はてなキーワード: 勝敗とは
それ以上に蒸気船と帆船の戦いにおいて、蒸気船の高い操舵力による
黒海での圧倒的有利が、難攻不落であるはずのセバストポリ要塞を孤立させ、
→次は蒸気船の中でも外輪船VSスクリュー船、で争う。
対日本、対中国程度であれば外輪船でもスクリュー船でも大差なく勝つが
同じ蒸気船同志なら、圧倒的にスクリュー船が勝つ
日本だって戦国時代はそうだったのだが、スケール感が違うので少し戸惑うね。
「井伊直弼は信念を持って粛清を始めている。本人の胸中に入ってんのやましさもないのだ。それがどれほど恐ろしいことかお前にわかるか?ただの悪意や傲慢なら少し恫喝をかければおとなしくなる。我が身が可愛いだろうからな。覚悟を決めた男にそれはきかない。これからの井伊は果てしなくエスカレートするだろう。権力を持った人間はやりたいことがどこまでもかなってしまうからな。しかし権力を掴んだ男は気づかぬうちに権力の奴隷に成り果てるのだ。私はな、自分で言うのも何だが権力の奴隷にならずにすんだ。正義と権力に酔ってお由良派を粛清するために血刀を振るっていたならば、今頃薩摩全土は死屍累々、私自身どこかで非業の死に倒れ、島津は滅亡し今の近代化など微塵もなかったであろう。だからこそわかる井伊家は日本を血で染め、日本そのものを滅ぼしかねん。使いたくもない権力であったが、ひと暴れせざるを得まい」(島津斉彬)
戦をせぬ戦というものがある。今回の騒ぎは糸をほぐせば簡単にとけるものだ。京の天子様をあまりにも現実から遠ざけてきたことが間違いなのだ。西洋人は禽獣ではないこと、我が国は国際社会と堂々渡り合える力を秘めていること、それを伝えて孝明帝の心が休んじられれば日本は平和に開国できるのだ。その自信を持てず西洋に一番怯えておるのが250年惰眠を貪り続けてきた江戸幕府である!どれほど格好をつけ、居丈高に振舞おうとも、いや水戸様のように居丈高になればなるほどその怯えは日本全土、全国民に伝わってしまう。幕府の自信のなさを朝廷は見ぬいておられる。意味不明な西欧の脅威とこの国の責任を押し付けられる帝は溜まったものではない。砲一つない御所にお住まいの帝が開国不承知を叫ばれるのは当然ではないか。帝に安堵していただければ御所の空気は一変する。京の攘夷派も納得し一滴の血も流さず開国への道がひらけるはずだ。(この真意を知るのは西郷、橋本左内など側近のみ)
どこの国の役人だって、出歩いたこっちが悪いと言いはるでしょうに
#坂本龍馬#
特別な人間などだれもおりゃせんが、一人ひとりは自分がかけがえのない人間じゃ
いつも前へ前へと突き進んでいくものには、
目の前に何が待ち受けていようと恐れることはない。
そうやって生きるには、身分制度ちゅうおかしなもんが邪魔じゃあ。
なんで人間をそんなにわけるんじゃ。
わしゃあこの国を全部変えちゃる。謀反人の血を持ってすりゃあできんことはない
途中でボツ。 もうちょっと具体的事例とかわかりやすさとか考慮シないといけない。私自身勉強が足りない。
橋下さんは学者の意見を実効性がないとか現場を知らぬ机上論といって批判するが、学者が機能できないのはあなたのせいです
森岡孝二が6年前に出版した『働きすぎの時代』にたいして、「働きすぎの要因の考察については「よくわかる」が、働きすぎ防止の指針については「実効性に欠ける」という」批判があったという。本書にたいしても、同じような批判があるかもしれない。しかし、それを大学の研究者に言うのは酷である。「実効性に欠ける」のは、そもそも就職協定を守らない、企業のコンプライアンスの根本が問われるようなことを考慮に入れなければならない現状があるからだ。多少なりとも「守ってくれる」なら、研究者としてももっと違った対応の仕方がある。
このチェックを受けることを拒否し、はなっからルールのことなんて考えずに好き勝手に振る舞う政治家に学者ができることなどない。
もしそれに置いて役に立つ学者がいるのだとしたら、それは学者という肩書きだけ持ってるが、学者としての仕事をしていない人である。
ルールを守らないモヒカンにどもが「ルールの話なんかいいから野球やろうぜ!」と言われたら、審判は仕事などできないのだ。
御用学者を好む人間には、まともな学者など何の貢献もできないし、原則としてゃ領分を越えてルール無視に加担すべきではない。外側でみんながルールに気づくのを待つしかない。
そもそも繰り返される現場重視のフレーズが、典型的に日本人ビジネスマンの勘違いにうまく便乗していていやらしい。
「現場力」やら「現場第一主義」という言葉に対する根強い誤解は何とかしなければいけない。
日本の、この手の勉強に熱心でないサラリーマンは、文字ヅラだけ観て、あるいは自分たちに有利だからと積極的に誤読をする。
現場主義って言葉の意味を聞いたらどういうふうに解釈するか100人にアンケートをとってみたら
「トップは現場を知らない。そんな奴のいうことを聞かなくてもいい」「現場の意見こそが絶対」「現場を知ってる奴vが偉い」などと都合の良い解釈をするのだろう。
これは非常によろしくないことだと思う。
この手の「現場は偉い」思想の誤解は2点ある。
問題と顧客をうまく取り扱うために、間接的に現場で働く人間が大事にされることはあるが、現場の人間が大切にされることは目的ではない。
現場の人間がこれを勘違いして、自己の主観で好き勝手にして、結果として問題と顧客の扱いを誤るなら、その人は現場を知ってる「だけ」であり無能である。
あくまで、現場において問題と顧客をよく理解し、彼らのために何ができるかを提示できる人が現場力のある人である。
極論すれば、現場に一度も顔を運んだことがなくても、これが出来る人がいるなあ、その人が最も現場を知っている人である。
橋下さんの今までの発言を見ていると、全然現場力がある人には見えない。(ただし「それ以上に」大阪の教育委員会などは現場力が低いこともあわせて指摘しておく)
目糞が鼻糞を笑っている状態なのに、私は現場を知っていると言われても正直ひくわ。
トップが考えるべきことと現場の人間が考えるべきことは、単にレベルが違うというものではなく、考え方の性質そのものが違う。
「現場がこうだからトップの政策はこうなりました」というものではない。
「あなたは現場を知らないから頓珍漢な政策批判をする」という主張は論理的に成立しない。
とにかく、現場に正義も、絶対的な権利もないのに、あれだけ自信たっぷりに喋ってれば
なぜかマスコミは「こっちが勝ち組だ」と誤解して尻馬に乗り、マスコミの報道は片面的だからすでに勝敗が決したかのように報道されてしまうと。
学者の意見について実効性がないと批判するのはある種日本のお家芸であるが、これはアメリカだったらただの無能の証明である。
前記事
http://anond.hatelabo.jp/20120108211250
ちょっとはてブだけを貶める形になってしまったので、これはよくないな、と改めて、ネット各地で戦うコメンテーター達の特徴を、ウェブ上の争い事なんかに興味のない女子にもわかりやすく、戦国大名に例えてみたよ!
