はてなキーワード: 統計処理とは
プログラミングの本は沢山あるけど、一通りやったあとに躓く。
現実世界といざ直面すると、センサーで取ってきたデータはノイズだらけ。
単純にフィルタを入れればとなるが、どのフィルタをいれればいいだとなる。
数式をコードに起こすときも、かなり大変だ。この数式どうやってコードにすればいいのかと悩む。離散の取り扱いが難しい。
統計処理についても、実際のデータだと正規分布に従ってくれてればいいが、ピークがわかれていたりすると、
そこからどうすんだとなる。
成分が違うものが混ざってるから分離すればいいというところまでは考えがいくが、統計の本を見てもどうも書いてない。
そして知らない数学の関数だの、アルゴリズムがポンポン出てくる。
キーワードしらないと探せないのが辛い。
座学よりさきに、別の実習で
たぶん、まだ統計の授業とかまだだと思うけど、冊子読めばわかるから」
ってなノリ。
「ユウイサケンテイ?何じゃそれ?対照群と明らかに数字違うのに、なんの儀式よ?」
さっぱりわからなかった。
大学ってのは、高校と違って数字が出てくる実験をやるとこういう儀式が必要なのかと思った記憶しかない。
今思うと、あの実験データに対して本当にt検定を使うのが正しかったのかも怪しい。
そうこうして、1年の後期だったか2年次だったか、統計の授業を受講する。
気持ち悪い積分記号がたくさんだけど、ふんわり式の意味さえ理解しとけば方程式みたいに解かなくてよいらしい。
教科書の式に四則の計算をして、数表に当てはめればいいなら苦じゃなかった。
帰無仮説と対立仮説を立てるっていう基本をすっとばし、とりあえずテストの点さえとれればいいと思って適当にパスしたせいか、まったく身にならなかった。
「なんかよくわからんから全部t検定じゃダメ?等分散が仮定できるかどうかとかようわからん。F検定すりゃいいの?もう全部ウェルチでよくね?」
『実験計画と分散分析のはなし―効率よい計画とデータ解析のコツ』大村平
読んでるうちに
ってなってきて、今までぜんぜんわかってなかったことを知る。
大学院の指導教員のゼミ指導があんまりにもずさんで,ほとほと困っている.
代わりに各指導教員はなんかしら専門知識を身に着けている(ということになっている).
で,うちの教員の場合それが「アンケート設計」と「統計処理」なんだけど,
アンケートの設計も統計処理もその解釈も,まー適当なんだよね.
「地球では1901-2010年の約100年の間に19cm海面が上昇しました.これは地球温暖化が原因です.これを踏まえてあなたは,レジ袋を貰わずにマイバッグで買い物しようと思いますか?」
「タバコの副流煙には、主流煙よりもずっと多くの有害物質が含まれています.これを踏まえて,あなたは分煙に協力しようと思いますか?」
みたいな聞き方を平気でする.
重回帰分析ひとつ取っても標準化係数とその有意確率しか見ない.
決定係数がどんなに低くても気にも留めない.
決定係数が負の分析結果を掲載した論文が査読通っちゃったところなんかも見た.
分散分析なんかも頻繁にやるのにゼミ中"交互作用"って言葉を一度も聞いたことがない.
「ニューラルネットワークは分析の仕組みがブラックボックスだから信用できないんですよね」だって?いやいやあんたt検定の仕組みも説明できないんじゃないんですか?
「アンケートの打ち込み終わったなら,○○分析と××分析と△△分析,全部1日で終わりますね」?そりゃ多重共線性のケアとか決定係数とか気にしないあんたの適当な回帰分析なら1日で終わるでしょうけど?
「良い結果出ましたね!」とか抜かしたりする始末.
その教員とはB4からの付き合いで,最初は指導内容に違和感なかったんだけど
他所の研究室の話とか,真面目にデータマイニングやってる先生の話とか聞いて,
最近になって自分のところの研究をちっとも信用できなくなってしまった.
こんな教員でも「結果」さえ残してしまえば出世できてしまうのが研究職というものらしく,
去年,准教授から教授に昇進している.今まさにノっている教授,というわけである.こちらとしては非常に面白くない.
あの人が学術的にやっていることといえば,ゼミで学生が「作り出した」相関を世に公表していることくらいなのに.
そんなこんなでこの人の下で研究なんてまっぴらごめんなんだけど,
大学院最初からやり直すのも,こんな理由で1年分納めた学費がおじゃんになるのは嫌だし,
かといって思い切って退学してしまうのも将来性がなさすぎる.
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1909/27/news026.html
これ。
元ネタは https://www.expatexplorer.hsbc.com/global-report/ に載ってるランキングで、日本が32位になったことについて
憤っているらしいブコメが散見されるが、それについて思ったことを記してみたい。
1.これってHSBCの駐在員に聞いた偏ったランキングでしょ?
