だいたい、クライアントに選択してもらうために
2案以上の準備をします。
その時にほぼ必ずといっていいほど
「自分は絶対にこれがいいと思う」な本気で手間とアイディアを込めたA案と
「どうせこういうの好きなんだろ?」なありふれたわかりやすい楽で雑なB案を用意します。
この時に、「またお金をもらうために媚びてしまった」とデザイナーは思います。
A案のような尖ったものだけで選択肢を構成することも出来たのに
揉めるのが面倒くさくて、わざとB案を混ぜて、そしてそれが順当に選ばれてしまったことに
なんともいえない後ろめたさを感じるからです。
休みの日は感性を磨くために古今東西の作品を見に行っているような尊敬できる同僚
でも、何もデザインの作品を知らない人に選ばせると、これまた驚くほど統一して、B案がいいと言われてしまう。
これを365日×何年も繰り返していると
そこで、違うんだ!と言えない悔しさを日々ためています。
「どうせこういうの好きなんでしょ?」とバカにしながら、それでお金をもらって
世間にダサいものを提出して放流しているのはこちら側なんです。
だからいざこういう騒動になった時に「やっぱりそういうの好きなのか」と落胆するのは、とても卑怯だと思うんです。
それをいえるのは、A案だけを出し続けて、そのA案を否定されても、
B案なんてあり得ない、と信念を貫いて相手を説得しきることを繰り返した「アーティスト」だけなんです。
佐野さんは、私達にとって「アーティスト」にみえていたんです。
B案でご飯を食べているデザイナーほど、A案で突っ走れる人を眩しいと思うし、応援したくなる。
でもね、だからってね、B案を好きな人を否定するのは間違ってます。
そういう感性に浸けたのは誰か、っていうの、忘れちゃだめでしょう?