いよ)

ここで、巡り巡って、原始的な村人の相互扶助形態に戻る。

まり、「この札を持っていけば金に交換される」という信用がトレードの基礎になっているのは、

「オレが今日は魚をやったけど、こんど家の建て直し手伝ってくれよな」という顔なじみの村民にある信用と、本質的には同じだ。

その村でその信用を裏切る行動を取れば、適切に制裁されるという「村秩序に対する信用」が、村人間の普段のお買い物の基礎になっている。

お金の話と、評価価値経済

譲渡することのできる信用がマネーだと言っているが、人類学はそれに反論はできない。

実例の積み重ねと、演繹から論述は、方向性が違うからだ。

文化人類学者が積み重ねてきたことは、単純な物々交換とクラ交易とは違うという反論だ。

あるグループ内で通用する単位が、他のグループにおいても通用するとされた時に、マネーが産まれると言われれば、

そういう定義もあるかも知れないな、と思うだけだ。

極端なことを言えば、「1シナモン」という単位を作って、はてな流通させても良いわけだ。

ある人が「これ釣りか解説欲しいんですけど」→「これは釣り記事です」と解説するのが10シナモン

ある人が「これほんとかなあ」→「これは科学的にこうオカシイ」と解説するのが5シナモンだとしても良い。

これが、スポンジボブとお姑サンの間で行われている間は、単なる貸し借りの単位しか無い。

「今回は私が解説したので、3シナモン相殺ですね」とかできるわけだ。

それが「5シナモンくれたら、Microsoft戦略について語るよ」とか

10シナモンで家を建てます」とか他人が入ってくると、

これはもう、評価価値経済になる。

そして、そうならないだろうと素朴に想像できることが、お金本質になる。

シナモンという評価価値無限に生まれるが、それを適切に流通させるには、信用が必要になる。

この「信用」とは何か、「1シナモン」で記事を依頼したり、記事を書いたりする為に何が必要か考えると、お金とは何かという答えになる。

ニクソン・ショック以降、(正確にはニクソンよりちょっと後だけど)通貨金本位制でなくなった時点からお金とは信用とそれを担保する何かによって支えられている。

まとめ

沈黙交易代表される「信用出来ない相手との物々交換」は行われていたし、証拠も記録もある。

ある集団内での資産(獣や魚や穀物)を再分配する機能が、巨大化するにつれて歪んだ記録もある。

しかし、クラ交易ポトラッチは、単純な物々交換と異なる「互酬」つまり、信用や政治的権威を背景にした贈与文化であるとされている。

それどころか、文化人類学者であったモースは、経済的な取引は社会的価値交換の一部に過ぎなかったとすら言っているのだ。

まり、大昔に物々交換は無かったのだ!と言われた時に、物々交換はあった!として例示する対象として、全く相応しくない。

---

なお蛇足ながら、集団内の物々交換煩雑から媒介物としてタバコが用いられた近代の記録なら、あるよ。

(The Economic Organisation of a P.O.W. Campでググると良いよ。超面白いよ)

2013-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20131226142800

ヤクザとかアウトローに憧れてます派なのでは?

信用は無いけどカネがあって自由っぽく見える奴が好きなんだろ。知らんけど。

ヤクザが自由に生きていけるはずがないとオレは思うけどな。

 

関係ないけど ドストエフスキーが書いたその言葉

貧富の格差への皮肉として書いた言葉から

貨幣鋳造された不自由である」の方が本音に近いと思う

2013-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20130927115648

そもそも、線形ではあるものの、ほぼ鋳造する必要性のなかった年を0近似と考えれば、線形として捉えるよりも、

非線形として捉えるほうがはるかに合ってるようなグラフ(そりゃぁ、まとめて処理していると言う主張は線形ではなく、非線形だという主張なので)に対して、

フーリエ成分を求めて何がしたいの?

