はてなキーワード: 和式とは
https://anond.hatelabo.jp/20190112203947
シス男性はそもそも同性の裸に興味を持たないのがマナー、という空気が作られているだけで別にゲイを排除していないわけではない。
あとシス男性のゲイフォビアは結構強烈だぞ、と思うけれどそれはちょっとサンプルが自分だけなのでもう少し一般化できそうなら今度書く。
最近どんどん公共トイレが清潔になり、明るくなってきたんだけど、何故か小便器の間の敷居がなくなってきている傾向も出てきた。
パッと見た雰囲気は確かに良くなったが、これはそれだけ「隣の男のちんこが見える」状態になってるってのと同じなんだわな。
例えば大阪メトロは全駅のトイレをきれいにしようっつって全駅に順次おいてる小便器これやぞ(下記リンク画像右上)
http://www.com-et.com/jp/file/fetch/130458/
小便器に傾斜がつきまくってるので、小学生がよくやっていた「体を押し付けてちんこを隠す」ことすらできない構造になっているのはちんこ見せればええやん、という潔ささえ感じる。
もちろん体を押し付けるのが不衛生極まりないことや、多くのおじさまが小便を床にこぼすからこういう形状に進化してきたのだろうから、仕方ないのかもしれないけれど、カバン掛けじゃなくて一蘭の味集中カウンターみたいに可動式の敷居入れてほしかったやつ。
この「隣のちんこ丸見え問題」に対して世の一般男性がどうやって対策しているかというと、「お互いのちんこに無関心を決め込む」という暗黙の了解を作っているだけなんだよ。
例えば「他の小便器が空いているのに自分の隣に来た友人」に対して「なんだよ隣に来るなよホモかよ」と冗談交じりに言っていた奴は周囲に結構いたのでは?
つまり男性は男子トイレに入るときに「俺はホモじゃないから他人のちんこには興味ないよ」ってアピールしながらトイレに入るのが常識でありマナーになってる。
このマナーが強烈な支配力を持つせいで、特に思春期の頃は小便器で極端にちんこを隠そうとする奴が出てくるとそれはそれで「ホモかよ」って言われ出すんだよな。
「お互いちんこに興味ないから隠す必要なんてないよね」っていう形にマナーを解釈して、極端に隠すやつはむしろ周囲のちんこに興味津々だというレッテル貼られるわけ。
もちろん実際は思春期特有の自分の体が他人と違うのでは、という不安から「いや、見たくないんだけどね?目に入るんだよね」ってスタンスで他人のちんこチェックしたいっていう思いもあるだろうけど。
とまぁ、なんにせよ、こういう経験を経て、男性は「周囲の男性の裸に興味を持たないもの」というジェンダーロールが作られていくわけ。
だから銭湯にゲイがいてもそれは「気にならない」でも「受け入れてる」わけでもなくて、「気にしないのがマナー」になってるクソ事例なんだわ。気にするやつはホモ(お仲間)扱いされるから。
この空気に対する言及無しに「銭湯ではゲイを受け入れている」という流れに持ってくのはちょっと無理筋だわ。
ちなみに、トイレの話の補足をしておくと、男性の側から「そんなマナー要らんからシステムで解決してほしい」って声は上がってきていて。すべての男子トイレを個室にして小便器をなくそう、という動きは少しずつ出てきている。
https://www.huffingtonpost.jp/2017/11/10/otoko_a_23272964/?ec_carp=7686460202638501780
私は田舎が大嫌いだ。
東京から電車で1時間、駅から自転車で5分の住宅地で育ち学生時代を都心の大学で過ごした。もともと田舎なんで大嫌いだったし、キャンプやBBQ、土いじりなどもってのほかだと思う。一生田舎になんて住むつもり無かったし、ずっと都会で生きていくつもりだった。
それが、就職に失敗して酷い田舎で仕事するハメになった。はじめから田舎なんて嫌いだ、そしてこれからも嫌いだ。