(※あくまで戦う人をツール全体で捉えたものであり、利用者個人の特徴を言い当てているものではないです。)
勢力が非常に広範かつ多岐に渡るため、一括りにすることが最も難しい国ですが、強いていうのであれば謙信タイプでしょうか。屈強な武将がフォロワーという軍隊を従え、RTという名の十文字槍で取るに足らない足軽兵を駆逐していく様はまさに軍神と呼ぶに相応しく、各地での転戦の多さや、持久戦を得意とせず、短期戦で勝敗を決めるあたりも謙信型ツールといえます。当然、国民の大多数は争いを傍目に見ている農民か、無言のRTで追随する足軽や小物であり、武将クラスは100人に1人も満たないということは付け加えておきます。
ネット界古豪。上杉家を「馬鹿発見器」と称し、馬鹿を発見し次第、少数の精鋭部隊が煽動した後、住人全員で場所を厭わず突撃する様は、まさに信玄が得意とした啄木鳥の戦法そのもの。ターゲットにされた者は、最初は「ネット弁慶が」と油断しているものの、知らず知らずのうちに追い込まれ、気づいた時には過去の悪行を洗われ、身分バレ、職場に電話、の三段撃ちで後の祭りとなります。戦国最強と謳われることも多いですが、一人一人は取るに足らない雑兵なので、軍師や精鋭部隊を抑えることが鍵となります。
疑り深い性格のため、誰にでもとりあえず謀反の疑いをかけて追い込んでしまう彼らは信長タイプです。一時は天下を取るかと思われましたが、それも遠い昔の話。新しいもの好きで、策略や心理戦に長けていながら、非常に威圧的かつ冷酷であるが故、敵を多く作ってしまい、四面楚歌に。うつけを演じ続けて終わる三文役者も後を絶ちません。心ない皮肉を投げ捨ててばかりいると、仕舞いには部下に焼き討ちに遭ってしまうのが世の常というものです。
国内レベルの些細な小突き合いに満足するのではなく、世界を舞台に闘いたい。いつまでもJリーグで満足している俺じゃない。そんな野心溢れる猛者達が集う場所です。これは天下統一を成し遂げた後、世界に目を向け、手始めに朝鮮出兵を企てた豊臣秀吉タイプと言えるでしょう。世界規模で文化や宗教が入り乱れているのでやや面倒な状態になっていますが、10年前のワールドカップの審判買収をネタにコリアを叩けばヨーロッパ各地から賞賛されるレベルなので、知略戦は必要ありません。英語は必須です。
国内では圧倒的な勢力を誇っていながら、今ひとつ目立った武勇を残せていないその戦果は信長の噛ませ犬となった今川義元と重なるものがあります。仕様上、与えられた情報のみに食いつく受け身の性質であるため、そもそも誇り高い戦闘民族とは言い難く、戦国武将に例えることも躊躇われるのですが、場合によってはストレートな物言いで集団で牙を見せる気概も持ち合わせているので油断は禁物です。しかし、基本的には騎乗もできない貴族体質であるため、あまりにも鋭い逸材は埋没してしまうことが多い反面、「そう思う」「思わない」の二択の統治の安定感には光るものがあります。
とにかく流行の場所に乗っかっていく浮気者。「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」をモットーに、あらゆるSNSを使い倒し、寝返りを繰り返した挙げ句に争いに疲弊し、落ち着いた人間が多く集う安寧の地。人を疑わないことを是とし、終始、当たり障りのない会話といいね!の笑顔でお茶を濁す。揉め事などとは無縁の太平の世ではありますが、ぬるま湯の居心地が悪くなればいつでも次の主君に仕える準備はできている、節操のない集団といえるでしょう。
どっちかと言うと、小池の票は2・3位と合体しても勝敗を争えるレベルになかったから、東国原と渡邊に二分してしまったのがまずったかなと
終わったことをどうこう言ってもしょうがないけどね。
しかし78歳の老人にこの先4年も首都の首長をやらせてOK(=世代交代しなくていい)と思っている人が260万人もいたことにびっくりだよ…
なんていうか最近、「いつまでも若々しいのが正義」みたいな風潮がやばいレベルに達していると思う。
50歳なのに20代に見える美魔女奥様とかいってもてはやしたり、定年すぎても生涯現役サラリーマンでとか、ほとんどホラーだってそれ
このたびの東日本大震災で、東北から関東の一部まで大被害を受けましたが、我が社も陸前高田の坂井宏所長御夫妻とそのご子息および、各店の所長の御家族五人、YCスタッフ一〇人がお亡くなりになりました。深く哀悼の意をささげます。また、YC店舗は全壊六戸、半壊・一部損壊一七戸という被害を受けました。
今回の震災の被害対策については、政府の対応は誠に非能率で憤慨するところ大でありますが、グループ本社及び傘下各本社は、宮本副社長販売担当のもと、労力的にも、資金的にも迅速に対応し、その報告を聞いていささか心を癒されました。今後とも被災地YCの復興に全力をあげるつもりであります。また政府の被災地全体にわたる救済、復興の不手際については、紙面で厳しく批判し、督促してまいります。
さて、震災後の五月二十六日に、読売新聞が週刊新潮の無責任なデマについて提訴した名誉毀損訴訟に対して賠償金の支払いを命ずる判決が出て、全面勝訴しました。
この新潮報道では、二〇〇九年六月十一日号で、「新聞業界最大のタブー"押し紙を斬る"」というタイトルで、「読売18%、朝日34%、毎日57%が配られずに捨てられていた」と断定しております。判決では「読売新聞においては"押し紙"が存在すると推察することもできない」として、新潮報道が全面否定されました。
新聞が二割、三割、五割以上もの紙を配らずに捨てるというような不合理な無駄をしていれば、用紙代、印刷代、輸送費及び人件費の消耗で直ちに倒産しているでしょう。
過去十年間の読売新聞の決算報告をもとに数字を申し上げれば、この十年不況で日本経済が停滞し、また新聞外のメディア、特に電子メディアの普及等もあり、販売部数が減少したことは事実であります。
しかし、二〇〇二年三月期と、二〇一一年三月期の十年間の読売新聞の収支を申し上げると、販売収入は二六四九億円から96.61%の二五六〇億円に減少、その落ち込み幅は3.39%に過ぎません。その間のABC部数は一〇一五・二万部から98.74%の一〇〇二・四万部に減少、落ち込み幅は十年不況の中で僅か1.26%であります。
