はてなキーワード: 連立方程式とは
●ヤフコメ
「最も反省で逆にあの態度」 萩生田文科相、森氏を擁護(時事通信) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e482fd1b5fca49b63d0972c5c2094cdd4239eee
あのー、思う思わないじゃなくて、
適切・適任かどうかを客観的かつ俯瞰的に、そして合理的に判断してください。
合理的に考えて、女性蔑視とも取れる発言をしてしまう方を、国際社会と共に歩む
組織の会長として据えておいて良いのかどうか、という事だと思います。
半径10メートルの仲間うちでは、萩生田さんの擁護は苦し紛れなヨイショで済むかもしれないが、世界中の注目が集まるイベントを主催するトップの言い訳でそれは通らない。
基本的に萩生田文科相も、国民を下々の者として見下すタイプですから森氏に同情的になるのでしょう。あなたの身の丈発言と森氏のわきまえろ発言は同質のものです。
下村氏といい自民党戦前復古主義的保守タカ派議員グループの集まりである細田派の一員として、派閥のドンである森氏擁護発言は見苦しい限りですね。
おかしいでしょ。
「『反省していないのではないか』という識者の意見もあるが、森氏の性格というか、今までの振る舞いで、最も反省しているときに逆にあのような態度を取るのではないか」
多くの人間がそうは思えなかった。元々反省する気持ちがなかったからあの態度になったとしか思えない。
身内に甘い考えしか持てないやつらはみんなこの際、辞退してくれ!!
政治家は何が正しくて、何が間違いなのかを冷静に判断できる人間がやらないとダメだ。
今の政治家たちは芯はないし、自分の発言にすら責任とらず、時間が経てばほとぼり冷めると思ってる事自体が問題だ
何を言っているのだろう。
何におびえているのだろう。
理由がないから「あの態度が反省」などという子飼いの閣僚に何も期待はしていないが、やはり安倍政権の負の遺産はこういう下の人間が意見を言う場を無くしたことです。
火に油を注ぐとはまさにこの事で、あの程度の謝罪にもならない謝罪会見を許した事になる。撤回すればいいというものではない。責任を取って辞任する事が求められる。
それができなければ、それを引き止めた武藤をはじめとした五輪委員会の組織ごと解体するしかない。
ある個人が男尊女卑の考えを持っているのが問題なのではなく、その思想がオリンピック憲章にそぐわないにも関わらず、組織委員会の長であることが問題。
連立方程式を理解しなくても構わないが、それを理解しない数学教師はいない。
●一方の、ブコメ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2021020900538&g=pol
さ あ 、 君 も 体 感 し よ う ! 民 度 の 差 を
久々に連立方程式を使った。
『 経由で、年間でどの程度同人誌や同人ゲームを人々が買ってるかというか』という仮説を俺の中で立てたかった。
闇雲に紹介するんじゃなくて、どのぐらいのゲームを紹介すればいいかを計算したくて。
その式を自分なりに作って計算してたわけです。私はこういう式作っちゃうんだわ
経済の法則や、IRの見方がざっくりわかってると仮説立てる時に、便利なんだよ。
学校の勉強は無駄じゃないよ。ただ、いちいち仮説を立てる人…色んな法則や数字を集めて自分の式にする人が少ないだけで
「闇雲に毎日書かないと」と最初は思ったけど、色々計算したら週3回でもお釣りが来ることがわかった。
初動はさすがに週3回とは行かないけど、最初動を乗り越えたら、もう週3回でいいのか。
6歳の我が子の事だが、成長が早すぎる気がして心配してる。
6歳なのだが、何かと私のまねをしたがるものだから、私の書架を漁って司馬遼太郎を読んでるし、私が勉強するときに一緒に勉強したがって既に連立方程式を解くことが出来る。
余りに理解が早いものだから、悪いことでもないと面白がって教えてしまうのが良くないのだろうが、知的好奇心を飢えたまましておくのも・・・と思い暫くは知りたいことを知りたいまま教えていた。
勉強をあまり進めてもまずいと思いなおし、将棋を教えたところメキメキと力をつけて、私も既に二枚落ちでは手こずる様になってきた。
子供らしく動物博士とかにでもなってほしいと思って、犬を飼い始めたが効果は乏しく、私のジョギングパートナーが出来ただけに終わっている。
そもそも「河井継之助が学んでいたという陽明学の和訳を読んでみたいから、図書館へ連れて行って欲しい」などと休日にねだるし、
バラエティーよりはドキュメンタリーを好んで見るような子供が公立の小学校で同級生と会話なんぞ成立する訳がないし、
大人ですら手に余るほど将棋が出来る子が同級生と将棋をやっていても楽しい筈もない。
なので、必然、孤立しがちになるし、本人も同級生よりも大人相手に問答してる方が楽しいと感じていて、それを気にもしてない。
正直なところ、この子の未来に不安を感じてしまう。早熟はいいとばかりは言えない。