Helpによると、HSBC expat (オフショア銀行の業務を担うHSBCの100%子会社)がその顧客のみならず、広く海外駐在員用のSNS等から
回答を募ったもの(※1)。従って、以下のようなコメントは的外れと思われる。
id:moons 英国の金融大手企業で自社の駐在員にどこで働きたいか聞いたんでしょ
id:fefefefe 調査対象がHSBCの駐在員だけ?
id:otihateten3510 なんか分析が雑じゃね? 「HSBCホールディングスが各国の駐在員に聞いた」
各国駐在員=HSBCの従業員ではないだろう。外国人駐在員視点という偏りはあろうが、
回答した各駐在員自身のことについて述べているのか各駐在員の分析によるものかどうかはわからないが、調査項目は
政治的・経済的安定性、可処分所得、所得、身体的・精神的健全さ、キャリア上の進歩等多岐にわたり(※2)後者の可能性が高いし
id:next_neet あくまで(多くは先進国出身であろう中流ホワイトカラーの)expat=駐在員を対象としたオンライン調査の結果なので
id:halpica 「各国の駐在員」というのは多分エリート
id:Shin-Fedor “「各国の駐在員が働きたい国ランキング」”だから、わりとビジネスエリートの話
FAQによると33か国しかないのは統計処理上回答者が100名以上必要で、それを満たす国を選んだとのことである(※3)。
id:electrolite 露ベルギー蘭エジプト韓国あたりがなく33ヵ国の選定基準は何?
(終わりに)
外から働きに来ようとする人にとって、世界的に日本がその魅力度において既に高くないらしいことは事実として認めるほかない。今現在コンビニ店員に外国人が多いと感じたとしても
それが世界的に人気があるとする根拠には乏しい。でもそれが何?我々の住む日本の魅力はそんな狭い視点では語りつくせないし、嫌なことがたくさんあったとしても祖国として
住み続けようと思えるからこうして住んでいるわけで、外国人が何言おうとその点は揺るがない。それに、同じサイトで日本については「ようこそ日出づる処へ」「世界的なイノベーションの原動力で魅惑的な歴史と伝統に満ちた多様な土地柄を備えるユニークな駐在地」とまで書かれていることも紹介しておきたい(※4)。
(※1)
"Commissioned by HSBC Expat and conducted by a third party research company YouGov, 18,059 expats based in over 30 countries or territories were questioned in 2019."
"As a specialist provider of offshore savings and wealth management for expatriates, of course we invited our customers to take part. But we also wanted a truly international snapshot of expat life. We contacted online communities and used expat social media sites to ensure as many different international expat groups were included."
https://www.expatexplorer.hsbc.com/survey/pages/about
(※2)
https://www.expatexplorer.hsbc.com/survey/countries#tabPanel0
(※3)
"In order for the results and league tables to be statistically significant, we need a minimum sample size of 100 expat respondents from each location. Although we had respondents from over 100 locations this year, 33 met the minimum number of responses required" https://www.expatexplorer.hsbc.com/survey/pages/about
(※4)
"Welcome to the Land of the Rising Sun" "A global powerhouse of innovation, Japan’s fascinating history, rich traditions and diverse geography create a unique expat experience." https://expatexplorer.hsbc.com/country-guides/japan
昔、そこそこ仲の良かった男子が結構くだらない事でめちゃくちゃ叱られてグレてしまった
グレたと言っても、自習時間に机をドンドコしたり、補習をサボってバッセンに行く程度だったけど、まあうちの学校ではグレてる部類だった
彼はそのうち課題を出さなくなり、その事で他の先生にもしょっちゅう叱られるようになり、余計態度を硬化させる負のスパイラルに陥って
もともと下がっていた成績もガタ落ち、結局3浪して消息不明になった。f欄に行ったという噂も聞いたが、謎だ。
