はてなキーワード: 反抗期とは
アラサーになっても母親には逆らえず、未だに「ヤバイ!怒られる!」と衝動的に取り繕ってしまう。
それで何回も怒られているのに、恐怖が勝って取り繕ってしまう。
恐怖で頭がいっぱい。
何でちゃんとやれば良いと分かっているのに、すぐ逃げてしまうんだろう。
母親からのLINEもちゃんと返せば良いのに、過去にいろんな理由で怒られてからLINE恐怖症になった。
当たり障りのない発言しても怒られるし(「アンタは私に興味ないんでしょ?じゃあもう二度と連絡しないから!」等)、
かといって丁寧に返信しても怒られる。(「本当に何も分かってないんだね。言っても分からない人に言うのも辛いから連絡してこないで」等)
そして「アンタは私が死ねば良いって思ってるんでしょ!!」と言われ(主に基礎疾患持ちの親に多い発言かと思われる)、
最後は記憶のねつ造による私が全くしていない発言がとんできてKO(?)
また母親のLINEもなんとも返しづらいことばっかり送ってくる。
長文LINEは辞めてくれ。言えないけど。
考えてみると、確かに私が悪いし怒られることをしているのだから、母親が怒るのは無理はないのかもしれない。
「西川口のソープに売り払ってやる」とか「お前は一生惨めな生活を送る」とか言われないといけないんだろうか。
しかしそれを母親に言う度胸はない。言ったらどんなことになるかわからないから。
自殺未遂かな。それとも憔悴し切って異物を飲み込むかな。
まあ謝っても「で?」とか「だから何?私にどうしろって言うの」と言われる。
この「どうしろって言うの?」は中々キツい。
私もどうしてほしいのか分からない。この場を何とかしたい、くらいかな……
なんというか、怒られると恐怖で頭がいっぱいになるから「とりあえずこの場を何とかしなきゃ!」みたいな思考になるんだろうな、と思う。
殴られるかもしれないし、真冬や真夏でも家追い出されるかもしれないし、とにかく「どうしよう」しか考えられない気がする。
今になってそう思う。
まあそもそもアラサーにもなって親に怒られるって何?って話なんですが。
18歳で自立するまでそれなりに金はかけてもらってはいたし、私が母親を毒親と言うのはお門違いかもしれないけど、どうか否定はしないでほしい。
私が言う「親に怒られる」というのは、大体人格否定と過去の発言や行動について「私はあの時見過ごしたけど、本当は嫌だった」みたいなトンデモ暴露発言のことを指す。
多分大体の毒親持ちが経験していると思うんですけど、あの人たちって「私が如何に不快だったか」を何時間も何日にわたってと説明してくるじゃないですか。
大体話ループしているし、「私が如何にどれだけ不快だったか」を話すので、話の途中で「そういえばアンタあの時も」と過去の失態を持ち出す。
そうなるともう訳がわからなくなってくる。私は何に対して怒られたんだろう、みたいな。
怒るのってすごく体力も精神も削るもんではないのかな。
反抗は許されなかったし、母親もなんか「うちは逆らったらぶん殴って強制する」と他人に豪語する。
反抗しないでも殴られたけど。
母親のねつ造発言に対して、「そんなこと言っていない」とか言えるようになったし、なにかと理由をつけて帰らないようにしている。
まあ1000000000倍になって返ってくるんですけどね。あげく「いちいち親に口答えするな」と言われる。
18で独立し、入った会社では周りにも恵まれ楽しく過ごしている。
母親がいないだけで、ストレスフリーな生活を手送れるとは思わなかった。
家族ではあんまり旅行行かなかったし、稀に行った旅行母親の機嫌を取らないといけなかったから苦痛だった旅行も、一人で気楽に出来る。
18の頃はクソみたいな性格だったけど、今では多少マシにはなってきた。
今でも「あの会社に入れなければ良かった」と嘆いている。
でも、ちょっとだけその会社のあるモニターをやったから「私のお陰で入れた」と周りに言っている。
ボカしているので伝わりづらいけど……本当に親は関係ない。
私は「死にたい」と思う。実際には死ねない理由が多少なりとも存在しているし、死ぬのは怖いので死なない。
