はてなキーワード: マオとは
しょうがないな、俺様がお前に昔からある正当派のあたまのおかしくない料理漫画を紹介してやるよ。
というのは以前のシリーズとだいたい同じではあるんですが、前は炒飯を投石機で投擲するくらいだったのですが最近は本当に不老不死になっちゃったりとか、マオシン師父が寿司を握ってしまったりとさらに高みを目指しているところではある。
一応時代的に寿司があってもおかしくはないという謎に細やかなところも注目だ。
というわけで寿エンパイア!
序盤は同作者の過去作バンビーノと同様に若き才能あふれる寿司職人である主人公が名店で苦労する・・・というような内容だがコンテスト編で自分の出生の秘密とかを探りはじめたあたりから様子がおかしくなる。
ミステリアスな天才寿司職人と対決するうちにその男が実は江戸時代から生き続ける寿司漫画界の鬼舞辻無惨だということが明らかに!
さあどうする!
料理喰ったら不老不死になるくらい普通じゃね・・・なんかこないだやってたドラマでも歯がはえたりしてたよ?とかいう?ならタイムスリップだ!
天才料理人ケンが織田信長の元にタイムスリップ!多彩な料理知識と歴史知識をもとに無双する!
当初はなんか結構気を遣って歴史を変えないようにとか考えていた節があったけど、長期連載となることで現代への帰還をあきらめ現地の女と結婚したり、積極的に歴史改変に動くなど斬新な内容に。連載追ってない私がいうのもなんですが遂に完結したらしいのでその結末をお前も確かめろ!
はてなで久々にアレな躍動が見られている。
かつての日本にはこういう
みたいな人々が相当のボリュームで棲息していた。
彼等はもう一番若くてアラフィフで上は棺桶や後期高齢者で絶滅する種族だから
若い人のために「こういう生物がかつて日本に居ました」と言うことを書き残しておきたい。
元増田読んでも「何を言いたいのかよくわかんないな、なんだこれ」と思ったはず。
翻訳するとこれが伝えたいのはジャップがこんなに海外で嫌われてるぞザマーミロってことなのね。
昔はこういうのでボルテージ上がる「左翼」とか「良識派」とかいう日本人が大量に居た。
彼等はとにかく日本と日本人に敵意を持っていて、日本や日本人を馬鹿にしたり貶めたりする情報があると嬉しくてたまらなくなる人達だった。
その成り立ちとしては
戦後の「進歩思想」とか「良識」というかいうものの薄っぺらさと貧しさなんだけど、
彼等はあらゆる悪いことの根を日本に求めたわけ。
左翼が「反戦」て言いながら戦争からかなり遠い仕組みの日本ばかり叩いて
日本よりはるかに戦争が出来る中国とか北朝鮮とかロシアとかを批判しないのは何故か?
中国が日本の領海を侵犯すれば日本を「軍国主義!」と非難するような行動パターンが出来上がっていった。
元増田もそういう日本人叩きの具に供するべくニチャアって顔で書いたんだけど
「は…?普通に差別では?」「そのホスト大丈夫?」「てか斡旋してる奴等も大丈夫?」 と言う意見が多数派になってしまい
ブックマークでも「今度こそジャップ叩きが出来る!」って感じで盛り上がってるんだけど
a_dogs 何が答え合わせって、反発してる人含めて日本人男子留学生がこんなひどい態度とるわけないって意見がほぼほぼないとこ
もしも「朝晩騒音出しながら礼拝をした」「隣家の犬を煮て食った」ぐらいまで言われれば「それは日本人はやらない気がする」と言えるけど、
「家事を手伝わなかった」とか「ホストを叩き起こして早朝に牛乳を買いに行かせた」とか言われたって
「ん…?それは日本人からしても相当非常識な行動なんだけど『そんなことする奴いるわけない』とまでは言えないな」って話でしょ?
友達でもなんでもない同じ日本人ってだけの留学生が何するかなんかわからないから
「そういう奴がいた」って主張に反論する手立てはない。
つうかそもそも「そういう奴がいた」自体が何の根拠も示されないTwitter発掘の転載伝聞だぜ?