小学校に上がる頃には自分は人と違うと自覚していた私よりも余程に成長がはやいのは問題がある。
親としては、子供らしくサッカーや野球でもやって、泥まみれになって帰ってきてほしいんだが、
バットやサッカーシューズよりも、中学数学の参考書が欲しいという子なので困るのだ。
将来の事を思って子供の間は外に連れて行かねばと思って、サッカーに誘ったり、山登り、キャンプなどに連れ出したりしてるんだが
私自身がインドア派で家で勉強でもしてる方が楽しい人間だから、親が好きでもないものは、なかなか子供には浸透しないものだ。
近頃はTVゲームなんかをかなり用意して、友達を家に連れてこいと言って同年代の友達でも出来ないものかと期待してる。
私も9歳くらいになると友達とサッカーをすることが他の何よりも楽しくなっていたので、我が子にもそうなってほしいのだ。
スポーツをすれば自分には出来ない事、上手くいかない事、自分だけが凄くても勝てない事の連続で、多くの事を学んでくれる。
大学受験の時期が来れば、この子も、どの大学だろうが志望校に入る位は苦も無く出来るとは思うし、今は勉強は全く大事ではない。
あと7,8年くらいは勉強なんかしないで、TVゲームで遊んでばかりで、悪戯でもしては大人に怒られまくる位でいいし、
中学生になれば彼女でも作って、どうすれば彼女とキスできるか知恵を絞る位でいいのだが、
子供というものは、なかなか親が思うようには育ってくれないものだ。
妻は、アホの子なんてとんでもない、今のままでいいなんて呑気な事をいっているが、私は非常に心配だ。
私の父も同じような心配をしていたのだろうか・・・と考えると、なんとも楽しい気分にはなるんだが、笑ってばかりもいられない。
ブクマが大量についてて驚きました。
ギフテッド教育やお受験は当然のこと選択肢にはあったけど、夫婦で話し合い特別なことをあえてしない事にしました。
そこには当然、良し悪しはあれども親である私の経験からくるものもあります。
私自身、大学に行くと決めるまでは1分も学校の勉強にいそしんだ事はないけれど
「色はなぜ見える?」「鳥や飛行機はなぜ飛べる?」
といった好奇心を満たすための書籍漁りや、それを読むために必要な勉強は幼少期から嫌わなかったというのもあります。
一方で水泳教室やら書道に通わされて、自分が上手く出来ない事が悔しいという思いをしたことも今となれば有難かった。
大学受験程度であれば、苦労なんてする必要もないし、また彼は苦労はしないでしょう。
それよりは普通の学校で色んなタイプの友達に出会い、海外旅行へ行って見聞を広めたり、友達とキャンプへ行ったり、サッカーやったり
恋愛したりで人としての裾野を広げて欲しいのが我が家の教育方針です。
ここでいう「ユークリッド幾何学」とは、座標空間、ベクトル、三角関数、微分積分などの解析的手法を用いないいわゆる総合幾何学のことです(*1)。2020年8月現在の高校数学のカリキュラムでいえば、「数学A」の「図形の性質」に該当する分野です。
ユークリッド幾何学が不要だと思う理由は単純明快で、何の役にも立たないからです。大学に入って、「補助線を引いて、相似な三角形を作って~」とか「コンパスと定規による作図」みたいなパズルゲームをやることは絶対にありません(*2)。これは常識で考えても分かると思います。たとえば工学の研究で、ある物体の弧長や面積などを測定しなければならないとして、ユークリッド幾何学の補助線パズルが適用できる多角形や円などしか測れないのでは話になりません。一方、座標空間、ベクトル、三角関数、微分積分などの手法は一般的な現象を記述する上で必ず必要になります。
もちろん、たとえば三角比を定義するには、「三角形の内角の和は180度である」とか「2角が等しい三角形は相似である」といった初等幾何学の性質が必要になります。そのようなものを全て廃止せよと言っているわけではありません。しかし、高校1年生で習う余弦定理:
を証明してしまえば、原理的にはユークリッド幾何学の問題は解けます。それ以降は、ユークリッド幾何学的な手法や問題設定にこだわる必要はないと思いますし、実際それで問題ありません。
現状、少なくない時間がユークリッド幾何学に費やされています。数学の1単元を占めているだけではなく、その他の単元にもユークリッド幾何学の発想に影響された例や問題が多く登場します。たとえば、複素平面において4点の共円条件や垂直二等分線を求めさせる問題など。そして最も労費されているのは生徒の自習時間です。以前よりマシになったとはいえ、大学入試等には技巧的な図形問題が出題されるため、受験生はその対策に多大な時間を費やしています。
高校数学では以下のような事項が重要だと思います。ユークリッド幾何学を学ばせている時間があったら、このような分野を優先的に修められるようにすべきです。
これらの分野は数学の手法としても非常に強力ですし、大学以降で数学を学ぶ際、現実的な問題を数学や物理の問題として正確に記述する際に必ず必要になります。仮にユークリッド幾何学が何らかの場面で応用されるとしても、微分積分などと同レベルに重要だと真剣に主張する人っていらっしゃるでしょうか?