それに対し、景気を最も敏感に反映する広告収入は、一五〇六・九億円から53.16%の八〇一・二億円に減少、落ち込み幅は46.84%にも達します。
それにもかかわらず、黒字経営を続けているのは資材、人件費の節減や、製造工程の近代化、合理化による節減と保有株の配当収入、不動産賃貸収入の安定もありますが、最大の原因は販売収入の減少が極めて僅かだったからであります。
週刊新潮の言うように、印刷した新聞の18%も捨てていれば、このような安定した販売収入はあり得ません。
大きく言って、読売新聞の収入構造は、販売6、広告2、不動産賃貸収入、配当収入、巨人軍等の事業収入2の割合です。そのうち二割を占める広告収入が十年不況で半減したのに、堂々たる黒字経営を続けていられるのは、ここにおられるYC所長の皆さまの日常の努力による販売収入の安定でありまして、皆さまの献身的な愛社精神と堅実な経営努力に心から感謝申し上げます。
ちなみに、最近倒産の多発している米国の新聞の広告収入依存度は、七割から八割であり、これは宅配制度の不備によるものです。
さて、原発問題と今後の日本と世界経済の問題について若干言及致します。
現在稼働中の原発もいずれ点検による稼働中止になり、このままでは来年には、日本の全原発が稼働停止になります。もし、日本の電力の29%をまかなってきた原発が動かなくなれば、日本の産業生産は縮小し、かなりの企業が倒産し、失業者が増大し、税収は減り、国家財政は破綻する恐れがあります。
菅首相は、現在9%の再生可能エネルギーを20%とか25%に増大するという夢を語っていますが、彼の言う再生可能エネルギーのうち8%は水力発電です。これを増強しようとすれば、民主党政権の言ってきた「コンクリートから人へ」を逆転させ、ダムを建設しなければなりませんが、それには五年、十年かかるし、また日本にはその適地もなく、コストは巨大になります。
菅首相の言う太陽光、風力発電は、現在全発電量の0.5%くらいで、日本の地理上、適地が少なく、風力発電は海上に巨大な浮体を作って乗せるほかなく、それも巨額な出費をもたらします。
太陽光発電は、理想としては良いのですが、実際に広大なパネルを作ろうとすれば、それも巨費を要し、一朝一夕にできるものではありません。
そうなれば、今問題になっている玄海原発のように、政府が安全を保証する点検済みの原発を再稼働させていく以外には、日本の経済、財政、産業、国民所得を維持する道はありません。
私が枝野官房長官をはじめ、関係政府要人や専門学者達に聞いたところによると、福島第一原発の事故は、地震によるものではなく、大津波によるものだということです。
つまり、地震による揺れで原子炉が破壊されたのではなく、大津波によって原子炉の冷却装置を稼働させる電源と冷却装置をつなぐ配電管が破壊され、冷却装置が止まってしまったこと、また海水を汲み上げるパイプ、そのための発動機の損傷もありました。
海面上一〇メートルの所に作られた第一原発は壊れましたが、一五メートルの高台に作られた女川原発は、津波による被害がなかったので、今すぐにでも稼働できるのです。日本海側、瀬戸内海側の原発は、二〇メートルの津波をかぶる心配はありません。静岡県の浜岡原発も、完全な防潮施設を作れば安全になるでしょう。福島第一では電源を地下に設置してありましたが、浜岡では建屋の屋上に設置してあります。
福島第一の事故で、たくさんの人災的原因が明らかになりました。この経験と知識と高度な日本の技術をもってすれば、耐震性は証明されている日本の原発に対し、さらにどんな津波が来ても、外部電源とつながる炉の冷却装置を損傷しないような防御装置を構築することは可能でしょう。震災後四カ月たっても、こういう措置を稼働中止中の原発に対して取ってこなかった政府は、一体何を考えていたのでしょうか。
ドイツが原発を中止したといっても、ドイツはフランスの原発から電力を輸入しているからできることです。
過剰な原発アレルギーで、日本の電力の三割を止め、節電とか自粛とかを連呼しているのみでは、日本はいずれ産業国家として世界三等国に転落し、貧困や失業に悩まされるのではないでしょうか。
読売新聞社は、この不況の中で、大手町の一等地に三三階の新社屋を建設します。首都直下型地震が来ても安全な耐震性、非常の時の自家発電や、交通途絶対策としての非常食の備蓄等、完壁なビルを無借金で建てます。
私が社長に就任した二年後、借入金はピークで一六四一億円余ありました。社長就任以降今まで五六五四億円設備投資しましたが、現在すでに返済し、数百億円の預金があります。つまり、二十年前に千数百億円借金をしなければ、新規設備投資ができなかったのです。しかし今、大手町に最新の建設技術の全てを取り入れた高層ビルを建てるのに、新たな借金は必要ありません。
現在の我が社の基本的な経営体力は、皆さんの努力による安定した販売力、YCの店力、全従業員の愛社精神が基軸であります。
さらに、読売新聞の主張する税制改革案を含む財政、経済、社会保障、産業政策等が、ポスト菅の内閣によって実現されれば、不況も解消し、広告収入の低落にストップがかかり、増収になり、その成果を皆さんとともに享受できるようになるでしょう。
次に今回の読売グループの人事異動について説明します。すでに新聞等に細かく報道されているので、重点について述べます。
内山前社長は昨年春、令夫人が大きな手術をして以来、術後が思わしくなく、そのショックで本人もいささか精神不安定になり、特に3・11の地震後の社務にはほとんどたずさわらないという状態になり、私宛に、夫人の看護に専念したいとの辞表が提出されました。
内山君は私の永年の忠誠な部下であり、私には万感こもごも至る思いもありましたが、新聞社として緊急非常の事態の中、その辞表を認めました。
老川東京本社社長は定年に達していたので、グループ本社の最高顧問としてグループ全体について指導してもらうこととしました。
私は依然、事実上の最高経営責任者として残りますが、八十五歳という高齢を考え、実務は白石興二郎君に、グループ・東京本社の代表取締役社長を任せることにしました。白石君は、編集局長、論説委員長、メディア戦略局長、社長室長等を歴任、社務の全般に通じており、最適任と思います。また、政策理論家として社外でも評価されている早川準一君にグループ本社の副社長兼副主筆として私を補佐してもらいます。
