はてなキーワード: a案とは
オリンピックのエンブレムがA案に決まってホッとしている。ここ数年のオリンピックロゴの中でも個性があってなかなかいいと思う。俺が一番嫌だったのはB案。なぜなら無難でありきたりだから。でも、エンブレム案の発表時、Twitterなどでは「ここは無難なB案で」という意見がかなりたくさん集まっていて、正直大丈夫かなと思った。
百歩譲って日本国内のイベント用のロゴなら無難でもいいかもしれない。でも、オリンピックのような世界に向けたイベントで「無難なものでいい」とか言ってるのは国民の意識としてかなり危ないと思う。私たちは世界規模の競争の中で生きている。積極的に自国の個性を出し、商品を売り、観光客を呼び、稼いでいかないといけない中で「無難」なんてトンデモナイ。いかに目立つか、いかにハッタリをきかせるかはすごく大事なことだと思う。
不景気が長すぎたせいか、最近の日本人はすぐに無難な方に流れようとする。目立ちすぎないように手堅くまとめてしまう。でも、その意識を国外に持ち出すとあっという間に競争に負けてしまうと思う。数年前北米のベストセラーカーであるシビックがモデルチェンジした時、その前の世代と大して変らない無難なデザインと機能でメディアに酷評されてしまった。一方、同じタイミングで登場した派手でわかりやすいヒュンダイのエラントラには支持が集まった。(慌てたホンダは僅か一年でシビックを派手にデザインし直す羽目になった。)その反省を踏まえて今年モデルチェンジしたシビックは、かなりハッタリをきかせたデザインや機能を採用した結果、日本車として8年ぶりに北米カー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。
よく「経営のグローバル化がー」みたいな話を聞くけど、俺は日本人の「無難でいい」という意識のグローバル化こそ必要だと思う。「衰退していく国だからしょうがない」「ハッタリきかせる金はない」とか言う人もいるだろうけど、衰退し金が無くなるこれからだからこそ、もっとハッタリをきかせて世界を驚かす発想や工夫を創りだしていくことが必要になるんじゃないだろうか。
複数のデザイン・プランの嗜好を分析する場合、精度を求める調査では、「A・B・C・D」や「1・2・3・4」という順列を示す記号は用いません。
なぜならば、記号の順列が心理に影響を及ぼし、調査結果に影響するからです。
ですので通常は、例えば「K・G・l・M」といったランダムな、相互の関係性に意味が生じない記号を用いることが適切とされ、この方法によって公平かつ精度の高い調査結果が得られることとなります。
今回の五輪エンブレム4案発表の構図を見る限りにおいては、デザインとしての良し悪しの問題以前のこととして、比較論として「A案」が選ばれやすい状況が整っている、つまり「A案」に特別な優位性が与えられた不平等な発表形式であると受け取りました。
エンブレムの件で、D案やB案が人気でA案C案が不人気というのを聞いて絶望的な気持ちになった。大衆の皆さん、センスなさすぎw まぁ大衆共にセンスが無いおかげで、こっちは適当にデザインしたもんでも飯を食えてるわけだから、そんなもんか。なんで日本の大衆共ってここまで審美眼が無いんだろう。教育の問題?街並みが汚すぎるから?こんな絶望的な状況なのに「美しい国」とかウケるw
http://hiranokeiko.tokyo/?eid=66
