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はてなキーワード: かかりつけ医とは

2024-04-11

家族が自宅で亡くなった時に、すぐに救急警察を呼んではいけない

というのは、在宅看護の人から聞いたけどね。

ここではデマ扱いされているけど

https://x.com/dragonx510/status/1778024693263450501

なんかこういう、「社会的にはデマなんだけど、たまたま発信した人間が異常を経験したせいで発信してしまった表に出ない真実」みたいなの結構ありそうだよな

在宅医療を受けているのであれば、救急警察を呼ばすに在宅医療のお医者さんや在宅看護ステーションに連絡してください、と言われるはず。

そうでなくても、看取ってくれるかかりつけのお医者さんがいるのであれば、かかりつけ医に連絡したほうがいいと思う。

2024-04-03

腫瘍を取ったら姉だった話

過去にね お腹がすごく痛くなったことがあるんです

なんていうか圧迫感っていうか 体を折り曲げるとテニスボールを挟んでいるような違和感があって それでまぁ我慢できなくてかかりつけ医のところに行ったんです

そうしたら難しい顔されて あれよあれよという間に大学病院に連れて行かれて腫瘍ができてるから手術するよって 

それで取ったんです 腫瘍

わたしどうしても腫瘍っていうのが見てみたくて 必死にしつこくお願いして見せてもらったんです 腫瘍はなんというか モッツラレラチーズカマンベールチーズ色にして赤い血を浴びせたようなそういう見た目でした

そんで 中に何が入ってるか調べるっていうんで それも見せて欲しいって言ったんです

そうしたらね まあ面倒そうに口元ひん曲げながら銀色のトレーに中身を入れてずいっと差し出してくれてね 中には髪の毛の束と小さな歯か骨のカケラが入っていました

わたしが元母親(縁切りしているのでこう呼びます)のお腹の中に入っている時にもう一人双子がいて その子を吸収しちゃったんだそうです それか皮様嚢腫を吸収したかとかなんとか

医者さんは10秒ぐらいでもういいですよね、ってすぐ引っ込めて捨てちゃったかしたんですけど

文字に起こすとなんだか呪物に使う道具みたいで気持ち悪いですけど

その時わたし、多分わたしの姉だったものだと思ったんです

流石にそれぐらい二十数年一緒に居たんだから分かります

不思議なんですけど ただの髪の束と骨か歯かも分からない白いカケラでも 姉だと思うとそれはもう愛おしいものしか思えないんですよ

アレが歯ならきっと片手で抱っこできる程度の小さな赤ちゃんだった

あんなに愛おしいものはきっとこの世に一つとしてなかったと思います

わたし子どもは産みませんが 子どもは好きなので 姉だったものだって勿論好きだと思うのです

話は変わりますが わたしの育った家庭は機能不全とまではいかなくても 薄暗くて ジメジメしてて 周囲の人間たちも地域も いつも理由をつけて犠牲者を作る事を生き甲斐にしている様な人たちで

当然仲良くなんてしたくないのですが 両親(母はぎょろっとした目と厚い唇がマンボウに似ています 父はいつも家にいませんでした)は悪意に疎くそれに気づかず それよりもわたし子どもらしく外で元気よく遊ばないのにイライラしている様でした

ですがわたしが感じた事を口に出せば親はきっと自分たちを包む悪意に気づいてしまうでしょうから わたしはただ黙っていました そうする他ありませんでした 誰も傷つけたくはなかったし 言っても分かってもらえないだろうと思っていましたか

わたしはただ窓際のサボテンみたいな色をしたボロボロソファに座って 窓の外の太陽が沈んで一日が終わるのをじっと待っていました 灰色生地チューリップ刺繍されたカーテンが揺れもしなかったのを覚えています

檻のない牢獄みたいでした

あの時わたし世界で一番孤独だったと思います

勿論わたし世界の中での話ですが

でも あの時姉が あのモッツラレラチーズのように小さくまとまった姉がそこにいたと思うと なんだかあの頃のわたしが救われるような気がするのです あの頃のわたしにはそれだけでよかったのに 誰かが側にいてくれたらそれで

目を瞑ると思い出します あの小さな白いカケラ

わたしが取り出さなければ 産まなければ死ぬこともなかったカケラ

(彼女は生きていないのだから死にもしないという人もいらっしゃるかもしれませんが 彼女は生きていました わたしには世界を見たいように見る権利がありますので、ええ)

普通人間は胎の外に出てから年齢がカウントされますが それでは彼女はおそらく30分も生きていない事になるので わたしと同じ20数年+1歳ということにします 

そんな歳月を 一緒にいることすら知らないまま過ごし 取り出してしまってから知るなんて と なんだか胸がつまります

数年前に家族とは全員縁切りを済ませたつもりだったのですが またお別れを重ねるとは思いませんでした

姉はきっと可愛い子だったでしょう 写真の一枚も撮られなかったわたしと違って わたしの代わりに産まれてくれたらよかったのにと思います

姉なのでそうもいかなかったんでしょう

優しい姉です 自慢の姉です

2024-04-01

母になって後悔してる

子供が一歳になり、育休が終わった。最後に「母になって後悔してる」を読んだ。

https://www.shinchosha.co.jp/book/507271/

すごく共感できた。どうして母親にだけこんなに負担があって、それが当然だという風潮なんだろう。これは育児をしないと気が付かないことだった。

夫は協力的だしかなり愛情も持って接してるし、二人の育児方針はそんなにぶれてないので相談もしやすい。リモートワークなので子の様子も良く見てくれる環境だった。

おむつ替えとミルク作りと沐浴など、基本的なことは一緒にできた。ねんトレも一緒に頑張ってくれた。

でも、温度差はまだまだ全然ある。例えば育休を職場相談する気さえなかった(説得して子が10ヶ月の時に1週間だけ取ってくれた)。

相談する気さえなかったことが信じられない。わたしはとるのが当然なのに。

この育休中、時間がしっかり区切られて、言葉の通じる相手と話せて、子供のことを一瞬でも良いから目を離せられる環境があるのが羨ましくて仕方なかった。

私たちは一時期は夫の実家にお世話になっていたので、なんなら夫は二人暮らしときよりも楽だったかもしれない。家事は一切せず、時間になったら仕事して、夜ちょっと子の面倒を見て終わり。