正直に言う。子供のときから自然が怖い。動物が怖い。小さな動物でも噛み付かれ、牙で殺されるのではないかと思うと怖い。ほとんど恐怖症と言っていいくらいに虫が怖い。小さなときからあらゆる虫を見つけると絶叫し涙を流し暴れた。深夜にゴキブリが出たときには朝まで帰れなかった。植物が怖い。虫がいるから。気味の悪い芳香と奥に何かいるかもしれないと思うと花やゆらゆらする葉っぱをみて戦慄する。
そんなわけで私にとっては、田舎は地獄だ。蛙が煩い。セミが不快。蛾やカメムシが大量に発生して襲ってくる。その他、見たこともない虫がうじゃうじゃといた。あるとき、呑んで散歩をしていたら猪に出会った。野犬にも追いかけられた。もう、夜は徒歩で出歩るけない。治安悪すぎ。
先進国である日本でいまだに下水道が整備されていない地域があることに驚いた。外出先で出会うボットン便所はもうイヤじゃ。
あと便器の和式率の圧倒的高さは生きる希望を打ち砕く。2連の便所で2つとも和式だったときの絶望感を君は知っているか。個人経営の飲食店、役所は和式率が高い。パチンコ店でさえ和式で、昭和は田舎で息づいていることがわかる。
実は、小学生のときキャンプで和式のボットン便所でクソをズボンにぶち撒けてから和式は怖くて使えないんだ。セミの爆音、発酵した腐臭、薄暗い室内、茶色に染まった半ズボン、全部忘れられないぞ。
本屋がない。買い物できるところもない。図書館は日焼けした昭和の書籍を申し訳程度に陳列しているだけだ。
たしかに、目的をもって買い物するなら通販でいいかもしれない。でも、買い物に求めるのは合目的的な商品の入手じゃない。こんなものがあるのか、こんなことができるのかという驚きと発見が欲しいんだよ。
夏が過ぎ、秋が来て、冬を越えると春を迎える。そんな山と海で景色が変わらない永遠で平坦な日常なんていらない。
知り合いでなければ塩対応だ。カフェでコーヒーを一杯飲むのに世間話スキルを求められつらい。君はコーヒーを淹れる、僕は黙ってそれを新聞を読みながらゆっくりと飲む。そして代金を払う。それでいいじゃないか。
古民家の何がいいのか。あんなもの爆破してこの世界から一掃してしまえ。古民家民宿、古民家カフェetc. どこからか虫が入ってくるのではと思うとまったく安らげない。あんなもの森の中にいるのと同じだ。
高確率で老人に話しかけられると下品なシモネタを武勇伝として語られる。曰く、「田舎はオメコくらいしか楽しみがないらのぉ〜」だそうだ。オメコに溺れて息絶エロ。
田舎では、「顔のない他人」ではいられない。どこでもどこの誰かを問われる。いつ、どこにいたか筒抜けだ。こんなことなら集団ストーカーに襲われたほうが100倍マシだ。
やれ溝さらいだの自治会だの消防団だの運動会だの例大祭だの、ボランティアという名の強制が多い。田舎の人は時間の希少さをわかっていない。カネを払うから休みの日ぐらい好きにさせてくれ。
念のため。
初めて使うウォシュレットは水流を弱めに設定して、徐々に強くしてゆくのがよい。
いきなり強い水圧で当ててしまうと、肛門の周囲に糞便を広げてしまう可能性が高いのと、
最新式のウォシュレットは水流を調節しなくても、最初は弱めにじょぼじょぼでて
徐々に強くしていったり、水流の強弱を自動で繰り返すタイプのものもある。
自分自身でおしりを動かして、洗い残しが無いようにするとよい。
洗浄終了後は、おもむろに立ち上がり、
トイレットペーパーをくるんくるん回して多めに巻き取って拭くのが良い。
和式では、1回に15cm程度だけ短く取って拭いていたと思うが、
水分をふき取るにはそれは短すぎる。
先日、某河原にバーベキューをしにいった。河原だが、多少の入場料を払いバーベキュー設備等を貸してくれるような場所だ。そんな場所なので、しっかりとしたトイレの建物というものはなく、仮設トイレがいくつか設置されているだけだった。
