「バックグラウンド」を含む日記 RSS

はてなキーワード: バックグラウンドとは

2012-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20120207133733

むしろ、そういう感覚が(ポジショントークではなく本当に心の底から)理解できない人ってどういうバックグラウンドなのか気になる。

俺なんかむしろ育ち悪い方だし、文化的に恵まれてたりするわけでもないんだけどねえ。

2012-02-01

世の中には自分にとって「どうでもいい話」とそうではない話が存在する。シャフトアニメ化を手掛けた作品に限って言えば「夏のあらし!」は限りなく前者に近く、「ef」1期は明らかに後者である。僕たちが現実タイムスリップ経験する可能性というのはほぼ限りなく0であり、0%の先の世界についての言及は全て予想の範疇を出ず、それは絶対に教訓には成り得ない。それは自らの知見を元にして築き上げた予想ではなく、他者の仮定の連続に寄り添った予想であるのだ。efに関しては話自体のモチーフは既に手垢がつくほど使い回されたものであり、新しさという概念からは遠く離れたものであるしかし全く以て新しくない≒中身がない物語についても、哀愁を喚起させる映像叙情的かつ繊細なバックグラウンドミュージックが合わさればそれは十分消費に耐えうるコンテンツになるということをこの作品は身を持って証明しているのだ。それこそがこの作品が持つメッセージである。この例に限らず、何らかのメッセージ受け手に届けることができることがそのコンテンツが「どうでもよくはない」ものであることの証明なのだ

先の定義で考えると、魔法少女まどか☆マギカという作品は間違いなく前者だ。まどかマギカワルプルギスの夜という「克服しない限り未来が訪れることのない」困難の象徴に対し、何度も挑戦し続けることで打ち勝つことができると定じた。しかし実際現在日本社会では本当に僕らが克服すべき困難と対峙できるチャンスというのは極僅かに限られていて、その事実齟齬のせいであ物語が発するメッセージの信憑性が皆無になってしまっている。「君は独りじゃない」と液晶の中から呼びかけられても僕が本質的孤独であることは何も変らないのだ。虚構を抜け出せないメッセージというものはそれこそ「どうでもいい」ものであり、虚構の上でしか成り立たないメッセージ価値はない。まどかマギカは最終話においてそのメッセージ性を完全に失い、ただの「どうでもいい」フィクションに成り下がったのだ。

2012-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20120105231702

本当に読んだのか?

This means when a user clicks a Like button on your page, a connection is made between your page and the user. Your page will appear in the "Likes and Interests" section of the user's profile, and you have the ability to publish updates to the user.

これの意味分かる?

まりFacebookにおいて、"like"は"likes and interests"だってことだよ。

しか英語を「ざっと読む」のって、相当の英語力が無いと無理な芸当だと思うけど、増田はどういうバックグラウンドの人なんだろう。

2011-12-25

ネット読書趣味です

と言ったときに、「どんなサイト見るの?」「どんな本読むの?」と聞かれて、

とっさに何もでてこなかった自分に幻滅。

一体、普段自分は何のためにネット読書をしているのか?

金をかけずに時間をつぶすためでもある。

これについては達成している。

自分スキルアップにも役立てるためでもある。

これについては達成してる/してないは一概には言えない。

確かに、聞かれたときに、答えられなかったというのは、アウトプットという点では読書があまり役に立っていないということになるが、会話のバックグラウンドとなる知識は確実に増えている(はず。人間の脳は多くのことを記録している。ただ思い出せないだけ)。

それならば、読書ネットの後に、振り返って、記憶を思い出させる事、人に話すことを想定して整理することをこころがければいいのではないだろうか?

でも、何だかなあ。

元々、人と話すのが苦手だからこういう一人でできる趣味をしてるのに、

人と話すことを前提に趣味をしなければならないなんて・・・

一人でする趣味に人の目を気にするなんて・・・

本末転倒もいいとこ。

2011-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20111119065448

僕はどうすればよかったのだろう?

他の部分はよくわからないが、この部分の答えだけははっきりわかるので書いておく。

彼女がいるところで思い切り泣けば良かった」んだよ。

彼女は「自分のために泣いてくれる人」が欲しかったんだ。でなけりゃ、やばいバックグラウンドの話なんかしない。

2011-10-31

あいつらヤクザだな」

職場上司が、弁護士と会って帰ってくると必ずこう言う。弁護士ってのは、あいつらほとんどヤクザだよ、と。

勿論弁護士の全てがヤクザじみているなんてことはないと思う。だからこれは氷山の一角、でもだからこそ目立ってしまう「イヤな弁護士」のお話



私の勤める現場にも、客として「職業弁護士」が来ることがある。そのタマゴが来たこともある。

まぁ、彼らはいきなり何かをやらかすことはない。一応敬語を使ってはいるけど相手を見下しているのが透けて見える態度、せいぜいその程度だ。そしてそういう手合いは別に弁護士に限らず老若男女ごろごろいる。

問題は、彼らの中で自分の思い通りに行かない事が起きた時。例えるなら、商品券を使いたいけどこの店舗はその対象外だった、この商品を取り寄せられるのは経費の問題により月に1回までだった、というような、ちょっとしたルール自分の望む行動を阻まれた時だ。

(うちの日常の業務内容ではせいぜいそのレベルトラブルしか起きない。時期によっては契約とか規約とかが絡むトラブルもあるが、そういうものにはちゃんと対応するルートがある)



いわゆる「一般人」は、なんとかなりませんかねぇとちょっとゴネてみても、最終的には引き下がる。

ヤクザ(と言うかチンピラ)は、ごちゃごちゃいわんととっととやれや、暴れんぞゴラァと騒ぎ初めて、最終的には相手を泣かせたりする。

弁護士は、何の権利があってそう主張するんですか、といったイチャモンをつけて職員を捕まえ、延々業務妨害をするのである



決してサンプルは多くないけど、そういう手合いは風体もちょっとおかしい。

吐き気を催すほどの強烈な香水をつけて、多くの利用者が腰を落ち着けて飲食をしたりもする休憩スペースに陣取ったり。

ホームレス一歩手前の体臭を放ち、だらしない服装で廊下ソファーにどーんと足を伸ばして座って明らかに通行のジャマだったり。

後者弁護士は、それを注意されたら窓口に乗り込んできた。名誉毀損だか何とか侵害だか知らないが、その件で小一時間職員を拘束した。

コ汚いサンダルで来るなとは言わないが、正直あんなに汚れた大人の足の裏は事務職をしているとなかなかお目にかかれないので驚いた。



信じたくはないが、「『自称弁護士」ではないらしい。弁護士事務所のサイト名前写真を確認することができた。

要は、法律で明確に禁止されてさえいなければ、自分の行動はどんなものであれ咎められたり阻まれたりする筋合いはなく、また全ての主張は通るべきであり、いかなる状況でも引っ込める必要はない、というのが、彼らがその人生で身につけたスタンスであるようだ。

恐らく相手が素人だと思ってナメているのもあるだろう。ここでできなくてもよそにいけばできるような事を、いちいち相手の言葉尻を捉えては糾弾し、ここでやらないのはおかしいと主張し続ける。私に言わせればスーパ-のレジでゴネるモンスターおばちゃんと大差ない。



