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はてなキーワード: 文法的とは

2024-04-16

anond:20240416170157

読んだよ。お前の全力の使い方と違ってなにひとつ文法的問題ないまともな日本語だったよ。

2024-03-13

anond:20240313131301

そういうのをメインストリームでも許容すべきなんだよ

淫夢ゲイ差別からまずいがそれでも淫夢コンテンツ独創性は眼を見張るものがある

もっとマシなジャンルで言えば東方だな

Zunが「俺様の作ったもの勝手に使うな!」というケチ人間だったら東方はここまで大きくならなかった

関係ないけど日本人英語学習において文法固執する傾向がある

外国人(と一括りにするのもあれだが)と比べても文法的に正しい文章を書かなければならないというこだわりが強い

日本人文法へのこだわりの裏には猫ミームに対するような厳格な法令遵守意識があるのかもしれないな

2024-03-01

数学必然性は実は人間言語分析能力によるものなので、言語能力が異なる宇宙人とは、数学的語彙が共有できない可能性があるんですよね~


なぜ数学言語能力関係するんだ?と思う人は、以下のノーム・チョムスキーの有名な、無意味な二種の文を見ればわかってもらえるかもしれませんね~

・“Colorless green ideas sleep furiously.”(「無色の緑の考えが猛烈に眠る。」)

・“Furiously sleep ideas green colorless”(「猛烈に」「眠る」「アイデア」「緑色」「無色」)

前者は文法的には正しいが意味が無い文で、後者文法的に正しくないか意味がない文、ということはわかっていただけるかと思います

しかし、上記二種の文は、両方とも経験的には何も想起させないがゆえに、経験的には同様に意味の無い文です。

ということは、経験こそが認識の基礎、基底である考える人にとっては、二種の文の違いを説明することができないのですよね~。

なぜならそのどちらも経験することができず、経験による理解が基底であると主張するのだから経験的基底において違いのない(意味のなさ、指示対象存在しないという点において同質という意味)上記二種の文の本質的差異(基底的差異)を指摘することができないのですね~


現代言語哲学、そして現代論理学の基礎を作ってきた哲学者たちは、数学必然性がどこから来るのかという問題について、

文の経験理解よりもに、文の文法的分析が先に行われる(そして数学必然性は、文法分析に基づく理解のものから正当化可能である)ことを示すことによって、

経験的(アプリオリ)論理数学必然性正当化可能であることを証明してきたんですね~

例えば上記二種の前者の文でいえば、経験できないにもかかわらず文法的に正しいことが理解できるのは、まず文法分析が先に行われ、その後意味解釈に失敗するから無意味なのであって、その逆ではないのですね~

そして数学で扱われる文、例えば2+2=4は、なんらかの経験を前提せずとも、形式的理解(つまり文法的理解)から正当化可能であるがゆえに必然的(=非偶然的、または前経験的)なのですね~

そして例えば上記二種の文とは別の有意味である文「無職緑色ジャージを着た男性が猛烈に眠る」であったとしても、まず文法的理解が先に行われたあと、その意味解釈を行うことができるがゆえに有意味なのですね~

プログラミング言語だって、まずどれが変数で、その変数に何が割り当てられているかといったセマンティクスよりも先に、シンタックス分析が行われますよね~


から数学必然性は実は人間の前経験的な言語分析能力によるものなので、言語能力が異なる地球外生命体と遭遇した時、数学的語彙が共有できない可能ももしかしたらあるのかもしれませんね~

なぜなら我々の理解する必然性とは、我々の言語分析能力に基づくものであって、よそから来た宇宙人にそれが期待される理由がないからですね~

2024-02-29

anond:20240229234502

テキストは発信された時点であなたテキストの神ではなくなりどう読まれようがそれが文法的妥当解釈なら尚更読まれた方の責任

殺人予告して俺はそんなつもりないって言っても通らんぞ

2024-01-26

anond:20240126053534

(受身の助動詞「られる」ではなく)受身の助動詞「れる」に接続してるだけなので、文法的には問題無い。

ただ、最近受身可能尊敬助動詞「られる」について可能/尊敬区別させるために、可能場合は「れる」に変形する「ら抜き言葉」が普及しているので、「れる」の可能ニュアンスが強くなってるかもしれない。

