はてなキーワード: 非オタとは
ここで語る萌え絵は00年ごろに完成したエロゲの表現様式としての絵柄を指す。なぜならそれが初めて萌え絵と呼ばれた絵柄であったという歴史があるからだ。
現代の感覚で萌え絵の範疇を広げた挙句その源流を少女漫画やらミュシャやらに求め出すアホはすっこんでろ。
さて、現在萌え絵と呼ばれている絵柄は幅広いが、元々萌え絵とは00年頃に絵柄が完成したエロゲ絵のみを指していた。
萌え絵は少女的無垢性を表現したものという言説もあるが、そんな綺麗事は萌え絵が一般のアニメ絵マンガ絵に多大な影響を与えて却って薄まってしまった現代だからこそ言える戯言であり、元は少女が脱いで媚態を晒すシチュエーションとセットであったことを忘れてはならない。
しかしながら完成した萌え絵がエロとセットであった期間は非常に短い。多分10年もない期間のことだろう。具体的には、Windows98の発売によりPC向けのエロゲーで表現できる絵が豊かになった98年頃からCLANNADが発売した04年までだ。
萌え絵の完成というのは当時のオタク界にとってはエポックメイキングであった。
ここで当時の萌え絵の特徴について整理したい。
まず、よく挙がるのが非常に大きな目の表現である。これが萌え絵の大きな特徴であることは間違いない。ただ、ここだけを以って萌え絵の源流は少女漫画だと語る人も多いがそれは間違いだ。萌え絵と少女漫画には大きな隔たりがある。それを作っているもう一つのキーワードが立体感である。
萌え絵には大きな目の他にもう一つ、丸っこく柔らかい影をつけて体の立体を表現しているという特徴がある。その表現は平面的な水彩塗りを主とする少女漫画には存在しないものだ。そしてその表現は、女性の裸体を質感をもって表現するという必要性と、当時のCG塗りに使われていたPhotoshopのエアブラシというツールの二つが合わさって発明された。
立体感を持つ体に大きな目が合わさって初めて萌え絵となったのだ。
この萌え絵という表現様式は控えめに言っても非常に優れていた。可愛いとエロいを初めて両立させた絵柄だったからだ。
それまでのエロ絵と言ったら劇画調のものが主だった。一方で可愛い絵と言ったら少女漫画か吾妻ひでおあたりで、これらにエロティシズムを感じるのは当時のオタクの定義でロリコンと呼ばれたオタクの中でもさらに一握りの人々だけだった。つまり、このころはまだ可愛いとエロいは両立していなかったのだ。
それを両立させた萌え絵がエロゲーというジャンルから現れたのは必然であった。
そして萌え絵がエロとセットになっていた時代を終わらせたのは、エロゲー界に流行った泣きゲーというジャンルの物語だ。
泣きゲーというジャンルのエロゲーは、Key、Leafといったエロゲーメーカーが得意とするものだった。いわゆる葉鍵系である。これらのメーカーが出すエロゲーはエロゲーでありながらエロはおまけ的であり、その価値は泣かせる物語にあった。
この泣かせる物語は正直エロとは相性が悪かった。だが、萌え絵にはそれらの物語ともマッチする懐の深さがあった。萌え絵はエロのみに価値があるわけではなかったのである。
これらの物語と萌え絵のマッチは、元はエロゲーの絵柄として発生した萌え絵からエロを剥がすことに成功した。
そしてそれから萌え絵はエロゲーを表現する絵柄であったというコンテキストから解放され、アニメ絵、マンガ絵に多大な影響を与えていくのである。その過程で萌え絵自身もどんどん進化していき、今となってはエロティシズムとは無縁の絵柄に到達したものもある。
一方で、エロゲーの絵柄としての萌え絵も残り続けた。可愛いとエロいを両立させ続けている絵柄だ。
さて、ここで萌え絵を性的なものだと言って批判する人々が連想している萌え絵とはなんなのか考えてみよう。