でも、「今死んだらきっと楽になれるな」とかは毎日考えるし、自殺方法も考える。
死なんけど。
毎日怒鳴り合いの夫婦喧嘩が聞こえずそして私を巻き込まず、LINEも気軽に送り合えるような家に育ったらこんなこと考えずに済んだのかな。
ifのことばっかり考える。未だに考える。
どうしてうちはこんな家庭なんだろう。なんでまともな家じゃないんだろう。
何が言いたいのか分かんなくなってきちゃったな。
どうしたらいいんだろうね。無視したら良いのかな。
母親の顔色のことを考えずに生きたい。
けど母親が生きている限り無理だと思う。
もう、楽になりたい。
死なずに楽になりたい。
反抗期は十代で終わらせてください
自分は今フリーターをしているが、色々あってあと数年は親の扶養から出られない。将来就職をするとしたらギリギリの年齢になってる。
とはいえ周りの友人のようなプレッシャーもないし衣食住にも困ってないのでウィンウィンだと思ってる。そこそこ貧困家庭なので、こういう経済的依存はしょうがないのかなと思う。
でも、自分が近い将来就職なりなんなりして家を出ていきたい、という話をしたら母親は不機嫌になりそんなことさせないぞという態度を取ってきた。そうなったら私はどうやって生きていけばいいのか?みたいなことも言われた。
そりゃ確かに、親と一緒に住んでいれば家賃も水道光熱費もタダだ。自分は家に金を入れる気が一切ないので貯金も出来るだろう(以前うちの親に社会人になったら家に金を入れるべきかと聞いたら「その金を全部使う」と言われたので死んでも入れない)。だが実際そうなったとしても、それを決めるのは自分の権利であると思ってるし、親の勝手な言い分で自分の生活を決定されたくない。親に寄生してる癖に何言ってるんだと思うかもしれないが、そもそも親のせいで扶養から出られないんだからな。
子供が出ていけば費用も浮くし、家事とかの量も減るんだぞ。それは母親にとってもいい事じゃないのか。
子供は親の介護要因なんだろうか。親の孤独を解消するために生きているのだろうか。違うだろ。
現在両親はあんまり関係がよくなく、単身赴任している父親が帰ってきたら恐らく母親は気が狂ってしまう。それもあって自分ら子供を引き止めておきたいのだろうが、なぜ親の仲介人にならねばならんのだという疑問がわいてくる。
一方でそんな母親を放っておく自分は非情な人間なのかもしれないとも思う気持ちも少しはある。
妹は「親の介護は絶対しない」と言っておりはなから頼りにならない。もうすぐ結婚して出ていくだろうし。
毒親とまではいかないけど、子供に心理的に依存してくるのはよろしくないと思う。
閉鎖的な家庭で育ってきたせいか、最近まで親が間違ってるのかもしれないと気づけなかった自分も悪い。だから自立を引き止める親を置いていくことに罪悪感を感じてるんだろう。
親と一緒にいてはまずいと最近感じはじめて、家の中では距離を置くようにしている。20歳を越えてようやく反抗期が来たのかなとびっくりしている。
自分が幼稚で他力本願なことは承知している。だからこそ、そこから抜け出したいと思ってるんじゃないか。うちの親は子供に一生子供でいてほしいようだ。
Amazonで9割引で買ったらしい。
微塵も疑わなかったのかと聞けば、9割引の誘惑に勝てず衝動買いしたのだという。
送らてきた物を開封すると、縫い目はガタガタでほつれだらけ、裁断が真っ直ぐでなく外形がふにゃふにゃ、Times New Romanを感じさせるロゴ...見るだけで笑いがこみ上げるような物だった。
正直に言えば、こんな物に数万円も支払った父が恥ずかしかった。きっと私を喜ばせようとしたのであろう。こんなに安く買えたんだよ!と意気揚々と語る父の声を電話口で聞きながら、情けなさ、悔しさ、しかし少なくとも私を思って送ってはくれたことへの申し訳なさ、色々な感情がごちゃ混ぜになり、涙こそ出なかったもののただただ悲しかった。まーいいじゃん、偽物でも見た目一緒なんだし、使ってよ!と快活に笑う父に、ありがとう、大事に使うねと言って電話を切った。
