はてなキーワード: クリシェとは
仕事が盛り上がりすぎて、「作業打ち切り!!明日もよろしくな!」で楽しく終わった23時に道端を歩いていたら長めの竹箒が道路に転がっていた。何度か車に轢かれたのか柄は折れているというよりは潰れていた。ここでレレレのおじさんが死んだのだと僕は思った。シシシのおじさんになってしまったのだと。3度半の和音が鳴り響いて悲しくなった。そこにファファファのおじさん#もやってきて、あっという間にD6のセンチメンタルな予感を感じさせる。しかし、レレレのおじさん♯と、ドドドのおっさんがくると、お洒落な半音上がりでdimの響きとなり、E6、E7とクリシェ、A9おじさんになって、シシシのおじさんが、あれほど悲しい響きから頂上まで連れてきてくれてありがとう、とにこやかに僕に感謝する。今日は疲れたな。
オタク界隈にとっては「萌え〜」から始まって「バブみ」「尊い」というのが文体、クリシェ。
例えとすると、「陰キャ」「陽キャ」はオタク以外にも使われる罵倒語だよね。
あとなんJ。なんJはオタク以外もたくさん人口がいる。もともと野球を元ネタとして生まれたものだし。
ニコニコで言うと淫夢だね。ニコニコは淫夢以外にも動画としての「お約束」がある。ドワンゴ爆破や大規模爆発ドリフとか。
ニコニコはコメントにも同質性があるね。だいたいゴミみたいな人権意識皆無のアレなんだけど。
文章を書くのって結構頭をつかうので、SNSへ気軽に自分で書くにはどうしてもコードや他人から拝借したクリシェが必要になる。
これは2ちゃんみたいな大量の人間が書き込む匿名掲示板が出てきたころから必要な文化であって、オタクがどうこうという話ではない。
あ、2ちゃんより前に新聞や雑誌への投稿もあるね。同じような文体、語彙になる例ってのは昔からある。
文体や話題、語彙、思考の同質性は人が何を見ているか、どういったコミュニティに所属しているかが大きく影響してくる。
例えば、お母さんからもらった手紙がテレビドラマやドキュメンタリーと同じような内容だったという経験がある人は少なくないと思う。
うざったい感傷たっぷりみたいなやつ。まあ感動しちゃうんだよね。自分に向けられた無償の愛みたいな感じの文章だから。早くしねばいいのに。
それは、自分の親が「テレビドラマ」「ドキュメンタリー」などから影響を受けた文章しか頭にないからだと考えられる。
子供の感情を揺さぶるには、そのような技術を援用するしか手がないから。本当に早くしねばいいのに。
増田にもあるでしょ。今の流行りだったらKKOとか女はいつも親叩き(興味ないからあやふや)みたいなやつ。
インターネット、SNS、それ以外にも文章の殆どは何かのコードやクリシェを使われているので、その指摘は「コミュニティの語彙」を指しただけに過ぎない。
特定のコミュニティが独特の語彙を繰り返し使用することに批判することがあるとすれば、インターネット利用者の拡大において同じ文体、同じ語彙が広がりすぎて、より大きなコミュニティ、つまるところ日本語圏の思想の多くが単純化するという部分くらいでしかない。
「オタク」に限定するなら、とにかくくだらない議論(例:カップリング論争)が昔から繰り返されてるので同じ語彙と文体を使っていても思想は違うというよくわかんない状態が続いてるのでまあいいんじゃないかなとか思いました。キャラに尊さ感じてるくらいなら別に社会になんの影響もないわけだし。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190117/k10011780351000.html
なんか近年は男に生まれてとことん損した気分。女性を消費したり抑圧したりする文化と殆ど直接的に関わりなく生きてきたくそ雑魚陰キャなめくじなのに性別男であるが為にDQN男性文化の連帯責任をとらされてる気分だ。
こんなコメントが星を集めている。
発信した人を攻撃したいわけではないから名前はのせないし、見つめるべきは沢山の星がついている事実だ。
まさかこんなことでこの気持をみんなにわかってもらえるなんて思わなかったよ。
自分は何もしていない、むしろ品行方正に生きているのに、突然大多数の人間から敵意を向けられる恐怖や嫌悪感が少しはわかってもらえたかな。
助けてほしいと叫びたくても、その叫びすら自らの命を脅かすかもしれない怖さを。
「男らしさ」からの解放は、男のためになる。人から強要されるものじゃない。「女らしさ」と同様に。男女みんなクソみたいな呪縛から自由になって、他者とのよりよい関係を模索しようっつーメッセージちゃうの?
そうそう。
おなじく日本人らしさからの解放もそうだと思うのだけど、そのことに気づけた人はいる?