彼らが横柄で強気な理由は、自分のバックにある「力」が、他人を実質的にどうこうしてしまえるもの、それを強制できるものからかな、と最近思い始めた。

ヤクザ(というかチンピラ)が強気なのは組織ぐるみ暴力を行使する準備があるから

それと同じように弁護士強気なのは法律を行使できる知識とそのバックグラウンドがあるから

これがあれば相手に言う事を聞かせられるぜ、という懐刀。その使い所を完全に間違えて虎の威を借る狐になっている、それが彼らだ。



武道の達人は素人相手にその技を使ったりはしない。

数学者は算数に弱い人をバカにしたりはしない。

オペラ歌手は自信満々でカラオケボックスに人を引き込んだりはしない。

プロ」というのは、常にその力の使い所を弁えているべきなのだ。



「あんな一般常識のない弁護士の世話にはなりたくない」

「周囲の迷惑になる行動は慎まないと信用を失うよって、六法全書に書いてあげないとわからいかね」

普通に見苦しい、迷惑」

というのが、私の職場内での彼らに対する評価だ。

難解な司法試験パス六法全書を丸暗記するという『弁護士』に対する幻想を、あんまりこっぱみじんにしないでほしいと思う。



余談だが、宝塚のおねーさまが窓口に来たことがある。

そうとは知らずに対応したが、凛々しい中にも礼儀正しく、プライベートであっても自身の職業を貶めることのない立ち居振る舞いに感服するばかりだった。

2011-10-16

ネット上での出会いについて考える その3

続いては、いわゆる即席のインターネット上の出会いではない、ソーシャルネットワーク的なコミュニティーを利用した話である

mixiであり、Twitterであり、ニコニコ生放送であり、オンラインゲームである

いわゆる「コミュニケーションを前提としたコミュニティーである



はっきり言わせてもらうが、これが一番出会える可能性が高い。

現に4人の女性出会い、うち1人とはお付き合いする関係にもなった。

もちろんその後振られてしまったのだが。だからこの記事を書いている。



出会いやすい背景として、やはり相手のバックグラウンドが多少なりと見えることだ。

mixiTwitterといったソーシャルネットワークは、そこのベースにしてネット上での基板を作ることになる。

まりその人が何に興味を持っていて、どんな趣味で、どういう人間なのか、文字情報だけであるが把握することができる。

前者2つとは違い、互いに意識することなく、理解していけるのだ。

無意識的に情報が入ってくるし、共通する項目も増えてくる。

その事による安心感と、共感覚出会いにつながると言えるのだろう。



しか重要なのは、非常に手間がかかるのである

あくまで出会いは延長線上の話であり、それは目的でないのだ。

ネット上でコミュニケーションを取る。そして運が良ければオフ会に発展し、運が良ければ付き合うことになるのである

その点前者2つは「女性自身出会いを求めている」ので非常に手っ取り早いわけだ。

この記事を書いている理由は、より効率よく出会うためにの方法であり、その点比較すると非常にコストがかかるわけだ。

半年かけて出会える関係を作れたところで、いざ会ってみた所でタイプではなかったり、波長が合わない可能性もある。

そして私が振られた理由は、性格が合わないということだ。



結びとして示させてもらうなら

結局人と人が出会うってのはリアルであろうが、ネットであろうが、難しいということだ。

そして結婚している人間、いわば私の両親は凄いということだ。

2011-08-22

自分出身大学と専攻学部を隠したがるブログ書きさんが多い

なぜ日本人ブログ書きは、プロフィール欄に自分出身大学と専攻、学部を書かないのか?

例え低学歴であったとしても、自分卒業した大学なんだから誇りを持って

大学名と専攻をプロフィールに書くべきでしょう? 

例えあなたがバカな大学卒業していたとしても、僕はあなたをバカにしたりしません。

そういうブログ書きに限って、聞かれてもいない癖に

趣味

・信念、座右の銘

・好きな作家、好きな映画監督、好きな食べ物

を長々と書いてるのよね・・・本当に理由がわからない。

自分の事を人に知ってもらいたいと思ってるならば、

出身大学と専攻、学部くらいプロフィール欄に書いておいたほうがいいんじゃないのん?

ブログの書き手のバックグラウンドを知りたいと思う読み手は沢山います

隠すのはフェアじゃない、みっともないわ。

例えあなたがバカな大学卒業していたとしても、誰もあなたをバカにしたりしません。

2011-07-31

SNSTwitterをもとにした人間関係

SNSTwitterの普及で、様々なバックグラウンドの人と出会う機会が増えた。しかし、その関係が長続きするのはごく一部で、それも自分と同等の種別の人だということに気づき始めた。

よく考えればそれは当然のことなのかもしれない。でもやはり腑に落ちない点もあるのでここに書いてみた。

交流を続けていくとある程度の知的レベルでのグループ化というのが必ず起きて、極端にそれが離れている場合は次第にコミュニケーションが成り立たなくなっていく。あるいはコミュニケーションに弊害が出てきて、それを続けるのが辛くなっていく。結果、関係は解消されていく。

出会った当初は新鮮であったけれども、それから関係を熟すためにはやはり継続的にコミュニケーションに耐えうる「内容」が必要だと思う。Twitter趣味ガッチリ合った人がいたのだが、その人のツイートはその趣味のごく狭い分野のみ(あとは挨拶とか「ご飯」とかばかり)で、読んでいて飽きてきてしまった。しまいにはあまりの話の幅の狭さに、よく分からないが怒りみたいなものも感じていた(もっとまともなツイートしろよ、的な)。

この関係を維持する方法ひとつあって、それは自分が相手のレベルに徹底的に合わせることである。ただ、これをやり続けるのは相当に疲れる。趣味の範囲内での交流でなぜ自分がこんなにも苦しい思いをせねばならないかと振り返ってしまい、苦悩に陥ること必至である

結局のところ、社会の多くの場所でそうであるように、同じ階層の人は同じ場所に集まり、異なる階層の人とは必要のない限りコミュニケーションはとることがないということに気づいた。社会を効率的に回していくためにはこのことは必要なのかもしれないが、趣味などの余暇時間でさえもこの考えに囚われることになってしまうというのはなんとも寂しいことではあるなと思った。

2011-07-19

初音ミクLAライブ外国人感想その13

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

 初音ミクLAライブについて、各所で話題になっていたマサチューセッツ工科大サイト感想翻訳してみた。初音ミク現象を基に、情報を巡る様々な活動の基盤となるメディアプラットフォームのあり方について考えたもので、書き手はミクが市民主導のメディア作りをするうえで参考になると考えているようだ。残念ながら一ヶ所、fro-ducerなる意味の分からない用語があったのでそこは翻訳していない。意味を知っている人がいたらご教授願いたい。

 urlは以下の通り。

http://civic.mit.edu/blog/condry/miku-japans-virtual-idol-and-media-platform

+++++以下勝手翻訳+++++

ミク:日本ヴァーチャルアイドルメディアプラットフォーム

 7月2日土曜日、私は普通じゃないライブショー、日本から来たヴァーチャルアイドル米国デビューを見に行った。彼女市民メディアについて私たちに何かを伝えられる存在だと思う。

 初音ミクアニメエキスポにおける催しの一つとして、ロサンゼルスノキア・シアターで公演した。完売したコンサートには、多くがコスチュームに身を包んだ4000人を超えるファンが訪れ、ステージ上で生の演奏家の横に投影された「人間サイズ」の映像であるミクが床からせり出してくると、彼らは叫びケミカルライトを振った。

 ミクは甘く歌い、幅20フィートある放物線状の鏡に沿って跳びはね、大半は熱狂的なテクノダンス・ポップな曲目を駆け抜ける間、決して汗をかかなかった。ステージの脇には彼女と他のバンドメンバークローズアップした映像スクリーンに映し出されていた。彼女はちょっとしたおしゃべりもした。「はじめまして初音ミクです」。そしてバンドギターベースキーボードドラム)と6人の弦楽器奏者たちを紹介した。私たちは彼女拍手を送り続けた。

 「あたしたちは歴史を作っているのよ」と、私の隣に座った若い女性友達に話しかけていた。たしかにそんな気がした。そして政治ポピュラー音楽について私が知っていると考えていることについて、改めて考え直した。