過去にも、父が中国旅行に行ったときスーパーコピーを買って私にお土産として渡してきたことがある。当時反抗期真っ只中だった私は、こんなの要らないと激怒したのを覚えている。父は、本物か偽物かわからない物ってそれは本物と何が違うの、賢い買い物したってむしろ自慢できるのに、と心底不思議そうに言っていた。
父は決して貧乏ではない、というより現金だけで10億以上を保有するまごうことなき富裕層である。
しかし借金取りに追われ金に困窮した苦しみを味わった若かりし頃の苦労が災いしたのか、それだけではない気もするが、とにかく超弩級のケチであった。
ハイブランドの店に入ったことはほぼなく、物の品質も、相場も、何もかもわからない。
父と買い物に行くと、あまりの価値観の乖離に、驚きを通り越して悲しくなる。そんなにもお金を持っているのに、本物のブランド品を買うことより費用対効果で9割引のパチモンを買うことを選ぶ父。お金が山のようにあっても、高い買い物を何一つ体験できない、しようとしない父。一体どれだけの苦労をしたのか。
本物のブランド品を買ってきてくれなかったことに怒っているのではない(正直に言えば、単純に私にはハイブランドが似合わないので、あまり欲しくない)。こんなに分かりやすい詐欺師に騙されたという、恥ずかしい気持ちはあるが、それだけでは片づけられない、何とも言えない悲しさがある。
捨てることも売ることもできず、部屋の片隅で異臭を放つフニャフニャな数万円の日用品収納ケースと化している。いつかこれも良い思い出として気持ちの整理がつくようになる日が来るのだろうか。
なぜか「反抗期の屁理屈」「世をはかなんだ負け犬の遠吠え」みたいな感じの扱いを受けてるけども、冷静に考えて客観的事実ではあるんだよな
だからどうなんだ、っていうところは置いておいて、「生まれてきた子供が、生まれる前に、親に対して、産んでくれと頼んだか否か」っていうところを考えると、まあ頼んでないよなということになる
どんな立場をとるにせよ、「産んでくれなんて頼んでない」こと自体を否定しようとするならスピリチュアルな方向に行くしかない
これで終わりではある
そう考えると、なんでこのフレーズはそんなに有名(?)なのかわからん
産んでくれなんて頼んでない!
そうですね、頼まれてないです 勝手に産みました だから何や 舐めるなよ
そういう話になってくる
親、当然無謬ではないし、子供に対してあたりまえに加害行為をやるし、根本的な話として、べつに子供の幸せを第一に考えて出産に踏み切ってるわけじゃないもんな
幼稚な「女の子母親」のケア役として調整された子供達の末路を憂いています
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
むすことおやすみってタッチしたらマザコンって言われるのか……
うちは行ってきまーすってたまにハグするしソファに座ってると隣にくっついてくるし手つなごうよ~ってベタベタしてくるから大丈夫かなって思うこともあるけど、むすこから来るうちは受け入れることにしてる。
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
今朝むすこがわたしと夫にベタベタしながら「ぼくさ、多分反抗期来ないと思うよ。だってパパとママが好きすぎるもん」って言ってたんだけど大丈夫かな
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
そう言えばむすこが帰ってくるなり「参観日きてくれてありがとう!ママが1番かわいかったよ!!」と言ってきたので昨日のプリントの件はまぁ許そうと思う。
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
しかも同じクラス同じ部活のわたしのお気に入りイケメンくんがわたしのことキョロキョロ探してわざわざむすこに「来てるよ」って教えに行って、「お母さん髪の毛の色かえた?」って言ってたらしいんだけどめっっっちゃんこかわいくない!!!??