彼を叱った先生とついこの間お話しした際に、彼についての話も出たのだが、「怒りすぎちゃったなあ」と後悔していた。他にも彼の没落の原因はあったのだろうが、アレがキッカケになったのは確かだった
「宿題やったの!?」「今やろうと思ってたのに!」みたいなの、大人になってもずーっとあるよね。あんまり叱られすぎると反感や怒りが先行してしまって、なかなか自分を省みることが出来なくなる
叱られて伸びないタイプの人は、やんわりと諭してあげるのが一番良いのだと思うが、叱る側に立つと結構難しい
「叱る」とはどうあるべきなのだろう
鬼の生活指導に叱られて、不登校になってしまった女の子が中学時代いたが、彼女にとっての「叱られる」は、しょっちゅう叱られている剽軽な男子にとっての「叱られる」とは同じ叱られ具合でも全く違うものだったろう
クラスメイトの前で「ちゃんとやれよ!」と一言言う事だっておとなしく真面目な子と活発で不真面目な子とでは受け取り方が全く違う
前者の場合「先生にみんなの前で怒られた」という羞恥を引き起こす、精神的苦痛は絶大だ
本人のタイプに合わせて指導法をきめ細かく変えてやるのが一番人を伸ばす叱り方だと思うが、「人によって叱り方が違う」というのは集団に不公平感を生む
教室のような閉じた、それでいて壁のないオープンな集団の中で人によって態度を変えながら叱るのは難しい
そう考えると、何か悪いことをした子はそっと別室に連れて行き叱るのが適切なようにも思える
しかし、自分自身小学校のころよく知らない先生と二人きりの教室で隣に座って密着されながら委員会資料の作成をさせられたのは軽くトラウマなのでそれはそれで問題があるように思う
一対一での指導、は多分ロリコン教師を欲情させるシュチュエーションになってしまうし、閉鎖的な空間で上下関係が残るのも監獄実験のような状態になって「叱りすぎ」を誘発しそうだ
職員室で叱るという手もあるが、他の先生の前で叱られるというのも精神的な負荷が大きいだろう(忘れ物が酷くて何度やられたことか)
保健室で「厳しい担任の先生」と話をそばで聞くだけの「優しい保健室の先生」という二対一のお説教が思いつく限り一番良いように思う
仕事量を考えると養護教諭ではなく、昼休みだけ来る外部カウンセラー数人で回すのが風通しが良く現実的な形になるだろう
これが家庭の場合「厳しいお母さん」と「優しいお父さん」のような役回りでの叱り方になるのだろう
しかし、甘やかすだけ甘やかす父(母)に子供がなつき、損な役回りをさせられる母(父)の言う事を子供がきかなくなる、というようなケースも聞くので、適宜「厳しい」と「優しい」は交換しながらやっていく必要がある筈だ
「叱る」一つの手前でも、どちらがどちらの役割をするのか話し合う必要があるのはやや面倒だが、子供の糧になる「叱る」のためにはそのぐらいの手間は必要ではないだろうか
職場で叱るケースでも、教育係を一人に一任せず「直属の厳しい教育係」と「見守る優しい先輩」というロールで叱ってみるのも一つの手なのではないだろうか
我々は普段から「叱る」と「怒る」を混同し、ただ感情を発露させるだけの行為を目下の相手にしてしまう事が多いが、効率的に人を成長させるためには「叱る戦略」をきちんと考えて叱るべきだ
個人的に、教育現場における「叱る=怒鳴る」は論外である。怒鳴る事によって相手を萎縮させ、内省させる間も与えない行動が反省を促すとは到底思えない。
生徒、部下の立場は怒鳴られても怒鳴り返すことの出来ない立場である。おずおずと返答をしても「言い訳をするな」と一蹴される恐れがある。怒鳴る行動は対話の機会を奪うのだ。
勿論、いじめや命を落としかねない悪ふざけには少なからず「怒鳴る」のコマンドが必要かもしれない。事の重大さに気づかずヘラヘラと対話による説教を聞き流すような生徒もいる。なぜ「怒鳴る」が必要になるのだろうか。この場合「怒鳴る」はどのような効果を発揮しているのだろうか。
主観的かつブラッシュアップの足りない考えではあるが、一つの仮説がある。「怒鳴るとは上下関係をわからせる手段ではないか」という仮説だ。そもそも、動物としての観点で見ると大声とは威嚇の手段の一つである。動物のように大声を上げることで、相手を威嚇し、上下関係を再確認させるのだ。プラスして、感情をあえて大袈裟に表現することで「自分は真剣だ」と伝える意味もあるだろう。(しかし演者時点が自身の演技に呑まれる可能性はかの有名な監獄実験で示されている通りであるので、十分な精神力と慎重さが求められるだろう)
社会性動物である我々は猿山の猿のように、狼の群れのように序列に弱い。だから不真面目な相手を前にした場合、この「怒鳴る」という行為はある程度有効なのだろう。怒鳴るは相手の「話を聞く真剣さ」を+5するというようなコマンドなのかもしれない。
人間の感情は複雑なように見えて案外単純だ。悲しい時に怒る、傷ついた時に傷つける、というような行動も一見ブラックボックスを抜け出たものに見えるが、案外類型的なものである。それはピンボールの玉がピンに当たって跳ね返りながら、最終的にはいくつかの穴に収束していくのに似ている。無限の可能性を持ちながらも、個々のピンでの跳ね返り方はある程度の予測がつく。我々の行動自体が、大したパターンを持たないからこそ、我々は相手の気持ちを思いやり、共感できるのだ。
「宿題やったの!?」という言葉が子供時代の私たちにもたらしてきた感情は「後ろめたさ」「反省」「反感」である。この感情のパターンが類型的だからこそ、私たちに「先に言われるとやる気なくすよね〜」という共感をもてる。
というように、人間の感情がある程度パターンとして把握できる以上「叱る」のマニュアル化は可能ではないだろうか。