男性は、粗野粗暴に見えるよう振舞うことを社会に強いられている一面がある。粗野粗暴を男らしさとはき違えさせるクリシェは、荒っぽいことを好まない男性の肩身を狭くして生きづらくさせる
そう。大半の在日韓国人もそのことに気づいている。
だけど一部の在日韓国人らしく生き無くてはならないと思い込んでいる人間のせいで、全体がそのイメージだと思われてしまう。
まさに一部の粗野粗暴な男性のせいで被害を被っている状況と一緒だ。
うれしいね。こんなに理解あるコメントがこんなにも星を集めてくれていて。
ここまで例を挙げても、この問題の根本が同じではないと思っている人間は重篤だ。
だけど、それが大半であることが事実で、だから世界から差別なんてものはなくならない。
それがたまたま自分に向かってきたときに、人は「自分は何もしていない」と泣き言を言う。
違う。
何もしていなかったからそうなったんだ。
世の中だって突然そうなったわけではない。
少しずつ傾いていって、今に至ったに過ぎない。
どうするの?それでもまだ何もせずに「自分は何もしていない」と言い続けるつもり?
ツイッターでまたぞろ「新人賞に応募してくる作品は◯◯という書き出しのものばっかで〜」とかいうツイートが回ってきた
もうこういうので盛り上がってる連中は一種の中毒なので言っても理解できないのだが
以前は「ラノベの新人賞は中二なプロローグから始まるのばかりで〜」などとこういう連中が言い出して
みんなそういうのを書かなくなった
結果起きたのは、遠大な冒険を感じさせるプロットの欠けた腑抜けた世界観のファンタジーの氾濫である
ラノベは、ファンタジーは、そういう中二な壮大さを求めて読むものである
今度は「若者は知識がないから身近なところから始まる話しか書けない」などと言い出している
これを真に受けた新人が身近なところから題材を得ることをやめたらどうなるか
単にリアリティのない古典のコピペのようなものを書き出してさらに深みがなくなるだけだ
私に言わせれば、こういう(「壮大な冒険を煽る」「日常からの繋がりを感じさせる」などの)創作物として当然の手順をいちいち抜き出して
まるで配慮が足りない表現かのように煽るオタク評論こそ最も唾棄すべきクリシェである
お約束を排除して物語を読み慣れたオタク読者にだけショートカット的に「読解」できる作品なぞもはや一般に開かれた娯楽ではない
「上級読者」ごっこはひっそりと日陰でやっていてもらいたいと思うのだった
最近、正確に言えばここ一年、説教クソ社会人にクソバカ理論(「勉強できる奴って、社会に出たら使えないことが多いんだよな〜笑」)を食らうことが異常に多いんですよね。
たしかに私は、早稲田大学に通いながら、将来選択に迷って留年をして、現在5年生です。
きっと自分の軸を持って将来選択をし、キャリアを信仰し、明確な目標を持って「社会人」を勤め上げてきた貴方たちは、私に「教えてあげたいこと」が山ほどあるのでしょう。
私は実際、学生の身ですから、反論できることなど何ひとつありません。
そこで、
これは早稲田大学に通う22歳からの、社会に対する切実な啓蒙ですが、
やめてもらえませんか?
高卒あるいはFランおじさんが学歴のある学生に偉そうにするの、やめてもらえませんか?
勉強すらできない大人が、勉強のできる学生に対して「勉強ができても笑」などといった謎の経験則を振りかざすの、やめてもらえませんか?
受験という、誰もが平等に実力を試される時期に適切な努力をしてこなかった人が、他人の「適切な努力」を馬鹿にするの、やめてもらえませんか?
「勉強ができる奴は」とか「いい大学出たって勉強ができるのと頭が良いのはまったく別」みたいな100万回言われてきたクリシェを1時間かけて説くのは、せめて、自分の会社の新入社員にしてもらえませんか?
学生相手に、「社会に出ないとわからない」ことを説いて強者のツラをするのは、さすがに暴力的ではないですか?
「勉強なんかできなくても大丈夫」などと言うのは、持たざる者の哀しき遠吠えではないですか?
英語も、お金も、教養も、学歴も、「そんなのなくても大丈夫!そんなのがすべてじゃない」と言うのは、いつだって持たざる者ではないですか?
私は、持っている者が「持ってなくても大丈夫!」と言うのを聞いたことはありません。
少なくとも私は、学歴はあってよかったと思うし、教養のない人生など想像ができない。
だからこそ、英語だってできるようになりたいし、お金だってあったほうがいいのだと思う。
勉強ができることを悪みたいに言うな。
勉強ができる奴は打たれ弱い、指示待ち人間だ、融通が利かない、などのクソみてえな経験則を捨てろ。
飲みの場で高卒が熱弁を振るう中、勉強ができる側の人間はあえてそれを論破しようなどと思わないでしょう。
持たざる者には持たざる者の人生があり、持っていたかもしれない人生など、想像もできないでしょう。
私ももし高卒だったら「勉強のできる人間は」などとほざいていたかもしれないけれど、学歴があるので、「もし高卒だったら」などと想像することもできません。
沈黙してください。
学歴がないというハンデ(自業自得です)を背負いながら、人並み以上の努力をして、正社員として人並みの生活を手に入れたかもしれません。
だからといって、受験期に人並みの以上の努力をして学歴を手に入れて、人並みの努力でそのまま社会に漕ぎ出そうという学生を、どうして見下せるのでしょう?
