はてなキーワード: 共依存とは
おっ同志じゃん。
と勝手に同じくくりにしてしまって申し訳ないけど、(フェイクかもしれないが)年齢も性別も同じで、生育歴も境遇もほとんど一緒なので、嬉しくなってしまったよ。まあ、私は元増田みたいに頭が良いわけじゃあないんだけど。
デッドロック(愛情に飢えているかぎり当然愛情を求めるが、飢えているかぎりは愛されない)とについては全く同じことを考えてて、この世に同じ感想を持つ人がいるのもまた嬉しかった。
私は私大文系出身で今は変哲ないリーマンやってるからたぶん元増田より暇があって、そのせいかこれまで幾人かの女性とお付き合いをしてきたよ。で、その中でも多かったのがわたしと同じような空虚を抱える女性だった。やっぱりそういう人たちはどこか惹かれあうんだよね。でも付き合うと共依存的になってどちらかやお互いが折れてしまって続かなかった。私はあまり好きな言葉ではないけど、冗談混じりでメンヘラハンターって友人から呼ばれるようになったわ。別に狙ってるわけではなく、ただ惹かれてみたらそういう人が多かったというだけなんだけど。
だからさ、元増田の周囲は人を見る目がある人ばかりだというけど、元増田もよくよく人を見る目があるんじゃないかな。そういう素晴らしい相手と付き合えたことがあることも、言い寄った相手からお断りされていることも逆説的にはいい人を選んでいるんだと思う。
あと、患者さんから泣いて感謝されるような人ちゃんと元増田が他人を繊細に察することのできる人間だとわかるし、それは間違いなく元増田の誇るべき素質だと思っていいんじゃないかとも思うよ。
下記ねほりんぱほりんの児童虐待回まとめを読み自分のことを書く。
https://togetter.com/li/1438906
私はこの家とほぼ同じ環境で育った。結論から言うと小学校二年の時に両親は離婚した。そこに至るまでの話をする。
母は結婚した時から父の暴力やモラハラを受けてきた。そしてセオリー通り貧困の中子どもを産んだ。
そのうち父はギャンブル三昧になり家に帰らないことが多くなったが、帰ってくると服のたたみ方が雑などイチャモンをつけ暴れるようになった。
これは別居する少し前の話。
姉と私は当時小学校二年と幼稚園年長。意思などあってないようなものだ。
ただ単に不安だったからだ。そして離婚した後の生活が何も見えておらず、安心が約束されていなかったからだ。
暴力を振るい気に入らなければ家でも外出先でも暴れ、大声で怒鳴る父を好きなわけはない。もちろんそんな生活から離れたかった。
ただ、離婚したらどうなるのかわからない不安の方が大きかっただけだ。
母は職歴などないに等しく妊娠を期にパートを辞め専業主婦になっていた。
子どもの私は言語化できる範囲が狭かったため、どうやって母ひとりでお金を得て家庭を保守・運用していくのかというところまで想像が及ばなかったが、つまりそういうことだ。今後の人生の安定が全く保証されていないことが不安の根幹にあったと今ならわかる。
また、遺伝子に埋め込まれた心理の作用で父と離れてしまう寂しさもあった。上で述べたように暴力やモラハラなど酷いことをされてもなお、ごく一部の普通の人に近い振る舞いを思い出し父を受け入れようとしていた。
怒鳴るし嫌なことたくさんしてくれるけどこないだクレヨンくれたし…とか。
(そのクレヨンは5色入りで絵を描けるカラーバリエーションはなかったしパチンコの景品だと何年か後に母から教えられた)
小学校一年の途中で母の実家に姉と3人で住まわせてもらうことになり束の間の安堵を得た。
その後母は離婚を決意し私と姉にこう言った。
「お父さんと離婚する。離婚したら苗字が変わっちゃうけど、法律で離婚しても今の苗字を使えるの。あなたたちどうしたい?」
と聞かれた。
姉と私は当時小学校三年と一年。やはり意思などあってないようなもので言語化する力も乏しい。
私の姉もいやだというようなことを言った。