趣味時間なぞ1ミリもなく、気を抜くと睡魔が襲って来る頭で(子は夜泣きが酷くて2時間ごとに起こされていた)、顔を洗うこともパジャマを着替える気力もわかず、出産で変わり果てた重くて痛む身体を引きずり…そういう、ほとんど人間らしくいられるギリギリライン、何もかもを取り上げられた自分別世界すぎる。

友達雑談してる隙を狙ってトイレの間ちょっと見ててもらおうとするも、見てもらえたりもらえなかったり。そもそも面倒を見るのを拒否できるのが羨ましい。

子が泣くと仕事部屋の戸をピシャリと閉める。家に居づらいので支援センターによく通った。

リモートワークだと、どのくらい仕事が忙しいのか様子がよくわかってしまうのもよくなかった。

夫の仕事あんまり忙しくないみたいで、休憩時間雑談したりゲームしているのが死ぬほど羨ましくて恨めしかった。

戸の向こうで楽しそうに友達雑談している夫を尻目に、ベビーサークルの中でこちらを見て構って欲しくて泣き喚く子に声をかけながらバタバタと夕ご飯の支度をする。

私の休憩時間は週末にならないと来ない。なんなら週末になったって来ない時だってある。

昼寝の時間は少しは休憩になるけど、いつ目覚めるか分からない子を見ながらはたいして休憩できない。

暇があると、すぐに手が離せないオンラインゲームしだすのも腹立たしい。

今、この瞬間に助けに行かないといけないシュチエーション(例えば頭をぶつけそうだから目が離せないとか)なのに、私が見ている前提で「今ゲームしてるから無理」と言えるのが信じられない。

育児はその場のこと以外にも、予防接種スケジュール書類などの管理、動き回るようになったら家の中の危険場所の把握と改善月齢ごとの咀嚼状況を考えつつ大人食事を回しながら無理なくつくれる離乳食献立を組み立て、アレルギーチェックの進捗を確認し、次の1ヶ月でどんな発達があるか把握、季節ごとの服はどんな物を選べばいいか保育園の準備物やお世話の道具をレビューをみつつ絞り込み購入し、かかりつけ医はどこにするか決める…など情報収集判断無限にやってくる。

そのすべてを人に丸投げにして「任せるよ」で終わらせられるのが信じられなかった。今でも信じられない。

育児の本を一緒に買っても、開いてくれたことはあるだろうか?そもそも本がどこにあるのか分かるんだろうか?

ここまで無関心でいられないはず、とつい期待してしまう。でも無関心、これが現実。私が負うしかない、母親から

それに自分の両親にも義理の両親にも言葉や態度の端々で仄めかされて、母親のロールはどんどん刷り込まれて行く。

そばで寝てあげないから泣くんじゃない?お義父さんは抱っこが上手だから泣かないね離乳食に気を使いすぎなんじゃない?食べさせすぎでちょっと太ってきたんじゃない?」...などなど。言われるのは母親だけだ。

これから先も内容は変われど主に期待され対応するのは私なんだ。子供が大きくなるまでずっと続くのかぁ。できなくもないけれど...。

母のロールから降りることができない。早く社会もっと変わっていかいかな…。

夫は良き相談相手なので割となんでも話すし、結構この話もするんだけど、どうもピンとこないようだった。

「そうは言うけど、そりゃぁ今まで通りにはいかないしある程度仕方ないでしょ...母親になったんだから。もちろんできる限りはするよ。」

できる限りかぁ。

2024-02-25

anond:20240223223202

わーわー!元です!トラバいっぱい、うれしい!うれしい!ありがとう

反応遅くてごめんご。

  

介護職のひともいるっぽいな。いつも本当にお世話になっております

プロケアしてくれると家族側は魂までケアされます感謝しかないです。

本音を書いてくれてありがとうございます

  

動画あるよって書いてくれた人もありがとう

動画普段まり見てないから知らなかった!ちょっと怖いけど、みてみます

 

訪問サービス業者にもよるだろうけど、通所や入所よりも100倍はまさるよね

人を人とも思わない食わせないクソ施設は消えてほしいと思ったで

  

おつかれさまです!!家に来てもらえるの安心だよね、いいな!

うちの場合は家に人を上げるのを家族が嫌がって、訪問サービスは受けたことないんだ…えーん

クソ施設はまじ滅ぶべし

 

  

ここで面倒なのが介護施設の世話になりたくないって親は多いってことだな。

うちの場合父親の方が、認知症母親の面倒をまだ見れると言い張るからその辺の説得に1年くらい掛かったぞ(父親の方も衰えてきたから、やっと納得してくれた)。

あとはデイサービス探し。近所の方が良い。俺の場合は、俺の掛かり付けの病院デイサービスもやってたか、通院するときに状況も聞けるから、意外と助かる。

  

うおーーーおつかれさまです!

うそう、 病院施設の断固拒否、、、説得するのもツライよね。

ほんとに現在進行形で困ってる、はー(ためいき

祖母とき医者にもほとんど行ってなかったから、かかりつけ医がなくて、それも困った。

初診で認知症外来に連れて行ったら診断しぶられて(そりゃそうよね)困ったよ…(結局出してくれたけど)

  

50代以下で親介護してる場合はほぼ癌だよね

家族周りは出てくる

  

そうか!そっちは明るくない私。ありがとう。癌はまたつらかろうね。。考えただけで泣きそう。

てか、親の介護のメインは60代以降なのかー、そうだよな、

やっぱり私はまあまあ落ち着いているヤングケアラーとして語っていかねば…

    

介護についてのインターネッツ

ないよ。障害者と老人はこの世界から消されたよ。

そーいうことだよね、透明化されてる〜〜。もっと語ろ〜〜〜

  

   

よく子育て比較をされるが明るい未来や先の楽しみを見出せない営みなのはやっぱしんどい

  

ほんとそう。そうなの。ぜんぜんちがうよね。確かにしんどい

だし、ほんとに渦中にいると、書いたり読んだりしてるばあいじゃね〜となるよね。

おつかれさまです。

  

  

でもでもやっぱり、友達や身近な家族に話すのも難しいときインターネッツになら愚痴れることもあるかも?