それなりにバーベキューを楽しんでいるうちに、トイレに行きたくなり、仮設トイレの方へ向かった。休日だったので人も多く、トイレも混んでいたので、仮設トイレ前に数人並んでいた。俺もその列に並んでいると、ふと鍵が開いていそうなトイレを発見した。近づいてみると、たしかに鍵が開いている。取手部分が青い。周りのトイレは皆赤いので、これはおそらく鍵の開閉状態を示しているのだろう。
開いていると確信したら、そりゃ扉を開けるでしょう。開いていると思って、自分が入ろうと思って扉を開けるわけだから、ガバっと一気に開けてしまった。
尻だ。
うっかり俺は尻と対面してしまった。
つまりは仮設トイレは和式だったわけだ。しかもどうやら中にいたのは女性だった。
びっくりして「すみません」と言って扉を閉めたが、その後どう待っていたらいいものかわからず、フラフラしていた。
後ほどでてきたのは、若い女性で、周囲の男性陣(俺を含む)に謝っていた。
そうか、誰に見られたかまでは把握できない位置関係だっただろう。
ただ、そこで「はい!俺が見ました!すみません」とは言えず、周囲の男性陣と一緒に「ああ、うん」みたいな対応しかできなかった。
どう謝ったらよかったのだろうか……。
タイトルの通りである。うんこ漏らした時に増田に助けてもらったので恩返しという名の懺悔をする。
誰かに言わないとやってられない。増田なのでこの際包み隠さず書く。うんこは漏れたけど。
一回目。あれは七月の終わりごろ。
自宅から自転車で駅に向かい電車に乗り、電車を降りたらまた自転車に乗るという通学をしていたのだが、
何をどうやっても一限の始まりに間に合わず、間に合わない以上は出来るだけ急ぐのだが、腹の調子が悪い時はそれは地獄であった。
毎回うんこ漏れそうだなとか思いながら駅のホームの端にあるトイレに駆け込んだりしていたり一回民家に駆け込んだこともあったのだが、
七月のそのときは少し事情が違った。いやよく覚えていないのだが…
確か駅を出た時にはそんなに腹の調子は悪くなかったのだが駐輪場に移動してしばらくチャリを漕いでいたらヤバくなったような気がする。
駐輪場から大学まで微妙に遠く、大体十五分くらいかかるのだがうんこ漏れそうなときにそんな時間耐えられるわけがない。
悲しい。今思い出しても情けない。路上でうんこ漏らす大学生に自分がなろうとは。
うんこをどうやって処理したか微妙に覚えていないが、多分大学まで行ってトイレで処理したのだと思う。
何せ初めてうんこ漏らしたわけなのだから内心パニックである。もう本当にどうしたのやら。とりあえず「うんこ漏らした」とかでググったのはしばらく後だった。
うんこ漏らしたのはもう事後だからどうしようもないが問題は講義である。
さっさと帰れよウンコマンと自分で思ったがそうはいかない。テストの予想問題の解答をやるとか何だとかで一限は出ないといけなかった。
おまけに二限は配られたプリントを回収しなければならなく、三限も何かあった。
だから一限には出た。うんこ漏らしたけど普通に座席に座った。匂わないかハラハラしていたが今考えるとハラハラする以前に人間として大切何かを失っていたように思える。
何やら汁っぽいものがズボンに染みていたはずだが念入りに拭いた(はずだ)し、ズボンの色は深い紺色でカモフラージュされたので結果的に妙な悪運を発揮したことになる。
パッと見ではわからないのだ。
ただうんこの処理やら何やらで入るのは遅くなったし板書の文字は見えないしで一限の講義はひたすら辛かった。
一限が終わって教室移動。一限は専門だったが二限以降は全学共通科目、つまり一般教養であり、比較的出席などは緩い。三限も同様。
二限の科目がまさにそうで、プリントは毎回配るが大部屋で出席確認はなし、テスト一発という今この状況ではとてもありがたい科目であった。
パンツを買うのだ。
まずはパンツを替えたい。
猛烈にそう思っていた。