 

そりゃぁ、矩形関数でもフーリエ成分は求められるが、求めることに意味を感じないんだけど・・・

http://anond.hatelabo.jp/20130927115121

http://www14.plala.or.jp/wanetjp/gennkou_coin/hakkou.html

貨幣鋳造は、毎年というものではなく、ドン 無し 無し ドン みたいなものだと思うが

そもそも、古い貨幣を回収してあらた鋳造しなくても良くなった理由に、カード電子決済は大きく貢献していると思うが?どうだろう

硬貨流通量の推移 グラフ2枚目 

http://kiracchi-serendipity.sblo.jp/article/34274191.html

これを見る限り、電子マネー他が硬貨流通量を減らして、それによって、鋳造必要性が減っているというのは暴論ではないと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20130927113513

犯罪の防止に役立つし

店側にとっては、小銭を用意する糞めんどくさい仕事が減るし

最終的には、赤字で小銭を鋳造する必要性がなくなる国家も役立つだろ。

国家レベルでは小銭を鋳造しなくて良くなるというのは、相当なメリットだと思う。

2013-01-16

電子マネー2題

リアルマネーNGラーメン屋

 別にラーメン屋以外でもいいのだが。

 食券制のラーメン屋って、結構多いと思うが、

 入金した現金管理が、店側は結構面倒だ。

 高額紙幣で来店する客もいるから、千円札とか小銭とかも一定量用意しなければいけないし、

 両替ボリュームが多ければ、両替手数料を要求されるケースもある。

 店が終わったら、自販機内の紙幣貨幣カウントしなきゃいけないし、

 毎日なのか2日に1日かは知らないが、銀行に売上を入金しなきゃいけない。

 また、強盗団の襲撃リスクゼロじゃないし、店員による売上ネコババ心配もある。

 こういう「ラーメン作りに直接関係ない事柄」に、ラーメンバカ(褒め言葉)の労力を

 煩わせるべきじゃない。

 そこで、リアルマネーNGラーメン屋ですよ。

 電子マネーの支払いだけ認め、現金払いNGラーメン屋

 一応、SUICA、エディ、ナナコ、ワオン、iDの各種類に対応するようにする。

 それでも「現金は持ち合わせてないが、俺はラーメン食べたいんだ」というワガママ客が来た時には、

 「隣の隣にあるセブンイレブンに行ってください」と案内する。

 そのセブンイレブンでは、ナナコで以てラーメン屋の食券を買えるようにしておく。

 電子マネー世界一発達し、また、コンビニ世界一発達している日本なら、

 リアルマネーNG店舗は、実現できる気がする。

 そして、こういう店舗が徐々に広がっていけば、日本世界最初

 「オール電子マネー国家」に脱皮することができる。

 でも、こういう店舗って、財務省的には「日本銀行券の法定通用力の否定」だから

 面白くないだろうなあ。

 なんらかの法律を見つけ出して、

 「日本銀行券での支払いを認めない店舗違法」と指導しそうだ。

 あるいは、税務署がその店を徹底的にマークして、脱税容疑でしょっぴいたりして。

 