  

そんで子育て界隈みたいに、介護話でマウント合戦になってもよくない? そういうのをヲチしながら人は学んでいくこともあるじゃんね?

 

   

  

たとえば家族認知症で、ティッシュ(未使用)を集めまくってて、

きれーに畳んでポケットやらカバンやらに入れてたり、ベッド脇に大量に溜めこんだりしてて、汚く見えるし、洗濯してぐちゃぐちゃになったり、わけわからん行動すぎて、地味にイライラして、イライラする自分にまた自己嫌悪みたいな、、、

でもケアマネさんとの会話で「ティッシュ集め、あるあるですねえ〜(苦笑い)」って言われて、

そうなんだ!!うちだけじゃないんだ!って

   

   

そんな些細なあるある、本には書いてなかったからさ、目からうろこですよ

どーでもいいことだけど、それだけでイライラは少し軽くなる。

そういうのがインターネッツもっとあると助かるかなって

  

  

あと晩婚化で高齢の親が増えてるし、今後はヤングケアラー増えるよね、きっと。

そしたらやっぱり、もっともっと、いろんな言葉があるといいよね。

(もちろん、ネットだけに頼るのよくないけど)

(あと先立つものも超々々々々々大事だけど)

  

きれいごとじゃなく、介護は生きることと同義みたいなもんで、人間が生きてる以上いつかはぶち当たるし、どこまでもついて回ると自分は思ってて、

(もちろん、しない&させない選択肢もあって然るべき!ですが)

  

終わった〜と思ったら、また始まったりするしさ、、、

わたしは今のところ、とにかく低空飛行でも、落っこちないようにだけ、がんばってる感じ

  

  

とにかく、ケアラーのみなさん、本当におつかれさまです!!!

そしてどうもありがとうございます!うれしすぎて長くなった!

  

みんなであーだこーだ言ってこ〜〜〜〜〜〜

  

  

  

  

2024-02-22

anond:20240221091018

shea なーにが「共同親権にならなかった場合妻が親権を持つ割合が多かったらおかしい」だよ。離乳食つくったこともない、子供パンツどこかも、かかりつけ医も知らん割合は、夫婦どっちが多いか言ってみな。

このブコメ主と星つけてる人たちはクソ旦那の「誰が稼いで食わせてると思ってるんだ」を肯定するんですね

男女どっちの労働時間が長くて平均収入いか言ってみろよ

それは今までのジェンダーで生まれ役割による歪の問題男性女性性に固定された問題じゃないだろ

2024-02-16

anond:20240216071942

刑務所には臨床心理士カウンセラー精神科医がいて精神疾患患者治療させられる

青葉は服役当時から診断されてたという報道がある

医療刑務所ではないもの労働精神治療ルーティンに組まれ受刑者の1人だったということ

度々問題を起こし独房に入れられてたという報道もある

アンガーマネジメント必要に迫られる課題だったはずで認知行動療法適応されるケース

服薬効果限定的患者カウンセリングをさせない医者を想定するほうが難しいのでは?

 

出所後は特別調整患者指定されて自立支援施設を経てナマポ訪問看護を受けていたとのこと

かかりつけ医病院所属臨床心理士カウンセラーという選択肢だけでなく

無料臨床心理士カウンセリングが受けられる地域精神医療センターという選択肢もある

地域精神医療チームが組まれてた青葉にカウンセリングを受けさせなかったと考えるほうが不自然

 

問題精神薬もカウンセリング自立支援支援者のためのものに過ぎなかったということ

底辺精神障害と名前をつけられ支援を受けたって救われるわけじゃなく福祉養分として一生吸われるしかないという問題なの

2024-02-01

逆算ゼロ人生を送ってきて現在

目の前のことを一生懸命頑張ってるだけじゃ駄目だったって話。

自分仕事への執着みたいなものが捨てられない。

訳あって日本国外に住んでいる。

この国については、何となくぼんやりと、いつかまた住みたいという小さな願いを持っていた。

記憶にも残らないほど昔に、自分はこの国に住んでいたかである

日本では普通に義務教育高校大学を出た。大学は中堅ランクで、就活で大勝ちすることもないが特に苦労もなく一部上場企業入社した。

高校までの自分は全く海外志向ではなかった。私立高校留年して留学に行く子もいたし、2週間ほどどこかの英語圏に行く交換プログラムみたいなのはそれなりの倍率で卒業してアメリカ大学に進学する友人もいたが自分がそれに興味を持つことはなかった。

何となく海外に興味を持ち始めたのは大学に入ってからで、それも世界仕事をしたいとかそういうのではなバックパッカー世界一周ってかっこいいな。程度のものであった。

小中高と成績は良い方だった。頭が良かったというよりテストはできるタイプだったから。自分にとって80点台は残念で、ほぼ全ての教科で90点台を取れた。そんな自分の一番の苦手科目は英語で、唯一90点台を取れない科目だったのだ。

通っていた高校偏差値は68とかで、このように表現すると単に自分にとって出来の悪い教科だった程度に思われるかもしれないが、TOEICは350点前後普通で少し勉強したくらいでは500点を超えられない。大学英語の授業では、テストをして出来ない順に受講資格が割り当てられるという超基礎的な、そして簡単が故に人気の英語講義の受講資格を見事得ることができた。それくらい出来ないのだ。

大学の専攻科目の成績はそこそこで、上の下か中の上くらいだったと思う。

社会人になってから今まで、何度も英語学習にトライしたが都度続かなかった。何となく海外。程度のモチベーションでは何がわからいかが分からない自分を律して勉強を続けることができなかった。

社会人になって一部上場企業に勤めたが、勤続7年目くらいで退職した。原因は精神的にだめになったから。家庭環境があまり良くなかったからなのか二十歳過ぎたあたりから精神病み始め、社会人になり遂に家庭の抑圧から開放されたら生きる道標を見失ってしまったように思う。それまでは自活して家庭と決別することが人生目標だったかである

大手を辞め、立ち上げたばかりで社員5人くらいの会社に入った。一社目の大手は私にとってぬるま湯仕事に充実を得られないことが不全感の原因ではないかと考え、ワーカーホリック生活をしようと思ったからだ。

