はてなキーワード: 黒豆とは
甘納豆。
父が自営業の仕入れへ東京に行く際、土産でよく買ってきてくれた思い出の品だ。住んでいる地元にはないお菓子、ちょっぴり都会の香りがするお菓子。
核家族の我が家は、父出張時、家で男は私だけになる。出発の前日、父は2人っきりの時に、いつも決まって私にこう、コソッと言う。
「増田よ、家を任せたぞ」と。
小学2年生の私は、その言葉に妙な歯がゆさ、男として認められた照れ臭さ、もしもの時は家族を守る、という緊張感が入り混じった感情になる。
父も小2の私に、家族の安全を守れる、なんて期待は、甚だしてないだろう。が、父は私に、長男としての自覚を、幼いながらも持たせたかったのであろう。
もちろん平和な日本だ。変わった事は何も起こらない。ただ子供ながらにも、父親不在の中、『何かあったら俺が』と、隠れた決意は心に秘めている。この決意は母や姉には言わない。父と私だけの男の約束だからだ。
小2の私は一人、隠れた緊張感を抱えたまま、父不在の家で過ごす。
父の出張は一泊二日か二泊三日。なんの事はない。極めて短い期間である。すぐに父は帰ってくる。父が帰ってくると家は色めき立つ。父は東京の沢山の土産と一緒に帰ってくるからだ。1990年代のあの時、まだまだ東京は遠かった。
父の土産は2種類ある。
一つは、仕入れ荷物と一緒に送られてくる物。大体、父が帰ってきた翌日に届く。父の仕入れは東京馬喰町、浅草橋界隈が中心。エトワール海渡という卸問屋のデパートで、仕入れ物と一緒に、子供向けのおもちゃとかディズニーのビデオを買ってきてくれた。小売店で買うより安かったから、いつもちょっと高そうなのを買ってきてくれる。自分の店で姉と遊んでいると佐川急便のお兄ちゃんが荷物を持ってきてくれる。(佐川急便の兄ちゃんはジュース奢ってくれたり、やさしかったなぁ。)
もう一つ土産は手荷物で持って来れる小さな物。基本は羽田空港とか、東京駅構内のお土産市場で買える小さい物。父も東京のうまい物が好きで、いつも旅行用ボストンバッグにほりこんで帰って来る。地元にはない、粋で洗練された、東京の名産品。
父が家に帰ってくると、姉と一緒に鞄を漁るのが楽しい。夕刊ゲンダイもよく入っていて、「東京の情報だ!」なんてドキドキしながらよく分からないまま、読む。
鞄の端っこの方に平べったい、紙に包まれた甘納豆がぺちゃんこになって挟まっている。紙の封を開けると、ザラメがまぶした黒豆が。子供にはちょっと甘ったるいが、中々味あえない東京の味。姉と一緒にチビチビ食べる。
甘納豆は、無事に家族を守った私のご褒美なのだ。父が帰って来た安心感と、家族を守るというミッションから緊解放された安堵感の味がする。一仕事終えた父と、一仕事終えた小さな私の、甘いお菓子。
昨日書いた日記にたくさんの人がコメントをしてくれて嬉しかったです。ありがとう。
平成の米騒動あたりは記憶が曖昧だが、たしかに食堂でタイ米を食べてました。
多分、入隊してすぐくらいだったか…この辺りは、半年以上教育期間だったので、
TVも見られず、もちろんスマホも無い時代なので、世間がどうなっていたのか全く知りません。
マズかったメシ以外にも、自衛隊の楽しみだったり、心に残ったメシをつらつらと書いていこうと思う。
20年間で5回くらい転属してあちこち臨時勤務等もあったので、ひとつの食堂の話ではありません。
カレーライスは間違いなくアタリの日だった。どこの駐屯地でもうまかった。
だが、午前中の訓練のモチベーションを上げてくれるのもまたカレーだった。
新人の頃は午後、ウトウトして先輩からよくどつかれたものだが、
先輩になると、どつく側になった。
そしてまたそれを超える年になると、どつきどつかれしている後輩達を生暖かく見守る立場になった。
昔、料理長に聞いたカレーの隠し味「焼肉のたれ」は、今でも家でカレーを作るときに入れている。
12月24日だか25日の昼には可愛いクリスマスケーキ1ピースが出た。
恋人がいない隊員はあえてこの日に当直を入れ、寂しさを紛らわした。
