はてなキーワード: 加藤とは
http://shizu.0000.jp/read.php/company/1218928282/
36 名前: 名無しさん 投稿日:2009/11/29 18:37 ID:CDInVj6I0
従業員を人間と思っていないような扱い。
ホームレス同然の人を採用し翌日から飛び込み営業させ、使えないと判断すれば3日でクビにする。
事務もまるでゴミのような扱い。
入社後数日なのに聞いても何も教えず、自分で仕事を探してミスすれば怒鳴り散らす。
営業と同様使えないと判断すれば馬鹿社長、デブ代表取締役、糞部長がグルになってイジメにかかる&退職勧奨。
ちなみに代表取締役のババァは仕事にうるさいクソガキ連れてくるようなDQN。
まだ募集してるから気をつけて
49 名前: 名無しさん 投稿日:2010/10/05 19:42 ID:IT99Bg4M0
うちの親がここで配管やったよ
二週間くらいで水漏れして、他のとこで見てもらったら、のりついてないとこがあったらしい。
50 名前: 名無しさん 投稿日:2010/10/05 21:36 ID:o9SY8/HE0
中央サ○ビス、会社案内のパンフには特殊車両をいくつも持っているようなこと書いてあるけど、実際はゼロ。すべてレントに借りに行ってる
ヘビーなネットユーザー男子の不愉快なところが盛り上がっているようなので、ヘビーなネットユーザー男子の私(観測範囲:はてなブックマーク、Togetter、Favstar、vip、2chコピペブログ、ネットウォッチャーのTumblr等)による感想。
これはTwitterで見かけた。しかし発言者@kuromohairがラディカルフェミニストを自称していて、尚且つ「ラディカル・フェニミストの発言」とする題名でトゥギャられていたためフェミニストからの批判もあった。
発達障害者や同性愛者へのヘイトスピーチを繰り返す「ラディカルフェミニスト」 - Togetter
・オタクが非常識な行動をして非オタクに迷惑がかかった話を聞くと、加害オタクに肩入れする。空気を読むことを強制される日本の同調圧力への批判などにつなげて、なんとしてもオタクを擁護する。
「同調圧力批判でオタクの非常識を擁護」はよくわからない、というか見たことが無い。それ抜きで強いて挙げるならハルヒダンスやオタ芸に「いいぞもっとやれ」と喝采を送るニコニコ動画あたりか。
驚異的人数でハレ晴レユカイを踊るoff in 秋葉原(本番) 325 秋葉原駅前 ‐ ニコニコ動画(原宿)
・虐待や母子家庭、貧困家庭など本人には避けようの無い不遇な環境で育ち、結果としてグレたり低学歴になった人間に対して「自業自得」「ざまぁ」と叩く。結局低学歴DQNには共感できないから叩き、コミュ障には共感できるから擁護しているだけ。
コンクリ犯に対するバッシングと加藤に対する擁護、みたいな扱いの違いは散見される。オタクに対する表現規制問題でネットが盛り上がっていた頃、福岡で実施されたヤクザ雑誌規制は完全にスルーされていた。「低学歴には共感できないから叩き」という記述から察するにはてなダイアリーを指していると思われる。
・ストーカー被害に悩まされ、暴行を受ける恐怖に日々怯えている女性に対しても、「そこまで思われること、欲望されることをありがたく思え」と考えている。女性から需要の無い非モテ男性は「誰からも欲望されない最も不幸な存在」と吐き散らす。ストーカーを純愛呼ばわりする人間も存在する。
ストーカーを純愛呼ばわり、は見たこと無いが、欲望されていることをありがたく思え、は増田とはてなハイクでみた。「非モテ男性」と記述されていることからもはてな界隈を指しているものと思われる。
現実で女に拒絶されているから妄想の中でさえ和姦など想像できない
・「女には穴があるから人生イージーモード」と「男は何歳になってもモテ続ける優れた存在、女はあっという間に羊水腐って可哀相」を、状況に応じて使い分ける。
これは2chまとめブログでよく見かける。既婚の若年女性芸能人のスレッドと未婚の壮年女性芸能人のスレッドを比べればわかる。ソースは多すぎるくらいなので貼る必要もないだろう。
・男が「調教しやすいから」という理由で処女を選ぶのは当然の権利であり正義だが、企業が「調教しやすいから」という理由で新卒を選ぶのは「再チャレンジを阻む日本の悪習。欧米を見習うべき」と叩く。
前者と後者が同一であるという確証は無い。というか関係無いのではないかと思う。ただしYahoo!知恵袋やTwitterで、「処女厨と新卒主義はメンタリティが似ているのではないか」という指摘なら見た。
・男が女を年齢で選ぶのは「妊娠可能年齢を考えた上での本能的な判断」であり正義だが、企業が「伸びしろが無いから」「高給を要求されるから」「研修などの投資を回収しきれないから」などの理由で、採用を年齢で差別するのは「再チャレンジを~」という理由で悪。
同一人物が言っているところを見たことが無い。
・男が女を「若い」「美人」「処女」「育ちがいい」などの高付加価値スペックで選ぶのは当然の権利だが、女が男を「イケメン」「背が高い」「高学歴」「安定高収入」などの高付加価値スペックで選ぶのは「卑しい」「これだから最近の日本の女は」と叩く。
見たことが無い。「※イケメンに限る」のことを指しているのかもしれないが、これは「卑しい」という意味ではなく「男性全員を対象にしているかのような指南記事」に対する批判であり「自分とは関係の無いこと」という自虐。「これだから最近の日本の女は」はネットというよりリアルでの飲み会で壮年男性がこぼすことのほうが多いのではないかと思われる。
・男の理想を叶える二次元美少女は至高の存在であり、二次元をたしなむ男は最善の選択をしている紳士だが、おばさんの理想を叶える韓流ドラマやスターの存在は韓国による攻撃であり、ファンのおばさんは反日キチガイ。
