はてなキーワード: 死刑囚とは
山地悠紀夫元死刑囚(元が付くのは釈放されたのではなく処刑完了してるから)の場合、母親殺害の罪で服役した後、しゃばに出て働こうとしたわけだけど。
昔からの知り合いから人殺しイジりされて、再び悪の道に進み、結果的に死刑判決が出るほどの殺戮事件を起こしてしまったらしい。
仕事先に昔の知り合いが来て、知ってるかコイツ、○○年前に自分の母親ブッ殺して捕まったんだぜ、という感じでイジられて、結局やり直そうと思った職場にもいづらくなったと。
「コイツ、自分の親をブッ殺した」イジりは、確かに周囲の者にとって何らかの危機を教える福音にはなるかもしれないが、社会復帰を目指す本人にとっては致命的なプライバシー侵害ともなりうる。
「死への恐怖とか痛みへの忌避感」
根元的にはあるだろう。もしくはあっただろうな。それと自分のやったことにことが死刑に値しないと思うかどうかはまた別。
人の内心に関する根拠なんて出てくるわけない。変なこと言うな。ほぼ唯一の外界との繋がりで少ない自分の味方の勧めを拒否するひとが少ない。「一般的」「普通」の心理だと思うぞ。
なるほど。ここが私と違う感じがするな。
精神状態も尋常ではないだろうし、一般的な感覚をそのまま当てはめてしまうのは良くないというのは同意する。
死への恐怖とか痛みへの忌避感みたいな生物としての基本的な情動に関しても、普通とは違うだろうという認識?
私は少なくともそこのあたりは変わらないと考えている。
「死刑判決を受け入れているが、弁護団が強くおすので再審請求する」
は「死刑囚の意思に反していても弁護団が再審請求するはず」という暗黙の前提が追加されている。
死刑囚の意思に反しての再審請求が常態化していることに関する資料があれば考えを変える用意はある。
「死にたくない」と「死をもって償う覚悟がある」は両立するんじゃないかな?
そこについてはどう思う?
「そこから演繹して、一般的に死刑囚も死にたいとは思っていない。」一部同意一部不同意。死刑相当の犯罪をする人間に一般的な感覚は当てはまらない。事実、死刑を望む死刑を受け入れている死刑囚の存在は、一般からはかけ離れてる。
「傍証として、昨年の段階で109人の死刑囚のうち、73人が再審請求している(死刑に納得していない)」傍証にはならない。原因が一般的な感覚からの死にたくないからとは説明されてない。唯一の外界との繋がりの廃止派弁護団が強くおすのが理由と考える方が妥当。
「死刑を望む死刑囚もいることは知っているが、一部の話で一般的な話ではない」不同意。前述の通り一般的な感覚には当てはまらない。そもそも、死刑を望むというよりも、やったことに対して死をもって償う覚悟があるかどうかという話をしてる。
更生できないし、生かしておくコストがもったいないからやる、ってことにしたほうが筋が通る気がする
最初は感情論抜きって書いてたけど、書き終わってから前提が感情論なのに気付いたからタイトル変えた
今回は治療の見込みがなく金銭的、ないしは苦痛から本人が痛切に死を望んでいる難病患者をそのカテゴリとする
ただ生きるのが辛いだけとか借金塗れで生きててもしょうがないと本人が思っているだけの層は座っててくれ、数行後で拾うから
その安楽死が必要であろう層って多くても精々一万人かそこらじゃないかなと個人的に感じているわけだ
これでも少し盛ってる、もっと少ないんじゃないか、少なくあって欲しいと思っている
エビテンスは無い
感覚で書き連ねているが、この数字感覚が正しいと仮定したなら個人的には安楽死賛成派になってもいい
でだ、その超少数派のために安楽死を解禁した場合何が起こるかといえば、必要ない層がばったばった死ぬのが火を見るより明か
「自殺は絶対にしたくないけど国が許すなら死にたい」層がどれだけ制限を設けてもあの手この手で潜り抜けて死ぬんだよ
ただ生きるのが辛いだけだったり借金塗れでどうしようもなくなったけど自殺は絶対にしたくない層な
で、そういう層を含めた消極的死にたい層、下手したら総人口の1%くらいならいくんじゃねっていう話
ただでさえ人口減だの少子高齢化だの言われてるご時世に100万人死ぬかも知れない手段の提示は流石にやべーだろ
1人2人ならどうでもよくても、その数に率先して自死を選ばれたら連日ニュースがお祭り騒ぎって寸法だよな
その危険性考えたら安楽死の実現とか間違いなくできねーし、日本って国はその土壌が仕上がってるんだよ
多少は問題あっても普通に生きていけるけど、合法的に死ねるなら死ぬわって層を産み出しすぎちまってるんだな
感情論で言えばさ、手の施しようのない病を患って毎日苦しんでその上金もかかる、もう死にたいって人が安らかに眠れるなら一つの選択肢としてあり、と思ってしまうんだよ安楽死
でも認めた結果何が起こるかって考えてしまうと、そういう人達には耐えてもらう他ないんだなあってなる
そんなことをふと思った
まあこの話頭からケツまで出てる数字にエビテンスひとっっっっっっっっっっつもないんだけど
だって死刑囚とかそれこそ100人いくかいかないか程度しかいないんじゃね?
