はてなキーワード: オランダとは
雪崩は、たった一粒の小石によって引き起こされることもある。
1月21日、ケンブリッジ大学の数学者 Timothy Gowers が、
長年に渡ってエルゼビア社の論文誌をボイコットしている理由について、ブログに書いた。
オランダに本社を置く同社は、一流誌 Cell や Lancet をはじめとする定期刊行誌を2000誌所有している。
ノーベル賞の数学版とされるフィールズ賞を受賞した Gowers 博士は、この状況を望ましくないと考え、
今回のブログ記事が他の学者もボイコットに参加するきっかけになれば、と望んでいた。
実際、それが起こった。
Gowers のブログに感化されて、数学者 Tyler Neylon がオンライン署名サイトを設置し、
そのサイトを通じて研究者2700人以上(訳注:日本語訳執筆時点では5300人以上)が署名し、
自分の研究をエルゼビアの論文誌に投稿せず、エルゼビアに投稿された論文を査読せず、エルゼビアの編集作業にも協力しない、と誓約した。
その数は、数学者の表現を借りるならば、指数的に増大している。
実効性をともなっていくとすれば、大出版社にとってこれは、革命をつきつけられたようなものである。
Gowers 博士による非難は3点に集約される。
第一点として、エルゼビアの製品の料金は高すぎるということ。
第二点として、論文誌の「抱き合わせ」が広く行われているために、図書館はある論文誌を購読しようとするとき、興味のない他の論文誌もセットで買わなければならないこと。
第三点として、公的資金による研究に対して政府がフリーアクセスを要求することを禁じる法案(たとえば米国議会で審議に入る Research Works Act など)を支持していること。
エルゼビア側によれば、これは誤解を招く言い方だと言う。
2010年には、20億ポンドの収益に対して7億2400万ポンド(11億6000万ドル)の利益を得た。利益率は36%。
しかし、同社の Director of global academic relations の Nick Fowler は、
購読料水準は業界の平均であり、ここ数年の値上げ幅は他社より低いとしている。
Fowler 博士によれば、人もうらやむエルゼビアの利益率は、同社の効率的な経営の結果以外のなにものでもないという。
Neylon 博士による動議は、より広い文脈での学者と出版社の衝突の表れのひとつと見ることができる。
その衝突は、オンライン出版の台頭によって、ますます鮮やかに描き出されてきた。
学者は情報の自由と流動性に重きを置く文化に属しており(そもそも論文の査読と編集を無償で行っており)、
出版社は情報へのアクセスに課金して利益を最大化しようとする組織であり、
同時に権威ある論文誌の(すべてではないにしろ)ほとんどを掌握しているからである。
一触即発の状況は長年続いていた。
2006年には、 エルゼビアが出版する数学論文誌 Topology の編集委員会の全員が、アクセスの囲い込みと料金高騰への懸念を表明して辞任した。
ドイツの出版社シュプリンガーによる論文誌 K-theory の編集委員会は2007年に解散した。
多くの人は、ことが荒立てられるまでにこれほど長くかかったことに驚いている。
出版社をそのサイクルから追い出すことができる環境は十分に整っていた。
実際、商業出版の代替物をつくろうとする動きは何度か起こった。
コーネル大学のウェブサイト arXiv (X はカイの音のギリシャ文字を模しており、「アーカイブ」と発音される)は1991年にできた。
研究者は、まだ論文誌で出版されていない物理学の論文をそこに投稿することができ、
Public Library of Science (PLoS) は2000年にできた。
そこでは生物学と医学の分野でフリーの論文誌が7誌出版されている。
こうした動きへの熱意があったにも関わらず、伝統的な出版社の支配が続いたことには理由がある。
arXiv の論文は、公開後に容赦ない批判にさらされることは確かなものの、投稿前に正式なピアレビューは行われない。
PLoS は一部を寄付金でまかないながらも、論文1件あたり2900ドルの掲載料を課す。
これは著者の負担となり、金策に悩む大学にとっては無視できない金額である。
少なくなりつつあるとはいえ、電子版のみの出版に対する偏見もある。
こうしたことが重要なのは、大学と個々の研究者が、出版した論文の数と掲載された論文誌の名声に応じて評価されるからだ。
ともすれば新しい道具に挑戦することが期待される若手研究者は、その前に既存の権威ある論文誌で出版しなければならない。
さもなければ、発言力もなく昇進もない。
そして、新しい論文の運命を決める力のほとんどが権威の高い論文誌にあるために、「権威」の定義は少しずつしか変わらない。
商業出版社は、たとえば読者ではなく著者から料金をとるなどといったオープンアクセスのアイデアを試そうとしている。
しかしボイコットが広まっていけば、ことは急激に進展する可能性もある。
けっきょくのところ、学者が出版社を必要としている以上に、出版社には学者が必要なのである。
突然失脚する直前まで、えてして体制側は無敵に見えるものだ。
来たる学術の春にはご用心を。
#竜馬とたけち#
身分制度に疑いを持たないため、将来彼を自分の手足として使うことを当然と考える武市と
そもそも身分制度に頓着がないため、純粋な友人として見ている竜馬の違いは大きいのう
#大村益次郎の知恵#
「竹竿台場も江川台場も役に立たぬ意味では同じです。画餅にすぎぬ。
もともと実現不可能なものを命じられているのであれば、幕府に差し出さねばならぬ図面や設計書もうんと立派なものにする。
図面さえ出しておけば幕府は安心し納得する。5~6年以上かかる大工事の計画書でなければいけません。
なに、心配入りません、3年待たずして必ず状況は変わります。程無く幕府も砲台設置は無意味と気づくでしょう。」
「吉田寅次郎はアホな人ですね。
天下の佐久間象山に就いておきながら、なぜ蘭学を学ばない、なぜ科学を収めようとしなかったのか!