ネトウヨとオタクは重なるのか、という話になっているようだが、それはそこそこ重なる層もあると思われる。しかし本質は他クラスタに対する嘲笑ゲームでありオタクや韓流に限られないと思う。
なんというか・・元増田は捏造すんな。はてなブックマーカーは都合の悪いことを全部2chのせいにすんな。
http://anond.hatelabo.jp/20111218204414
(追記)元増田に1.5(?)が追加されたようなので。
知的障害者や脳性まひなどの重度障害者は社会に貢献できないから見下していい、関わりたくないと考えるが、アスペは「本人も苦しんでいる」から庇護されるべきで、アスペという病気を学校や企業が理解すべきであり、人事や上司はアスペへの理解と愛情をもってアスペが能力を発揮できる環境を整えるべきと考えている。多くの女性がアスペを恋愛対象として避けるのも差別だと考えている。理解と愛情をもって接するべきなのは常に周囲だけであり、本人は「病気だから」という理由で好きなように振舞ってよいと考えている。
これは『メンヘルは「本人も苦しんでいる」から庇護されるべきで、メンヘルという病気を学校や企業が理解すべきであり、人事や上司はメンヘルへの理解と愛情をもってメンヘルが能力を発揮できる環境を整えるべきと考えている。多くの男性がメンヘルを恋愛対象として避けるのも差別だと考えている。理解と愛情をもって接するべきなのは常に周囲だけであり、本人は「病気だから」という理由で好きなように振舞ってよいと考えている。』という精神疾患者が言ってもいないのに、そう思っているに違いないと思われていること・・をアスペルガー障害と勘違いしたか意図的に改変したものだろうと思われる。
いつまでも作者に絡んだり嫉妬の声ばかりあげていてもしょうがない。
そもそも作者がアレで作品もアレなのにこんだけ売れてるんだから
「出版とは作者だけじゃない奥深い世界なのだな」「別の人が頑張ったんだな」と考えるのが普通の人の思考。
http://adv.asahi.com/modules/feature/index.php/content0362.html
ちょうど当社で、ドラッカー生誕100周年のキャンペーンを展開し始めた時期でした。
刊行の半年ほど前から、ユニクロの柳井正社長がテレビでドラッカーを好きだと発言されたり、糸井重里氏が自身のウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」でドラッカーについて語られたりと、著名人を中心にドラッカー評が相次ぎ、社会的な関心が高まっていたことがあります。日本の企業経営や政治に「マネジメント」という意識が求められていると感じる人が増えていたのではないでしょうか。また、ドラッカーの言葉にはどこか人を励ますあたたかさがあり、不況で元気のない時代に受け入れられやすかった
――編集面で工夫したことは。
加藤氏 ドラッカー本というと、これまでは企業経営者に支持される傾向にありましたが、同書は、本の帯に「家庭、学校、会社、NPO… 人が集まっているすべての組織に役立つ本」とあるように、万人にわかりやすい内容なので、思いきって表紙を「萌(も)え系」のイラストにし、ビジネス書の売り場に並べたときの違和感をねらいました。
そもそも表紙を萌えにしたのは岩崎さんの意向というわけではない。
編集部や営業現場で使っていた「もしドラ」という「公式略称」も発信し、対話促進に努めました。ツイッターには発売直後から「表紙にびっくり!」「書名に驚いた」「ほんとにダイヤモンド社の本?」といったコメントが続々と寄せられました。ただ、ツイッター上の盛り上がりは新しいネタがなければ半日程度でおさまってしまうので、編集部や宣伝部の人間でマメにフォローをし、公式ウェブサイトにリンクを張ったり、新聞広告の感想を募ったり、書店店頭やユーチューブで流している公式PVに誘導したりと、火に薪をくべるように情報を提供し続けました。
この時期にしてはかなり精力的な取り組みが行われている。
ネット上のクチコミの広がりがヒットの要因の一つであることは間違いありませんが、これらはすぐに通り過ぎてしまう情報です。今年2月頃から売り上げがさらにグンと伸びたのは、メディアの影響がかなり大きかったですね。
ネットで盛り上げてテレビや新聞といったマスメディアにつなげる。ネットの力を過大評価しない。
――主な購買層は。
加藤氏 当初はビジネス書の読者層、20~30代男性が中心でしたが、青春感動物語としての認知が高まるにつれ女性にも読者層が広がり、現在は男性55%、女性45%という比率です。また、全体の16%が50代以上の男性で、以前からドラッカー本を愛読していた人、昔読んで途中で挫折した人、気になっていてずっと手にしていなかった人などにも支持されています。
そもそもなんでこんな本がヒットするかというと、それだけ社会に多くの問題があるのだということであり、
この本について語るなら、そういうところを話ししようぜ。
http://www.economist.com/node/16481583
Women remain an underused asset: only 61% of them work, their average income is less than half that of men and they occupy barely 1% of boardroom seats. If Drucker, with the help of a headstrong teenager, can posthumously change that, it would be his greatest gift to Japan.