ユークリッド幾何学を初等教育で教えるべきだとする根拠には、大雑把に言って以下の4つがあると思います。
まず①は明らかにおかしいです。ユークリッド幾何学に限らず、数学のあらゆる命題は証明されるべきものだからです。高校の教科書を読めば、相加平均・相乗平均の不等式、点と平面の距離の公式、三角関数の加法定理、微分のライプニッツ則や部分積分の公式など、どれも証明されています。そもそも、数学の問題はすべて証明問題です。たとえば、関数の極値問題は、単に微分が0になる点を計算するだけではなく、そこが実際に極値であるかそうでないかを定義や既知の性質に基づいて示す必要があります。したがって、ユークリッド幾何学だけが特に証明の考え方を学ぶのに有効だという理由はありません。
②もおかしいです。図形問題を扱うのはユークリッド幾何学だけではないからです。ベクトルや微分積分でも図形問題を扱います。たとえば、三角形の5心の存在や、チェバの定理、メネラウスの定理などはベクトルを用いても容易に示すことができます。また言うまでもなく、曲線の接線は微分で求めることができ、面積や体積は積分で求めることができます。また、ユークリッド幾何学の手法は問題ごとに巧い補助線などを発見しなければいけないのに対し、解析的な手法は一般に方針が立てやすく汎用的です。したがって、図形問題を扱うのにユークリッド幾何学の手法にこだわる理由はありません。
③は単なる個人の思い込みであり、科学的な根拠はありません。そもそも、数学教育の目的は「地頭」などを鍛えることではなく、「大学や実社会において必要な数学の素養を身につけること」のはずです。また、これも上ふたつと同様に「ユークリッド幾何学以外の数学では、『数学的直観』などは鍛えられないのか」という疑問に答えられておらず、ユークリッド幾何学を特別視する理由になっていません。
④もおかしいです。そもそも「歴史的に重要である」ことと「初等教育で教えるべき」という主張には何の関係もありません。歴史的に重要ならば教えるというなら、古代バビロニア、インド、中国などの数学は特に扱わないのはなぜでしょうか。もっと言えば、文字式や+-×÷などの算術記号が使われ始めたのでさえ、数学史的に見ればごく最近のことですが、昔はそれらを使わなかったからといって、今でもそれらを使わずに数学を記述するべき理由があるでしょうか。
数学で重要なのはその内容であるはずです。ユークリッド幾何学を擁護する論者は、「(表面的に)計算問題に見えるか、証明問題に見えるか」のようなところに価値を置いて、一方が数学教育的に有意疑だと見なしているようですが、そんな分類に意味は無いと思います。
大昔は代数の計算や方程式の解法(に対応するもの)は作図問題に帰着していたようですが、現代でそれと同様の手法を取るべき理由は全くありません。記述する内容が同じであれば、多項式や初等解析のような洗練された方法・重要な結果を導きやすい方法を用いればよいに決まっています(数学史家は別として)。同様に、ユークリッド幾何学も、解析的な手法で解ければそれでよく、技巧的な補助線パズルなどに興じたり、公理的な方法にこだわる必要はありません。
たとえば、放物線は直線と点からの距離が等しい点の軌跡として定義することもできますが、初等教育で重要なのは明らかに2次関数のグラフとして現れるものです。放物線を離心率や円錐の断面などを用いて導入したところで、結局やるのは二次関数の増減問題なのですから、最初から2次関数のグラフとして導入するのは理にかなっています。数学教育の題材は「計算問題か証明問題か」などではなく、このような観点で取捨選択すべきです。
三角比などを学んだあともユークリッド幾何学を教えたり、解析的な手法では煩雑になるがユークリッド幾何学の範疇ではエレガントに解けるような問題を出して受験生を脅したりするのは、意味が無いと思います。それは、「掛ける数」と「掛けられる数」を区別したり、中学で連立方程式を学ぶのに小学生に鶴亀算を教えるのと同様に、無駄なことをしていると思います。
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(*1)
現代数学では、n次元ベクトル空間R^n = Re_1⊕...⊕Re_nに
(e_i, e_j) = δ_i,j (クロネッカーのデルタ)
で内積が定義される空間上の幾何学はすべてユークリッド幾何学に分類されます。したがって、上にあげた座標空間、ベクトル、微分積分、一次変換なども敢えて分類すればユークリッド幾何学です。しかし、ここではその意味でのユークリッド幾何学が不要と言っているのではありません。飽くまでも、技巧的な補助線問題や、公理的な方法にこだわることが不要だと言っています。
(*2)
数学科の専門課程で学ぶガロア理論では、コンパスと定規による作図可能性が論じられますが、これは「作図問題にガロア理論が応用できる」というだけであり、「ガロア理論を学ぶのに作図の知識が必要」というわけではありません。
ふと思い出したので思い出話。
私が中学生の頃、算数から数学への移行で、解答用紙に日本語を書くことが許せなかったのよね。
私にとって算数は「できるだけ途中式を書くのを省略して素早く答えを出す科目」だった。算数はスピードが命だと思っていた。
今解答例をググったのだが、
3x-y=2 …①
x+y=6 …②
①と②を加えると,
4x=8
x=2
x=2を②に代入すると,
2+y=6
y=4
答. x=2, y=4
当時の私は「数学の解答用紙には数字と記号以外は書いてはいけない」と思い込んでいたから、解答例に日本語が出てきて本当にびっくりしたのよね。
それで当時の私は「省略しても私が正解できるならできるだけ省略すべき」なのだと思い込んでいたので、「x=2を②に代入すると」なんてわざわざそんな日本語を書かなくても私にはわかりきっているのだから省略したくて、正直①②の記号や罫線も省略して分かるくらい問題が単純だったのもあり、省略したのだが、先生にめちゃくちゃ怒られて、嫌々書くようにした。いや、正確に言えばテストにはしぶしぶ書いていたが自分で解くときは省略していたような気がする。