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
って言われたって言っててウッヒョーーってなったよマンモスうれP!!!
朧月よしこ@oboro_zuki_yo
昨日、顔周りの髪の毛がくるんって上手に巻けて、むすこに
ねぇねぇここ上手に巻けたんだよかわいい?
って訊いたら
おれには2歳年下の妹がいる。
親元を離れても同じ屋根の下に暮らして休みは一緒に過ごして、毎日のように2人で酒を飲んでた時期もあった。人生で最も酌み交わしたのはこいつだと思う。
妹が彼氏と喧嘩して、2人で海に行こうとしたけどハイヒールを履いていたから速攻で辞めて、近くのショッピングモールで爆買いした。深夜にどうしてもラーメンが食べたくなって、汚いスウェット姿のまま2人で電車に乗って特盛のラーメンを無理やり食べた。片方の帰りが遅くなると、駅前の立ち飲み居酒屋で待ち合わせしておじさんにまみれながらホッピーを飲んで厚揚げを食べた。
住処を別にしても毎日連絡を取り合っているし、寂しい時は電話をする。2週間に1回くらい、面白そうな居酒屋を探しては2人で飲みに行く。妹の彼氏と3人で遊びに行くこともあれば、おれの同級生に混じって妹が酒を飲んでることもよくある。
1番心許せる同性は間違いなく妹だ。
おれは小さい頃は神童と呼ばれるタイプの人間だった。3歳で入会した塾では、退会するまで毎年全国的な表彰を受けていたし、学校で行われる統一テストもいつだって全国トップだった。運動も人並み以上にはできたし、男女問わず友達も多く支持してくれる人もたくさんいた。いわゆるカースト上位だった。
反面、妹は臆病で脳天気な人間だった。絵を描くことが好きで、宿題をするフリをしてはスケッチブックにずっと絵を描いていたのをおれは知っている。勉強は人並みかそれ以下の出来で、気の強い女友達に香り付きのペンを盗まれて泣いていた。そんな子供だった。
親がよく、成績のことでおれと妹を比較していた。親だけじゃなく色んな人から妹がそういう扱いを受けていたこともなんとなく知っていた。姉であるおれはそれが当たり前ですと言わんばかりの態度をとりながらも褒められることに喜びを感じていたし、のほほんとした顔で受け流す妹を少しだけライバル視していた。
でもおれはまっすぐ人生を進めなかった。
親を何度も泣かせた。何度も怒鳴らせた。最終的には腫れ物のような扱いをさせてしまうまで落ちぶれた。
ちょうど反抗期だった妹は、そんな状態の親に迷惑をかけられないからと手のかからない子になった。おれが地元の中学で失敗したから、と行きたくもない私立の中学を受験して、友達と離れて毎日往復3時間の電車通学に耐えて通った。
姉みたいになりたくない、と強く思っていたんだろう。
この頃は妹と過ごした記憶がほとんどない。(というかおれの記憶がほとんどない。)
やっとおれが人生を取り戻した頃、少しずつ妹との関係も良くなっていった。妹も大学に進学した頃、今のような関係になった。
いつのまにか妹は社交的で都会的な1人の女性になっていた。誰かが喜ぶことが嬉しくて、バイトをしたお金で何の変哲もない日にプレゼントをしちゃうような心の優しさは昔から変わっていない。
おれの中にはいつまでも妹を守ってあげなければいけない存在だと思う節がある。
小さい頃に昼寝から目が覚めた時、妹が黒目がちな目をこちらに向けていたのをずっと覚えている。自分も幼いながら、この小さな生き物を守らなければいけないと思ったのを覚えている。
おばあちゃんの家に1人で行った時、ファインディングニモの映画を見に行った。後に妹がメモに「○○(おれ)、ニモ見てずるい🐟」と書いていて、なんてかわいそうなことをしたんだろう、今度おれがどこかへ連れていってあげようと思ったことも今も心の中にある。
妹はおれの中ではずっと妹で、バカでも、ちょっと食べすぎて太ってても、それが妹らしくて、「妹」という存在を完璧にこなしている。
反対に今のおれはどうだ?