とにかく、やめてください、と言うほかないのです。
だいたい学歴の話をするのは、低いほうです。
「どこ大?」「早稲田です」「おお〜頭いいねえ、俺なんか高卒(Fラン)だからさあ」
から始まる会話が苦痛すぎて、私たちは神経をすり減らしているのです。
誰も幸せにならない会話です。
そして、学歴自虐から始まる努力話あるいは説教をやめてください。
これは切実なお願いです。
卑屈になるのは勝手ですが、こっちの肩身を狭くするのをやめてください。
ハリウッド映画はこの百年間、方法論を磨いて磨いて磨き続けてきた。
人々が感じる「かっこいい」や「おもしろい」の無意識を抽出し言語化しようと試み、クリシェや紋切り表現を歌舞伎レベルの様式美にまで高めた。
そういう蓄積が映画学校や業界へと絶えず還元されつづけ、監督を、脚本家を、俳優を、スタッフを育んだ。
その歴史の結晶が「バカにもわかるけど、わかる人にはもっとわかる映画」だ。
ただなんもなしに観ても爽快感あふれるエンタメ、しかしその裏には深い意義や高度な演出が隠されている、というやつ。
もちろん、すべての映画がそうあるわけではないし、ダメな映画はいくらでもある。
しかし、ハリウッドのトップオブトップは洗練を極めた「みんなのための映画」を量産している。
片方は「バカにしかわからない映画」、もう片方は「分かる人にしかわからない映画」。
前者は浅薄すぎてバカ以上の知性を持った一般の観客には耐え難く、後者は傍からみたら内輪ウケでしかないのでやはり一般の観客の視聴にたえない。
要するに、日本の映画はバカかオタクでないと楽しめないようになってしまっている。
そもそもアイドルなんていう特殊な世界を目指してきたコたちは、素人時代からアイドル情報を一般女子より詳しい言わばヲタク的資質を持ってる場合が大半でしょ。
また同業の人間に関心を待つのは他の職業も同じであって、一々「ヲタク」アピールするようなことじゃないとも思うわけです。
ももちがデビュー当時のインタビューでファンだった石川梨華について問われ
まだ小学生だったにも関わらず「もうファンじゃありません、先輩です」と答えたという痺れるエピソードがあります。
っても、アイドルとなった以上、それまでのファン(ヲタク)というポジションとは違うプロ意識を持つべき!なんて言っちゃたら単なる説教オジサンですよね…。
「ラップをするのは楽しいです」と言いながら、そのアイドル愛に比べて
いつまでたってもヒップホップに対する愛情が全く感じられないあのコにしろ
まわりのメンバーやファンから「気持ち悪~い(笑」というツッコミなしに、そのヲタアピールが成立してないところは
面白くないし面倒くさいんで直して頂けるとありがたいとは思います。
ぶっちゃけアイドルヲタクであることをアピールするアイドルの何が嫌かって
キモいドルヲタのおっさんたちに「自分たちと同じ匂い」を感じさせることで釣り上げようっていうヲタサーの姫的なあざとさが鼻に付くんです。
今回は言論関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ただ雑であれば「雑だ」と指摘される。
そして、それは至極まっとう指摘だ。
言論が自由であるなら、それに対しての言論もまた自由なのだから。
雑なのに、雑じゃないように振舞うこと。
その論でいうなら、これは争いではないし、かといって虐殺でもない。
ロクな装備もなければ、訓練もつんでいない愚か者がただ討ち死にする自然の摂理だ。
「僕は装備もなければ訓練もつんでいないけれど攻撃するよ。でも、反撃はしないでね」というのはムシのいい話だ。
無知は恥ずべきだ。
だが、無知であることに無恥な人間は、時に火傷をしないとその痛みに気づかない。
……雉も鳴かずば撃たれまい。
例えば、某研究者とかが「嘘はいけない」といったとして、反面教師として汲み取れる側面はあるかもしれないけれど、ほとんどの人は言論そのものを評価しない、しにくいよな。
フィクションの登場人物の名言集で、その中の何割かは本当は言っていないのに、信じる人が続出してしまったというエピソードもあるな。
要は「説得力」ということだ。
それが正当か、といわれれば私としては「半々」というしかないね。
言論は自由だが、社会に帰属する私たちはそれによって起こりうる責任を持たなければいけない。
とはいえ放棄することも可能で、実際にネット住人の大半はそうしている。
だが、誤解してはいけないのは「自由」なのではなく、「自由そのものは許されている」ということだ。
故に言論そのものが評価されやすいともいえるし、一笑に付される可能性も高まる。
何にしろ、私たちはそれを正当な評価かどうかに関わらず享受することになる。
もちろん、それら評価に対してのレスポンスも自由だ(黙することの美徳もあるようだが、あれは迷信だ)。
君のような人は自身の言論を「大したもの」か、「取るに足らない」ものにしたいようだが、生憎それは君の判断で担保されるものとは限らない。
そして言論が担保されない以上、「よく分からない人間の言論」という前提は無くならないんだ。
うん……まあ、シメに入ろう。
人格とは総体的に、そして相対的に判断され、言論もかくありき。
いずれ言論者の人格が普遍的でないにしても、判断材料としては不変だろう。
自由であることは同じだが、正当な言論には正当な言動がつきものということだ。
……私かい?