日本では61%の女性しか働いておらず、平均給料は男性の半分以下で、女性役員は1%しかいない日本において、これをドラッカーが変えることができたら、日本にとって大きな贈り物になるだろう
もしドラはともかく、「マネジメントは学ぶことができる技術であり、それを学んだものであれば、男でも女でも関係ない」というメッセージを重視して、偉そうにふんぞり返ってる男共の根拠のない優位性をそげぶしていくことが必要であると思う。
ところで。
無料で高品質の記事を提供し続け、日経新聞にも嫉妬される素晴らしいメディアによると、
もしドラはドラッカー協会の会長にも評価され、アメリカでも翻訳されて出版されるはずだったはずなんですが
その後どうなってるんでしょうかね?どこかもたついているんですか?
http://blogs.yahoo.co.jp/goisu166/folder/1209047.html
731 :優しい名無しさん:2007/07/06(金) 10:14:11 ID:dSHhKWfW
1990年には、米国の3つの物質依存治療センターで、アルコール依存症で治療中の患者を対象に、
親のアルコール依存症の有無によって2群に分けて調査を行い、
その結果、米国の正統派の精神科の診断基準マニュアルであるDSM-Ⅲで、
その2群にはまったく統計的な有意差は認められなかったと報告し、
http://mimizun.com/log/2ch/utu/1175555457/
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3653/archive/kato01.html アダルト・チルドレンの語られ方 -雑誌記事の分析より- 加藤 篤志 『茨城大学人文学部紀要 コミュニケーション学科論集』No. 4 (1998年9月発行) 165-180ページ所収
http://www5.ocn.ne.jp/~misuzu/tamaki.html 書評「心理学化する社会」 -精神医学という名のメタなる怪物-
上記レスの調査ではないようだけど、フロイト先生のウソという本でも、虐待の連鎖については差はあるものの、8%と12%なので、大した差では無いという事になったと書いてあるらしいです。
http://psychodoc.eek.jp/abare/ac.html 中立的なものの見方の精神科医の意見 精神医学界では冷遇されているとしながらも、頭から否定はしていない。1999年書かれたもの。ちょうど流行りかけのころか。
その中にもこう↓書いてある。
>ACとそうでない人々の間に統計的有意差はなく、ACなんてものは存在しないと主張する研究者もいたりする。
986 : 没個性化されたレス↓ : 2010/06/29(火) 22:37:15
アメリカのソーシャルワーカー達がアダルトチルドレンという無根拠なレッテル貼りを始めてから
もう40年という月日がたってしまった。
それを利用したAC業者やマスコミが被害を拡大させて、日本でも30年近くこの無根拠な概念が暴威をふるった。
このAC概念は無根拠なくせに極めて専横的で疑いを許さなかった。マスコミとAC業者がそうさせなかったのだが。
AC概念は人々を苦しめ、裁き、断罪し、この概念のくびきのもとで生きる事を強い、いささかの救いの道をも与えなかった。
ACは無根拠であるが故に疑いを許さなかった。ヒットラーのように。北朝鮮のように。
AC収容所の人間は小石のようなあきらめをしゃぶり乾きを癒すしか無かった。
ACに根拠は無いのに。
そして強制収容所の人々が「ここにいるから私は友と知り合えて生きていること許される」と心理的な合理化をするように
「ACを知ったからこそ私の人生がある」と合理化をするようになる。
商業主義の暴虐に痛めつけられ囚われの身となった人の心が、最後の誇りを失わないようにするために
強制収容所に30年幽閉された人が解放されてもとまどうように。
30年と言う月日をAC商業主義の暴虐に晒された心に「ACには何の根拠も無い」
と言われてもすぐには受け入れらないのはもっとなことだ。
このスレも次スレもこうしたAC被害者のリハビリをどうするかという問題も検討されるべきだろう。
http://logsoku.com/thread/academy6.2ch.net/psycho/1035617398/
水科学なら、専門家が出てきて疑似科学や似非科学を批判してたのに・・・
自称ACではなく、自称AC専門家、自称AC心理療法家は、どこのどういう学会でどういう論文を発表し、どういう風に評価されたのか、客観的に分かる形で示して欲しいものだと思います。(論文はあっても正式の医学の学会のではないものが多い)
http://anond.hatelabo.jp/20110919235051 の続き
多すぎたのか最後が入らなかった。
上のに入らなかったので
731 :優しい名無しさん:2007/07/06(金) 10:14:11 ID:dSHhKWfW
1990年には、米国の3つの物質依存治療センターで、アルコール依存症で治療中の患者を対象に、
親のアルコール依存症の有無によって2群に分けて調査を行い、
その結果、米国の正統派の精神科の診断基準マニュアルであるDSM-Ⅲで、
その2群にはまったく統計的な有意差は認められなかったと報告し、
http://mimizun.com/log/2ch/utu/1175555457/
ACを自認する人を責めたり疑ったりするつもりはありません。
前の日記にも書きましたが、このレスの元の論文そのものを論文検索サイトで探しても、見つかりませんでした。英語なので探しにくいです。昔のだという事もあります。
わかる方いらっしゃいませんか?