全員死んだところで何一つ影響ないじゃん
死ぬのってすごい楽じゃん、自殺しなくても国が正式な手続きで自分を殺してくれるとか最高かよって俺は少し思ってしまうし、
実際そう思って死刑目当てに犯罪やるクズとかも一定数いて、たまにニュースになるわけだし
そういう連中がいることを考えると、刑務所の暮らしが無味無臭で退屈なものって前提な上で反対派になるわ
何もない毎日って普通に死にたくなる、死刑相応の連中にそういう人生を死ぬまで過ごさせて欲しい
毎日が虚無だと死が救いになり得ると思う
完全に同意。だからシステムのことを考えるときに当事者意識なんて言い出しちゃダメなんだね。わかってくれたね。
ふわっとミラーリングして反論した気になるのではなくて、具体的な間違いを指摘して欲しかった。
一生懸命想像して、もちろん調べたよ、という意味かとも思ったが後続を見るとそうでもないらしいからね。
「犯罪者の心情に寄り添う人は必要ない」と思っている悪魔でなくてよかった。心情に寄り添う、とは自分勝手に解釈する、とは違うことももちろんわかってくれるね。
人の言うことを妄想、と断ずるのが好きみたいだけど、いや、好きみたいは俺の妄想といわれちゃうかな。
好きみたい、ではなくて多用するみたいだけど、何が妄想で事実はどうなのかをついでに教えてもらえると少しは意味のある話ができるから意識してほしいな。
それに、少しでも調べたら分かるはずだけど、犯罪者は死にたくないが当然ってのも間違ってるしな
生きとし生けるもの、普通は死にたくないと思うけど、そこの価値観から合わないとなるとすり合わせが難しいなあ。鎌倉時代の武士の人?
死にたい人がいることもわかるけど、そこを基準にするのは「死刑を望まない被害者もいる!」くらいの乱暴な話だということは同意してもらえるかな。中立ってこういうことだよ。おんなじような話は既にしたのだけども。
死にたい死刑囚が多数派、っていうデータがあったら是非教えてね。
https://www.asahi.com/amp/articles/ASNDY6TSGNDXUTIL04M.html
古い記事で申し訳ないけど、昨年の段階で109人の死刑囚のうち、73人が再審請求中だから、少なくともこの人たちは死にたがってないよね。これ妄想?では事実は?
言ってること全部ツッコミどころ多すぎるて
多すぎる、とかじゃなくてちゃんと具体的にツッコンでね。頼むよ。
あんまりにも話が通じないからイライラしてちょっと嫌味な書き方になってしまったけど、揚げ足とってはい論破!とかはい妄想!とかそういうくだらない話がしたいわけじゃないからね。
真面目な話をまともにしたいだけだからね。
実際、「被害者や死刑囚のことを調べてから」のところから間違ってるしな
想像力どころか妄想で他人を悪魔化してそのその妄想を相手に高説を垂れてる
それをしていいなら、お前を悪魔化していくらでも批判してあげるよ
それに、少しでも調べたら分かるはずだけど、犯罪者は死にたくないが当然ってのも間違ってるしな
言ってること全部ツッコミどころ多すぎるて
想像力ゼロならせめて実際の被害者や死刑囚のことを調べてから話したほうが良いと思うよ。
「俺が被害者だったら犯人に死までは望まないなぁー」っていう感想と同じくらい無責任な発言で、
当事者意識でもなんでもないんだ。
被害者はぶち殺したい、犯罪者は死にたくない、なんてのはどちらも当たり前の感情。
当事者になったら中立な判断なんてできないんだよ。死刑反対派の弁護士が被害者になったら賛成派になったようにね。
ぶち殺したいと思われるほど悪いことをした、ということとが即ぶち殺しても良い、ということにはならないことを理解しようね。
もちろん被害者の心情に寄り添う人、犯罪者の心情に寄り添う人、それぞれ必要だよ。
あなたは正義感にあふれ高潔な精神を持っているから、犯罪者の心情に寄り添う人は必要ないと思うのかもしれないけど、必要なんだよ。どちらも人間なんだから。
国家が人権を制限するのは必要最低限に留めないといけない、というのが基本的な思想としてある。
まずここで相容れないなら話をするだけ無駄。
とりあえず、社会全体の秩序のために秩序を乱した者の人権をいくらか制限する合意が取れたとして。
秩序を乱した度合いに応じて、一定の期間身柄を拘束し、社会復帰のための教育や作業に従事させることにする。
これが懲役。
じゃあ、どうしようもないくらい秩序を乱して、更生もほとんど望めない場合は?