今思えばきちんと書くべきだったなと思う。
私が本心から数学の解答用紙に日本語を書くことを納得したのは大学受験の頃になってからである。
問題が複雑になってきて丁寧に書かないと自分も理解できなくなってきたのもある。
さらに問題の半分が証明問題だから、証明というくらいだから答えだけ合っていてもダメで、つまり数学というのは採点者にわかるように説明する義務のある教科なのだな、とここでようやく認識した。
それでも証明問題でない問題は結構適当な形式で回答していたような気がする。だから理解が足りなくて点数伸びなかったのかな。
オチはない。
数学者になるような人は、1学んで10修める人です。彼らは、実例を計算したり、同値な言い換えを考えたりしている内に、誰に教わらずとも独自に現代数学の概念を再発見したり(場合によってはオリジナルな結果を発見したり)します。たとえば、テイラー展開を考えている内に自然に解析接続の概念に到達するとか、連立方程式を考えている内に行列式の概念を独自に発見するとかです。
これはそれほど難しいことではありません。数学が好きな人が普通にしているようなことを習慣的にしていれば、いくつかあるものです。つまり、具体例を考えたり、別証明を考えたり、定理を一般化してみたり、仮定を除いて反例を作ったり、と言ったことです。そもそも、数学者は既存の論文に無いオリジナルな成果を出すのが仕事なのですから、これは何も特別なことではありません。
逆に、いつまでも「教えてもらう」という態度では、数学者になるのは明らかに厳しいでしょう。むしろ、上に書いたようなことをするのは当たり前であって、「指導教官の出す課題に取り組んでいれば、困難なく数学者になれる」などと思う方が異常ではないでしょうか。
ところで、こういうことができる人というのは、一日に何時間くらい数学を勉強しているのでしょうか。この答えははっきりしています。
「寝る時間以外ほぼ全部」です。
数学者になるような人のほとんどは、数学が楽しくて仕方なく、気がついたら数学に没頭しているような人です。机に向かって本や論文を読むだけが数学の勉強ではありません。彼らは食事中だろうと入浴中だろうと一途に数学のことを考え続けています。
正直、「数学を勉強しよう」なんて意識している人は、あまり数学者に向いていないと思います。世の中にはもっと楽な道があるのですから、そちらに進んだ方が得です。国立大学の教授なんて、就職倍率は何百倍もあり(それも東大等の中でも極めて優秀な人材の中で)40代後半になってやっとなれるのが普通なのに、年収900万かそこらです。大企業や外資系企業等に就職する方がよほど理にかなっています。
数学者になること自体は、そんなに「天才」でなければいけないということはありません。
があればなれるんじゃないでしょうか。誰でもなれるとは言いませんが、天才である必要はありません。数学の世界での天才というのは、もっと常軌を逸した人たちです。
日本の大学生の多くは、大学に入ったら何も勉強しません。40人のうち約半分が、1〜2年生の勉強にすらついて行けず、以降はギリギリの成績で単位をなんとか取るだけで、何も身に付けずに卒業していきます。
数学で最新の論文が読めるのは早くて学部4年の後半、ふつうは修士1年の後半から2年です。したがって、それまではセミナーで教科書の講読をします。このただの「読書」が、最低限の水準でできるのは、40人中10数人です。最低限の水準とはつまり、
等です。あとの30数名は、セミナーの体を成していません。数学者を目指す場合、まずこの「同学年の上位10数人」に入り込めるかどうかが1つの肝になります。まあ、これは普通に勉強していれば余裕できます。
昔は、この上位10数人だけが大学院に行き、そのうちの半分くらい(全体の上位1割くらい)が学者になったようですが、今は(少なくとも私の周りでは)もっと厳しいです。ポスト自体が少ないのと、大学院生のレベルが下がったので周りに吊られて気が緩むのが原因のようです。
情報処理技術者試験の資格を取っても実質的に得るものはありません。「実質的に」というのは、技術者としてのスキル向上に貢献するということであり、「報奨金が貰える」とか「履歴書に書ける」などの技術と無関係なものを含まないということです。
なぜ、情報処理技術者試験が役に立たないのかと言えば、出題内容が表面的な知識問題に極端に偏っており、本質的な理解を問うていないからです。たとえば、オブジェクト指向の三要素に「カプセル化」「継承」「ポリモルフィズム」がありますが、これらを御題目のように唱えていても何の意味もありません。しかし、情報処理技術者試験ではこれらの用語さえ覚えておけば、しっかり点になります。
https://www.fe-siken.com/s/kakomon/19_haru/q42.html
こんなのは単なるポエムであり、これが解けたところでコードが書けるわけでも、良い設計ができるわけでもありません。
数学で喩えれば、「加減法」とか「代入法」のような用語を暗記して、具体的な連立方程式の解き方は分からないようなものです。
ひどい問題は挙げればキリがありません。
https://www.ap-siken.com/s/kakomon/22_haru/q44.html
図の名称を答えさせる問題。図を読み取らせる問題なら、まだ理解できますが。そもそも、UMLなど別に技術者として知っておくべき知識でもありません。
https://www.fe-siken.com/s/kakomon/23_aki/q50.html
これも、こんな分類自体、覚えたところで何にもならないわけですが、その用語を答えさせる問題。いかに、この試験がエンジニアリングやプロジェクト管理の本質と関係ないかがよく分かります。
極めつけはこれ。
https://www.fe-siken.com/s/kakomon/17_haru/q52.html
地方の公立中学校の定期試験レベルのひどい問題です。出題者は、1だの2だの4だの7だのといった数字と語句の対応を覚えることが重要だと思っているのでしょうか。