蘭書を読み科学を学べばわざわざ命を捨ててアメリカに行く必要はない。」
あの船の動力室を見れば、西洋の合理主義もオランダの国力も手に取るようにわかる。
→多分これが可能なのは佐久間象山と大村益次郎のふたりだけで、
吉田は日本の中ではとても優秀ながら、これが出来なかった、というか普通できないから海外に行こうとした。
子供の頃から山鹿流を極めて、外国と合戦するという視点に囚われていたから
逆にそれをUnlearnするのはなみたいていのことじゃ難しいというのもあったと思う。
大村益次郎や福沢諭吉レベルの合理性というのは、なかなか難しい。
しかし吉田松陰は合理性の鬼ではないどころかその逆に非常に忠義や友情と言った人間的なものに強かったから
教育者としては短い人生で歴史に名を残すほどに多くの人に影響を与えているというのが面白い。
大阪には、庶民のためにここまで命を投げ出す人がおったんか、と何やら胸が熱うなったな。
それまでわしにとって大阪は出世前の足場に過ぎず、いずれ若い頃学んだ江戸に戻って一旗揚げるつもりやったんやが
何やしらん、大阪の町と底で暮らす人々が愛おしゅう思えてきてね
「この土地に骨をうずめるのも悪うないか」と思って、大阪で異形を開き、適塾をスタートさせることにしたっちゅうわけや。
アヘン戦争が最も愚かな戦争であれば、こちらは戦争と呼ぶのもおぞましいヤクザのゆすりたかり。
アヘンで荒廃した国を蹂躙し、さらに絞り足りぬといえに土足で入り込んで略奪放火までしていくとか。
勝利後の条約がまたひどくて、お前紳士の国とかそれ歴史の教科書見ながらいえんの?レベル。
(ただ、当時の補給線・調達や、兵隊の編成事情を見ても多少は納得する部分もある。
アングロサクソン系はもともとどうしようもない野蛮人であり、それをよく知っているからこそ
自分を律する啓蒙主義みたいなのも流行ったんだと考えると、今やたら紳士ぶってるのもわからんではない
特にロシアの領土拡大・不凍港獲得は、開国後の日本を威圧することに。
→アヘン戦争とか見てると、本当にこの当時のゲスでヤクザなイギリスを相手にしないためにも
鎖国というのは全く不合理ではなかったかも、と思えてくるから困る。
当時のイギリスのゲスさ強欲さ残忍さなどどれをとっても、松前商人をはるかに上回るレベル。(ただし頭も良いから余計たち悪い)
(日本が侵略されなかったのはこちらを食べつくすのに忙しかったからと、日本はそれほど旨みがなかったから、なんだろうか)
→にも関わらず、イギリスはなぜか日本に対しては国と国としての対応をシてくれている。(フェートン号事件をはじめ3件くらい海賊行為があったけど)
実際オランダと同じように、軍艦を一隻無料で寄贈してくれたりとよくわからない。
オランダやロシアとことを荒立てないみたいな駆け引きがあったんだろうか・・・なぜ他の国も辛抱強かったんだろうか、とかいまだによく分からない。
#観光とは#
現代ではレジャー旅行の意味にしか使われていないが、江戸時代でいうとそれは物見遊山のことであって本来の意味ではない。
語源は、一国の主が、自分の政治のお陰で人々の表情が明るく輝いているかを確認するため領地を見てまわること。
ですから光とは人間そのものであり、民がいきいきと光っている国は他の国をも照らす。すなわち自然に外国への手本になる。
観光国とは、自らの国の美徳が、他の国の手本になるような国のことであります。
クルチウスは、初代館長ヤックス(家康とも謁見)の時から数えて162代目。
オランダと日本の縁は1600年からで、ヤン・ヨーステン(彼の江戸屋敷が八重洲の語源)は家康から朱印状を得て積極的に行動し、毎年シャムやカンボジアにわたって貿易を促進し、最初1609年に九州平戸にオランダ商館が開設された。鎖国政策進行中の中では、生き残りのためひたすら徳川に尽くし、島原の乱では大砲を打ち込むことまでやった。
天草はキリスト教国オランダから砲撃されたことにより一気に士気が衰え、絶望的な最後を遂げるに至ったとさえ言われる。
そこまでやってもオランダは江戸参府の時を除いて出島の外に出られず200年以上小さな人工島で暮らしてきたのだ・・・
その時代もようやく終わる。これからは国と国の対等の交際が始まるのだ。商取引関係だけに限られた関係は私の代を持って終わりにする。
「アメリカはせっかちすぎるもう少し時間をくれれば波風立てず開国をやり遂げられるのに」
「オランダもそう思って250年辛抱してきました。しかしあなた方は変わらなかった。之まで何もしなかったツケが回ってきたと思っていただきたい。他の列強は我が国のようにおとなしくしてはくれませんよ。あくまで我々が特別なのです。ことここにいたっては自然な開国を求めるには遅すぎます。一刻も早く我がオランダを仲介人に立て、欧米諸国と通商条約を結ぶのが最も安全な道です!」
#シーボルト父娘#
ついに再開。。。まだかー
村田蔵六にその才を見出された嘉六であったが、
提灯張替えの職人に過ぎぬ最下層身分の彼が長崎で味わった苦労と屈辱は並大抵のものではない
・まず嘉蔵のためについてきた御目付役が嘉蔵を自分の下男として扱うのである
(この当時、能力があっても、身分が下であるというだけで敬意を払われることはないどころか見下される)
さらに身分はその役人の「中間」よりも下だから食事も何もかもが中間以下の待遇に甘んじるほかない。
・それでも嘉蔵が幕府の通訳や蘭学者にあって色々学ぶためには、この役人にお願いして連れていってもらうしかない。
理解能力がゼロの役人に土下座し、頓珍漢な取り調べを受け、たいして役に立たない取次しかしてもらえない。
それでいて、いざ蘭学者と接する段になると役人は役に立たず、嘉蔵の下働きをすることになる。
下働きといっても、現在の感覚であれば能力が嘉蔵の要求にこたえるため西に東に走りまわるところを想像するだろうが
江戸時代は身分があるから、嘉蔵が土下座して役人に紹介状などを書いてもらうことになる。
それでも当時の身分意識から役人は「嘉蔵に使われている」という気分になるから、必要以上に嘉蔵につらくあたる。
しかしこれで蒸気船建造が失敗すれば役人の責任にもなるから、嘉蔵の願いは結局聞いてやらねばならない。
役人は役人で、散々いじめながら身分意識の概念に囚われてストレスを抱えているという状態だった
→江戸時代は、安定という名の「怠慢許容・推進システム」が恐ろしいほど機能してたわけだな
身分が上のものしか学問をしてはならぬ。しかし身分が上のものは学問しない。
おお、時代が発展しないから努力しなくても身分は維持できる。やったね!まるでいまの○○○○みたいだ!