理由はただ単に変化を恐れてのことだった。片田舎だったため名字が途中で変われば離婚したと周りにバレてしまう。恥ずかしい。いじめられるかも知れない。
みんなが持っている両親の揃った家庭を失っている時点で惨めなのに、惨めが可視化されることに耐えられなかった。
もちろん母の実家住まいという時点で大人からはお察しではあるが、子どもの狭いコミュニティでは名字が変わったことが決定打となる。
そしてこれは完全に子ども特有の理不尽なわがままなので理解し難いかもしれないが聞いて欲しい。
この時私は母に名字を旧姓に戻したい理由を述べて説得して欲しかったのだ。
悩んでいるが故に父のことしか見ていなかった母がやっとこちらを向いてくれるようになった。やっとかまってもらえる。うれしい。そういう気持ちだった。
しかし、共依存でハラスメントを受けやすい人間特有の自分の意志のなさで母はすんなりOKしてしまった。
(のちにわかることだが母は重要な決断を他人に仰ぎ、何か不都合なことが起こると他人のせいにするという女だった)
話は最初に戻る。
ねほりんぱほりんに出演していた女性は子どもの「離婚して欲しくない」という言葉に動揺しているようだがはたしてそれは子どもたちの本心なのか。
この場合、子どもの言葉を理由に楽な方へズルズルと行き離婚しないまま生涯を過ごすのかも知れない。わからない。
(楽な方というのは離婚は疲れるのでダメになっている人ほど決断できないという意味で使った)
もし同じように離婚しないで欲しいと言われている人がいたら、子どもの言葉を鵜呑みにするのではなくいま一度自分の頭で考え客観的な判断を下して欲しい。
そしてまた、あらゆる不安に苛まれ打ち明けられる人もおらず、言語化もできない子どもがかつて存在したことをできれば忘れないで欲しい。
以下は余談。
父の苗字は画数が多い上に書きづらい。私の名前は父が考えたものでやはり画数がとても多い。あれから30年近く経つが何かにサインをするたびに父のこと、受けた暴力、離婚後の貧困生活などを思い出す。
母は「あんたたちが苗字変えたくないって言うから変えなかったのよ、お母さんは変えたかったのに」と未だに何度も吐き捨てるように言う。
姉との仲は悪くなくごく普通といった関係だ。だが当時も、大人になった今も父の暴力や離婚後のつらさについて考えを分かち合ったことはない。
父が家で暴れ母に部屋に戻りなさいと言われ、二人で一枚の布団をかぶり息を殺していた時も私たちは何も話さなかった。
子どもの頃はクラス名簿に住所・電話番号と並んで両親の名前も書いて配られていた時代で「片親」(という言葉が当時あった)と面と向かって言われることもあった。
下記ねほりんぱほりんの児童虐待回まとめを読み自分のことを書く。
https://togetter.com/li/1438906
私はこの家とほぼ同じ環境で育った。結論から言うと小学校二年の時に両親は離婚した。そこに至るまでの話をする。
母は結婚した時から父の暴力やモラハラを受けてきた。そしてセオリー通り貧困の中子どもを産んだ。
そのうち父はギャンブル三昧になり家に帰らないことが多くなったが、帰ってくると服のたたみ方が雑などイチャモンをつけ暴れるようになった。
これは別居する少し前の話。
姉と私は当時小学校二年と幼稚園年長。意思などあってないようなものだ。
ただ単に不安だったからだ。そして離婚した後の生活が何も見えておらず、安心が約束されていなかったからだ。
暴力を振るい気に入らなければ家でも外出先でも暴れ、大声で怒鳴る父を好きなわけはない。もちろんそんな生活から離れたかった。
ただ、離婚したらどうなるのかわからない不安の方が大きかっただけだ。
母は職歴などないに等しく妊娠を期にパートを辞め専業主婦になっていた。
子どもの私は言語化できる範囲が狭かったため、どうやって母ひとりでお金を得て家庭を保守・運用していくのかというところまで想像が及ばなかったが、つまりそういうことだ。今後の人生の安定が全く保証されていないことが不安の根幹にあったと今ならわかる。