この時コンビニのトイレが閉まっていたというのが妙に記憶に残っているがそこでパンツを替えたかったのだろうか…今となっては良く分からない
とりあえずコンビニのトイレが閉まっていたので大学のトイレに向かいパンツを替えた。
しかし事態は深刻である。パンツを貫通して汁がズボンにまで到達しているのである。一限は仕方なく、本当に仕方なく席に座ったがこれ以上のうのうと講義を受けていられる気分ではない。
だから帰った。三限は出なくても問題なさそうな感じだったので躊躇いはなかった。電車では立つと見られるかもしれなかったので座席に座った。もうマジで汚い。
私は実家から通っていたので、家事もそれなりに請け負う。テストが近いので早めに帰って風呂を洗うのは良くやっていた。
おまけに日中は家族はほとんど出払っていて、居ても風呂場からは遠い。
それらの事情を利用して、風呂場を洗うついでに、パンツとズボンを洗った。ものすごく念入りにシャワーで流し石鹸で洗った。
パンツは捨てようにどこに捨ててもバイオテロなので洗うことにした。ズボンは直接うんこが付いたわけではなかったから捨てるわけにはいかなかった。
一応パンツとズボンは洗濯機に放り込んだ。うんこはきれいさっぱり流されて微粒子レベルでしかないことは確認済みだったから大丈夫ということにした。
選択されたものを見ても綺麗になっていたので一応の解決はされた。
以上が一回目である。このときはもう二度とやらねえと思っていた。
二回目は年が明けた三月の初旬。浪人時代の友達に焼肉を誘われてそれを食いに行った帰りである。
長期休暇で碌なものを食っていなかったからであろう、久々の肉は私の腸内環境を大幅に活発化させた。
私はあの日以来うんこ漏らしてもパンツとビニール袋は持ち歩いておこうと思ってリュックに入れていたのだが、
この時は別のカバンで外出していた。
私はそれが悲劇に繋がるとは肉を焼いているときには予想だにしなかったであろう。
家の近くの駅から出た時であった。これはヤバイと確信する何かがあった。
とりあえずトイレを求めて駅近くの交番に行ってみたら警官はいなくて代わりに知らないおっさんに「ここトイレないよ!」と言われた。誰だったんだ。
そして急いで駐輪場に向かう途中で…
ケツを浮かせながら家に帰る。幸いにもまた家族は出払っているらしく、風呂も洗ってなかった。おかしい帰ったのは十一時くらいだったが。
ともかくうんこを流してパンツとズボンも洗って洗濯機へ放り込む。
二回目なので手慣れたものである。こんな汚い作業手慣れたくなかった。
うんこの処理をしているときうんこのかおりで小学生時代の最悪な思い出が蘇った。そう過去にもうんこの処理をやったことがあるなと。
あれは小学三年だか四年だかのころである。掃除をしていたら学校のトイレが詰まっていたのだ。
私は運悪くトイレ掃除の係だったのだが他にもう一人A君という男子が居た。
おぼろげな記憶ではA君は確かトイレが詰まっていた時にカッポンがないから和式便器に手を突っ込んで詰まりを取り除いていたような…
いや、よそう。こういうのは思い出してはいけない。最悪な思い出をこれ以上共有するべきではない。
初めての増田でこういう最悪な記事を書いた私が言うのもなんだが、今初めてうんこ漏らしてこれを見つけたあなた、少なくとも私よりはマシですよ。
面白い部分が無いわけではない。酒飲みの話とか、夕焼けを何回も観られる星の話はむしろ気に入っている。
ただ作品全体に漂う「コドモは純粋、オトナは何もわかっていない」みたいな雰囲気が嫌いだ。
冒頭のボアの話は、まだいい。両親が相手にしてくれなくて残念だったね。ただ大人になってまで初めて会った人にいきなりヘンテコな絵を見せて返ってきた反応が、気に入らなかったからと言って「こいつは何もわかってない」というような評価を下すのにはもやもやする。他人を品定めするような態度は失礼だとさえ思う。まぁ、ボアの話はいい。最初に読んだとき(確か12歳)も大して引っかからなかったし。