ここ(http://togetter.com/li/661804)に出てくる老害という言葉がそうだと思うんですが、「世間に広まりすぎたため世に現れた当初とは異なった意味合いで使われている言葉」をなんと呼ぶんでしょうか? それを指す言葉ってあるんでしょうか?
ここ(https://twitter.com/minenayuka/status/461904548638900224)でのロリコンという言葉もそうですし、あとは草食系というのもそうですね。探せばいくらでもあると思いますけれども、よく考えてみると、多くの人が知っているのに定義が曖昧なので、レッテルを貼るために雑に使われることが多いのかも知れません。
クリシェという言葉がそれに近いと思うんですが、しかし微妙に違うような気もします。クリシェの意味をWikipediaで見てみますと“乱用の結果、意図された力・目新しさが失われた句(常套句、決まり文句)・表現・概念”だそうです。意図された力が失われたということであれば似たようなものですが、これはありふれて陳腐になったものを指すようです。そうではなく、ありふれた結果、定義が曖昧なまま当初の意味を超えてより広範囲な使われ方をされてしまっている言葉について、それを指す言葉があるのか知りたいんです。
だれかご存知の方がいらっしゃれば教えてください。
[2012/6/2 13:30 応用編追記。文字数制限で[応用編]人気トピの作り方、[応用編]Tipsをhttp://anond.hatelabo.jp/20120602131430に分割]
[2012/6/2 17:40、23:20 分割した方でブクマに返信]
[2012/6/4 2:20、8:30 釣りトピリスト / リンクを作成。http://anond.hatelabo.jp/20120604022123 ]
[2012/6/4 22:50 釣りトピ紹介をAnonymous Diaryで行うのがとても手間がかかるので、twitterアカウントを取りました。http://twitter.com/topisyu ]
[2012/9/18 TumblrでBlogライクに色々まとめてます。http://topisyu.tumblr.com/ ]
※引用はもちろん、転載も自由にして下さい(はてなの規約の限り)。ただし、出典は明示し、転載される場合は、本記事群は時々更新していますので、転載分についてもversionを最新に保つようにする努力をして下さい。
それはそれで楽しかったのだけれど、物足りない感が出てきて、この1ヶ月猛烈にトピック(略称「トピ」≒質問・相談)を立ててた。正確な数は数えていないけど、投稿したトピ数は30、掲載されたトピ数は20ぐらいじゃないかな。
掲載された20のトピのうち、1000以上のお気に入り(はてブ数、イイネ数みたいなもの)を得たのは3個、100~1000ぐらいが10個ぐらいなので、デビュー仕立てのトピ職人としての腕は悪いほうじゃなかったと思う。(誰かと比較できるもんじゃないけど。)
で、ROMってた時と違って、トピを立てる身になって分かったことが沢山あった。トピ職人してたことなんて、リアルでは恥ずかしくて誰にも言えないから、「王様の耳はロバの耳」みたいにどこかで吐き出したくて増田に投稿しました。
主に、
という章立てです。リンク先も含めると超長文です。お気をつけて。
最初に断っておくと、文中で紹介したトピは自分が投稿したものではないです。
発言小町を知らない人がこの日記見ることはないと思うけど、簡単に。
知ってる人は飛ばして下さい。
発言小町(はつげんこまち)は読売新聞社が運営するニュースサイトYOMIURI ONLINE内の女性向け情報サイト「大手小町」内の電子掲示板形式の投稿コーナーである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E8%A8%80%E5%B0%8F%E7%94%BA
ということで、読売新聞社版OKWave、2ch、Yahoo!知恵袋です。
トピ主と呼ばれる質問者が、質問を投稿し、それに閲覧者が"自由気ままに"(重要なポイント!)回答するというもの。
発言小町は、基本的に広告収益で成り立っているので、固定ユーザー数とアクセス数はとても重要です。だから、下劣なトピはブランドイメージを損ねるために載らないはずなんだけど、度を過ぎない程度の醜悪な炎上トピは歓迎される傾向があります。トピには実名はでないし、被害者も加害者も生まれないため、発言小町内で炎上してもそれが現実に影響を及ぼすことはなく、毎日小さな炎上が起きては消え続けています。
トップページはここだけど、
これじゃ質問がズラズラ並んでて見難いので、ランキングページから、気になった質問を見てみるのが入りやすい。