「優しく諭す」というコマンドは相手の「真剣さ」には効果が薄いかわりに「反感」の数値はあまりあげない。だが「真剣さ」の数値が低いと「反省」には至れない。
「怒鳴る」というコマンドは逆に「真剣さ」には絶大な効果を持つ、が、「反感」のポイントを高めてしまう。「反感」の数値が一定を超すと「反省」への道は閉ざされる。
前述の優しい医者と怖い医者戦略も、数値化で説明してみよう。怖い医者は「真剣さ」「内省を促す」方面に強いキャラクターであり、優しい医者は「反感」という感情に共感し、怒りを和らげ「落ち着き」を取り戻させるヒーラーのような役割のキャラクターである。
「叱る方と叱られる方」という絶対的な上下関係に、そのどちらでもない第三者を加える事で、叱り手の感情の暴走を抑えるとともに、第三者による「共感」で叱られる側の精神的負担を減らし、自分を省みる余裕を与える。
無論、感情の数値の動き方には個人差があるので、叱り手は自分のコマンドが相手にどんな影響をどの程度与えるのかを考えながら叱り具合を調節していく必要がある。 と言っても、その個人差もある程度はパターンに当てはまるように思う。不真面目だが誠実な子、真面目だが反抗的な子、結局は要素の集合体である。実際に「元気な子(そして剽軽で悪戯っ子)」「明るい子(そして優しくてポジティブな子)」「大人しい子(繊細で真面目な子)」という安易なパターン化はあらゆる人間関係において常に行われている※。タイプに応じてコマンド駆使の仕方のマニュアルがあれば、どんなボンクラでも効果的な「叱る」ができるだろう。
※これには幾らか問題がある。私のように「大人しい子(割合図太く不真面目で陰険な子)」という相反するイメージの要素を持つ人間は取りこぼされる。そして不理解な大人に失望し私は余計陰険になった。教室のような大人数を把握すべき空間では、雑なラベリングが横行して、かえって正確な人格の把握の障害となるかもしれない。ここにもいくつかの心理検査を用いた人格のパターン化による把握が必要かもしれない。
このように数値化して考える方法を主張すると必ず人の心が通っていない、愛がないという人が現れる、が、なんの考えもなしに相手の叱られた後の情動を予測せずに感情をぶちまける事の方がよっぽど動物的で、「人の脳味噌」という回路を通わない非効率不合理なくだらぬ行動だと私は思うのだが。
(だいたい愛の鞭なんて言うが、恐怖政治よりインセンティブによる動機付けの方が効果がある事なんかもう数十年前から言われているのだからいい加減卒業してほしい。)
叱る、は上手くいけばとてもポジティブな効果を発揮する。しかし下手にやればかえって人から反省の機会を奪う。説教や正論は気持ちが良すぎるので、叱り手側は容易に権力を振りかざす楽しさに呑まれてしまう。だから、叱る前に一呼吸置いて、叱る戦略を立ててみるのはどうだろう。戦略という言葉は大袈裟かもしれない。叱る前に叱られた相手の気持ちを考える、それだけの事だ。
人材育成、教育現場、家庭での指導法においては、「叱り方マニュアル」の作成も試みとして楽しそうだ。心理テストで振り分けられた生徒や人材ごとに診断チャートを作成し、それを参考に叱り方戦略を立てる。大規模に実験し調査結果を取り続ければ有効性を立証できるかもしれない。最終的にはAIが掛けるべき言葉を演算し、叱り手という演者がそれに従うようなディストピア教育が出来上がるかもしれない。AIの愛のない教育、は痛烈にこき下ろされそうだが、「データを集め、型に当てはめ、パターン化された指導をする」という一連の行動は学習行動として常日頃個々人が行なっている事であるし、そこに統計処理がより得意なAIを解すのはそれほど不自然でないように思う。
教育者には当たり外れが多すぎる。一生涯呪い殺したいようなクソもいれば、人生の節目のたびにあって感謝の意を述べたくなるような聖者もいる。マニュアルさえあればどんなクソにも一定ラインを超えた指導ができるようになる筈なのに……!と思うと悔しいばかりだ。しかし、こうなると今度は「マニュアル一辺倒の叱り方」という批判が生まれてくるだろうか。教師のマニュアル依存、なんてニュースが流れるようになるのも嫌な話である。優しい医者と怖い医者も何も知らずに信じ込めるとステキな装置ではあるが、そんなプログラムだと言われてしまうと薄っぺらさにがっかりしてしまう。マニュアル化した叱り方は叱られる側に不信感をもたらす逆効果となるかもしれない。うーん、難しい(そこまで進んだ未来だと生徒もプログラムが組まれたのをわかった上で乗れるほど慣れるかもしれない、AIカウンセリラーを利用したマインドセットが人生の基本になるのだ!←楽しそう)
まあ、今のところは感情的に怒る前に、相手の情動を予測しながら諭してあげるというのがいいと提案してみることにします。つまるところは思い遣り。プラスして、叱るときは座って目線を合わせるっていうのも提唱してみる。叱り手側も怒りをセーブしやすいし、叱られ側も対等な立場での対話であると感じやすい、と思うから。(座って足組んでる奴から立たされて叱られるのも、立った状態で目の合わない相手を見上げながら叱られるかもつまらないもの。)それと、誰かが厳しく叱られていたら、優しい第三者として「反感」や「落ち込み」に共感してあげたりね。まあ普通のことです。しかし実践はクソムズイ。人生手強いね!
(思い出話あるあるを書こうと思っていたのに、思いのほか筆が乗って長文増田になってしまった。noteにでも貼るべきだったかな、図解しながら書き直したくなってきた。ところで、25件を無限リロード中の増田様方には大変ご迷惑をおかけします、すまない。途中送信しちゃっただけなので再投稿の甘えではないんだよ!)