また、遺伝子に埋め込まれた心理の作用で父と離れてしまう寂しさもあった。上で述べたように暴力やモラハラなど酷いことをされてもなお、ごく一部の普通の人に近い振る舞いを思い出し父を受け入れようとしていた。
怒鳴るし嫌なことたくさんしてくれるけどこないだクレヨンくれたし…とか。
(そのクレヨンは5色入りで絵を描けるカラーバリエーションはなかったしパチンコの景品だと何年か後に母から教えられた)
小学校一年の途中で母の実家に姉と3人で住まわせてもらうことになり束の間の安堵を得た。
その後母は離婚を決意し私と姉にこう言った。
「お父さんと離婚する。離婚したら苗字が変わっちゃうけど、法律で離婚しても今の苗字を使えるの。あなたたちどうしたい?」
と聞かれた。
姉と私は当時小学校三年と一年。やはり意思などあってないようなもので言語化する力も乏しい。
私の姉もいやだというようなことを言った。
理由はただ単に変化を恐れてのことだった。片田舎だったため名字が途中で変われば離婚したと周りにバレてしまう。恥ずかしい。いじめられるかも知れない。
みんなが持っている両親の揃った家庭を失っている時点で惨めなのに、惨めが可視化されることに耐えられなかった。
もちろん母の実家住まいという時点で大人からはお察しではあるが、子どもの狭いコミュニティでは名字が変わったことが決定打となる。
そしてこれは完全に子ども特有の理不尽なわがままなので理解し難いかもしれないが聞いて欲しい。
この時私は母に名字を旧姓に戻したい理由を述べて説得して欲しかったのだ。
悩んでいるが故に父のことしか見ていなかった母がやっとこちらを向いてくれるようになった。やっとかまってもらえる。うれしい。そういう気持ちだった。
しかし、共依存でハラスメントを受けやすい人間特有の自分の意志のなさで母はすんなりOKしてしまった。
(のちにわかることだが母は重要な決断を他人に仰ぎ、何か不都合なことが起こると他人のせいにするという女だった)
話は最初に戻る。
ねほりんぱほりんに出演していた女性は子どもの「離婚して欲しくない」という言葉に動揺しているようだがはたしてそれは子どもたちの本心なのか。
この場合、子どもの言葉を理由に楽な方へズルズルと行き離婚しないまま生涯を過ごすのかも知れない。わからない。
(楽な方というのは離婚は疲れるのでダメになっている人ほど決断できないという意味で使った)
もし同じように離婚しないで欲しいと言われている人がいたら、子どもの言葉を鵜呑みにするのではなくいま一度自分の頭で考え客観的な判断を下して欲しい。
そしてまた、あらゆる不安に苛まれ打ち明けられる人もおらず、言語化もできない子どもがかつて存在したことをできれば忘れないで欲しい。
以下は余談。
父の苗字は画数が多い上に書きづらい。私の名前は父が考えたものでやはり画数がとても多い。あれから30年近く経つが何かにサインをするたびに父のこと、受けた暴力、離婚後の貧困生活などを思い出す。
母は「あんたたちが苗字変えたくないって言うから変えなかったのよ、お母さんは変えたかったのに」と未だに何度も吐き捨てるように言う。
姉との仲は悪くなくごく普通といった関係だ。だが当時も、大人になった今も父の暴力や離婚後のつらさについて考えを分かち合ったことはない。
父が家で暴れ母に部屋に戻りなさいと言われ、二人で一枚の布団をかぶり息を殺していた時も私たちは何も話さなかった。
子どもの頃はクラス名簿に住所・電話番号と並んで両親の名前も書いて配られていた時代で「片親」(という言葉が当時あった)と面と向かって言われることもあった。
父が兄からの暴力で硬膜外血腫になり救急車で運ばれ、そのまま手術、入院したのを機に
両親が地域包括支援センターに虐待事案として保護される形で兄と隔離。
そのまま兄に所在を知らせないまま夜逃げ状態で老人ホームに引越した。
(貴重品やら何やらは火事で燃えたと思って諦めろと言われ、取りに行けず終い)
(精神保健福祉士が週1、2回様子を見に行っている)