自販機電子マネーを、セットでアジアに普及させよ

 日本自販機が、アジア各国に進出しているらしい。

 「アジア各国では、自販機は街中に置けない(壊されて現金を持ち去られる)」

 とされてきたが、やはり便利なので、或いはアジア人件費が上がっているので、

 徐々に普及してきている、ということだろう。

 しかし、それでも現金持ち去られのリスクで、普及スピードが遅いのかもしれない。

 そこで、自販機電子マネーのセットですよ。

 電子マネー規格をアジアに移出して、それとセットで自販機も普及させる。

 インターネット世界アメリカ世界標準を取られちゃいましたが、

 こういう電子決済の世界では、日本世界標準を取れるチャンスがまだ残ってる。

 自販機の普及とセットで、1粒で2度オイシイ

 バングラ通貨鋳造を受注して、造幣局が喜んでいる場合じゃない。

 そんなローテクの移出じゃなく、ハイテクの移出こそ、日本の生きる道です。

2012-11-13

2039年の日本SF~私はSUICAと暮らしています

http://anond.hatelabo.jp/20121113224421

★★以下は2007年に執筆したSF転載です★★

いよいよ日本経済史を変える大イベント、「紙幣硬貨廃止法」が施行される。

2040年12月までに、日本国民は手元の紙幣硬貨を、

SUICA」に入金しなければならない。

2041年1月から日本銀行券財務省鋳造硬貨は、

製造が停止され、その法定通用力が失効する。

政府は、国民1人当たり、10枚のSUICAを発行する。

例えば、預金や株等を除いて、現金が157万3,467円ある人は、

SUICAに157万3,467円を入れるのである

1名1枚しかないと不便なので、最大10枚まで発行される。

先述の場合カードAに100万円入金、カードBに50万円、

カードCに7万3,467円入金する、なんてのも可能である

SUICA」への入金は、全国の銀行郵便局コンビニ

受け付けられる。

さらに、公衆電話ならぬ、「公衆SUICA」なるものも、全国の

街角にお目見えする。

例えば、職場飲み会があった際に、

「じゃあ1名当たり5,000円集めますね」というシーンにおいて、

紙幣硬貨がないと費用清算ができない。

なので、そういうときのために、公衆SUICAで清算するのである

結婚式場葬儀場に公衆SUICAが設けられたのは言うまでもない。

香典は公衆SUICAで支払われるようになる。

全国の全事業所、及び個人で商売をする人に、SUICA端末が配布された。

八百屋で買い物してもSUICA支払、肩こりマッサージ受けても

SUICA支払、ソープランドの支払すらSUICA支払になる。

で、SUICA導入の最大の目的は、

日本国内の全経済活動の把握」にある。

SUICAの決済情報は、即座に国税庁に伝わる。

なので、SUICAを通して、全経済活動の把握が可能になる。

もっと露骨に言えば、「脱税するのが不可能な社会」になる。

国税庁セールストークは「税務申告不要社会」。

SUICAのデータによって、自動的に税金計算され、

自動的に税金が徴収される。

なので、

国民は税務申告手続が一切不要になり、国税庁も職員を大幅カットできます」が

導入推進の最大理由だが、国税庁リストラには疑問視の声も大きい。

なお、SUICAによる資金移動には、「対価情報」が必要になる。

八百屋で買い物した場合、「50円 白菜」という情報国税庁へ。

ツタヤDVDレンタルした場合

「350円 女子大生禁断の部屋 1泊2日レンタル」の情報国税庁へ。

国税庁は「物価調査機能も兼ねることになるので、経済運営上も非常にプラス」と

説明しているが、市民グループは「購入履歴情報というプライバシー国家が握るのか?」と

猛反発している。

明細情報入力しなくても有効有効だが、それは「贈与」の扱いになる。

「甥の●●ちゃんへお年玉 1万円」も贈与。

マンション近隣への迷惑料支払 3千円」も贈与。

で、贈与税が課されるのは言うまでもない。

実はウラSUICA導入に反対したのは政治家だ、とも言われる。

政治献金、ましてワイロがガラス貼りになっては、とても政治活動ができない」

からである

まあ頭のいい政治家のことだ、献金じゃなくて、「対価を付けて」渡すように

なるのかもしれない。

SUICA履歴 A建設会社から代議士へ3,000万円 絵画購入費として」

その絵画というのは、A建設会社社長の孫が、幼稚園で書いた絵だったりする。

このシステムプラットフォームは「SUICA」「エディ」「ID」「デビットカード

オサイフケータイ」等々で受注を巡り猛バトルが展開された。

結局勝ち残ったのはSUICAであった。

ケータイのようなアイテムが要らない、SUICAカードけがあればいい、というのが

勝ち残った理由、とされているが、ウラの理由は様々に憶測されている。

SUICAシステム採用と引き換えに、2037年に大事故を起こし瀕死の日本航空

SUICA共同体」として子会社化して引き取るように、SUICAの盟主、

JR東日本に交換条件として呑ませた、というのが真相とされるが、本当なのかどうか。     

   