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3653/archive/kato01.html アダルト・チルドレンの語られ方 -雑誌記事の分析より- 加藤 篤志 『茨城大学人文学部紀要 コミュニケーション学科論集』No. 4 (1998年9月発行) 165-180ページ所収
http://www5.ocn.ne.jp/~misuzu/tamaki.html 書評「心理学化する社会」 -精神医学という名のメタなる怪物-
上記レスの調査ではないようだけど、フロイト先生のウソという本でも、虐待の連鎖については差はあるものの、8%と12%なので、大した差では無いという事になったと書いてあるらしいです。
http://psychodoc.eek.jp/abare/ac.html 中立的なものの見方の精神科医の意見 精神医学界では冷遇されているとしながらも、頭から否定はしていない。1999年書かれたもの。ちょうど流行りかけのころか。
その中にもこう↓書いてある。
うん、そうなんだ。すまない。「もしドラ」作者の次回作を期待して買ったと思うが、実はこっちのほうが先なんだ。
でも、この本を見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない 「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。
そう思って、このあとがきを書いたんだ。 ついでに俺とこの小説の馴れ初めを聞いていってくれないか。
三十歳を目前にして小説家になりたいと強く願った僕は、まず手始めに四百字詰め原稿用紙にして六十枚ほどの習作を書こうと試みた。
六十枚とした理由は2つあって、
もう一つは、文藝春秋から出ている「Number」という雑誌で当時、スポーツノンフィクションの新人作家を発掘するコンクールが開かれていたのだが、応募規定が六十枚だったことである。
その時ぼくは、「Number」に掲載されているようなものを書きたいと思っていた。
といっても、スポーツノンフィクションを書きたかったのではない。
「Number」に掲載されている記事のようなテイストで、フィクションを書きたいと思っていたのだ。
なぜ「Number」テイストのフィクションを書きたかったのかといえば、その文体に惹かれていたからだ。
「Number」の文体には「Number文体」とでも呼べるような、ユニークな特徴があった。
簡潔でリーダビリティに富みながら、遠く特の修辞法や言い回しによって読者をワクワクさせるケレン味も兼ね備えていた。
それをフィクションに適用すれば、フィクションとノンフィクションの境目が曖昧になる虚実皮膜の魅力を小説に持たせられるのではないかと考えたのだ。
そうしてNumber文体で小説を書くことは決まったのだが、どうせなら内容や分量も「Number」に準拠したものにしようと考えた。
さらには、それを洒落で「Number」の新人賞に応募しようとまで考えたのだが、これは後述する理由で断念することになる。
ともかく、そういう狙いをもってぼくはその作品の準備をし、執筆に取り掛かった。
小説を書こうと思った僕は、自分が好きだった雑誌「Numbers」の文体を参考に執筆を開始することにした。
高校時代、ぼくは拠ん所ない事情から野球部のない学校に通っていたのだが、そこで野球をするには軟式の同好会へ入るしかなかった。
そのため、甲子園への道ははじめから閉ざされており、そのことが、甲子園出場が幼い頃からの夢だった僕にとっては身を引き裂かれるような痛恨事となっていた。
そのため、いつからか「今のこの状態から甲子園に行くにはどうすればいいか」と、その道筋を夢想するのが癖となった。
そのことを書こうと思ったのだ。
題材は、高校野球にすることにした。
書き始めに際し、僕はその夢想の道筋---則ち野球部のない高校が甲子園に出るまで---には、最低でもおよそ十年間の歳月がかかるだろうと見積もっていた。
だから最初は、その十年の歴史をあらかじめ設定してあった六十枚という分量の中で書ききろうとしたのである。
ところが、いざ書き始めてみると予想外のことが起こった。
その夢想を追憶するうちに、次から次へとさまざまなエピソードが思い浮かんで、筆が止まらなくなったのである。
おかげで、予定の六十枚にはあっという間に達したのだが、内容はというとまだ本の一年半分ほどしか書ききれていなかった。
そこでぼくは、方向転換を余儀なくされた。
分量を、当初の予定だった六十枚に納めることを諦め(同時に洒落でコンクールに応募するのも諦め)、この先何枚かかるか分からなかったが、とにかく十年を描き切るまで書き続けようと決めたのである。
そうして三ヵ月が経過した後、ぼくはとうとうそれを書き上げた。
「緻密に選手にクローズアップするNumberの文体」と「10年間の分量を原稿用紙60枚」。どっちもやらなくちゃいけないってのが小説家のツライところだな。
覚悟はできてるか、俺はできてる。
(中略)