この日あたりから年末休暇が始まるので、ウキウキと帰隊する既婚者がなかなか憎たらしかった。
ケーキはうまかった。
元旦の昼はおせちが出た。大皿に少しずつ黒豆とか、なます、田作りなんかが適当な感じに盛り付けられていた。
まあ、おせちは出来あいなので大してうまくはないし、おかずになりにくい。
数年に1回は元旦勤務があったが駐屯地にはたくさん人がいるので寂しくはなかった。
バレンタインデーには昼飯にチョコレートがついた。不二家のハート形のチョコレートが多かった気がする。
男女関係なくみんなにもらえるチョコレートはなんだか嬉しかった。
自衛隊の女性はモテるというが、頭が良くて優しくて素敵な、妙齢の独身の先輩はたくさんいた。
自衛隊の男の目が節穴だと思っていた。
少し年を取るとWACはモテなかった。常にすっぴんだし、男女平等階級社会なので言葉遣いも荒くなることもあった。
女性とみなされないのかもしれない。
3月になると、予算に余裕が出るのか使い切ろうとするのか、メニューがわりと豪華になった。
料理長が大きな鉄板で手のひらサイズの肉をジャンジャン焼き上げ、横にうずたかく積んでいく。
外で焼くパターンもあった。
もう焼きあがっているので熱々とまではいかないが、本当に美味しくて年に一度のパーティタイムだった。
その他、創立記念日には紅白饅頭が出ることもあったし、節分には小袋の豆が出た。
美味しいメシは本当に訓練のやる気に直結していた。
ただ、唯一不満があるとすれば、白米がまず出てこなかった。
健康に留意してか、常に玄米とか粟とかヒエとか謎の穀類が混入していたので、ただただ真っ白な白米が食べたかった。
同期なんかは「また鳥のエサが入ってる…」と、よくぶつぶつ言っていたことを思い出す。
あと、駐屯地食堂では目玉焼きが出ないので、外で食事をするときはひたすらベーコンエッグ定食を食べていた。
生の卵は出るので玉子かけご飯は出来るが、半熟目玉焼きに飢えていた。
あとはなぜかクリームシチューが出てこなかったなあ。
自分が除隊する前の数年で糧食班がなくなり、民間の業者が隊員食堂を切り盛りするようになった。
団塊の世代だった古い栄養士や糧食班長も定年を迎え、若くて新しい世代の栄養士さんに代替わりした。
男性の若い栄養士さんは、自衛官の心をグッとつかむ旨いガツンメニューが上手で、とても人気がある。
子供の頃から絵が下手で、中学三年間は課題が完成しないとか、テストの配点の半分が実技だったりとかで、他の科目は五段階でいつも4〜5取れてるのに美術だけ常に2みたいな感じだった
特にクロッキーとかデッサンとか風景画とか、立体を絵にするタイプの絵は何から手をつけたら良いのかわからなくて目印の十字とかを描いたとこで手が止まる感じ
アニメや漫画の平面的な絵をそっくりそのまま写して描くとか、写真に撮られた動植物を同じように紙に写して描くとかはできるから2Dから2Dは多少できるんだと思うけど、アレンジしたりとかは一切できない
大袈裟に例えると、正面向いてにっこり眉毛に黒豆の目のアンパンマンは見本があれば描けるけど、それを少し変えて目もにっこりにしようとするとバランスがおかしくてアンパンマンじゃなくなる、みたいな感じ
これも、風景写真になってくると目で見てる時と同じように、何をどうしたら絵にできるのかわからない
レタリング?カリグラフィ?の単元だけはすごい楽しかったし、美術以外だと習字も苦手だったんだけど、明朝体というフォント知ってからは多少見られる字が書けるようになった気がする
図録に載ってた植物わ元にしたスクラッチアートとか、独自にパターン模様を作るっていう課題も一応完成した記憶あるし、後者のやつはしばらくハマって家でもやってたから、デザインとかそういうのは好きなんだと思う
今の仕事上でデザイン能力が必要になることはないし、せいぜいか資料の配色や配置バランスくらいだけどそこは苦手意識もない
それでも絵が描けないのがこの歳になっても地味にコンプレックスで時々思い出してはなんて私は絵が下手なんだろうって思う