販売担当の宮本友丘君は東京本社副社長に昇格、私の直轄下で、東西の販売政策を指揮してもらいます。
内山君の病気のこともあるので、八十五歳という最高齢で、事実上の最高経営責任者である私の健康状態について報告しておきます。
今月、慈恵医大病院で、世界的な血管外科の大家として知られる大木隆生先生に、全身の内臓検査をしてもらいました。その検査結果の一部を読みます。
これは大木教授より読売診療所の近藤所長にあてられた報告書です。
「渡辺さんは、息切れなどの症状もなく、極めて健脚です。血液検査については、γ-GTが少々上っている以外、異常はありません。肝機能は極めて正常です。
次に、心電図と脈波検査を行いました。血圧は正常、閉塞性動脈硬化症がなく、脚の血流が良好です。
CT検査の結果、まず脳に関し驚くべきことに脳の萎縮が全く進行しておらず、頭がさえていることが見てとれます。脳動脈瘤、甲状腺、嚢胞や腫瘍もありません。心臓も肥大や大動脈弁石灰化もなく、極めて若々しい状態にあり、六十歳代くらいの若々しさと言えます。肺にはがん、腫瘍も認められません。極めて健康的な肺です。膵臓が唯一の所見のある部位で、萎縮があり、前糖尿病と言えます。腹腔動脈、上腸間膜動脈、および左右の腎動脈に狭窄はありません。
腰椎に高度の変形を認めます。腹部大動脈、腸骨動脈に動脈瘤や狭窄病変などはありません。膀胱に異常はありません。現時点で治療を行う必要はないと思われます。
内臓脂肪が多く、膵臓が萎縮していますので、一層のカロリー制限と定期的な運動を続けられることは膵臓のみならず、高血圧、痛みのある膝関節にとっても良いことです。
最も素晴らしいことは、八十五歳と高齢であるにも関わらず、脳に萎縮が全く見られないことです。人間にとって肝心な脳、心臓、腎臓、肝臓が全て六十歳代と思えるほどの若々しさです。
東京慈恵医科大学外科学教授血管外科 大木隆生 読売診療所 近藤和興先生御侍史」
以上が目下の私の健康状態なので、新社屋の完成する年、つまり米寿までは持ちこたえるでしょう。この世には小生が早く往生することを願っている人も少なくないようですが、その人達は失望されても仕方のないことです。
最後に、ポスト菅の首相が誰になるかを予想することは、巨人の勝敗の予測よりも困難であることを告白してごあいさつと致します。
相手の男に中出しされた。それ聞いて、昨日俺も負けじと中出しした。
卵求めて競走するだけでなく、潰し合いもするらしい。
いろいろあって、それらが胎内で戦って勝ったほうが受精。
なので、出すときには向こうの精子を俺ので潰すつもりで出した。
たぶん、いつもよりたくさん出たような気がする。
彼女の排卵がいつあるかと、どっちが生物的に強いかが勝敗の分かれ目。
早ければ向こうが有利で、遅ければこっちが有利。
今頃、彼女の胎内では二人の男の精子が排卵の瞬間を待ちつつ潰し合ってるわけだ。
常識で考えたら不毛な戦いだろうけど、あのまま何もせず彼女が妊娠してたら、
100%相手の子なわけで、その男と結婚してたかもだからそれを防ぐには
(今回、妊娠してないのが一番だろうけど)
スポーツも競技になるものはレギュレーションってのがあってね・・・
子供の遊びのゴムとびだって勝ち負けのルールやこれをやったらダメってのを決めるよね。
古いモデルの焼畑式チョンゲーMMOや殆どのソーシャルゲームは例えるなら、レギュレーション違反の道具を買えたり、勝負で八百長したり、自分だけ外人選手入れたり、勝ちをお金で買えたりするくらいのチート感があったんだよ。そもそもお金払わないと遊ぶ場所を確保できないとかね。
人が複数集まる以上、それは競技としての性質を帯びる。大多数が楽しいと思うためにはバランスを崩さないことが必要。アイテムなどよりも、プレイヤーの腕や経験や人脈やらが勝敗に関与する割合を増やす。そうしないと、交流したり競争したり協力することが楽しいと思えないし、ゲーム自体が短命になる。
その方向性を究極まで突き詰めて、プレイヤーの腕だけが差になるのが FPS。これらは eスポーツといって、スポーツの一種という扱われ方もされてる。プレイヤースキルやチームワークが大事というのは、たかがゲームでもその楽しさの根源はスポーツやチェスなどと何らかわらない。
そこまで削ぎ落としたモデルにしなくても、ネットゲーム全般にだってその要素はあるし、「交流したり競争したり協力することが楽しくて、自分で工夫したり努力することが結果に繋がる」という根本を崩さないようにしながら、アイテム課金も両立するというのはもう常識になってきてる。まぁ、大量生産ハンコ型クリゲーは初期動員さえ稼げればいいのでレギュレーションもクソッタレもない焼畑式が多いけど、そうじゃなくてまともな MMORPG は随分前から変わってきてる。
まあ、MMO もユーザーはずっと前からこのことに気付いていて「こうしてくれたら気持ちよくお金を払うのに」と 10年位思っていたけど、製作側が頭が固すぎたつーのがあって。ソーシャルゲームも同じ歴史を繰り替えすのだろうなと思う。
ソーシャルゲームはイノベーション。だがイノベーションは、すべてのユーザーが接続された単一のサーバーを使う、マルチプラットフォーム、マイクロトランザクション、コレクション中心のゲーム性、ゲームマネーとリアルマネーの最小限の垣根、スマートな課金システム、ゆるやかなコミュニケーションではない。ソーシャルゲームのコア技術。だがゲームや伝統的なオンラインゲームやウェブサービスなどが実現済み。だが人類史上ソーシャルゲームだけが実現した特徴。人間とボットが混在してもボットの存在が気がつかれない革新的な環境。ボットが人間に擬態して人間とゲームをプレイしてゲームを盛り上げるSF近似の環境が実現。ソーシャルゲームではユーザー同士の人間的なコミュニケーションを極限まで減少することでこれを可能に。革新的なことにもかかわらず不思議に語られない。すごく残念に思う。私が語ろう。