 誰もが喝采しているが、何に対して? ステージ上、私たちの注目が集まる場所には誰もいない。単に仮想アバター存在するだけだ。何のアバター? 一体誰の? それは私たちの。

 大衆文化政治と同様、しばしばステージ上の(あるいはスクリーンに映された)リーダーを前提としているように見えるが、その影響力や、しばしば創造性そのものが、どう転んでもより幅広い分散型の集団行動から生まれてくることを、ミクは示している。ミクは未開拓の可能性を孕む世界クラウドソースな動員モデル、そして一部はソフト技術ボーカロイド)、一部は文化的なアイデア(ミクというキャラからなるメディアプラットフォームに関する有益な事例について、言外にほのめかしているのだ。

 ミクはYAMAHAが開発し2004年から販売を始めたボーカロイドと呼ばれる音楽合成ソフトウエアパッケージの声として作られた。ボーカロイドガレージバンド音楽制作ソフト]同様、演奏用の道具として音楽を作ることができるが、その際にメロディーと同じく歌詞を書けるという特徴も持っている。別の企業クリプトンフューチャーエンターテインメントママ]が2007年漫画風の画像と経歴設定(16歳、身長体重、その他)と一緒に、追加音声であるミクを発売した。

http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01_us.jsp

 重要なことに、クリプトン画像に対する著作権を強く主張しない方針を定め、キャラクター彼女自身の生命、より正確に言えば私たち自身の生命を持てるよう制限を解いた。いわば私たち誰もがレディー・ガガのために音楽を作り、それを彼女が私たちのために演じてくれるようなものだ。ミクがリアルじゃないってことが問題だって? それじゃレディー・ガガはどのくらい「リアル」なんだい?

 ファンはそれにこたえ、さまざまな共通の服装及び像(たとえばネギ)を共有しながら数百数千の音楽ビデオオンライン投稿した。以来、日本動画シェアサイトニコニコ動画への投稿及びコメントを通じて増幅されたファンの取り組みのおかげで、ミクはスターの座へ駆け上がった。いわゆる「Nicodo」[ニコ動]はユーチューブと似ているが、動画を見ていると利用者のコメントスクロールしていくところが違っており、それによって参加者の視点というレイヤーが追加されている。

 今日ではミクのP(『プロデューサー』)は彼らの作品をオンラインで販売し、日本カラオケスポットでは好きなミクの歌をダウンロードして歌うことができる。クリプトンは、彼ら曰くクリエイティブ・コモンズの模倣であるPiaproというオンラインサイトを持ち、連携促進とライセンス供与をするシステムを作っている。ファンの作品は他の販売経路を通じても売られている。2010年11月東京池袋で開かれ私を含めた7000人の参加者を集めた完売のファン・コンベンションでは、集められた500のファングループボーカロイド関連の音楽ポスターDVDイラスト本、テレビゲーム、装飾品その他を販売した。

http://ketto.com/tvm/

 こうしたファンの興奮ぶりを踏まえると、ビッグビジネスが仲間に加わろうとするのも不思議はない。2009年以来、SEGAProject Divaというタイトル名でミクの携帯機及びアーケード向けゲーム作成している。トヨタも今や広告シリーズでミクを使っており、彼らはミクのロサンゼルスデビューの前にCMを公開したほどだ(いくらかの非難も浴びたが、おそらくは善意に基づいて作られていた)。とはいえ究極のところミクはファンの取り組みによって命を吹き込まれており、ミクが商業主義世界に足を踏み入れるのを見るのが興味深いのもそれこそが理由だろう。

 ミクは、以前から知られていた市民メディアのための教訓のいくつかを補強する存在だ。人々が参加するには本当の開放性が感じられることが必要であり、共有と対話がコミュニティー形成のカギになる。管理された知的財産権システムよりも自由な文化の方がより何かを生み出す力があり、新規参入商業主義化は、特に人気が高まった場合は常にリスクとなる。

 だがミクは分散型の創造性について、ウィキペディアとも人間セレブとも異なる特殊な図式を提示している。ミクにはバックグラウンドが欠けている。彼女には予め定められた人格はない。彼女は唯一の完成した空想世界存在しているのではない。このウィキセレブは、将来がプラットフォームに在る時代において、昔ながらの人間セレブ白物家電のように見せてしまう。

 この事実民主主義と参加についての考え方にも別の道筋を提供するのだろうか? 行動と人気を生み出すのがリーダーたち以外の社会的現実だとしたら、メディアに関する問いは表現される内容よりも、プラットフォームのあり方、それがどれほど開放的であり、それが許す創造性の形式がどんなものであるかに振り向けられるだろう。

 クリプトン社長伊藤博之2011年10月、ミクと計画されている英語版を含む関連プロジェクトについて議論するため[MITの]比較メディア論を訪れる。彼はこの現象を、エンターテインメント産業について再考する機会だとみている。「これは普通ではない形の創造です」と、コンサート前にLAで短時間出会った際に彼は言った。「私たちはコンテンツ作成する過程を作り変えているのです」。ミクが機能するのは分散型のファン=製作グループの関与があるからだ。おそらくこれはプロ=シューマー[生産消費者]の終焉であり、fro-ducer[残念ながら意味不明]の台頭なのだ。

 大衆文化は、市民メディアを分析・設計する際に利用できる社会的力学を照らし出すものだ、と私は信じている。大衆文化政治的参加のための媒体になり得るのみならず、特に人々に行動を促すという観点からどのようにアイデアが流れ影響をもたらすかについて把握するモデル提供してくれる。

 アニメに関する研究において、私は仮想のキャラクターがそれ独自で生成力のある創造性のプラットフォームになっているとの結論に達した。そこからより多くの種類のプラットフォームが出てきそうであり、創造され、築かれ、共有され、分配され、リミックスされ拡張されるのを待っていることを、ミクは明白に示した。ミクについて考えることで、私たちが未来において行動するコミュニティー創造するための新たなアプローチについて思い描けるようになること、それが私の望みだ。

+++++勝手翻訳終了+++++

初音ミクLAライブ外国人感想その1「再生約束」逐語訳

http://anond.hatelabo.jp/20110707195830

初音ミクLAライブ外国人感想その2「再生約束フリーダム

http://anond.hatelabo.jp/20110708223459

初音ミクLAライブ外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」

http://anond.hatelabo.jp/20110709211718

初音ミクLAライブ外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来音色

http://anond.hatelabo.jp/20110710234300

初音ミクLAライブ外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」

http://anond.hatelabo.jp/20110711212701

初音ミクLAライブ外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマス世界征服

http://anond.hatelabo.jp/20110712205546

初音ミクLAライブ外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」

http://anond.hatelabo.jp/20110713211501

初音ミクLAライブ外国人感想その8「ミクノポリスコンサートリポート

http://anond.hatelabo.jp/20110714210122

初音ミクLAライブ外国人感想その9「アニメエキスポ初音ミク

http://anond.hatelabo.jp/20110715222900

初音ミクLAライブ外国人感想その10アニメエキスポ2011(抄訳)」

http://anond.hatelabo.jp/20110716194029

初音ミクLAライブ外国人感想その11世界彼女もの初音ミクはいかにして全てを変えたのか」

http://anond.hatelabo.jp/20110717201147

初音ミクLAライブ外国人感想その12アニメエキスポ2011でのボーカロイド体験」

http://anond.hatelabo.jp/20110719031316

海外blogに載っていたクリプトンインタビュー

http://anond.hatelabo.jp/20110723142345

2011-07-10

体感覚でわからいから怖い

こういう人は、身体感覚でわかる危機は自分で避けることができると信じているのだろうね。

そして放射線レベルを「身体感覚」に置き換える装置ガイガーカウンタなど)もたせると牛乳バナナに怯えるのだろう。(カリウム同位体

なんだかわからいから怖いのであれば、まず自然バックグラウンドとしてどのくらいのリスクを普段から背負ってて、事故の結果どのくらいのリスクを負ったのか、とか情報が得られればよいはずで、なんだかわからいからとにかくやめろってのは結局未開の人が理屈のわからないものに怯えるような頭の悪さを感じてしまう。

