はてなキーワード: コネとは
横だが、もともと専門性などを理由にして間口が狭くなっている採用枠に、コネが有効であることは非難はされないだろう。
その反対に、一見すると職業としてはそれほど専門性が高いとはいえないところに対して、全面的にコネ以外は却下としてしまったところが面白いのでは。
キミは本当に馬鹿だな。
一般公募してる(コネ採用なんて書いてない)ところでコネを匂わせたら、そりゃ叩かれるだろ。
んで、岩波はなんていったのよ?
これと、君が言う「ゲル娘」とやらの共通点はなに?
岩波の縁故採用はハテブとかホッテントリ見る限り擁護ばかりで批判はほぼないのに
なるわけないだろw
縁故採用しかしない(公に募集をしてない)企業がどんだけあると思ってんだ。
技術、事務、営業、職種を問わずに、コネでの採用なんか腐るほどあるぞ。
バカかww
「出自性別による採用差別」って、別段男女比率とか年齢比率を国が規定して、守らなきゃいけないわけじゃないから、なんにも解決してないけどな。
(ここで、半分は女性を採用「しなければならない」となったら、それはそれで差別になりそうだが)
文言が、「男性30歳以下」から「条件なし」に変わるだけで、男性で30歳以下が応募してきたら、優先的に採用される。
今回の件だって、なんらかの人権団体が言ったんだろうが、対応したところで、裏でコネがないと採用しないってなるだけだ。
これとは別に、必要なときに社内の人間がよさげな人を採用する、という手法も国は規制できない。
やるなら、国が採用を徹底管理しないといけないが、馬鹿馬鹿しいだろ?
単なるパフォーマンスだよ。
http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2012/02/23-1903.html
コネ採用と出自性別による採用差別って本質的に違いがないと思うんだが。
確かにコネは努力で獲得しようと思えば可能だが、出自性別は獲得不可能なものだ。
しかし、コネがある人を採用したいという企業側の要求だけ肯定され、特定の性別出自の人を
採用したいというほうは否定されるのは何故か。政治的正しさとやらかな。憲法の基本的人権からか?
(出自というと被差別部落の人を連想するが、イスラムだったり、キリスト教原理主義を連想される
人は面倒だから落とされてそうだ。)
DeNAが「ソースは公開するが勝手な改変禁止、用途限定」の極めてユニークなライセンスを打ち出して数時間後に撤回した。
https://github.com/DeNADev/Arctic.js/commit/b92eea0a83b9b01c53eb3f6fb65fdb8af6bc0aab#diff-1
さて、「内容は公開するが、内容の改変は許諾が必要」というオリジナリティ溢れるライセンスを、この記事では「DeNAスタイルライセンス」と呼ぶ事としたい。さて、DeNAライセンスの内容から、DeNAのたくらみが幾つか想像できる。
「ウチのソースを侵害しとるやんけワレぇ、出るトコ出てもらおかい」と中小ソフトハウスを牽制恫喝し、囲い込むために敢えてソースを公開し、他社プロダクトの類似動作やモバゲー参加ベンダーへの牽制に利用したかった、と読むことは難しくあるまい。それはDeNAスタイルライセンスの指針はOSSのそれではなく、明らかに特許指向であるからも伺い知れる。MicrosoftやAppleに範を取り、知財戦争における兵器兼防衛機構としてDeNAスタイルライセンスで守られたコードを行使したかったであろう事は想像に難くない。
多くの日本企業が製品のOSS化に踏み切れないのは、正に上記の一点に尽きる。
というのがエンタープライズエグゼグティブ様の本音であることを考えると、DeNAスタイルライセンスは、日本企業の欲望を満たす厚顔無恥なジャパニーズスタイルライセンスとして社畜や下請けの皆様の献身を一身に集めたであろう。仕事のない下請けソフトハウスが、DeNAスタイルライセンスの大手SIer謹製フレームワークを必死にカイゼンしてコネ作りに励む美しい光景が、数年後には見られたかも知れない。
DeNAスタイルライセンスの隆盛が、日本のIT企業に利益を齎したかもしれないのに。DeNAスタイルライセンスが、日本のIT企業を更に強固にガラパゴス化して守る鉄壁のゾウガメの甲羅になれたかもしれないのに。「Googleっぽいからいいよね」みたいなノリでMITライセンスに安易に逃げたDeNAの及び腰が残念でなりませんでした。まる。
コンビニバイトでもしばらくはやってける貯金は切り崩してジリ貧だろうがね。
起業というより
FCオーナー系かローリスクのネットアルバイト(アフィ・ドロップシッピング)
トライが足りないのはあるが、この年齢だと実務経験がもの言うんだよね。
コネも持ってないし....