200時間残業したり会社の床で寝る生活を2年続けたら30歳を過ぎておりこれを続けていけないと思って退職した。精神疾患の方もまた悪い波が来ていて、何も上手く行かない生活、もう全てに疲れて、誰も知らないところでゆっくり休みたくなり当時のかかりつけ医相談して精神科に任意入院した。もう自分は二度と表街道で働くことはできないと感じで退院後は馴染客だけを相手Barで働いたりしていた。

でもやっぱりそこから飲食業で生きる覚悟もできず、何となく再開した前職の先輩に紹介された会社に拾ってもらった。そこは絵に描いたような零細企業でどのような金回りで経営が存続しているのか最後まで不明だった。

でも社長が私を買ってくれて色んな仕事をしているうちに、普通に朝起きて、普通に食事をして、普通に仕事をして、普通に寝るという生活ができるようになり、死への執着が薄れ、一人の人間として生きていくことがあまり怖くなくなった。

それでもその意味不明零細企業でずっと働いていくことにも充実を見いだせず、辞めて今の国へ来た。

この国は英語圏ではなく、主に現地の言葉生活しているが日常会話は困りません。とは全く言えないレベルだ。そして英語もできないままである

そろそろ滞在期限が近づいているが、もう日本仕事をしたくない。日本のきっちりとした社会に馴染めないとかそういうことではなく、日本にいる限り、仕事だけを頼りにしていたのに、その仕事で満たされなかった劣等感喪失感が消えることはないかである

そしてこの国が好きだ。

外国人として私がここに居続けるためには、現地語よりも英語必要である

何とかして少しでもレベルを上げないと行けないが、今は英語できないんですけど頑張るので採用してください。みたいなアプライもできないし、何をどうすればいいのだろうと途方に暮れてしまう。

ただ目の前のことを頑張って生きてきた。しかしそれではだめだったのだ。地続きの未来のためにはそれでは足りなかった。これは自己責任だ。

だけれど、20代〜30代前半ををほぼ病気で何とか死なずに生きてきた身としては、そうじゃなかった20代を過ごしてきた人間と比べて明らかに不利だろうという不満がどうしてもある。

でも人生理不尽ものだし、もっと大変でも生き抜いてきた人もいるし、いつだってこれから人生今日が一番若いのだからこれからどうにかするしか無いのは分かっている。

生きることは働くことだと思う。

それは労働対価を得るようなものだけではなくて、社会的なアイデンティティを獲得するという意味だ。

そのコミュニティの中で価値提供必要とされる。そこに自身の充足を見出す。

それなくして生きていくことはできない。

私はそれをこの場所で実現したい。どんな小さなことでも良い。

もも中年になりそうで、ここからどうやって地続きの未来のための今を選択していくべきなのか、本当に分からないよ。

2024-01-29

バアチャンが死んだ

父は無関心で母は過干渉。それが嫌で幼少期はいつも同居している祖母の部屋で過ごした。

結婚を機に家を出たが、近所なので毎週末に自分の子供達(祖母からだとひ孫 5歳と0歳)を見せに行っていた。

祖母難聴ではあるが認知症もなく、自分で買い物に行き、自分料理をするなど生活は自立していた。

夏の初めに脚がむくみ寝たきりではないが歩くのが困難になった。そんな中で第2子の100日祝いを祖母と両親でやった3日後、朝起きてこないので父親確認しに行くと、意識がないため救急車を呼んだ。

脳梗塞のためそのままSCUに緊急入院となり、さら発症から7時間以上経過したので半身麻痺となった。

かかりつけ医からはガン全身転移であり、今年の末まで持つかどうか、というとことを以前から聞かされていた。

入院当日の様子は両親から、唸り声をあげて目は僅かに開く程度だと聞いていた。

入院翌日に面会に行くと半身麻痺のせいか、顔が変わり過ぎていて思わずベッドの名前確認した。

祖母は閉眼しており難聴のため呼びかけにも反応がない。感染対策で面会時間が短く先日の100日祝いの時にみんなで撮った写真を置いて帰ろうとすると目が開いた。

顔面麻痺のため「あうあう」しか言えないが、幼い子供達の写真スマホで見せると嬉しそうに「あうあ」と名前を呼んだように聞こえた。

それを見てたら涙がでてきて、滲んだ目で祖母に目をやると心配そうにこちらを見ていた。

帰り際にこちらを見て「あうあうあ」と言ったが自分にはそれが普段から祖母がよく言ってた「ありがとな」に聞こえた。

意思疎通できたと思えるのはこれが最初最後であった。

以降も週に何度か面会したが開眼していても視線は合わず、唸りながら呼吸をしているだけでそれが無機的でありとても不安になった。

急性期病院から緩和病院に転院してから毎日病院に行った。転院後すぐに浮腫や呻吟は軽減してきて視線は合ったように思えるが、移動しても視線はそちらを見たままで、わかっていたのかよくわからない。

病院に行こうとすると5歳の長男が「僕も行きたい」と、子供は行けないと言うと「大きいばあばに会いたい」とか泣きながら言うもんで、なぜか病院に向かう車中で一人泣いた。

転院5日目から目が開かなくなり、7日目未明に死んだ。救急搬送から約1か月のことだった。

コロナで人数制限のため両親のみ病院に行き、朝方に両親が帰ってきたと妻と話していると、長男が駆け寄り「大きいばあば帰ってきたの!?」なんて聞いてくるもんで、「もう帰ってこないよ」と自分で言って泣きそうになったから顔洗って誤魔化した。

葬儀の際は辛く祖母の顔を見たくなくて、出棺前の花入も後ろからただ眺めていた。火葬場で骨上げして骨壷の蓋を閉めようとしたその時、長男が「バイバイ大きいばあば」とか言うもんで我慢してた涙がでてきた。

5歳の長男言葉が刺さるのは、体裁ばかり気にしてる自分が言えないことをド直球で叩き込んでくるからだと後から思った。代弁してくれてありがとう息子よ。そしてさよならバアちゃん

2024-01-16

コロナ罹患済2歳子供コロナワクチン4回目接種させて思うこと

なんか今更?って感じだけど。

職場でもコロナ感染者が増えてきたしワクチン無料なのもあとちょっとなので、わが子のコロナワクチンのことを書く。

コロナ罹患時のこと

0歳で罹患した。5歳以下の乳幼児ワクチンはまだ出てなかった頃に感染。今まで見たことが無いぐらいぐったりして、親の私は頭が真っ白になってこのまま目を覚まさないのかと絶望したし、我が子に感染させた人を恨んだ。

ワクチンが認可された直後、速攻で予約して打たせた。運良く軽症だったけど、二度とあんな苦しむ愛するわが子の姿は見たくなかった!