平野敬子氏のこのブログがきっかけで「はじめからA案ありきの出来レース」というニュースがネット上を駆けまわっている。俺はこのブログの書き方に納得がいかない。書いてあるのはすべて平野氏の憶測でしかない。なのにこの人はさも「最初からA案ありきですよー」と思わせるような非常にずるい書き方をしていると思う。こんな書き方をしたらネット上で「前回異議を唱えた正義の審査員が言っているんだからA案が出来レースなのは確定」という流れが出来るのはわかりきっている。この人は場を荒らすためにこんな書き方をしているとしか思えない。前回の審査の際は、この人は強いな、すごいな、と思っていたけれど、今回のただ憶測だけで世間を惑わすようなブログを見て正直信頼出来ない人だなという気がしている。
案の定、新国立競技場の両案には「日本の伝統がー」「日本文化を意識したー」「日本のモノづくりパワーをー」というような文言があふれていた。
で、それに対して「A案のほうが日本の伝統を感じるな」「いやいやB案の方が」とかTwitterでドヤコメする奴らが続々登場中なわけだ。本当に日本国民てちょろいなと思う。後付けでも何でもいいから、とりあえずそういう文言を並べておけばなんとなく納得してくれるんだもんね。
建築の場合だったらとりあえず「木」を使って伝統感をアピールしておけば大体認めてもらえるし、そこに神社建築のうんちくやら日本の伝統色やら“うつろい”系のワードやらを絡めればもうほぼ完璧。一気に「文句言うやつは日本人じゃない」状態の完成なわけだ。
エンブレムの場合は「日の丸」「桜」「富士山」「絆」とかを絡めればOK。大体納得してくれるし、「反対する奴は非国民」と勝手に擁護すらしてもらえるヨ。
建築家とかデザイナーはよく、こういうベタなワードやモチーフを使わずに表現を行おうとするけど、残念ながら日本人にはそれを理解する知性も審美眼もないんだよねー。それどころか「これは日本人の感覚とは違う」とか言われネットであることないこと叩かれだす可能性が高いから、そういうチャレンジは控えたほうがいいと思う。
今回のオリンピック騒動でいい加減わかったでしょ?これからは「ちょろい国民」と割り切って、ベタベタなコンセプトで金を巻き上げていくのが建築家やデザイナーの生きる道。それが嫌なら国外脱出したほうがいいと思うヨ。
だいたい、クライアントに選択してもらうために
2案以上の準備をします。
その時にほぼ必ずといっていいほど
「自分は絶対にこれがいいと思う」な本気で手間とアイディアを込めたA案と
「どうせこういうの好きなんだろ?」なありふれたわかりやすい楽で雑なB案を用意します。
この時に、「またお金をもらうために媚びてしまった」とデザイナーは思います。
A案のような尖ったものだけで選択肢を構成することも出来たのに
揉めるのが面倒くさくて、わざとB案を混ぜて、そしてそれが順当に選ばれてしまったことに
なんともいえない後ろめたさを感じるからです。
休みの日は感性を磨くために古今東西の作品を見に行っているような尊敬できる同僚
でも、何もデザインの作品を知らない人に選ばせると、これまた驚くほど統一して、B案がいいと言われてしまう。
これを365日×何年も繰り返していると
そこで、違うんだ!と言えない悔しさを日々ためています。
「どうせこういうの好きなんでしょ?」とバカにしながら、それでお金をもらって
世間にダサいものを提出して放流しているのはこちら側なんです。
だからいざこういう騒動になった時に「やっぱりそういうの好きなのか」と落胆するのは、とても卑怯だと思うんです。
それをいえるのは、A案だけを出し続けて、そのA案を否定されても、
B案なんてあり得ない、と信念を貫いて相手を説得しきることを繰り返した「アーティスト」だけなんです。
佐野さんは、私達にとって「アーティスト」にみえていたんです。
B案でご飯を食べているデザイナーほど、A案で突っ走れる人を眩しいと思うし、応援したくなる。
でもね、だからってね、B案を好きな人を否定するのは間違ってます。
そういう感性に浸けたのは誰か、っていうの、忘れちゃだめでしょう?