つまり、ある種の発達障害ではない意識高い系ポエマーを認定するための試験であり、そもそも技術者のための試験ではないということです。あとは、中小企業診断士などを受ける人が試験免除を獲得するためとか。
そもそも、コンピュータやプロジェクトマネジメントの技術を、資格試験で勉強しようというのがピントがズレています。それらは既に良質な解説書が豊富にあるのだから、それで勉強すればいいのです。
逆に「宣言的に書けない」というのは、たぶん処理の順序を変えたら意味が変わってしまうみたいなやつじゃないかな
すなわち逐次的だと思うんだけど、あってるかな
「宣言的に書けるようにするコスト」とメリットを比べたら大して旨味がないんじゃないかとも思っていた
でもそうじゃないなと思えたのが画面のレイアウトだ
例えばiOSのAutolayoutは嫌いな人が多いが、あれは宣言的だ
順序に依存していない(そもそもInterfadeBuilder上に順序は存在しない)
最近あるプロジェクトでそれを使わず昔ながらの方法で書いているんだが
順序に依存しすぎていて非常に怖いし、頭を使うし、バグが多くなる
コードでも宣言的にレイアウトを組めるかもしれないが、多分かなり大変だ
宣言的に書ける仕組みを予め用意されているというのは大きなメリットを感じる
なぜレイアウトでそれを強く感じたかと言えば、view毎の依存関係が多いからだ
オブジェクト同士が1:1で依存していたり、1:2で依存していても「宣言的」に大した魅力を感じないのだが
1:3とか1:5とかなってくるとかなり魅力的にうつってくる
レイアウト以外でそういった過密依存を書くシーンはなんだろうね
例えばModelとか? あとはSingletonみたいなやつもか
まあ基本的に宣言的に書ければ、読む必要が減るので単純に楽ってのもあるんだけど
しかもちゃんと書いた人が組めている保証もないからな(そうか、基本的に共通処理を書くような感じになるから抽象的になっちゃうんだな)
anond:20190301200621 自分の場合のことを書いておきます。説明会は絶対必須ってほどでもないかなと。
軽度の身体障害者です。四大卒で約40歳の氷河期世代。現在、派遣社員として一般企業で勤務(障害があることは伝えていない)。
昨年、障害を抱えることになって、就労にクリティカルな影響は出ていないけど、派遣の身分で安定性に不安もあり、今回の選考試験を受験。その記録をざっくり残しておきます。
基礎能力試験はかなり平易な印象。内容的には中学卒業程度では。転職活動でSPIとかやったことある人なら数的推理は十分かと。内角の和とか「知識」が必要な設問はほとんどなく、連立方程式ぐらいまで出来てれば十分。社会、理科は知識問題だし範囲広すぎて対策無理だと思うので、分かんなかったら適当に選ぶ、で。
作文はよく分からない(お題は「誠実とは」)けど、よっぽど支離滅裂なこと書かなければ大丈夫なんじゃないかなと。
ここからが、すでに話題になっている、阿鼻叫喚の地獄となった面接試験である。
二次選考のルールは「いずれの機関からも採用内定を受けられなかった場合は、不合格となります」であり、「全員に二次面接を課します」というルールではない。(参考→http://www.jinji.go.jp/saiyo/siken/senkou/2jichuijikou.pdf)
つまり、「面接のアポを取る」ところから、もう二次選考は始まってしまっているのだ。
一次試験の合格がWEBで発表された2月22日金曜AM10時をもって面接予約解禁、事前にルールをよく読んでいた志望者は志望省庁に速攻で予約をメールまたは電話で入れたが、「インターネット見れないから合格通知が来たらやろう」「平日で仕事中なので、帰ったらやろう」という人間はここで大きく出遅れることになってしまう。
これは、おそらく国家公務員一般職試験の官庁訪問のスタイルを踏襲したためだと思われるが、「面接の機会は合格者に等しく与えられるのだろう」と思っていた人にとっては、わけがわからなかったのではなかろうか。でもまあ、お役所の仕事ってそんなもんで、都道府県や市役所のホームページ見てても、「決まりを淡々と掲載」はしてても、「懇切丁寧に誰にでも分かりやすく紹介」なんてサービスはしてくれないんですよね。そういうところを受けているんだ、という意識は、持っておいた方が良いと思う。今後ふたたび受験する人も。
ただまあ、このやり方だと「在職中でバリバリ働いてくれそうな人」が出遅れてしまうので、省庁にとっても望ましくないのでは?とは思う。
私はその日職場に午前休を予め申請しており、午前中にメールで志望省庁2つを予約。また、予定していなかった省庁から電話で面接の案内がかかってきたので、そこも受けることにした。正直、リクルーティングの電話があるとは全く思っていなかったのでびっくりしたが、5ちゃんねるのスレッドやTwitterを見るとちらほら報告があった。受験票から読み取れる情報は
なので、おそらく大卒で就労に支障の少なそうな障害者を合格者リストから各省庁でリストアップしていたではないだろうか。
週明け、2月26日に開催された合同説明会に参加。「一次試験合格者対象」となっていたが、出入り自由だったので関係ない人もいそうだった(明らかに受験対象年齢を超えてるお年寄りとかもいた)。概ねどこの省庁も受け入れ準備は全く出来ていない(そもそも「障害者採用枠」などというものが今まではなかったわけで)ことが伝わってきた。配属先や職務内容もまちまちで、
といった感じ。(外務省、国税庁はホームページの募集要項に上記内容が記載されていた)
説明会で、「就労経験を生かした仕事に配属されますか」という質問に対し、「そうですね、全く仕事したことがない人だと困っちゃいますけど」などと口走ってしまう担当者もおり、中途採用なのか新人採用なのかの整理もついていないようだった。(係員級の採用でそれは流石にどうかと思うのだが)