■打たせた理由

1)コロナ後遺症が怖かった

言葉も話せず意思疎通満足にできない子供相手コロナ後遺症があるかどうかマジでわからんかった。

乳幼児検診で小児科医に診てもらっても「後遺症あるかわからんね!」が回答だった。ひどいね〜。

で、その頃コロワクで後遺症改善するって論文もあると知り、もし親が気が付かない後遺症があったとしても打たせて改善するなら…と思ったんよね。

実際、コロナ罹患後は半年以上は何かしらの病気に罹りやすかったし、カルボシステインシロップ半年ずっと毎日飲んでるようなものだった。

ワクチン3回完了した後は徐々に体力つけ、現在たいした病気にも罹りにくくなり鼻水も極稀に出る程度になった。

今思うとあの病気しがちもコロナ後遺症もあったんだろうなと思う。ので打たせたワクチンが何らかの効果あったと思いたい。

ただ、今のさらなる研究で、ワクチン後遺症が必ず治るってわけじゃないのがわかってきたらしいので、危うい選択だったかも。(ワクチン接種は感染したあと2ヶ月は期間を空けた。)

2)保育園通いだから

0歳で罹患した時も保育園でもらってきた。

今後同じようにもらってくるとしたら溜まったもんじゃないと思ったので。

その後、何度か園でコロナ感染者発生したけど、発症しなかったので、ほんとに打っててよかったと思う。

3)反ワクチン派の言ってることが信用できなかったか

ワクチン反対派の有名どころや医者が主張してることも確認したんだけど、なんか主張内容がヘンテコだったり、他人からそれはグラフの読み間違いだよと指摘されてたり、他の人を誹謗中傷して訴えられてたり、いわゆる陰謀論者だったり…って人が多すぎて反ワクチンワクチン慎重派の意見が信用ならなかった。

まともな人いたらごめんね。結果的コロナワクチンのこと信頼してしまった。

副反応とか

医クラはこぞって「乳幼児ワクチン副反応軽い!」ってアピールするけど無いわけではない。

ただ、大人ワクチンよりかなり軽い。

我が子は一回目、一年後の四回目の接種翌日朝に嘔吐した。

でも他の回数の時は熱もでないし、一回目、四回目の副反応で吐いた後も、他の症状もなく元気いっぱいに遊び回っていた。安心した。なるべく安静にはさせたけどね。

■打つ時やってて良かったこ

1)かかりつけの医者に打つよ、と相談した。

初回から三回目接種の時は常に軽く風邪引いて毎週耳鼻科通いだったんだけど、ワクチン接種は熱が出ても大丈夫な薬を処方してもらった。結果的に熱は出なかったが相談しておいて良かったな〜と。

2)ワクチン接種予定の病院に接種前に行ってみた

乳幼児ワクチン打てる病院Googleマップ評価がどこもかしこも星が少なくて絶望した(※後述)ので

親の私が先にその病院コロナワクチン試し打ちしに行った。

医者さんは乳幼児コロワクについて質問しても丁寧に答えてくれたし信頼できる病院だな、と安心することが出来た。Google評価は当てにならんね。

3)連休前午前中に打たせたこ

少ないとはいえ副反応はあったわけで、すぐに近くの医者相談できたのはよかった。親も仕事のことを気にしなくて良かった。

■打つ時やっておけばと後悔したこと

どっちの腕に打ったか母子手帳に書いておくべきだった。

同じ腕にワクチンを打つと効能が上がるという論文があったので。大人は大抵は利き手と反対に打つの関係ないけど、子供メモっとかなきゃわからなくなっていた。もし、これから打たせる予定の人がいるなら、母子手帳に打った腕の方向を記入するのオススメします。

心配だなぁということ、不満点

1)接種会場が少なす

医クラは子供のコロワク接種率が低い事を懸念点としてよく挙げているが、親としちゃ、「じゃあもっと接種会場増やしてよ!」としか思えない…

インフルワクチンですら、【どこでやってるのか】【いつから始まるのか】【何歳から接種できるのか】が明確にまとまって打てる病院を案内してくれるサイトなりガイドなりが存在しないのも不満だが、コロナはそれ以前の問題そもそもの打てる病院数がない。

乳幼児コロナワクチンは私の市内で打てる病院が2つか3つしか無い!!!しかも一週間で水曜だけ一回とかだったり、アクセスの悪い辺境病院だったり、昼の変な時間しか時間が無かったり(子どもの昼寝の時間はどうしろと?叩き起こせと?) 、Google評価が低い病院しかなかったりする。

そしてこの年齢のこどもは、すぐに熱を出したり体調が悪くなるので、うまく予約できてもリスケはザラなんだよね…

来年有料化してもコロナワクチンは打つつもりだけど、値段以上に不安なのは接種会場の少なさ、アクセスの悪さ。もし今より接種できる病院が少なくなったらと思うと気が狂いそうになる。

2)周りの理解がなさすぎる

なんで子供コロナワクチン接種させるほうが肩身狭い思いをしなきゃならんのだ。

こびナビはこの空気をどうにかしてから解散してほしかった。

・親の年代は「一回感染たか免疫ついたでしょ」というカビの生えた古い知識うんざりした。コロナ感染しても長期的な免疫つかないし、何度も感染するほうが重症化率、後遺症率が高くなるやべー病気です…

・ 私や主人の同世代は「新しいワクチン子供に打たせるのは怖い」という意見も多い。

自分たちはコロワク打って、今もピンピン生きてる生きた実証じゃねえかと思うのと、コロナ感染した後にノーガードで我が子が大人になるまで放置するほうがよほど怖いだろ、と私は思っている。

新しいワクチンが信頼できる期間を待ってたら我が子が老人になってしまうし、ぼやぼや待ってたらその老人になれないかもしれん。

あと個人的には、健康食品あげたりスマホYouTubeとかを長時間見せるほうが、コロナワクチンよりよっぽど将来の影響が怖い…。コロナワクチンより論文エビデンスもないので。

・びっくりしたのは、かかりつけのでかい病院小児科医が「年寄りには必要だが子供重症化しないかお勧めしない」と コロナワクチン接種に反対したこと

コロナって子供ワクチンなかったら重症化するし死ぬ病気だし後遺症がある病気では?