今のオタクが萌え絵と言って連想するのはエロのコンテキストから引き剥がされた現代の萌え絵だ。
だが、萌え絵を性的だと殊更に槍玉にあげる人々が連想しているのはエロのコンテキストにべったり沿った、いわゆる原義通りの萌え絵だろう。それらは主流派ではなくなったが今でもまだ存在している。
これでは両者の話が噛み合わないのは当然である。
さらに萌え絵を性的だと批判する人々がなぜ萌え絵を特別視するのか考えると、そこには萌え絵が実現した可愛いとエロの両立が非常にショッキングなものであることが大きな要素になっているだろう。
萌え絵以前はエロといえば劇画であり大人の世界のものであった。一方で可愛いといえば少女漫画であり、子供、特に女の子のためのものであった。しかし萌え絵は可愛いの世界にエロを持ち込んだのだ。
これが子供を守る親の視点から見て、ショッキングでないはずがない。
だから私自身は萌え絵が好きなオタクであるが、個人的には萌え絵を批判する非オタクの大人の批判も宜なるかなと思っている。
そして、萌え絵といえばエロゲー用の絵柄であったという歴史に目をつぶり、萌え絵はエロくないと言い張って萌え絵批判を批判するオタクには幾らかの憤りを感じる。
重要なところを復習する。
まず、初めて萌え絵と呼ばれた絵柄はエロゲー用に完成された可愛いとエロを両立する絵柄であること。
それは一般的に見て非常にショッキングな絵であり、それを受け継いだエロい萌え絵が今も存在していること。
これらを今のオタクは忘れてしまったのだろうか?少なくとも今のアラフォー以上で20年くらい前からオタクをやっていたような人は覚えているべき歴史ではないのか?
これらの歴史をまるでなかったかのように扱い、萌え絵はエロいという人を一方的に非難するのは非常に不誠実ではないだろうか?
今萌え絵と呼ばれている絵柄は非常に豊饒で、エロとは無関係のものが主流だ。それは確かな事実である。
一方で萌え絵はエロゲ絵から始まり、今もそれを引き継いだエロい萌え絵が存在するのも事実である。
普通に考えて、萌え絵を性的なものだと批判する人々が連想しているのは後者だ。前者に引きずられて後者を連想している場合もあるか。
でもだいたいの場合、純粋な感性だとか、子供向けの表現に感動してる大人という捉え方は勘違いなんだよね。あるいはナチュラルにアニメを侮ってる。
普通の良識的な大人が見ても大人の感覚で感動できるような多面性をもたせて、よく練られて作られている事がほとんど。
だから架空の憎らしい「幼稚な大人」を妄想上で作って嫉妬してしまうほどに余裕のない人から攻撃されてるんだよ。
また、特に深夜帯のアニメは高度なコンテキストを汲んでいないとついていけないものも多く、それが理解できない非オタクから憎まれる原因かもね。
いずれにしろ感動すること自体は何も社会的にも人格的にも悪くないのに、それを熱心に論評できるくらいのエネルギーを割けるというそれだけでも、社会生活に忙殺されてる人からすると憎らしく映るんだろう。どうしようもないね。
てかネットをしてたら分かるけど、案外インテリな人ほどアニメを偏見なくよく見てるんだよ。
PCでは昔から王道洋ファンタジーのゲームはそれなりにあったけど
ファミコンに限って言うならドラクエ以前に王道洋ファンタジーを扱ったゲームって「ボコスカウォーズ」「ドルアーガの塔」「ハイドライド」とあと1こか2こあるかないか
ドルアーガの塔は結構ヒットけど、老若男女全てという意味でファンタジーで大ヒットしたゲームはDQが初めてなんじゃないだろうかと
非オタ向け作品も萌え絵作品も二次創作がある点では同じですーって主張すんなら
エレン先生のエロ絵と同じ数だけグリーン先生のエロ絵持ってこいよ
できねーだろ?
