2015-12-07

コンビニ雑誌コーナーの片隅に並べられた数冊の雑誌
今日もそこから軽く目をそらして通過する。

これらの雑誌は、世間的な非難を受け縮小したとはいえ、
一件のコンビニにつき、三冊から四冊くらいは、 必ず陳列されているように思える。

漠然とイヤだなあと感じるのは、
自分が表紙と同じ側にいると思うからなのだろうか。

大したことではなかったし、トラウマもない。
でも、嫌な思い出であることに変わりはない。
からやっぱり多少はキツイ
このキツイなぁという感覚は、
この雑誌を当たり前に買いつづける人間にはわからないだろう。

さな子が、雑誌を見あげていたこともある。
の子もいつか自分と同じような目に遭うのだろうか。
既になっているかもしれないけれど。

無論全員が、そうなるわけではない。
だが、自分のような目に遭う可能性は、おそらく交通事故確率よりも高い。

二次元三次元混同するなと人は言う。
もちろん自分オタクである以上は、その論理に従って生きていきたい。

もし、これらの雑誌が、ゾーニングされた場所にあるなら、こんな文句は言いやしないし、
ゾーニングされた場所には、もっと過激雑誌があることも知っている。
欲しい者は買えば良い。
自分は買わないだけだ。

自分にとってコンビニとは、日常だ。
毎日店に入り、毎日必要ものを買う。
そしてそのとき
うっかり本棚の前を通過したりもする。

それこそ仕事疲れた日とか、
ぼんやりしてる日とかもあるだろう。
1年365日、
そこまで注意して歩けないだろ。

日常風景の中に、
経験した嫌だなあに似た表現が突如飛び込んできて、
それを快楽として感じる相手がいるのだと知るのは、
まあ、割としんどいものがある。

表紙に描かれたものが、法に反してない表現であっても、
文字情報スルーすればいいだけでないかと言われても、
どうしても表紙に描かれた対象の側に立ってしまう。

コンビニに行くなよ、と言われたこともある。
イヤならば避ければいいのか。

そうなのか。
果たしてそうなのだろうか。

そうなのかもしれない。
この社会強者論理で出来ていて、
ここは強者論理で作られたコンビニだ。

から自分は今後も
本棚一角から
なんとなく目をそらしながら、
欲しい商品を手に取れる。

自分がまぎれもない弱者という事実を突きつけられて、
コンビニにこんな雑誌があることも当たり前ということにされて、
でもしかたがないんじゃね? と、
言い聞かせるわけでもなく言い聞かせながら、
まあなんとなく生きていく。

それでも、時々、もやもやが募ってこんな風に増田になってみる。




いじめをするやつは糞だ。
だが、空想いじめで喜ぶヤツを否定はしない。


ただできれば、コンビニいじめ雑誌は、この世界から滅びて欲しい。

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