それと、「れる」は「られる」より口語的ではある。

大辞林の「れる」の解説は以下のとおり。

「られる」と意味用法は同じであるが,未然形がア段となる動詞には「れる」が付き,それ以外の場合は「られる」が付くというように,接続のしかたに分担がある。サ変動詞接続する場合,「出席される」のように,未然形のうち「さ」に「れる」が付くのが普通であるが,書き言葉でのやや改まった言い方では,「出席せられる」のように,未然形のうち「せ」に「られる」が付くこともある。の可能の意では,現代語では普通「行ける」「登れる」などのように,可能動詞で表すことが多い

2023-12-28

「○○しておらず」というべきところを「○○していなく」というのが嫌いなんだけど

文法的に正しくても気色悪いわ

2023-12-27

anond:20231227175721

純粋理性批判みたいな、文法的に正しいけど文法構造が超入り組んでて一つ一つの単語同士の意味上の結びつきも密接な文だってお前は読めないだろ

anond:20231227174606

もはや文法的には間違ってない(重複は多いのは認める)間違ってると確固たる論拠なく密結合がうんたらかんたらとか勝手な前提やひねくれた理屈でごねてるのはあんただけ。

anond:20231227163645

とはいえ言葉がタブってるから文法的に間違いという事には少なくともならないわけで。

人によってはそっちのほうがより明示的でわかりやす可能性まであるのでは?

2023-12-25

anond:20231225113134

口語体文法的に誤りだろうか?」 うんうん。良い設問ができたな。論文検索とかしても普通に良い話出てきそう。

 

所説立場あるとしか言いようがないが、俺が思うに、口語体別に文法的に誤りではないと言うしかないのではないか? だって通じているだろう言語が。 

だが、フォーマルインフォーマル区別はある。「フォーマルの場で使うことのできない文法は厳密には誤りである」という立場も、取れなくはないな。それだと、誤った文法インフォーマルでは使うことができる、という立場も同時にとることになるけど。

あとそれだと、敬語を使わずに書かれた会話文は文法的に誤りである、みたいなおかしなことは起こると思うんだよね。

 

まあ俺の話とかきかなくても、それこそgoogleかに聞いたり本探したりして、面白くなると思うぞ

anond:20231225112822

口語体文法的に誤ってる可能性があることも前提としてあるのか?それって文法定義矛盾してない?

文語文法としては誤りだけど口語文法としては正しい、(口語文法の正しさ⊃文語文法の正しさ)というならまだ理解できるが… 

anond:20231225112654

文法的に正解/不正解」以外にも

 

口語体文語体」という区別もある

 

お前の言うことは全てそれで解決する。正解/不正解だけで考えるからおかしなことになる。

「い抜き」言葉、つまり「やっている」を「やってる」と言ったり書いたりする例は、文法的には間違いとされて(い)ますよね。こういうことは先に話すことのなかで起こるのでしょうか?

まり動詞終止形連体形と同じ形で書くのはもともと文法的には間違いだったわけですが、これが正しいとなる過程のなかでは、連体形と同じ形で表現することは、書くことにおいてではなく話すことにおいて先に始まったのでしょうか?

それで話しの中での使われ方に押されて、書くときにも使われるようになり、なし崩し的にそっちの方が文法的に正しいということになっていったということなのでしょうか?

い抜き言葉話し言葉の中でいくら多数派になったとしても、それだけでは文法的に正しいということにはなりませんか?必ず書き言葉世界でも圧倒的に多数派になる必要があるのですか?

