はてなキーワード: 舐めるとは
私は障害者であり、それなりに差別されてきたし、それなりに虐められもしてきたけれども、見知らぬ誰かが「私があなたを虐めた誰かを裁いてあげよう。君を救ってあげよう」と言ったとして、ふざけるな、お前なんかに救ってもらいたいと誰が言ったんだ、舐めるのも大概にしろ、と激怒するだろうと思う。
私はその、誰かをあまりにも簡単に救ったり裁いたりできると思いこんでいる誰かの傲慢がどうしようもなく気に入らないし、お前らなんかに救われたくない、自分の魂は自分で救う、と思えてならない。政治や愛してもいない他人なんかに救われるくらいなら、はじめから魂なんか要らなかったんじゃないか。
私は障害者であり、それなりに差別されてきたし、それなりに虐められもしてきたけれども、見知らぬ誰かが「私があなたを虐めた誰かを裁いてあげよう。君を救ってあげよう」と言ったとして、ふざけるな、お前なんかに救ってもらいたいと誰が言ったんだ、舐めるのも大概にしろ、と激怒するだろうと思う。
私はその、誰かをあまりにも簡単に救ったり裁いたりできると思いこんでいる誰かの傲慢がどうしようもなく気に入らないし、お前らなんかに救われたくない、自分の魂は自分で救う、と思えてならない。政治や愛してもいない他人なんかに救われるくらいなら、はじめから魂なんか要らなかったんじゃないか。
タイトル通り
小山田圭吾のニュースで勝手に被害者の気持ちになってコメントするなってコト
そして批判するなら被害者の気持ちを代弁せずに加害者を批判しろってコト
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お前に被害者の何が分かるっていうんだ
批判するならコメントは「悪質」「オリンピックのルールに反してる」「品性下劣」でいいじゃねえか
おまえに被害者の何が分かるんだ
なんだよ結局お前らサル山の頂上決戦したいだけじゃねーか
もちろんそれで救われた例も過去にはあるだろう
それでも被害の当事者不在の議論であり批判ということを忘れないで欲しい
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https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ta-nishi.hatenablog.com/entry/2021/07/17/112215
ustam 東浩紀を始めとして、「またネット民の悪ノリ」みたいに考えてる人が多いみたいなんだけど、この件に関してはいじめ被害者たちの怨嗟を感じるんだよね。いじめで人生狂わされた人たちは、絶対に許さんでしょ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8bdad0722f74a1a6b59c9462816565e642571267
「しかし、『いじめ』の被害者は、悔しさ、怒り、情けなさ、惨めさをいつまでも心に留めています」と、いじめられる側の心中をおもんばかった。
例えばこんなんだよ
怨嗟ってなんだよ。絶対に許さんって決めつけるなよ。勝手にいじめ被害者を一括にするな。
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ChieOsanai 2021/07/18 そうなんだ。じゃあ私被害者の気持ちを代弁するね。
お前そういうとこだぞ。
独りよがりになるな。被害者の気持ちを代弁せず加害者を批判しろ。
被害者の気持ちを代弁するなら被害者に会うか、コメントを貰うか、家族か周りに会うぐらいしてこい
ko2inte8cu そうだ!勝手に被害者の口に大便するな!
お前そういうとこだぞ
人間愚かだな
叩けばいいと分かれば叩くのに遠慮なくなる
獣だよおめえは
人じゃなくて獣
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https://anond.hatelabo.jp/20210718051310
https://anond.hatelabo.jp/20210718052610
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私は障害者であり、それなりに差別されてきたし、それなりに虐められもしてきたけれども、見知らぬ誰かが「私があなたを虐めた誰かを裁いてあげよう。君を救ってあげよう」と言ったとして、ふざけるな、お前なんかに救ってもらいたいと誰が言ったんだ、舐めるのも大概にしろ、と激怒するだろうと思う。
私はその、誰かをあまりにも簡単に救ったり裁いたりできると思いこんでいる誰かの傲慢がどうしようもなく気に入らないし、お前らなんかに救われたくない、自分の魂は自分で救う、と思えてならない。政治や愛してもいない他人なんかに救われるくらいなら、はじめから魂なんか要らなかったんじゃないか。と思う
てか、推しがお前にとって気に入らない仕事をしたから何なんだよ。なに被害者ヅラしてんだよ。
推しだって趣味で仕事してる訳じゃねぇだろ。お前と同じようにそれなりに覚悟とプライド持って仕事してるだろうよ。
それとも何だ?お前は普段から私は会社の人質にされてます〜って言いながら仕事してんのか?