とおもってたんだけど無理だった。ごめんてへぺろ☆(・ω<)
するとぼくは、その書き上がった現行に対し、不思議な感慨を抱いた。自分が書いたものであるにもかかわらず、自分のものとは思えなかったのだ。
いや正確に言うならば、その分を書いたのが自分だという実感はあった。しかしながら、そこに書かれている物語が自分が考えたものだとは思えなかったのである。
それはまるで、もとからこの世界に存在していたものであるかのようだった。
いや、もはやある種の「事実」のようであもあった。
ぼくのしたことは、その事実をテキストとして書き起こしたにすぎなかった。
つまり、まるでスポーツノンフィクションの作品を書いたような気持ちだったのである。
そのため僕は、書き方についてはともかく、内容については大きな自信を抱くこととなった。
なにしろ、自分が興味をいだいた事実を取材して書いたような気持ちだったから、誰が読んでも面白いだろうと信じて疑わなかったのである。
そうしてぼくは、これを世に出す算段を巡らせた。
しかし、そこではなんの答えを得ることも出来なかった。
いつまで経っても返事は来ず、そのまま数カ月が過ぎた。
そこで、今度は電話で問い合わせてみた。原稿を送付した出版社に対し、
原稿は届いているか、届いているなら読んでもらえたのか、読んでもらえたのならどんな感想だったのか---それらを聞こうとしたのである。
しかしながら、そこでも芳しい答えを得ることは出来なかった。
何人かの編集者は実際に応対してくれたし、一人は会って話をしてくれたが、しかしやっぱり、前向きな返答を引き出すことは出来なかった。
評価されなかった。
それから、ぼくの苦悩の日々が始まった。三年をかけて、さらに四作の小説を書き、小説家として世に出ることを試みた。
しかし、紆余曲折の末、ついに挫折するに至ったのだ。
その試みを諦めざるを得なくなり、おかげで、それらの作品が出版にいたることはついになかった。
落ち込んだ。
ただし、小説は勤めの傍らで書くつもりだった。
ぼくの敬愛するルソーやゴッホという画家は、絵は売れなかったがずっと描き続けた。
カフカや宮沢賢治も、生前は脚光をあびることはなかったが、死ぬまで書き続けた。
そういう存在に、ぼくもなろうとしたのだ。
立ち直った。
ところが、そんなぼくに青天の霹靂ともいえるできごとが、やがて訪れる。
処女作を書いてから十年後の二〇〇八年、ダイヤモンド社の編集者である加藤++さんから、小説の執筆依頼を受けたのだ。
そこで、ぼくの胸中にはさまざまな物思いが去来した。
思わぬ形で描き上げた処女作のこと、それからの三年間の苦労、さらにその後の勤め人としての生活---そうしたことがぐるぐると駆け巡った。
チャンスがキタ。
ところで真のアルファブロガーま○めさんはいなかったことになってるね
その時、ぼくは決意した。
この作品は、二百万部を越すベストセラーにしようと。
そうしなければ小説家としてのぼくの人生はいよいよ完全に閉ざされたものになってしまう。
あるいは、ぼくの書き上げた「エースの系譜」を含めた五篇の小説は、永久にその出版の機会を失われてしまう---そんな危機感を抱いたのだ。
チャンスに浮かれることなく気を引き締めた。
そうして書いたのが、「もしドラ」だった。
大ヒットした。
それから半年が経過した二〇一〇年五月、講談社のマンガ編集者である村松++さんから連絡を頂いた。
しかし、この時は既にコミック化に関しては別のオファーを頂いていたから、彼にはそれを断る旨を率直に伝えた。
その上で、無碍に断るにも失礼かと思い、何か別の形で貢献できることはできないかと考えた。
その時ふと脳裏をよぎったのは、十二年前の記憶だった。十二年前、あれほど強く世に出したいと願いながら、結局それが叶わず、今もパソコンのハードディスクの奥に眠ったままの、「エースの系譜」のことだった。
これを世に出すことはできないか---ぼくは、会いに来てくれた村松さんにプリントアウトした原稿を託すと、「もしご興味がおありなら、これをコミック化してもらうのはどうか」ということを打診した。
チャンスを活かしてヒットをものにしたら、さらにチャンスが広がった。
すると数カ月後、村松さんからぜひコミック化したいとの返事を頂いた。
それは、僕の積年の願いがかなった瞬間であり、嬉しかったのと同時にホッとさせられた出来事でもあった。
このままこの物語を眠らせておくのは、何よりこの物語に対して忍びないと思っていたからだ。
ところがその数カ月後、さらに思わぬご依頼を村松さんから頂く。それは、これを単にコミック化するだけではなく、小説としても世に出さないかというものだった。
村松さんが言うには「この小説はとても文学的なので、コミック化したときには、表現の特性の違いなどから、この文学的魅力がいくらか薄れてしまうことになる。しかしそれは非常にもったいない。この作品は、物語としての魅力もあるが、純粋に文学としてもとても魅力的だ。それを十全に表現できるのは岩崎さんの書いたこの原稿以外ない。だから、それをこのまま眠らせておきたくはない」とのことであった。