姉としての役目、妹から尊敬されるような生き方、真似したくなるようなお姉ちゃん、どれ1つとして達成できていない。今はもう彼女は1人の人間として女性としておれよりもはるかに自立していて、おれにできることは何も無いようにさえ見える。長く付き合っている彼氏もいるし友達も多く、おれが助ける隙は無いのではないか。
別に慕って欲しいわけじゃない、姉としての認めて欲しいわけでもない。ただ、妹としての役目をしっかりと果たしている彼女に対して申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなだけだ。
いつかまた姉としての役目をおれが達成できる日が来るといい、おれが妹を「妹」の役目を果たしている人間だと思うように、妹がおれのことを「姉」としての役目を果たしている人間だと思ってくれる日がくるといい。
おれには2歳年下の妹がいる。
親元を離れても同じ屋根の下に暮らして休みは一緒に過ごして、毎日のように2人で酒を飲んでた時期もあった。人生で最も酌み交わしたのはこいつだと思う。
妹が彼氏と喧嘩して、2人で海に行こうとしたけどハイヒールを履いていたから速攻で辞めて、近くのショッピングモールで爆買いした。深夜にどうしてもラーメンが食べたくなって、汚いスウェット姿のまま2人で電車に乗って特盛のラーメンを無理やり食べた。片方の帰りが遅くなると、駅前の立ち飲み居酒屋で待ち合わせしておじさんにまみれながらホッピーを飲んで厚揚げを食べた。
住処を別にしても毎日連絡を取り合っているし、寂しい時は電話をする。2週間に1回くらい、面白そうな居酒屋を探しては2人で飲みに行く。妹の彼氏と3人で遊びに行くこともあれば、おれの同級生に混じって妹が酒を飲んでることもよくある。
1番心許せる同性は間違いなく妹だ。
おれは小さい頃は神童と呼ばれるタイプの人間だった。3歳で入会した塾では、退会するまで毎年全国的な表彰を受けていたし、学校で行われる統一テストもいつだって全国トップだった。運動も人並み以上にはできたし、男女問わず友達も多く支持してくれる人もたくさんいた。いわゆるカースト上位だった。
反面、妹は臆病で脳天気な人間だった。絵を描くことが好きで、宿題をするフリをしてはスケッチブックにずっと絵を描いていたのをおれは知っている。勉強は人並みかそれ以下の出来で、気の強い女友達に香り付きのペンを盗まれて泣いていた。そんな子供だった。
親がよく、成績のことでおれと妹を比較していた。親だけじゃなく色んな人から妹がそういう扱いを受けていたこともなんとなく知っていた。姉であるおれはそれが当たり前ですと言わんばかりの態度をとりながらも褒められることに喜びを感じていたし、のほほんとした顔で受け流す妹を少しだけライバル視していた。
でもおれはまっすぐ人生を進めなかった。
親を何度も泣かせた。何度も怒鳴らせた。最終的には腫れ物のような扱いをさせてしまうまで落ちぶれた。
ちょうど反抗期だった妹は、そんな状態の親に迷惑をかけられないからと手のかからない子になった。おれが地元の中学で失敗したから、と行きたくもない私立の中学を受験して、友達と離れて毎日往復3時間の電車通学に耐えて通った。
姉みたいになりたくない、と強く思っていたんだろう。
この頃は妹と過ごした記憶がほとんどない。(というかおれの記憶がほとんどない。)
やっとおれが人生を取り戻した頃、少しずつ妹との関係も良くなっていった。妹も大学に進学した頃、今のような関係になった。
いつのまにか妹は社交的で都会的な1人の女性になっていた。誰かが喜ぶことが嬉しくて、バイトをしたお金で何の変哲もない日にプレゼントをしちゃうような心の優しさは昔から変わっていない。