1975年頃の「第一次キャッシュレス革命」と、今進んでいる「第二次キャッシュレス革命」、そして迫り来る「第三次キャッシュレス革命

 「造幣局バングラ硬貨鋳造を受注」というニュースが流れている。

 要は、「電子マネー普及で鋳造量が激減してリストラ危機の造幣局が、

 存在感アピール、組織防衛のために、赤字を承知でダンピング受注した」というのが真相で、

 形を変えたバングラへのODAの一種である

 こんな姑息なことをせず、正々堂々とバングラODA供与して、造幣局リストラするのが王道である

 

 ところで、硬貨流通量のピークは1974年で、今の7~8倍も流通していたらしい。

 そのことが「造幣局黄金時代」で、あとは凋落の一途だが、なぜ1974年がピークだったのか?

 なぜ1975年以降減少したのか?

 推察できる理由は2つ。

 1)この頃から現金払い」から「口座振込」へ時代が進んでいった。

   1974年頃は、まだサラリーマン給与も「現金」で支払う会社が多数だったのだ。

   その分、オヤジの威厳も保たれていた訳だ。

   あるいは、アパート大家さんに家賃を払う、学校給食代を払う、

   電気水道公共料金を払う、そういう局面でも、結構現金払いが主流だった。

   なので、「集金人」なんて職業も、成立していた。

   現金払いの主役は紙幣ではあるが、端数分は硬貨が使われていたから、硬貨流通量も増えていった訳だ。

  しかし、1975年頃から生活の中に、徐々に「口座振替」「振込」「ATM」が普及し始め、

  「自動口座引き落とし」とかで、わざわざ銀行に出向く必要もなくなる便利な社会になった。

  今までだとリアル紙幣リアル硬貨の出番だったのに、銀行内のバーチャル電子データ移動で

  決済が完了するようになったので、そりゃ硬貨流通も減る訳だ。

  同時にサラリーも口座に振込まれるようになった。

  総務部仕事はラクになったが、オヤジ権威の源泉は喪失された。

 2)口座振替の普及とほぼ同時期に、クレジットカード、いわゆるVISAマスターJCBが普及した。

   今までなら、デパートで買い物、レストランで食事、となると、1万円札数枚に千円札数枚、

   100円玉や10円玉・・・となっていたのが、カード決済だと紙幣硬貨もいらなくなった。

 ということで、1974年をピークに、貨幣硬貨流通が減少したのは

 「第一次キャッシュレス革命」と呼べる現象じゃないか、と思っている。

 その後のキャッシュレス革命の進展は緩慢で、

 徐々に「公共料金の支払いにカード使えます」「電車乗るのにカード使えます

 「病院の支払いにカード使えます」「コンビニATM置きました」てな程度でしか進まなかったが、

 2007年前後電子マネーの普及は、一気に少額決済のキャッシュレス化をもたらした。

 その結果「一円玉の鋳造停止」にまで造幣局は追い込まれた。

 電子マネー普及による少額貨幣流通量激減、これを「第二次キャッシュレス革命」と呼びたい。

 この革命特に大都市圏、いわゆる「SUICA経済圏」で進行中である

 第一次、第二次、と来れば、次は第三次である

 ただ、第三次キャッシュレス革命は、法律の手助けも必要かもしれない。

 第三次キャッシュレス革命とは、電子マネーを法定通貨とみなし、全店舗、全個人に電子マネーと読み取り装置を配布し、

 紙幣貨幣を全廃する、という「資本主義血液の総交換作業」である

 今から見れば第三次キャッシュレス革命は「絵空事」のように見えるだろうが、

 第一次キャッシュレス革命時代(1975)から現代を眺めれば、

 「SUICA自動販売機ジュースを買えるなんて、SF世界に見える」だろう。

 それと同じで、第三次キャッシュレス革命、つまり貨幣硬貨全廃は、決して絵空事じゃない。

 第三次キャッシュレス革命、つまりオール電子マネー化」のメリットはこちら

 ↓

 http://d.hatena.ne.jp/itarumurayama/19700215

 