http://komachi.yomiuri.co.jp/ranking/
タブがいくつかあるから分かるように、発言小町には、2chの板みたいなものが、大きく10個のカテゴリーに分けられているので、自分が興味があるカテゴリーのランキングを見るというのが一般的な見方だと思います。
今日の時点でアクセスランキング1位になってるトピで、個別のトピの見方を紹介します。
個別に回答を見ていくもいいけど、それは猛烈な疲労感を生むだろうから、質問者(トピ主)のレスだけ抜粋して見る方が最初は楽かもしれない。一応、質問者は必ずお礼や事後報告するルールになってるので、内容はそれだけで分かる。
このトピだと、質問者は最初に質問して以降、3回回答してる。結果としては、トピ主であるクリシェ(フランス語で常套句という意味。)が息子の内定を断らせたかは分からないまま、トピが終了している。トピが白熱し過ぎてしまった場合に、結論が出るまでにトピが受付停止になってしまうことは良くある。
で、長くなったけど、ここからが本題。これが本当に書きたかったこと。
読売新聞社版OKWave、2ch、Yahoo!知恵袋といっても、それら3つのサイトと大きく違う点がある。
それは編集があること。
これが発言小町ならではの文化を生んでる。発言小町の原動力と言っても過言ではない。発言小町内では編集という用語だけど、2chの小町スレでは、この編集は、検閲と呼ばれている。(検閲をする編集部のことは、閲子と呼ばれています。)
発言小町の投稿ルール
ということで、質問や回答を投稿して掲載されるのは、2~3時間かかる。発言小町の編集部の人たちは、朝は9時から夜は24時ぐらいまで働いているので、当然、朝の1時に投稿してもすぐには載らない。あくまで、全ての質問や回答は検閲された上で掲載される。
で、この検閲にはいくつか種類があって、軽いものから順番にすると、
こんな感じの検閲が行われる。
当然、トピ主のレスは、多くの衆目を集めることになるので、縦読みの有無や過度に刺激的でないか、掲載されるまで時間がかかることが多い。だから、7みたいに、質問者のレスはいっぱいついているのに、しばらく経って日にちがずれたトピ主のレスが掲載されることがある。
で、この検閲の、特に2と6と7で、発言小町の各トピは流れが作られる。最初のほうでのトピ主を擁護するコメントや、トピ自体が釣りだと指摘するコメントはまず載らない。それやると盛り上がらないから。炎上したほうがアクセス数が増える。ただ、これははっきりと言えることではなくて、現象を見た後の結果論とも言えなくもない。最初にレスをするのは、もうとにかく鬱憤を晴らしたいだけの人たちだから罵倒が並び、それらを見てやってきた穏健派が穏当なトピ主擁護レスをするとも言える。
我々の目の前にあるトピは既に検閲後のものなので、これを証明することはなかなか難しい。お勧めは、試しに流れに歯向かうレスをしてみることです。何となく、実例を挙げられるとしたら、このトピ↓。
随分はてブされてたんで知ってる人も多いと思う。元ネタがあることははっきり分かるのに、誰もその元ネタを指摘してない。皆が盛大に釣られたと解釈するのが正しいかな?
検閲があるために、トピは盛り上がることになるのだけれど、結果的には釣り師からすれば釣り堀天国になっちゃう。2chなら不都合な質問でも答えないと釣り師としての腕を疑われるけど、発言小町だと、ちゃんと編集部が検閲してくれるから、不都合なレスは載らず、当然反論する必要がなくなる。閲覧者も、他の回答者も釣りだと気付かないで、マジレスが続いてしまう。悲劇。
じゃあ、そんな検閲がある中で、釣りトピをどうやって見分けるか、そして、どうしたら、検閲を上手く利用して、人気トピを作られるか、それが応用編になります。
長くなったので、続きは、はてブが15付いてたら書きます。id:testa_kitchen さん指摘ありがとうございます。はてなダイアリーで偉い人たちがしてたので普通のことと思ってました。私が悪いんでしょうか。続き書きます。
とりあえず、自分から見て、はっきり釣りだと分かるトピを紹介しておきます。
さっき、上に上げた「息子の内定を断らせたい」も多分釣りですね。
釣りをするぐらいしか生きている目的がない可愛そうな人たち(「釣り主」とします。)からすれば、発言小町は天国です。上に書いたとおり茶化す発言(やぬるいレス)は掲載さえもされない。純粋にマジレスばかりが残る。だから、釣りをするのは当然。
トピックを投稿する(トピを立てる)には、トピ主名、メールアドレス、パスワードを登録する必要があって、メアドを用意するのは面倒じゃないの?って思われるかもしれないけど、このメールアドレスは実在するかどうかの確認はされません。単に、トピ主であるかどうかを判断するための、IDでしかありません。だから、釣りをする下劣な連中は、出鱈目なメアドを記載するだけです。
