妙にスカイプ(今はディスコードになったが)で通話したがる旧友がいる。
まぁその通話の面白くないこと。私が微塵も興味のないゲームだとかアニメだとかの話をしてくる。私もオタクだが、好む作品が違う。奴はそのことにも気づいていないかもしれない。
たまに「なんか黙ってない?」などと言われることもある。そりゃあまったく知らないゲームの話なんてされても困る。お前はアイスボーンに熱中してるかもしれないが、俺はPS4すら持っていない。
話題を振れ、ということかもしれない。ただ向こうから私に話したいことはあるのかもしれないが、こちらからは何もない。
この間は疲れてるから今日の通話はやめてくれと言った。「なら愚痴でも聴くよ」と言われたものだから、まぁそれならと思い通話してみた。が、愚痴すら話す気にならなかったことに自分で驚いた。愚痴もある程度気を許してないと言えないなんてことが昔読んだ小説に書いていたのを思い出した。
友情が終わったのかもしれない。いつの間にか「いっしょに通話している」という意識が「あいつのために通話してやってる」と思うようになっていた。なにも楽しくない。
けど、なぜ通話したがるのかと考えればそりゃ寂しいからなんだろう。あそこまでコミュニケーションが下手ならば、友人がいないなんていうのも十分考えられる。それを思うと、俺がいなくなるとあいつはどうなるのかなどと考え込んでしまう。クズ男と別れられない真面目女なんてフィクションだと思っていた。
そもそもあいつに友人がいようがいまいが「お前との友情は終わった」とハッキリ言う勇気もない。俺自身が友情を引きずっているからそうなのか、単にヘタレだからそうなのか。
今日も通話がかかってきた。相槌すら打たないこともあるというのに、あいつは何を求めて通話してくるのだろう。なぜ俺は通話を切らないのだろう。そんなことを思いながら、あいつの言葉を聞き流していた。
うんち
案外共依存なのでは。元増田もその友人がいなくなったら寂しいんじゃないの?