2011-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20110616153059

ウチでは2年の時に鋳造とか溶接とかの実習やってたけどなぁ

学校によって結構違うのかな

2011-03-06

http://anond.hatelabo.jp/20110306135217

表現の自由を標榜する人には何種類かいて、

上っ面だけ(文面上)で判断する限りでは、

1:表現の自由として保障されているのだから、俺は何をやってもいい

というのと、

2:表現の自由として保障されているのだから、俺のやったことに対して不満があるならその自由使ってかかってこいよ

というのがいる(俺の観測上)

君の場合、特に一番下の件は1:の人に対して書かれているのだろうけど(そしてそれはそれなりに勢力はあるのだけど)すべてではない、ということを考えるとただのレッテル貼り、つまりは型枠に流しこんで「俺が考えた、表現の自由を使っている人を鋳造しました」と言っているようにしか聞こえない。

メガネ王は明らかに後者なのだから、法的手続きを踏まえてお前の自由は認められないとはっきり示す他、奴を止めることは不可能

2010-07-07

アクション書評  「東インド会社アジアの海」羽田正 (講談社

 サムスンVSソニートヨタVSフォルクスワーゲンナショナルフラッグを体現した大企業間の競争はますます多くなっているが、その起源はおよそ400年前に遡る。それは「東インド会社」。欧州の国を代表する企業がこぞって東アジア権益をめぐって激しい企業競争を行った、そんな時代が過去あった。ヨーロッパ各国の東インド会社はいかにしてアジア交易圏に食い込んでいったか。そして各国の東インド会社はそれぞれのどういった性格を持ち、どうして衰退したか。歴史的でありながら、そんなグローバルビビッドなテーマを論じている。

「第一段階」 ヨーロッパによるアジア市場の”開拓”―ポルトガル人の川上進出―

 当時の香辛料交易は複数の中間業者が介在し、コスト高だった。

カリカットからペルシャシリアベネチア多くの商人運送業者を経て、陸から海へ、海から陸へ、荷を積み替えながら途中で何度も関税をかけられる」(p48)。それを喜望峰経由の交易ルートを開拓し、一気に中抜きしようとたくらんだのがポルトガルバスコ・ダ・ガマ以降、武力によるインド洋海域の制圧(ゴア、マラッカなどの港町を次々と砲撃して交易を強制、異教徒の追放、船の略奪など)を推し進めて、拠点網を整備した。ただしこの航海は原則的にポルトガル王(小国!)の単独事業で、次第に資金や物資調達面で苦しさを露呈してしまう。東インド交易で得た余剰資金も拠点網維持費に消えるという経営のまずさもあった。そりゃあ十分な資金調達とトップラインを安定確保できないまま、先行投資ばかりイケイケだったら誰だって行き詰るだろう、と言うことだ。

「第二段階」 オランダイギリス東インド会社」の参入と、その顛末

 会社形態にすることで広範囲から資金を調達できるようになった。利潤最大化を行う企業でありながら、現地で国が行うような政治的な行動をよくおこなった。18世紀に入ると自由貿易の風潮が高まり、独占の東インド会社国民に支持されなくなっていった。

オランダ東インド会社:1602年設立イギリスの10倍超の資本金スタート

・民間会社だが準国家的な独占事業:事業内容は東インドでの特権的な貿易。加えて要塞建設する。総督を任命する。兵士を雇う、現地の支配者と条約を結ぶことも許可され、国営企業ではないが国を代表して事業できた。イギリスとは違って、株主からの出資金は航海が終わっても据え置く、今の株主会社に近い形態をとった。

株主経営に参加しない:会社の特徴:造船部門まで内部化。経営方針は年2~3回開かれる取締役等の重役から構成される17人会で決定。株主経営参加権をもたない。経営は分権的で東アジアの事業運営は実質的バタヴィアの支社が握った(1年半の情報伝達期間!)。

東南アジア香辛料に事業を照準:ポルトガルが頓挫した方式を見習い、しばしば武力を用いた拠点拡大策を積極的に採用ヨーロッパへの香辛料貿易利権を掌握した。現地政府から力づくで奪い取ったジャカルタを中核拠点に、セイロンインドシナインドネシア中国台湾長崎などに次々商館設置。