→そんな悪循環と貼りのむしろの中、目付も中間も寝静まった夜中に懸命に蒸気船の研究を続ける嘉蔵であった。
何のために長崎でこんな地獄の日々を送らねばならないのか、と時に思わないでもなかったが
そのたびに頭に浮かぶのは、オランダ船スンピン号の動力室であった!
嘉蔵は苦労について蔵六に述べることなく、蔵六とは設計の打ち合わせを行い、
その後何度か長崎に行き、そのたびに辛い日々に耐えることになる
好みが自由になれば幾度でも同じ事をします。
もちろん正気では怖くてこのようなことは言えません 私は狂人でありたいのです
しかし私の行動は周囲に迷惑を及ぼします 同志の金子くんもそれで死んでしまいました
しかし怖いとか悲しいとか言うのは私事です いつまでも泣いてはいけないのであります
私は長州藩を いや日本国全体を考えねばならないのであります!
私はこうして入られない 皆さん何かしましょう
みなさん学問をしましょう ここには私達がいるあなた達がいる 互いに教えあおうではありませんか
人と人の出会いほど尊いものはありません 私には知らないことがたくさんある
みなさんはひとり残らず私の師匠です!
悪口がお好きな人だと聞き及んでおりますが、他には何がお得意ですか?
字が得意?それはすばらしい。ぜひ私に書を教えてください
旅の経験がある人は、旅の話を教えて下さい
そうすれば私は獄舎にいながらしてあらゆるところにいけるのであります
同じ怒りが心の方向で全にも悪にもなるのです。
みなさんは言葉だけで行動しない牢の外にいる人達よりも君子たるべき素質も資格も十分備えている立派な人なのです
あとはその心を正義に向けましょう。自分のためだけでなく人のために戦うとき小さな殻を破れるのです
みなさんはあと一歩の人たちなのです!
「あなた方は無知です。9年前に国王ウィレム2世は親身になって日本のことを心配し、親書を特別船で届けました。親書には世界の情勢が詳しく説明されていたはず。いずれこういう日がかならず来ることを懸命に日本に訴えてきました。それに対する貴国の返事はこんな手紙は二度とよこすな、というものでした。去年私が長崎にやってきた時も、特別船でペリーより依頼された親書と、私の詳しい説明を添えてお渡ししました。一体この1年・・・いや9年の間、あなたがたは何をしていたのですか?」
「今から蒸気軍船を購入しても、航海士はいるのですか?一隻につき訓練された水兵が100人近く必要ですよ。今蒸気船を買った所で港の飾りにしかなりません。戦うつもりならもう遅きに失しています!」
「最初は腸が煮えくり返ったが、今は奴らが可哀想で仕方ない。自業自得だがこれから辛酸を舐めることになるだろう。三百年の付き合いだ、少しは何とかしてやらねばなるまい。本国に手配して蒸気軍船4~5隻をプレゼントしてやるか。今は商売抜きで尽くしてやるさ。この美しい長崎を、列強の砲火から救ってやりたいからな」
#佐久間象山の開国論#
オランダからの密使が来る前から島国の海防の困難さを悟り、大船建造禁止令を撤廃し、オランダより軍艦を購入して海軍を育てる必要性を説いていた(海防八策)彼からみると、阿部正弘の改革はすでに手遅れで勝負にもならない。
その上で黒船の戦力を見抜き、負けても大きな被害にはならないという見込みを立てた。この前提をもとに、1年以内に江戸湾近くの住民を避難させた上で日本側から戦闘を仕掛け、脅しには屈しない姿勢を見せつつ、あっさり負けて戦力差を思い知ることが開国のもっとも望ましい形である、とした。
これは長州や薩摩が外国艦隊と戦争をして開国に目覚め、その後の日本のリーダーシップを握ったことを考えても妥当な判断ではあるが、この時に彼の考えを理解する人はイなかった
→彼の献策は検討されることもなくお蔵入り。
勝海舟、吉田松陰のほか、橋本左内、河井継之助などを門弟として育てる
水戸斉昭は全くの鎖国論者ではなく、貿易でとませることも技術の導入も必要だとは考えている。
他の藩よりはやく大船建築や、蘭学推奨をしていることからも松平定信ほど頭が硬いわけではない。
しかし、西洋船が自由に日本に来ることは反対で、片道貿易などを考えていた。
もちろん、そんな身勝手で一方的な開国案が受け入れられるはずもないのだが斉昭にはそれがわからない。
「自分の都合の良いところだけ取り入れたい」という姿勢は中華思想と変わらないのだ。
そうして意見をはねつけられた不満と怒りを藤田東湖などの側近にぶちまけ
かくして彼の怒りは全国的に攘夷志士として広まっていく。
過激な発言はするがバランス感覚も持つ水戸斉昭の思想のニュアンスは
実は水戸の上層部は保守派がしめており、水戸学が攘夷思想として暴走するのを抑えようとするのだが
これがかえって水戸藩内に深刻な対立分裂を引き起こすことになる。
クリミア戦争の影響で君の航海も何かと苦労が多いことだろうとお察しする
しかし戦に巻き込まれた力を奪われたりしてはならない
相手国を武力で倒すより相手国の信頼を勝ち取るほうが遙かに難しく重要なことだ
1812年、この時もロシアはナポレオンのフランス軍を迎え撃つ大戦争のさなかにあった
こういう時代の気分は必ず伝染する
モスクワと正反対の極東においても日本とロシアが小競り合いから開戦直前の緊張状態にあった
捕虜のみでありながら両国の間に立ち戦争を回避することを決意し
言葉もわからぬ相手とほとんど身振り手振りでこの難題をやり遂げたのだ
42年前のカヘエの奇跡を忘れてはならない このような優れた日本人もいるのd
目的は日本との平和なる国交樹立だ その一点を決して忘れないでもらいたい
ロシア政府も戦争よりも日本を開国させることが重要であると考えればこそ
ちのに事務戦費を削っても我々に送金してくれているのです
三国通覧図説には「日本橋より唐おらんだまで境なしの水路なり」とあります。
海国兵談の末尾にもこうあります「この書で述べた計画を今から幕府が五十年かけてやり遂げれば
鎖国だけが問題だったわけではない。鎖国していてもやりようはあったのだ
六十年前のことならまだ諦めもつくが
これまで幕府は逆コースを撮り続け最も大事な人物ばかりを迫害し殺し続けてしまいました
その人達のおかげでこの国が救われたというのに
二度とこの失敗を繰り返すわけにはイカぬいよいよ国際社会の荒海に乗り出したのだからな
「ソープに通う」男性は、「日本でよく見られる」という意味では「普通」ぐらいは言えるかもしれないが、「マジョリティ」ではない。たとえばこのようなデータを参照のこと。
ベルギー フィンランド フランス イギリス オランダ ノルウェー スペイン アメリカ 日本 NA NA 1.1 0.6 2.8 1.8 11.0 0.3 13.6 神奈川県立がんセンターによる「日本人のHIV/AIDS関連知識、性行動、性意識についての全国調査」
http://www.acc.go.jp/kenkyu/ekigaku/2000ekigaku/eki_015/015.htm
なお、「アニメのキャラに恋する奴」に関する国際統計は残念ながら見当たらないが、参考までに各国のニート率比較をすると、2007年の数値では、以下のようになる。
| ベルギー | フィンランド | フランス | イギリス | オランダ | ノルウェー | スペイン | アメリカ | 日本 |
| 15.4 | 13.3 | 15.1 | 18.1 | 6.9 | 8.8 | 17.2 | 16.2 | 7.6 |
(参考:OECD各国のニート率まとめhttp://alfalfalfa.com/archives/4176419.html
ソースはhttp://www.oecd-ilibrary.org/sites/factbook-2010-en/11/03/04/index.html?contentType=&itemId=/content/chapter/factbook-2010-93-en&containerItemId=/content/serial/18147364&accessItemIds=&mimeType=text/html)
上下を比較して気付くのは、売買春を経験する男性がニートより多いのは唯一日本のみであるという事実。これは、割と意外ではあるが納得できるものでもあったので、一応付記する。
以下への返信。
他人種と比べて見た目が若い
他人種と比べて肌や髪が強い
他人種と比べて痩せている
他国籍人と比べて男を立てる
他国籍人と比べて歯並びが悪い
日本国籍を持っている
他国籍人と比べて歯並びが悪い
後藤久美子×ジャン・アレジ(フランス人レーシングドライバー)夫妻
クルム伊達公子×ミハエル・クルム(ドイツ人レーシングドライバー)夫妻
中村江里子(元フジテレビアナウンサー)×シャルル・エドゥアール・バルト(フランス人実業家)夫妻
高見知佳(女優)×マーク・エスパーザ(メキシコ系アメリカ人男性)夫妻
寺島しのぶ×ローラン・グナシア(フランス人アートディレクター)夫妻
西川きよし×西川ヘレン(アメリカ人男性と日本人女性のハーフ)夫妻
井上純一(成人男性向け同人作家)×一般中国人女性夫妻(中国嫁日記)
できれば働きたくないけど、先のことを考えると就職したいタイプです。
正社員にはなりたい、でもやっていける自信がない、怖い、年下にアゴで使われるのも嫌、多分精神壊れる。
