はてなキーワード: 司法権とは
サムスンVSソニー。トヨタVSフォルクスワーゲン。ナショナルフラッグを体現した大企業間の競争はますます多くなっているが、その起源はおよそ400年前に遡る。それは「東インド会社」。欧州の国を代表する企業がこぞって東アジアの権益をめぐって激しい企業競争を行った、そんな時代が過去あった。ヨーロッパ各国の東インド会社はいかにしてアジアの交易圏に食い込んでいったか。そして各国の東インド会社はそれぞれのどういった性格を持ち、どうして衰退したか。歴史的でありながら、そんなグローバルでビビッドなテーマを論じている。
「カリカットからペルシャ、シリア、ベネチア多くの商人や運送業者を経て、陸から海へ、海から陸へ、荷を積み替えながら途中で何度も関税をかけられる」(p48)。それを喜望峰経由の交易ルートを開拓し、一気に中抜きしようとたくらんだのがポルトガル。バスコ・ダ・ガマ以降、武力によるインド洋海域の制圧(ゴア、マラッカなどの港町を次々と砲撃して交易を強制、異教徒の追放、船の略奪など)を推し進めて、拠点網を整備した。ただしこの航海は原則的にポルトガル王(小国!)の単独事業で、次第に資金や物資調達面で苦しさを露呈してしまう。東インド交易で得た余剰資金も拠点網維持費に消えるという経営のまずさもあった。そりゃあ十分な資金調達とトップラインを安定確保できないまま、先行投資ばかりイケイケだったら誰だって行き詰るだろう、と言うことだ。
会社形態にすることで広範囲から資金を調達できるようになった。利潤最大化を行う企業でありながら、現地で国が行うような政治的な行動をよくおこなった。18世紀に入ると自由貿易の風潮が高まり、独占の東インド会社は国民に支持されなくなっていった。
・民間会社だが準国家的な独占事業:事業内容は東インドでの特権的な貿易。加えて要塞を建設する。総督を任命する。兵士を雇う、現地の支配者と条約を結ぶことも許可され、国営企業ではないが国を代表して事業できた。イギリスとは違って、株主からの出資金は航海が終わっても据え置く、今の株主会社に近い形態をとった。
・株主は経営に参加しない:会社の特徴:造船部門まで内部化。経営方針は年2~3回開かれる取締役等の重役から構成される17人会で決定。株主は経営参加権をもたない。経営は分権的で東アジアの事業運営は実質的にバタヴィアの支社が握った(1年半の情報伝達期間!)。
・東南アジアの香辛料に事業を照準:ポルトガルが頓挫した方式を見習い、しばしば武力を用いた拠点拡大策を積極的に採用。ヨーロッパへの香辛料貿易の利権を掌握した。現地政府から力づくで奪い取ったジャカルタを中核拠点に、セイロン、インドシナ、インドネシア、中国、台湾、長崎などに次々商館設置。
・栄華からの急降下。1960年代まで各国の東インド会社の中で最大規模を誇っていた。が、その後業績は急落して1799年に解散する。理由は複数あげられる。1780年に起こった第四時英蘭戦争の影響で、オランダの船はイギリス船に次々と拿捕され大変な損失を被る。また、香辛料がその時期にコモディティ化し始めたため,価格の下落が収益を圧迫した。会計制度の欠陥や帳簿の不備なども理由として挙げられている。
・民間会社だが準国家的な独占事業:東インドでの特権的な貿易。現地の司法権、貨幣鋳造権、貿易活動を守る軍事権、違法貿易船を検挙する権利。
比較的強い本部:株主が取締役の投票権を持ち、経営に参加した(毎年4月に開催される株主総会で取締役を投票できた)。事業運営は週に1度ひらかれる取締役会で決定される。資本金はオランダとは違って1回の航海ごとに株主にすべて分配され、航海ごとに資金を集めた。造船部門はアウトソース。