2011-07-05

http://anond.hatelabo.jp/20110704221029

元増田です


松本復興相のバックグラウンドネットによる知識で知っていましたし、彼のあの振る舞いが99.9%個人の資質が問題なだけだろうとも思っていました。


しかしながら、復興担当大臣知事の所に来て瑣末な事を契機に因縁付けて恫喝するという社会常識を超えた事態が発生したことで、以下のような可能性を排除できないと考えたのです

「(ありえないのだが)実は、松本復興相のあの態度は、九州福岡式の、極めて辛口な激励だったりするのか?」

と。普通に考えれば有り得ません。しかし、京都でいうところの「ぶぶ漬け」のような、地域性に根差したごくごく特殊なコンテキストではアレが激励の一種に当たる可能性を排除しては、東北九州の相互理解を行う上で、齟齬を抱いたままになってしまう。

異常事態を前にして、変に真面目に忖度を図ってしまったのです


結論としましては、トラックバックはてブコメントを見て、そうした地域特有のコミュニケーション論が存在しない事を確認できました。

また、松本復興相の退任会見を見て、「全く個人の資質によるものだ」と理解することができました。

九州の皆様におかれましては、煽るような文体になってしまって申し訳なく思っております

2011-06-27

BLと在日

注:加筆修正しました


最近商業BL作品ばっかり読んでるから、たまにはネット同人作品も読もうかなと思い立って、某ジャンルのサーチから二次創作サイト巡りをしていたときのこと。リンクを辿っていった先に、管理人韓国人であることを明記しているBL小説サイトがあった。日本語ネイティブじゃないとこれはムリだろと思わせる豊かな語彙の小説や日記・掲示板の内容から判断するに留学生やニューカマーなどではなくて、日本で生まれ育った在日韓国人の方であるようだった。



なんかね、これちょっとびっくりしたんですよ。在日の人もBL書くんだなぁって。

いや、こんなにもアニメ漫画の氾濫する日本社会で生きている以上、日本人だろうが外国人だろうがオタク趣味に染まる人は染まるのが当然だろうし、中にはヤオイ二次創作に興味を持って腐女子腐男子になる在日コリアンがいるってのも理性では理解しているんだけど。実際目にしてみると、なんかこう、感慨深いものがありましてね。



そうかー、在日のBL好きってのもやっぱりいるもんなんだなー、っていうか他にもいるけど明かしてないんだろうなー、としみじみしてたんですが、途中でふと思い出した。あれ、ちょっと待てよ?よく考えてみれば、数少ないながら今までにも在日韓国人が登場するBLがあったりするし、在日朝鮮人のBL作家というのもいたりするんじゃないの?そういえば私、そういうの読んだことあったような……、と。



というわけで、今回はBLと在日と私というテーマで今まで読んだ作品を振り返ってみようと思う。長いよー。私が以下で言及している作品には18禁のものもありますのでお気をつけください。






倉科るり=金蓮花   在日のBL小説家

倉科るりというペンネームで、商業誌からBLを出版している小説家がいる。正確にはいた、と言うべきかもしれない。著作の中には絶版になっているものも多く、また1996年の『王様夏休み』を最後に10年以上発刊はしていないようだから公式サイトにも「倉科るりの商業活動は諸々の事情から不可能だと思います時間がないのです。」と書いてあるので、今後も商業誌でBL作品を発表する可能性は限りなく低いと思う。



けれど、在日とBLというテーマを語るなら、彼女を外すことはできない。



実はこの作家さんは、コバルト文庫金蓮花という名義で少女小説も書いている。むしろ金蓮花(きんれんか)というペンネームの方が世間的には通りがいいだろう。私も残念ながら倉科るり名義の本は読んだことがないけれど、金蓮花名義の本は小中学生の頃にわりと読んでいる。『銀葉亭茶話』、『水の都物語』、『月の系譜』は何度も読み返すくらい好きだった。私が金蓮花=倉科るりというのを知ったのは大学生になってからだったけれど、BL読者やコバルト読者には結構有名な情報だったようで、ネット検索するとペンネームを使い分けるようになった経緯や、その他もろもろの噂が出てくる。それらの噂がどこまで本当かわからないのでここでは紹介しない。



さて、金蓮花は1962年生まれの在日朝鮮人3世である東京に生まれ育ち、大学も都内の小平市にある朝鮮大学師範教育学部美術科を卒業した。作家デビューは1994年、『銀葉亭茶話-金剛山綺譚-』で集英社の第23回コバルトノベル大賞を受賞したのがきっかけだった。この『銀葉亭茶話』シリーズは、朝鮮半島舞台仙人精霊、竜や虎、人間たちが織り成す恋愛を描いた朝鮮ファンタジー小説で、仙境にある一軒の茶屋銀葉亭にさまざまな客が訪れ、店主の李月流(り・うぉるりゅ)に身の上話を打ち明ける、という趣向になっている。



金剛山綺譚』の金剛山は、もちろん朝鮮半島に実在する景勝地金剛山をさす。韓国人外国人北朝鮮国内金剛山観光地区に観光をしに行くニュースを見たことのある人は多いはずだ。『銀葉亭茶話』シリーズ物語に登場する実在の固有名詞は地名だけではない。例えば『蕾姫綺譚』では重要なキャラクターとして李氏朝鮮建国の王李成桂が登場するし、『舞姫打鈴』のヒーロー新羅英雄金庚信である



ところで、学校で歴史を習う前に本シリーズを読んだ影響で、私は現在でも「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」と読んでしまう。私にとって、このシリーズこそが生まれて初めて触れた‘朝鮮文化’なのだった。馬鹿子供だったので現役読者だった小学生の頃は朝鮮半島というのがどこにあるのか知らなかったし(私は当時本気で外国=アメリカであり、世界には日本アメリカの二国しかないのだと思っていた)、儒教文化だとか在日朝鮮人だとかさっぱり理解できない上に興味もなかったので読み飛ばしていたけれど、雪華(そら)や明蘭(みょんらん)という美しい漢字と不思議な響きの名前、美味しそうなチヂミ、ふわりとチョゴリを広げて鞦韆をこぐ明朗な少女、霊山の天辺に位置する天池(ちょんじ)の聖水……どこか好奇心を刺激する異国のイメージの数々を私は大いに楽しんだのだった。特に金剛山の壮大な瀑布や峰々が鮮やかに染まる絢爛豪華な秋の描写などは、幼心にうっとりするような綺麗な文章だなぁとドキドキしながら読んでいた。金蓮花という作家のおかげで、私は隣国と幸福な出会い方をしたのではないかと思っている。そういう意味で、『銀葉亭茶話』は私にとって印象深いお話なのだった。



金蓮花自身にとっても、作家として第一歩を踏み出したシリーズであると同時に、祖国を舞台にしたロマンスであることを考えれば、『銀葉亭茶話』はやはり特別思い入れの深い作品なんじゃないだろうか。


彼女の著作のあとがきでは、自らのルーツを意識した話題が多い。北朝鮮に観光に行って金剛山の絶景に感動した話、伯母が北朝鮮に帰国した話、親戚が日本北朝鮮と中国に住んでいるという話、子どもたちの通う朝鮮学校お祭りのためPTAとして準備に奔走する話など。