私が聞いたすべての省庁で、「新卒採用と同様の研修を受けさせる予定はない」という回答だった(国税庁のように最初から研修前提の告知を出している場合を除いて)。軽作業オンリーならそれでもいいが、普通の仕事も出来るならやらせる、なら同様に研修・教育も必要ではと思うが、これも「単に準備が出来てない(障害者の参加を想定した研修になってない)」部分も大きそうだった。
また、「障害の状態に配慮した勤務は可能ですか」という質問に対し、「フレックスやテレワークがあります」と回答していたが、今回の常勤採用では普通にフルタイムでの勤務が前提で、フレックスやテレワークといった配慮も一般の公務員が利用できるものと同等。「障害に配慮した勤務形態」などというものは存在しないようだった(そういうのは「非常勤」に寄せているのだろう)。
これは内閣府の担当者が言っていたことだが、「(フルタイムでの)勤務に不安がある方や、今回の採用で漏れてしまった方は、非常勤での採用も検討してほしい。今後、非常勤から常勤へステップアップする制度も用意されるので、働いてみて『大丈夫そう』だと思ってからでもいいのでは」とのこと。
面接は、非常に順調に進んだ。というか、最初に受けた第一志望の省庁に即日内定をもらった。
聞かれることは
と、まあ割と普通のことであった。個人的には一番最後の項目が問題で、今回の採用は国家公務員一般職係員級、「国家公務員 俸給表(一)」の一級からのスタートとなる。要するに、一般職の一番下からだ。ここに、民間での職歴16年くらいを加算すると、年収としては400万円ぐらいで、正直結構下がる。ただまあ、冒頭に書いたとおり、今の待遇に不安があるので、問題ありません、と回答した。
続いて、同じ日に設定していたリクルーティング電話のあった省庁とも面接。2時間ぐらい間が空いていたので、時間を潰すのに苦労した。こちらも大体同じような質問内容だったが、「年齢的に若い人間の下に立つことになるが大丈夫か」といったことも聞かれた。現職も派遣で職場の年齢的上下と関係なく仕事しているので、問題ないですと回答。やはり給与面のことは指摘され、「基本的に一定の間隔で昇級昇格していくので、すごく仕事が出来たからといってスピード出世があるわけでもないけど大丈夫か?」と言われた。まあそりゃしゃあないでしょという気持ちで、「大丈夫です」と回答。
内定をもらって、3月いっぱいで今の会社も退職か、と感慨深くなっていたところ、派遣先から正規雇用されることになり(並行して採用面接を受けていたのだ)、流石に長年働いていた先からの採用を断るわけにも行かず(給与もいいし)、内定先省庁へお詫びと内定辞退の連絡をした。私が辞退したことで内定された方は、ご自身と国民のために精一杯働いてほしい。私もこれからも頑張って働いていく。
人事院・各省庁側に期待したいこと
これは全くその通りだと思います。今回の選考対象となる「障害者」は、「障害者手帳」(身体障害者手帳、療育手帳(=知的障害者用)、精神障害者保健福祉手帳の総称)を持っている、またはその基準を満たす診断書が出せることが条件なのですが、これはもうピンキリなわけで。障害の程度・就労に及ぼす影響も千差万別ですし、就労経験自体も同じなわけで。あくまで、合格者の一サンプルとしてとらえていただければと思います。
それはそのとおりだと思います。自分も、今の派遣雇用継続なら(年収ガクッと落ちても)納得して公務員やるつもりでした。ちなみに、経験ゼロで高卒だと年収300万弱ぐらいからのスタートになるんじゃないかと。大卒だともう20万くらい乗るかな?
まあそういうことなんだろうな、とは思いました。こればっかりは、あくまで受け入れ側の基準だし、(もうちょっと配慮があってもいいとは思いつつ)「あらゆる障害者の面倒を見れられる体制を作れ」とまでは正直思っていません。
勝手にジョークぶちあげて揚げ足取られたら話の筋道をそらすのは如何な論法かと思うけどね、ジョークならジョークで完結させろよと言いたいが、「それはジョークだじゃあ話を元に戻そう」、これでいいのでは?それとも子供に対してCPUのことを計算してくれる装置ですよと語りかけるが如く丁寧懇切に連立方程式の解き方からBLASの存在まで説明しろとおっしゃるのかな?
それは筋が通らない話だと思うし議論する気があるなら最低限・・そうだな大学がならう数値計算とか並列計算機の授業のレジュメをさらっと目を通すぐらいはしたらどうでしょうか?
https://www.cspp.cc.u-tokyo.ac.jp/hanawa/class/sp20180925.pdf
うーむHPCに対するアプローチは二通りあって情報工学的に計算機科学の一環(つまりスパコンを作る側)として見るか、1科学者としてのシミュレーションを行う場、仮想実験場(スパコンを使う側)としてる見る場合の2つのアプローチがあると思うのだけど・・・PEZY-SCを搭載したシステムに関しては前者、計算機科学の成果としてみるべきシステムだと思うのよ、これの成果としては「非GPUで超メニーコアシステムを実現すると共に高効率なシステムを構築することに成功した」って言う一つの事実に集約されると思う。
でここで高効率なシステムの基準はなんなのかとというと「HPL」と言うベンチマークですわな、HPL=LINPACKと言う認識で話を進行させるけど、HPLは本来連立方程式の求解を行う速度を競うベンチマークであって、これを皆が手放しで賞賛してるのはおかしいと言う批判が存在する。
これは一理あってすべての科学技術計算の性能向上に寄与する指標とは言いがたいからだ。
じゃあなんでこれが推されている居るかというと理由は何個かあるけど連立方程式の解を求める必要のある技術計算はとても多いから、昔からやっててデーターが揃ってるから
ここまででHPLが重要視されている理由がご理解いただけると幸いなんだけど・・じゃあ具体的に連立方程式を使用する場面を示せよと言われると腐るほどあってどれを示せばいいのかわあらんのですが・・
http://www.cs.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2012/07/05hori.pdf