推しが「あなたは会社(ないしマネージャーなりプロデューサーなり)から人質にされてその仕事をしてる」って言葉を聞いたらどう思うか?この上ない侮辱じゃないか?
推しは何も知らない子だから〜大人に騙されてこの仕事を受けた〜だの言う奴は、知らず知らずのうちに推しを侮辱してるよな?
もういい加減、推しは操り人形のごとく上から動かされてますみたいなノリ止めようよ。
自分の気に入らない仕事を推しがやってると思いたくない気持ちは分かるよ。でも何でもかんでも推しが人質に〜ってさ。
「好みじゃないコンテンツだけど推しが出てるから仕方なく見る」なら分かるよ。でもオリンピックともなると話が違うだろ。
「個人的に好きになれないコンテンツ」と「オリンピック」は全然意味が違うからな。
お前の推しだって叩かれる事を覚悟した上で少しでも今の日本を元気づけたいっていう気持ちでその仕事を受けたのかもしれないだろ。
はっきり言うと、推しが人質に取られただの言う奴は「自分の推しは大衆から悪口を言われることも覚悟の上で仕事している」ことを分かってないだろ。
たくさんの人から推される立場である以上、プロ意識を持って仕事してるはずだ。
そして、お前が推しを操ることは出来ない。
自分はセックスワーク擁護派だけど、「セックスワーク差別は無知からやってくる」(https://anond.hatelabo.jp/20210714185723)を書いた元増田のロジックはだいぶマズいというか突っ込まれどころが多いので、もう少し理論武装してください。通常の賃労働とは違うセックスワーク固有の困難というのは確かにあって、セックスワーク当事者たちも、そのことはきちんと問題化しているので。
そもそもセックスワークというのはワーカーの安全確保がとても難しい。行為の性質的に、どうしても個別性・私秘性が求められ、たいていは誰からも見られない場所、多くの場合は密室で、1対1で行うということになる。特に非店舗型風俗では完全にアウェイな相手の自室に1人で入っていくことになるので非常にリスクが高い。男性相手の女性セックスワーカーの場合、フィジカルに圧倒的な差がある。事前のルールで決められた以上の行為を強要する顧客もいる。自室にカメラを仕込んで盗撮を仕掛ける顧客もいる。そういった「意図的な悪意のリスク」に一定確率でさらされるというのは、建設現場など通常の肉体労働では起こらないセックスワーク特有のリスクだ。
健康問題についても、「内臓を売ってるってことなら、サラリーマンは眼球を売ってるでしょ」みたいな悪質な比喩は問題を誤魔化してしまう。臓器を売り渡しているわけではないが、臓器(内性器や口腔)を使わせる自由は売っていて、このことには普通の「ワーク」にはないリスクが伴う。特に女性器への挿入を伴うセックスワークは、眼球で何かを見ることとは比較にならない健康上のリスクがある。慢性的侵襲、性感染症、意図せぬ妊娠など、就労を一時中断したり、離職を決断しなければならなくなったり、将来的な妊孕性を損ねてしまうといったケースも普通にある。またワークを通して何かあったときの労災的環境も全く確保されていない。その点、何度も比喩に使われている建設業は、労災や労働環境保全は過去の事故の反省もあって、非常にしっかりしている(たぶん平均的なサラリーマンの職場よりちゃんとしてる)。そういうところも大きな差がある。
セックスワークが売るものは、性行為とその行為に伴うさまざまなファンタジーだ。このファンタジーには「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分に提供される商行為であってほしくない」という利用者の幻想も含まれることが多い。お金のためにやっているのに、「お金のためだけにやっているわけではない」ようなフリをすることが求められたり好まれたりするという倒錯的な構造がある。たとえば、実際は気持ちよくないのに気持ちよがって見せる、相手に好意を持っているように見せる、セックスが好きだから自分の天職だと演じる、など。別のペルソナを身に付け、本当はそうではないのにそうであるように振る舞うのは感情労働の一種で、このことはワーク当事者にとってストレスになることが多い。多くのサービス業には感情労働的な性質があるが、その「程度」は全然違う。身体への性的アクセスを許して、そのことに快感を感じているように演じて、相手にはビジネス以上の繋がりを感じているように振る舞うということを1日に何回も繰り返すのが、本人の精神的健康にどう影響するか想像してみてほしい。