うちは増田の家みたいに財産やら名士としての立場はなかったから
それでもなかなか踏み切れず、父は入院してもなお地域包括支援センターの介入を嫌がっていたほどだ。
失うものがうちより多い増田親がなかなか覚悟を決められないのも分かる。
また別居しているせいで、地獄が日常化していない分危機感も薄いのかもしれない。
でもはっきり言って共依存状態の増田家族だけで解決するのは絶対無理。
警察や行政は何もしてくれないと言うが、全てを捨てる覚悟がなければ警察も行政も動きようがないのではないだろうか。
そして姉を助けているようで、結局増田親は姉の自立の芽を片っ端から摘んでいる。
とにかくまず増田が実家管轄の地域包括支援センターに行って相談してみよう(姉管轄の自立支援センターではなく)。
老人への虐待事案として地域包括支援センターが介入していると分かると関係機関の対応もだいぶ違う。
何度も呼べば警察の認識も変わるし、増田姉への抑止力にもなる。
できればセコムなどの緊急通報サービスに加入しよう(通報が間に合わない事態回避のため)。
増田姉が暴れて多少なりとも増田親が怪我をしたら、親を大袈裟でも入院させよう。
そして姉には面会制限をつけよう(夜逃げの算段をする物理的時間的余裕ができる)。
そして多くの親は覚悟を決められず地獄から抜け出せずにいるから。
そういう事例を地域包括支援センターは多く扱っていて、解決のノウハウも持っているから。
22歳になって、初めて彼氏ができた。
ずっと好いてくれていたその人の気持ちを受け取ってみたい。そう思ったからだ。
もとより私は「好き」を理解していない。いやそもそも、「好き」は自分で定義しなければならなかったのではないか、と気付いたのは半年くらい前だ。人はみんないつ定義したのだろう。いつその気持ちを「好き」だと認めたのだろう。一体何が違うのだろう。未だにわかってはいないのだ。
こんな私でもちゃんと恋人らしいスキンシップからもちろん性行為まで、やってきた。求められれば嬉しいし、甘えさせてくれるのは幸せだし。人に触れていられること、温もりを感じられること。それらは安心することだった。
そもそも私はこの彼氏に対して、執着心を持っていた。「別にずっと連絡を取っていなくてもいいから、ただ貴方はそこに存在してくれ。その存在を感じることができればそれでいいから」表現するとこんな感じ。今考えても頭がおかしい。「貴女の前から立ち去ります」との連絡を受けた時に死ぬほど泣いてから、まだ1年も経ってないのかと思うと時間ってゆっくりだなと思う。まあ初めてのことを経験しているから当たり前の感覚なのだけれど。
とまあ、こんな状況で付き合ってはいる。貴方が消えたら私は生きていけない、なんて気持ちは今でも多分残ってる。ただの共依存だ、そう言われればそう。否定はしない。でもきっと、私に、私だけの、私のための愛情を注ぎ続けてくれるだろうと感じたのはこの人だったんだ。
まだ付き合って日は浅いけど、今までたくさん見てきたし聞いてきた。お互いのこと、お互いがたくさん理解している。こんな人そうそういないだろうなと思いながら、わたしは付き合っている。
何度も終わらせた私が言えることじゃない。でも、終わるのがこわいよ。
それはもちろん、実はろくに医療してなっかったとか、ヒンドゥー教徒を勝手にキリスト教に改宗させたとか、そういう理由もあるけど、
インド人は自立できない憐れな民族で、白人の援助がなければ何もできない、というイメージをインド人や世界に植え付けたから
「非白人が社会変革に取り組んでいても、メディアは白人の支援者や指導者を見つけようとします。言うなれば、非白人の俳優に舞台の袖から指示を飛ばしている白人を探そうとします。」以下のwikiより
アフガン人はどうなんだろう。感謝してた人もいるけど、自立してアフガン人として誇りと持ちたかった。
それをクールジャパンに持ってかれたって悔しい気持ちの人もいたんじゃないのかな。
共依存的だったのかな?