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ボットは、パソコン MMO では周知の事実で違法がはびこっている。これから話すことは少し違う。ソーシャルゲームのボットは、ゲームメーカー自身によって開発された。ボットは、普通のユーザーには区別がつかない。仲間やあなたの競争相手のいくつかはボットと考えるのは簡単。多くの人が疑問に思う。人間とボットの区別がつかないはずがない。セカンドライフとパソコンのMMOのような環境でボットが人間のフリをするのは大変困難。MMOはすべてのプレーヤーの動きをリアルタイムに見ることができる。すべてのプレイヤーがどのように動作するかを誰もが見ることができる環境では、特異な行動パターンは際立って目立つ。ほぼ同じアクションが繰り返されるならすぐにボットとわかる。ありえない動作もすぐにわかる(超高速移動、不可能なタイミングの攻撃を続ける、など)。MMOのボットのためのチートツールは不自然ではない動きの再現に苦労。NPCキャラの移動は不自然。同じ場所しか歩かない。不自然に遠回り。隙間に入って抜け出れなくなるなど。人間の操作する自然な移動は非常に困難な技術。ボットが人間とパーティを組んで行動するのは不可能。ボットは会話できない。MMOはキーボードと共にある。ゲームのチャット機能も充実。チャットをするのは当たり前。完全な無言のユーザーは不自然な存在。協調行動は全く取れない。すぐにボットが露見するであろう。
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対照的にソーシャルゲームでは人間とボットを区別する機能が軽視。あるいは未実装。他のプレイヤーの行動は目立たない。気がつかない。他のプレイヤーにあまり興味を持たないことでボットことに気がつかない環境。他のユーザーが何をしているのか分からない。ユーザーの仲間は行動記録を閲覧できる。ユーザーと対戦したユーザーとの試合結果は見ることができる。それは非常に断片的。ボスを倒した、ダンジョンをクリアした、などの結果しかわからない。他のユーザーのプレイの状態を把握することはできない。ソーシャルゲームでは装備の着替えを繰り返しているユーザーがいても誰も気がつかない。MMOで装備の着替えを繰り返しているユーザーがいたらすごく目立つ。ソーシャルゲームでは異常な行動パターンをとっていても問題にならない。目立たない。ボットにとても都合が良い。ソーシャルゲームでは移動に必要もない。移動はリンクのクリックだけ。人間らしい移動アルゴリズムは不要。ソーシャルゲームでは会話がとても軽視。他ユーザーへのコメントや掲示板がある。しかしあまり活用されない。ゲームに協力する戦略性が必要が薄いため。またキーボードが使えない。ずっと無言のユーザーも珍しくない。会話がとても少ない。ボットの理想的環境。ソーシャルゲームは最低限のコミュニケーションで成り立つことに最適化。それは同時にボットが人間に擬態することにも最適化。結果的にボットが人間に擬態できる環境が生まれている。結論。リンクをランダムクリックするだけでもボットが完成。それは不自然なゲームプレイが予想される。だが他ユーザーは気がつかないであろう。
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ボットを活用しているのは違法ユーザーではない。ゲームの開発会社が用意している。運営している。言い換えればハック不要。無制限にデータベースへのアクセスが可能。実際にゲームを操作する必要ない。データベースに記録を行えば良い。SQLだけでボットを作ることが出来る。例えば、"ナンバーワンのユーザーの敗北を増やす"SQLの次の2行で実現することができます。余談。MySQLのサブクエリ限界は非常に気に入らない。「SELECT userid FROM usertable ORDER BY gold DESC LIMIT 1;UPDATE usertable SET lose=lose+1 WHERE userid=xxxxxx;」これは不十分。たかだか敗北数を増やすだけ。正しくは対戦相手と対戦ログもゲームルールに合わせた形で記録。データベースに勝敗結果を記録するプログラムが必要。これはゲームのプログラムに元々存在している。流用するだけで良い。PerlやPHPで実装されているだろう。対戦結果の偽装は簡単。
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ソーシャルゲームはSNSプロフィールページと連動。ユーザーの顔画像クリックでプロフィールページに遷移。プロフィールページの偽装が必要。プラットフォーマーは己のSNSのデータベースへのアクセスが可能。ランダム名前で自動大量生成することは容易。ボットのプロフィールページを用意することは容易。ボットユーザーは、日記を書くことなく、まったくの無言で、熱心にゲームをプレイ。そのような特徴は正規ユーザーにも珍しくなく違和感はない。参入メーカーはSNSプロフィールページを大量に作成できない。正規プロフィールページを使い回す。その場合には、ゲーム上のH氏とG氏ののSNSのプロフィールが互いにV氏で同じ人に。これは異常。しかしユーザーは他ユーザーのプロフィールの対応を全てチェックしたりしない。発見される確率はとても低い。
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閲覧者はボット開発の容易さには納得したと信じる。まだボットの必要性と活用には納得していない。これからの話しで納得できる。
伝統的ゲームは開発者の感覚を基準にゲームバランスを決定(マーケティングの無視を意味しない)。ソーシャルゲームはユーザーアクティビティに基づいて、科学的な分析でゲームバランスへのアプローチを決定。これはユーザーアクティビティのサーバーログが蓄積されるために可能。ユーザーアクティビティの分析結果がゲームバランスに反映。例。チュートリアルの進行状況50%で停止しているユーザーが多数いるという分析結果。その箇所のチュートリアルは高い障害ことが想定される。対策。その箇所を平易に修正。その箇所を短縮。その箇所を除去、など。結果、チュートリアルの進行状況50%で停止するユーザーは激減。課金でも分析は重要。課金アイテムのバナー画像を表示する例。ランダム分割したグループAユーザとグループBユーザに別々のバナー画像を見せる。しばらく続け、結果的により課金が多いグループのバナー画像がより最適。繰り返すことでより効率的なバナー画像が完成。