http://anond.hatelabo.jp/20120118104228
「失業ほど根源的な反抗は無い。あの人たちにはそこのところがわからないんですよ」
「で、あんたはいつ辞表を叩きつけるんだ?」と問い返さないでいるのが困難。
「まあ、20代半ばのアマチュアロックバンド座付き作詞家の半失業者に向かって、一部上場企業の正社員が「反抗しろよ」とか言ってたわけですからね。」
気持ちはわかる。でもさ、そうやって若者、とくに非正規を扇動するのはどうかと思うんだ。
だってさ、じゃあ非正規がどうしろっていうんかな?
んなわけない。
失業率が上がろうと、正社員のポストは渡すような試みをすると思うか?
新卒の内定率をちょっと上げるようにちょっとくらい対策をとるだろうけどさ。
世の中を多少でも変えた非正規なんて、加藤智大くらいのもんだ。
それだって、石を投げ込んだ程度だ。
あのね、非正規が正社員になりたかったら、正社員に、労働組合に媚びないとダメだろ?現実問題としてさ。
なにが正社員には言われたくないだ、マスコミには言われたくないだ。
小田嶋隆のツイートを読んで「そうだそうだ」と声に出しちゃうやつは、一生非正規、40になっても50になっても60になっても年収300万。
普通の大人にならなくてすむ方法はそれほど多くあるわけではない。今私の知り合いの女性達は、
大きく二つに分かれているような気がする。とりあえず生活のベースになりうる仕事を持っている人と、
何も持っていなくてそれを探してもいない人のことだ。仕事を探すのは大変だ。比較的頭が良くて向上心がある女達は
つまり、ある決まった地域、区域に集中していろいろな種類の動物が住むとえさや水が不足し、弱い動物は強い動物に
常に攻撃を受けるようになる。それを防ぐ為に動物はさまざまな区域に分かれて住むようになるわけだ。
もちろん「棲み分け」はそれぞれのテリトリー完全に決まっていて、其の場所を確保すれば安全と言うわけではない。
この国は人口が、多いから、既にたくさんの成功者がいるような職種にもぐりこんでいくのはかなり難しい。
例えば編集者とかカメラマンなど、もう既に数は足りているどころか、あまっている。先輩達は道を譲ったりなんかしない。
つかんだポストは定年まで決して離そうとしない。そういうところで職を得ようとするのは至難の業だ。
たとえ人気のある出版社に入れても、面白い仕事を先輩達がやすやすと手放すわけがない。
人生に積極的な女達はこの数年、パソコンに進出してきた。パソコンのインストラクター、
さまざまなソフトを使った事務処理、ゲームやプログラムの制作、各種インターネットビジネス、
そういった女達の進出は目覚しいものがある。女はメカに弱いという常識を逆に利用した「棲み分け」への強い意志だ。
女はメカに弱い、だからパソコンを操りインターネットなどの特性を理解している女はまだ少ない。
それでもパソコンを教えたりプログラムソフトを売り込んだりするときに女のやわらかさは武器になるに決まっている。
有力なコネがない私はそういった分野に進むしかないのではないか。
そしてそれは大部分が正しい。
この「anan」の特集を読む人たちは、安易な期待をしていないだろうか。
何か、ちょっとした工夫や考え方などで、普通の大人にならずにすむ方法があるのではないかという甘い期待だ。
「毎朝、起きたときに好きな詩集の一節を必ず読み、さわやかなバロックの曲を聴きながら、ナチュラルなメイクで、
作りたてのクロワッサンを食べる」みたいなこと、つまり、「日常生活の中でのささやかなおしゃれな工夫」では残念ながら、
人生は何も変わらない。そういう世間的な豊かな生活を楽しんでいるのは、