https://www.huffingtonpost.jp/krithika-varagur/mother-teresa-was-no-saint_b_9658658.html
こういうのは、もうやめてほしいです。。— magdalena (@waitingformagda) November 16, 2019
連載中止希望😅共依存未成年搾取漫画キモすぎ。ジャパンやな〜— 桃(タオ) みき (@hellotaomiki) November 16, 2019
この作品を連載する自由はあると思いますが、これを未成年やフィクションと現実の区別がつかない人に見られる場で連載する自由はあってはならないと思います。— シキ (@ssikki_00) November 16, 2019
いくら中年男に買ってもらいたいからって
いくら綺麗に書いたからって
女の子を使って中年男を慰めるの止めてよ…
モーニング読んでるオッサン要注意だわ— (ΦωΦ) (@printlnhogehoge) November 16, 2019
吐き出そうにも吐き出せない内容なのでここに。
別れてから久々に連絡をとったところ、元カノに新しい彼氏が出来たと言うので色々聞いてみると、どうにもモラハラ彼氏っぽかった。
例えば
・一緒にいない時にあったことは全て報告(しないと怒る)
・SNSや家族との連絡を取ると機嫌が悪くなる(なので取らなくなってしまう)
・機嫌が悪いと一緒にいる時は常に罵倒し、超長文LINEを送りまくる
・外では怒らないが部屋で二人きりになるとキレる
などなど挙げるだけでこっちの気分が悪くなってくるものばかり。
今年の9月に元カノから彼氏と揉めてる旨の相談を受けて、それってモラハラじゃね?と言うとまさにドンピシャ。
最後のチャンスとしてモラハラと分かった上でもう少し付き合うとのこと。
今回の揉め事は腹がたつけど私にも落ち度はあったし、自分がダメなところを直せば元通り付き合えるのではとの甘い回答が。
この時から非常に嫌な予感はしていたものの今や単なる友人なので引き止めることもできず。
そして次に連絡がきたのは今月だった。
近況報告と現状が送られてきたのだがどうにも様子がおかしい・・。
その上もとから痩せ型のくせに体重も数ヶ月で10%以上激減していた。
さらに驚いたのは以前は相手のここが腹立つと言っていたことを聞いても全て自分が悪いと言い出す始末。
尋常じゃないぐらいに相手ではなく「私が〜だから悪い」と返してくる。
ただし、今の相手と付き合っていることがダメで別れないといけない、でも別れられないとは言っていた。
自分でも異常だと気付いているし共依存だから最悪だ、とも漏らしていた。
体重も減りすぎているし、いよいよマズイと思ったので俺が自腹で心理カウンセラーへ相談に行った。
もちろん俺の自腹である(1回1万円)
この2ヶ月の間に恐怖と安心を交互に与え続けることで元カノは洗脳されつつあるのではとのことだった。
体重の減少が著しくこのまま放置するのは危険では、とのことでダメ元で元カノの母親に連絡をとった。
奇跡的に連絡先は変わっておらず何とか元カノの現状を伝えることに成功したが、
娘とは連絡をとっておらずそんな状況とは知らなかったようなので父親にも話をして対応してみる、と返事が来た。
その翌日に元カノから連絡が来なくなるのと同時に母親から連絡がくるようになった。
どうにも元カノとモラ彼が喧嘩をしており、家族からとても心配されまくったことを受けて、
迷惑をかけてばかりいられないから元カノが彼氏の元を離れてくると家族に言ってきたそうである。