4人で協力して一つのものを作るってプロジェクトを始めた。決められたテーマから各グループで具体的にそれを満たす案を練って作るって感じ。
全員が部活のメンバーで、上田先輩(意識高い)、大城先輩(技術力高い)、友達の加賀、増田。今回ウザいのは上田先輩。
最初っから上田は「忙しいからアイディア出しには参加しない」って言ってんの。最初のその時点から「じゃあ入るなやクソが だいたいお前の技術分野でも無いだろ」って思ってたけど、いろいろお世話になっているし一応先輩だしでチームに入れた。
今日はプロジェクトの開始記念って感じで色々と手伝ってくれる大人の方と会議した。今考えてる案を話して「目的が分かりにくいから、こう変えた方がいいんじゃないかな」とかアドバイス貰った。「なるほど」と思って、アイディアを持ってきた私と、一部制作を始めている大城先輩と問題点を洗い出して何に注力するべきか議論してた。んで意識を共有してきたところに、何もやっていない上田が割って入ってくる。
「お互い思っていること紙に書きだそう 何が問題点なのか書かないと分からない 俺が書くと時間かかるから自分で書いていって」
いや分かってないのは完全にお前だけだし、まだ実際の作業とか出来てないから加賀はパソコンで会話の書記とかしてくれてるじゃん。おとなしくしろや。クソが。
百歩譲ってわからないんだったら迷惑掛けないように自分でまとめろ。
しかも、施設の利用時間があと30分とかだしもう時間ないだろ。
大城先輩は私みたいにガキじゃないから、参加して紙に書いて議論に参加しているけど、上田は相変わらず的はずれな事しか言っていない。
私「いやさっきAの方が楽って言いました(あぁ~~~~帰ってアニメ見たい)」
上田「でも○○が…」
私「(お前今なにも作業に参加してないだろ 専門外のこと口出しするな…)」
なんやかんやで、適当に話してたら残り5分とかになって片付け始めた。
大人の手伝いの人が「なかなか白熱してたねぇ」って言うと、
ホントきんんんんもちわるい 思ってるのお前だけって気づかないの
大城先輩とか加賀とかは割りと褒めたりして”議論”をしてたんだけど、上田だけdisの塊を投げ続けるだけって感じだった。
んじゃ時間だし帰るかって感じのタイミングで、上田が手伝いの大人の人と就活の話をし始めた。
もう退室時間だって片付けもう始まってるじゃん。迷惑だから帰ろうと思わないの?
書くタイミングなくなったから今書くけど、私と大城先輩が技術的に可能か検証するために勝手にプロトタイプ作ってたら上田が
とか言ってきて、”開発しやすいように”と謎の理由を付けて更に使う技術に制約すらつけてきた。
意見出ししない言っておきながら、クソみたいに会議長引かせたり、使う技術に制約つけてきたり。
上田居ないほうが絶対楽だったわ。あーーーーーーーーーーーーつまんね
ツイッターも意識高い系のツイートしかしないし、無駄に忙しい忙しいとかしか言ってない。
やりきれる気がしない。
共感というのは、相手と自分とが同じように思う、という意味の事だ。
例えば満月を見て「美味しそう」と同時につぶやくことが、結婚のキッカケになることもある。
そう、今オマエさんが思った「あー、プラネテスね、良い漫画だったね」と思ったそれが共感だ。
そして、「何のことだ?なんか有名なエピソードか?」と思ったオマエさんとは、共感できていない。
このズレが、コミュニケーション能力の高低として語られるわけだ。
ズレの補正は、たゆまぬ蓄積で可能になる。
情報の伝達という意味で言うと、これほど無駄なものはないし、同じ「辞書」を持ってないと会話にならない。
「おはようさん」
「Buenas tardes!」
「たる?なに?」
みたいなのは特殊だとしても、結局のところ相手と同期もしくは共感できなければ、会話は成り立たない。
こういう会話ができるようにしてあげたいんです。今は
「暑いですね」「いやーホント最悪ですよね、さっき犬の糞ふんじゃったんですよ」
コミュニケーション能力の鍛え方を教えて欲しい
この場合、一つ目の会話は「暑い」という天候の話題で雑談としたいという「意思」があるわけだ。
しかし、二つ目の会話を「今日はなんとなく嫌な日」という「意思」だと捉えると、さほど違和感のある会話ではない。
つまり、こういう補足を入れると、だ。
という風になる。
後輩は、先輩からの「ネガティブな日だよなー」という雑談に共感し、正しく応答している。
ポイントは、先輩から見れば「俺はそんな話題は振ってねーよ」という所にある。