二次創作すなわち悪じゃねえって言ってるだろ
エロいもんはR18分類つけられるところでやれよ
キャラ名で検索したら簡単に引っ掛かるようなとこに撒き散らすなよ
オタクと著作権者の、二次創作をめぐる「暗黙の了解」とやらは、限定的な条件だってこと理解しろよ
そういう話だよ
なにが「花は咲くのか?」だよ笑かすな
お前らが出版社が咲かせたエレンベーカーって花に、誰でも見られるところでくせえ精液かけまくったから
同じ種類の花咲かすの警戒されてんだよ
まなざしじゃねーよ
https://anond.hatelabo.jp/20181008162057
見かけてくださった方が拡散してくれたようで、広がっているようだ。苦しすぎてオタク垢は消してしまったので、自分の目に入るということは非オタ垢に届くほど拡散されているということなのだと思う。見つけてくれて、ツイートしてくれた人、ありがとうございます。
これでひとりでも「匿名の悪意」を向ける人が減ると嬉しい。匿名の悪意がどれだけ恐ろしいか、伝わるといい。
同時に、「匿名の悪意を打ち消すことができるのは、ありがたい感想」だけだということも書き添えたい。ありがたい感想がなければ、二年も描けなかっただろう。ポジティブな感想はもっと気楽に送られるべきだ。
同時に、TLの反応を見て、ああ書きそびれたなと思ったことがあったので最後に書く。
「相手の悪意に負けて筆を折るな」
「書き続けることこそ復讐」
筆を折らせるために匿名凸されているようなものなのだから、無視して描けばいいと。
だけれど、自分にそんなことはできなかった。
届く感想に怯える日々はもう嫌だし、「負けてたまるか」という気持ちを持てるほど強くもない。匿名の悪意によって筆を置くことも悪なのかもしれない。それは負けなのかもしれない。
だけれど、自分を守ってくれるわけでもない人の「負けるな!描いて復讐だ!」は、呪いの言葉に近いということだけ、ここに明記しておきたい。負けでもいい。もう同人という趣味の世界で傷つきたくないのだ。
そして、匿名の悪意を鼻で笑って、自分の描きたいものを追求できる人が、涙が出るほど羨ましいことも、書いておく。あなたたちはどうか、負けずに描き続けてください。
さきほどpixivを削除した。ツイッターは数ヶ月前から鍵をかけていたのを消してしまった。昨日からしている、感想をくださっていた方々へのお礼参りも終わった。匿名投稿もこれで最後にする。完全にさようならだ。怖いのでもう同ジャンルの即売会にも行かないだろう。
本当に最後に、もう一度だけ、言いたい。
https://store.line.me/stickershop/product/1192163/ja
を使ってたら
https://store.line.me/stickershop/product/3962468/ja
https://store.line.me/stickershop/product/8928/ja
特におまえがやったんだろって指がたくさん出るやつが生理的に無理らしい。
気持ち悪いってのは、ほんとに理解できないとか見慣れないものに軽い気持ちで使うことばだろう。
自分の当たり前を無視されたり侵害されたときに自然に出てきてしまうんだろと思ってる。
極端な話、その人にとってかわいくないものは全部気持ち悪いってことになりうる。
いや、キモカワって言葉もあるくらいだから、もはやかわいいのかべすら超越しているらしい。
ネガティブな意味とすら限らなくて、マジ卍くらい適当に使ってる言葉だ。
なので気持ち悪いって言われただけで深刻になるやつはちょっと意識過剰だ。
最近おっさんが、娘がなんかの表紙見て気持ち悪いって言っただけなのに、性的に抑圧がーとか言い出して炎上したらしい。
多分もう百万回くらい言われているんだろうけど、やっぱり私も
娘さん多分見慣れない表紙だったからびっくりしただけとかじゃねえの?って思ってしまった。
気持ち悪いという娘さんの言葉を聞いてその表紙を問題だと感じる父親 →わかる。
気持ち悪いと言ってる娘さんのためにその場を離れるんじゃなくて、その場に留まる父親→わからない
娘さんが気持ち悪いと言ってるものをネット上に拡散する父親 →キモイ
娘さんと会話をせずに勝手に娘さんの意思を決めつけ性的抑圧がとか言い出す父親 →虐待じゃね?