急展開すぎて脳みそが追いつかなくなりそうになったが、母親に娘さんをよろしくお願いしますと伝えた。
すると「これまでの恨みつらみを最後にぶつけてきて別れると言ってる」との返信があった。
モラハラについて詳しく調べまくってた俺は最後の別れのハードルの高さを知っていたので、
付き添いをつけること、もしくは彼の部屋以外で話をつけることを提案した。
ただこの提案は本人まで届かず母親止まりとなってしまった・・。
その晩、父親が吉祥寺まで迎えに行ったものの彼氏が離してくれないと父親に連絡が・・。
父親が今日は連れて帰るからと伝え解放を要求。この日はなんとか解放され、父親と自分の一人暮らしの部屋に帰れたようだった。
しかしその翌日から母親-元カノ間で連絡が付かなくなったらしく、理由を聞いたところどうにも元カノを批判してしまったらしい。
元カノが戻ってくる前に再三否定したり責めたりしないでくれと言ったのだがやはり無駄だった。
母親の方は前から自分の言いたいことを言えればそれでいいタイプだったので災いしてしまった。
ほぼ100%元彼から連絡は来ているはずなので、いよいよマズイと思い父親にも意を決して連絡してみた。
父親の言葉がキッカケで今回の別れを決意していたので、父親のサポートがあれば離れられると思ったからだ。
なんと父が言うには娘は
「娘とは話をして彼にも私にも悪いところはあるから直さないといけない」
と娘が言っており、モラハラ行為を受けていたことは一切聞いていないと言うのだ。
それどころか事前に聞いていた話より全然マシだし、無理矢理帰らせるほどのことではなかったと言い、
極め付けには「君の考えすぎではないか?もう少し落ち着けよ。娘に変に連絡するな。」とありがたいお言葉を頂戴するに至ったのである。
俺は父親から不信感を抱かれることとなり、正直完全に詰んでしまった感が否めない。
そして次の最悪な展開が読めてしまっている。
4.様々な症状を抱えてようやく離別
俺の予想はよく外れるからここに書くことで外れて欲しい。
本当にこうなってしまったらいよいよ俺の心がへし折れるだけならいいけど、
元カノが今以上に不幸になることだけは避けたい。
月曜は10km, 火曜は4km, 水曜は3km走ったけど記録取ってなかった。数値も残してないので、今日の分だけ書く。
フロントプルダウン 62-47-32 kg 10回ずつ1セット
消費: 856 kcal
20話あたりから完全に百鬼丸とどろろの関係性が共依存系のDV彼氏と彼女みたいになってきた。
体重は明らかに減った。脂肪も減ってるはずなんだけど、それ以上に筋肉量が減ってるなあ。タンパク質の摂取量が圧倒的に減ってるので当然と言えば当然なんだけど、特別に筋力が落ちた気はしない。ダイエット開始直後の数値は色々信用しない方がいい(特に糖質制限系は)し、このまま経過観察していこう。
ヒットしたら、pixivにエッチイラストがアップされると思うのでありがちなシチュエーションを予想しておく。
河野…自信をなくした時に、同級生の男子に励まされックス。又は共依存ックス。
立川…リーダーの彼氏を寝取るが本当に好きなのはリーダーだったックス、
桜…大乱交アメリカンパーティーックス。またはYouTubeで配信ックス。
丸山あかね…クソ男子大学生3人に酔わされてめちゃくちゃに凌辱されてしまう(可哀想なので抜けない)
神木…鳥が好き(俺も鳥好き)
ジュン…幼馴染の男の部屋で遊んでる時に「お前の事、女として見れねーw」とか言われて涙目になりながらベッドに押し倒してチューして最後は笑顔ックス。