その後も「何もわかってないオトナ」を批判する展開が続くわけだが、大人は数字が好きという話は当時から納得できなかった。子供が友人の家の様子を説明するときに、レンガの色や花壇に咲いている花などの定性的な描写にオトナは耳を傾けず、建てるのに幾らかかったという数字のみを重視するというのだ。流石にそれは言いすぎだろうと思った。仮に、自分の子供が「今日〇〇くんの家に行ったけど、10億円のおうちだったよ」ということを報告してきたとして、我々オトナはそれだけで何かを理解できるだろうか?10億円、多分とても豪邸なのかもしれない、いや確実に豪華だろう。けれども親子の会話はそこで終わらないだろう。「洋式なのかな、和式なのかな」とか、「そんな家ならプールが付いていたりする?」とか色々問いかけてみるはずだ。確かに10億円という数字からそのお友達の親の収入なんかを想像することもあるかもしれない。ただそれを子供に言うようなことはしない。少なくとも自分は。
当時、国語の授業でそれを読まされた私は、星の王子様の冒頭で繰り広げられるオトナ批判にもやもやしたものだが、「もしかしたら自分も年齢を重ねたらこういうオトナになってしまうのかもしれない」という一抹の可能性を危惧し、持論を主張をすることはなかった。しかし、アラサーになった今、確実にそうではないと言える。むしろ10億円だの1000万円だのの数字は子供のほうが好きじゃないか?「ひゃくおくまんえん」みたいなこと言ってる子供よくいるじゃん。
挙げ句、決定的だったのが破壊の象徴とされているバオバブという植物の扱いだ。そもそも植物(生物)に良い悪いもあるか?という話。勿論、農作物を荒らす害虫とか、害獣なんかの概念は理解できるし、バオバブが星を壊してしまうのは決定的に害だからという論理は理解できなくもないけど。ただ生きているだけの植物に"悪"の概念を押し付けてるのが当時から納得できなかった。現実だったらバオバブは星を破壊するようなことはしないわけで、架空の世界で一方的に悪者にされている感じに義憤ぽい感情を抱いたのを覚えている。
さて、昨日から批判されているプラントハンター西畠氏の話であるが、どうやら星の王子様ファン(?)が大層ご立腹な様子。その様子をきっかけに色々調べてみると、バオバブはファシズムの象徴とされている(真偽はさておき説として)とか、セネガルではとても親しまれているなどの事実を知って更に星の王子様嫌いが加速してしまった。サン=テグジュペリ何も知らねーでバオバブ悪者にしてんじゃねーよ的な。西畠氏が胡散臭いとかそういう話は置いといて、「プラントハンターという立場的からすると、悪者にされてるバオバブの名誉を回復させたかったのでは」位の想像は自分でも出来るんだがな。いや、別に西畠氏が完全に悪人で金儲けのために世界的文学作品を汚そうとしたみたいなオチでも良いんですけどね。私はバオバブの立場にしか興味が無いので。
読んた当時は言葉にする術を持たなかったけど、大人になって書き表せるようになったので、書いてみた。冒頭でも書いたように、好きなシーンが無いわけではないが、作品全体としては嫌いっす。なんかマックの女子高生とか、電車内の子供とか、片言の外国人みたいな純粋さの権威的象徴(他の星の金髪純粋王子様withキラキラしたイラスト)に自分の意見を代弁させる嘘松みたいなものを感じるんだよなー。
P.S. いい機会なので読み返してみたら、学会の小話は感心した。そんなことあるのかなと思ってたけど、女性というだけで侮られるとか名前がアジア系だと英語に文句つけられる話とか、現代のアカデミアでもよく聞く話だったので。
和式に向いてる腸の形ってどんな形だよwwwwwwwww
公衆便所は汚いか?それなりのショッピングセンターみたいな所にまだ残っている和式で取ればいいんじゃないの?