まああんまり人様の研究をあれこれ紹介して間違った説明しても申し訳ないので中身には触れないでおくけど実際に連立方程式は最もシェア率が高い問題であると言う認識は持ってくれると
話が早い
まあさっきのXeonでいいじゃんって話も一理あって性能が低くてもx86_64時代のコードそのまま使いまわせるし、さっきあげたユーザー側から見た時楽ちんであるのは事実だ。
なによりintel C++/Fortranコンパイラと言うクソ便利なものがあってライセンス料払うとある程度勝手に高速化してくれたりするし使いまわせるコードも多い
まあPEZY-SCよりXeonのほうが計算機を研究してるわけじゃない物理学者とかの各種研究者エンジニアからすれば魅力的な点が多いのは事実だと思う
だからと言って計算機科学としての計算機の純粋な性能向上を主とする研究・開発成果を邪険にしていいわけないしまた別の問題、確かに商業ベースで考えたとき
これらの問題をどうにかしないといけないのは事実だし改善して行かねばならないのはPEZYやエクサスケーラーの各位に残された課題であるのは間違いない。
だが少なくともまだこの世に銀の弾丸となりうる万能システムは存在しない。
もしあるなら俺にくれ あといい加減なこと言ってたらゴメン、強いひとに殴ってもらうと筋トレになる
お~おもしろい。あざっす。
・飲み屋
3件もまわってたのかw 十分くいだおれたな。コスパは満足できたのかな。
https://tabelog.com/osaka/A2701/A270102/27107883/ ここだと思うがまだ開店したばっかりでメニュー乗ってないのかー
・USJについて
ターミネーター案内役は昔は「西園寺レイ子」だったけど今は研究所員名はあんまり名乗らないんだっけな。
あと、ハリポタに夕方に入れたのはもう整理券じゃなくなってたのか、入ってすぐで整理券もらってあったのか。
もひとつ贅沢言うなら、園内一箇所だけで地味に開催してるバイオの謎解き脱出ゲーまだやってたら一人もんでも楽しめたのにな。
頭(謎解き)に自信のあるやつは、開催されてたら追加料金でも一度やってみてほしいぞ。安定のスクラップ。
先のバージョンでは2ヶ月くらい「初見でとけたやつ」がいなかったので初めて初見回答が出現したときは新聞ネタになったとか(本当かはしらんけど)。
1人でも4人でまわることになるし、ギャル率もまあまあ高い(若い人はあまり興味なさそう)
制限時間の最初のうちなら連立方程式とか英語知識ですぐとける謎ばっかりだが最後のは謎の存在そのものが隠されていてすごく難しいぞ。
は意味がある気がするが
って言うからそれを高校時代、しかも高3で学ぶ事にどういう特別な意味があるんですか?とお尋ねしたんです。
などのような全く極端な話じゃないんです。あなたも現に
と仰っているではありませんか。
余談ですが、高校時代にゲーム作るならカリキュラムに入れずとも実践を通じて自習される(しかもそれで受賞までされる)でしょうから、
やはり数学の単元として入れるにはいささか弱いのではないかなあと思います。
それと、今回の指導要領の変更に伴って行列は完全に排除されるわけではなさそうですね。縮小はしてそうですが。元増田やリンク先のまとめはちょっと勇み足気味に見えます。
それどころか、理系科目で見るとより一層の詰め込みが進んだという塾講師の発言もあるようです。
何にせよ、騒ぐほどのものではないです。
高校で行列の計算方法を習ってない事が、その後の数学の学習でデメリットになると思うか?線形独立、線形従属の概念を学んで行列式が求まること、求まらない事の幾何的な意味を知り、代数法則を知り多次元行列と部分空間の価値を理解した上でのアフィン変換行列があっての三次元CGでのアフィン変換がある。概念を理解しないで単に行列の計算が出来る程度の教育なんて無価値なんだからなくなって正解なんだよ。必要な人間は大学で線形代数をやるときに、法則と同時に演算方法の原理原則を理解すればいいし、逆行列の計算方法を覚えればいいんだよ。固有値、固有ベクトルの意味が理解できない半端なプログラマが増えてるのって、高校での機械的な教育のせいだろうとすら思ってる。行列使って連立方程式が解けることを知ってる事が、どれだけ意味あるんだろうね?
ブクマカは機械学習がーとかAIがーとか言うけど、必要なのは線形代数II以降の話で、高校でちょろっと計算方法知ったところで無価値なんだよ。逆に線形代数をやるときに変な思い込みが負債になるくらいだから無くしていいものとすら教えていて思う。教育としては線形代数で統合的にやれば良いというのは間違いじゃないから、削除は改善ですらある。畳み込みのタの字すら知らんアホが機械学習を語るなって。お前らの心配なんか無駄無駄、
“単に行列の計算が出来る程度の教育なんて無価値” ARの実装したときに行列の計算が必要になった。結局ネットで調べながらやったんだけど、過去に触れたことがあるという思いから心理的な障壁は少なかった気がする。
結局、このレベルの話になっちゃうよね。こんな程度なら「ゲームプログラミングのための3Dグラフィックス数学」みたいなラノベ(入門書)を1日読めば済む話でしかないだろう。AIを研究する人たちがどうとか言う話は情報工学科で、将来的に情報幾何が必要になった時にキャッチアップできる程度の数学教育をどこまでするのか?って話で、全然次元が違う話。情報工学科を選択する子供を増やすためにプログラミング教育を拡充していく過程で、3DCGの触りをやらせたいとしても、道具として座標変換程度のことをやるのに複雑な知識なんぞは一切要らないからな。だいたいライブラリから関数呼び出すだけで使える。
話は変わるが、数学のラノベなら「ゼロから学ぶ線形代数」がおススメ。あれなら誰でも理解できて、授業でやる計算方法の練習より手軽に線形代数の面白さを味わえる。
やる気になっている本人には言えない。
数学に関してはサボってきた娘なので、証明問題がそう簡単にできるようになるはずがない。
そもそも、中1の図形問題でひどい点数を取った後、数学をあきらめ、
何となくなら偏差値50以上の大学でないと学費は出さないぞと。