現状ではただの周辺施設を表示する。「おもしろ」は主観的なものなのでまぁ難しいだろうけど、「ここ」が指し示す現在地情報と「15km」という位置情報を理解して、地図上から読み取るのは可能。だけど、これをできないのは単純に言語理解できていないから、もっというと「そういうコマンドが用意されていないから」と思われる。
現状の動作は未確認(音声は保存されるので)。「同級生」を知るにはユーザーの同級生を知る必要がある、OCRとか画像認識技術も発達しているので、原理的にはアルバム画像でも登録させれば覚えられるでしょう。そういったユーザーの背景を把握しておいて、「同級生」という言葉がそれら情報と結びついて、かつ、AVでは名前が変わっているので、ちゃんと顔で照合して、それらしい答えを見つける必要がある。
2019年のAIスピーカーは言語を理解していないので、音声->テキスト変換後、その文が事前に用意しているコマンドに合致している確率みたいなのを統計処理して、一番それっぽいコマンドを実行、って感じの処理をしてると思う。事前にどれだけ多くの「コマンド」を用意できるのかがAIスピーカーの能力の限界だし、これは直感的に使いみちが限定されるってのはわかると思う。当然「ピカチュウの顔が竜雷太になっている画像作って」みたいな、世界初の命令には対処できない。(たまたまそういう画像がネット上に存在すればヒットするけど)
どちらも、再現性のあるチューリングテスト合格が出来るようにならん限りできないので、10-20年以上先になりそう。でもディープラーニングみたいな技術革新出てきたらもっと早く出来る可能性もある。
マインドフルネスはまだ科学になりきれていない。もともとの瞑想について、脳内の血流計測や組織観察ができるようになったから実は科学的にも効果があるんじゃないか?と
言われだしてるぐらいのだんかい。
かつ、弱い人間が関心を持つから、弱い人間を騙して依存させる連中が跋扈している。そもそも仏教に近い領域だからね。霊感商法と近い。
一方、ただの瞑想だけでは不足で、思考の自動操縦を止める練習も必要。だけど、こちらになるとほとんど仏教の知識の領域になってくる。
と言っても、役に立つのは、僧侶自身が苦しんで解を出した人の書物だとは感じる。
各々が読んで、判断して、自分の思考の制御方法を身につけないとならないものだ。もう科学ではない。
科学にしようと思えば、大人数を集めて条件を整えて統計処理をするか、実際に現象を観察するかだ。
だけど「思考がどうか?」なんて条件を整えるとか、思考内容がどうかなんてものを観察できない。脳内の疲労をオンデマンドで観察することすらまだ先駆けだと思う。
だから、科学にするには相当な道のりがまだ必要じゃないかとも感じる。
それから、人対人だとどうしても費用をかけないとならない。だからどうしても単価は高くなるというのもあるといえばある。
弱い人間を騙して依存させる奴らと差をつけれるかとなると疑問だ。
苦しんでる奴にこの本いいよ。というのが一番いいといえばいいんだが、まあ、基本ワンパターンになってしまうし、それがいいのかなとは思う。
学術研究のそれも広い分野に目を向けようと全くしない層とかそういうのならともかく、
仕事つまり産業その他の場合だと、「理系の企業」で「理系関係の仕事」をするといっても実際は文系要素のある職の人間も必要だったりする。
まあ別に文系要素のある仕事だから絶対に文系じゃないとできないわけでもないけど、別に文系にやらせていけないこともない。
勿論例えば純粋数学の研究をさせるとか絶対文系には無理だろうけど、「増えている理系の仕事」とやらはそういうのとは性質が違うわけで。
そもそも学術研究の世界ですら、現代は文理融合型の分野が増えてるし、文学部系統ですら高度な数学を駆使して統計処理を行う研究をしてそういう方面に就職とかするんだから。
まあだからこそ、旧態依然とした昔ながらの文系はもはや必要ないのかもしれないけど、形式的に文系という枠組みそのものを無くしたり減らしたりするという方面に向かうのはどうなんだろうかと。
公開するだけまだマシというか。良心的というか。
私も似たような経験あったけど、見事にもみ消されたよ。
現役のとき落っこちちゃって、浪人しちゃったんだけど、数学と理科について高校の学習指導要領の変更があったから、
浪人のときの受験では、旧課程(浪人)と新課程(現役)が入り混じっていた。
センター試験は旧課程用ができる、二次や個別も配慮するらしいと聞いたから、浪人するのにその点はあまり気にしなかった。
新旧課程において理科で扱う内容の違いは大したことないから、新旧気にせず参考書新しいの買ったりして勉強していた。
数学はちょいちょい違いがあったから、旧課程の教科書使って勉強していたわけね。
飛びぬけて難しい大学以外は、「旧課程履修者には配慮します」って文言を入試要項に入れてた。
いざ蓋を開けると数学で、旧課程では選択分野だった条件付き確率が……!!!\(^o^)/
旧課程での条件付確率は、数学Cの4つの選択分野(行列,式と曲線,確率分布,統計処理)のうち「確率分布」の内容で、
しかも、たいていの高校では「確率分布」や「統計処理」を選ばず「行列」や「式と曲線」を履修するから、幽霊部員ならぬ幽霊分野。
動揺してしまって、問題とは無関係なところで悩んでしまったよ……。
試験終了後問い合わせたら、「大学としては妥当な出題という見解である」って解答が返ってきた。
その年は関西の公立大で逆パターンがあった(旧課程者しか履修していない期待値が出題された)のだけど、
航空機の安全率は基本1.5だよ。ただし全体に安全率掛けた値は終極荷重という永続的でない(三秒耐久)値として設定されているので、永続的な負荷としての安全率はもっと低い。そしてこの安全率、設計上のばらつきではなく、機体挙動での想定以上の負荷(たとえば設計限界を超えた乱気流に当たってしまったとき)を分解しないで切り抜けるためのものなので、静的な安全率では1.3以下と考えて良いかもしれない。