それ以外に、釣りをしやすいのは、発言小町の回答者(いわゆる"コマッチャ")の性質にも一因はあります。発言小町を長く使っているコマッチャは、もう同じような話を何度も何度も何度も、それはもう沢山消化しているので、普通の相談には飽き飽きしています。それに、同様な質問であれば、質問をしようとしている人は過去の質問から検索して見つけるべきですから。だから、コマッチャは相談に対して、そのままシンプルな回答をすることはしません。自分の膨大なデータベースを利用して、質問者が抱えている真の問題点を洗い出そうとします。
例えば、
という相談が仮にあったとします。日常で相談を受けた普通の人と、コマッチャではこれぐらい反応の違いがあります。
と、何にも情報がなくても、過去の質問のインデックスを確認して想定できることを書いていきます。これが所謂コマッチャ特有のゲスパー(=下衆・guess+エスパー=下衆な推測)というやつです。
小町というと年収自慢をしている発言(「私の年収は、53百万円です」)ばかりという印象を持っている人は多いでしょうが、そんなことはありません。もっぱら、「専業主婦になりたいんですが」「年収1000万円です」「玉の輿に乗りました!」みたいなトピ限定です。ゲスパーのほうがよっぽどメインストリームです。
推理小説で犯人探しというのが分かりやすいと思います。これが当たると嬉しいので、コマッチャは自分の推理を書き込んでいきます。「え、これって回答じゃないよね?」と思うのは当然です。なぜなら、推理ですから。
このゲスパー以外にも、トピ主をdisって鬱憤を晴らしたいというニーズもあります。通常、極端な誹謗中傷は発言小町には載らないはずです。規約にも書いてあります。それが、非常に巧妙にコメントすることで、トピ主を徹底的にdisることが可能です。例えば、
は、
「トピ主の言っていることが良く分かりません。失礼ですが、日本語が母国語の方ではないんでしょうか?色々ご苦労があるでしょうけれど、トピ主から心が離れた旦那さんの気持ちは私にも分かります。」
に変換できますよね?もちろん、単刀直入にdisることも可能です。ただ、それは検閲で弾かれてしまうことを考えれば、一手間かけたほうがいいです。トピ主にダメージを与える発言が確実に掲載されますから。
このように、コマッチャ特有の癖があり、ネタにマジレスがされてしまう傾向があります。
発言小町の特殊性は、編集部による巧みな編集と、コマッチャのゲスパー・鬱憤晴らしテクニックによって生まれています。
ランキングに上がっているトピはほとんど釣りトピととらえた方が楽なんですが(実際は3割ぐらいです)、それだと楽しく発言小町を見ることはできないでしょうし、真剣に相談しているトピ主さんには可愛そうです。健全に小町が楽しめるように、釣りトピを見分けるコツを書きます。
釣り主は、ゲスパーを誘発させることを考えます。だから、さりげない一言を入れます。
普通の相談者は自分が相談したい内容に、秘めた願望・憎しみは入れません。事実を書きます。
釣り主は、人気のトピをチェックして、日々研鑽しているので、過去の人気トピをマネしたトピを立てます。
釣り主は、本気で相談していないので、個別のレスに答える気なんかありません。
釣り主は、相談が目的ではないので、レスは滅多にしません。レスやお気に入り数のてこ入れが必要になったタイミングでしか登場しません。
物語の確信に触れるようなこと、自分が設定していないことは回答できないので、釣り主は無視します。
釣り主は物語を進めるために、聞いてもいないのに定期報告をします。
数ヶ月、数年悩んだ問題でも、発言小町で相談すると1週間も待たずして解決することがあります。釣り主は沢山の釣りトピを立てなければならないので、一つのトピにそんなに集中できません。
こんな感じです。初期的に釣りかどうかを判定するのは結構難しいです。個別に解説が必要になってくるので。「これは、荒れるわw」と思ったら、釣りであるというのが分かりやすい判断基準ですね。
例えば、このトピは完璧に釣りですよね。トピ主名がnewmamaなのに、40代3人子持ちって。ミソジニーを生もうとしている酷いトピです。
夫が残業をしなくなりました
(続きは、時数制限で表示されないので、別に移します。質問への回答もそっちに。http://anond.hatelabo.jp/20120602131430)
まどマギについては、既に山のような論が出ているが、個人的には、どんな理屈をつけようと、「きちんと作ってある事」につきると考えている。脚本にしたって、演出にしたって、ありきたりなクリシェに依存せず、必要な事を必要なだけ作成し、丁寧に作り上げたことが、あの作品を十分鑑賞に耐えるものにしている。その中から、今回は副題を取り上げてみたい。
