はてなキーワード: 生き甲斐とは
結局どうなったのか?という一番知りたいだろう疑問に先に答えておくと、特にどうもなってない。
破滅ラウンジ会場において、四日市の財布を窃盗して中身を偽札に摩り替えた人物がDJパターサンであるという情報は半年近く前から流れていた。事件当日、四日市は渋谷署に財布の紛失として届け出たが、財布が偽札になって戻ってきた際に紛失届けを取り下げ、警察も事態を大きく捉えず、悪質なイタズラとして処理してしまう。
真相を把握している破滅ラウンジ関係者は少なくないと思われるが、身内を庇いあうためか情報を隠匿していること、事件から1年半経ち既に被害者である四日市であっても捜査機関に持ち込むことが難しいだろうことから「偽札偽造」についてこれ以上の進展はないと思われる。
「偽札販売」については明確な画像の証拠もあり、会場の責任者であるカオスラウンジや破滅クルーに法的な責任が及ぶのではないかと思われたが、偽札に値札を付けて「発売」したものの「販売」の実態がないためこれも進展を望むことは難しいと思われる。
会場の展示物は村上隆に売却されており、展示物の中に偽札が含まれていればこれを「偽札販売」とみなすことができるかもしれない。しかし9/20に四日市がカオスラウンジ騒動を追いかけるq_4500に匿名で情報を寄せたところによれば、破滅ラウンジの展示物の売却は村上隆とモメたまま流れているという噂があるらしい。
騒動の発端となったキメこなを据えた作品は東浩紀が購入し、現在もオフィスに飾っている。
10/15の東浩紀のニコ生にて若干カオスラウンジについて言及があり、その中でオフィスの中に飾る分においては著作権の問題がないことを弁護士に確認したとしている。
騒動になった以降、水掛けや踏み絵、photoshopの機能を利用しただけの悪事に近い作品は作らなくなったが、梅ラボはコラージュによる作風を改めておらず、9/3に新作を発表していた。
事前許可を取るといった方針の転換もせず、著作権者に向けた窓口を作り、権利者以外との対話を閉ざしたことで、騒動を追いかける人たちに油を注いだ。
著作権者の連絡窓口が生まれたことが唯一の進展だが、権利者が動いたという話は今のところない。権利者が通報した結果、作品を取り下げるのか、作品から権利者の作品を取り除くのか、著作権料を支払うのか、権利者と対話し作風を改めるのか、などといったことも分かっていない。
だいたい同じ人の仕業。
カオスラウンジの悪名があまりにオタクカルチャーの間で敵として認識されすぎたため、暴言も荒らしも正義とみなされるちょっと危険な状態にある気がする。
思えば、数年前に遺書を書いて、死ぬつもりだった。
でも、やり残したことに気付いて、1回死んだことにして、まだ生きている。
他の人からみたら、紆余曲折というより、人生終了メシウマな人生で、
あざ笑われたり、哀れみの目を向けられることも多いが、メシウマしたい人間はそうすればいいと。
というより、人間の真の優しさに気付いたというべきか。人の不幸に接したときに、人間は本性をあらわにする。
リトマス紙のように、醜い本性の人間が分かるため、そういった人とはなるべき距離をおいている。
むろん、休日は一人だし、リアルにもネットにも相談できる友人などいない。
仕事で電話を掛けることはあるが、プライベートでは、数年、電話もメールもない。
恋人の類いは、生まれてこのかたできず、ぼろぞうきんのように観衆の中で振られ笑い者にされていらい、人を好きになれない。
いつ、クビになるかも分からないし、壊れるかもしれないが、自分の最期は見届けたい。
言語能力を失わぬよう、アニメを見るが、最近は幸せすぎる登場人物と自分を比較して無性に胸の痛みを感じる。
とまあ、自虐的な自己紹介をした増田が最近、どうやら人を好きになってしまったことに気付いた。
近所に行きつけのパン屋さんがあって、休日、増田は朝食のパンを買いにゆく。
もう、5年ほどになるだろうか。
店の人が年をとったので、バイトでやとったのか、家族経営のようなので孫娘さんかもしれない。
その女の子は、最初は気に留めていなかったが、丁寧な接客でよく働く子だなと感心していた。
年の頃は、高校生くらいだろうか。
接客がマニュアル通りではなく、とても心がこもっていて、気だての良い子だった。
増田は、毎週、パンを買いにいくが、特にその子のことは意識していなかった。
気にもしていなかったが、次の週もその子がいなくて寂しいと感じた。
そして、次の週に会ったときには、ほっとしている自分に気付いた。
増田が変なそぶりをみせれば、その子にも店にも迷惑になるだろうから、客としてただパンを注文するだけだ。
連日のネトウヨ(ネット・ウヨク)の騒ぎっぷりはエスカレートする一方だ。常に新たな燃料を見つけしゃぶり尽くすまで騒ぎ立て被害を拡大する。
7月だけでもなでしこ熊谷選手やPixivなど目に痛いネット上の騒動は続いてたが現在は目下、宮崎あおいの夫、高岡氏の「8は今マジで見ない。韓国のTV局かと思う事もしばしば」発言をダシに韓流バッシングが横行中。
あまりの騒ぎぶりにどの騒ぎも原因は二の次で、災いだけが見た人にすり込まれてしまっているのではないだろうか。
また、騒いでる9割の人は尻馬にのって踊ってるだけで、怒る義理も筋合いもあったもんじゃないだろうにとしか思えないというか、むしろ毎週新しい着火ネタを探し、前日より盛大に燃やすことを生き甲斐にしてるのがネトウヨと呼ばれる人達で、そしてまた尻馬に乗るのが好きな人に伝搬していく。今日の↓の騒ぎなど、この国は大丈夫なのか?と思わざるを得ない程だ。
高岡騒動で鬼女がフジテレビスポンサーへ抗議、花王を筆頭に不買運動へと発展
http://hamusoku.com/archives/5455828.html