どうにも「文法的に正しい」という表現自体が腑に落ちないのです。誰かなんの権限でもってなにを基準に正しいとか誤りとか断じられるのかと思ってしまうわけです。

文法母語話者表現なかに見いだされる法則、なら、「い抜き」言葉はすでに法則と呼べるレベル通用してると思うのですが。それを「いや、文法に即していない」といえる根拠ってなんなのでしょうか?たぶんその根拠に立つと、終止形連体形で表すことだって文法に即してない」ということになるように思えるのですが…。

2023-12-24

anond:20231223213631

ブコメもだいたい「そりゃああるだろう」「そういうもの」「内心はそりゃね」くらいの空気感なの結構意外

それは「ある」のは当たり前だし内心の自由では無論あるけど、きょうホッテントリにあがってた

https://naokoiwanaga.theletter.jp/posts/42d7a3d0-a08d-11ee-af3e-3ffd3f062c27

こういう事態とか、他だと陰謀論や反ワク反標準医療とか誰かの「小さなつぶやき」がきっかけにすぎない諸々の悪意や恨みつらみが増幅加速された結果のニュースを日々目の当たりにしてるのに

悪意や正当化の増幅加速装置みたいなXで医療関係者を名乗る人間もっともらしく公言することによって、さらにそれに同意のほか諦念や冷笑の反応が積み重なることによって

そのポストに含まれている意地悪や悪意やほかの含意が受け取り手によってさら曲解されたり増幅され続けながら拡散され現実のものとなって

排除正当化差別心の肯定によって実際の行為ハードルを下げることを煽る危険性は確実に以前より強くなってるし、実際起こってるのは間違いないなあと感じる

そういう「流れ」のできる状況の危険性の話を元増田はしてるのかと思ったからほんま意外

ブクマカ結構まだ「Xは内心のうち」派が多いのかな

比較的)閉じてた頃のインターネットと同じでない以上それこそ虐殺文法的なこと起こってる気がする

こういうポストしてる人のうち自分がそういう空気や流れを作ってるって自覚ある人はどれだけいるのかな

イヤだけど釣りとかぜひそうしてやろうという悪意による扇動100パーの動機の方がまだマシに感じる イヤーな空気

2023-12-20

「おささる」は文法的に合ってると思うけどね?

https://anond.hatelabo.jp/20231219211228

 

たまに標準語で「これ文法的に成立するけど使わないね」みたいなのあるじゃん

ゆる言語ラジオとか見てるとたまに出てくる

 

おささるはその類だと思って使っていたし

「通じない人もいるかも」と思い控えているときもある

 

押す 動詞自分がやってる

押される 受動

押すされる 自分がやったけど受動的であった

→ 押さされる

→ 押ささる ら抜き言葉

 

押さされた 過去形

→ 押ささった 文法上の変形

 

まり、「される」をつければ受動であるが、受動的を「意図してない結果」と捉えるとこういうルールになる

 

食べる 動詞自分がやってる

食べられる 受動

食べるされる 自分がやったけど受動的であった

→ 食べらされる 文法上の変形

→ 食べらさる ら抜き言葉

 

食べるされた 過去形

→ 食べらされた 文法上の変形

→ 食べらさった 文法上の変形

 

2023-12-17

anond:20231217125740

この文章は、文法的正しい日本語で書かれていますが、内容に一貫性がないため、意味が通りません。この文章の内容が意味を成していると考えられる場合は、その旨をフィードバックしてください。

2023-12-06

google翻訳文法的に正しくない場所で"together"が使われてると"Togetter"に変換するの草

2023-12-04

文章が変とはそういうことではないと思う

文章が変と検索すると、読点が多すぎとか、そういうをそうゆうと書くみたいなタイプに対して変と言ってる知恵袋質問が出てくるが、これらは変な文章本質を突いてない思う。

たとえば下記は推敲前のとある文章

それか他の分野ならともかく、redditでたまに単発で気まぐれに誰かが支援絵が流すようなパターンを抜きにして、ここに書き込まれたことがあるようなehen獣等以外でこれらにアップされてない作品があってしかも品揃えも豊富ってところはもう残ってないのかな?

海賊版エロ漫画界隈は開拓されつくされてるのかね?

下は推敲

それか他の分野ならともかく海賊版エロ漫画界隈は開拓されつくされてるのかね?

redditでたまに単発で気まぐれに誰かが支援絵が流すようなパターンを抜きにして、ここに書き込まれたことがあるようなehen獣等以外でこれらにアップされてない作品があってしかも品揃えも豊富ってところはもう残ってないのかな?