セックスワークは長く生業とするのが難しい。特に日本の男性向けセックスワーク業界では「プロ」へのニーズが低い。これはさっきの「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分に提供される商行為であってほしくない」という幻想とも密接につながっている。セックスワーク業界は、セックスワークに関する技術を徹底的に磨いたベテランのプロフェッショナルほどサービスの付加価値が高まる、という構造になっていない。むしろ技術が拙いことが「素人っぽさ」「初々しさ」として評価されることもある。風俗店でもAVでも「新人」には高い価値がつけられる。普通の賃労働では技術の拙さが評価につながることはないが、セックスワークではプロでありすぎないことが求められる。経験を積むことはさほどプラス評価にならない(時にマイナス評価になる)のに、年齢が上がることはマイナス評価に直結していく。技術より容姿・年齢がワーカーの付加価値を左右するから、素人の女子高生・女子大生がセックスワークの分野で高い付加価値を持ってしまうし、加齢を経てセックスワークに携わり続けることが難しくなっている。メディアの発達によって、その気になればいつでも誰でも性行為を売れるようになったことで(援助交際からパパ活SNSまで)、ますますプロの付加価値は下がっている。
これは私見だけど、この構造があるので、元増田の言う「合法化したほうが業界団体ができたり、まともな資本が入ってきたりして安全面含めたセックスワーカーの労働環境がどんどん良くなっていくと思う」については自分はあまり肯定できない。管理されていてセキュリティを確保されているプロは、管理されていないリスキーなアマチュアに売り負ける。今後セックスワークはどんどんネット経由で地下に潜っていく。それを防ぐには、管理売春の合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない。このこと自体がセックスワークの特殊性をよく表している。
こういうセックスワークをめぐる構造的問題、特殊性もちゃんとわかった上で、それでもセックスワーカーの権利獲得とセキュリティ向上のために活動しているアクティビストには頭が下がる。そこでしか働けない人、そこでしか働きたくない人がいる以上、そういう人達がより安全に快適に働ける環境作りをしていくという意味では労働運動の正道だし、圧倒的に女性就労者が多い現場で固有の問題を考えていくという意味ではフェミニズムの本道でもある。自分としては精一杯支援したい。
元増田がセックスワークの擁護をしたいなら、こういうセックスワーク当事者や支援者が認識している論点を無視したり、「ワーク」全般とセックスワークを脇の甘い比喩でまぜこぜにしたりして、本人達の意に沿わない正当化をしないほうがいいと思う。あの書き方だと、逆に「無知だけどセックスワーク擁護してる人」になりかねない。
みなさんコメントありがとうございます。自分的に重要な指摘だと思ったことにコメント返します。
id:allezvous 「それを防ぐには、管理売春の合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない」法律行為代理や医療行為を筆頭にした資格制の業務でよくあるような
医行為との対比は一度書きかけてやめたのですが、コメントいただいたので少し書いてみます。医行為や法律行為代理が免許制資格になっている理由は、提供するサービスの質を保ち、その利用者を保護するためだと思いますが、上記の理由でセックスワークを許認可制とする場合、その制度設計はワーカー側の身体と健康と安全を利用者から保護することが主眼となり(そのことは利用者を守ることにも繋がると思いますが)、目的と方向が真逆になっています。
セックスワークの特殊性のひとつに「ワーカーの身体による利用者へのサービス」ではなく「ワーカーの身体への、利用者の一時的アクセス権」自体を売るという側面と、それに伴う固有の脆弱性(vulnerability)があります。他の一般的な「ワーク」で、こうした受動的・対象的・客体的な要素を持つ賃労働、「利用者から自分が何かをされるのを受け入れること」自体をサービスとする賃労働を、私は他に知りません(あえて言うなら猫カフェの猫はそうかもしれません)。この構造は、セックスワークが普通の「ワーク」になることを難しくしている、ひとつのアポリアだと思います。