通常、副題を付ける一番簡単なやり方は、その回のアウトラインをまとめてしまうこと。その方法は、モーニング編集長によって、まとめられている( http://togetter.com/li/58023 )。
まずは比較として、セーラームーンの副題上位12話を挙げて見る。
とまあ、大体その内容を示唆する単語が含まれ、舞台、または主題がおおまかにわかるようになっている。
これと同じ手法をまどマギに当てはめてみると、こんな感じになる。右には比較として実際のタイトルをつける。
見ればわかる通り、実際のタイトルは何も作品内容を示していない。タイトルだけでは、何が起こるのか、いっさいわからない。じゃあ何から付けられたかと言えば、作品の中で登場人物の感情を最も表現するセリフから取られている。
ということは、サブタイトルについては、おそらくは最初に仮タイトルがつけられ、最後まで脚本が書かれた後から、改めて付け直された思って良い。つまり、一度サブタイトルを再検討する時間がきちんと割かれているという事だ。それだけ適切な時間をかけた作品である事がこの事からわかる。
こういう事が、「作品に手を抜かない」ということなのだ。
いいえ、言った通りの意味。
コントロールできないのは判りきっているんだけど、ゼロ・リスクを要求している訳じゃなくて、実用性の範囲内でも住民を《できうるかぎり》安心させることは可能なんだから。
そうじゃなくてこの一件にわざわざ言及しているのは、施設となによりも行政が《できうるかぎり》の努力をしているようにはとても見えないからで。
業を煮やした母親が群れなして突き上げ倒すまで真相究明と再発対策についてろくに情報は寄越さないわ、ミーティングには好き勝手の欠席するわ、窓口のお役所はホイホイたらい回しにするわ、事件から一ヶ月経って被害者が退院したあとで何やら一枚マニュアルをファックスしてきたって何ですか、それ。
ついでに言うと、この事件ってろくに報道されなかったんですよね。お得意の人道的配慮のおかげで。だもんで続報も出ない、対応をいい加減にしても社会問題化しないってご都合のよろしい話ですよね。
お前ら、施設作るから損しようが不安に駆られようが文句言えばサベツ、不祥事起きたらまあ、頭だけ下げといてやンよ、一応。
むしろはてサの人々がこの件でわめき倒しててもいい話だと。
ああ、その母親たちの何とかって言うのはその後、わずか一年でお約束の全てのことへのバリアフリーみたいな方向に転換して、革新系が一生懸命バックアップしてるけど、結局改善要求による成果ってのはどうなってるのか、ちょっと調べた限りじゃ見付からないくらいで
最近、狂気的な殺人ってなくね。ニュースとかやべーって奴そういうのみないじゃん。
加藤とか市橋って狂気じゃないよね。単なるダダコネだもん。すねて飯食わないとか聞いて腹抱えて笑ったよ。
殺人件数が過去最低らしいけど、そんな気がするよね。なんかめちゃくちゃ平和じゃね。
だから、ニュースで政治ばっかに目が向くのよ。景気悪いし、そんくらいしかないのよ。
じめじめとした平和って感じ。
なんか「平坦な戦場でぼくらが生き延びること」とか「終わりなき日常を生きろ」とかのクリシェっぽいな。
もうそんなんでもない。それすらあほらしい。
自民党の綱領がくだらないもんだったのでちょっと話題になったみたいだけど、しょうがないのよ。
こういう雰囲気なんだもん。内向きになるしかないよね。そしてちょっとの排外主義。
で、民主もこんな感じでしょ。笑っちゃうよね。
つーか、今なら上手くやれば独裁者になれる気がするのよ。本気でなりたいんだったら。
グダグダでじめじめしてて、うってつけの感じするよ。やろうと思えば。
政権交代で得た教訓は、思ったより今の政治家頭良くないってことと、ドロドロした世界ってのが意外にも本当にあんのかもなってこと。
なんか面倒な世界なんだなって感じでしょ。
俺他力本願だからさ、頭良い人に変えて欲しいと思うけど、頭いい奴が今官僚なるか?政治家目指すか?
糸井重里が「今コピーライター目指す奴はコピーライターに向いてない」って数年前言ってたけど、そんな感じがするよ。
やっぱ海外行った方がいいかもね。
でも、いつか戻ってきてね。
とか言って、その時俺もいないかもだけど。それってなんか悲しいけど。
「生まれてくるということがそもそも地獄なのであって、だから人間は泣いて生まれてくる」っていうネタ、古典中の古典ていうか、今までさんざんさんざんさんざんさんざん言われ尽くしてると思うんだけど、これのブコメも含めてまるで初めて聞いたかのような反応ばかりなのはなぜなんだろう?
例えばビートたけしなんかも何十年前にトークの中でさらっと言ってたし、というかネタとしてありがちで陳腐で凡庸でバナルなクリシェだと思うんだけど、どういうことだ?