実際はまだましになったという程度かもしれないがとにかく上の方はひどいと思う。文の流れになんとも言えないおかしさがある。

これは匿名掲示板に書き込んだ文章なのだが、下の方がまだ掲示板空間になじむものになっていると思う。上は完全にもろ発達障害こじらせてる感じ。

ようするにネット検索トップに出てくる例は単なる知識不足意図的ファッション感覚でそういう「書き方」をしてるだけで、書き手本人が悩む対象という意味での変さじゃないのよ。

そうじゃなくてどうしたって不自然ななんかすわりの悪い文章になってしまう、本人は泣くほど大真面目に推敲してるのにってのが一定数あるわけで世間はそちらに注目するべきだ。

情報文章の組み立てに最適化される形で整理する力、適切な構文の取捨選択みたいな力が絶対的に低いんだよね。そしてそれは一朝一夕で磨かれるものでもなければ努力で才能優位な側面があるので埋め合わせできるものとも限らない(単に文法的おかしいとかならいくらでも参考書があるけど、この手の変さは体系的かつチャート式推敲できるようにするような特効薬的な事例集、参考書が皆無)。

ようは下みたいな名物スレのまとめがわかりやす

ワイの日本語なんjおかしいって言われるんやが・・・

http://koredakedeok.blog.jp/archives/83807918.html

2023-11-07

マナー講師嫌悪する奴ら

正直言って俺も胡散臭いと思っているし、信用もしていない。

大方の意見ネット民と同じだと思っていい。

しか提言するべきことがある。

重要なのはマナー講師を何故胡散臭いと感じるかだ。

理由簡単マナー講師の奨めるマナーというもの一般的ではないように感じるため。

まり恣意的なんだよ。

マナー講師独自マナーを作ってそれを流布しようとしている。

けどそれって、あなたルールですよね?というわけだ。

だが少し待ってほしい。

恣意的ものというのは果たしてマナー講師マナーだけだろうか?

本題に入ろう。

ここから言語の話だ。

日本人であれば当然「てにをは」のことは知っているだろう。

掻い摘んでいえば助詞の使い方についてであり、文法規則のことだ。

例えば、次のような文章があるとしよう。

1.私は増田が好きである

2.私は増田は好きである

一般的に正しいのは1。

では2はどうだろうか?

違和感を覚える?そうだろうね。

でも、2が間違っているわけではない。

それはただ読み難いというだけに過ぎない。

しか試験で2のように書けば×をもらうだろう。

そもそも我々が「は」を「が」と同様にしない理由はあるのだろうか。

はっきり言おう。

そんなものはない。

そこに必然性はなく、あるのは恣意性のみだ。

馬鹿を言うな。そんなことを是としてしまえば世が混乱する。

ええ、その通り。だからこそ世の中のルールというのはおおよそが恣意的である

にもかかわらず、恣意性であることに気づいていない人が大半なのは悲しいことだ。

しかしこれは悪いことではない。寧ろ必要なことであり通念がなければ社会は成立しない。

要するに、社会というのは洗脳されなければ成立しない。

からこそ必然性のない恣意性を我々は教育として受け入れ、それを是として正しいと認識する。

緩やかな洗脳必要悪。それは洗脳と呼べばそうであろうし、常識と呼べば好まれる。

からこそマナー講師糾弾するというのは同時に、自分洗脳に対する嫌悪でもあるはずなのだ

世はSNS全盛期。

人々は情報に踊らされ、偏った情報洗脳されている人々を笑う。

洗脳されている奴らを洗脳されていることに気づいていない奴らが笑う。

人生喜劇である

巷でたまに聞くこの言葉意味は、そういう意味なんだよ。



追記

拙い文章ながらブクマコメントいただきありがとうございます

初めての増田投稿のためドキドキしながらも嬉しいです。

そしてコメントにおいて何点か気になるものがあったため追記しました。

君は自分が思ってるほど頭良くないし作文も上手くない。もってまわった言い回しを全部切って文量を半分にすると頭良くなるし作文も上手くなる。騙されたと思ってやってみな。