正直言って、残業は嫌、サービス残業はもっと嫌、休みが少ないのも嫌。
ウィンウィンで働けるなら良いのだけど。
甘いのはわかってる、でもこの社会構造がおかしいこともみんなわかってるよね。
オランダのワークシェアをyoutubeで観たけど、あんな感じになればもっと幸せになれるんじゃないかと思うんだけど。
どうやってそういう風に変えていくか。中心になるのは俺みたいな奴等じゃないかと思う。
ニート100人会議とかいうのがあったらしいけど、ニートも100人いればなんとかならんのかしら。
100人いれば色んな才能いるはずだし、全員で一緒に起業できないかな、みんなニートだから誰にも劣等感抱かないし。
あ、でも誰も営業やりたがらないだろうな、営業は委託かな。
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、
父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。
裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。
のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、
だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。
私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。
二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。
25歳になってその人に出会いました。
それが兄でした。
他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌の仕事をしていました。
その弁護士は、上司に健康保険をねだるような、カリフォルニアの中流階級の娘である私に、
「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。
同僚編集者たちは騒然となりました。
それでも私は大好きなディケンズの小説の筋書きに放り込まれたようでした。
弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。
一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ。
私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズの後継者、
何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。
初めて会ったとき、スティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。
オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブかユダヤの顔立ちでした。
偶然にも二人ともそうするのが好きでした。
何を話したのかはあまり覚えていませんが、
とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています。
私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。
コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。
Cromemcoという名前でした。
彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。
これから、スティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います。
彼の充実した人生。
彼の病気。
彼の死。
彼は頑張って働きました。
毎日働きました。
彼は散漫の対極のような人でした。
彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。
スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。
彼はシリコンバレーの指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。
彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。
スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。
彼は流行や小道具を好みませんでした。
自分と同世代の人が好きでした。
「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」
スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。
彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。
パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーで NeXT に通い、
あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。
それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、
ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。
愛について話す時間の長さにかけては、スティーブは女の子並でした。
愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。
「独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。
彼がローリンと出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。
「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」
リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族に愛情を注ぎ続けました。
彼はどの子にとっても実の父親でした。
リサの彼氏と、エリンの旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。
リードの卒業パーティに出席した人はみな、リードとスティーブのゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。
ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。
私は今も、そのことを学ぼうとしています。
彼はそのことで孤独を感じていました。
私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。
ロスアルトスから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。
二人にとって、リサとリードとエリンとイヴを普通の子供として育てることは重要でした。
スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、
夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。
一種類の野菜をたくさん。
一種類だけです。
旬の野菜。
簡単な調理。
若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。
ジーンズを履いて待っていてくれました。
「お父さんは会議中ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。
リードが毎年ハロウィンに魔女のかっこうをしたがったときには、
何年もかかりました。
同じころ建設されていた Pixar のビルはその半分の時間で完成しました。
パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。
ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。
彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。
何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。
その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。
そして実際、買いました。