その当時締め上げられた可哀想な朝鮮人でも「俺はそんなことやってない」っていうのが精いっぱいで「朝鮮人はそんなことやらない」とは言えないだろ。
同じ朝鮮人ってだけの他の奴のことなんか知らんし。冷静に誠実に答えるほどそうなる。
そしたら噴き上がって
「あー!こいつ「朝鮮人はそんなことやらない」とは言わないみたいだ!やっぱり朝鮮人ってそういう奴等なんだな!」って言ってる感じなわけよ。
反論する方法も反論する意味もないただの卑劣な言い掛かりなんだよね。
(ていうかTwitterでもそうだが「答え合わせ」とか言ってる奴だいたい非論理的なバカじゃね?
これもね。
いやいやいや、
「本当にそういうデータがあるなら」
ちょっと落ち着いて考えるだけで言ってることが1から10までおかしいでしょ?この人。
オッサマオバサマ世代はてなブックマークで「ホームステイ先では気を付けよう」ってやる意味は何?
(このブクマを書いた人や☆つけてる人達の本当の動機・内在的な欲望はなんだろう?って考えながらこの先を読んで欲しい)
そもそもだけど
よその国の人間に比べて日本人のマナーが良いとか悪いとかはデータが無ければ何も言えない。
そして元の話が、身元も動機も怪しい奴がTwitterで採取した(笑)という何のソースも提示されない話なので
こんなもんそもそも事実確認すらしようもないんだけど「いいから反省しろ!」「素直に!」ってくるわけ。
これが手ね。
要するにここでの狙いはこの未確認日本人ヘイト情報を事実と確定させることなわけ。
反省させてしまえば「ソースはTwitter」でも「ソースは吉田清治」でもどうでもよくなるわけ。
「いいからとりあえず反省しろ」&「反省したってことは認めたはずだろう」のセット戦法。
こういうことをある種の「良識的日本人」は本当に数十年連綿延々とやってきたわけ。
だから先ほどの設問の答えも
日本人は不道徳な恥ずかしい民族だと認めさせたいこそが真の動機・内在的欲望であった」
ということ。
(ていうかリアルでもそうだが他者に向かって「素直になれ」とか言ってる奴だいたいヤベー奴じゃね?
自分の好む通りの行動を「素直」「常識」、自分の気に食わない反応を「反発」「言い訳」と呼んでそう)
で、ある世代から上の良識的な方々が何故日本人ヘイトが好きなのかと言うと
これはものすごく楽なんだよね。
「全ての悪は日本から発する」「日本人は世界で一番軽蔑されている劣等」が基本ドグマだから、
それなりに豊かで快適な日本に住みながら日本人ヘイトしてるだけで良識に関する仕事をすべてクリアして、
世界やこの世が直面するあらゆる困難にも対処出来ていることになるわけ。
要するに太い実家で部屋住みやってる坊ちゃん嬢ちゃんみたいなものだから。
常に自分の家や親に不平を鳴らして、それだけ言ってれば現実対処の仕事が終わり。
家の外の悪や悪意は徹底的に見ないことにして全部自分の家と親に文句を言う。
近所のたち悪い大人とトラブルがあれば、むしろ心情はそちらに加担して一緒に自分の親を非難する。その方が怖いことが無い。
世界とかこの世とかのあらゆることを憂うにあたって日本を叩いて蔑んでいれば仕事が完結する。
これは人生が楽。
戦後知識人というのの大半はこの信じられないほど単純なパラダイムをベースにしてて
人生の全ての思索を太い実家の子供部屋で過ごしたとっちゃん坊や老人なわけ。
そしてその影響下にある良識的市民も同じ認知・思考パターン持ってる。
(蔑んでる一方で誇大妄想愛国者並みに日本という存在やその知名度・影響力を大きく見ていたりする。
その精神世界の全てを日本(家・親)が占めてるってとこも不自由ない家の中学生と共通してるよね)
ここでやってる一連のことを、
特定国籍の人の個別の悪行を拾い集めてパッチワークして「韓国人は~」「ベトナム人は~」ってやるの、
建設性のないヘイトやレイシズムとしてしか機能しないことはわかるでしょ。
どういう方向性のどういう素性の人物が言ってるのかの確認も無し、
どういう方向性のどういう素性の人物がまとめたのかの確認も無し。
これで「韓国人ってホームステイで避けられてるみたい(ニヤニヤ)」「ベトナム人は素直に反省しなよ(ハァ~ア)」って言ってたら
〇〇人が何人でも同じことじゃない?