・インドの綿織物に着目しオランダと差別化:参入当初はオランダと同様、東南アジアの香辛料交易を狙っていたが、経済大国オランダに船の数や武力で太刀打ちできず、しばしばオランダ船にも拿捕される自体に。そこで、差別化のためインド亜大陸の綿織物に着目。拠武力よりもインドやペルシャなどの地場の為政者に取り入ることで平和裏に拠点網を整備した。
・現地所領当地という多角化が仇に:インド国内の紛争に介入してベンガル地方の徴税権(ディワーニー)を獲得(1765年)。しかし現地の文化、言語、慣習も不案内だったので徴税活動は難航した。他方、治安維持などの統治コストは膨れ上がったため、結局、財務内容は急速に悪化していく。その後、1794年に実質国営化。インドや中国の貿易特権の廃止を取り上げれつつも会社はさらに50年存続するが、1858年のインド大反乱を機についに解散。
・後発参入:イギリスとオランダの東インド進出を見たフランス政府が”上から”設立。株主も王や王室関係者が多かった。イギリスやオランダと違って巨大な商業資本が集まるほど豊かな街はなく、自立的な東インド会社の形成はなされなかった。
・東西インドの貿易を一体運営:事業的な最大の特徴は、東西インドとアフリカの貿易を一体運営したこと。東インドの綿織物で西アフリカの奴隷を買って、西インドに送りそこで作られた砂糖を銀貨に変えて、東インドの綿織物を買う。この円環である。
・国の後押しで急成長:1720年~60年まで絶頂期。後発参入という事業的なアゲインストにもかかわらず、取扱額はイギリスとほぼ同等に達した。
・政府主導事業の弱さを露呈:英仏7年戦争に敗北(1763年)したことで、政府が財政危機に陥いると資金繰りが一気に悪くなる構造的弱点が露呈。一方、民間資本はクラウディングアウトされていたので潤沢に集まらなかった。そんなわけで1769年にあっけなく解散。
1、スペイン(ハプスブルク帝国)の活動が目立っていないが、彼らはlucrativeな東インド交易に対しどういうスタンスだったのか。
2、ポルトガルの弱点を当時のオランダ、イギリスはどう認識したのか。そして、それをいかにして超克しようとしたのか。
3、イギリスの強い本社はどうやって成立したのか。経営方針や情報の伝達環境はオランダと大差ないようにみえるが。
4、イギリス、オランダの全体経済に占める東インド会社の割合はどの程度だったのか。
5、東インド会社という企業競争の勝敗は結局どうなのか。一番儲かった会社はどこなのか。どのような背景によるものなのか。
・鳩山政権が人権擁護法案の今国会成立を示唆 ~韓国・中国人の特高警察官が暴威を奮う日が来る~
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民主党案では、各省庁の上位に、独立性が高く他の機関のチェックの及ばない「第二の司法機関」とも呼ばれる人権救済機関を設置することになっており、自民党案ではこれは「法務省の外局」でしたが、民主党案ではなんと首相官邸直結の「内閣府の外局」となっており、政府の意向が強く反映するものになっています。さらにこの下部組織として、各都道府県にも置かれることになり、この救済機関は、立入調査だけでなく司法権までも与えられており、恐ろしく強大な権限を持っています。しかも民主党案にはこれに国籍条項がなく、韓国人や中国人、北朝鮮人ですらなることが可能です。