そんな彼女がBL小説を書くときは、金蓮花ではなく倉科るりというペンネームを用いた。倉科るり名義の本では特に朝鮮半島と関連のある物語を書いたりはしていないようだ。少女小説コバルト作家としての自分とをきっちり分けたかったのかもしれないし、儒教を尊ぶ在日コミュニティ価値観からするとさすがにBLを在日朝鮮人と明かしている金蓮花名義で出すのは難しかったのかもしれない。少女小説家としてデビューする際も家族からかなり強硬に反対されたと聞く。少女小説を書いているのがバレて家族会議土下座までしたそうな。ましてやBLをや。

まぁ、BLを書くときと少女小説ラノベや一般漫画を書くときでペンネームを変えるのはbasso秋月こお榎田尤利もやっていることで、金蓮花に限った話ではないけれど、少女小説では在日ネタをふんだんに出していた人がBLではそれを一切出さないというのも興味深い話ではある。



ちなみに金蓮花名義の本に一切男性同士の恋愛や性愛が出てこないか、というとそういうわけでもない。



ここでちょっと萌え語りをさせてもらうと、『銀葉亭茶話』シリーズで私が一番好きなキャラクターは長白君(ちゃんべつくん)だった。彼は、朝鮮半島の付け根、北朝鮮と中国の国境にまたがる山(朝鮮語では白頭山中国語では長白山)の守護仙人精霊だったかもしれない)で、シリーズ通してのキーパーソンである李氏(注:男性)に想いを寄せている男性である。李氏に冷たく拒絶されたり、周囲の神仙たちに揶揄されたりしつつも、変わらず李氏に暖かい真心を捧げ続けている好漢なのだ。李氏には他に想い人がいるのでまず間違いなく長白君の恋が成就することはないのだろうが、私は彼の男らしい包容力にときめいたのでぜひ幸せになってもらいたいと思っている。別に相手は李氏じゃなくてもいいから。というか長白君には楓英とか緋鯉の精みたいな豪胆で誠実な男性とか似合うと思うんだよね。






高城響、鷹匠早紀    在日の攻め

studio may-beを結成して仕事をしている高城響と鷹匠早紀は、BLゲーム乙女ゲームシナリオライターとして活動している他に、連名でBL小説を書いて出版したり、漫画原作をしたりしている。音楽業界を舞台にしたBL小説『たぶん、きみが好き』『いつか、翼を広げて』『きっと、空も飛べる』という3冊がマイクロマガジン社から発行されたのは2004年のことだった。この3作は天才指揮者と男性アイドルカップルを描いたお話なのだが、実は高城響と鷹匠早紀がやっているサイトに長年連載していた大長編小説『KT』を手直しして発表したものだという。



そのサイト大長編(まだ完結していないらしい)には、脇役として若手の指揮者同士のカップルが登場する。彼らを主人公にした話もサイトには掲載されており、出会い恋人になるまでを描く『'O sole mio』、体の関係を持つまでに至る続編『hard day's night』、いちゃいちゃらぶらぶしてる『jealous guy』などがある。珍しいことにこのカップルの攻めは在日コリアンである



『'O sole mio』と『jealous guy』では、攻めが在日であることはストーリーの主軸にはほとんど絡んでこない。民族が違うということよりも同じ夢を抱く音楽家同士であることの方が、この物語の中では圧倒的に比重が大きいのだ。

しかし、『hard day's night』の中ではそれらしいエピソードが挿入されている。演奏会の予定が突如キャンセルされてしまった攻め。晴れがましい仕事を一つ失った原因を、受けに問われた攻めはしぶしぶこう語るのだった。「オレ、在日やん」。BLで、差別に直面する在日の姿が描かれているのは大変珍しい。そもそも在日としてのアイデンティティを持ったキャラクターが登場するBL自体ほとんど見かけないんだけどね。



ところで、この物語の攻めは、大阪出身関西弁を喋る陽気な男性だ。大らかで人懐っこい。阪神タイガースファン。長身ガタイが良くて、美男子ではないけれど、受けから見れば十分に魅力的な容貌をしている。そして新進気鋭の指揮者である。実際、読んでいて、彼は魅力的な人物として描かれているように思った。なんとなく関東生まれ関東育ちな自分からすると良い意味で典型的関西人という印象を受けた。


神経質で繊細、あまり感情表現が得意ではない日本人の受けは、自分と正反対の気質の攻めに惹かれていく。自分にないものを持っている相手を反発心を抱きながらも愛してしまパターンというのはわりと恋愛物の王道だが、受けが攻めの才能に嫉妬をして苦悩したり、振り切ってもついてくる攻めに苛立ったり、励まされたりと感情をぶつけ合ううちに自分の恋心を認めざるを得ない展開になるというのは微笑ましくて良かった。






檜原まり子   日韓ハーフの受け

BL小説家檜原まり子の作品の一つに『マリンブルーは密やかに』という小説がある。2008年、講談社X文庫ホワイトハートから発行された。舞台アジアオセアニアクルーズ中の豪華客船。そこに乗り込んだ保険会社から委託を受けた調査員の受けと、元自衛官の攻めのラブストーリーだ。



正直なところ、この物語の一番興味深いところは、ストーリーなどよりも受けの両親だと思う。

受けの母親日本人医師だった。そして父親は在日韓国人の寿司職人。両親が渡米して、一家がカリフォルニアにいたとき受けは生まれた。医師免許が認められなかった母親は畑違いの仕事をして受けを育ててくれたらしい。後に離婚したようだが、受けの両親の話こそ読んでみたいと思った。寿司職人と女医さん夫婦米国滞在記なんていろいろ波乱万丈なドラマがあって面白そうじゃん。



というわけで、本作の受けは間違いなく在日韓国人の血をひいているのだが、特に在日とか韓国に関するエピソードは出てこない。受けが韓国語を喋ったりキムチを食べるシーンがあるわけでもない。彼が民族的なコミュニティ朝鮮半島に思いを巡らすシーンがあるわけでもない。冒頭、地の文でさらりと受けの生い立ちが説明されているだけで、その後はとくに彼が韓国系であることには触れないまま物語は終わるのだ。



なら別に受けが在日の血を引くキャラクターである意味ってないのでは?と思わないでもないけれど、まぁ深い意味がなきゃ在日がBLに出てはいけないってこともないし、これはこれでいいのかもしれない。なんと言ってもこの作品の舞台はいろいろな国籍のクルーが働く豪華客船なのだから。南太平洋を悠々と航海する船上のキャラクターにちょっとしたマージナルな要素を付与したいと作者が思うのもわかる気がする。船長の喜屋武も、受けと同様にマージナルな人物である米軍勤務の軍人を父に持つ沖縄出身の男性で、金髪碧眼という日本人離れした容姿だが自らを日本人だと主張する。とても珍しい韓国系の受けや、沖縄と米軍というデリケートバックグラウンドを持つキャラクターが登場するという点において、このお話はなかなか印象深かった。






タカヒサ亨 渡来人カップル

『うつしみの花』は、幻冬舎リンクスロマンスから2008年に出版された全2巻のBL漫画である。作者はタカヒサ亨。舞台飛鳥時代日本で、有名どころでは葛城皇子中大兄皇子)、皇極天皇、間人皇女などが登場する歴史ロマンBLである。ちなみに中大兄皇子と受けがキスする場面もあったりする。



主人公(受け)は、百済から渡来人で金工職人である実父を持つ美少年。攻めは、受けの父親の弟弟子で、乃楽山(ならやま)の麓に住む百済系渡来人であり以前は都随一と呼ばれた腕を持つ金工職人だった。受けが攻めの弟子となるので職人師弟ものBLであると同時に、渡来人渡来人の子孫が出会って恋に落ちる物語なのである

職人の村で修行をする受けは、師匠であり恋人である攻め以外の渡来系の職人たちとも交流を持つようになり、技術を磨いていく。いつか攻めの故郷である百済に帰還することを夢見るようになるし、自分たちの存在は発展させ続けていく技術に拠って立つのだという強い自負心を持つに至る。彼らのアイデンティティは明確に百済系渡来人であることにあり、ヤマトにはないんだなーと読んでいて思った。