「普通でない」大人たち、つまり具体的に「普通」の人よりも努力した大人達だけだ。普通の大人になりたくない、というのは
つまらない人生がいやだと言うことだと思う。日本は変わってしまった。
「普通の大人」が「つまらない人生」を意味するようになったわけだが、其の認識はもちろん正しい。
「普通の大人」というのは今までの「日本の典型的な大人」と言うことだろう。
それなりの会社でそれなりのポジションにいるお父さんを助け立派に家を守り子どもを育てる「おかあさん」というのが
「典型的な大人の女の人」だ。それなりの会社でそれなりに働きそれなりの恋人を持つと言うのが「普通の大人の女」だ
其の両方に魅力を感じなくなったというのだと思うのだが、その認識はまったく正しい。
この2、3年に起こったことだが、この国の「普通」の完全な崩壊を証明している。
オウム真理教には「普通」のエリートが多く入信していた。援助交際をする女子高生は「普通」の家庭の娘達で、
神戸の十四歳は「普通」の中流家庭で育っている。テレビやメディアはそういったネガティブな人たちを
「特別な環境」に育った「特別な人」だというふうに規定したがっているが、もうごまかすのは無理だ。
もちろん「普通」で幸福に生きている人もきっとまだ大勢いる。特に田舎に多いかもしれない。
「普通」はシャープな感覚を持つ若い女の子が忌み嫌うほどに、弱体化してしまった。
それでは普通に成らないためにはどうすれば言いか。コレはもうはっきりしていて訓練しかない。
訓練というと、暗く地味なイメージがある。何か嫌なことに耐えなければならないという先入観があるかもしれない。
それは、なんでも言う事を聞く「普通」の大人を大量に必要とされた貧しい日本の間違ったやり方だ。
この国はごまかしに満ちていて、成功した人に、インタビューで「どんな訓練をしましたか。」とはほとんど聞かない。
成功した人は、「苦労した人」ということにしたいわけだ。わたしは、24歳で作家としてデビューしたが、
まったく苦労はしていない。今でも苦労なんて全然していないし、苦労なんて一度もしていない。
確かに技術を得るための訓練をするのは単純に楽しいものではない。
語学の訓練を考えてみればわかるが、単調で、忍耐力がいる。ただし、そのことが好きだったら、
それがいくら単調でも「苦労」にはならない。
だから長い訓練のためには、その訓練の対象を好きになる必要がある。
どんな人間にも、そういう、長い訓練に耐えられる好きなものが一つぐらいあるはずだ。
それを、見つけることができたかあるいはできなかったか、人生はそこで二つに、分かれる。
見つけることはできた人間は訓練が苦にならないから特別な技術を身につけて「特別」になれる。
見つけられなかった人は、特別な技術が何もないから「普通」にならざるを得ない。
「わたしはね、才能はあったのでも努力や勉強が好きじゃなかったからこうやってつまらない平凡な人生を送るはめになった、
だからあなたにはそうなって欲しくないの、だから今はつらいかもしれないけど勉強しなさい。
今、耐えて、しっかり努力しなかったら私やお父さんみたいに平凡に生きるしかないんだから。」
そういうお母さんは「努力しなかった」のではない。訓練が苦にならないないかを見つけることができなかっただけだ。
努力を好きな人はいない。私も大嫌いだ。だが、好きなことだったら、努力は苦にならない。
訓練ということで言うとたとえば20歳という年齢は既にかなりハンディがある。バイオリニストやバレリーナにはもうなれない。
語学の学習を始めるのも遅ければ遅いほど苦労するし、働きながら何か訓練するのは大変だから、
25歳という年齢はかなり絶望的だ。30歳になると、せいぜいつまらない人生を趣味でごまかすぐらいのことしか残されていない。