おれの中にはいつまでも妹を守ってあげなければいけない存在だと思う節がある。
小さい頃に昼寝から目が覚めた時、妹が黒目がちな目をこちらに向けていたのをずっと覚えている。自分も幼いながら、この小さな生き物を守らなければいけないと思ったのを覚えている。
おばあちゃんの家に1人で行った時、ファインディングニモの映画を見に行った。後に妹がメモに「○○(おれ)、ニモ見てずるい🐟」と書いていて、なんてかわいそうなことをしたんだろう、今度おれがどこかへ連れていってあげようと思ったことも今も心の中にある。
妹はおれの中ではずっと妹で、バカでも、ちょっと食べすぎて太ってても、それが妹らしくて、「妹」という存在を完璧にこなしている。
反対に今のおれはどうだ?
姉としての役目、妹から尊敬されるような生き方、真似したくなるようなお姉ちゃん、どれ1つとして達成できていない。今はもう彼女は1人の人間として女性としておれよりもはるかに自立していて、おれにできることは何も無いようにさえ見える。長く付き合っている彼氏もいるし友達も多く、おれが助ける隙は無いのではないか。
別に慕って欲しいわけじゃない、姉としての認めて欲しいわけでもない。ただ、妹としての役目をしっかりと果たしている彼女に対して申し訳ないと思う気持ちでいっぱいなだけだ。
いつかまた姉としての役目をおれが達成できる日が来るといい、おれが妹を「妹」の役目を果たしている人間だと思うように、妹がおれのことを「姉」としての役目を果たしている人間だと思ってくれる日がくるといい。
ぼかして書いてます。
元々誰かへの依存度の高い人だった。じぶんではしっかりしてるつもりの30代女性(A)。
夫があてにならない。(夫婦仲が悪いとか、夫とは解決策が合わないとか)
↓
すごく親身に相談に乗ってくれる人(B)が現れる。
セミナーや講演ほどの規模ではないが相談会(交流会?)みたいなやつを知人に紹介された。
↓
この時点では、単に相談に乗って貰ってるだけ。依存はしていってる。
↓
BがAに対して、相談外のことについても指示を出し始める。
例えば、浄水器つけなさいとか、心理学(心理学じゃないやつ)学びなさいとか。
大体、科学っぽいなにかをよりどころにしてるやつ。
↓
困った時には相談、それ以外でも自分をよく変えていくためにAはBのいう事をよく聞く(依存させるのと、洗脳というか説得や誘導が上手い)
夫は飽きれるが、夫はそもそも頼りにならないので聞く耳もたない
↓
(祈祷の根拠には、電磁波だか量子力学があるらしい。実際は祈祷ではなくなんかもっともらしい中二的な名称)
↓
依存してるので、元々信じてたものに対してもBが間違ってるというと「はい、そうですね!」と無条件に信じてしまう。
信者的ななにかの出来上がり。
↓
科学の本を読んでもよくわからないところ、凄く読みやすく理解しやすい動画に出合った。
↓
↓
他の本読んだり動画見ても理解しにくいので、おんなじ人のを見続ける。
↓
どんどん知識が歪んでいく。
↓
自分は完全に理解してるつもりなので、他の人が否定してもいう事聞かない。(理解できない=間違ってるとなる)
↓
他の分野でもどんどんと怪しい情報を仕入れていくようになる数珠繋ぎ
誰しも、他人の口内をものが通る音なんて聞きたくはないのです。やめましょう。
よく、「西洋では麺を啜らないが、日本では啜っても良い」と言った対立軸を持ち出してくる人がいますが、それは論点のすり替えです。そもそも、そのような事実はありません。西洋であろうと日本であろうと、「食事中に不必要な音を立てること」はマナー違反なのです。