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ゲームパラメータは簡単にデータを調整できる。しかしこれは不十分。人間同士のプレイの分析に適応できない。例。「開始直後に他のユーザーと対戦し3連敗したユーザーの70%はそれ以上プレイを続けない」という分析結果があると仮定。これはゲームパラメータでは解決できない問題。開始直後のユーザーは誰もが同じ強さ。ゲーム内で最弱。パラメータの調整とは別問題。解決策はボットの利用。開始直後のユーザーより弱いボットを用意。開始直後のユーザーはボットに優先的にマッチング。ボットの内部パラメータは開始直後ユーザー以下だかユーザーにはユーザーと同程度のパラメータに見せる。ユーザーは確実に勝利できるので3連敗してゲームを辞めてしまう可能性は激減。またユーザーは自分と同程度のパラメータの相手に勝利したと信じている。プレイを継続するモチベーションに繋がる。ソーシャルゲームプレイ中の人は確認推奨。理論上ユーザー全体の対戦での勝利数と敗北数は一致。上位のユーザーは勝利数のほうが多く下位のユーザーは敗北数が多い。コアユーザーでないのなら敗北数が多いのが正しい。もしもあなたが下位ユーザーにもかかわらず勝利数のほうが多いのであればあなたはボットに感謝する必要がある。逆の例:ロンチ直後のランキング上位にはボットを置く。それがないと初期ユーザーはすぐ上位到達。同ボットはゲーム人口が大幅に増加したら不要になることがおおい。
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課金でも分析結果にボットを適用するのは重要。例。「課金未経験でしばらく連勝を続け宝物のコンプリートまであとわずかのユーザーに突然強力な一人のユーザーが連日攻撃し続け宝物を奪いにきたときユーザーは課金アイテムを購入して防衛する可能性が高い」という分析結果があると仮定。ユーザー心理は、今をしのげば他ユーザーには連勝を続けられると考える。今だけでもと課金を行う。これを再現するボットの開発は容易。データベースを検索して課金未経験でしばらく連勝を続け宝物のコンプリートまであとわずかのユーザーを発見。そのユーザーと対戦可能で勝利できるパラメータのボットを検索。ボットは前もって様々なパラメータで大量に用意しておくのは当たり前。発見したボットでユーザーと対戦し対戦結果をボットの勝利でデータベースに書きこむ。これでユーザーが課金する確率が飛躍的に高まる。課金未経験ユーザーに課金を経験させることは実に重要。一度同様のボットプログラムを開発したら後は全自動で継続的に動作するのは当たり前。分析とボットの組み合わせアプローチ。日本ソーシャルゲームの驚異的課金率の施策の1つ。
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このようなパターンはユーザーアクティビティを分析することで無限に発見することが可能。ゲームの盛り上げと収益の最大化に大きく貢献。あと1つ例を。課金未経験ゆったりプレイユーザーにボットが仲間申請。ボットはゲームを情熱的にプレイ。課金も積極活用。仲間ゆったりユーザーにボットのプレイ結果がどんどん伝わる。多くのソーシャルゲームでは仲間のプレイ状況は断片的にユーザーに知らされる。中のプレイ状況は大きな刺激。仲間に影響されてよりプレイが活発に。「ユーザーのプレイ頻度は一番プレイが頻繁な仲間のプレイに近づいていく」分析結果への対応。地味であり効果は直接でないが確実にある。ボット数の効率化の観点から、1つのボットで100人以上のユーザーと仲間になるのが望ましい。ゲーム内の仲間人数制限をボットに限り解除。ユーザーがボットのプロフィールを見たときにボットことが露見すると冷めてしまう。表向きは仲間人数制限を解除していることが露見しないように。
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伝統的なRPGゲームではユーザーの進捗状況に応じて十分な強度の仲間と敵を提供します。これとソーシャルゲームのボットは近似している。ユーザーモチベーションを上げるのが目的のは同じ。RPGのモンスターと敵はユーザーもコンピュータのAIの操作ことを知っている。それでも十分楽しいが。しかしそれが人間ならもっと楽しい。そこでMMO。しかし人間は己もプレイヤー。ユーザーに合わせて適度なパラメーターで楽しさを演出などしない。そこで人間に擬態したボット。ユーザーに合わせてゲームを盛り上げる。ユーザーは人間だと信じているのでモチベーションも最高に。あらゆるゲームの問題点が完璧に解決されている。ボットの役目はユーザーの退屈に刺激を与えること。ゲームがボットだらけ必要はない。賢いボット利用を。このようなボット効果はソーシャルゲームのユーザー間のバランスを調整しモチベーションを維持するために非常に大きいです。ボットはほとんど話題にされない。技術情報に積極的な企業もボットは不思議と話題にしない。結果。ソーシャルゲーム開発会社も知らないところが多い。ボットを利用するソーシャルゲームはむしろ少数派。ゲームパラメータ調整だけでは限界がある。ユーザーアクティビティのログ解析はハイレベルだが本当に重要です。ログの分析に基づいてボットが適切なアクションを残すことでユーザーを興奮させるのでゲームに活用してください。また歴史の人間とコンピュータの黎明期以来、初めてボットと人間の見分けがつかない世界の技術革新を達成したことに多くの技術系ユーザーは興味を抱くであろう。ソーシャルゲーム会社は技術者を積極採用中。その一端はより優れたボット開発。興味があるなら是非応募を。ソーシャルゲームの一層の発展を願う。
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刺されてかゆい思いをしないように知恵を絞り対策をすることは自由とは言わないのでしょうか
自分にとって快適な環境を求めることは虫も人間も同等に行うことだし、その自由があるでしょう
その果てに勝敗がある、それが地球環境における「自然の摂理」というものじゃないんでしょうか
勿論、虫の自由とやらを尊重して物わかりのよさを気取るのもまた自由です
なら虫コナーズどころか、あなたの着ているその服や住んでいるその家の方がよほど強力に摂理に抗いまくっていますよね