スティーブは学びつづけるのが好きでした。
彼はある日、育ち方が違っていれば自分は数学者になっていたかもしれない、と言いました。
彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードのキャンパスを歩くのが好きでした。
最後の数年間、彼はマーク・ロスコの絵画の本を研究していました。
未来のAppleのキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。
スティーブは物好きなところがありました。
イギリスと中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッド・オースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?
彼はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。
たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、
きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います。
彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム。
彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、
ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集をみたとき、
こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。
四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブは楽しい人生を送りました。
そしてスティーブが病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。
彼は京都で手打ちそばを見つけました。
もうできませんでした。
最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。
多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。
兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。
彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。
メンフィス病院の廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、
そこで座って一休みして、
引き返してまた歩きました。
ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。
彼は目を見開いて、唇を引き締めました。
彼は挑戦しました。
いつもいつも挑戦しました。
その試みの中心には愛がありました。
彼はとても直情的な人でした。
その恐ろしい時節、私は、スティーブが自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。
家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。
病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。
看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。
スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき、医師はすべてを、氷をも禁じました。
スティーブは普段割り込んだり自分の名前にものを言わせたりすることを嫌っていましたが、
このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。
「これが特別治療だよ」と私は伝えました。
彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。
挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。
そしてiPadを病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。
妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。
こちらを見上げて、お願いだから、と。
彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。
私たちは自分が何年生きられるか知りません。
彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。
オランダの造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。
私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。
物語の途中で。
たくさんの物語の途中で。
ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、
スティーブの死は私たちにとって突然でした。
二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。
どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです。
火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。
声には熱と愛情がこもっていました。
同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまったかのようでした。
申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、
私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。
「待って。行きます。空港にタクシーで行くから。きっと着くから」
「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」
視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。
昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。
そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。
呼吸が変わりました。
つらそうに、やっとの思いで息をしていました。
彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。
これが私が学んだことです。
死がスティーブに訪れたのではありません。
彼が死を成し遂げたのです。
彼はさよならを言い、すまないと言いました。
約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。
そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。
フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。
彼はその夜を越しました。
ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。
彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。
やらなければならないことでした。
その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。
山を登っているようでした。
その意志、その使命感、その強さと同時に、
美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。
その数時間前に出た言葉が、スティーブの最期の言葉になりました。
船出の前、
彼は妹のパティを見て、
そして皆の肩の向こうを見ました。
お題:
名無し2:思わない
名無し1:いいよ
名無し1:でも
名無し2:男。そっちは?
名無し1:同じ
名無し1:ああ
名無し2:住んでるのはUSだよね?
名無し1:ちがうw
名無し2:щ(゚Д゚щ)
名無し1:そっちは o.o
名無し1:ああ
名無し1:やるって話はなくなりそうだな
名無し2:щ(゚Д゚щ) Noooooooooooo!
名無し2:こっちに来ればいいだろ。年齢は?