まさに平成の治安維持法と言うべきもので、かつてアカ狩りと言われる思想犯の取締などで国民を恐怖に陥れた特高警察も、この民主党案と同じ内務省の直轄組織であったことを考えると、民主党が何をしようとしているか、そしてこの法案が施行されれば日本がどうなるかは容易に想像ができます。まさに日本の暗黒時代となるでしょう。
本書は評者からみると不思議な本である。実に面白い、同時に反米的な歴史記述とCIA陰謀論に挟まって中国重視論の独特の言い回し、つまり三つの部分が混載されている。ひょっとしてチョコレートでくるんだ毒入り饅頭かも。
題名だけをみると保守派の多くは反発を抱くだろう。しかし誤解を恐れずにアイ・キャッチを狙うあたりは著者ではなくて版元の商業主義的魂胆かも知れない。
冒頭から脱線で恐縮だが、この光文社ペーパーバックスのシリーズは、本書が135冊目。執筆陣は浜田和幸、松本道弘、藤井厳喜、野間健、徳本栄一郎の各氏らと何故か知り合いも多い。とくに浜田、藤井両氏は、このシリーズから数冊上梓されていて、執筆陣も左右混交である。
新世代が読むだろうと思う。というのも、横組みで英語がばんばん入るからだ。逆に小生のように日本語の書物は縦書きでないと親しめない世代にとって、最初はこのシリーズを読むのに骨が折れた。仄聞するところでは、横書きシリーズ、伸び悩みがあって間もなく終巻らしい。閑話休題。
さて近藤大介氏、期待の新作である。近藤氏は『週刊現代』前副編集長。元北京大学留学組。平壌にも小泉訪朝に随行、スクープが多い。日本が米国を捨てて中国と同盟し、韓国も仲間に入れようか、という提言は日本の外交現実を無視しているが、さすがに中国語と韓国語が流暢な著者だけに、情報には格段のおもしろみがある。しかし結語の三国同盟は納得しかねる。
サロン・マルキストという比喩は、革命をワインを飲みながらサロンで語る知識人。典型はサルトルなど。本書を通読した最初の印象はそれである。サロンにおける理想主義。日本共産党は歌を忘れたカナリア、飽きたらず暴力路線に走った反ニッキョウ系は、三派四派五派と分裂し、中核派はと革マル派は互いに殺し合った。
本書に何が欠けているか。暴力革命で政権を取った中国共産党は十三億人の無辜の民を壟断し、支配し、反革命勢力、すなわち民主主義者、独立運動家を「テロリスト」と名付け、逮捕し拷問し処刑する。敵は殲滅するのがかれらの掟である。
中華民族というスローガンは他民族を漢族へ「同化」することであり、これは五族協和の日本の理想とはほど遠く、孫文のそれは「漢族」が「満蒙回蔵」を強制同化し、支配することを意味する。
ウィグル絶滅のためにはロブノール近辺から楼蘭にかけて、46回の核実験。おそらく数十万人が被爆して死んだ。7・5ウルムチ暴動では平和なデモ隊に軍が出動して水平撃ち。おそらく二千から三千のウィグルの無辜の民が虐殺されただろう。
中国の本質は暴力支配、特権階級は富を独占し、その体制を可能な限り長く持続しえるそのためには外交も利用する。本書は、こうした事実をあえて論じない。だから不思議な本である。
では面白い部分はどこか?日本では親中派政治家はみんなCIAの謀略で失脚したそうである。田中角栄、カナマル某ほか。小沢がニシマツでやられかけたのもCIAだそうな。まだある。金正日がある日、北京から帰国のおりに列車爆破。流川とかいう駅だったが、あれを仕掛けたのもCIA。金正日のコックだった藤本某にはCIAから接触があり、毒殺依頼があった由。こうなると007の世界だ。盧泰愚、陳水扁の失脚は反米姿勢だったから?