二葉亭四迷が、「Ваша」を「死んでも可いわ」と訳したのは有名な話だが、
結局のところ、相手に伝わるように「揃える作業」を会話の時には無意識に行っている。
コンピューターはそんな無意識を持っていないので、通信し応答するという手順を定め、プロトコルとして定義している。
空気を読む、というのが最たるもので、つまりその場におけるプロトコルを推定する能力なわけだ。
先ほどの「こういう会話」に「共感」した人達は、無意識に次のような手順を踏んでいると言える。
実は、「A(今日は通勤中暑かったな)」だったりすると、会話としてはズレがある。
「(今日は昨日に比べて外気温が)暑いですね」と「(部屋の中が)暑いですね」とでは、意味が違う。
でも、大抵「A(あれ?部屋のエアコンの話してる?)」みたいにズレは無視されたり、摺り合わせがなされる。
世の中には、雑談や指示の受け取り方、命令伝達から意思疎通に至るまで、あらゆる面で特化した人達がいる。
「貴方が森を歩いていると煙突が有ります。どんな煙突でしょう?」
みたいな性格診断がソコソコに流行ったり盛り上がる背景には、全員が同じ答えを返さない、
つまりは、「全員異なる辞書を持ち、全員違う思考回路を持ち、全員まちまちな経験を持つ」からだったりする。
ただし、大抵の場合は、おおまかに一致する部分がある。
例えば、「たまごっちが流行った」だとか「8時だよ全員集合は観ていた」だったりすると、世代間の差として判りやすい。
でも、「暑いですね」と話しかけたり、「A案とB案とどっちが良いと思う?」という問いかけに対しての返答が、
過去のその人物の経験則から、一般的でない回答が返ってくる可能性がある/そういうこともあり得るというのは、理解されにくい。
「8時だよ全員集合面白かったですよね」「そうですね、面白かったですよね」
こういう会話ができるようにしてあげたいんです。今は
ここまでで判る通り、会話というのはノイズが多い割に省略されがちだ。
だからこそ、推測混じりに会話を成り立たせる必要があるし、推測にミスが生じる理由は、ベースが異なるからだ。
雑談に関しては、そのズレを楽しむ余裕がほしい。
「暑いですねに対して、犬のうんこの話しされるとイライラする」ならちょっとカリカリしすぎだ。
そもそも「暑いですね」と話しかけて「そっすね」と返されて、何がしたいのだ。
だが、仕事となると話は別だ。
意思伝達にズレがあると、業務に支障がある。
(恐らく、注意や質問にずれた答えを返すという記述から、業務において支障があると推定して良いだろう)
「AとBのどっちが好き?」と聞くと
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~という理由で、Cのこと嫌いじゃないです」と返してくる。
辛抱強く最後まで聞いてから、「で、AとBのどっちが好きなの?」と聞くと
「あ!Aです、すいません」と答える。
これを、単なる雑談ではなく、業務担当者としてA案とB案のどちらが良いか、という質問だと考えてみよう。
ポイントは、先輩から見れば「俺が聞きたいのはAかBかどっちが良いかだよ」というところだ。
先ほどの雑談と同じく、「後輩側は正しく応答している」と仮定すると、これは「後輩の共感ミス」という事になる。
「(先輩は、グループでどれが嫌いか聞いてるのだな?そのグループで嫌いなのは無いけど、あえて言えばCで、でも嫌いってほどでも)」
という想像をしていると、仮定してみれば良いのだ。
ベースが異なる異文化と交流をする際には、相手に対する敬意と知識が必要になる。
しかし、世の中はさほど生きづらくは無く、「聞き方が悪い」と断じても意味は無い。
・コミュニケーション能力が絶望的に低いことを気付かせ、
・コミュニケーション能力を鍛える方法を教える
ことに決めた。決めたのです。
さて、さらっと「聞き方が悪い」と書いたのだが、
共感力が低い相手に「お前と俺と経験が違うし、職業上の文法も違うわ」と言ったところで、伝わらないだろう。
例えばだが、
という聞き方をすれば、聞く方からすれば必要な情報は得られる。
しかし、そういう聞き方をしない相手と、そういう遣り取りをする必要が有ることに気が付かせるのは、相当に難しい。
これは、「共感力のベースを鍛える必要がある」事に気が付かせ「共感力のベースの鍛え方」を教えるということだからだ。
本人はそんな必要があると思っていないのに、それと気が付かせるのは至難の業だ。