毎度この手の騒ぎを見ると、今なお世界中で日本のためにチャリティ活動をしてる人もいるというのに、なんというバチ当たりと驚くのは山々だが、そもそもネトウヨの発生原理にまるで対処がされてないんだからしょうがない。例えるなら食べたリンゴのカスをそこかしこに投げ捨てゴキブリがどんどん沸いてきてもキモいからと見て見ぬふりをしてるようなものだ。
発生原理や習性の考察は各所にあるが、わかりやすいのは人種差別が好きな人達、今風にいうとレイシストの発生原理がこそがネトウヨの根本と思われる。
レイシストもレイス(種族)の派生単語と言えばわかりやすく、即ち自分の種族にナルシストのようにどっぷりの人のことがレイシスト。つまり自分(の種族)以外は劣等ということ。
レイシストの発生原理に戻ると、これまた単純に「日本で生まれたということ以外なんの自慢もない人が、唯一の優越感として種族をダシに近所(隣国である韓国・中国)をバッシングする」がメジャーで、即ち無職童貞がネットで唯一のっかれる(と勘違いして)優越感を分泌するネタが近隣諸国への差別であり、無職ゆえに無限の時間で繰り返すし、優越感が不足するとさらに次のバッシング材料を求めてさまよい、見つけた炎上ネタの上でまた踊り狂う。
なんで隣国をバッシングするかというと、隣の国の名前しか知らないって次元の子供も多いだろうし、やはり差別をする優越感のみで生きてける性質が固定的な視野の狭さになってるだろうし、こうした人に世界情勢や「韓流を流しすぎというがハリウッド映画はもっと流しすぎだろ」という正論を説いてもそりゃ受け付けないだろうと。
そうした原理の「なんの自慢もない人」とは未成熟な子供が当てはまるし、差別というオモチャにはまった子供の集団は、かつての暴走族と同様の結束力や社会的問題になるもの当然。
つまり、ネトウヨへの牽制で正論を説いても、暴走族の集団に社会情勢を話しても誰も聞かないような感じで、かみ合うことはほぼないだろう。
有名人にTwitterで凸してなにか炎上ネタを引き出そうとするネトウヨにマジレスしても、さらにからかわれるだけなのもよく見かける。
ある意味、かつての不良・暴走族を凌駕する社会問題だと思うが、一体どうなってしまうのか?
っと、いうか、法律や条例、規制が強化されるに決まってるだろうというしかない。
当たり前だが、記名でやったら罰則を受けたり疎ましく見られるリスクがある行為を匿名ならしてもいい、というのがネトウヨの勘違いの大本だし、勘違いを正すには、罰を受けるべき罪が生じたら、罰が罪の主に課せられるのは当然だ。
匿名だから罪の主がわからない、というのが現状のネックだろうが、ならばそのネックを生じさせてるサービスの大本も国が咎めるべきであろう。人類のいついかなる時代も、人を脅かす行為を咎めるシステムは必ず構築されてきたが、今はネットという発明の直後ということで、それが弱い。
もっと言えば、なぜシステムが弱いかと言えば、やはり日本はネットにおいては先進国で、諸外国以上にネトウヨのような集団の問題が拡大するのが早かった。
なにせiPhoneタダで配ってブロードバンドがこんだけ格安で一般に普及してるなど、海外から見ればまるで夢の国のような話なのだが、職も何もない人達がタダで使えるネットのおかげでレイシスト化も増長し、変な話でネット普及の張本人、孫正義が一番炎上しているという。
言うなれば、自動車が世界に先駆けて普及した国に信号機や道交法がなければやんちゃなドライバが交通事故を起こすのも当たり前ということ。今日のアマゾンの事件などひき逃げし放題のような野蛮な社会を彷彿させる。
「匿名で起こした罪は、被害者が本人追求できるようにすること」をサービスを提供するものに国が義務づけるのはそう遠くないというか、将来も現状のようにネトウヨ発生し放題のまま放置のほうが考えにくいと思われる。
ちなみに韓国も日本に並ぶネット先進国で、一足先にそうした制度を導入した。理由はネットでの誹謗中傷に悩む芸能人の自殺が連発したから。
かわいいアイドルが見るに堪えない中傷の末、連続して自殺してったら国会も匿名問題を考えざるを得なかったということだろう。(言うなれば平野綾が今のまま誹謗され続けた末死んでしまうような話)
日本でも同様に、そうした悲惨な事件を繰り返さないと対策が進まないのなら、人として韓国より劣ってるんじゃないかと思う。さっきの自動車の例で言えば、事故の対策で道交法や信号機を設置した国があるのに、自分の国はもっと死人が出てから対処を考えようというのはおそまつな話だ。
そうした次元に発展しないよう問題提起の声も徐々に増えてるが、ネトウヨは腐っても人間なので、意見をすれば敵対もするし、相手としては恐ろしいことこの上ない。つまり、まともな人間なら大抵の場合ビビってまともに発言が出来ないのもしょうがない。
しかし、暴走族対策の時と同じように、問題の当初に圧倒的に不足してるのは大人の反応なんじゃないかと思う。
前述のように子供ならそうした流れに取り込まれる危険は多分にあるし、誰しもいずれは親になり、我が子のためにもそうした危険がない社会を願うものだと思う。
ネトウヨへの対策を社会はもっと意識すべきと思う反面、恐れる気持ちがあるならば、この記事をRTしてみて欲しい。
RTの数で関心の高さが表され、憂国の士が志ある行動をしてくれることを強く強く願う。
定義としてはこんな感じ。
行動がリアルにフィードバックされるならHNでも実名界の住人(例えばpixivの絵師やニコニコの動画投稿者)で、実名でも中身が伴わず炎上でアクセスを稼ぐしか能がない人間は匿名界の住人。
既になっているという突っ込みもありそうだけど、それ以上に「日本のネットでは実名なんて流行らない」という声が大きいと思う。
匿名界からは既に自ら価値ある情報を作る能力のある人が失せつつある(自ら文章を書くテキストサイトの血脈が絶え、2chまとめブログが隆盛していることがその最もたる証)。
実名界からネタを引っ張り、他人の作り上げたものを無断転載したり、記事を悪意的に捻じ曲げて拡散して小銭稼ぎする程度しかできていない今、いつか実名界側から拒絶される日が来ると思う。