名無し1:19
名無し1:そっちは? ;D
名無し2:おなじw
名無し1:いや待てよ
名無し2:(はあと
名無し2:え?なんで違うの?
名無し1:いやなんか
名無し2:いいんだよ
名無し1:で、来ないの ;D
名無し2:高すぎる x.x
名無し1:ああ
名無し2:割り勘はどうよ。5分5分で。それなら行けるよ(はあと
名無し1:ああ
名無し1:大して違わないけどw
名無し1:でもあんたがどれくらいアツいか分かってないんだよな :o
名無し2:ブサいくらいアツい。そっちは?
名無し1:え
名無し1:質問読んでるか
名無し2:読んだよ
名無し1:説明して
名無し1:ああそういうことかw
名無し1:火傷
名無し2:火傷?
名無し1:アツい→火→皮膚こげる→火傷→ブサ
名無し1:ちょっと腹が出てるけど
名無し2:щ(゚Д゚щ)
名無し2:おうよ
名無し1:w
名無し2: (」゚ペ)」p° ━┳┻┳━ q(´∇`)
名無し1:SUGEE
名無し2:じゃあソウルメイトよ、ビデオチャットをしようではないか。楽しいよ。
名無し1:まじかよ
なんというか、…増田でよかったな。
普通飲まないだろ。
購入にだって年齢確認が居るんだし、マトモな奴なら未成年を飲み屋に連れてったら居たら注文の時とか配慮するだろw
20歳未満の飲酒の厳罰化でも問題解決は可能だし、今回の学内への酒持ち込み禁止はそういった流れだろ。
それに、「20歳」の根拠が薄いのに、「18歳」には何か根拠があるのか?
オランダでは「16歳」だし、スイスは州と酒類によるが、「14歳」の組み合わせもある。
逆に、アラブ諸国には飲酒自体が禁止だったり、「21歳」という所もある。
大方、お前が18、19歳で堂々と酒飲みたいって事なんだろうが。
「成人」で線引きすることに合理的な根拠
何をもって成人とするかという極めて政治的なやり取りで20歳って決まってんだから、数字に大した意味はないよ。
「成人」で線引きすることの実際的な利益
一応、何か問題起こしても本人の問題であって親の問題ではないという事になっとる。
自分で責任とれるから、酒やタバコを飲喫して良い。性的なコンテンツに振れてよい(まぁ、これは18歳か)という事。
18歳解禁にしたとして、不利益受ける人っているんだろうか
アホな飲みかたして、周りに迷惑かける奴が増える。
20年もありゃ、大体の社会倫理は覚えるだろって事になっとるが、
仮に社会倫理の学習が線形で近似するとして、閾値下げて社会倫理の薄いやつを野に放っても仕方ないだろ。
学習効率を上げるか何かして、現在の20歳と今後の18歳で社会倫理の学習が同程度にできるなら、今後の18歳解禁は有り。
オランダとか、ものによっては閾値低いが、あれは社会倫理教育が十分行われているからこそ。
で、学内で酒飲むなってのは、実際は年齢の問題じゃなくてTPOの問題だな。
いくら成人だろうが、職務中に酒飲むなって事でしかないよ。
ただ、それを昼間から飲む野郎が出てきたからの対処じゃないかね?
というか、自治会が体制寄りになったというか。
そこは自治会が抗議するべきだろと思うがw
最初に言いたいことは、これだけの雨が降ったにもかかわらず、これまでの治水の成果が出ていると思ったの。
NHKのヘリの中継で新潟の洪水の様子を目の当たりにした人も多いと思うが、アナウンサーの人と河川事務所の人の会話が咬み合っていなかったので、少し補足しておきたいんだよね。
100年に一度、200年に一度とだんだんと洪水の想定規模がおおきくなっていって、今は、3階建の建物くらいの高さがある。堤防の上の道路を走っていると2階建ての家の屋根よりも高いところを走る。
堤防の内側は、河川敷だ。堤防の内側の農地は、「何でそこに農地があるの」ってことになるのかもしれない。河川事務所の人も答えにくい質問だ。ちょっとおじさんがかわいそうだった。
低いところに駐車場をもっている人は、緊急時には、あらかじめ高いところ車を避難させるよね。よく水が上がる地域の人は何とかなる場所を知っています。
普段、河道となっている部分にしか橋がかかっていない橋が幾つかある。残念ながら、橋をかけたときに予算が足りなくて、堤防から堤防まで橋がかけられなかったところだ。この手の橋を渡るには、3階建ての高さの堤防を登って、一度、河川敷に降りて、橋の部分でもう一度、坂を登るような不思議な作りになっている。なので、洪水の時は、河川敷の部分があらかじめ水に浸かることになっている。
ここは自然堤防といって、その周りの土地よりも1から2メートルだけ高い。治水技術がなかったときの助かるための手段だけあって、安全性は高い。川沿いの昔からある家には、2階に避難用の小舟があったりする。
「新潟」という言葉が与える印象について。新潟県は北から南まで北陸3県分の規模がある。関東で言えば、小田原から宇都宮までくらいの広さがある。大きい範囲の一部分のことだということをまず捉えていただきたい。
で、次に新潟市も無駄にでかい。田園地帯を広域合併してしまったので、密度は薄いが面積だけはでかい。端っこから端っこまで車で2時間はかかる。そいう規模だ。なので、晴れて道路が乾いているところもあれば、水が溢れそうなところもある。
越後平野は、日本最大の干拓地だ。もともとは広大な潟湖で、いわば沼だ。強いて言えば、オランダと同じようなもので、海抜は極めて低く、各地の排水機場で必死に水を排水している。県内では柏崎刈羽原発の次にしっかりと警備をしないといけない場所だ。
もともと何の手も打たずに安全な場所は越後平野の中では少ないと認識しておく必要がある。