ついに、ぼくの願いは十三年越しにかなった。
そうして「エースの系譜」は、実に十三年という長い月日を経て、ついに世に出ることとなった。その小説版の編集には柴山++さんにあたっていただいた。村松++さんと柴山++さんのお二方には、大変お世話になった。この場を借りて、お礼を述べたい。ありがとうございます。
最後に、この本はぼくの幼なじみである+++++くんに贈るということを、ここに記したい。小学校一年生の時、クラスメイトだった+++++くんの家に遊びに行った折、そこで彼の持っていたマンガ「ドカベン」に出会ったぼくは、たちまちその虜となった。そのことが、後にぼくが野球にのめり込むきっかけにもなったし、マンガや創作活動に対する興味を抱くことのきっかけにもなった。これがなければ、ぼくは「もしドラ」や「エースの系譜」を書いていなかっただろう。++くんが、ぼくにこの物語を書く契機を与えてくれたのだ。++くん、ありがとう。
そんな言い訳は認められないですね、はっきり言って。内面化された「自分」の視線を「社会」だなんて呼びなさんな、と思います。
早い話、加藤智大の言い訳を聞いてるのと同じような印象しかない。程度の差はあれ、ね。何もかもぶちこわしたくなる衝動、あるいは「不都合な真実」はなかったことにしたくなる衝動自体は誰でも理解できるものだし、加藤の「非コミュで非正規」という境遇がしんどいことは理解できるが、だからって人を殺すかよ、と。
人を殺すくらいならサンドバッグでも殴ってりゃいい。中絶するくらいなら最初から子供なんか作らなきゃいい。それだけのことなのに。
たぶん、障害者の親とか兄弟って、社会から、障害者を明るく前向きに受け入れて育てている「理想の家庭像」を押し付けられてると思う。
「普通の家庭」だったら普通にあるような、家庭内のトラブルや親兄弟の対立が、「障害者の家庭」ではあってはならないものとされているような。
ないとはいわないし、私がそれで苦労しなかったとはいいませんけど、少なくともうちの場合はどこの家庭にでもある一定の歪みの範囲を超えるものではなかったと思いますね。そういう風にめちゃくちゃになる家庭もある、そうならない家庭もある。
貧困と犯罪に相関関係があっても、「貧困家庭に生まれたら犯罪者になるしかない」ということではないというのと同じようなもんですよ。
子は親を責めても良いけど、社会が親を責めるのは違うんじゃないのって。社会の側から見たときに、中絶した親を指して「お前は加害者だ!」って言うのは、虫が良すぎるんじゃないのって思ったんだ。
そこで中絶された「子」は口を塞がれてるわけだから、誰かが代弁してやらないといけないし、その意味で私は自分の立ち位置は決して不適格ではないと思いますが、違いますかね。
『七月七日展 ― 衣服造形/コンセプチュアル・クローズ』を見た。
眞田岳彦氏の弟子(?)の作品が中心らしい。
それほど期待しないで行ったのだけど、なかなか良かった。
宮園夕加さんの、ボタンとボタンホールの距離を天の川に見立てて、
伝説では、天の川の橋渡しをするのはカササギの役目なんだそうだ。
テーマの「針仕事」と「七夕」が無理なく融合されてて、それを一番うまく表現してる作品だったと思う。
単純に、見た目がかわいいのも良い。
今回のベスト!
奥村絵美さんの作品も良かった。これも一見してとてもかわいい。
人間を一本の「まち針」として捉えるというコンセプト。
粘土と針でつくられたたくさんの小さな人間が、それぞれに環境を仮止めしている。
「針を自分自身の比喩とする、っていうアイディアはありだな」って私自身展示を見る前に
考えていたのだけど、縫い物をやらない私にはそこで「まち針」という発想は出なかった。
でも言われてみれば納得、でした。
仮止めされる「環境」の部分を何かもっと表現できそうかも、とも思ったけど。
良かったとストレートに言えるタイプの作品ではないけど、好きだ。「コンセプチュアル」。
糸が縫い付けられている。タイトルは『誰でもない肖像』。
写真の上から縫う技法は、有名な清川あさみさんを思い出させる。
けど、写真の女性が制作者の針仕事によって「誰でもなく」されてしまうことには一体
どういう意味があるのか。あるいは針仕事で加工される前から、彼女は誰でもないのか。
…写真に写る私は、そこに縫い付けられている限りでの人間であって、無限のあり方を
可能的にもつ自由な実存としての私ではない、だから「誰でもない」…?
制作者はこの展示のチラシで、針仕事について、「私たちの存在を露にし、生き生きとさせる」と書いてる。
こんなことを言われると、私としては、ハイデガーの技術論を持ち出して、その中に「針仕事」の
ポジティブな位置づけを探して色々言いたくなってしまうけど、結局のところ、その言葉と、
制作者自身の作品との関連はよく見えない。
う~ん。
…写真に写っているのは過去の私である。それは過去のその時点に縫い付けられている限りでの
私であって、現在の私とは異なっているし、通時的な無限定の私とも異なっている。だから、
過去において確かにそれは私だったが、いまや「誰でもない」…?