実名ネット社会が可視化され、非実名ネット社会、匿名界全てが2ちゃんねると同等の、アングラで低湿なコミュニティだとみなされる日が。
2000年代のテキストサイトはまだ自ら価値ある文章を作り上げていたために、その後ライターへと転進する道もあったが、今の匿名界ではいくら努力して上り詰めてもPV乞食以上のものにはなれなさそう。
ネットがネットとして魅力があった時代が終わり、リアルのサブセットに過ぎなくなったとき、誇れるリアルを持てない人間は、他人の足を引っ張ることに生き甲斐を見出すスラム住人に成り下がるような気がする。
同じ人が両方に属しててもいいだろ。
説明不足だったけど、実名界と匿名界とは住人が分かれるわけじゃなくて、「自己の価値を高める場」と「掃き溜め」とが完全に分断すること。
twitterでは価値のあるものを作り、ポジティブな意見に評価する一方で、2chでは何も作り出さず、無断転載だけして、ネガティブに貶すという使い分けは今でもあると思う。これが加速するとどうなるか?
実名界はより価値のある場になり、匿名界はさらに価値のない場所になっていく。
排除なんてするまでもなく、無価値で見向きもされなくなると思う。
両方に属せる人はそれでも救われる。リアルに拠り所がない人間は、無価値化した掃き溜めで生きていくしかないんじゃないだろうか。10年後にはそういう時代が来ると思う。
お前の言う「実名」と過去に主にマスメディア出身者がネットで主張していた「実名」ってのは全く違うぞ。
お前の主張では名前はweb上での言動、表現物に紐付ける識別子だが
過去主張された「実名」はマスメディアで認知されている通称は認めるが原則は戸籍上の名前って意味だぞ。
雑多に考えごとをアウトプットしたせいで突っ込みどころ満載で悪いけど、たしかに実名界匿名界って区分はあまりよくなかった。
ただ既に直接「戸籍名」は使わなくても、「識別子」を「戸籍名」と紐付けしている(そして晒されてしまう)人は増えてる。
言いたかったのは「匿名の人間に人生を暴かれる恐怖があるから名前を隠そう」という今の常識が終わり、「実名を出して活動した方がメリットがある」というパラダイムシフトが起きたら…という話。
「識別子」で活動してる人間はそこに経験値が蓄積されるし、もともと実名社会で影響力を持っている人間は匿名社会でも通用するけど、匿名社会だけで生きた人間はずっとLv1のままだよね、っていう。
まとめブログが隆盛って言っても、元の文章を書いている人は確かに存在しているわけよ。しかも匿名で。「匿名界からは既に自ら価値ある情報を作る能力のある人が失せつつある」はどうだろう。
まとめブログが転載している元の情報のうち、価値のあるものはほとんどが既に「識別子」で公開されてるものだと思う。
ニュース記事やpixiv、雑誌を無断転載したネタ、twitterの揉め事、海外の優れた考察なんかに対して、「匿名」の住人があれこれ突っ込んでいるだけ。
既に「匿名」にて意見を表明したり、作品を発表するメリットはない。影響力の発揮という点でもtwitterの拡散能力などに劣っていくだろうし、何よりネガティブだったり、多ID工作で誘導できたり問題が多すぎる。
ただその問題の多さは、雑誌やpixivの無断転載を「2chからの転載」とソースロンダリングしたり、罵倒や個人攻撃を「匿名社会の世論」とすることで免責するメリットでもあり、そのためだけに活用されていると俺は思っている。
自分の観測領域だけでモノ語りすぎじゃねえの?2ちゃんねらーにだってモノ作り出す奴もいるし、Twitterだって引用なのに自分の発言のごとくツイートしてふぉぼられるような奴もいるし。
狭い観測範囲で語ってるのは否定しないが、2chにもモノを作る人はいないと思っていない。大体、匿名ダイアリーに書くのが好きな人間にその感情が理解できないわけがない。
ただやがて減少傾向になっていくと思う。
理由は2点。まず人は批評に耐えられるほど強くあれない。まして匿名で罵詈雑言を受けてしまうと創作意欲が失せてしまうだろうし、調子に乗った「お客様」発言を咎める人間もいない。
「修正が遅いから、他の誰かが互換ソフトを作ってもいい」そんな何気ない一言がMMDを開発終了に向かわせたように。
もう1点。マイノリティを排除したがる今の2chの風潮。大多数が「嫌い」「オワコン」だと主張したモノに対しては言わせておくしかない。擁護すると「社員だ」「工作だ」などとレッテルを貼られるのがオチだ。
「自分の好きなモノを貶す人間は許せない」ならまだ分かるが、「自分の嫌いなモノを持ち上げる人間も許せない」という人間が非常に増えたんじゃないかな(これも観測範囲の問題だと言われそうだが)。
粘着質な少数に嫌われてしまうと何をやっても叩かれてしまうフィールドで作品を発表する価値はないし、作品を発表する人たちは現実側に軸足を置く人間のみ相手にするようになっていくと思う。
そういう例として、非モテタイムズ暴言事件におけるソラノートや、キメこな騒動におけるカオスラウンジがある。彼らは匿名側の非難を受け続けているが、それを無視して現実側で活動を続けようとしている。
そしてその結果、どうなるかはまだ分からない。ただ、俺には何も―匿名の住人が渇望するような因果応報は―起こらないんじゃないかという予感がある。
個人的にこの2つの事件が、匿名側の影響力が失墜し、実名側の発言力こそがモノを言うようになる第一歩なんじゃないかと思っている。(もっと以前からあったのかもしれない。炎上には大して興味がないので引き出しがない)
やがて現実に影響を及ぼせなくなった匿名側はより弱い人間を狙い、学生のショボい罪を粗探しし糾弾し、個人情報を祭り上げて鬱憤を晴らすような集団になるんじゃないかなとも。
下着ドロするのって、そんな突発的にやるもんか?