第一、「それ(麺を音を立てて啜ること)不快に思う人もいるからやめなよ」と、他人に指摘されれば、ふつうの大人なら素直に改めるでしょう。たかが麺の食べ方ごときに、「麺を啜るのが日本のマナー」などという見苦しい屁理屈を持ち出してまで執着するのはなぜなのでしょうか。
以下、自分語り。朝から心臓が爆発しそうになって、ここに書き込ませて欲しい。長くてごめん。
小さい頃から兄弟の様子がおかしく、精神疾患だった。反抗期にしては著しいものがあったし、行方不明になって警察から電話が来たこともあった。
そうしたやり取りを見て、親が泣いてるのを見て、育ってきた。小さいながらに「怖いことが起こってる」と思い、自分のことは後回しににして、家族対応。ワガママなんて言ってる場合じゃなかった。
極めつけ、というかピークだったのが兄弟の○さつ未遂と幻覚。学校から帰ってきたら親から話があると言われた。親は呆然とし、とりあえず一緒に病院に向かった。この時自分は高校生。とりあえず一命は取り留めたが、ようやくここで精神疾患の判断を医者からもらい、処方することによって落ち着いた。なんていうか、何も当時は考えられなかったよ。幻覚を抑えてもらうのに必死で。でも辛くて「自分には自分がついてるぞ!」といって励まして泣きながら過ごした。
兄弟の症状は大分落ち着き、普通に生活している。あの地獄みたいな終わりのない不安から少し解き放たれた気がして平穏だった。
自分も、ようやく自分自身のために生活しようと思ったし、親孝行もできればなと考えながらやってきた。
んで、まあ、親は今だいぶ歳をとったね。
今度はさ、最近親の様子がおかしいの。そりゃかなり高齢だから、仕方ないんだけどさ。記憶が無くなってきてる。ボケの初期症状かなって思ったり、表情が乏しくなってきてる。
「なんで覚えてないの!」とつい、聞きすぎると相手も落ち込んでしまって、申し訳なくなる。親もわかってるんだよね、自分の老いを。怖くなってきてるんだと思う。
そうするとさ、また、考え始めたわけ、さっき。
「今度は親で頑張らなきゃ!」と思う自分がいることを。不安になってる母を慰めなきゃ、って。そばにいてあげなきゃと思って。自分のために楽しく生きていこうって思えなくて。
だって、怖いぜ。落ち込んでる家族って。最悪のケースを一回体験しかけたんだから、常に想定できちゃうって、辛いぜ。
そしたらなんか涙出てきてしまって。
自分が辛いこと後回しにしてきた人生の、溜まった水が溢れ出てきた感じがして。居ても立っても居られなくなってこんな所に書いちゃったわけだけど。
辛い。怖い。
なんか吐き出したかった。
遺書 2021.6.3
今あなた方がこの手紙を読んでいるときには、私はもう死んでいるでしょう。
家族、友人、彼女、これまで関わっていただいた全ての人々に、感謝と謝罪を申し上げたいと思います。
まず家族、今までありがとうございました。そして迷惑をかけ続けて本当に申し訳ありませんでした。
思えば物心ついた時には3人目の子供、そして長男として溺愛されていたと今となっては思います。冷酷でよく怒らせてしまった長女、オカン気質で涙もろい次女、短気で呑兵衛で旅行好きの父、そして心配性でよくため息をつく母。(自分から見た印象です、気分を害したらごめんなさい)
それぞれ個性ある家族で、自分がその一員として生まれてくることができたのは非常にラッキーだったと思うし、こうして人並みの生活を送れているのは、厳しく育ててくれた家族のおかげだと思っています。
正直に言って家族のことはどちらかと言うと嫌いです。よく育ててくれたと思う反面、理不尽な目にもかなりあってきました。