この中で出てくる「先輩」に対して、「オマエの聞き方が悪いんだよ」と「自分から気が付かせる」には、相当な技量が必要だ。
ハッキリ言おう。
「業務に支障があるレベルで、共感力というか、会話をする時の推測がミスってる」
「その推測ミスに、悪意がないことも判ってる。だけど、推測ミスは業務に支障が出る」
「相手が言葉にしないで当然わかって欲しいことが、知識として蓄積できていない」
相手はショックを受けるかもしれないし、意味がわからないという顔をするかもしれない。
何かズレがあるにも関わらず言葉が多いのは、意思疎通に不安があるからだ。
目と目で通じ合える間柄でないのならば、言葉にする必要がある。
質問の意図を咀嚼して、相手に確認を取ることで、共感力のベースが育つ。
教えたり質問したり注意したりする方は、何度も何度も変な理解をする相手に苛立つかもしれない。
しかし、その後輩は、そうやって聞き返さなければ、先輩には見えない頭のなかでそう理解しているわけだ。
この「相手の質問の意図を確認し、まず結果から返答する」というのは、ビジネスにおいてマイナスになることは無い。
メモにとれば、その相手はどういう聞き方をするかが、物理的に残る。
先輩は、後輩の育成具合をメモの数で把握できる。指摘もできる。
突然関係のないことを人に話しかけられてパニックに陥る人間もソコソコいる。
想像してみよう。
言葉の分からない空港で、突然現地人に親しげになにか話しかけられた時に、しどろもどろに英語で何かを返す自分を。
「なんだよ、今日は良い天気だなって話しかけただけなのに、変な旅行者だな」と相手は思っているかもしれない。
職場をそんなふうに捉える人間が存在する、ということをまず理解し、受け入れよう。
そして、「そういう時は、暑いですねって返すもんだよ。意味のない雑談なんだし」と言えば良いのだ。
「(なんだこいつ)」と頭のなかで思うだけでは、相手には決して伝わらないし相手の挙動は変わらない。
伝えても変わらないかもしれないが、伝えなければ絶対に変わらない。
健闘を祈る。
自分の推測にミスがある、あるのではないかということを、まずは認めよう。
キミのAPIには、致命的な欠陥がある。
相手がAやBを返してほしいことは分かってる。
が、それはワイドショーで
僕は本心を隠したまま、ウソを付いて相手に合わせることになる。
Gの方が核心に近いと考えたからだ。
考えすぎてコミュニケーション能力が低い人へ
日本では、職能と職責と職分とが、渾然一体と混ざり合って、なあなあになっている。
ソコソコに有名な話だが、外資なんかだと
「AとBと、技術者としてどちらが良いと判断するか?」と聞かれて
「Gの方が核心に近いのでは?」と返すと
「それを判断するのはオマエではない。で、AとBとどちらだ」とハッキリ言われる。
技術的な提言をする人間と、判断する人間、選択肢を選ぶ人間が、きちんとわかれている。
そもそも、「AかBか?」と聞かれて「本心ではAやBが問題ではなく、Gの方が核心に近いと考え」るのは、僭越なのだ。
なぜならば、上司が判断するよりもオレの判断が正しいという傲慢さの現れだからだ。
そして、「先輩が聞きたいのは、AかBかではなく、○○という問題の解決策なのだな」という推測にミスがあるのだ。
繰り返そう。
コミュニケーション能力が低いのは、相手のクロック数が低く、相手が自分の処理能力に達していないからでは無い。
プログラマーなら、「驚き最小の原則(Principle of least astonishment)」を思い出そう。
Excelでsum関数を使った結果、突如C列の出費だけを合計して出力されたら困るだろう。
繰越金や入金をも合計するのには、理由があるのだ。
勝手に推測されて(その推測にマシンパワーを使われて)は、困る。
ついやってしまうのであれば、先ほどのアクションを実行しよう。
精神論ではなく、難しい手順でもなく、聞き返すだけだ。
そして、大抵の場合は、
「いや、そうじゃなくて、AかBかは部長の判断で絞られてて、どっちかしか選べないから」
と言われて、「じゃあAですね。Gが核心だと思うんですけどね、部長も判ってないっすね」みたいに繋がるのだ。
もしくは、「そうだね、AかB以外でも解決策があるなら、それも教えて」と言われて初めて、Gの話をすれば良いのだ。
これが「会話」だ。
どうもコミュニケーションが上手くいかないと感じた時に、傲慢さを捨て、謙虚になり、内省する必要は「無い」。
上司が本質を理解せず、先輩は無能でレベルが低く、誰も自分の抽象化についてこれないと思ったままでも構わない。