趣味というのは魔物だ。「そんなに好きなら趣味でやればいいじゃない」と大人たちは言う。
それも嘘だ。素晴らしい趣味を持っている人はたいてい素晴らしい仕事を持っている。
つまらない仕事をしているが素晴らしい趣味を持っているという人に私はまだあったことがない。
つまらない人生を送っている「普通」の大人たちは実にさまざまなやり方で若い人に嘘をつく。
「苦労」「努力」「勉強」「趣味」その他にも色々な言葉があって、
学校や家庭やメディアやその他いろいろな場所で、その言葉は囁かれる。
営業のような仕事に女は向いているのか、女には競争心はあるのか、仕事を持つ女は
どこかさびしそうに見えるというのは本当か、女が普通でなくなると色々な問題が起きることは事実だが、
それはまた別の問題である。
増田母が何歳なのか知らんが、5,60代であれば「お嬢様短大に行ったお嬢様」かもしれない。
中小企業と言うのも、知り合いの会社にコネで入って3年くらい「社会勉強」、とかね。
そういう人であれば全然「普通の女の子」ではないよ。「お嬢様」だ。
そんな「お嬢様」が「勝ち組専業主婦」になれるのは当たり前だ。今の時代だって当たり前だろう。
勿論単なる庶民であった可能性もあるけど(それでも本当に「普通」なら高卒な筈で、短大に行けた時点で中の上程度ではあるだろうが)
何度も海外旅行いけるような家庭が、昔は「普通にあった」訳ないだろ。
今みたいに国内旅行より安い額で海外旅行(つっても行き先は精々韓国とか台湾だけど)行けた時代じゃないのに。
どう見ても増田んちは金持ちの類。それが普通だと思ってしまうくらい、増田の周囲は金持ちが多かったと。
大人になってネットで本当の「普通」を見て、「自分ちは特別金持ちだった」と思わず「昔は自分ちのような家庭が普通にあった」と思ってしまう辺り
ネットの推定昔を知らない子供が言っている「昔の日本は豊かだったのに今は生活レベルが下落している!!」を本気にしているネット脳なんだろうなあ。
世の中とんでもないキチガイというのはいるもので、そういう人間というものはたいてい社会不適格な人生を歩んでおり、大学には通えず、中卒、高卒であることが多い。
中卒、高卒を雇わないというのは勉強ができるできないではなく、キチガイを寄せ付けないという意味において絶大なフィルターである。
ただし、このフィルターでは、健常者でありながらキチガイじみた行いも軽くこなせるような人材は間引けない。使いようによっては功を奏するときもあるので、これはまあしかたない。
世の中とんでもないDQNというのはいるもので、そういう人間というものはたいてい親もとんでもないDQNであり、大学には通えず、中卒、高卒であることが多い。
中卒、高卒を雇わないというのは勉強ができるできないではなく、DQNを寄せ付けないという意味において絶大なフィルターである。
ただし、このフィルターでは、いい環境にいながらDQNな人間を間引くことはできない。が、コネクションなど使いようによっては功を奏するときもあるので、これはまあしかたない。
世の中とんでもないブラック企業というのはあるもので、そういう企業というものはたいてい底辺の人間が集まっており、大学には通えず、中卒、高卒であることが多い。
中卒、高卒を雇わないというのは勉強ができるできないではなく、企業のホワイトぶりをアピールするという意味において絶大なフィルターである。
ただし、このフィルターでは、ブラック大企業は間引けない。運悪く入ってしまっても経験は生きるので、これはまあしかたない。
というわけで、学歴フィルターというのはいい生活を送る上では不可欠な要素なのである。みんなも素晴らしい人生を送るために、いい大学に入っていい企業に入りましょう。(起業しろとかいうバカは頭を冷やすように)