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はてなキーワード: 後期高齢者とは

2023-09-26

統一教会解散命令の件

多分創価学会とかもそうだと思うけど、

内部での世代交代に失敗している組織から

もう残ってるのはほとんど高齢者なんだよね。

https://smart-flash.jp/sociopolitics/253996/1/1/

ここで言われているような、まだ残っているのは熱心な信者なんかじゃなくて、

まぁそういう人もいるのかもしれないけど、

どちらかといえば統一教会という名のデイサービスに通ってるじーさんばーさんが大半なんだよな。

うちのおかんとか後期高齢者信者だけど、

まぁ20年前ならいざしらず、

今更他にやることもないババアから、その生きがいを取り上げたところで、

家族としても困るんだわ。


これ以上俺の面倒を増やして欲しくねーんだがな。

2023-09-17

anond:20230916171522

B'zを聴く人が高齢者扱いされたら、山下達郎とかサザンオールスターズ後期高齢者か?

そんなこと、ないよね。せいぜい中高年でしょ。。。

2023-09-13

anond:20230913122125

こないだ腐れ後期高齢者運転する軽トラ信号待ちの列に無理やり頭突っ込んできてその後も20キロとかで走ってて後ろが全員💢💢💢💢💢💢ってなりながら白線に入ってからガンガン追い越したけどマジで20キロとかでヨロヨロ走ってる異常者は免許取り上げるかなんかせえよ。スピード違反は捕まるのに後ろにどんだけ渋滞作ろうが違反にならないのはおかしいだろ。

anond:20230913083659

せやからなー、誰が後期高齢者やっちゅうとんねん…😢

2023-09-12

anond:20230912141202

若いとは言ってないね

普通だったら後期高齢者として余生を楽しむ年なんじゃないかと。

男性平均寿命81歳だからねえ。

R.I.P

2023-09-05

anond:20230905102106

後期高齢者のつかう「ボク」には背筋がゾワゾワする味わいがある、というのは過去何年間も後期高齢者になる前の年代層が感じているところというのは論を待たない。

anond:20230904221133

社会インフラ高水準に保つために人員必要なんだけど少子高齢化で難しくなったしやっぱり女と後期高齢者人権制限するべきだな

anond:20230904221133

社会インフラ高水準に保つために人員必要なんだけど少子高齢化で難しくなったしやっぱり女と後期高齢者人権制限するべきだな

2023-09-04

anond:20230904071913

区別がつかなくてもしゃーないという心の準備。

https://ofune-mimi.com/twins-miwake/

だいたい後期高齢者のうちの母親なんて俺と6歳違う兄と俺の区別が付いてないからな。

2023-08-23

夫がコロナにかかってたので覚書

先週木曜から体調不良の旨聞いていたが、土曜の帰宅後に40度の発熱があったよう

が、翌日の日曜の朝は解熱剤等で平熱まで下がっておりそのまま出勤したとのこと

自分実家に帰ってて日曜夜に帰宅、夫に駅まで迎えに来てもらった

日月曜、夫は仕事休みだったので念のため医者に行き、そこでコロナにかかってたことが分かった

そこから夫は自宅療養

自分は狭い家なりに隔離というか、距離置いて生活した

昨日の夕方にはほぼ陰性だったため、夫は本日午後から出勤

今のところ自分発熱なし

まあ自分はいい、かかっても軽症…とは言い切れないが、まだ中年の括りだ

ただ夫の感染時期は気になる

夫は先週の月曜に実家に遊びに来てる

後期高齢者の母と一緒にいて、母に感染してたらかなりキツイ

しかし母のほうも今のところ大丈夫そう

このまま無事に過ぎて欲しいところ

月曜に実家に遊びに行った後、火曜・水曜に秋葉原に出かけたと夫は言ってたのでこの辺でかかった可能性が高そうではある

2023-08-10

最低賃金上げても意味が無い

賃金の上昇はより高い率で物価に跳ね返る。

老人や子どもを抱えてる程、影響が大きい。

生活を良くするには税金を下げたほうがいい。

後期高齢者医療費半分にしたら子ども全員に年50万配れるんだけどな

2023-07-18

後期高齢者三大蛮勇

・なにも怖くないからいきなり二百万円振り込んであげる。税務署ってなに

ダウンロードってなに?怖くてできないから代わりにやって

自分運転できるからまだよかったわ

あと一つは?