id:aquatofana さん、id:m7g6sさん、id:pekee-nuee-nueeさん、id:yetchさんが、「受動的・対象的な要素を持つ賃労働」の例として、医療・製薬業界の治験バイトを挙げてくださいました。確かに身体そのものの一時的供出、それに伴う健康的・身体的リスクの受忍という点で、似通った部分があります。一方で治験というのは、旧厚生省治験検討会の方針もあって、一貫して労働ではなく善意のボランティアという体裁になっており、支払われるお金も治験協力への直接の報酬ではなく「被験者負担軽減費」(治験参加に伴う物心両面の種々の負担を勘案した、社会的常識の範囲内における費用の支払いによる被験者の負担の軽減のための費用)という名目になっています。報酬金額が制限されていること、終了後に4ヶ月の休薬期間が設けられていることも含めて、「ワーク」にならないような工夫が凝らされています(とはいえ、実際は色々な抜け道を駆使して治験ボランティアの収入だけで暮らすことも不可能ではないようですが)。
国や業界がなぜ治験を純然たる「ワーク」にしなかったのか、してはいけないのか、というのは、セックスワークの「ワークとして成立することの困難」を考えるうえで、ひとつの手がかりになるかもしれません。治験については、おそらく行政にも医療従事者にも『①個人が自己の身体を一時的に相手に使用させ、②相手の〈自己身体の使用〉に伴う身体的・健康的リスクを引き受けること、それ自体を商行為にしてはいけない』という感覚が強くあるのだと思います。
このうち①は、みなさんご指摘のように、多くのセックスワークの業態に含まれている要素です。②は、本来セックスワークの現場からは排除されているべきですが、現実には看過できない頻度で発生している要素です。しかも実際にリスク事象が起こったときには、その責はワーカー自身に帰されがちです。たとえば、ワーカーが性感染症に感染したり、意図せぬ妊娠をしたとして、世の中で利用者・管理監督者・ワーカーのうち誰を責める言説が多いかといえば、圧倒的に「風俗で働いてるワーカーの自業自得」という声だと思います(そしてそのことは、仮に売春周旋行為が合法化されても変わることはないのではないかと思います)。これは、多くの人が「セックスに直接関わる行為には、どれだけ運用を工夫しても一定の身体的・健康的リスクが伴う」と理解していることの現れだとも言えます。
セックスワークには「利用者がやってよい行為」と「やってはいけない行為」の距離が極めて近いという特徴もあります。性的に興奮している利用者は、意図して、あるいは意図せずに、その「やってよい行為」と「やってはいけない行為」を隔てている薄皮を破るかもしれません。いわゆる本番行為がある性風俗店や派遣型風俗では、その〈薄皮〉は0.02mm厚のコンドームだけかもしれません。あるいは、キス禁止にもかかわらず、抱きついているワーカーの顔をつかんでキスを迫ること。本番禁止にもかかわらず、素股というサービスを受けているときにワーカーの腰を掴んで挿入を試みること。おっパブで働くワーカーの乳首を舐めるのではなく、噛むこと。「自己身体そのもののへの直接のアクセスを利用者に許可している」という脆弱な状態にあるので、利用者が予め設定したラインを欲求や興奮とともにほんの少し踏み越えただけで、ワーカーの健康リスクに直結するという構造があります。
建設業では現場の建設従事者に健康診断結果の提出を義務付け、毎朝朝礼を行い、現場パトロールを実施し、ヘルメット・安全帯・安全靴・長袖服の着用を義務づけるなどして、そのワークに伴うリスクを可能な限り抑制します。風俗業界では、店員やドライバー男性による様々な処罰(いわゆる「業界流儀」)によって、そのワークにともなうリスクを可能な限り抑制します。この両者は、似ているようで違います。建設業では、ワークの現場を監視し、ワーカー自身を防護し、事故リスクを減少させ、事故時のダメージを最小化しています。風俗業では、ワーカー自身を利用者から防護することはできません(一時的に身体へのアクセス権を利用者に提供すること=ワーカーの身体を利用者から防護しないこと自体が、サービスに含まれているからです)。管理者がワークの現場を監視し、利用者が「やってはいけない行為」に及ぶ瞬間に介入して中断させることもできません(処罰の担当者は、実際の行為が行われている空間の外にいるからです)。