買いたいものをねだると必ず姉2人に罵倒され、泣く泣く買わなかったこと、そのせいで物をねだるのが非常に苦手になり、誕生日プレゼントで親の顔をうかがって勉強机をねだったけど、内心全然嬉しくなかったこと。
その結果万引きを繰り返し、親の財布から金を抜き、家の中で見つけた旧札の束をすべて使い、クレジットカードで勝手に買い物をした。
今に思えばどうしようもないクソガキだったなと心底思う。
人としては嫌いかもしれないけど感謝の気持ちは忘れたことはない。
姉二人とは気づいた時には距離ができていて、いつも2対1の構図だった。
ある程度かまってくれていた次女も何かあれば長女の側につくし、長女は初めから自分の事を嫌悪していた。そうなった原因に関しては自分が子供で、甘やかされているように見えたか、若しくは姉の反抗期と自分のイヤイヤ期が重なったことで生じた溝だと感じている。
未だに姉の目を見て会話するのが苦手だし、なんて呼べばいいのかわからないし、姪が生まれた時もひきつった顔で眺めることしかできなかった。
原因は自分にあると思うし、姉が一概に悪いと思うこともない。ただ状況がよくならないままで死んでいくことを悔いに思う。本当にごめんなさい。
父方の祖父祖母は今のところ大嫌いです、誤ることも何もありません。
高校の時一回も休むことなく登校していた当時、自分の事をグレていると親に向かって言っていたこと、いまだに許していません。彼女を紹介するのも最後まで渋りましたが、母が無理を言ったので一目だけ会わせてあげましたね、あまりかかわらないでください。以上です。
母方の祖父祖母には非常にお世話になりました、学生の頃、夏休みのたびにいとこと一緒に遊んだことは今の僕の誇りです、親と一緒にいるときはあまりうまく喋れなかったのが申し訳なかったですが、感謝しています。
祖父が死んだときは本当に悲しかったです。今まで生まれてきた中で間違いなく一番泣きました。はじめてお見舞いに行ったとき、まだ喋れる状況だったのに母親と一緒だったせいで口をつぐんで全く喋れなかったこと、いまだに後悔しています。
友人へ。
今までいろんな遊び、旅行に付き合ってくれてありがとう、普段は自分が誘うことが多かったけど、その分君たちから誘われるときは本当に嬉しかったし、本当に無理な時以外は絶対誘いに乗るようにしてた。
保育園から始まり高校まで、さまざまな人に出会ってきたけど、思い返せば人見知りのせいでなかなか自分から友達を作ったことはなかったなと思う。
小学校の夏休みは特に家にいるのが嫌で、毎日のように友達の家にアポなしで押しかけていたから、とんでもないやつだなと自分でも思う。
短い付き合いだったけどこんな変な自分と友達でいてくれてありがとう。
どうかお元気で。
彼女へ。
短い付き合いだったけど今まで本当にありがとう。
遊び始めたときは友達もろくに作れない自分がこんなに出会ってすぐにちょっと好きだからって告白してもいいものだろうかと悩んだし、本当にいい人だったから自分はこの人の友達止まりで、彼氏になんかなれるはずもないのだろうなと卑屈になっていました。
そのせいで告白をさせてしまったことは本当に恥ずかしいことだったし、出来ればやり直したいなと思います。
付き合いだしてからは惚気まくりでちょっとキモかったかもしれませんが、高嶺の花だと思っていた女性から告白されたのです、幸せで一杯だったので許してほしいです。
出会い、告白、同棲まで、本当にトントン拍子で話が進み、もう結婚まで話が出ていましたね。
こんな時期にお別れするのは本当に申し訳ないですが、私のことは忘れて、もっといい人と出会い、幸せな家庭を築いてください。
皆さん、今までお世話になりました。お元気で。