じゃあ材料のばらつきは、というと普通は材料の静強度・疲労強度なんかは3-Basis(A値、B値、S値)といわれる実測値から統計処理した数値を使う。
これらの値はロット間ばらつきを内包するため、10ロット以上の実測値の平均・重心を取って設定する。これらのアフターデータ、ロット履歴なども同時に加工メーカーに納入してた(昔は)。
おそらく今はもっと難しく、Al/Al-Li/Ti合金は熱処理・成形終えた後の状態で納品してるのもけっこうあるんじゃないかと思う。すると上で書いた値の大半は材料メーカー内だけで管理してることになるので、これらのデータを書き換えてるとなると真面目に問題になる。さすがに書き換えの幅が酷いことはないと信じたいけど。
参考 藤沢数希のまとめ http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisaw/
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藤沢数希はアムロのバックオフィス(三流の金融商品開発やトレードでも営業=フロントですらなく)だった事がほぼ確定。
収入は現実でもネット上でもメルマガぐらいで与沢翼と同じ詐欺の模様。
藤沢数希がやっていることは新手のネットワークビジネス。
与沢翼の信者ビジネスとアムウェイのような洗脳ビジネスの合成。
稼ぎ方を売ると高額商品で連鎖取引にも抵触するためぼかして有益な情報とし、引き込んだコミュニティでマルチまがいの集団洗脳を行う。
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ブログに2008年09月に会社が逝ったと書いているが、ABNアムロ銀行も同年同時期に経営破綻しそうになりオランダに国有化されているので藤沢数希の勤め先はアムロ銀行と言うのは確定。
あれだけ偉そうな藤沢が営業は頭が必要だと言っている事と金融商品のプレゼンが入社試験だった事からみて初めは営業マンだった可能性はある。
恋愛工学は営業論にもルーツがあったとのうわさあり。おそらく最初に入社したのは日本の企業、やはり国際証券か。
著作では専攻は計算科学と理論物理と書いてあり意味不明だが、察するにコンピューターシミュレーションの事か。
理論分野でなくせいぜい統計処理やプログラムの実行ができると言った程度でそもそも物理学は素養から一切ないのでありえない。
生物学が少し好きなよう。ハードサイエンスについて少しでも意味のある発言をした事はない。
統計屋のトレーダーであってプログラムは自力で組めないのではないか。
自称ではクオンツかつプロップトレーダーでポートフォリオやデリバディブの研究や運用をしていたと言うが
「クオンツで数学を使うのは日本で少なく文系でもなれる。金融商品開発ではプログラムが使えればよく文系もいる。トレードや運用でも同じ。」と言っている。
当人は理系でも数学スキルが低く半端仕事しかした事がないのでは?
ブログやアゴラ記事をみるに多少数学的な話題を書いている場合もせいぜい経済学の初歩的な事や統計処理のみで経済関連では本当に初歩的ばかりか間違いも散見される。
クオンツと言っても字義的な量的に考える仕事を指しているのであって、数学や物理学のような研究職ではないと思われる。
著作の内容もブログやアゴラの記事と同様同じ程度で、インターネットや新書に載っている事を引っ張ってきた以上の事は書いていない。
社会の考察はほぼクリティカルな経済の話題ではななく一般的な時事に反応するだけで、内容も格差を認め規制をなくし競争させればよい程度のいわゆる新自由主義以上の事は言っていない。
金融関係の記事は部外者が業界や企業について調べたような視点と見方と情報のみ。
またクオンツ以外の広義の経済分析も、記事はワイドショーに使われるようなグラフを示しまるでみちびかれそうにない拙い思い付きを並べているだけでアカデミズムとも関係なく意味も価値もないような代物。程度が知れる。
クオンツやマーケティング、トレーダーを自称するにもかかわらず、実際に具体的な洗練された経済分析や予測はしてみせたことがない。
本業だとしてもどうしても考え方や言っても問題ない事は自然と口にしてしまうはずだが(あるいはサービスするはずだが)、少しも実務の話や従事を感じるような発言をした事はない。
時折抽象的な事は言うがどれもこれも大外れでその度に言い訳をしている。とてもではないが経済の分析を仕事にできるような能力や経験があるとも仕事をして情報に触れてきたようにはみえない。
以上から推測するに、もしかすると本当は元々『『藤沢数希は国内証券会社の営業マンだった』』可能性が高い。
金融を少し勉強し、もしかするとわずかにトレード技術や業務にも携わった事があるのか。
あるいは外資系アムロに転職しバックオフィスで一般職からみたような経験でブログを書こうとしたのではないか。
理論物理学研究者だの外資系金融機関だのクオンツだの高給トレーダーだのと言うのは藤沢の詐偽。
それが目を惑わしているだけで、事実を直視すれば無知無能なはったりだけの卑小な男がいるだけではないか。
ミドル(管理やクオンツ)ではなくフロントでもリサーチなりアナリストやマーケット・トレーダーではなくセールス(営業)だったか、もっと言えば一番可能性が高いのはバックオフィスだった。
金融日記が始まった当初はまだ外資系金融マンが発言する事自体が珍しくそこに目をつけ思った以上に嘘が評判になったが、ネタが元からそれ以上なかったために恋愛工学にシフトしていったのではないか???