あなた所属されてる日本小児科学会さん、小児へのコロナワクチン接種おすすめしてるじゃん!?!?!?

http://www.jpeds.or.jp/modules/activity/index.php?content_id=531

と思ったが反論はせずに後日こっそり打たせた。

ワクチン関連のお悩み相談の回答の締めは、たいてい「お近くのかかりつけ医相談してください」 なんだけど、まさかお近くのかかりつけ小児科医がコロナワクチン接種に反対するとは思わなかったです。打たせたけど。

乳幼児コロナワクチン接種会場の少なさって、こういう意識小児科医が多いのが関係してるのかな?どうなんですかね。

保育園先生も、コロナワクチン接種した児童我が家が初めてだったようで、どう対処すれば良いのか困惑されてたり、インフルワクチン勘違いされたりした。

3)初回三回接種必要なのは多くて大変

1)で書いた不満点と似ているが。平日に仕事休みを三回取らないといけないわけで。他にも冬にはインフルワクチンも二回打たせないといけないし。

コロナインフルワクチンは同時接種可能とは言われてるが、そんな病院数が少なすぎるし、何ならインフルワクチン打ちたいならコロナワクチン接種後に絶対二週間は空けろと指定してくる病院もある。

我が家子供がひとりだけだが、子供複数いるご家庭は積むしか無いじゃん?なにこれ。

とはいえ一回の量を少なくして副反応を減らしてくれているのはすごくありがたいので、これ副反応が辛い大人にも応用できないのかな?とは思ったりする。

あと今年の追加接種は一回で済んだので、去年頑張って三回打たせられて良かったな〜と思っている。

■まとめ

ワクチン効果は実感しているし、良い効果があるという論文も数多く出ているようなので、有料化する来年以降も我が子にコロナワクチン打たせるし、自分も打つし感染予防にマスクも続ける。

が、子供へのコロナワクチンもっと打ちやす環境にしてくれ…と強く思います

そして私の住んでいる街のコロナワクチン接種予約サイト、どうか来年以降も継続してください。電話予約とか前時代な仕組みに戻ってしまったら会社員の私は予約できなくなってしまうので!!!頼む!!!

最後に、我が子の心身ともに健やかな将来を強く願います

2024-01-14

anond:20240114202609

ガッツリ持病持ちなので人よりは頻繁に病院に通ってるし、血液検査もしてる。

双極・呼吸器疾患・メタボ・糖尿・高血圧はあるけど、薬でメタボ血圧以外は薬で正常値に収まってる。

簡易的な心電図や聴診で呼吸器の音を聞いて貰っても異常なし。

かかりつけ医相談して精密検査紹介状を書いて貰おうかと考え始めている。

2023-12-19

かかりつけの病院を少し遠いところにしている

数年前、クラスヒエラルキー最上位だった男の子注射ギャン泣きしているところを同級生に目撃され、その地位が一気に転落したという話を聞いた

なんでも、その子が何か話そうとしたり行動したりしようとすると過剰な泣き真似をして封殺する悪い遊びが流行ってしまい、

かつ遊びが風化した後もいじめられっ子ポジションが変わらず、小学校高学年に上がる頃行方知れずになったとのこと

(「行方知れず」は聞いたままのワードなので具体的に何があったのかは知らない)

 

その話を聞いてから子どもかかりつけ医を少し離れたところに変更した

遠いと言っても車での移動距離は大して変わらない

気にし過ぎかもしれないけど、避けられるリスクは避けたかった

2023-11-06

anond:20231105203612

これな。

まあうちのかかりつけ医はお薬手帖をださせずシールもつけずに処方薬を手渡してくるけどな…

薬の説明を紙手帖に手で切って張り付けてる

2023-10-26

食べログにも当然未掲載地域の人しか知らなそうな地味な見た目の居酒屋がつぶれないのは、ようはかかりつけ医みたいなもんか。

特別おいしくなくても近場に居酒屋があるならその一番近い居酒屋で済ませる。かかりつけ医も近さが大事という観念がある

2023-10-04

死ぬ前に残したいこと5

かかりつけ医から睡眠薬を処方してもらう。

初めて飲んだが、すっきり寝られた。効き目が軽いやつなので、飲まずに貯めて、一気に飲めばいいだろうか?

2023-09-05

anond:20230905102012

労働者が1週間から1ヶ月に一度かかりつけ医に通院して異常がないかスクリーニング検査を受けて、少しでも体に異変を感じたら休日夜間帯でもかかりつけ医受診できる体制労働してるならそうだね

2023-09-01

ADHDという「罪」の話

私は20歳の時にADHDと診断された。

 

 

物心ついた時から忘れ物が多かった。

小学生の頃、私のクラスでは誰がどれだけ忘れ物たか可視化されていた。

クラス全員の名前が書かれた表があって、一回忘れ物をしたら赤いシールが一枚貼られるというシステム

シールがいっぱいになったら、赤の上から青いシールを貼られた。

他のクラスメートが多くても青で一年を終えるのに、私は赤→青→紫→ピンクと表を4周していた。

帰宅後すぐに翌日の用意をして、夜寝る前と朝起きてから再度確認するようにしても減らなかった。

 

遅刻癖がなかなか治らなかった。

余裕を持って準備をしていたはずなのに、いつも家を出るのはギリギリ時間になった。

原因がわからなくて、「だらしない」と言われるのが本当に恥ずかしかった。

 

 

ADHDという診断をもらって、原因がわかったことでいくらでも対策を立てられるようになった。

例えば、スマホの充電を忘れてしまとき

モバイルバッテリーをいくつか買って、バッグの中にたえず充電満タンのものが一つあるという状況を作るようにした。

何かの準備をする時はまず自分必要もの手書きメモし、声に出しながら支度をすることで忘れ物が激減した。

昼近くに出勤できる仕事を選び、始業時間の2時間前に会社近くに来るようにタイムスケジュールを組んだら遅刻がなくなった。

どうすれば他の人に迷惑をかけずにすむか、かかりつけ医相談したり周りの人に協力をお願いしたりして、何とか生活を送れている。

正確には、送れていた。

 