数盗むのを生き甲斐にしているのもいるだろうけど
盗めそう&持ち主のチェックした上で犯行に及んでいるんじゃないのか?
社会通念上、学校教育なんてとうの昔に崩壊していて、教育は事実上予備校任せと受験テクニックの横行、偏差値競争、社会は民主的でもなんでもなく阿鼻叫喚の権力、金銭競争の格差社会なんだが(現時点ではどうか知らんが少なくとも80年代以降の教育は明らかにそういう社会を目指していた)、この社会の水準でまだ法律の良識が通用すると思ってる霞ヶ関や司法ってのはただの馬鹿だよ。今の若者の生活環境考えると、健全な社会通念ってのはほぼ不可逆的に崩壊してる(20代以下が上から押し付けられてきた経験の核が戦争だから人権保障とか無理なのも仕方がない)。それでも官界や法曹界に行く奴はただの馬鹿か、嘘つきに成り下がったけど勢力的には絶対最強の国にすがりついて利益を漁ろうというヤクザ以上の犯罪者かのどっちか。まあともかく今の日本には国を仮装した絶対的ヤクザと、相対的ヤクザという普通のヤクザの小競り合いと共存共栄しかない。社会ってのは終わった年寄りよりも活発な若者が中心となって形成すべきものとすると、これが真の社会通念だよ。間違った社会通念で書類書いたりしてる行政や司法は考え方が間違ってるから訂正したほうがよい。とにかく80年代以降とりわけ90年以後の教育が終了してるから、手遅れ。テオクレティアヌス。これは休憩とかいうレベルではなくて、ただの崩壊。80年代以降の教育を受けた若者に今の民主国家を引き継ぐのは不可能。今後の日本はコンピュータグラフィックスみたいな空疎な虚構民主主義社会となっていくだろうし、実質的にはクズの競り合いと共栄しかないし、昔と違って年取ればとるほど不幸な国になるよ。勝ったか負けたか以外に生き甲斐がないんだから。まあとにかくすでに悪党支配の虚構民主主義社会だから正義もクソもないし、どんなひどいことでもやっていいんじゃないのという感じ。日本はあらゆる意味で終わっている。昭和世代の努力は水泡に帰した。
画一化が進む。さらに、世界的な大企業が日本の大企業を飲み込む。
世界の画一化が進む。同じものを食べ、同じ道具を使い、同じ言葉を話す。
これが地球市民。
交通手段のさらなる進化によって地球はもっともっと小さくなっていく。
その繰り返し。
それが銀河系にまで拡がり、科学技術はさらに発達し、地球人類は別の銀河へと進出。
むしろ多様性を潰すことこそが生き甲斐なのだ。全てを取り込み同化していく。
やがて全てが同じものになる。果てがあるなら、そこで地球人は滅びる。あるいはその前に、別の意志を持った知的生命体に滅ぼされる。
どこまで進んでも結末はただ一つ。滅亡。
命あるものは滅びの時を迎えるまで自分達の勢力を広げ続け、他の勢力との抗争に明け暮れる。
①食事の塩分を強くしてください。
②糖分も同じくです。
④アルコール分も大切です。 夫が飲んで帰ってきたら「シメタ!」と思ってください。
そして「外のお酒も美味しいでしょうが私のお酌でもう一杯」敵は肝臓です。酒を切らせてはいけません。
⑤夫を寝不足にします。 必ず熟睡している夜中に起こして下さい。
寝る前に水分を沢山採っておけば夜明け前に目が覚めるので、トイレに行く時に踏んずけるとかで起こす。
⑥趣味があったらとりあげましょう。 「バブル後の日本に趣味をなんか楽しむ余裕はない!」
⑦ストレスをためさせる。 「夫の話を聞く必要はありません」
⑧家族から孤立させましょう。 「出かけるときは夫は置いていく」
家族で楽しんでいるところに夫が帰ってきたら、シーン
子供に向かって聞こえよがしに「お父さんがいなくても大丈夫よネ」
⑩生きる自身を失わせましょう。
「いってらっしゃい」とか「お帰りなさい」なんて言わなくてイイ。
目があったら言うことはただ一言「顔色が悪い」
やっぱりそうじゃないか。どう見ても。君はお気に召さないし傷つくかもしれないけれど、それ以外に答えようがない。
この言葉一つで説明がつく「君と俺とでは立場が違う」だだそれだけ。