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藤沢数希には金融・経済の基礎知識もなく、経済学や自然科学の理解もなく、トレーダーやアナリストの経験もない。
ゴールドマンサックスやリーマンブラザーズではないABNアムロの、アカデミズムも関係がない研究職なりクオンツでもなく金融マンでもないバックオフィス。
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参考 藤沢数希のまとめ http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisaw/
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藤沢数希はアムロのバックオフィス(三流の金融商品開発やトレードでも営業=フロントですらなく)だった事がほぼ確定。
収入は現実でもネット上でもメルマガぐらいで与沢翼と同じ詐欺の模様。
藤沢数希がやっていることは新手のネットワークビジネス。
与沢翼の信者ビジネスとアムウェイのような洗脳ビジネスの合成。
稼ぎ方を売ると高額商品で連鎖取引にも抵触するためぼかして有益な情報とし、引き込んだコミュニティでマルチまがいの集団洗脳を行う。
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ブログに2008年09月に会社が逝ったと書いているが、ABNアムロ銀行も同年同時期に経営破綻しそうになりオランダに国有化されているので藤沢数希の勤め先はアムロ銀行と言うのは確定。
あれだけ偉そうな藤沢が営業は頭が必要だと言っている事と金融商品のプレゼンが入社試験だった事からみて初めは営業マンだった可能性はある。
恋愛工学は営業論にもルーツがあったとのうわさあり。おそらく最初に入社したのは日本の企業、やはり国際証券か。
著作では専攻は計算科学と理論物理と書いてあり意味不明だが、察するにコンピューターシミュレーションの事か。
理論分野でなくせいぜい統計処理やプログラムの実行ができると言った程度でそもそも物理学は素養から一切ないのでありえない。
生物学が少し好きなよう。ハードサイエンスについて少しでも意味のある発言をした事はない。
統計屋のトレーダーであってプログラムは自力で組めないのではないか。
自称ではクオンツかつプロップトレーダーでポートフォリオやデリバディブの研究や運用をしていたと言うが
「クオンツで数学を使うのは日本で少なく文系でもなれる。金融商品開発ではプログラムが使えればよく文系もいる。トレードや運用でも同じ。」と言っている。
当人は理系でも数学スキルが低く半端仕事しかした事がないのでは?
ブログやアゴラ記事をみるに多少数学的な話題を書いている場合もせいぜい経済学の初歩的な事や統計処理のみで経済関連では本当に初歩的ばかりか間違いも散見される。
クオンツと言っても字義的な量的に考える仕事を指しているのであって、数学や物理学のような研究職ではないと思われる。
著作の内容もブログやアゴラの記事と同様同じ程度で、インターネットや新書に載っている事を引っ張ってきた以上の事は書いていない。
社会の考察はほぼクリティカルな経済の話題ではななく一般的な時事に反応するだけで、内容も格差を認め規制をなくし競争させればよい程度のいわゆる新自由主義以上の事は言っていない。
金融関係の記事は部外者が業界や企業について調べたような視点と見方と情報のみ。
またクオンツ以外の広義の経済分析も、記事はワイドショーに使われるようなグラフを示しまるでみちびかれそうにない拙い思い付きを並べているだけでアカデミズムとも関係なく意味も価値もないような代物。程度が知れる。
クオンツやマーケティング、トレーダーを自称するにもかかわらず、実際に具体的な洗練された経済分析や予測はしてみせたことがない。
本業だとしてもどうしても考え方や言っても問題ない事は自然と口にしてしまうはずだが(あるいはサービスするはずだが)、少しも実務の話や従事を感じるような発言をした事はない。
時折抽象的な事は言うがどれもこれも大外れでその度に言い訳をしている。とてもではないが経済の分析を仕事にできるような能力や経験があるとも仕事をして情報に触れてきたようにはみえない。
以上から推測するに、もしかすると本当は元々『『藤沢数希は国内証券会社の営業マンだった』』可能性が高い。
金融を少し勉強し、もしかするとわずかにトレード技術や業務にも携わった事があるのか。
あるいは外資系アムロに転職しバックオフィスで一般職からみたような経験でブログを書こうとしたのではないか。
理論物理学研究者だの外資系金融機関だのクオンツだの高給トレーダーだのと言うのは藤沢の詐偽。
それが目を惑わしているだけで、事実を直視すれば無知無能なはったりだけの卑小な男がいるだけではないか。
ミドル(管理やクオンツ)ではなくフロントでもリサーチなりアナリストやマーケット・トレーダーではなくセールス(営業)だったか、もっと言えば一番可能性が高いのはバックオフィスだった。
金融日記が始まった当初はまだ外資系金融マンが発言する事自体が珍しくそこに目をつけ思った以上に嘘が評判になったが、ネタが元からそれ以上なかったために恋愛工学にシフトしていったのではないか???