いずれ相応の反応が返ってくることでしょう、それがどんなものなのかは知りませんが
人間に限らずあらゆる生命体は、肉体的物理的に制限をくらいまくっています
人は飛べないし鳥は泳げないし魚は上陸できない
かゆみには耐えられないし痛ければ行動できないし死にたくなくてもいずれ死ぬ
当然、夢のなかの彼女はあの時のままだ。
僕は、彼女を好きになった覚えはない。好きな人は、別にいた。結果付き合わなかったけど。
最近の学生はお盛んらしいが、僕の通う中学は大して恋愛なんてなかった。付き合うと、すぐバレるからだ。ムラ、ではないが、一地方都市の恋愛事情なんてそんなもんだ。
箸が転んでもおかしいと言うように、そんな恋愛なんぞしなくとも、みな和気藹々としていて、しかし恥ずかしいモノは恥ずかしいとして、楽しかった。
思うに、人間が恋愛するにしても、生涯の伴侶()を求めるにしても、結局はこういう青春時代の延長線上にあるのではないか。言ってしまえば、憧憬。
話がそれた。
そう、夢のなかに彼女が出てきたんだ。後輩の。
僕と彼女は吹奏楽部の同じ楽器、同じパートを担当する関係だった。椅子も隣だ。
顧問が合奏中に話を脱線する度に向きあってニヤ付く程度には、すぐに打ち明けていたし、その程度のユルさを持った部活だった。当然コンクールでは大した成績が出るわけでもなく(といっても僕が最終学年のときは創部以来二番目にいい成績を収めたので、個人的にはハッピーエンドだ。終わってから、みんな笑顔だった。笑い泣き。)一般的な吹奏楽のイメージ―――文化系のなかの体育会系で、毎日夜遅くまで楽器を吹き鳴らして近所からクレームがくる―――なんていうところとは、違っていた。強かったのは、合唱部の方だ。こちらは、全国常連。気合の入り方が違う。文化祭の合唱コンクールでは、ひとりふたり増えたところで大した違いが出るわけでもないのに、合唱部の人数の多さが勝敗を決める、なんて技術教諭の担任が喧伝したものだ(もちろんそんなので勝敗は決まらなかったわけだ)
また話がそれた。
そう、彼女とはそういう間柄だ。
そういう間柄でしかなく、高校は親が転勤族で、僕が引っ越した都合もあって、それ以来連絡をとっていない。もう、彼女が名前を思い出すことはないだろう。事実、僕も、今朝その夢を見て目が覚めた後、名前が思い出せず、お別れ会でもらった色紙の名前を見て、彼女をはっきりと思い出した。彼女には、先輩からのメッセージをと、後輩に一通ずつ渡した手紙がある。彼女はそれを大事にとってあるだろうか?憶測の域をでないが、彼女なら、とっていてくれるはずだ。ちなみに、僕が中学生の頃は携帯電話というイロモノは高価過ぎてまだ学生が持つには早かった時期だ。とはいえ、じゃあポケベルかというと、それは遅すぎる。過渡期だった。ゆえに、中学時代の同窓とは今もほとんど連絡手段がない。連絡網はまだ家にあるが、繋がる期待よりも、「オメー誰だよ」というような至極もっともな反応が帰って来るだろう期待のほうが高い。すべきではない。ラグビー部の男の子が何年ぶりに電話をかけてお付き合いが始まるなどというのは、幻想でしかないのだ。生存バイアスである。
せいぜい庶民に許された道は、母校の技術教諭と体育教諭が結婚してヒューヒュー言われる程度が関の山。あれから10年経つが、今も結婚生活は順風満帆なのだろうか。新婚さんいらっしゃいに出るからとか言ってたが、ついぞ見なかった。うそつきめ。
またも話がそれた。これは宿痾なので、許して欲しい。
そう、彼女とは連絡が取れないのだ。取りようもない。
しかし、そんな彼女と10年ぶりに再開した。夢の中で。意味が分からない。もとより意味などないのかもしれないが。
ちなみにこれだけの情報をありありと書いているとバレるかもしれないけど、バレても構わない。僕としては、彼女の名前が後輩といえど、10年経っていたにしても忘れていたということに軽くショックを受けており、彼女とのあれこれを書きだしておきたかったのだ。
夢の中身は、あまりに意味不明すぎて、書きだす気にもなれない。若干甘美なときもあった。しかしその甘美なとき、周囲は津波に飲み込まれたビルの屋上に位置するマクドナルドの禁煙席であり、周囲には避難してきた人でごった返しているのだから、わけがわからない。夢の中なれど、友人が何人も飲み込まれた。というか知り合いで助かったのは彼女だけだ。まったくもってわけがわからない。これを見せる僕の脳みそは何を欲しているのだろう。目覚めたとき、僕のペニスは固くなっていた。しかし、悦楽に浸るような気分にもなれず、固くなったまま引き出しを漁って彼女の記憶を取り戻し、今こうして文を書いている。もう萎れた。
ちなみに、この情報で僕が誰かというのを特定するには難しすぎると思いますが、もし誰かわかった場合、生存報告の一種として受け止めてくれれば幸いです。
3.11、僕は生き延びました。みなさんはどうですか。同窓会に誘われる手段も残していませんが、みなさんが生きているなら、十分な果報です。
多分この人だと思うんだけど
俺ちょっと前にこの人かこの人によく似た人に絡まれてさあ。
その手の口喧嘩としては珍しく勝敗がついて(俺が勝った)相手がいなくなったんだけど、
そしたら猛然と「この口喧嘩はどっちもお前が書いただろう、自作自演だろう!」って絡んで来る人が現れてさあ。
さすがに
「そんなことして俺に何の得があるんだ」
「だいたい動機を抜きにしても、俺の文と相手の文は全然違うじゃねえか、
同一人物と思える類似点があったとかいうなら面白いから教えてくれ」
というような反論をしたら
ゴニョゴニョ言いながら消えちゃって
結局「自作自演と見破った確証」は出してもらえずじまい、
っていうことがあった。
いや、ここで自作自演してる奴がいないとは言わないよ?
でも合理的な自演の例ってたとえば
・口喧嘩で反論に窮した側が第三者を装って自分に加勢、相手へ人格攻撃する
・ホッテントリ狙いで自信作投下した人が上手く注目集められなかったので自分でトラバしまくって元記事に視線誘導する
とかそういうのでしょ。
ほんとにただ、くらだない口喧嘩してるだけでさ。
で、自演だと思った理由だけは答えてくれたんだけど
…そんな状況は
誰か数名が延々口喧嘩をしてれば容易に、ていうか必然的に出現するよね?
俺と相手以外には何の重要性もないゴミツリーだからブクマがつかなかっただけじゃん?