 

少し前、12時出勤だったのに13時出勤だと勤務表を見間違っていた日があった。

今の職場に勤めはじめて7年、初めてのことだ。

前述のとおり2時間前には近くにいるので、連絡を受けてすぐ出勤した。

確か着いたのは12時5分のことだったと思う。

遅れてしま申し訳ありませんと上司・同僚に謝罪した時、同僚のAさんが言った。

 

「これだからADHDの人は困る」

 

頭が真っ白になった。

Aさんは、あるスポーツテレビ中継が深夜にある翌日は必ず遅刻していた。

職場の中でもそう認知されていて、「Aさん来ないね」「昨日オリンピックだったから」みたいなやり取りがあるような人だった。

社会人としてどうなんですか」と苦言を呈する後輩がいても、「そんなこと言ったらダメだよ」と庇われるのがAさんだった。

  

でもAさんに言われた時、私を庇ってくれたのは前述の後輩だけだった。

「Aさんの遅刻は許されるのに私さんの遅刻は許されないのはおかしくないですか」と後輩が言った時、Aさんは「だって私さんはADHDもの、許されちゃいけないんだよ」と返した。

診断をもらって数年、初めて後悔した。

いくら普通の人と同じになる努力を重ねても、たった一度ミスをしてしまうだけで発達障害は責められるのだと痛感した。

初めて、健常者が「ずるい」と思った。

 

私は今も同じ職場で働いている。

Aさんも定期的に遅刻してくる。

それでも、Aさんを責める人は誰もいない。

私は「あの人ADHDで忘れっぽいから気をつけてね」と新人に毎回言われるようになった。

ADHDは、それだけで罪らしい。

2023-08-17

喜びが消失した

当方メンタルクリニック受診者(既往歴7年ほど)。

ここ数年リフレックスリーゼのおかげで何とか仕事もできていたし趣味も楽しめていた。

一ヶ月ほど前、趣味仕事もかなり忙しくて追われるような日々だった。それがひと段落したとき、達成感がまるでないことに気がついた。無理しすぎたと思い趣味はいったんやめて、毎日歩く時間を作るようにした。

一ヶ月たったが、感受性や達成感がほとんどない状態は続いていて、仕事の面でも支障が出始めている。面白いと思えた業務もいまはただやり過ごしているだけになっている。

以前も気分の落ち込みはあったのだが、基本的には強い不安衝動に伴うものだった。今回は不安ほとんどない。勝手が違って戸惑っている。

かかりつけ医とは今度相談する予定。

2023-07-20

先月仕事をやめて求職活動中なんだけど、日中はほぼ寝てる。睡眠時間が十時間を下回る日がまずない。

はじめは「適応障害での退職だしこんなもんか」と思ってたけど、二週間以上この調子から不安になってきた。

心療内科かかりつけ医に聞いても不眠は問題だが過眠は問題視されないのかスルーされる。

無職で寝すぎるってよくあることなのか?

2023-07-07

anond:20230707043616

そういうとき世間では図書館に行ったり高級なランチしたり大してひどくないのにかかりつけ医の居る医院に行ったりするらしいですよ

2023-07-02

anond:20230702221843

俺も似たようなことあったわ。かかりつけ医の大切さを学ばされたわ。

2023-06-13

増田♂52歳のナントカ

(´・ω・`)「…かかりつけ医なんかねーよ、廃業しちまったんだからよー、いっぱい科があるから何なのかその場でわかるやろーとおもって総合病院に来てんねんけどなー」嗚呼7000エン…(´;ω;`)

夕飯後にフクツーが始まり、一晩中こらえてたけど無くならなかったので診察をお願いしに来てるー

四年前の結石痛の再発ならいいんだがいや治ってないからよくないが虫垂炎?!とか想像たくましくしちゃっててなー

2023-05-27

安楽死

犬猫寿命が長くなって介護の話はよく見かけるようになった。老犬ホームとかデイケア広告も見かける。犬猫常駐の老人ホームあったらいいのにな…

話がズレそうになったのは今から書くことがつらい出来事で批難されるの必至だからだ。でもペット安楽死させた事例は検索してもなかなか見つからない。ほとんどは「安楽死寸前だったのが…」という介護譚だ。

もちろん安易に「飼えなくなったので安楽死させてください」はダメだと増田も思う。でも長年連れ添ってきたペット家族の一員としか言いようのない存在が「回復見込みのない状態で恐怖と苦痛しかない検査治療を受け続ける」事態を止められるのも家族だけだ。

うちには20歳オーバーの猫がいた。元野良ガリガリの子猫を「このままだと死んじゃうから」と押し付けられた。仔猫ミルクや良質のペットフードのおかげで強健に育ち18歳くらいまでは病気知らず。ここ2年は甲状腺病気で投薬(朝晩)と自宅点滴(週2)と血液検査(月1)をしてきた。

気が強い猫だからあらゆる手段で薬を拒否するのをこちらもあらゆる手段で飲ませにかかり、最近は粉にした錠剤をオブラートに包み無理矢理顎を開けさせて放り込み飲み下すまで顎を押さえつける方式になっていた。それでもやっぱり薬がイヤな猫は飲み込んだあとも涎垂らしたり、意志の力ゲロしたり毎日バトルだった。人間なら100歳近い婆ちゃんに悪いと思いつつ、薬を飲まなければつらくなるのだから、と拝むような気持ちで続けていた。

昨日の朝6時頃、へんな音で目覚めた。誰かがパイプを引っ掻いているみたいに音。見に行くと猫がえづいていた。なんか喉に詰まったものを吐き出そうと必死に空咳をしては後ずさる。口を開けたまま肩で息をしている。猫飼いなら誰でも知っているが猫の口呼吸はマジやばい配偶者によると夜寝た時はふつう明け方頃急にこうなったという。

かかりつけの獣医は9時半開院。ちょっと待てないのでネット検索して24時間救急に連れて行った。(この時点で7時半)。猫の検査結果やいつもの薬も持って行った。獣医によるとX線だと詰まっているものは見えない。食道が異常に拡張している。胃まで空気パンパンで呼吸が入らない。応急措置として鼻からチューブ空気を抜く、水分補給の点滴をして酸素室で回復を待つことに。