絵が下手、って検索すると出てくる「発達障害の特徴の一つとして空間把握能力が低い」とか「発達性協調運動障害」とか、なるほど当てはまる…と思う部分もなくは無いけど、美術の授業のある学生時代ならまだしも、今のところ生活上で困ってるわけじゃないし、飲んだら絵が上手くなる薬が貰えるわけでもないしな
今から習って直るもんなのかこれ
習うとして何をどこで習えば良いんだろ
いや、詳しくないけど。
今じゃそんな素振りも見せないが、吉永小百合は1960年代の紅白歌合戦の常連で、橋幸夫とデュエットした「いつでも夢を」はレコード大賞を受賞している。
若い人は聞いたことないと思うが、歌唱力はまあ…。ま、うまけりゃ、その後も歌ってただろうが。
そういえば「フン、フン、フン、黒豆よ〜」などと歌ってた過去が明石家さんまに発掘されたこともあったな。
石原裕次郎が歌手としてもブイブイ言わせてた頃どういうノリだったのかしらないが、今でいうところのアイドル的存在だったのだろうと思う。
「裕ちゃん」と同時代を生きたファンの人たちの熱量は凄い。多分、歌がうまいかどうかとかそんなことじゃなくて、裕ちゃんが歌ってるってこと自体に価値があったのだろうな、というのは想像に固くない。で、そのレコードが売ってるとなれば、喜んで買ったのだろう。
まあ映画スターに限らないが、昭和のある頃までいろいろ有名になると勢いにのってレコードを出す、という風習があった。スポーツ選手とか。で、それをファンがグッズの一つとして買ったりしてたんだ。してみると、アイドルのCD商法ってのも源流をたどるとかなり歴史が深いのかも。
自粛中の都民の4連休、積み残した仕事を午前中にちょっとやって一休みしている。
コロナ以降は夫婦ともに在宅率が一気に高まったので、家で料理を作って食べるようになった。料理は好きだし通勤しないで済む分の余裕があるから苦にもならない。
考え事が仕事の大半、というか企画職なので、送られてくる所与の資料を読みふけり調べ物をしうーんうーん、うーんと煮詰まったりしながら資料を作り、リモート会議でプレゼンしたりする。最初のうちは化粧した方がいいだろうか、ビジネスぽい恰好をした方がいいのだろうかなどとと思ったがこちらも先方もだんだん緩くなり、家にいるときの服装で会議をしている。さすがにタンクトップとかではないが、Tシャツは全然ありである。プレゼンしたもののピント外れで画面に並ぶ顔たちからつぎつぎにダメ出しをされたりすることもしょっちゅうなので、冷や汗もすぐ乾くTシャツでもいいぐらいだ。
我が家には子ができなかった。そのせいもあってリモート仕事の環境はかなり良いのだろうと思う。マンションの部屋からは割といい風景が見える。手が止まったらベランダに出て少しボケっとしたりしている。古いマンションだが窓からの風景が気に入って買った。寝室の他にもう一部屋あったのでそちらを夫用の部屋にして、私はダイニングテーブルを占拠している。リモート会議の内容は当然家族にも守秘なので、私が会議中は夫はリビングには入れないし逆もしかりである。共用スペースを私が占拠すると夫はイヤなのではないかと思ったが、特に不都合はないから大丈夫だというので良かった。夫のリモート会議の声が個室から漏れ聞こえてくることがある。何を話しているかは分からないが気配は感じて、仕事中の夫…ふふふ、とほくそ笑む。こちらがダイニングテーブルに猫背になって酷い顔をして煮詰まっているところに、夫がコーヒーを淹れに来るときがある。コーヒーがいいにおいで気づいて顔を上げると私の分のコーヒーをテーブルにおいてくれる時もある。そうじゃない時もある笑、紅茶淹れるけど飲む?と声をかけて二人でちょっと休憩する時もある。
ダイニングテーブルで仕事をする良いことの一つは、食事の支度だ。食事まわりは以前から主に私の分担なので、ダイニングで仕事をしながら、煮詰まったら手を洗って晩ごはんのちょっとした下ごしらえをしたりしている。しょっちゅう煮詰まるおかげで凝った晩ごはんが増えたように思う。正月でもないのに黒豆を煮込んだりしている。だし巻き卵とか(だしを引いたら冷えるまで待つ、みたいなほんの少しの手間が、出勤上等な日々ではなかなか面倒になっていた。タブレットで資料を読みながら煮魚の上に煮汁をかけたりしている。煮汁をさんざん浴びせられてツヤツヤになったカレイの煮物が我ながら旨かった。ダイニングを私が占拠したことで、ごはんはリビングのテーブルで食べよう、ということになった。それも宴会みたいで何か楽しい。宴会料理ではなく粗食だが。