これを日本人相手ならバレない咎められないって思ってずっとやってきたのが戦後良識派で、
段々と反日常識を共有しない世代から普通に咎められるようになって、吠え面かきながら大分アップデートしてきたり死んで減ったりしてきたけど、
まだ「突如怪しげな根拠で日本人を蔑み反省を求める」という発作は残ってるわけ。生態的にも世代的にも。
(はてブでもかつては「ジャップは~」みたいな差別ワード丸出しで居直る直球レイシストが沢山いたんだけど
同じ利用者から窘められたり議論挑まれたりして顔真っ赤になって消えたり言葉遣いを改めたりしてきた。)
見てきたようにこれは建設的な批判とか論理的なクリティークとは別物の、ただの感情的な発作でありヘイトだからね。
有害無益だから気軽に同調してはいけないし看過もしてはいけない。
海外在住時に知り合いの日本人女が売春してたなんて人は「いる」だろうし、
海外旅行中に近くの町で日本人女が売春してるって話を聞いたなんて人はもっと「いる」だろうし、
更にTwitterでそういうワードで検索すればそういうtweetしてる人は一定数「いる」さ。
でもそういう話ばっかり集めて「日本人女はフシダラ」「海外では日本人女=売春婦」って言ってる奴いたらどう?しかもなんか嬉しそうなの。
単に日本女を蔑みたいヤベー奴なんだなって直感的にわかるでしょ?
それで更に
「誰も否定しない!答え合わせ!」とか「日本人女はどうして素直に反省出来ないの?」って言ってたらどう?
おっキチガイやんけと思うでしょ?
そもそも大多数の売春したこともない女や海外行ったこともない女が
結局こんなレベルのどうしようもないヘイト言説を延々やってるだけなのよこのタイプの良識派は。
こういう実態的にただの言い掛かりやヘイトでしかないことを延々やりながら「自分は良識派である」と任じる人が現実に居て、
日本では特に戦後のあれこれと絡めてアラフィフオーバー世代にいっぱいいます
と言う話でした。
もうすぐ勝手に片付く奴等だから若い人たちのこれからにはあんま関係ないけどね。
生き残りがヘイト娯楽やろうとしてたら遠慮なくぶちのめしていこうね、意義のあることなんか何も言ってないから。
おしまい。
anond:20221001090653の続きのようなもの。
南島原市・西有家町では「みそ五郎」という名前のキャラクターを見かけた。これは、町民・市民がゼロから生み出した存在ではなく、この地に伝わる民話に登場する人物である。
1980年代の旧・西有家町時代から、地元の有志の人々が地域興しのシンボルとして用い始めたとのことである。したがって、近年の日本各地における「ゆるキャラ」の乱立・流行とは無関係であるが、その流行が少しは追い風になったのかもしれない。今では、役場に像が設置されたり、地域特産品のパッケージにイラストがあしらわれるなど、みそ五郎は各方面で活躍している様子である。
以前、日本テレビの番組『TOKIOのザ!鉄腕!DASH!!』で、ソーラー発電パネルを搭載したカスタム軽自動車に乗り込み、日本全国の海岸線沿い道路を走破するという企画に挑戦していたことがある。その中で、TOKIOが西有家町を通過した際には、番組内VTRでも全国に紹介されたそうである。その番組を見た記憶が有るという人も、存在するかもしれない。
味噌が大好物とされる。里の者から味噌をもらえば、御返しに、巨体と怪力を活かして力仕事などを手伝ってくれたという。
また、高岩山(たかいわさん)に腰掛けて有明海で顔を洗ったとか、対岸の肥後(熊本)・天草まで一足で跳躍して有明海を越えて渡ったという巨体ぶりも語られる。
住処とされた高岩山には、今でも、みそ五郎の足跡を残していると言われる岩石が存在する。
みそ五郎は、妖怪呼ばわりされている訳では無いが、水木しげる等の著した様々な妖怪関連書籍で紹介される山中の妖怪ヤマオトコや、日本各地に存在するダイダラボッチを筆頭とした巨人伝説との共通点・類似点を持つ。