真相にちかいことは、陳水扁は国民党の戦術=「野党を貶める生け贄」であり、台湾では司法は独立しておらず、もし陳水扁の汚職をいうのなら馬英九も宋楚楡も似たようなスキャンダルを抱えていながらなぜ司法の追求が突如止んだか。だから台湾における司法は中国共産党と同様に司法権の独立が曖昧で、国民党の顔色を窺う裁判官が多いからである。CIAとは関係がないのではないか。盧泰愚の「自殺」は身から出た錆、でなければ謀殺の可能性も否定出来ない。
というわけで田中の失脚はロッキード証言だが、日米の司法取引の差であって、米国の陰謀ではなかった(徳本栄一郎氏が田原総一郎の陰謀説を批判した。田中ブレーンだった小長氏自身が『そういう線で裁判やマスコミ対策を処理しようと提案したら田中総理は「おう」と言った』と証言している)。
本書を読んで考えさせられる箇所も多い。評者が本書を読みながら、どうしても孫崎享氏の書いた『日米同盟の正体』(講談社現代新書)を連想せずにはおられなかった。
外交官出身の孫崎享氏はイラク、イランでミサイルの雨の中、外交を展開してきた人で三月まで防衛大学で教鞭を執った。(そうそう、これもどうでも良いことだが、バグダッドの在イラク日本大使館で宮崎は、孫崎(当時は公使)と会ったことがある。88年だったと記憶する)。
その外交官がイラク戦争突入はアメリカ人の「旋風のような愛国心」の結果であり、リーカーンの南北戦争、真珠湾攻撃と似ているとする。反戦ムードを一気に好戦へもっていく謀略は政治に付きものであり、その点は近藤氏や孫崎氏の分析に同意するが、なぜか孫崎本には外交的結論がない、つまり日本の自立外交を模索してもいなければ対米追随が悪とも言っておらず、最後の最後はアメリカの核の傘は機能しないだろうと言いながら、日本の核武装は反対という。
つまり本書の著者と孫崎防衛大学前教授のスタンスは徹底して政治のリアリティ、外交の合理主義である。
外交は道徳が入ると機能せず、倫理を持ち込むと、外交の基本が成立しない。打算と国益の追求。しかし戦争の回避。軍事力の背景がない日本は、だからといって「ふつうの国」のように外交独自路線を採用することが不可能である。
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国民には3つの義務があるとされる。
子供に教育を受けさせる義務、労働する義務、税を納める義務の3つだ。
なぜこのように3つに分類されるのかはよくわからないけど、前者2つは義務であると同時に権利とも言い換えることができる。
しかし、税を納める権利、とはなかなか言わない。
では、ひとが税を納める義務に対応する権利とでもいうべきものはどのように表されるのだろう。
それはおそらく、公民権というものだと思う。これは辞書的な意味での選挙権や被選挙権といった参政権の他に、広い意味では警察や病院、道路や学校など社会生活上の公的サービスを享受する権利というものも含むとここでは考える。
これらの幅広い公的サービスというのは、市場原理に基づいた経済活動ではなかなか満たされないニーズだとされる。みんなにとって大事だけど、儲からないと。だから政府のような公的部門がみんなを代表して、税というかたちで財源を徴収して、一括的に公平なサービスを行う、とされる。
だから、ここで“納税義務と公民権”というかたちでフェアな対応関係が存在することになるし、その執行する主体である政府は、納税者に対してできるだけフェアになるように行政活動を行わなければならない、ということにもなる。(もうひとつ、税制にはお金持ちと貧乏なひとの資源の再配分という効果もあるのだけど、ここではさておき。)
これが一般的な民間のサービスだったら、コストとパフォーマンスの対価的関係がわかりやすい。払った分が、当然、商品やサービスという形で還元される。しかし、行政活動はなかなかそれが見えにくい。(そもそも行政法的思考からすると、税には公共サービスとの対価的関係は存在しない、という考え方もあるが、それはさておき。)
政府がお金を無駄遣いして、納税された分に対して十分な公民権をペイしてくれないかもしれない。とすると、この納税義務と公民権のフェアな関係の正当性はどうやって担保されるのだろう。
これは、三権分立のチェックアンドバランスの考え方からすれば、行政権に歯止めをかけていくのは、立法権や司法権である。一般の人は司法権にほとんどタッチできないから、やはり行政活動に対するメジャーな歯止めの手段としては立法権、つまり参政権の行使というのが一番身近なものだと思う。
というか、逆に言えば一般的には選挙での一票でしか行政に対する自らの意思表明を行えないのです。
ここが今回の考慮すべきところだと思うのです。