あと2つくらい気になる作品はあったけど、作者名も作品名も覚えてないので割愛。
帰りにブリジストン美術館に寄ろうと思ったら展示替え中で休館だった。
(エス)
===================
7月7日展 -針仕事に願いをこめた37名のデザイン&アート小作品展-
会期 7月4日(月)~7月9日(土) 10.:30~18:30(最終日のみ17:00まで)
入場無料
TEL 03-3281-0320 FAX 03-3281-0366
出展作家:
大江よう 今村滋男 藤谷さやか 末延晋太郎 久保田玲奈 関美来 飯田亜希子 土井直也
永井俊平 山口真代 宮田明日鹿 山中周子 宮園夕加 佐藤綾 松田かや 三上司 加藤ゆき子
桑田麻弓 後藤有紀 奥村絵美 平尾菜美 アーヴィン=ヒバ=アリ 小平由実 西村洵子 平井幸恵
盧暎雅 島田彩子 池田のぞみ 山本佳那 長鶴司 林凡乃 大八木富士奈
===================
Sanada Studio Inc. (サナダスタジオ)-眞田岳彦のデザイン事務所
京橋「千疋屋ギャラリー」で「七月七日展」を観る。 - マスヒロ食時記
「6.11新宿・原発やめろデモ」において発生した、20歳学生に対する集団リンチ
「6.11新宿・原発やめろデモ(http://611shinjuku.tumblr.com/)」において、20歳の学生に対する、集団リンチ事件。
「ヘイトスピーチに反対する会」有志
柏崎正憲 栗原学 常野雄次郎(@toled) ほくしゅ(@hokusyu82) 山口素明 ほか2人
さげすんでいるつもりが自分の方が心にダメージを負ったんだね。
君がさげすんでいる「不細工」も、身分違いの告白をした瞬間周囲が「ぐぎぎ」と顔を引きつらせているのは
なんとなくわかってるんじゃないかな。「自分がバカにされてる」なんて辛い事実、無意識下に押し込めて、見なかったなかったことにしてるかもしんないけど。
でもやっぱり怒り・羞恥の気持ちは発生してて、ささやかな復讐のために自分の恋心を周囲に漏らし続ける。不快な刺激だと分かっていても。
自分をバカにしてる周囲に配慮なんてする必要はありません。(ほんとここらへんは超無意識かも)
リア充?であるあなたが苦しめば苦しむほどあなたの大嫌いな「身分不相応の不細工」は喜びます。
とか考えればどうでしょう。加藤たいぞうの言葉にそんなんがあったなあと思い出して。
ところでこういう"身の丈に合わない自己認識"を憎悪する例として「年収一千万を相手に望む婚活女」「おばさん・不細工の"くせに"女性専用車両に乗る女」とかもあるけど
こういうのにもメラメラするのでしょうか?
言うでしょ、綱紀粛正って。
組織に属しているくせに組織を愛せない、組織の命令に従わないような人間は組織から締めだすべき。
あと、飲み会やプライベートでこぼした愚痴なんかは密告すると昇進の判定に良い影響が出る、というのもいいではないか。
っていうのが俺の理想で、どの組織にも属せない反社会分子をあぶり出し、見せしめに殺すところまでいければいいなって感じ。
というか、ファシズムだ北朝鮮だっていうけど、北朝鮮って国家間の協調体制に協力しないから糾弾されてるだけでしょ。いつミサイルぶっぱなすかわからないアキバの加藤みたいなのが北朝鮮。国歌で起立しない教師みたいなのが北朝鮮なんだけどさ、そういうの持ち出してる人ってほんと頭悪いよね、誰とは言わないけど。
俺はそういうの抜きにすれば北朝鮮は嫌いじゃないよ。喜び組とか軍隊の行進とか美しいじゃない。ああいう整然とした美は大事だよ。日本の自衛隊ももっとそういうとこアピールすればいいのに。
Google動画検索を SKE48のメンバーで ググってみた結果
大矢真那 660 件
小野晴香 485 件
加藤るみ 約 394 件
木﨑ゆりあ 約 157 件
桑原みずき 618 件
須田亜香里 約 672 件
高田志織 約 504 件
出口陽 約 431 件
中西優香 約 670 件
平田璃香子 約 530 件
平松可奈子 約 718 件
松井珠理奈 約 4,930 件
松井玲奈 約 3,900 件
松下唯 約 390 件
チームKII
赤枝里々奈 約 324 件
阿比留李帆 約 301 件
石田安奈 約 523 件
小木曽汐莉 約 506 件
加藤智子 約 338 件
後藤理沙子 約 287 件
佐藤実絵子 約 361 件
高柳明音 約 1,160 件
秦佐和子 約 516 件
古川愛李 約 650 件
松本梨奈 約 369 件
向田茉夏 約 970 件
矢方美紀 約 330 件
山田澪花 約 292 件
若林倫香 約 297 件
チームE
磯原杏華 約 288 件
上野圭澄 約 296 件
梅本まどか 約 235 件
金子栞 271 件
木本花音 383 件
小林亜実 215 件
酒井萌衣約 223 件
柴田阿弥 約 206 件
高木由麻奈 約 216 件
竹内舞 約 207 件
都築里佳 約 219 件
中村優花 約 279 件
原望奈美 約 240 件
間野春香 約 273 件
ゲル閣下の娘の東電入社や、それ以前の国旗国歌法改正(改悪)に向けての行動にを見ていると、2chで人気だった政治家ってろくなことにならないなと思った。