情報量に差があり、推測にミスがあるのなら、補正をかければ良い。
課題qの解決が急務な状況である、ということが前提(AさんにもBさんにも共有されている)だった場合、
それは何を意味するかというと
「課題qに対して何も手を打たないことは、誰にとっても絶対的にデメリットがある」という意味です。
そこに議論の余地はありません。
つまり、「対案なき反対」=「A案を実行しない」は全体へのデメリットを確定させます。
社会や組織が現実的に直面する諸問題に対峙するとき、それは大抵は急務な状況です。
対案なき反対者は、a+ < a- の主張をするだけで、それで何の案も進まないことによってもたらされる確定的デメリットについては無視しがちであり、そこに問題があると考えます。
Bさんが、a-の主張をすると同時に、a案を実行しない案(b案)のデメリットb-をちゃんと提示していればいいですが、
現実は、どちらかというと世の中の「反対者」はb-を隠したり、もしくは本当に心の底からb-の存在を忘れているような事例が多数ではないでしょうか。
「案の欠点をあげつらう」簡単さと娯楽性に比べて「何も実行しないことによるデメリット」は大衆には見えにくく面白みも低いからです。
「Aさんは大抵a-を隠すから問題」というバイアス付きな論を展開するのであれば
私は「Bさんは大抵b-を隠し、安全な絶対位置から攻撃したいだけだから問題」というバイアス付きな反論をさせていただきますね。
よく「反対するなら対案を」と言うけど、実際には「対案がなければ反対するな」という意味で使われてて、これっておかしくね? と思ってtwitterにつらつら書こうかと思ったけど長くなりそうなのでこっちに書いてみる。
仮に、ある課題(q)を解決するためにAさんがa案を出した場合を考える。だいたい物事にはメリットとデメリットがあるので、これらをそれぞれa+とa-とする。つまりAさんはa+>a-と判断してa案を主張している。が、たいていはa-を隠してa+のことしか言わない。
これにBさんが反対する。Bさんはa案のデメリット(a-)を挙げる。Aさんは、想定していたデメリットならばa+>a-であることを説明する。想定していなかった場合、a+>a-となる根拠を探すなり、自力でa案を改良してa′にするなりして、a+>a-と言えるようにする。いずれにせよ、a+>a-である限り何の問題も無い。
a+>a-かa+<a-かで判断が分かれた場合、何を根拠にどういう判断基準で大小関係を判断するかを議論する。ここに「対案」が出てくる余地は無い。
問題はa+>a-と自信を持って言えない場合。qの解決が目的ならば、Aさんがまずやるべきことは決まっていて、「なんかいいアイデアない?」とBさんに訊けばいい。これがつまり「反対するなら対案を」と言う場面。対案(b案)があれば同じようにメリットとデメリットを比較してa案と優劣を決める。
ではBさんに対案が無い場合。これはもう、a案を実行しない場合を仮にb案としてみるしかない。そして上と同じようにそれぞれのメリットとデメリットを洗い出して評価する。a案もb案(=a案を実行しない)も、それぞれできるだけデメリットを最小化するように調整する。そしてどちらを取るかを決める。最終的には多数決になるかもしれない。逆に言うと、ここまでやらずに多数決で決めてはいけない。
……あれ? Bさんを黙らせたり無視したりする必要無かったね?
つまり、全部メリット/デメリットと優先順位の問題に落とし込んでしまえば論点や残された課題がクリアーになるし、反対する資格みたいな珍妙なルールを持ち込む必要もない。むしろ反対者はデメリットをはっきりさせてより良い案に磨き上げてゆくために必要な存在と言える。
長々と書いたけど、要するに、問題の解決を目的として議論するならば(←ここ重要)対案の無い反対意見を封じる必要は無い、というか害にしかならないと思うわけです。
対案が必要なのは、例えば政党間でマニフェストを持ち寄って討論する場合みたいに、優劣や勝ち負けを決めたい場合だけじゃないでしょうか。あまり生産的じゃないけど。
【最後にまとめ】
字数制限がないとダレる。
(2013-05-21 1:00追記)
こういうこと書くとあまりにも無茶な意見にも耳を貸さなければならないのかと言われるかもしれないけど、逆。同じ土俵に引き摺り上げて、同じルール、同じ条件で叩けばいいということ。案がダメでも指摘に一理あればそこだけ残せばいい。