日本舞台なのにあえて渡来人カップルを描くなんて随分通好み(?)だなと思う。こういうのは珍しくて面白い試みだ。同時に、ちょっと私の中の日本人としての感覚が一抹の寂しさというか疎外感を感じなくもなかったような……。この記事のテーマである在日と古代日本渡来人はちょっと違う存在なのでこの作品には簡単に触れるだけにとどめるけれど、思いがけずヤオイを読んでいて自らのナショナリズムが浮上したという点で本作は印象深い作品だった。私が気にしすぎなだけだけなんだろうけれどさ。

もちろん、健気で頑張り屋な受けとクールで格好良い攻めは萌えたし楽しめた。



ところで、作者のタカヒサ亨は、角髪(みずら)に萌えてこのお話を描いたらしい。わかるわー私もみずら萌えです。特に青年の下げみずら姿は可愛くて良い。不評でなかなか描かせてもらえなかったとのことだが、残念だ。もっと見たかったよー。








コメント返し

ハテブやツイッター増田2ちゃんねるコメント下さった方ありがとう。せっかくだし嬉しかったので、いくつかのコメントにお返事します。




興味深い記事/勉強になった。/ほう。/おもしろい。

恐縮です。ありがとう



なんでこんな興味深い記事が増田なんかで書かれるんだ……いやまぁ理由は明確に推測できるんだけど。

自分のブログではこういう記事を出したことがないのでうまく書けるかわからなかったし、書いたとしてもこの記事だけ場違い感がぷんぷんして浮き上がってしまうだろうと考え増田しました。悲しいことですが、BLも在日も荒れやすい話題ですから



金蓮花くらいしか思いつかなかった。/金蓮花さんは有名だよね。/ 金蓮花は私がコバルトを熟読してた時代の後の人で懐かしい。/金蓮花の作品なら子供の頃読んだことあるな。/金蓮花さんなつかしい

私は金蓮花の初期の作品が好きでここ7~8年の著作は読んでないのですが、作品だけじゃなくて作家自身も本当に興味深いなと思ってその動向は注目していますラノベ界でも稀な在日外国人であることを明かしている作家さんですよね。まして日本と関係が良好でない国を祖国に持つ人ですから日本社会で生きる彼女自身、悲しみや自負心を含め複雑な感情はあったんじゃないかなと想像しています。日朝首脳会談が開かれ拉致問題が発覚した2002年、この年に発売された『伽椰琴打鈴』を最後に、彼女の著作の中で一番‘朝鮮’を押し出している銀葉亭茶話シリーズが発行されていないというのは、偶然かもしれないけれどなんとなく象徴的に見えたり……。



違う文化がベースから、私から見たらよく分からないのかもねと当時は思ってた。アメリカ人日本とか中国に感じてるオリエントな感じってこういうのを言うのかなーと中学生の私には興味深かった。/舞台設定もそうだけど、登場人物たちの価値観や倫理観が自分の知っているものと異なる面もあって、それはそれで興味深かった。

確かに文化が違う、価値観や倫理観が異なっている、と強く感じる点はいくつかありましたね。面白いなと好ましく思う相違もあれば、モヤモヤする思いを抱える相違もありました。私の場合女性の描かれ方や女性の置かれた立場というのが結構気になりました。『蝶々姫綺譚』で、女性が子を成さずに死ぬのは罪である、罰として死後の世界で償わなければならないという設定には、儒教ベースにしたファンタジーだとこうなっちゃうのか、とびっくりしたなぁ。日本日本よりフェミニズムの強い欧米発のファンタジーじゃそういう設定ってないでしょう。まぁ、当時の価値観を反映させた設定であることが良いという考えもあるとは思いますが、現代女性としてはファンタジーとはいえその世界の女性は生き辛そうだなという感じたのも事実でした。



「オレ、在日やん」。か。読んでみたい。/記事中の作品をどれも読んでみたい。

ネットで読める作品もるし書店図書館に置いてある作品もあります。個人的に、興味や関心の度合いが在日>BLという人よりは、BL>在日の人の方が楽しめるとは思いますが。



日本では掛け算、欧米では×ではなく/(スラッシュ)なので割り算。

全然関係ないけど、最近アメリカスラッシュ翻訳されて日本書店の店頭に並び始めましたよね。日本語海外スラッシュが読める日が来ようとは思わなかった。嬉しい。



「「新羅」という単語を見ると反射的に「しらぎ」ではなく「しるら」と読んでしまうし、「李成桂」を見ると「りせいけい」ではなく「りそんげ」」あるあるwww

お仲間発見。やっぱり他にも同じ経験のある方がいるんですね。



この語り口、既視感が。/この特徴的な文体Twitterのどこかでみたような?

皆さんがどなたをイメージしているのか興味あるなー。私は弱小ブログを書いてますが、Twitterはやっていないんですよ。



韓国人って恋愛もの入れ込むよね。日本人もだけど、なんかより情熱的っていうか

韓国人日本人よりも情熱的、確かにそういうイメージありますよね。こんな記事書いといて言うのもなんですが、家族友人知人に韓国人や在日の人っていないんで実際そうなのかはよく知らないけれど。



しかし、作者や登場人物が在日だろうとハーフだろうと、作品に影響なければ関係ないのでは?/BLを前にしたら作者が在日とかどうでもいいんだけど、気になる人もいるんだ

確かに作品が面白ければ作家は関係ないというのは仰る通り。私も普段は書き手には興味がないんですが、今回は冒頭で書いた某サイトにはなんだか妙に感慨深くなってしまいまして。



在日コリアンに限らずこういう風に創作の中に登場するマイノリティを振り返ってみるというのは興味深いよね。/こういう考察もあるのだねー。/いわゆる『キャラ属性』のフレーバー要素として、在日コリアン・その他を入れるか等。ただ、ふらっと使おうにも"実はよく知らない"事が多いのも、また事実。/彼も特にエスニシティ面で特筆されるような描写はないが、魅力的。

創作の中のマイノリティ、本当に興味深いですよね。読み専なので創作の苦しみは知らないのですが、創作物にマイノリティを登場させる際書き手さんはやっぱり慎重になるんだろうなぁ。セクシュアル・マイノリティが登場するBLは殊にそういう姿勢を求められているジャンルですし。常に政治的に正しいお行儀のよいBLである必要はないと思うけれど、読者が引くような差別的な描写が垂れ流しにされてるBLは読みたくないと思います。私はまだガチでがっつり民族問題を盛り込んだBLというのは読んだことがありません。今後もそんな作品は出ないんじゃないかなと思うし、たとえ出版されたとしても読みたいとは思わないかも、と考えています。娯楽作品には悲惨な差別とか貧困とかの要素は求めていない性質で、どちらかというとイチャイチャ、ドキドキ、ワクワク、エロエロアマアマラブラブって感じのノリの方が好きなんですよ。なのでフレーバー的な登場のさせ方や特筆されるような描写がなくても私はOKなんですが、作家がまったくその問題の背景に無知ではキャラクターの魅力的な属性にはできないわけですしね。作家は10調べたことのうち1を書く(100調べたことのうち1を書く、だったかもしれない)と聞いたことがあります。BLを愛する者の一人として、そういうBL作家さんが今まで以上にたくさん出てくれるといいなぁと願っています

2011-05-25

Reengo使える?使っている?