中規模以上の建設現場では、しばしばゼロ災の継続日数が掲示されていますが、店舗型風俗では、しばしば出禁・罰金などの制裁行為を受けた利用者たちの顔写真が掲示されています(代表的な「業界流儀」です)。これは、後者では、たとえ事後の処罰があっても禁止行為に及んでしまう利用者が一定数いること、そしてその行為の被害を受けたワーカーも同数いることを表しています。セックスワークの現場でワーカーがさらされる健康的・身体的リスクの抑制が「事後制裁」という形式でしか行えず、それが現実に抑制力として100%機能しているわけではないことは、セックスワーカーの安全衛生の確保、そしてそれが大前提になるはずのセックスワークの「普通のワーク」化を困難にしている、重要な要因だと思っています。
みんながどんなオナニーをしてるのかは知る由もないが、自分にとっては、これまでオナニーといえばちんこをこすって射精する事だった。
好きな人だったり女優だったりにフェラチオをされたり、挿入することを妄想しながらイチモツをこするのだ。
多くの男性が同じようなオナニーライフを送っているんじゃないかと思う。
自分が好きな女性になりきって、想像上の自分にせめられるセックスを妄想しながら体を刺激した。
今思うとこの設定が功を奏して妄想に没入できた気がする。
最初は唾液で濡らしていたけれど、すぐに乾いてちょっときつくなるので途中からローションを出してきてたっぷりと使った。
なるほど、愛液が足りない時の女性はこんな気持ちなんだろうな、となんとなく分かったような気になった。
女体になったつもりで、たっぷりと前戯をした。乳首を責め、亀頭をクリトリスを扱う時のように愛撫した。肛門もまずは外側から優しく撫でた。
肛門に触れた指を舐めるのは抵抗があったので、肛門を触っていない方の手の指を使って時々ディープキスの真似ゴトをした。
全身にうっすらと快感があり、いつも女性のクリトリスや膣にしているような感覚で徐々に亀頭や肛門への刺激を強めていった。肛門の中も1cmぐらい責めていたと思う。
しばらく続けるうちに、射精はなかったのだけれども、全身に力が入って軽くイクような感覚になった。
まだ全然体が開発されてないので、絶頂とはいかないのだけれども、確実に新しい感覚に目覚めた感じがした。女体になって自分とはいえ男に抱かれる感覚もあるし、逆に前戯で責めてる感じもある。
普通のオナニーよりもちょっとお膳立てに時間がかかるけれどもおすすめしたい。
趣味でギターを弾くのでいつも左手が深爪状態なのも良かったのかもしれない。女性からよく話で聞くような爪が気になるという事がなかった。
もっと性感帯を開発できそうとか、
なぜか「反抗期の屁理屈」「世をはかなんだ負け犬の遠吠え」みたいな感じの扱いを受けてるけども、冷静に考えて客観的事実ではあるんだよな
だからどうなんだ、っていうところは置いておいて、「生まれてきた子供が、生まれる前に、親に対して、産んでくれと頼んだか否か」っていうところを考えると、まあ頼んでないよなということになる
どんな立場をとるにせよ、「産んでくれなんて頼んでない」こと自体を否定しようとするならスピリチュアルな方向に行くしかない
これで終わりではある
そう考えると、なんでこのフレーズはそんなに有名(?)なのかわからん
産んでくれなんて頼んでない!
そうですね、頼まれてないです 勝手に産みました だから何や 舐めるなよ
そういう話になってくる
親、当然無謬ではないし、子供に対してあたりまえに加害行為をやるし、根本的な話として、べつに子供の幸せを第一に考えて出産に踏み切ってるわけじゃないもんな
おっぱいってさ、見ると興奮するしうおおお吸い付きてえええってなるけどさ
実際にその時になると、毎回吸い付いた瞬間一体俺はここから何をすればいいんだろうか?って固まるんだよな
おっぱいへの興奮のやり場がないんだよ
自分がしたい事をしろよと言われても、吸い付く事しか考えてなかったからその後は何もないんだ
でもそのまま何もしないのも申し訳ないし自分としてもつまらないので軽く舐めてみたり吸ってみたり(何も出ない)揉んでみたりはするが、最初の頃はまだしも今じゃもうそれでは興奮しなくなってしまった
嬉々として吸い付いたくせにその後はただの作業になっちゃうんだ、まあ別に奉仕するのは嫌じゃないが、おっぱいだけでイカせたくなる趣味もないし
いつもこうなんだよな
これを書いている今、もし隣で女の子がはいどうぞっておっぱい出したら俺はうひょーおっぱいだって真っ直ぐ吸い付きに行くけど
吸い付いた瞬間に自分が今までと同じ過ちを犯している事、そしてそれに懲りずに今後も何度も繰り返すであろう事実に絶望しながら手持ち無沙汰気味に舐めるんだろうな
どうしたらいいんだろうか、教えてくれよおっぱい