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藤沢数希には金融・経済の基礎知識もなく、経済学や自然科学の理解もなく、トレーダーやアナリストの経験もない。
ゴールドマンサックスやリーマンブラザーズではないABNアムロの、アカデミズムも関係がない研究職なりクオンツでもなく金融マンでもないバックオフィス。
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トラバのアドバイスに従って1項目追記しました。ありがとうございます。
トラバの指摘に従って1項目追記しました。また、ブコメの疑問に応えて1項目追記しました。
ごめんなさい、その文はTakamoriTarouさんの指摘(「追記」で書いてある「ブコメの疑問」)を受けて書き加えたものです。きちんとどこを追記したか書いていなかった私の落ち度です、すみません。
ブコメで指摘された1点(作家のHNを出す必要性)につき追記し、それに伴って本文を並べ替えました。また、「卒論を堂々とウェブに晒せる者だけが石を投げなさい」という文章は「ご自分の卒論を思い返して胸に手を当ててみましょう」と訂正しました。当たり前のことですが、たとえ卒論を書いたことがなくとも、もしくはレベルの低い卒論しか書いていない人であっても、本件論文については存分に批判その他をすることが言論の自由として保障されています。また、「好きな作家さんの作品が読めなくなった」「違法か合法かなんて最初から論点じゃない」「分析だから引用じゃない!」という3項目を追記しました。
「全文を機械分析するなんて引用の範囲を超えている!」「会員制なのに公表してるってみなされるのおかしくない?」「社会調査で研究対象のコミュニティを破壊するのはどうなの?」「「有害」と「猥褻」は違うの?」「じゃあ確実に名誉毀損では?」「あの論文に影響力ってあるの?」「他人の作品が消えてるのに責任とらなくていいの?」「著作権法って個人でやってる創作に過酷すぎない?」「素人が法律に詳しくないのは仕方ないでしょ!」「それで食べてるプロの作家と素人を一緒にしないで!」「こんな強弁をするようでは研究者を信頼できない」「自分の方が法的には強いと相手に言う時点で恫喝じゃね?」「自分はちゃんと理解してる。理解してないオタクの責任なんて取れない」「研究者はオタクの心がわからないのか?」「ファッション乙」の15項目を追記しました。また、「無断で引用していいの?」「pixivは会員しか見れないけど?」の項目の回答の文言を変更しました。
トラバのご指摘を受けて、「不特定多数」を「不特定の誰か1人以上」に変更しました。ご指摘ありがとうございます。また「なんでも引用していいって研究者の傲慢じゃない?」「黒歴史ノートも引用されちゃうの?」を追加し、「研究者が研究のガイドラインをきちっと作成するよう粘り強く要求を続けます!」の回答の文言を変更しました。「猥褻」について、まあ私も名誉毀損にあたらないとは思うのですが、あたらないと自信を持って言い切ることができないので、この文面にしました。判例などがあればご教示いただけると幸いです。
トラバのご指摘を受けて、「判例はあるの?」という項を追加しました。ご指摘くださりありがとうございます。この事件は知らなかったので勉強になりました。
「引用が自由なら消すのも自由でしょ?」「論文の形にすれば何でも許されるの?」「引用して批判するってひどくない?」の3項目を追記し、「素人が法律に詳しくないのは仕方ないでしょ!」「ひょっとして黒歴史ノートも引用されちゃうの?」「身の危険を感じる!」「こんな強弁をするようでは研究者を信頼できない」の項目の文言を変更し、著作権に関連する項目の位置を変更、並べ替えを行いました。また、ひとつ上の追記を削除しました。
遅まきながら。私は理性的に「まあ法的には問題ないよね」という話をしていた女性オタクがたくさんいたことを見てきていますし、感情的に「違法だ! 無断引用だ!」とわめいていた男性オタクが大勢いたことも知っています。もちろん、感情的な女性、理性的な男性もいっぱいいました。なので「女叩き」のような意図は(私の主観では)持っていません。ただ、それはそれとして私の筆致が「冷静な俺様が感情的な女を諭してやる」という文脈に回収されかねない、とか、そのように読める、という指摘は、受け止めたいと思います。