無期懲役というものがある。無期限に身柄を拘束することで、再び秩序を乱すことを防ぐ
無期でも出てくることがあるじゃないか、という指摘をする人には、現代の無期懲役の運用を調べてもらいたいと思う。
それでも足りないという場合でも、そのことがすなわち死刑の必要を生むわけではない。
(ちなみに私は死刑と同様終身刑にも反対である。たとえ建前上のものであっても、人権の制限は一時的なもので、更生を期待するものであってほしいと思う。)
ここで、釈放される見込みのない無期懲役(あるいは終身刑)と、死刑の違いを考えてみる。
冤罪について言われることも多いが、個人的にはそれは別ベクトルの問題だと思うのでここでは言及しない。
まずひとつはコストの違いだ。刑務所は金がかかる。人ひとりの生活費に加え、土地建物、人件費、とても刑務作業では賄いきれないコストがかかる。
死刑で済ませてしまえばある程度は浮く。とはいえ現段階で死刑囚は112名。
死刑囚なんかに税金を使いやがって、という感情面を抜かせば国家予算からすると微々たるものだと考えられる。
もうひとつは感情の問題だ。死刑になるような犯罪はほぼ間違いなく殺人が絡む。
遺族の気持ちからすればなんでアイツだけ生きているのか、殺してほしい。と考えるのは当然のことだ。この気持ちは十分に尊重されなければいけない。
しかし遺族を盾に無関係の人間が社会正義を振りかざし、エンターテインメント的に悪人を断罪するのは下種の極みだ。
これはハッキリと区別して考えなければいけない。
というわけで、釈放される見込みのない無期懲役を死刑に置き換えることによって得られる社会的なメリットは
ということになる。
私にはこれらのメリットが死刑という人権侵害の権利を国家に与えるに値するものとは到底思えない。
なので私は死刑廃止派です。
死刑制度が無ければ、自分の大切な人間を殺した人間に報復しても制度に殺される心配が無いから、廃止した方が良いやん?
……というのは冗談だけれども、「復讐したい」という気持ちと「死刑という制度への反対」は同時に成立し得るわけで、その二つを直結させるのは、ちょっと飛躍があるよ。同じく、死刑制度存置派が悪でリアリストで、死刑制度廃止派が善でグローバルスタンダード、みたいな思い込みも、ちょっとものごとを単純に見過ぎているよね。
個人的に感じる、そもそも漠然と「人を殺すこと」への忌避感は、「死刑だ!」と叫ぶ人の中にも当然あるわけだよね(だからこそ殺人に対して過剰に反応するわけだから)。だから、「人を殺してはいけない」という規範と整合的なのは、むしろその「人を殺したくない」という気持ちであって、制度をそちらに寄せて設計するというのはそれなりに理には叶ってると思うんだよ。死刑制度が必要と叫ぶ人は心の中では、周囲が蛮族しかいない状況で暮らしていて制度的にそこまでキツく縛らないと誰もが人を殺しかねない、と感じているのかもしれない。……まあ、昨今のニュースを見ていると、ここが蛮族の地であることを、いまいち否定しきれないけれども。ただ、安心を求めたいのは分かるとしても、それはいわゆる「お気持ち」であって、本当にそれが制度としてベストなのか、っていうのはまた議論の余地があると思うんだよ。
たとえば、いわゆる凶悪犯罪に関する資料を読んでいると、「人を殺したら死刑になる(からやめておく)」みたいな歯止めが一体どれくらい有効なのか、まさに「現実的に」考えて疑問に思うことはあるよね。どちらかというと、「人を殺したら自分が殺されるから利益が無いな」と考えて殺人を止めるという思考はほとんどサイコパスの(=極端に合理的にしか物事を処理できない)それであって、一般的な人は、よほど追い込まれたか自暴自棄になって殺人を犯すんじゃないだろうか。だとしたら、「死刑がある」から歯止めがある、という論には説得力がないよね。まあ、「自殺したいけど自分で死ぬのは怖いから死刑になるような犯罪をやりました」とかいうとんでもない人間がいる時点で、歯止め論は破綻しているんだけども。