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110525-00000001-diamond-sci

インターネットを介した音声データの送受信サービス――いわゆる「VoIP技術は、長くニーズの見込まれる分野として注目を集めてきたと言える。

 たとえば、マイクロソフトが先頃インターネット電話サービスSkype」を85億ドルで買収すると発表したことは、記憶に新しい

 そんななか、Facebookを活用した和製「VoIPサービスリリースされた。これまで数々のウェブサービスの開発を手がけてきた「面白法人カヤック」による「Reengoリンゴー)」である

 使い方は、いたって簡単。iPhoneユーザーであれば、専用アプリダウンロードし、Facebookアカウントログインするだけでいい。アプリには自分友達リストが一覧表示され、「Reengo」を使用している友人の横には電話マークが示される。それをタッチすれば、通常の携帯電話のように通話をすることができる。

「もともと、Facebook向けにこだわって開発したというわけではないんですです最近、連絡手段として、メールよりもFacebookメッセージ機能を使うことが多くなってきた。そこでいっそ、電話もできれば便利だろうと考えたのが、開発のきっかです」(面白法人カヤック広報

 たしかに、Facebookメッセージ機能やチャット機能は使いやすい。ほぼリアルコミュニケーションを、簡便に実現することができるからだ。最近では、ちょっとした仕事の打ち合わせなどをFacebook上で行なってしまうという向きも多いのではないだろうか。

 だが、メッセージチャットでは伝えきれないニュアンスもある。とはいえ、相手の携帯にいきなり電話をかけるというのは、案外と億劫だ。そもそも、相手の電話番号を知らないということもあるだろう。

 そんなときに「Reengo」は、威力を発揮する。Facebookアカウントさえ知っていればいいというシンプルさは、ことのほか便利だ。従来の「VoIPサービスを利用する場合、専用クライアントソフトインストールした後、自分のIDを相手に伝えなければならなかった。だが「Reengo」は、Facebook既存ネットワークをそのまま活用することができるので、いちからネットワークを作り直す必要がない。

 もちろん、海外からも通話可能Wi-Fi環境があれば、電話料金を気にすることなく、どこからでも気軽に電話をかけることができる(3G回線を利用する際は、別途パケット通信はかかる)。あるいは、Facebookで久しぶりに再会した級友と、すぐに音声通話を楽しむという使い方もあるだろう。

 また、アプリを立ち上げていなくても着信を受けることができるという点も嬉しい位置情報の取得なども行なっていないため、バッテリーの消費電力も気にすることはないという。

 Facebookという世界的なSNSバックグラウンドとして活用できるだけに、「Reengo」を使ったコミュニケーションは、様々な用途が考えられる。それだけにユーザー期待値も高く、「5月18日時点で約6万ダウンロード」(同社 広報)を記録したという。

 今後は、Androidアプリリリースや、iPhone版の世界展開も視野に入れているという「Reengo」。日本発の「VoIPサービス活躍に期待したいところだ。

中島 駆)

2011-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20110425130903

原発派はこんなことばっかやってるからダメなんだよな。

地の文章がない、大量のURL貼り付け

よほど暇人でなければ全部見たりしない。あほか。

主張したいことがあるならはっきりいえ。曖昧なほのめかしなんぞ聞く耳もたん。

政治バックグラウンド

一体誰にアピールしたいんだ。原発真実を隠され続けてきた無辜の大衆か?そんな奴いないっての。

アカの手先のおフェラ豚め。せめて隠すくらいしろよ。

感情に訴えかける手法

うわー原発いですねー。しかし、怖いから反対する層を啓蒙しようという考えはナンセンス。そういう層はとっくに反原発になっている。

論理論理、こっちに乗り換えれば何ぼか儲かりますよという議論をしないと誰も説得されないよ。

2011-04-20

http://anond.hatelabo.jp/20110420022140

みんな陰謀論たいなのが大好きだよね。

でも今騒がれている御用学者ってそういうことじゃないよね。



原発御用学者リスト見たけど、政府対応を批判している人も入っているんだよね。

だいたい御用学者って騒いでいる人で専門家だったためしがない。

要はその学者の話を全部読んでいない。

もしくは理解できていない。

というか理解する気が毛頭ない。

東京は安全って言った学者脊髄反射リストに入れるだけ。



要は自分に学術的バックグラウンドがなくて話の中身が理解できないから、周辺事情で判断しているだけ。


原発賛成でも反対でもいいけど、御用学者って決め付けは「おまえのかーちゃんでべそ」って言っているのと大差ない。

そういう奴の話を聞くのは時間無駄

この言葉フィルター掛けられるから便利ともいえるけどね。

2011-04-01

ここ何日かFacebook東電とか政府を叩く記事を毎日共有する人について

とりあえずこの人たちに共通しているバックグラウンドは、院とか博士課程とか行ってて学校生活が長いこと。現実ドライクールに客観視したり、それについて文章書いて人にみせるのが好きなようなんだが、人の行動とかアナログな要因が入る物事に関しては考察が劇尼になるようですわ。

最近は、東電とか政府対応がどうこうだとかっていう新聞記事をよくみるじゃないですか。原因の解明はもちろん大切なことなんだけどさ、この人たち、WSJとかの記事をわざわざひっぱってきて、欧米でもこういわれている、やっぱり東電ダメだわ、とかって言いたいたいなんですよ。でもこれ結果論が多くて、東電を叩くことが目的な記事なんだよね。それを鵜呑みにしちゃっていて、東電政府はここが甘いんだ、みたいなことをえんえんというんですよ。Facebookで。うざいでしょ。記事見ればわかるよ。

本人はWSJとかの記事の検証とかをするつもりはまるでなくて、WSJが言っているか日本ダメって毎日吠えてる。万が一の対策しないとダメなんだってWSJに書いてあるからそれを自分意見勘違いしちゃっているみたいで。あんた、車乗るけど自動車事故に遭う可能性があることを考えたら乗らないほうがいいんじゃないって突っ込まれてたらなんか激怒してた。

2011-02-28

ニュースクズの娯楽

ν速民は2chの中でもクズの代表のように言われているけど、

クズであればあるほど、ニュースに関心を持ちやすい傾向があるんじゃないか

ニュースは基本的に他人の不幸を扱うもので、みんなが幸せだったらニュースになるようなネタはできない。

事件、事故災害テロ戦争政権崩壊倒産恐慌など、不幸の度合いが大きいほどニュースバリューがある。

ニュースを好き好んで観ている人は、他人の不幸が大好きなクズなのではないか



他人の不幸を観るということは、他人の失敗を観ることでもある。

自分よりはるかに社会的地位の高い人間が致命的な過ちを犯し、それを批判した馬鹿にすることで、

自分があたかも事件の当事者より社会的地位が上になったような錯覚を得られる。

社会的地位の低い人間がその境遇から必然的な事件を犯した場合は、

自分より下の人間がいるという事実を確認し、優越感に浸ることができる。



さらに、他人との交友関係や社会的経験が全く無いような人間であっても、ニュースについて語ることはできる。

自らの仕事趣味恋愛家族との関係などを晒さなくとも、大上段から他者を批判し、嘲笑できる。

他の話題であれば自らの人生経験によって語れる内容が変わってくるし、人生経験のない人間には語れないこともあるんだが

ニュースは誰でもテレビ新聞を見れば得られる情報からバックグラウンドが全く違う相手でも共通の話題にできる。

むしろニュースを知らない人間に対して、「こんな常識的なことも知らないのか」と優越感を持てる。



このように、ニュースが好きな奴は総じてクズであり、ニュースメディアで働いてる人間プロクズと言える。

クズのくせに良識を装って他者を批判するのが、大部分マスコミはてな村Twitter界隈だろう。

ストレートクズさを表現しているのが、2chゲンダイ産経新聞雑誌メディア等の下流マスコミだ。

どちらも表現の仕方が違うだけで、クズであることには変わりはない。

2011-02-20

なぜ『魔法少女まどか☆マギカ』は物語を放棄したのか?