マジで頭どうなってんのよこの人。
「どうしても戦争が必要なら資源消費を最小限に抑えて目的達成せよ」
だったりする。相手を打ち崩すのは中策くらいで、ガード無しの殴り合いは下策の類。
上策は相手が戦争の意志を固める前に、その意志を霧散させること。
例えば孫子の冒頭は、
死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。
故にこれを経るに五事を以てし、
これを校ぶるに計を以てして、その情を索む。
一に曰わく道、二に曰わく天、三に曰わく地、四に曰わく将、五に曰わく法。
とあるんだが、これを超訳気味にざっくり言うと(多少自分好みにアレンジした)、
したがって、死亡フラグ・生存フラグ、存亡のシナリオ、これを熟察すべきだ。
そのためには、敵味方の力量を5つの項目で測り、
5つの項目というのは、
となる。
つまり、
したがって、(恋愛における)死亡フラグ・生存フラグ、存亡のシナリオ、これを熟察すべきだ。
5つの項目というのは、
となる。
言い換えるなら、
恋愛するときは、恋敵と自分とのリーダーシップの強さ、置かれている状況の違い、
仲間の質、量、規律なんかを良く調べ、それらを与条件として、
死亡フラグや生存フラグを理解し、どう展開すると恋愛が破綻し、
逆にどう展開すれば恋愛が進展するのかを把握し、
勝算のあるシナリオや再起不能を避けるシナリオを見つけ出せということだ。
についてもvs恋愛対象ではなくvs恋敵として考えると、
『三角関係となって百戦百勝するのは最善ではなく、恋敵と戦わずに恋愛対象から手を引かせるのが最善なのだ』
できる限り、例えば外交戦を展開したり自分の勢力を誇示したりして、
相手に勝ち目を無くさせたり、勝ち目がないと思わせたりしてしまえということだ。
ちなみにこの続きもあって、同様に恋愛へ適用できるように解釈すると、
その次は、恋敵⇔恋敵の仲間・恋愛対象・恋愛対象の友人間の同盟(共謀)関係を阻止すること、
その次は自分と恋敵が直接対決する(つまり三角関係になる)ことで、
恋愛対象との信頼関係をガッチガチに固めているところを攻めに行くことだ』
と孫子は言っている。
http://anond.hatelabo.jp/20110410165952
元記事とはあまり関係がないけど、普段から思っているとおり、私が投票にいって、それが1票として反映されても、何の意味もない。
選挙の勝敗には、どうせ影響が出ないだろう。候補者の応援、要はファンレターぐらいの価値はありそうだが、それでも1票が何の役にも立たないのは事実だ。
政治っていうのは、ぜんぶ、他人たちが決めること。
私はその動向を見極めつつ、たとえば現代だったら「人権を尊重するフリをする」「震災を悲しむフリをする」といった態度をとり、その裏腹、心のうちでは自分のことだけ考えればよい。
もし現代の日本じゃなくて、ヒトラー政権下に生きているドイツ人だったなら、積極的に戦争や差別には荷担しないにしても、へらへらと笑って現状追認するのがよい。亡命せずにドイツ国内にとどまるなら、そうするのが一番安全だろう。
他人っていうのも、社会っていうのも、私の制御がきかないモノなのだから、自然現象とおなじで、うまく利用してやり過ごし、その害を退けるようにしたい。
どっかのブコメに「逃げたのは合理的なのかもしれないけど、思想家としては尊敬しない」とか、「こいつはもともとこういう奴だ」とか書いてあったね。誰とは言わないけど。
物書きに対して、(たとえ今般のような非常時ですら)「自分の書いた物」と「言動」を一致させることを求める、よく分からない風潮って何なんだろうね。
最近、Twitter上で東浩紀が実に色々な人間と喧嘩しているのを見ると、「気の迷いで出版業界とかに行かなくて良かった」と心から思う。結局、論争で明確に決着を付けることなんてできないから、そういうどうでも良い揚げ足取りでお互いを蹴落としあうしかないんだろうな。
そうなると、勝敗を決するにはとにかく「相手をうんざりさせる」ということしかなく、結局勝つのは一番の暇人ということになる。はっきり言って、俺は絶対に関わりたくない。
まぁ、少なくとも東浩紀に関しては、「物事に対して異なる視点から光を当てる」という批評家としての本分を発揮している数少ない人間だと評価しているので、これからも彼の仕事はフォローし続けるけどね。
『ある「状況」でどう行動するのが正義に適うか』とか、ほんと、どうでもいいです。『「状況」を変えるための仕組みを作る』事を考える方がよっぽど生産的だ。勝手にやっててください。
人生、他人の作ったゲームに乗らなきゃいかん時はある。でもそれで勝ったの負けたのっていうのは、「そのゲーム」での勝敗であって、人生の勝敗じゃないだろ。それを人生の勝敗のように思っちゃうのは、自分のゲームが何か、分かってないからかもよ。
俺はキャリアの続く限り毎回毎回値踏みされつづける職業を選んじゃったんだけど、それが自分の選んだゲームだから別にいい。負けたら落ち込むけど、そういう時の身の処し方も、仕事の一部だと思って身につけた。勝ったら嬉しいが、それが将来を保証するもんではないとも分かってるから、どこかで醒めてる自分もいる。まあ、そういうの全部込みでこの道を選んだんだ。人からやらされてると思ってたんじゃ持たないよ。
浮上する「6月総選挙」のシナリオ 世論調査から見える菅民主党勝敗の分水嶺 ~小林良彰・慶応大学教授に聞く (2011年1月18日)
http://diamond.jp/articles/-/10786?page=3
生活実感はきわめて悪い。景気自体はそこそこに回復するだろうが、自分の生活は悪くなってしまうと感じている人が3分の2以上いる。職を失う。あるいは、可処分所得が下がり続ける。そうした状況が続いているのだから、将来の生活に対して悲観的にならざるを得ないのだろう。
「自分の生活は悪くなってしまうと感じている人が3分の2以上」というのはたしかに高いが,
これだけ景気が悪い,将来が不安,とあおっているのに景気将来感で47.5%,生活将来間で34.4%が「良くなると思う」と回答しているのは,
それなりに前向きな気分になってきているのではと解釈できそうな気もするが,どうなんだろう.
まぁ前回調査結果がわからないのでなんともいえないけど.
書いている内容はなるほどなるほど.
公明党が仲間になる可能性が出てくるし,ということで戦略的に必然なのね.
小沢さんはこの後,どう戦うんだろう.