いわゆる凶悪犯罪(殺人も含めた)を犯した人が社会に戻って、再び刑務所に入る確率って、だいたい1~2割だと言われている。やっぱり1~2割のヤツは凶悪じゃん! て思うだろうか。それとも、刑務所帰りの人にそれなりに冷たい社会であるにも関わらず、凶悪犯罪をする人だって、状況が違えば、あるいは、適切な教育を経たなら、8~9割の人は殺人なんかしない人だった、と考えるか。これは、半分水が入ったコップを眺める楽観論者と否定論者の議論のようなもので、取りようによって見方によって異なるのかもしれない。けれども、これが(すぐ隣にある)死刑囚にも延長して考えられるなら、少なく見ても「死刑」になる人の7~8割は、状況が違えばそんなことしなかった、「普通の人」なんじゃないだろうか、と推測することは可能だ。まあ、そういう風に考える人も世の中にはいるという話として聞いて欲しい。
……自分自身が、生まれつきそんなこと考えるほど楽観的な人間観をもっていたわけではないんだけど、上のように考えて実際に行動に移す人が世の中にはいるんだよ。そして、多年にわたる行動の結果、「どう考えても救いようなんてないヤツ」としか思えないような言動をしてた死刑囚から、真人間のような言葉を引き出すのに成功したりもしている。いや、そんなことお前にできるのかと言われても、普通にできないと思うよ。でも、出来る人がいるわけだから、それを否定するのはおかしいとも思う。実際やってる人は強いよ。死刑制度というのは、そういう人や考え方を否定する制度だと思うんだよね。それって、おかしくないか。
よく言われる「遺族感情」というヤツ、これもくせ者だと思う。遺族感情って何だろう。遺族は全員「復讐」を望まなくてはいけないのかな。復讐を望むことだけが「正しい遺族」なのかな。なんでそれが決めつけられるのだろう。だって、物語とかなら誰だって言うじゃん、「復讐は何も生まない」とか「復讐にとらわれるのではなく、お前の人生を生きろ」みたいな。で、大体においてそれは正しいよね。現実世界でも同じだと思うんだけど。警察があり裁判制度が整備されている現代では、(死刑制度の有無は別として)不公正な行いに対しては社会的に処罰が行われ、個人的な敵討ちをする必要がなくなっている。それは何よりも、「復讐」から個人を解き放つことが社会としては「正しいこと」だと考えられているからじゃないかな(だから、冒頭の話は私の本音とかではなくて、ただの冗談だよ?)。死刑を存置する理由として「遺族感情」をもってくるのは、個人的には危うい理論だと思う。そもそも検証できない一時の感情を絶対の事実のように語って全体の制度の前提にする危うさ。だから「遺族感情」論にも説得力を感じない。実際に遺族になってみないと分からないし、自分がそうなったとき何を感じ何を望むかは分からない。少なくとも、誰かに勝手に自分の錯綜する内心を決めつけて欲しくないとは思うと思う。
そして、もう一度「更生」に関する話に戻るけど、そんな手間を一人ひとりにかけていられるわけないじゃん、って「リアリスト」的な方々から反発の声があがることも予想できるんよ。でもちょっと待って。それって「余裕が無い=お金がない」という、ただそれだけの話だよね。じゃあ、死刑賛成派のリアリストは、「悪いことしたからお前ら死んで」と言うフリをしながら、本当は「いや、お金がないからお前死んで」って言ってるってこと? それってひどくない。何よりも、そもそも「殺人は(理由のいかんを問わず)許されざる罪」というのは、死刑賛成派の大義名分だったのではないのか。そして、百歩譲って「その殺人の罪が余りにも重いがゆえに、死をもってしか購えず」というのが死刑肯定の最後の妥協点であるはずではないの。なのに、いつのまに「いや、実はお金がないからお前には死んでほしいんだよねー」って話になってんの? それ、お金目当てに強盗殺人とか犯した犯罪者の言い分とどれほど違うのか教えてほしい。そんなこと言う人間に、誰かを裁いて死なせる権利が本当にあるの。自称「リアリスト」による死刑賛成論にも、こうして同意はできないことになる。