そもそも立場が違うんだから、君の基準で同列に俺を批判されても、話にならないよ、としか答えようがない。俺は一番最初からそう断っているんだから。
だからこっから先は蛇足の返答となる。
まずアタシの基本的な考え方から。アンタはいろいろ言葉を尽くして語るのが好きっぽいけど、アタシはなるべく簡単に短い言葉で伝えるのが好き。
好きとか嫌いとか、君はあるかもしれないけれど俺にはない。俺はただ自分の言葉が出来うる限り正確に相手に伝わるように努めているだけ。もちろん可能な限り言葉を尽くしたとこで100%正確に伝わるとは思ってない。だけど、君の言葉は短くて簡単な分、今回の俺のように何が言いたいのかさっぱりわからない。察してくれというけれど、何をどう察するのかもわからない。だからこんなに何度もやりとりを重ねることになった。伝わらない言葉は、伝える意思がないのと変わらない。伝える意思がないなら初めから何も言わない方がいい。誤解を生むだけ。ただ、本当に伝える意思がなければ、こう何度もやりとりはしなかっただろうけど、それなら、俺だったら最初から伝わるように努力する。それだけ。
最初にアンタが一番知りたがってたことに答える。
俺が知りたいんじゃなくて、君が察して欲しいんだろ?そのために必要なのは、何を察するか、だろ?ちなみに俺が聞いているのはそれだけじゃない。エントリーのどの部分に対してどう怒っているのか?何故怒っているのか?何故君が怒ることがあるのか?何故君が俺に対して怒る立場であるのか?生きる事の何が大変なのか?何故傷ついているのか?何に傷ついたのか?どこに傷ついたのか?どう傷ついたのか?それは本当に、俺のせいなのか?具体的に。貼っただけだから既に答えている事も含まれているけど、別に無理に答えなくていい。そのかわり、それ相応にしか察する事は出来ない。俺は神でも超能力者でもないから。
ふつうの人が望むようなことはほとんど何も求めてない。アタシはただ「ごくありきたりに生きる」ことを切実に求めてる。
なにこれ、どう違うの?俺が言ってるただ生きるだけと、君の言うごくありきたりに生きる事には大きく隔たりがあると思うよ。精神面なのか、肉体面なのか、それだけでも大きく違う。確かに、肉体的に言えば、俺はごくありきたりに生きている。それが無い人に、俺は満たされていると言われてもそれはしょうがない。何とも答えようがない。「ごくありきたりに生きる」ってどういうことだ?精神的な意味で言えば、俺はごくありきたりに生きる事も求めてない。それがどういう事かというと、「普通の人が思い描くような幸せ」ではなく、普通の人が普通に生きていれば得られるような「喜び」「楽しみ」も求めていない、望んでいない、得る事は出来ないということ。だから君がもしそれを望んでいて、得ようと思うなら、その努力は俺より必要だと思うし、その分生きるのは大変で負荷もかかってくる。そのおかげで君が俺に比べて生きるのが大変だとしたら、それは君が幸福を望んだから、という事になる。俺は望んでいない。当然幸福を得るための努力も不要だし負荷も少ない。
いや、優しさや思いやりが足りないと言うべきか。アタシはアンタに「差別された」とは言わないけれど、「無神経で思いやりのない言葉に何度も傷つけられた」とは言っておく。それと、この文章は要約すると「俺と立場の違う人間のことなんか知ったことじゃない。俺には関係ない」ということでしかないと思う。もうちょっと言葉を慎重に選んだ方がいいよ。
俺が、俺の事を話すのに、誰に優しくするんだ?特定の誰かに対してその人の事を話すなら、優しさや思いやりを持って、というのはわかるが、自分で自分の事を言ってるだけなんだけど?俺は君の話なんか何もしてないよ?それとも自分の話をする際に、俺が知らない、誰ともわからない、俺と違う人間の立場の他人の話も混ぜろって言いたいのか?出来るわけがない。何のために?なんでそこまでしないといけない?自分の話をするだけなのに?俺は飽くまで自分の話しかしてないし、する気もない。そもそも違う立場の心情なんてわからないし、俺が言いたい事でもない。君が言うように、俺の知った事じゃないし関係ない。少なくとも俺が自分の話をする上では。当たり前だろ?