・栄華からの急降下。1960年代まで各国の東インド会社の中で最大規模を誇っていた。が、その後業績は急落して1799年に解散する。理由は複数あげられる。1780年に起こった第四時英蘭戦争の影響で、オランダの船はイギリス船に次々と拿捕され大変な損失を被る。また、香辛料がその時期にコモディティ化し始めたため,価格の下落が収益を圧迫した。会計制度の欠陥や帳簿の不備なども理由として挙げられている。

イギリス東インド会社:1601年設立

・民間会社だが準国家的な独占事業:東インドでの特権的な貿易。現地の司法権貨幣鋳造権、貿易活動を守る軍事権、違法貿易船を検挙する権利

比較的強い本部:株主取締役投票権を持ち、経営に参加した(毎年4月に開催される株主総会取締役投票できた)。事業運営は週に1度ひらかれる取締役会で決定される。資本金オランダとは違って1回の航海ごとに株主にすべて分配され、航海ごとに資金を集めた。造船部門はアウトソース

インドの綿織物に着目しオランダ差別化:参入当初はオランダと同様、東南アジア香辛料交易を狙っていたが、経済大国オランダに船の数や武力で太刀打ちできず、しばしばオランダ船にも拿捕される自体に。そこで、差別化のためインド亜大陸の綿織物に着目。拠武力よりもインドペルシャなどの地場為政者に取り入ることで平和裏に拠点網を整備した。

・現地所領当地という多角化が仇に:インド国内の紛争に介入してベンガル地方の徴税権(ディワーニー)を獲得(1765年)。しかし現地の文化言語、慣習も不案内だったので徴税活動は難航した。他方、治安維持などの統治コストは膨れ上がったため、結局、財務内容は急速に悪化していく。その後、1794年に実質国営化。インド中国貿易特権の廃止を取り上げれつつも会社はさらに50年存続するが、1858年のインド大反乱を機についに解散。

フランス(東)インド会社:1664年設立

・後発参入:イギリスオランダ東インド進出を見たフランス政府が”上から”設立株主も王や王室関係者が多かった。イギリスオランダと違って巨大な商業資本が集まるほど豊かな街はなく、自立的な東インド会社の形成はなされなかった。

・東西インド貿易を一体運営:事業的な最大の特徴は、東西インドアフリカ貿易を一体運営したこと。東インドの綿織物で西アフリカ奴隷を買って、西インドに送りそこで作られた砂糖を銀貨に変えて、東インドの綿織物を買う。この円環である。

・国の後押しで急成長:1720年~60年まで絶頂期。後発参入という事業的なアゲインストにもかかわらず、取扱額はイギリスとほぼ同等に達した。

政府主導事業の弱さを露呈:英仏7年戦争に敗北(1763年)したことで、政府財政危機に陥いると資金繰りが一気に悪くなる構造的弱点が露呈。一方、民間資本はクラウディングアウトされていたので潤沢に集まらなかった。そんなわけで1769年にあっけなく解散。


気になった点、疑問など

1、スペインハプスブルク帝国)の活動が目立っていないが、彼らはlucrativeな東インド交易に対しどういうスタンスだったのか。

2、ポルトガルの弱点を当時のオランダイギリスはどう認識したのか。そして、それをいかにして超克しようとしたのか。

3、イギリスの強い本社はどうやって成立したのか。経営方針や情報の伝達環境オランダと大差ないようにみえるが。

4、イギリスオランダの全体経済に占める東インド会社の割合はどの程度だったのか。

5、東インド会社という企業競争勝敗は結局どうなのか。一番儲かった会社はどこなのか。どのような背景によるものなのか。


http://twitter.com/zaway/status/17875881079

2010-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20100623000356

工場って、鉄鋼の鋳造機械での死亡用の場としている人達がいるからさ。

そういう気がたまって、マイナス磁場になっているとそれに引き寄せられるように、暴走する人が出るんだと思うよ。

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