(さらに追記)
後から気付いたけど、「意見」を発言者と紐付けられた一つの「パッケージ」として捉えるならば、「無責任」という反応が出てくるのも理解できる気はする。例えば自民党の経済政策を批判するのに民主党のマニフェストがそこに触れていなければ、任せられないとは思う。それを責任と呼ぶかは微妙だけど。
製品を愛してくれ。自分の人生とか、給料とかはとりあえず置いといて、自分の会社の製品を愛してくれ。
そして外に目を向けてくれ。自社製品が市場で勝ち残れるか、自分の尺度と世界で考えるのはやめてくれ。
どんなに機能を詰め込んでも、わかってくれるのはあんたと同じ世代のオタクおやじだけだ。
わかんないよなぁ、あんなやつらにはうちの製品の良い所は、っていうけどm
君たちが愚民だと考えている消費者たちは、君たちが考えるよりずっと多い。
みんなが良いと思える商品を考えているつもりだよ、おれは。
でもA案〜F案の順位付けで、お前はなんでF案を選ぶ。俺はおすすめをA案にしてんだよ。なんでFなのか考えろよ。
製品を愛さずに、ただ出世するとか給料を増やすことだけを考えて、
派閥だのごますりだのを繰り返した結果が今の惨状だとわかってほしい。
おそらく聞いて欲しいところにはこの想いは届かないけど、まあいいよ。
俺はAppleにだって負けないものを作ろうとしてきた自負がある。
あんな仕様の詰めの甘いデザインだけのメーカーとは違うものを作る夢はあった。
俺が優秀だとは自分では言わないよ。
でも、若くて希望があった若者を、潰してしまった日本の会社組織というものがあったということを、
自分は少しでも残したくてここに投下する。
製品を愛してくれ。自分の人生とか、給料とかはとりあえず置いといて、自分の会社の製品を愛してくれ。
そして外に目を向けてくれ。自社製品が市場で勝ち残れるか、自分の尺度と世界で考えるのはやめてくれ。
どんなに機能を詰め込んでも、わかってくれるのはあんたと同じ世代のオタクおやじだけだ。
わかんないよなぁ、あんなやつらにはうちの製品の良い所は、っていうけどm
君たちが愚民だと考えている消費者たちは、君たちが考えるよりずっと多い。
みんなが良いと思える商品を考えているつもりだよ、おれは。
でもA案〜F案の順位付けで、お前はなんでF案を選ぶ。俺はおすすめをA案にしてんだよ。なんでFなのか考えろよ。
製品を愛さずに、ただ出世するとか給料を増やすことだけを考えて、
派閥だのごますりだのを繰り返した結果が今の惨状だとわかってほしい。
おそらく聞いて欲しいところにはこの想いは届かないけど、まあいいよ。
俺はAppleにだって負けないものを作ろうとしてきた自負がある。
あんな仕様の詰めの甘いデザインだけのメーカーとは違うものを作る夢はあった。
俺が優秀だとは自分では言わないよ。
でも、若くて希望があった若者を、潰してしまった日本の会社組織というものがあったということを、
自分は少しでも残したくてここに投下する。
B案→自分不幸・他人不幸
この条件なら、みんなA案だろ。
この条件で、A案の方が幸せになれるのに、B案を選ぶのが多いって話だべ。
さらに言えば、↑を追加すればC案選択が増えるだろう。
そもそもの発端は、これを読んだこと。
これを読んであらかた納得できたことと、最近のSoftBankの「光の道」なるCMは、ちょっと調べたら「お前それ携帯のCMじゃねーだろ」と思って納得できてなかったので、考えをまとめるメモを増田に書き捨てる。
リンク多いけど、記事書いた一番の理由は自分用のメモなんで許して下さい。
「光の道」の導入はとりあえずこれ。大々的にCMしてるよね。次郎さん大変だ。
光の道についてはそこからさらに「A案かB案か」をたどって、「3分でわかる光の道」なるPDFがあったので見た。
PDFには「2015年を目途に、全ての世帯におけるブロードバンドサービスの実現!」って書かれていたが、「よくわからねーよ!」と思ったのでググった。
ということで、光の道ってのは、FTTP、xDSLとかのブロードバンドの利用率を100%にするって事か? と思ってたら違うみたいな感じ。
上を適当に読んで、「光の道」ってのはブロードバンドの中でも光回線を全世帯に普及させようという話で、それを「5年で出来る」って言ってるSoftBankと「できねーよ」って言ってるNTTの対立構造って事になってると私は解釈した。