アタシはアンタが悩んでないとも辛くないとも思ってないし、人の苦しみを代弁してるなんて思ってない。ただこの一文からアンタに「切実な」悩みや辛さがあるようには、どうしても思えない。
俺は悩んでもないし、辛くもないよ。
アタシがアンタに「察しろ」なんて言うのはおかしいけど、いい加減察してよ。もうどうでもいいから、アタシは早くこのやり取りを終わらせたいんだよ。
放置すれば終わるよ。今回やったように、他も全部削除してしまえばそれはそれで終わるよ。俺は何も強要していない。それは君が判断することだ。子供みたいな事は言わないで欲しい。
君は興味ないと思うけど、少しは俺の話も混ぜておこうか?自分ばかり何か言わされた気になられても困るから。なってないかもしれないけど。
俺は別に、今生きる事に辛さや悩みは抱えていない。それが、君が俺に対して真剣に生きていないだとか、楽をしているとか、なめているとかそう感じた発端ではなかろうか。
でも俺はその代わりに、というよりは、それと同時に、楽しみや喜び、生活感、生き甲斐、充実感、満足感、それらも抱えていない。そういうのは俺にはほとんど感じられないみたいだ。
だから、俺はただ生きているだけ、という表現を使った。俺は辛さや悩みはないし、不満もないが、この生活に疲れを感じている。だから、生きる事に対して積極的でもない。
俺が今何の悩みも辛さもなく生きているのは、簡単に言えば大人になったから、自分をそう仕向ける事が出来るようになった。
子供の頃からそうではなかったから、俺は幼い頃から如何に苦痛を取り除くか、それだけをずっと考えて生きてきた。ただ、生命を維持するためだけに。
そして、君がぬるいと感じるように、それだけで生命の維持が覆されるような苦痛や恐怖も味わっていない。戦争や飢餓、そこまでいかなくても
病気や障害、事故や事件、いじめや生活苦といったものも、それに該当するだろう。だから、俺にとってこのただ生きるだけ生活は、今はそれはほど難しくはない。
必死で生きている人からして、俺は楽している、と言われても、間違ってはいない。俺は何も求めていないから、その分活動が少ない。ただ、真剣に向き合っていない、と言われたらそれは違う。真剣に向き合った結果、俺は自分を維持するために「如何に楽をするか」、「如何に苦痛を取り除くか」、それだけが生存の手段であり目的になっている。そのためだけに生きている。君がどういう意味で「真剣に向き合う」という言葉を使っているのかは知らないけれど、傷ついて、倒れて、恨んで、憎しんで、喜んで、這い上がって、頑張って、やり遂げて、切磋琢磨して、殺し合って、助け合って、そういう抑揚のある生き方は俺には出来なかった。残るのは痛みと傷だけで、あまりにも割に合わなかった。生命の維持に関わる事だった。だから、可能な限り避けようと努力してきた。それでも波はあったが、運良く大きな波にはぶつかっていない。今のところ生命の維持は出来ている。特に大人になってからは、自分が揺らぐ事も少なくなった。今後どうなるかはわからないが。俺はこの人生が辛いとも苦しいとも、楽しいとも嬉しいともなんとも思っていない。ただ生きているだけ、ただ時間が過ぎるだけだ。
以上が俺の甘えた生活だけど、君から見てこれがどう写ろうが、それは君の基準から見たらそうなんだろうとしか言えない。君の人生ではなく、俺の人生なのだから、それを甘えていると言われても、どうしようもない。そして、何度でも言うけれど、俺は自分の生き方を書き綴っただけに過ぎなくて、誰も批判はしていない。俺を侮辱した!とか言ってくる人が出てきても、してないよ、君の事なんて触れてもいないよ、としか言いようがない。それで傷ついたなどと言われても、俺にはどうする事も出来ない。生きるのも死ぬのも簡単じゃないと言われても、それは君の人生だ。君の人生について俺は一言も話していない。
「この人に同じインタビューしたらどうなるかな?」
「答えてくれているじゃないですか」
「もっとじっくりと」
「それは難しいでしょうね」
「なんで?」
「途中から答えるのが億劫になってくるんじゃないですか」
「え?なんでよ?」
「だって、かなり回りくどい説明をしないといけませんから」
「どういう意味?」
「それはいいとして、この方は生きる目的が無いと答えられてますね」
「そうだね」
「あなたはありますか?生きる目的とか、生きる楽しみとか生き甲斐とか」
「あるよ!!たくさんありすぎて答えきれないぐらい!今こうやって話してるのも楽しいし」
「そうですか。それはよかった」
「うん」
「彼には、生きる理由とか目的とかはなく、ただ漠然と生きていたいそうです」
「なんでだろうね。死ぬのが怖いのかな?」
「そりゃ怖いでしょう」
「そうかな?死ぬのってそんなに怖い?」
「私は怖いです。死そのものよりも死ぬ事によって起こるごたごたが特に」
「じゃあ死ぬ事は怖くないの?」
「死ぬ事ですか」
「そう、さっき言った死そのものは怖くないの?」
「死そのものですか。」
「そう。やっぱりこわい?」
「正直なところ、死そのものについてはわかりません。概念としての死はわかりますが、それが怖いかというと、なんとも言えないですね。わからない怖さというのはありますが、わからないから死にたくないというような事はありません。それよりも死につきまとうごたごたの方が怖いです。」
「…えーっとじゃあ、死んだら人生終わっちゃうよ?それは怖くない?」
「それは怖くないです」
「あ…そうだったね」
「話を戻しましようか。」
「うん」
「彼は何のために生きているかという問答を用いてますね」
「そうだね。答えは出なかったみたいだけどね」
「出ていますよ」
「どこ?」
「生きるために生きる」
「あー生き甲斐は?っていうところか」
「そうです」
「生きるために生きるって、どういう事?」
「生きる事そのものが目的だということです。」
「んーわっっかりにくい」
「なに?」
「何故山に登るのですか?」
「そこに山があるから!!」
「それと同じです」
「どこが!」
「説明します」
「お、おねがいします」