仮にこのパターンのネタを初めて聞いたとしても、ああなんか陳腐だなーとか感じそうなもんだけどな。
まあ世の中の人たちってのはベタをベタと思わずに使用して楽しんでる人たちばっかりだからなあ。仕方ないか。その方がしあわせかも。
「人間が安易に発想してしまいがちなありがちパターン」みたいなものに敏感になると、結局自分自身を縛ることになって、身動き取れなくなるだけだからな。
女子アナは置屋の芸妓と言った女子アナがいた(http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080620/1213933128)より
この施策に取り組まない術はなかった。
『この方策に取り組まない手はなかった。』
・施策は策を「施す(実施する)」こと。単に「やり方」の意味で使うなら「方策」。
…しない術はない
そんな日本語は無い。「術はない」とは「手段がない(どうしようもない)」という意味で、「やらないのは勿体ない=やらないという選択肢は存在するはずがない」という意味なら『…しない手はない』。
従順で素直なところを残しながらも、一方では生意気で小憎らしく、なかなか素直には従わないところもあった方が、プロデューサーやディレクターにとっては魅力的に映り、結果、指名される確率も高くなるのだった。
いわゆる「かわいさ余って憎さ百倍」というやつだった。
「いわゆる…」全然違う。「かわいさ余って…」は従順で可愛いと思っていた相手が思うままにならなくなったとき、可愛いと思っていた反動で普通よりも一層憎く思うようになることを指す。何かクリシェを使って表現するなら『小憎らしい』とか『小悪魔』で充分。
秋葉原無差別殺傷事件について知ったのは友人からのメッセンジャーがきっかけだった。
まだマスコミによる本格的な報道が始まる前で、ニュー速で勢い13万なんていうスレを見て浮かれていた事を覚えている。
それから徐々に情報が公開されていき、見慣れた中央通りにおびただしい数のパトカーと救急車が道路を閉鎖している映像や、加藤容疑者と警察官が対峙し逮捕へと至る画像、そして血を流し倒れている被害者達を見た。これは只事じゃないぞ、と感じた。
僕は秋葉原に毎週行くようなヘビーなオタクではないし、何かに帰属意識を抱くような人間でもない。
だから今回の事件も今までと同様に、偏向報道をするマスコミとアンチマスコミを貫くネットを程よく消費しつつゲームやってるんだろうな、なんて思っていた。
だけど予想とは裏腹に、時間を経るに従って、僕は強い喪失感を抱くようになっていった。
「~は死んだ」なんてクリシェを自分が使うことになるなんて思わなかったし思いたくないのだが、そう表現する他ない感情だった。
だが、事件前の秋葉原と、これからの秋葉原を僕はどうしても接続できなかった。
あの事件は、これからどんな時でも秋葉原に影を落とすだろう。僕が中央通りを横切る時は必ずあの事件を思い出すだろう。
その時に抱く感情は、これまでの秋葉原にはまったくなかった感情だ。僕はたぶん、どこかで秋葉原という街を信頼していたのだと思う。
死とは連続性が失われ、再生不可能な形で唐突に、そして理不尽に切断されることなのだと知った。それは人も街も変わらない。
秋葉原は死んだ。
秋葉原は死してなお、新しい文化を生み出したのだ。本当に偉大な街だ。
今後の秋葉原は歩行者天国も暫く廃止するという話だし、実質的な意味でも大分変化していくのだろう。
今はまだその気になれないけれど、もう少し経って心の整理がついたら秋葉原に行こうと思う。
同感。
ネットで相手を罵倒する作法って、本来はコミュニケーションを円滑にするためにあったと思うわけだよ。その昔のネットのコミュニティって、「A=B」という主張をするためにも
どうもどうもー、こんにちわー
いや、もう○○さん、いつも鋭い指摘で困りますねー
さて○○さんの仰るBについてなんですけれども、私の勘違いでなければたとえばこんな論文があったと思うんですよ。
…(以下引用)…
これの言ってることってつまり
…(以下考察)…
そうすると、これは○○さんが
…(以下引用)…
と仰っていた「A」と原理的に近い、というより実質同一と言っても構わないものではないかと思うのですがいかがでしょう。つまり
…(以下考察)…
ということが言いたいのですけれども。
…みたいな感じで無駄に礼儀を重んじすぎて意見交換を阻害してただけでなく、もう余人の入る隙間のないなれ合い空間を形成してた。だから
BとAは同じだバカ。
みたいな作法のクリアーさが(たとえば2chで)評価されたのだと思う。
けど、上の「議論」と称するものを見ても、どうも最近「とにかく相手を貶める」「せせら笑う」「相手の意見を全く聞かず自分の言いたいことだけをひたすら主張し続け、根負けした方の負け」みたいな、それはそれで無駄な応酬が増えて、結局この「罵倒」作法も無意味なクリシェになりつつあるなと感じる。そろそろ罵倒されても無視というスタイルのクリアーさが評価されはじめる頃かなあ、と思ってる。最近。