麻生太郎:首相になるもリーマンショック、失言連発、増税発言による支持率低迷→自民党下野時の総理大臣に
鳩山由紀夫:首相になるも地震の政治資金や米軍移転問題で失脚→党内非主流派に
石破茂:党内穏健派のイメージで活動→下野時の農水大臣→自民党下野後、総裁選に出ず谷垣支持→国旗損壊罪立法など急激に右旋回→原発事故、娘が東電に
鳩山や加藤は?な人もいるかも知れないが、加藤紘一は2chに釣られて「加藤の乱」を起こした。鳩山由紀夫は2ちゃんねらーを公言していたため、一時期は人気があった。
こうして見ると石破茂の娘のコネ入社なんか大した問題じゃないように見える。むしろ、最近の極端な右旋回のほうが気になる。
逆に総理を辞めたあとも党内を荒らすルーピーが最悪すぎる。ある意味安倍晋三を越える戦後最悪の元総理になりつつ有る。
最近は原発関連で河野太郎が見直されているけど、2chでは嫌われ続けて欲しい。石原慎太郎なんか見てれば分かるように、2chで嫌われていたほうが政治家は長持ちする。
【計画停電】 加藤コミッショナー 、SMAP引き合いに 「SMAPだって何だって、自分たちでやるんだということを昨日、言ってます」
1 :影の軍団ρ ★:2011/03/23(水) 13:30:30.78 ID:???0
蓮舫節電啓発等担当相(43)が22日、セ・リーグの決めた試合日程に強烈なダメ出しをした。
東京・霞が関でNPBの加藤良三コミッショナー(69)、新純生セ・リーグ理事長(ヤクルト常務)=(58)、
井上智治パ・リーグ理事長(楽天オーナー代行)=(56)、日本プロ野球選手会の新井貴浩会長(34)から報告を受けた。
加藤コミッショナーがSMAPを引き合いに出した。3省庁訪問後の会見で「この状況下で野球を行うことを不謹慎だとは思わない」
と発言し、「SMAPだって何だって、自分たちでやるんだということを昨日、言ってます」と続けた。
21日に放送されたフジテレビ系「SMAP×SMAP生放送~いま僕たちに何ができるだろう~」でSMAPが番組を通じて
見てみぬふりをしてきた。
権利ばかりを主張するようになった。
そんな国民性が生まれてしまったからこんな世の中になってしまった。
でも、こんな発言をする年寄りや東電や民主党の駄目な人達のような人が今の混沌を生み出してしまったように思えてならない。
で、このごに及んでも【他人事】
いい迷惑だ。
ツイッターでセ・リーグの日程変更について否定的な見解を示した蓮舫節電啓発担当大臣
Photo By 共同
球界は官庁行脚でナイター実施に理解を求めることになった。加藤良三コミッショナー(69)とセ・リーグの新(あたらし)純生理事長(58=ヤクルト球団常務)、パ・リーグの井上智治理事長(56=楽天オーナー代行)は22日、文部科学省を訪ね、ナイター自粛など節電を強く求めた通達に対する報告を行う。この報告には選手会の新井貴浩会長(34=阪神)の同行も決まっている。
節電を強く求める通達を出した文科省は日本野球機構(NPB)の監督官庁。加藤コミッショナーが掲げた試合開催の条件の一つが「政府、監督官庁の指示に従う」だけに、18日に鈴木寛副大臣名で届いた通達への報告は、開幕へ向けて極めて大きな意味を持つ。
セは通達を受けて19日の理事会で、一度発表していた25日開幕を29日に延期。加えて全試合延長戦なしとするほか、東京電力管内では4月5日以降「減灯ナイター」を実施し、夏場にも極力デーゲームを組む節電対策を打ち出した。これらの節電計画は文科省幹部と連絡を取り合って決めたもので、巨人・清武英利球団代表は「文科省にも理解を得られるようになったのではないか」と自信をのぞかせていた。
パは21日の臨時オーナー会議で節電対策を検討。球界一丸の姿勢を示すべく、新井会長も同席の上で報告へ臨む。NPBの一行は文科省を訪ねた後、経済産業省、蓮舫節電啓発担当大臣へも報告する方向で調整している。ナイター実施に難色を示す官庁を回って理解を得たい考えで、新理事長は「12球団の姿勢を伝えるために行って参ります。ご理解いただけるように努めようと思っております」と話した。
蓮舫氏は自身のツイッターで、あらためてセの開幕日程変更に否定的な見解を示した。問題視したのは、やはりナイター。既に笠浩史・文部科学大臣政務官と電話で協議したとした上で「計画停電を実施し、夕方の帰宅時にご不便をかけている東電管区内でナイター開催に私は慎重意見と伝えました」とした。「減灯ナイター」と言っても巨人と東京ドームが発表した節電計画は約40%。1試合で1000世帯単位の電力消費は確実だ。「事業仕分け」で注目を浴びた蓮舫氏にとって、ナイターは見過ごせない「仕分け」対象と言える。
セ、パで節電対策に温度差がある中、ナイターの実施に理解を得られるか。22日の官庁行脚での成果が注目される。
◇鈴木寛副大臣による通達 東日本大震災の発生を受け、コミッショナー宛てに文書で通達された。「このような状況を踏まえて、電力の安定供給ができるまでの間、特段のご協力をお願いします」とあり、(1)東京電力・東北電力管内以外の地域で試合を開催(2)特に同管内の地域ではナイターの開催は厳に慎む――と要請。デーゲームでも消費電力量が多い東京ドームなどでの開催自粛を求め、東日本でのナイター自粛を求めている。