夫は良い椅子を買うと言ってデカいビジネスチェアを買っていた。下に敷くものを合わせて買っていて、さすが夫ナイス!と思った。私はダイニングの椅子とテーブルで割と快適に仕事をしている。おたがい、残業(というのかな?)で遅い時間まで仕事をしている時もあるのだが、寝室を仕事部屋にせずに済んだのは一番幸いだったと思う。
リモート会議ももうかなり慣れてきて、今はお子さんがいる相手方が話している時にかわいらしい声が入ってくるのにデレたり、先方の旦那さんのデカいくしゃみが入り込んでくるのに笑いが止まらなくなったりしている。やはり在宅だと静かで外部環境の変化が少ないので、小さいことがツボって笑いが止まらなくなったりする。
自分の取引先だと、会議の映像をoffにして、実質複数電話状態で打合せをすることが増えている。社内会議ではすでに回線の安定確保のために映像要らんとなっている。でも実は、野次馬根性もあって背景に映りこんでいるものに興味津々なのでこの風潮はほんの少し残念でもある。一方で、先方が年配の方だったりすると顔が見えないのが不安になるようなので、映像onでやる。私はダイニングテーブルで会議中なので背景はリビング・ダイニングの壁全面に作り付けてもらった本棚が映る。素敵な画集や素敵な装丁の文学の間にオシャレなインテリア雑貨などが美しく並んでいればいいのだろうが、大半は仕事の関係の本が雑然とそしてギュウギュウに縦・横に詰まっている。webの映像でどんな本が置いてあるかまでは分からないだろうが、仕事の本に混じってお笑い男の星座とかも入ってるからバレたら恥ずかしいな。
タイトルの通りなんだけど、さっきトイレに行ったら黒豆サイズのうんちがパンツに付着していた。
今日は朝7:30と9:30に排便したんだけど、そのどちらのときに付着したのかはわからない。わからないけど、少なくとも2時間、長くて4時間はパンツに黒豆サイズのうんちを付着させたまま仕事なり通勤なりしていたことになる。
これはショックだった。気付かなかったとはいえ、パンツに黒豆サイズのうんちを付着させたまま生活していたのだ。30半ばにもなってパンツに黒豆サイズのうんちを付着させたまま生活するなんて。
それとも、パンツに黒豆サイズのうんちが付着することはよくあるのだろうか。さすがに婚約者にはこんなこと聞けないので、ここに書き残しておく。
温かい飲み物をいつも保温水筒に入れておいて、のどを潤すためにちびちび飲んでる(おもにインフルエンザ予防のため)。
そんなとき、無印良品で黒豆茶のティーバッグを見つけて、飲んでみると香ばしくてよかった。
でもこれって、ひょっとしたら自作できるのではないの? と思って作ってみたら、わりと簡単にできた。
・黒豆(スーパーとかで売ってるやつでOK、自家栽培してるならそれを使う)
作り方
・洗い終わったらキッチンペーパーや新聞紙等の上にあけて乾かす
・10~15分くらい、弱火~中火で煎る、よい香りがしてくるまでやる(強火でやりすぎると焦げてしまうので注意)
・しばらく豆を冷ます
・豆が冷えたら適当な袋に入れて、細かく砕く(たまたま自宅に万力があったので、それでやっている。バキバキっと豆が砕けて気持ち良い。ない人はフードプロセッサーとかでいいと思う)
・砕いた豆をスプーンで好きな分量入れて、お湯を注いで飲む
*ネットで調べると、煎った黒豆を鍋で煮出して黒豆茶を作る方法が上位にヒットするけれど、豆を細かく砕くと、煮出さなくてもお湯を入れて1~3分で飲める。
**強火で加熱しすぎると、焦げの味しかしなくて飲めないので注意。炒り豆の香ばしい匂いがしたところで火を止めて豆を砕くと、内側が茶色くなっているくらいが頃合い。