このあと院長?らしき先生と今後について話た。おそらく誤嚥肺炎高齢なので麻酔や手術はできない。酸素飽和度が低いので酸素から出せない。誤嚥を避けるために強制給餌後15分立位にさせないといけない、等々。もし全てがうまくいけば2-3日で好転、そうでなければ長期入院ケアが大変なので1日5-6万円プラス検査、薬代かかる、と。

金額にもビックリしたけど(ここは24時間な分高額なのは有名なので)うちの猫がずっと酸素室やケージに入れ続けられるのが耐えられなかった。(しょうがないけど)犬も一緒でワンワン吠えているし知らない人ばかり。さっき見せてもらったら酸素室の中でパニック起こしてまんまるな目をして苦しいのに逃げようとペットシーツを掘ったり歩き回っていた。猫にとっては急に戦場に連れてこられたようなものだろう。

「ウチに連れて帰れませんか…」せめて家で看取ってやりたい。「酸素から出せない状態では帰宅許可できない。車の中で死ぬほど苦しむから。それなら家族が来て安楽死させる方がまだ…」

安楽死

先に口に出したのは院長?の方だった。コトバには魔力がある。思えばあの時心が決まったのかもしれない。

家に帰り配偶者相談した。神経質な、いわゆる「幻の猫」で配偶者自分しか甘えない猫だった。あの猫のことは獣医よりも自分たちがよく知っている。「20年も頑張ってくれたのだから、もうこれ以上つらい状態から解放してやろう」それが結論だった。6歳とかあるいは10歳なら、投薬やケージレストを嫌がらない猫だったら別の結論もあったのかもしれない。でもただ症状がすこし緩和するために何日も入院し、帰宅できたとしても酸素室に強制給餌の日々で安らかに過ごせるとは思えなかったから。

午後の面会時間配偶者と赴いた。若い女先生は「朝からだいぶ回復して歩き回ってますよ!」「CTとったら詰まっているものがわかるかも」と積極治療を勧める。でも酸素室の中の猫は瞳孔が開ききった状態でゼェハァしていた。獣医が歩き回る、というのはパニックしているから。ニャアと鳴きました、というのは威嚇しているから。見ていて胸が張り裂けそうだった。ごめん、こんな辛い思いをさせてごめん。もうこれはうちの◯◯じゃない、酸素室で無理やり生かされている怯えた獣だ。(すべての猫がそうだという訳ではありません、あくまでもその時感じた事なのでご容赦を)

配偶者女医さんと話した結果、安楽死を認めてもらった。酸素から出して抱っこさせてもらった。処置台の上で寝ている姿を見ればやはりうちの猫20年間一緒に過ごした唯一無二の猫。外だとほとんど呼吸ができなくてぐったりしているところに、足につけた点滴から薬剤を注入する。いいですね、と念押しされたので頷いた。薬が回るに連れて凝り固まっていた身体が柔らかくなった。もう一つの薬剤を入れる。静かに、まるで熟睡しているみたいな猫の心音を聴き、瞳孔を調べて女医さんは「亡くなりました」と言った。

今まで自宅で看取った猫たちは死ぬ直前もがいたり、すごい唸り声を発したりしたのでこんなに静かな往生ははじめてだった。明け方誤嚥?してからはじめて安らかな姿になった。

獣医の中でも安楽死はやりません、という人が多い(かかりつけ医もそっち)。この病院も「回復が見込めない、著しい苦痛がある等の場合」が原則な中、安楽死措置をしてくれた事を感謝する。まだ生きられたかもしれない【いのち】を奪った!という批判は飼い主の自分たちが負う。

追記誤嚥肺炎あくまでも仮の診断。レントゲンに映らなかったので何がどこに詰まったか確認するにはCT必要麻酔かけられないからうまくCTとれるか保証ない。仮に気管に詰まっていたとして気管支鏡手術のためには設備のある病院に転院必要とのことだった。

2023-05-18

anond:20230518030450

違ったらごめんだけど前に増田に書いてた人かな?

気になってたかもしかしてと思ったんだけど、同一増田じゃなかったとしても、とにかくお疲れ様

闘病生活とのことだったので、私ならその旦那さんのかかりつけ医看護婦さんに相談して、そういうケアを受けるにはどうしたらいいかとか、どこがいいかとか聞くと思う。

(父ががんセンター治療を受けてた時は家族相談できる看護婦さんがいてくれたので助かった)

もしそういうのがないなら、精神科カウンセリング電話してみたらどうだろう?

なんとなくグリーフケアみたいなのを全面に出してるところで私が行ってみようと思ったところがなかったので、私はカウンセリング選択した。

カウンセリングしてもらったところで何か変わったわけじゃないけど、何も知らない人に状況をわかるように説明しようとすると

自分感情から少し距離が取れて、私はこう思ってたんだなと色々発見はあったよ。

増田には増田しかからない辛さやしんどさがあったと思う。特に病人の前だと病人のほうが辛いだろうって思っちゃうしね。

眠れないとか、食べられないとか、生活していく上で支障が出てるなら精神科心療内科だと思う。

精神科はすぐみてもらえるわけじゃないから支障が出てなくても予約だけしといたほうがいいかも。

しんどくてもしんどくなくても、またなんか書きに来てね。

2023-05-16

anond:20230515183359

口コミで界隈に伝わる、って話なら、かかりつけ医を近所に持っておく、である程度は防げるんじゃないかな。

anond:20230515165430

こういうのって医療従事者に知り合いがいない自分はどうしたらいいんだろう...と思ったが、それなりに顔が広そうなかかりつけ医がいればいいのかと思った。

まあ、かかりつけ医が残念な人だったら残念だったねーって話だけれど、かかりつけ医がそこそこまともなら、ヤバそうな病院には紹介状書かなそうだなと思ったもので。

回復したら経過観察にその病院に戻ってくるわけで、回復可能性が低そうな先生は選ばなそうだなと。

それに、「お前の紹介で行ったら後遺症残ったぞ!」とか言われたくないだろうし。

あとはセカンドオピニオンとかかなー。

手術みたいな不可逆な感じの処置をする場合はその症例に対して普通その処置をするのかを聞いておくというのはありなのかなと思った。

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