「私たちは生まれ落ちました。そこには人生が広がっております。だったら生きてみようじゃないか。登山家は山があるから山に登るなんて答えましたけど、その真意もいろいろ言われております。この言葉、つまり山に登る事に目的はないのです。山に登りたいから登るのです。同様に、彼は生きたいから生きる。生きる目的は生きる事であり、生き甲斐は生きる事。登山家と同じでしょう?」
「同じ?チガくない?」
「どこがですか」
「だって、登山家は山に登りたいんでしょ?」
「はい」
「山に登らなくてもいいのに、山に登りたいから登るんでしょ?」
「はい」
「この人は、生きなくてもいいのに、生きたいから生きるの?」
「ではないでしょうか」
「違うでしょ!だって、人は自分の意思で生まれないよ?」
「はい」
「だったら強制的に人生をスタートさせられて、さあその後は任せるって卑怯じゃん?」
「そうですね」
「登山家だったら山のふもとまで運ばれて、登るか飛び降りるか選べって言われてるようなもんじゃん?そうなればもう登るしかないよね?」
「それは怖いし」
「じゃあ登ればいいじゃないですか」
「登るしかない。登りたくなくても!」
「でも、彼は登りたいみたいですよ」
「彼って、登山の話してないじゃん」
「彼は、生きたいという意思を持っているそうです。」
「君とは違うね」
「はい」
「生きるのは状態じゃなかったの?」
「状態です」
「この場合は?」
「この場合は、彼は生きたいという意思を持っている。生きる事を目的としている。生きるために生きている。つまり、生きる事に能動的であり、積極的であることがわかります。」
「前向きってこと?」
「前向きかどうかはわかりません」
「じゃあどういうこと?」
「私が生きるという事は、言うなれば受動的です。」
「受け身で生きてるってこと?」
「はい」
「生かされてるの?」
「ある意味でそうです。」
「誰に?」
「私自身にです。」
「はい。」
「ごめん、説明して」
「はい。私の体は全てが私の考えの元に動いているわけではありません。脳の信号が命令をしているには変わりないですが、私の思考からくる意思により、私は腹が減るわけでも心臓を動かすわけでもありません」
「体が勝手にやってくれるよね」
「それです。」
「だから、自分に生かされてるってこと?」
「はい。私の意思とは関わらずに」
「じゃあ、意識的に生きる、意図的に生きるっていう彼の発想はどういうこと?」
「能動的に生きるということですか?」
「そうそう、そんな感じ」
「もしかすると、彼は生命の危機を少なくとも感じているのかもしれません」
「そうなの?」
「わかりません。しかし、例えば、目の前に死が迫っていて、生き残る事が出来る方法があったとします」
「うん」
「この場合、生きたければ、生き残る選択をしますよね?」
「そうだね」
「これが能動的に生きるということです。」
「じゃあ彼は死にかかっているのかな?」
「わかりません。しかし彼は、生きる事は大変で難しいと言っています」
「それは違うでしょ?」
「どう違いますか」
「意味が違うよ。生きるか死ぬかって究極のところもあるけど、それよりさ、普通に生きるのって結構大変じゃない?めんどくさいこととか嫌なこととかいっぱいあるし、そういう事を言ってるんじゃないの?」
「真っ当に社会生活を営むのは、私のようにただ生きているだけとは違い、あらゆる困難を生じるということですか」
「そう!あんたは社会のクズ!そんなのと一緒にしないでくれる?」
「つまり、困難な社会生活を営むためには、強い意思が必要だということですね」
「そう!あんたみたいにダラダラしてたら過ぎていくような甘いもんじゃないの!」
「そういうことです」
「そうそう、そういうこと!って何が?」
「生きるために生きるとは、そういうことです。」
「…どういうこと?」
「人それぞれ、生きる水準というものがあります。頑張らないと生きていけないような、水準を高く置いている人もいれば、私のようにただ生きているだけを生きるという水準に置いている人もいます。彼の場合はどの水準にあるのかわかりませんが、少なくとも彼にとって生きることが大変で難しくあるということは、それは私のようなただの状態ではなく、目的となりうるのです。」
「生活水準とか?高く設定していると維持するの大変だよね」
「そうです。それです。」
それは単なる身内や赤の他人に対しての迷惑行為なだけなんで
追い詰められた人の自殺とは一緒にして欲しくないよ。
往来にワザと汚物を撒き散らかして楽しんでいる人と同じで、
ましてや気分が悪くてもどしてしまった人と同列に扱うべきじゃない。
自殺をする時に迷惑をかけない死に方を選ぶ必要なんてない、って分かってわざとやるような人は
そんな心遣いを期待するのは無理なんだろうけど
せめて他の人には迷惑をかけないように、葬式しないという心遣いは遺族がしなきゃいけないんだろうね。
それが嫌がらせだったとしても、汚物が撒き散らかされていたら
誰かが片付けるしかない。
それが悪意でなければこそ、「そんな事しないで」って言う意味があるのだから。
可愛がっていた猫(田舎だから外飼い)がいなくなって、
もう歳で多分死んだだろうな、と思っていたら
床下で綺麗に白骨化したのを随分経って見つけた。
見つけるまでに心の準備もできたし
綺麗に骨だけだったから供養も楽だった。
夏場に死んだはずなのに、異臭もしなかった。
人間はなんでこうやって残された人の事を思った死に方ができないんだろうね、って。
なんだろう。
俺自身は好きな女の為だったらこの身を捧げてもいいと思ってる。
結局それが性格の悪い女で、金にあざとくて、セックスがおざなりだとしても。
いや、言い過ぎた。さすがにそれはきつい。
よく依存するのはよくないと言う。
例えば最愛の人の行動如何で自分の私生活がメチャメチャになったりするのは依存している、と思う。
でも、心を占有している割合で言えば、恋人というのはすごく大きいと思うし、それは間違っていないと思う。
俺は好きな人がいて、その好きな人は俺の事を好きでいてくれて、一緒にいない時は寂しい。
好きな人が励ましてくれれば元気が出るし、好きな人が落ち込んでいれば悲しい。
それは依存しているという事なのか?