まず、これは頭が「良い」や「悪い」の話ではありません。

そのため本文の内容を理解できたのであれば感想として「頭が良い」「頭が悪い」といったものは出てきません。

何故なら本文が示す意味準拠するものを問うからであり、意味理解したなら「そもそも頭が良いとは何か?」といった感想になるはずです。

まり「分かりやす文章を書けた方が”頭が良い”のならば、その分かりやすさはどの程度の知能を基準とするのか?」という問題です。

本題と言いつつ本題ではない部分だけど、文法的に通じることと同じ意味として通じることを混同している。愛の告白をする時に「僕は君は好きだ」なんて言ったら十中八九「じゃあ誰が嫌いなの?」って返されるよ。

あえて混同させています

その上で「じゃあ、どうしてそれを”混同”と呼び、差異を認めるのか?」といった話です。

ただ例として出した文章が分かり難いといったことは否めず、それは完全にこちら側のミスと言えるでしょう。

すみません…。

格助詞「が」と副助詞「は」は同じではないよ。

問題は、それら「が」と「は」が同じではないとして、では何故同じではないのか?という話です。


本文を書くきっかけは、部下と言語についての話をしたことでした。

私は言語学や記号論を学んでおり、当時はそれらが時代の潮流に乗り、栄えた時代でもありました。

部下は著名な大学を出ており、専攻は文学と聞いていました。

そこで私がジェラール・ジュネットマリー=ロール・ライアンを持ち出して話をしたところ、ポカンとした表情を見せられ、

じゃあロラン・バルトについてはどう思うのかと聞きました。

すると彼は「それってガンダムキャラクターですか?」と笑って尋ね、私は愕然とし、構造主義としての思想はもはや廃れてしまったのか?

憂慮する思いを抱きつつ、多少の啓蒙目的で本文を書き記した次第なのです。

2023-10-10

新海誠の好きなところと微妙なところについて書く

あんまり映画を観る方じゃないけれどね。

ほしのこえ

記憶は定かではないが、おそらくこれが最初に見た新海アニメ

大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。

この作品が好きだったのは、クラークイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星風景描写があったことだ。僕が映像作品評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星イオあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインから携帯メールにも確かクラークへの言及があった。

また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。

敵方宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨エヴァの影響を受けているし、詩的な文章村上春樹フォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督作品もっと見てみたいと感じた。

「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分好意を寄せている女性視点失恋の話だった気がする。

雲のむこう、約束の場所

僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空歴史知的早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道メガストラクチャーという、自分想像力はるかに超えた世界を見ることができた。

もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど主人公のやっていることはテロリズム肯定だ。

テロ組織名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン樺太先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロイン祖父名前キノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族悲劇は、ごくわずしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。

にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。

そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれ北海道の美しさで息をのんだ。

自分青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲映画呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。

秒速5センチメートル

退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星風景は、僕が創作していたSF小説舞台として何度も用いた。

そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。

振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期から初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。

後に、貴樹をはじめとした新海アニメ主人公たちはどうやって童貞卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。

星を追う子ども

激しくツッコミを入れながら観た作品

統一感のない固有名詞(※僕はファンタジー名前を付ける際には一貫性必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数言語から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写主人公明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカ揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠思い入れを持っているように感じてしまったところだ。

愛するもの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワード村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか

冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。

この頃から、新海アニメを僕はさら批判的に見るようになる。

しかし、作者の意図性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。

言の葉の庭

言いたいことはたくさんある。

けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞説明してしまうこと」だ。

最後タカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽映像がうるさいなので、台詞なんていらない。

海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画受け手を見くびるな」とも感じた。

そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。

ただ、この頃から日本古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやか愛国心が満たされる。

僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。

君の名は」「天気の子

観ていない。

言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。

君の名は」の予告の「スカート注意、男子目線!」といったセリフにも、新海誠性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。

これは男子出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。

「すずめの戸締まり

ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。

「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。

被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性自分自身だったってのも良かった。周囲の支援必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。

ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。

今まで肯定的だった(あるいはマスコットしかなかった)猫が、ダイジンという善悪不明存在になったのも面白い。

今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。

恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督大人になったんだな」と感じた。

それでも無念な個所はある。人口希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代から出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。

あとは、震災描写リアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。

ところで、この作品村上春樹かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車ドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松ドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。

そのくせ、村上春樹オマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。

疑問点。すずめの三本足の椅子過去自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか? 