とにかく疲れていた。
木曜。朝から重いものを振り回した。電車で隣に立ってたババアの脇が臭かった。先輩に嫌味を遠回しに何度も言われた。元彼から下心丸見えのLINEが来た。ソシャゲで推しが来た。
わたしのただ息をするだけの一日がばかみたいにどうでもいい事で少しずつ削れた。
家に帰る前に心の体力が尽きそうで、遊んで帰りたかったけどそんなお金もなく、乗り換えの駅で休んでいた。
日が落ちているとはいえ、昼間まで30度を超えていたため街はまだまだ暑い。
かといって帰る気分にもならず、ただただただただボーーーーーっとしていた。
その時に突然声をかけてきたのがそのオッサン。
虚無を見ていた私の事を円光声掛けまちの女だと勘違いしたらしい。
べつに勘違いされたことはどうでもよかった。都心にいればよくあることだから。
私は拒否の意を示すべく立ち上がろうとしたが、その瞬間オッサンがつぶやいた言葉に興味を持ってしまった。
マジか。
このオッサン、こんなブスの尿を飲むのか。マジか。
不意を打たれて若干固まっている私を見てオッサンは続ける。「飲んだらすぐ終わりでいいよ。」
オッサンは本気だった。
人目を確認し、誰もいないことを確認して二人でさっと中に入る。
男子トイレに入るのは、小学生の大掃除以来。こきたないその空間がずいぶん新鮮に見えた。
オッサンは慣れた足取りで一番奥の個室に向かう。私もついていく。
オッサンは40代半ばで、しがないサラリーマンである。高校生の子供が2人と妻と愛人がいるらしい。
浮気じゃんかと笑ったら、妻にも愛人がいてお互いそれを隠していないと返してきた。
妻のことは好きだし、添い遂げるつもりでいる。ただ、悲しいくらいに性癖が合わなかった。そう悲しそうに語っていたのがすごく印象的だった。妻は輪姦や高圧的なプレイを好むが、スカトロに近い行為は一切受け付けないのだという。
愛人のこと性癖のことは子供には死ぬまで、死んでも言わない、と繰り返していた。
私は洋式しか使わない主義だったが、なるほど飲尿にはこっちのほうが都合がいい。スペースもあるし万が一飲みきれなかったときにすぐに下方向に吐き出せる。
オッサンは私に1万円を渡してから、小声で「パンツくれたらもう5千円出せるよ」と言った。
しかしそうするにはパンツの換えを持っていない。そう素直に伝えるとオッサンは黙って、新品の、袋に入ったパンツを自分のカバンからそっと取り出した。あまりにも準備がいい。プロである。
けれどさすがに断った。立つ鳥が跡を濁さない飲尿と違い、下着売買は跡が濁りすぎる。
オッサンはこれまた黙って拒否を受け入れ、そのまましゃがみこんで私を見た。
私が困惑しているとオッサンがなにやらジェスチャーをしてくる。さあ飲ませろ、ということらしい。
もう少し妙な迫りをされると思っていたのでこれには拍子抜けだった。このオッサンはどうやら本気で尿を飲みに来ているらしい。
それならば私もオッサンの本気に答えてやらねばなるまいと、勢いよくパンツを脱ぎ、靴を脱ぎ、片足を抜いて、そしてオッサンの上に跨った。オッサンの瞳がきらきらと光る。
しかし、そのまま放尿することはできなかった。無意識のうちに緊張しているのか、尿が出そうなぎりぎりの所で停滞して出てこない。
本当にあと少しだ。正直ここまで出かけてるならとっとと出したい。しかし躊躇が抜けない。
そしてオッサンがなにか言いかけたところで私はようやく気付く。オッサンはスーツを着ている。私はスーツに尿が飛んで、スーツを汚してしまわないか不安だったのだ。
勢いのままオッサンの顔に股を一気に近づける。ビビるおっさんにも構わず、私は小声も忘れて言う。「いきます!!!」
かくして私は名も知らぬオッサンの喉をめがけて放尿した。
最後にトイレに行ったのは昼。その後で私はお茶をペットボトル1本分飲んでいる。尿は勢いよく噴出した。
驚愕するオッサン。しかしオッサンはプロである。すぐに平静を取り戻し、器用にも口を大きく開けて上を向いたままで喉を鳴らし、私の尿を飲む。
シャーーーーーーッ!!!!ゴキュッ!!!!ゴキュッ!!!!ゴキュッ!!!!
公衆トイレに意味不明な音が響く。小学生の頃の担任の顔を何故か思い出した。
股を拭いてパンツを穿いて、改めてオッサンに礼を言い、オッサンが人の気配がないことを確かめて、それから外に出た。
オッサンとはその場ですぐに別れた。連絡先も何も聞かれなかった。それで私も家に帰った。
あのオッサンはこれからも見知らぬ女の便器になり続けるのだろうか。
個人の幸福なんて私にはわからない。けれど尿を飲んでいる瞬間のオッサンのあの顔はこの上ないほど幸せそうであった。
どうかこれからも異常として排斥されながら幸福に生きてほしい。本気でそう思った。
それはそれとして私は二度と他人に尿を飲ませないと誓ったのだった。