偏差値50以上の大学にいくには、この地域の高校なら偏差値57、58ぐらいの高校に行かないとつらくなる。
が、今のままでは、高校入試で数学が20、30点しか取れないかもしれない。
ということで、入試時に50点は取れるように、
まずは中2の2学期末テストに向け、毎日10分程度の数学の課題を出すことに。
10月中はひたすら計算問題をやらせ、連立方程式まではスラスラできるように。
11月からは1次関数を始め、毎日方眼紙にグラフを書かせ、グラフを見ても抵抗感が無いところまでは持っていけた。
結果、2学期末テストは、平均点以上の点数をとることが出来たわけです。
そして、12月。今でも10分程度の課題はやってもらっているのですが、
どうしても学校の授業に沿った問題がやりたいらしく、証明の問題にしてくれと言うのです。
聞くと、中学の数学はちょっとした少人数制をとっているらしく、期末テストの結果から少し上のクラスになって、
本人は嬉しいのだけれど、ついていくのが大変だと。
しかし、1年生の時の図形を捨てた娘が、そう簡単に証明問題が解けるはずが無いのです。
三角形の内角の和が、180°だということも、スっぽ抜けてしまうレベルなのだから。
さらに、文章問題が苦手。国語はできるので読解力が無いわけではないのですが、とにかく問題文をテキトーに読む。
なので、1年生の文章問題、図形問題をさきにやり、3学期末テストの証明問題に向けてじっくり進めたいのですが、
数学の授業中の小テストが出来るようになりたいが先行しまっている状態。
ここ数日、証明問題を出しては見ましたが、全く解答が進まない。見かねて、解答を穴埋め形式にしましたが、それでも無理。
これが、抵抗感なく出来るようにならないと、証明問題は無理なんじゃないかな。
「追記」
子供の能力、特に「国語はできる」に引っかかっている人が多いのですが、その通りです。
文法的なものは、全然だめ。社会や理科の暗記は得意なのだが、文法のように構造を理解するのが苦手なようで。(地図の読めない典型的な女性なので・・・。)
それと、出来なさ加減の脚色が強すぎましたね。明らかにやる気出ねーってときのを、さもベースであるかのように書いてしまいました。すみません。
なので、本心で「捨てろ」なんて思っていませんよ。
それと、大学進学の話にもにょる人も多いようですが、私の考えは、なりたいものが無なら大学なんてどこでもいいと思うし、得意な科目で入れるところに入ればいいと。なりたいものがあるのなら行かなくてもいいとも思っている。まだ何になりたいとか決めてはいないようなので、(中2の思春期娘がクソ親父に話はずもないが)とりあえず、偏差値50以上の大学という目標を設定しているだけです。(親としては国立や慶応早稲田に行ってたら嬉しいですよ。)
なので、勉強なんてやりたいと思ってからやればいいと思うし、子供も良い点数は取りたいのだから基本は言わないでも頑張っていますよ。
ただ、中学のうちに超不得意な科目は作らないほうがいいと思うのです。偏差値30〜40みたいな状態になってからでは、ちょっとのやる気じゃ復活は難しい。それこそ、なりたいものがあるとか、行きたい学校があるとかではないと難しいでしょう。
なので、偏差値50を下回りだした数学を少し引き上げておくという考えで、家庭学習にちょっと課題をプラスしているだけです。
というか、ガッツリ勉強教える時間はないし、思春期娘が従うはずもない。それこそ、塾や家庭教師のほうが楽なのですが、まだ行きたくないそうです。
という状況で、まだしばらくは数学を見ようと思っていたので、塾の方のアドバイスは大変ありがたいです。自分のなかで、中2と中3の証明問題の違いをちゃんと把握していないく、ちょっと挫けていたことに反省しました。
●×●=256が解ける子解けない子の差
http://president.jp/articles/-/23368
Q:AD=CD、BC=10cm、四角形ABCDの面積が64平方cmのとき、辺ABの長さは何cmですか。
辺ABをx(cm)とおく。
この四角形は∠ABCと∠CDAの対角の和が180°なので、円に内接する。この円の中心点をO、半径をrとする。
また、ACに対角線を引いておく。
∠CDAは、弧ACに対する円周角で90°なので、ACは円の直径になり、中心点OはAC上にある。
二等辺三角形DACの頂角Dから底辺ACに垂線を下すと、垂線は底辺ACと直角に交わり、底辺ACを二等分する。
S1 = 1/2 × 2r × r
S1 = r2
S2 = 5x
四角形ABCDの面積は
r2 + 5x = 64
r2 = 64 - 5x ...(1)
(2r)2 = x2 + 102
4r2 = x2 + 100 ...(2)
(1)と(2)の連立方程式を解く。
(2)に(1)を代入
4(64 - 5x) = x2 + 100
256 - 20x = x2 + 100
x2 + 20x - 156 = 0
(x + 26)(x - 6) = 0
x > 0より x = 6
よって、6 cm
僕はずっと「プログラミングはむしろ文系なんじゃね?」と思っていた
プログラマーに必要な才能は一般的な文系理系のイメージからすると、むしろ文系だと思う
前者は読解力であり、後者はボキャブラリーとか処理能力とかサービス精神が大事だと思う
プログラミングにおいては、前者は理解する力であり、後者は実装をどれだけ分かりやすく簡潔にするかって事になると思う 職業プログラマーにはどちらも大事な能力だ
でそっから色々調べるようになり、つまり文系も理系もクソもないな、という事になって、結局その境って、思考をどこまで略するのか、そんな事にしか過ぎないなと思った
理系は苦手なので…っていうのは、事象を略しすぎている表現に拒否反応が生まれるからだろう
つるかめ算と言われると、理解しようという気が起きるが、連立方程式と言われると、知らんがなとなる
最近Twitterで話題の、重力波をわかりやすく解説してみたみたいなのを見ていて、まぁ、よく分かんなかったんだけど、でもそれがコードの中に出てきたら僕はまだ分かる努力を最大限にするような気がする