その他

どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。

当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。

あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。

でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けクリエイターから国民監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。

まとめ

こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?

これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情ラブコメ苦手だし。

2023-10-06

いち編集記者として今回のジャニーズ記者会見についてまじかよ……ってなることが多すぎる

  1. 事務所声明文のひどさ(文法的な誤り)
  2. 氏名NG匿名希望 だと主張する人の論理のひどさ(記者会見の仕組みを理解しないままの擁護
  3. 二次ソースだけではなく一次ソースを当たってニュースを出していることに対する謎の批判報道ルール

2023-10-05

違和感を感じる」って文法的にはおかしくないよな

ただ同じ言葉並んでるのダッサwってだけでしょ

違和感を覚える」ならOKっていう風潮もあるけど

その覚えるって感じるって意味とほぼ変わらないでしょうが

2023-09-27

anond:20230927013350

しばらくトラバしないことで相手が「もうトラバしてこないだろう」と安心したタイミングを狙ってトラバぶつける手法もあるし、俺もすることあるんだけど、「気にならない」か。そうかそうか。

あと相手レベルを合わせて返してると言ってるけど、思い上がり甚だしいね自分よりレベル高いのが相手じゃ、近づけることはできても合わせようがないよな。

以下お前がそこまでのレベルに達してないことが読み取れる事例をお前の今までの投稿から挙げていく。

まず「お前社会人やったこあんの?」みたいなこと言ってるトラバしたすぐ後のトラバで、増田ボリューム層は40代無職大卒と言ってるところ。

これが60代無職だったらまだ定年年齢なので理解できるが、40代無職なら氷河期の影響もあるかもしれんが、だいたいは本人に致命的な問題があって一度も雇用されずに今に至ってる人たちと読み取るよね。

まりお前は「社会経験がない」とレッテル貼りする貶め方をしたすぐ後で「社会経験がないやつ」がボリューム層であってそいつらが俺より優っていると言ってるわけだ。支離滅裂だろう。

多分出まかせで適当言ってるからこうやって書き込み間の整合性が疑わしい状態になっていくんだろう。今俺がこう書いた後で「実はお前の言った通りのことを考えていた上であえてそうした投稿をしていた」と書いてもクソダサ後出しじゃんけんしかいからな〜。

しか無職ボリューム層と言ってる一方で「職は見つかった?」とさも無職が劣ったものであると言う前提の指摘をするのもちぐはぐしてるね。

そもそもはてな統計を参考・準用にしてるんだとしても、もし「無職」がボリューム層なら、年収統計所得0で最大になってなきゃおかしいだろっていう…。

焦点を合わせてるのはお前しかいないってのも何言ってるんだって話よ。

相手レベルに合わせて返す」を要素分解して「投稿は返す」かつ「投稿相手レベルに返す」と解釈したとき、前者に焦点を当てればお前は必ずトラバを返す人間なんだなって解釈できると言ってるだけの話なんだが。つまり相手レベルに合わせて」という修飾語句がついてようがなかろうが、「返す」という文言だけ見ればお前の執拗性が読み取れるって意味だよ。焦点を当てても当てなくても結局は「お前は投稿を返す」ということが読み取れるのは論理的に同じなのに(焦点を当てるという手法の有無の差でしかない)、俺以外の誰かが焦点を当ててるかどうかになんの意味があるんだって話になる。揚げ足取りにすらなってない。

ガソリンスタンド店員クーラーオイル補充するなんて整備まがいなことはしないのに適当言っちゃうのもスタンド店員エアプがでしゃばったバカ発言しかない。車体を拭くのを整備に含めるなら整備まがいと言うと語弊が出るけどその辺がせいぜいだよ。