驕りというのはわかっているけども、俺はそれなりに周りに必要とされる。
けど、そこで一番の問題が俺自身が人と関わる事が億劫なんだ。
だからといってニートになってもいいという訳ではない。あしからず。
そりゃ時折寂しくなって誰かに会いたくなるけど、それは特定の誰かであればそれでいいし、利害とそれなりの友情で結ばれた世界なんて欲しくない。っていうのが子供なんだというのは重々分かってる。
だから自分で会社をやってみようと思ったら案外それなりにうまくいっちゃって、じゃあ俺の生き甲斐っていうか生きる意味何ってなった。
そこで俺は冒頭の好きな女の為に生きるって事が漠然と浮かんだんだけど、結局それも一時の気の迷いなのかもしれない。いつまでも綺麗な女性がいないように。
結局俺の生きる意味って何だ?
勢いでただこのメランコリックな気持ちをうやむやにすればいいのか?
結局俺は誰で、何者なんだ。
存在悪+理気妙合
まあ理気が混ざってるんだから理はほとんどない。要するに必死な存在悪。日本人でも年を取って社会に貢献する力がなくなると、たまに加藤みたいにものすごく理性のある奴が傑作論考を残すことがある。加藤が偉大な思想家と言われたのも、加藤が天才だからだろう。その加藤によれば、日本人の普遍的なあり方は、存在悪であり、技術的には理気妙合だというのだ。
多分学校で習ったようなことは気と合体させる為の嘘だろうし、日本人は、トップは超絶なクズで、下部は奴隷なのだと思う。もう結論が出ている。日本に生まれた時点で絶望しかない。まして最近のように存在悪が増長し、理が減ってくると、何の生き甲斐もない。
http://anond.hatelabo.jp/20100302193526 の続きです。
あの後、何回か一緒に飲みに行った。そんなある日、悪魔の囁きがあった。
「こいつとヤっちゃえばとりあえず童貞は捨てられるし、素人童貞ということにもならないぞ。
どうせこんな女なんだ。頼めばヤらせてくれるんじゃねーの?」
そして私は囁きに負けた。ある飲み会の後、彼女をホテルに誘ったのだが、返事は
「いえ、明日は早くから予定があるので」
そして数日後、彼女からメールが届いた。文面はシンプルに「増田さんは私とHしたかったんですか?」
イエスと答えた。それからの流れがカオスだった。コンドームするしない(男が『する』女が『しない』というのも変な話だ…)、万が一妊娠したら堕ろす堕ろさないで言い争いになり、結局Hはしないことになった。
彼女曰く。「あなたみたいな男しか私の前に現れないんですよ。責任とらずにセックスしたい、人を殺してまでセックスしたいという男しか。そこまで考えないで、欲望を満たすための道具としか見てないんでしょ?どんなに悔しいか分かりますか?」
ちょっと誤解されてるなー、と思ったので、多少の弁解しつつ、子供と中絶について少し聞いてみたりした。彼女曰く、「好きな人との子供を作りたいのは当然だけど、でも実際に妊娠したら誰の子であっても産むと思う。たとえレイプされての子でも。男性には分からないでしょうけど」
昔、法律をかじったときにそういう話は読んだことがある。ので知識としては知っている。がそんな条件でも「自分の子」であるなら産む、と言う選択は男からすれば理解の範囲外だ。
その後は多少の雑談をして終わったのだが、彼女は最後にこんなメッセージを送ってきた。
「子供を生まない人は愛されなかった人なんですよ。愛されなかった烙印を背負いながら、加齢により性的価値を失って男性から求められなくなったあと、なんの生き甲斐もなく生きるぐらいなら、死んだほうがいいと思っています」
……相変わらず呪いは解けていない。というか一生解けないと思う。
同年代はアニメや漫画を見て「面白い、面白い」と騒いでるけど、自分からしてみたら単純過ぎるのか、見るのが作業と感じて苦痛で仕方がない。
かと言って代わりに何か息抜きの方法がある訳でもなく、時間があるときは勉強をして極めているという訳でもないから成績もそんなに良くない。
でも成績上位の人は暇な時にはそれなりに漫画を読んだりラノベを読んだりしてるみたいで、自分と大きな差がある様に感じる。これがリア充か。
楽しんでる人はけじめを付けて自制しながら楽しんでるみたいだし、そうでない人も妥協点を見つけて楽しみながら生活している。友人もいないし、生き甲斐もないし、一日中家の中でぼーっとしているのは俺だけかもしれない。
何だか憂鬱だな。
毎日が“仕事→帰宅→飯くう→寝る”の繰り返し。生き甲斐らしいものが何一つない。
昔はバードウォッチングを一応ささやかな趣味として、適当に生活が苦にならないように社会のレールを歩んできたが、仕事を初めてからそれらの事に全く興味がなくなった。
だからと言って代わりに仕事にものすごく熱中できる、という訳でもない。
毎日糞下らない事に時間を費やして、得る金も少なくて、本当に人生の浪費なんだけど「だから起業しよう」とか、起業でなくても「だから大きな仕事で成果を作ろう」なんて全く思わない。
「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」じゃないが、日々に仕事しかなくて生きていても楽しくない。
「なんかもうダルいからこのままでいいやー」って、思考停止してる感じ。自発的に動くのが面倒でたまらない。考えるのも嫌。
駅で電車を待っているとき、「ぁぁ、ここで吹っ切れたらきっと線路に飛び込んでしまったりするんだろうなぁ、俺。」などとぼんやり考えたりしてしまう。
でも考えるだけなんだよね。何も起こらない。
たまに街で見かける生気の宿ってない顔をしたご老人の方を目にすると、最近は「俺もきっと将来あんな風に体力のない何もできない身体になってしまうんだろうな」と思うようになった。