大綱案では2010年8月末時点で「整備すべき水準は、100Mbps以上の超高速ブロードバンド」ってことになって、メインは光回線を予定するけど、他の技術も代替的役割で使う」って事になってるんだな。でも、見た感じだと、整備と利用ってのは意味違うっぽい。なんか、都市部でも光回線は整備90%以上だけど、利用率は30%とかITProの記事に書いてあったし。今はどうなってるか分からなかったが、SoftBankが次郎さんまでつかってCM打ち出してきてるって事は、全部光回線にしようぜ! って方針ではないんだろうな、多分。
でも、そもそもこの「光の道」って携帯関係ないんじゃ? だって携帯って線つながってないじゃん! と思ってググってみた。
見つけたのはこちら。
つまりは「携帯⇔(電波)⇔基地局⇔(電話線)⇔基地局⇔(電波)⇔携帯」って仕組みで、「光の道」ってのはこの中の「基地局⇔(電話線)⇔基地局」の部分がすごくなるってことか。
で、ここまで来て、そういえばSoftBankってそもそも「電波悪い」って言う話をよく聞くけど、電波悪いって言われるって事は悪いのは「携帯⇔(電波)⇔基地局」の部分だから、「基地局⇔(電話線)⇔基地局」の部分をすごくしても仕方ないんじゃ? って思ったのでググってみた。
@Wikiの注意書きに「携帯電話基地局には、大出力のものから小出力のものまで様々です。数や周波数帯だけで優劣を語ったりしないようにしましょう」って書いてあったけど、やっぱりSoftBankだけ少ないのは否めない気がする。
SoftBankに「電波改善計画」なるページがあるけど、過去からどれだけの推移で増えてるんかよく判らなかったので、魚拓を漁った結果出てきたものが一番下。@Wikiと比べるとなんか数値がおかしくね? と思ったが申請の手順とかで前後してるかもしれんので、とりあえずスルーする。
ということで、魚拓と現時点で比較すると、そもそもの起点が魚拓が11/9で73495、12/14で75917。1ヶ月で2500くらいしか増えてなくて、この推移でいったら2011年3月までに基地局12万って無理なんじゃね? と普通に思う。
結局あの「光の道」ってのは、SoftBankの携帯に関しては、ほとんど関連がなさそうと思った。
というか、きづいたんだけど、これ最初にあげた「巨大隕石「光の道」、地球接近中! | ソフトバンクモバイル」ってのはソフトバンクモバイルだけど、リンク飛んだ先の「「光の道」は、AかBか。|ソフトバンク株式会社」はソフトバンク株式会社なのね。もう白戸家族全員SoftBank全体の宣伝に起用しちゃえばいいじゃない。
最初にあげた「光の道、その誤謬と、必死なのはなぜの話 | 無線にゃん」の記事では、B案は金銭/工事の面から『案としてそもそも実現不可能』って書かれている(と私は読んだ)のだけども、私がここまで調べるにつけ、「電波改善宣言」で言ってるSoftBankモバイル単体での目標を達成することが厳しそうなのに、日本全体で改革を迫られる「光の道」構想を5年でやるって言うB案なんてなおさら無理なんじゃない? って思う。逆にいえば、2011年3月までに本当に無線基地局12万個に出来たなら、5年で全部光回線に替えられるって話も信憑性が出てくるんじゃないかな。
でも、「電波改善宣言」の方に2011年9月までに14万件とか言う案が追加してあって(魚拓にはなかった)、なんか先延ばし案っぽいなーと思ったので、「光の道」のB案も始めた後で5年は無理だったけど! みたいなことを言い出しそうだなぁとか思ったりした。
A案B案で比較と呼べないような無茶な比較表でアピールしていたが、どうやら完全に潰れる事になったようだ。
しかしこれさえもソフトバンクの深謀遠慮というか、どうみても無理筋なのは自分で判っていただろう訳で、この結果は「計画通り」なのではないか。
いったいこれでソフトバンクに何のメリットがあるのかというと、これでソフトバンクは国のために国がやらない光ファイバの敷設という大義名分で新たな「革命資金」の募集をかけることができる。これを何に使うかというと、光ファイバの敷設名目で、基地局の展開強化をするのではないか。これならボーダフォン買収時の資金調達条件である「携帯事業の負債を増やさない」を守りつつ、有線系事業の転換と携帯インフラの増強を図ることができる。
結局ソフトバンクは話が通れば光ファイバ網を棚ボタで手にでき、駄目でも新しい事業展開と資金調達の名目が立ち、さらに騒げば騒ぐほど人気と応援の声を集めることができる。人気は少なくとも携帯事業の加入者増には繋がるだろうし、勝っても負けても構わない、それが本音なんでは。