法学生の尻馬に乗ってる」もなかなか支離滅裂レッテル貼りだったなあ。

これって法律談義を素人がすると悪影響とトラバしてる増田と、著作権保護させられて可哀想と言ってる増田が同一人物という前提がなきゃ成立し得ないことなんだが過去にも俺はそこ突いたのにお前はスルーしてるんだから今に至るまでのトラバ役割的に「逃げ口上」と解釈できる状態なっちゃってるというね。

保護させられて」と書いてあるだけで法律わかってないと勝手に察するのも意味不明だったな。

たとえば「ごりらがりんごを食べる」と「ゴリラりんごが食べられる」は、文法的構造は違っても、その指し示す物理的・現象的な在り方としては同一の事態を指している。書き手視点が違うだけ。

となれば「著作権保護する」「著作権保護させられる」も物理的というのは語弊が出るが現象としては同じだ。お前の言ったなんちゃら法理を理解してようがしてなからろうが、ものをいう時の視点が独特なせいで「させられる」って言い回しになってる可能性は否定できないよねって話。

ひじきのたとえも、確かにひじきのような食べ物に関しては一生断続的には食べ続けることが前提だから次いつ食べるかなど予測がつかないけど、増田場合どのぐらいの期間までツリー書き込みした後その後は見てもいないってことはある(俺でもある)からそうした過去の事例からぼんやりとでも自分が同一ツリーにどれだけ飽きずに入れ込めるかって予測が立てられるものだろ。なのにひじきをいつ食べるかと同列にして常識が無いって発想になる方が頓珍漢だ。

無意味投稿をすることがあるのもライフワークとしてこういうことを続けるのにいつでも意味にある投稿をする意味がないからだな。俺にとってはとりあえず相手が黙るまで投稿できたら自分の中で勝ちすなわち満足なので、投稿の内容にそこまでこだわる意味価値観上ないんだよ。だったら無意味投稿の方が手間がかからないしライフワークとして続けやすいってことはわかるだろ

しろ馬鹿馬鹿のふりしてるみたいな可能性よりこっちの方がよほど自然シンプル心理なのに、この心理に思い至らないってのは常識がないとか以前に根本的に頭悪いよね。

から、俺の投稿AIみたいとお前はいったが、なんなら言及を検知するたたびにAI自動投稿するようにしても別にいいわけよ。

でもAIだと警察が動くこと書きかねないことかんがえつと現時点で運用は難しいよねって話。

小女子の事例みたいになりうる文章人間だったらそれそのものじゃなくてもそうなりうるか判断ができるが、AI投稿を任せっきりにするってことはこうした判断まで任せっきりにしてしまうってことだからな。

まあそういうわけで俺も大した頭じゃないと思うけど少なくともこんな粗だらけののこと言ってるお前ごときが俺より頭いいなんてのは天地がひっくり返る可能性よりも低いかなと。

納得したら言い返さない?お前レベル発言には納得する要素がないってだけしゃん。(納得してても言い返すこと自体はするけどね。そういう意味自己紹介ってのはその通りだが俺の紹介になってるからお前の紹介になってないとは限らないので反論になってない。だから、お前はどうなの?)

2023-09-22

日本人の半分は文字は読めるけど文が読めない

TwitterXで話題になったこ

彼はお金がない( )車を2台買った。

「ここが”ので”じゃなくて”けれども”になる理由が分かりません」

これについて「文脈がわからいから、どちらか決まらない」とか「文法的にはどちらも成立する」とか、全然文が読めていません

「本当は3台買うつもりだったけど、お金がないから2台にした」とか、問題なのだから書かれている情報以外の事は考えてはダメなんです

ここで考えるのは「~がない」というネガティブ状態 と 「~を買った」というそれに反する行動結果

ネガティブ状態 → 行動した」

という矛盾対立関係を考えたら、接続詞は「のに」「けれども」という逆説しか選択肢はないんです

でもそれがわからないというのは、文が読めていないんです

文を読むというのは

「具体的な事柄抽象化判断

このプロセスのことです

文脈がわからいから」というのは、入力情報が少ないということです

これが多くなればもちろん正解する確率も上がりますが、それは大規模言語モデルであるChatGPTと同じレベルってことです

 

※参考

東京外国語大学言語モジュール

https://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/ja/gmod/contents/card/082.html

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