日本有数の信濃川と阿賀野川の2つの大河は、幾つかの工事によって、かなり治水された。これらの工事をしていなければ、今回の豪雨で新潟平野中が水浸しだっただろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E6%B4%A5%E5%88%86%E6%B0%B4
http://www.hrr.mlit.go.jp/shinano/ohkouzu/
信濃川の長岡の先で、海に水を流して、下流を守る分水路がある。大正11年に完成。堰のデザインがクラシカルだ。日本のパナマ運河とも言われた大工事だった。
ここで、かなりの量の水は海へ排水される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B1%8B%E5%88%86%E6%B0%B4
新潟市の市街地をショートカットする分水路。市街地への水量を減らせるようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%B3%80%E9%87%8E%E5%B7%9D
阿賀野川の流路も江戸時代の終わりには海へショートカットされるように直された。
この流路の変更の前は、信濃川と同じ地点に河口があった。
この2つの川は昔からのあばれ川だったので、大幅に人口河川化された。治水事業の実施後の洪水はない。
この2つは、運良く洪水にならなかった。そのため、派手な治水事業が行われず、7年前の大雨のときにはじめて問題が顕在化した。この7年の間に堤防は大幅にパワーアップしている。
誰も言わないから言ってやるよ。
行われていない国だらけなのを維持し続けること。
早い話が、今の世界の女子サッカーの女子差別万歳!と言うこと。
日本の女子サッカーが、再び優勝するための最大の原動力になるんだよ。
もっと具体的に言えば、その大前提の、競技国の問題があるからな。
南米のアルゼンチン女子なんか、ランキングでも30位以下で弱すぎだろ。
アメリカの女子なんか、南米の女子にサクッと負けるレベルになることが
そういう国々の日本よりも遥かに強い「女がサッカーするなんて(プ」
まぁ、実態を知ったらぶっ飛ぶことだらけだからな。
「女子サッカーは女性差別で弱い状態でいてくれ!」ということが
こういう指摘を全くしないで、各国の女子サッカーの環境改善どころか
そういう報道さえしないところを見ると
「日本の女子サッカーのためには、各国にある女性差別よそのままで」
ということを言っているに等しいな。
イスラム圏の女子も強くなって、もっと女子サッカーに参入してくる状態にならないとな。
勝てなくなるから困るわけだよ。
女性差別の存続を維持し続けるのが有効で
他の国の女子サッカーにも反映すると、それが日本の女子サッカーが
勝てない要因になるという、そういう状態にあるのが女子サッカー。
元増田の大好きな「海外」では、脱移民の流れが進んでいたりする。
さらに、北米及び欧州圏で移民を受け入れた国の中で、日本よりも失業率が低いのはオランダのみ。
これらからも分かるように、移民はあくまでも「労働力が不足している期間のみ受け入れ、用が済んだらさっさと本国へ返すもの」であり、自国の人口の足しにするためのものではない。日本国内の保守派の中にはこれを「形を変えた奴隷制度に過ぎない」と批判している者も多い。
国内で「マオツォートン」「シャオチュエン」が通じれば解決じゃないの?
発音の完全な再現も必要なくて、現にNederlandenはネーデルランデンで通じている。
こういう書き方すると厳密な人から怒られるんだろうけど、sとthの発音がごっちゃになってもある程度通じるのと一緒。
少なくとも国内でしか通じない「もうたくとう」「オランダ」は学問の入り口に無駄な壁を作っている。
私にしてみれば「英語の授業で綺麗な発音を意識するのはかっこ悪い」程度の横並び意識に感じるのだけど、
それを新たに教えていくメリットは何なの?
日本国内で「モウタクトウ」「シセン」で通用するんだから問題ないよ。
あとは外国語を必要とするような人が専門的に学べばいいだけ。
あと中国語は発音が超難しく、ローマ字読みそのままが通用しないから
ピンイン併記しても余計な負担になるだけで意味なさそうだなあ。
俺は楽しいけど。
id:cake_holl1515 風俗行くのは普通の人だろ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20110610175628
フランス:1.1%
イギリス:0.6%
アメリカ:0.3%
ノルウェー:1.8%
オランダ:2.8%
日本:13.6%
日本人のHIV/AIDS関連知識、性行動、性意識についての全国調査より引用
http://www.acc.go.jp/kenkyu/ekigaku/2000ekigaku/eki_015/015.htm
「普通の人」は行かないだろう。
そして他の先進国の男はもっと行かない。
正直まとめの人のデコレーションが的確すぎていちいち説明する必要がない。まとめを見たほうが早いと思います。これは私のアーカイブ用。
・大きなトラックの荷台に女性が寝てる的な写真の一連、美由紀さんの作品だと聞いて「おおっ!」と思いました。 > 非実在
・トラックの荷台の後ろのほうに女性が寝てポーズをとってるのと、その流れの一連の写真があって、あたしが衝撃を受けて「おおっ」って思ったら、松田美由紀さんの作品だって言われました。 =私は何も間違えてない。悪いのはソース
言質を取られたり論理的矛盾をつかれてもなかった事にできます(自分の中では)
マリファナを禁止することに比べれば地震なんてたいしたことありません。