2023-07-12

"紙"の保険証廃止反対

今日保険証が紙の保険者なんて割合で言えば国保後期高齢者ほとんどだろうし何処の層にアピールするフレーズか分かりやすいよな()

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-07-09

より本音に近い漫画家コメントが読めるレーベル

少女漫画でも少年漫画でも書いているのはいい歳こいた大人である

彼らの単行本には表紙の折り返しや各話の最初のページの裏の余白にその作品や話を作ったことに関する雑感が書いてあったりする。

一体あれはどういう人物像を念頭に書かれているものなのかとふと疑問に思った。

花とゆめとかLALAでも所詮ターゲットの読者層は上の方でも高校生あたりを据えているので、ガキでもしっくり来ることを意識的に書いている、書かされてるのだろうかとか思う。

これを確定申告とか親の認知症介護が大変な時期だったとか書いても対象読者にはなんのこっちゃとなりそうなもんだろう。

誇張した例えをすれば「年長者が子供をあやすような、子供目線、なめた態度で」書いている。

しかしだとしたら漫画家は完全に読者層に向けてキャラを作ってるのを我々は読んでいるだけってことになる。これは虚しい。

だとすれば漫画家実年齢により近い読者を対象としてるレーベル単行本の方がよりそこに書かれてることが作家等身大気持ちになってるみたいなこととあるんだろうか?

しかしそうだとすると齢80歳とか漫画家がいたとしたらそういう後期高齢者意識的に読者に据えてるレーベルというのはさすがにないので、こういう作家本音に近い心境は聞けないってことになってしまう。

とはいえ今は特に子供向けの雑誌をよんでても変人扱いされない時代からコメントまでいちいち対象読者とか配慮してるってことはないのかもしれない。どっちなんだ。

2023-07-06

鳴き声はまだ聞いていないが

ぼちぼち姿を現すだろう

蝉はよく見るとキモイ見た目をしているが

ゴキブリほど嫌われていない

あんなにうるさく鳴くのに

夏の風物詩として広く受け入れられているような感じがするのは

限定ということもあるが

何より蝉には光沢がないからだろう

光沢は良くも悪くも人々の心に影響を与える

ゴキブリ場合は動きが速いのもあり余計に恐怖を煽る

蝉は飛行時は警戒に動か回るが足で歩いている時は後期高齢者くらいゆっくりと進む

セミはまん丸でつぶらひとみをしているのがすぐわかるがゴキブリは異様に長い触覚しか見えない

2023-06-27

anond:20230627173049

子供にとって実家存在プライスレス

これは潰せるぞ。

anond:20230627153120

横だが軽くならない理由がない

「そのぶん家庭負担が増えるだけ」みたいな反論がよくあるが

老人の頻回医療や過剰医療は家庭負担なんかしようがない

俺の親なんてそもそも後期高齢者だが

日頃の節制に気を付けてて頻回医療や過剰医療なんかとは縁がないけどな

いい加減にしろって話だよ

2023-06-24

田舎コンビニあるある

前に2人しか並んでないけど、

2人とも後期高齢者なのでレジ死ぬほど時間がかかり結局10分くらい待たされるので

ビジネス街にあるコンビニピークタイム以上に待つ

2023-06-23

anond:20230623140240

まずその年齢区分の子時代も長すぎる

普通にからある15年単位人生分ければいいんだよ

 

15歳まで 青春時代 (こども)

30歳まで 朱夏時代 (青年

45歳まで 白秋時代 (おじさん)

60歳まで 玄冬時代 (後期おじさん)

75歳まで      (高齢者

75歳以上     (後期高齢者

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