ずいぶんと長いこと女性向け男性同士のポルノをヤオイと言って山なしおちなし意味なしと卑下しなければならなかったが、そのポルノ自体の卑下からはようやく脱却し、自らを腐ってると自虐することに移行してきた。その自虐も自虐ではなくなったきて、堂々と宣言しはじめてきたのを見ると女性がポルノと性欲を勝ち取ってきたのだと思える。
「やおい」と「腐女子」はそれぞれ意味が違う。「やおい」の代替として生まれたのは「BL」だろう。
(因みに「やおい」と「BL」も当初は意味が違ったが。「JUNE」と言う言い方もあったね。それぞれ意味が違うよ。)
今でこそ形骸化してる雑誌アンアンのセックス特集も最初の衝撃はすさまじく、女に性欲があることを宣言する一つのターニングポイントだった。
その前から多数あった非オタク向け女性向けエロ雑誌の存在を無視されても。
セックス特集自体はエロ雑誌ではない有名女性誌でもそれ以前にも多数あったし。
アンアンは「有名男性芸能人を脱がせたグラビア載せた」「女性向けAVのDVDをつけた」って所が目新しかったけど、目新しかったのはそれだけだよ。
彼/彼女らがそういう主張なのは理解しているけど、法規制される時は形式的に肌の露出が目立つのはダメのような基準で規制されるでしょう。
男オタに媚びたラノベ美少女はNG、主体性のあるセクシータレントはOK、なんて人文的基準で法律が運用されたら驚く。
結果、非オタや女性向けのお色気まで巻き添えを食うので、多分そういう規制はできない。
そう言うためにはちゃんとラノベの批評、他者の視点を受け入れ、他者に紹介できる状態にしておかない
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ラノベ本体やそれを巡る言説に「豊かな批評性」のような物が備わったとして、だから新しくファンになる、卒業しないで買い続けるという大人の読者がどれほどいるだろう?
売れるか生き残れるかで言えば、客である若者(や大人になりきれない元若者)が求めている俗情(性・暴力・あとは中二精神?)に応え続けるべき。
「他者の視点」が欲しいなら、中国で売ってポルノ規制や歴史認識問題に配慮せざるを得なくなるというかたちで既に実現している。
オタクが毛嫌いされる理由の一端をふと思いついたのでちょっと書き留めてみる。
まず前提として、対象への失礼になったり、対象を不快にさせたりする感想・感情・行動がその本人に伝わるとまずい、というのがあるとする。
(この「対象」というのは、特定の個人に限らず、同じ性質を持つ人々の集団とかを指すこともある。)
例えば、Aさんに対する(不細工だな~)って感想がAさんに伝わっちゃったらAさんからは嫌われるだろうし、背が低い女の前で「背が低い女ってぶりっ子で性格悪いよね!」とか言ったらその女はムッとするだろう。
多分それはまずいってわかってるから、普通はそういう感想・感情は対象には伝わらないようにするものだ。
でも逆に、感想・感情・行動の対象外の人に伝わるのはそんなに問題ない気がする。
さっきの例えを使うと、Aさんが居ないところで「Aさんって不細工だよね~」って言うのとか、背が高い女に「背が低い女ってぶりっ子で性格悪いよね~」って言うのとか、まあ普通に有り得そうな会話だ。
ただし、人間も社会もきっともっと複雑なので、感想・感情の対象外の人でも伝わったらまずいことになってしまう場合がある。
例えば、本人は対象外だが対象に好意を持っている人。Aさんの大親友のBさんに「Aさんって不細工だよね~」って言ってしまうとBさんからは悪印象を持たれるだろう。
それから、他人からは対象外だと認識されているが本人は自分を対象内だと認識している人。周囲から見ると背が高いけど自分のことを背が低いと思ってる女に「背が低い女ってぶりっ子で性格悪いよね~」って言うと、自分への悪口か?と思われてしまうだろう。
で、これと似たような事が、オタク・非オタク間で起こっているんじゃないか?と思う。
ここからは想像だけど、非オタクの人々は「人間を眺めたり描いたりして萌え~とか言ったり、人間のグッズを集めて喜んだりしてるなんて、オタクってキモ~い」とか思っているんじゃないだろうか。
そんでその人間っていうくくりに、無意識にでも、自分とか、自分が好きな知り合いとかを含めているんじゃないだろうか。
…いやでもちょっと待って、オタクが眺めて萌えたり、描いて楽しんだり、グッズを集めて喜んだりしている対象は「二次元のキャラクター」であって「現実の人間」ではないぞ。
少なくともオタクはお前を眺めたり描いたりして萌え~って言ったり、お前のグッズを集めて喜んだりはしないぞ。
などと、「娘がラノベの表紙を見て「気持ち悪い」と言った」みたいな旨のツイートを見てうだうだと考えていました。
様々なオタクの皆様につきましては、「オタク」というクソデカい主語でまとめてしまって申し訳ございません。
また、最初に書いたとおり、ここで書いたことは嫌われる理由の「一端」の「思いつき」であり、これだけが嫌われる理由の全てであるとは全く思っていないし書いてもいないので誤解なきように。