そして最後に、これは同意されるかどうかは分からないけど、「国家」という仕組みを自分はそこまで信頼してないんだよね。明治、大正、昭和と近代史を勉強したせいかも分からないけど、ものすごく大雑把に言うと「国家」だって運営しているのは人間なので、とても未熟な人間がやらかしがちな誤りを犯すことがよくあるんだよ。善意でつくった法律がとんでもない運用をされて混乱引きおこしたりとか、末端の人の過大解釈を引きおこしたりとか、それによって取り返しの付かない傷を国家が負ったりとか、そんな事例が山ほどあるのね。その中でも特に致命的で取り返しの付かない被害を引きおこしかねない制度が「国家が国民を直接殺せる制度」なんだよ。たとえ獄中であっても、生きていれば、体制がまともになったときに再び戻ることもでき、取り返しがつくこともある。だけど、死んだら全て終わりなんだ。その意味では、余談になるけど、東京裁判で戦争犯罪人を死刑にしたのも、本質的には誤っていると思ってる。東京裁判自体が勝者の裁きであり……云々という話もそうだけど、彼ら戦争犯罪人に真の意味での「責任」があるかないか、生きて語らせた上で、占領終了後に改めて日本人自身の手で検証をさせるべきだったと思う。危険だと言うなら、終身刑として、検証まで徹底的に隔離して置けばよい。彼らを死刑にしたのは、復讐と、象徴的行為(つまり見せしめ)と、それから一歩踏み込んで言えば、別の責任者を免責するためという、きわめて政治的な行為だったんだろうね。戦争をきちんと精算しきれていない、という問題は、そのせいで今も日本に残る「疚しさ」という課題になっている。まあ、多少の「疚しさ」がある方が結果的には全体として健全さを保てる、という見方もあるから、そのことを100%否定したいわけでもないけどね。
まあ、まとめると、元々あった漠然とした「人を殺すことは正しいのか?」という疑問、更生に関わった人の記録、制度的矛盾への気づき……などから、20代半ばからゆるやかに死刑には賛成できないという立場になったという感じ。死刑賛成論が、純粋な正義感から発していることは重々理解する。けれども、今のところ「消極的に、現状を追認し、急激な変化への対応を先送りする……」以外に、現代において死刑を存置すべき理路が全く見当たらないんだよね。というわけで、質問に答えたので逆に教えてほしいんだけど、死刑を存置すべき、何か自分には想像もつかないような理路が他にあるのかな。それとも「死刑は行うべし」というのは、増田にとってはもう公理なのかな。
つまり、全国民からミトコンドリアの遺伝子を調査をすれば、天皇家の家系図なんかよりも正確な国民全体の家系マップが生物学的に作成出来ることになる。
これは独り身であるか否かは全く関係ない、クローン人間でも無い限りは確実に母親から産まれて、その母親を辿った先には必ず血縁関係が存在するからだ。
ある死刑囚の賠償金の額が、被害者一人当たり3億円だったとする。25人犠牲になったら75億円必要だ。
こんな額を加害者と加害者の可視的な親族が払うのは到底不可能な話である。そのため、加害者1人を死刑囚として殺処分することで被害者が泣き寝入りしているのが現在の日本政府の運用である。
しかし、被害者遺族の立場に立ってみると元々ゴミ屑のような加害者の殺処分の有無よりも、目の前に3億円が出てくる方が遥かに実用的で有意義な措置では無いだろうか?
これを可能にするのがミトコンドリアによる生物学的家系図を使った賠償の自動化である。加害者の可視化されていない「親族」から血縁関係の近さに応じて税金のように少額を捻出するのである。
勿論これらの処理は血縁関係になってしまった本人が自覚的に払うものではない、自動的に国家が天引きするのである。結果無理なく被害者遺族は満足の行く賠償金を受け取り、国民全体が意識せずに社会責任を全う出来るのだ。如何だろうか?
社会責任を罪のない刑務官に押し付ける今の運用は健全だろうか?加害者の殺処分の有無がそんなに大事だろうか?もう一度よく考えてみてほしい。