ついでに悪者に仕立て上げる相手に時代遅れなどのレッテルを張っておくとなお効果的です。
「マリファナが恐い」と感じるのは、すべて日本政府による洗脳です。アメリカやイギリスやオランダや至りややスウェーデンでは子供でもマリファナを吸ってる子は吸ってます。ようするにお菓子みたいなもんです。
なぜ自分だけ洗脳されないのか、みたいな些細なことは気にしてはいけません。
「日本政府にそんな力ねーだろ」と信じてもらえないという場合はアメリカ軍需産業の責任にしましょう。やつらは万能です。
世界中の人がマリファナを吸ってたら、第二次世界大戦も起こらなかったし原発も造られなかった。
ボブ・マーリィはリアルな神様。リアルな神様であるボブが「神が与えし草」だというマリファナは神そのもの。あたしを否定するということはボブを否定することであり神を否定すること
たとえ本当の言葉でなくてもドラッカーの言葉とか言っとくとみんななんとなく信じます。彼らの中ではドラッカーは詩も書くのです。
文脈を無視したり曲解することはその神の怒りを買うのでは、とおそれてはいけません。自分の言葉が神の言葉だと信じましょう。
自分はその偉人とは全く違うただの凡人であるという些細な事実になど気を取られないようにしましょう。
ハタチすぎるまで童貞の男に「セックスの素晴らしさ」を説明したって分かるわけがないのと同じで、ハタチすぎるまでマリファナも吸ったことがない童貞小僧にマリファナの素晴らしさを説明したって意味がない。
ケンカでは先に感情的になったほうが負けです。効果的な挑発で相手を混乱させましょう。
・あなたは、あまりにも薄い。あまりにも知能が低すぎる。
それが神の言葉である以上、たとえ言葉が「俺のケツをなめろ」であっても受け手は天上の音楽を想像するのが義務です。
個人的にはこれが一番笑った。あ、ごめんなさい地が出てしまいました。
多分弾にはあたってると思うんだけど聞かなければ問題ない
(気になったところだけメモ)
→統合したばかりのスペインの国力を強化し、国境を挟んで緊張関係にあったフランスと対抗するために、ハプスブルク家に近づいた。フェルナンドとイサベルは生んだ子供のうち2人をハプスブルク家の人と結婚させた。その子供の1人がヨーロッパのかなりの領土を支配したカルロス1世(カール5世)だった。スペインは思いがけぬ形でハプスブルク帝国もいただくことになった。
→多民族、多文化、多言語、他宗教国家だったスペイン(4分の1はスペイン語が話せなかった。ユダヤ人社会。またイスラム系住民はまだ底辺労働力として居残っていた)。毎日開かれる王の諮問会議。報告書、稟議書などの大量の文書。数千人の役人が働いていた。スペインの大学は役人養成機関として発展し、16世紀始めに11あったカスティーリャの大学はその後の100年で33にも増えた。イギリスはそれと比べると官僚制を発展させず、大学の数も19世紀にいたるまでオックスブリッジの2つだけだった。
→銀塊をリャマの背に乗せて港近くまで運び、そこから小舟に移して北上、パナマを縦断するためにまたラバに載せ替えて陸上移動、大西洋からやってきた、トレジャーフリートと呼ばれる船団に載せてスペインに向かう。季節、季節風も加味してこうした計画を周到に用意する。信じられないほど高度なオペレーション能力が必要とされる。
→16世紀を通じて西ヨーロッパの物価は平均して5倍に高騰。スペインがヨーロッパにもたらした銀が原因とされているが、違うとされている。原因は王室の貨幣悪鋳・公債発行。そして人口がこの時急速に増えたものだから食料価格が高騰したことが原因。
印刷術
→金属活版印刷は1450年にドイツで発明。そこから1476年にイングランドに導入。カスティーリャには1473年に導入。わずか20年で違う国にまで技術が伝播した。この技術移転のスピードはほとんど現在と引けをとらないのではないか。
→同じ羊毛生産を主力産業にしていて、フランドルへの原料供給国だった。イングランドはロンドンの独占商人組合が一手にそれを集め、アントワープに出荷。カスティーリャでもおなじような独占組合が羊毛の生産・出荷を支配。北部の内陸都市ブルゴスに集積、フランドルに出荷していた。
→アメリカから得た富を装飾や豪遊につかったというのは誤解。むしろ、絶えず起こっていた戦争(オスマン帝国との戦争、フランスとの継続的な戦争、宗教改革の勢力、独立を目指す北イタリア、ネーデルラントの勢力などなど)への出費のせいだった。
アルマダの経緯
→同じ新宗教国家として、イギリスのエリザベス1世はネーデルラントの独立紛争に介入。7000人の兵を送る。1588年、スペイン王フェリペ2世は英国作戦を計画。大量の兵力を送り込み、ロンドンを一気に制圧する予定。当時のスペインは領土も富の綿でも大国。小国イギリスに勝ち目なし、と当時の銀行家たちは踏んでいたが、まさかの敗戦。
オランダ発展の経緯
→16世紀半ばから新教によるオランダ独立運動が始まって30年。南部アントワープがスペインの焼き討ち→北部アムステルダムに大量の人口移動、資本と商業もここに集約。スペインの劣勢も追い風となりこの地の発展が促された。貿易国家として栄えた上、アントワープ以来の繊維産業も追随を許さない。
→海洋商業国家のオランダを潰す目的で制定したクロムウェルの航海条例(1651年)→翌年から20年に渡る断続的な戦争。→1672年にはルイ14世が陸・海で攻撃、オランダはパニックに陥り経済も壊滅的打撃。数々の緊張が続く中、オランダはイギリス侵攻を計画する。1688年、500隻の船、2万人の陸軍兵を伴ってオラニエ公ウィレムがロンドン上陸。イギリス国王の座に収まった。これが、名誉革命のもうひとつの側面である。