ヤマオトコも、みそ五郎やダイダラボッチほどではないが巨人であり、酒が大好物とされ、人間から酒をもらえば返礼に杣人(そまびと)らの力仕事などを手伝ってくれるという、温和な妖怪である。味噌と酒という違いはあるが、みそ五郎もヤマオトコも、共に発酵食品を好むとされる点が興味深い。
海を一息に越えるとか一跨ぎにするとか、山に腰掛けて海で顔や手足を洗うというのは、これは巨人伝説においては、巨大さを表現するための常套手段である。竹原春泉斎の挿絵で名高い『絵本百物語(桃山人夜話)』に登場する、讃岐の手洗い鬼が瀬戸内海を跨いで手を洗った話など、様々な類話が知られている。
このように見ると、みそ五郎は孤立した存在ではなく、日本各地で広く見られる、山中の温和な妖怪や、巨人型妖怪の系譜に連なることが分かる。
みそ五郎に何らかの独自性を感じるとすれば、まずは彼の好物である味噌なのであろうが、むしろ私は、呼び名である「みそ五郎」そのものに興味をそそられた。
何故「みそ『五郎』」なのだろうか? そう考えたのである。単に「味噌が好物の(大)男」というのであれば、別に「みそ太郎」でも「みそ彦」でも「みそ兵衛」でも構わないはずではないか。
みそ五郎が、有明海を飛び越えて肥後・天草に向かったのに倣い、私も同じ九州の他県へと(想像の中で)跳躍してみることにする。そうすると直ぐに、南九州の宮崎県・鹿児島県に伝わる巨人「大人弥五郎(おおひとやごろう)」の伝説を見出す。奇しくも「五郎」の名を持つことに、注目してもよいであろう。
大人弥五郎の伝説は、怪力で里人を助けてくれたり、山に腰掛けて海で顔を洗うといった、みそ五郎その他の巨人・妖怪と類似するものである。みそ五郎と異なる点としては、好物が明確でない点、特に山を根城としているとは明言されていない点、軽い悪さやイタズラをして里人を困らせるといったトリックスター的なエピソードを持つ点などが挙げられる。
有明海を挟んで「五郎」の名を共有する巨人が存在するのは、海を経由したにせよ陸地を経由したにせよ、島原半島と南九州との間に、人的及び文化的な交流があったことの名残であろう。
他に「五郎」の名前が関係する九州の伝説や民話といえば、これは巨人・妖怪ではないものの、大分県に伝わる「炭焼小五郎(すみやきこごろう)」が思い浮かぶ。これは、豊後の山中で炭焼の仕事をして暮らす善人の小五郎が、顔にアザの有る姫と結ばれ、最終的に金山の所有者となり、姫の顔のアザも消え、幸せな長者夫婦となるという筋書きである。
金に限らず、山で採掘された金属の精錬のプロセスには熔鉱炉が付き物であり、それには炭が不可欠である。炭焼小五郎の伝説は、山での金属生産に従事した、山の民の存在を我々現代人に伝えるものである。
みそ五郎、ヤマオトコも、炭焼小五郎のように山を生活や仕事の場としていた山の民の姿を反映しているのであろう。味噌・酒など彼らの好物である発酵食品をもらった返礼に、力仕事を手伝うという物語は、山の民と下界の農耕民との交易を反映したものなのだろう。
九州以外の地域も広く探せば、日本各地で更に「五郎」の名を持つ巨人や妖怪、伝説上の人物を発見できる可能性はある。しかし、何故「五郎」なのかについての手掛かりは、今のところ無さそうである。
そこで、少し外に目を向けてみようと思う。中国の書物『聊斎志異』『獪園』『劇説』などに名の見える怪異に「五通(ごつう)」というものがある。
これは、蘇州の方面に横行したとされる、五人一組の好色財神である。夜毎、人間の女性のもとへ通っては犯すという。言うことを聞けば人間に財貨を与えるが、逆らえば害をなすともいう。体格偉大とされ、別名として「五郎(ごろう)」とも呼ばれる。(参考:実吉達郎『中国妖怪人物事典』講談社)
体格が大きく、名前が「五郎」という点に、我が国の巨人・妖怪「五郎」との関係を想像せずにはいられない。女性に手を出すところや、人間に害を与えもすれば福を齎しもするという両面性は、大人弥五郎の人助けも悪戯もするトリックスター性に通じるところがある。
今のところ、中国の「五通」が我が国の「五郎」の起源となった、或いは、影響を与えたという確証は無い。無いのだが、可能性は有ると思っている。有った方が面白いからである。とはいえ、もう少し調べるべきであろう。