純粋不思議だ。なぜ『まどか』はストーリーを持たないんだろう。

もう第7話だっていうのに、魔女の正体が徐々に明らかになるわけでもない、キュウベェの目的が明らかになるでもない。

ましてや最初期に見せたセッティングが深化を見せるわけでもない。

7話までに起こったことといえば、マミさんが死んだことと、さやか契約したってことくらいだ。あと赤い髪のキャラが出てきた。一行で説明できる。

やっていることといえば、「葛藤」だ。本来自己外部から襲ってくる「事件」、それらとの折り合いの中で葛藤が生まれるはずだ。

しかし『まどか』ではそういったコンテクストから独立した抽象的な「葛藤」そのものを扱っているように見える。こんな歪な構成アニメはそうそうお目にかかれるものではない。

碇シンジくんもエヴァンゲリオンに乗るかどうかで葛藤したしかしそれは彼の周囲の人間関係が孕むドラマがあってのものだったはずだ。

まどか』も、正体不明の魔女が襲ってくるだろう、とするには、その”魔女”の輪郭はあまりに抽象的なのだ。例えば、セカンドインパクトが起きて人類の半数が消滅…という具体的な輪郭を持たない。

さやかけが申し訳程度にバックグラウンドを持っているくらいだ。

なぜだろう?魔法少女的なコンテクストをあえて無視した仮説を立てるが、

大きな物語を捨象して生活感・空気感、あるいはとめどないガールズ・トークといった要素を抽出した空気系」のジャンルゼロ年代に勃興したように、

セカイ系から大きな物語を排し、セカイ系的な空気感のみを取り出したアニメが現れはじめたのではないか

エヴァンゲリオンからディティールを捨象し、「葛藤」だけを抽出したアニメ

それが『まどか』の正体なのではないか、と。



追記(2011/2/23 21:00

ええっと、皆さんお察しのとおり、大して何も考えず思いついたことをザザッと20分くらいで書いただけの頭の悪い記事です。なにぶん、こんなに多くの人に読まれるとは思っていなかったもので。

でもさすがに文意くらいは伝わるだろうと思っていましたが、ブコメを見るとkkobayashiさんくらいにしか伝わっていないようで少し残念です。言いたかったことを悪意むき出しにして簡潔に書くとこうなります



まどか』みたいな中身のないただしんどいだけのアニメ

どうしてこんなに広く支持されているんだろう。

それってもしかして「空気系」が受容されているのと同じ理屈じゃね?



そんな体なので「中身(=物語)」とは何ぞや?と言われても全く考えておりません。考えてないので代わりにエヴァに喩えて語ったまですブコメ

>「如何にロボットに乗るか」で一本話作っちゃったタイプと思ってたからな

エヴァにディティールがあったとは思えんがw

とありますけど、それはまぁそうなんですがもうちょっといろいろあったじゃないすか。例えばミサトさんとかね。何故まどか母親ミサトさんはなく時々顔を出してアドバイスをする便利キャラなんでしょうかね。その辺りがすっごく不思議なんですけど。

空気系」と一口に言っても多様ですが、念頭に置いていたのは『ソ・ラ・ノ・ヲ・トです。いや、あれはあんまりウケてないじゃん、と言われるとそうなんですけど。現在こんな体の『まどか』がラスト1,2話になっていかドラマを見せようとも、それって『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』の最後戦争が起きるか起きないか程度の意味しかないよね、という意図で。

あと

エヴァだ何だ持ち出すから厨二系と解釈されるだけで、実際は序盤のイベントドリヴンな展開から中盤戦の内面掘り下げに移った点を停滞と感じているというだけの話かと。常時イベントドリヴンな作品好みな人なのかな。

とありましたが、僕の好みは仰る通りですが、さすがに「常時イベントドリヴン」な作品しか見れないわけじゃないですよw 例えば同じ虚淵さんが関わっている『Phantom』(アニメ版)なんかは傑作だと思います。けど、『Phantom』の2クール目がなくて最初の1クールで終わってたら無いなぁって思うんですよ。『まどか』はそれに近いものがあります。もちろんあと5話あるので、残り5話の中に『Phantom』の2クール目みたいなのを破綻なく詰め込んできたら、僕は平謝りするほかありません。が、『まどか』でやりたいのはそういうことではないんだろうなと思ったんですよ。

2011-02-18

http://anond.hatelabo.jp/20110218172006

家族が信頼できないので、そういう感じがよく分かる。昔は家に帰れば安心できたんだけど、年月が経つにつれて、兄弟ともうまくいかなくなり、今は抗不安薬や入眠剤がないと家でも眠れなくなってしもた。

学校が一番大変で、何度も緊張して倒れた。

美容院。嫌な髪形、というか長さ、にされるのが嫌でずいぶん行ってない。

結局どこに行っても、うまくやれないんだろうなと悲観的になることも多い。

あたって砕けろ!みたいな前向きな気持ちになれるのは、バックグラウンドで支えてくる人というか、気持ちの面だけでも支えてくれる人があるからだと思うから、誰に対しても不安な気持ちになってしまうのは辛い。せめて家族とうまくやることができれば、気持ちも変わってくるんだろう。孤独感を払拭するのは結構難しい

2011-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20110210112853

3%タイプしたらあとはIDEが補完してくれるなら、その3%を記述しておけば後はコンパイラがよしなにやってくれる言語をつくればいいんじゃないかな。

(ここでいう「コンパイラ」は広い意味処理系インタラクティブミスを指摘したりインクリメンタルリンクしてくれたり、といった機能も込みで。)

期待しているものと少し違うかもしれないが、既にJava向けのウェブフレームワークでは、必要最低限のコードだけ書くと他の部分を自動生成してくれるようなプロダクトが出てきている。"Spring Roo"とか"Play framework"とかが代表的かな。バックグラウンドでツールを走らせておくと、ファイル変更のタイミングで、自動的にビルドコード生成をやってくれる。

これらは、RoRと同様の生産性を実現しつつ、既存Java資産を活用し、静的型言語恩恵をも受けられるようにすることを目指している。

2011-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20110131191733

相手に余計な知識を強要せず、相手のバックグラウンドを瞬時に察知し、相手の理解出来る言葉で説明し(説明を要する言葉を極力使わず)、不必要と判断すれば「東方」という大カテゴリ名前すら説明から大胆に切り捨てる。何気に凄い事だな。

2011-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20110126145449

んー?



なんで○○(ソフト)が××(ハード)で出ないんだ?

ってのは、ソフトハードの両方の知識が無いと出来ないだろ?



例えば、movekinectwiiリモコンは、仕組みも違えばそれぞれの利点、弱点がある。

同じゲームをそれぞれに移植しても同じ操作感にはならんだろうよ。

その上で、そのハードが良かった、いやこのハードだともっと面白くなるんじゃ無いかって話が初めてできる。

そこで必要なバックグラウンドはそれぞれをやりこんだ経験だろ。

部屋が狭いから、kinekt使えねーとかkinekt買わないと実感できんよ。

http://anond.hatelabo.jp/20110126145157

桃鉄語るなら、大抵のシリーズプレイ済でそれぞれのシリーズ比較出来るぐらいのバックグラウンド無いと語れないだろ。

何でやねん



そもそもhttp://anond.hatelabo.jp/20110126120053桃鉄について語りたい訳じゃないと思うけど

http://anond.hatelabo.jp/20110126143559

桃鉄モバイルの今の流れを知らないのか。

桃鉄の成り立ちを知らないのか。としか言いようが無い。

そもそも一人でやるゲームじゃないだろ桃鉄



iアプリでもEZでもY!でも遊べるから一度やってみるといい。

それらも、Civilizationとか、PCSLGたいメールでの通信対戦とかできれば面白かったろうに。



と、適当バックグラウンドで噛み付く奴がいるから最低限のバックグラウンドは持てと。

- 転職ならen
- 派遣ならen
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