つまり、この国で普通に生活するだけで、所得税や固定資産税、消費税やガソリン税といった様々な納税行為が強制的に課されるにも関わらず、それに対する異議表明は、例えばデモやオンブズマンによるチェックなどもありますが、究極的に実効性があるのは選挙での一票という、非常に限られたものである点です。
あまりに当然と言ってしまえばそれまでなのですが、僕には納税義務という大きな負担と、その見返りたる参政権、異議表明のための権利の小ささがバランスとして釣り合わないような気がするんです。
ちょっとうがった見方をすれば、民主的選挙という装置が存在しているがゆえに、その納税義務がいつのまにか、いつも正統化されていまっているのです。「お前たちが決めた政治家の判断だ。文句あるまい。」と。
ただ、逆に今以上に一般のひとたちに税の使い道を決める裁量権を与えるから自分たちで決めてください、というようなシステムになったとき、はてどうしたものかと、もっと困ったりしそうだな、と思ったりもします。
つまり、国民は税さえ払っていればあまり細かいことを気にせずに・タッチせずに自動的に安全、安心を得られる、というのも行政のひとつのメリットでもあると思うんです。
このように、納税義務とそれに対する異議表明手段のアンバランスさというのは不条理に僕は思うわけですが、かといって税の使途を細かく裁定するような手間や専門複雑性の問題から、その裁量権の行政府への大まかな負託というのもまた、あまり軽視していいものでもなく、これがまた問題を難しくしているのだと思います。
なるほど、誤読してしまい、あげつらうような書き方をして、こちらこそすいません。
事実上、裁判所の判断が立法や政策を左右することはままあります。
たとえば戦後、違憲判決が出た場合には、全ての場合ですぐに国会が是正しています。
ですが、審級をまたいでまでやる、というのはどうでしょう。
第一審で完結して、上訴審で是正されない場合もありうるのだから、
当然に裁判官はその審級段階で全力を尽くして、妥当性のある結論を模索するものです。
今回のように訴額が高額な民事訴訟の場合、上訴するには上積みで莫大な金が掛かります。
どんな事件でも上訴するわけではないのです(ここらへんは第三回あたりを読んでみてください)。
上訴するかは当事者の処分に任される建前(処分権主義といいます)がありますので、
そのようなことを見越して判決を出すのは不可能ですし、
裁判所が上訴を強制するとも思えるその手法は、その建前に反していると言わざるを得ません。
また、司法権の本質とは「具体的な争訟について、法を適用し、宣言することにより、これを裁定する国家作用」です。
具体的な事件の解決の限りにおいて、法を適用する権能しかありません。
違憲判決でさえ、厳密に言えばその事件限りにおいて違憲と宣言することが出来るにとどまり、
改正するかどうかは国会の自主的な判断にゆだねられているのです(そうでないと解する余地もありますが)。
具体的な紛争について、事実を正確に推認し、妥当な結論を考えるのが第一。
政策形成なんて考えていたら、判決がゆがんでしまい、妥当な判決にはならず、上訴の種にもなります。
ダメダメな判決を書いた裁判官は出世の査定に響くので、自分の出世を捨ててまで世直しを考える奇特な裁判官なぞいないと思います。
でもお返事させていただきますね。
結局、司法権から促したところでこの安全基準に対して
どういうリアクションをするかっていうのは会社の反応だと思いますので。
ただ、放っておけばそのまま置いておかれる安全基準について、
それは意味のある事だと思いました。
具体的な金額の話は不可能ですけれど、
それで最終的に安全基準がより練磨されて、
事故…これはガシャポンだけでなく安全基準に関わるすべての玩具にかかわる、ですが
事故が減るならば、結果的にプラスになる可能性もあると思います。
そのチャンスを、司法がつくる事の是非についてと、
伝わらなければ申し訳なかったです。
三審制を利用するかどうかは別として、
司法の政策形成機能についての是非を問うニュースだと思ったのに
ニュース見た人の反応がバカ親たたきと「バカ親を勝たせた」裁判官たたきに集中した、
って言う事を問いたかったんです。
そういう場所じゃない、と考えてるのは構わないですが、
政策形成が意図的にも結果的にも「できる」といえますよね。
そういう場所じゃない、と言いきってしまうと、
内閣が法案提出出来るのもおかしいと言いうると思います。
そのことによって結果的に安全基準の見直しの必要を生じさせる、
そういう政策決定をするのはどうなのか、という点で、
今回メーカーの自主性は考えていません。
むしろ、メーカーの自主性で話が済むなら