はてなキーワード: ホットミルクとは
同じような状態に陥ることが多々ある。頭がずっと冴えないみたいな。どうやったら脱出できるのかは、模索中。
元増田がその状態に対して、焦りや不安や罪悪感や苛立ちや面倒臭さがごちゃまぜになった気持ちが湧いているなら、自分でよくやる対処法をおいていくので、良ければ参考に。
・すこしでもできたことを頭の中でじぶんを超褒める。米がたけたら超すごい。これでめし代がういたぜ!って褒める。陳腐でも良い。トイレに行けた!っていうので褒めたっていい。
・おかしな自動思考が湧いてないか自覚する。湧いているなら頭の中でワードを連想させないこと、残さないこと。(自分は希死念慮がよく湧いてくるので、鼻から単語を出すイメージをして散らしてる)
・罪悪感をかんじないように開き直る。
・不安が強いときは、ホットミルクを飲むこと、ゆーーっくりと息を吐くこと(※吸うのは通常でもよい)、ホットアイマスクをつけること
・シャワーをざっと浴びる(面倒だろうから洗わなくて良い。浴びるだけ)
・寝たまんまヨガは良い
・なんらかの強い刺激を得ること。難関。「なんらかの」が割とない。自分は仕事だけれど、仕事は強烈なストレスに長時間晒されるから本当は起爆剤にはしたくないなと思ってる。ストレスから動き出せるときもあるけれど、ショック療法みたいなもんだし、微妙かも。
・休むんだと思って横になること
できないときも多々あるけれど。ぜんぶ馬鹿馬鹿しく感じるときとか、やらなきゃとおもってもほかにきになることがあって全然集中できないとか。
置いといた対処法は何かを面白く感じられるレベルにまでは多分達せない。
すこしだけ気分が落ち着く程度かと思う。
ホットミルクに張る膜ならおいしいけど…
『COMIC LO』『COMIC快楽天』『COMIC快楽天ビースト』『コミックメガストアα』『ANGEL CLUB』『BugBug (バグバグ)』『COMIC失楽天』『COMIC HOT MILK (ホットミルク)』『COMIC 夢幻転生』『COMIC阿吽』『COMIC華漫』『COMIC真激』『MEN’S GOLD (メンズゴールド)』『TECH GIAN(テックジャイアン)』『アクション・ピザッツ』『アクションピザッツDX』『ゲッチュ』『コミックアンリアル』『ペンギンクラブ』『ペンギンクラブ山賊版』『まんがシャワー』『メガストア』『ヤングコミックチェリー』『人妻本当にあった Hな話』『二次元ドリームマガジン』『魔翔』『漫画ボン』『漫画ローレンス』『comicキャンドール』『Comicバズーカ』『G-type(ジータイプ)』『Men’s Young(メンズヤング)』『PUSH!!』『アクションピザッツスペシャル』『コミック戦国無頼』『ドキッ!』『ドキュメント実録 ! 人妻姦熟コミック』『愛の体験スペシャルデラックス』『増刊 コミックメイト』
昔ながらの劇画誌っぽい物を除いたオタ向けだけで30誌以上ある。雑誌コードではなくアンソロ形式なども含めれば、さらに膨大な数になるだろう。
30年以上オタクをやってるじじいの昔話をすると、1990年代当時はここまで多くなかったはずだ。1980年代はもっと少なく、ことオタ向けとなると『レモンピープル』とか、同時に10誌もなかった(よく休刊して入れかわった)
そんな80年代当時のオタは『レモンピープル』がコンビニで売られる事態なんて考えてもなかったろうし、そうなって欲しいと希望してたとも思えない。
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1990年ごろになるとオタ向けエロ漫画誌も数が増えてコンビニでも売られるようになり、目立つようになって、遊人だの山本直樹の作品がやり玉に挙がるようになった。
このころから「ここでエロ漫画規制を容認すれば、日本は表現の自由がない言論弾圧国家になるぞ!!」と力説する者は多かった、今はなき米沢嘉博(初代コミックマーケット主催)とか。当時からその手の連中は、自分らを強権力に対するレジスタンスに見立てて自己陶酔してるような反体制きどり臭が鼻についたものだった。
しかしそれから約30年、本当に日本は表現の自由がない言論弾圧国家になったの? いつまで経っても、朝日新聞と産経新聞どっちも廃刊させられてないじゃん(ネット上で一個人が別の一個人の発言に噛みつくことは「弾圧」ではないですよ)
当時と今の変化と言えば成年コミックマークが導入されて、「建前上」漫画にも18禁が導入されたぐらいじゃね。18禁コードは昔から映画にもビデオにもあった、漫画にも導入された一点で「言論弾圧時代の始まり」と言うのは論理の飛躍としか思えない。
成年コミックマークの導入直後は、エロ漫画業界縮小を本気で恐れる者は多かったけど、結局そんなことは起きなかったのは冒頭のリストの通り。エロ漫画誌が都の条例とかに引っかかって休刊したが、同じ編集部が新雑誌を創刊(ようは誌名変更)して、問題視された作品が平然と連載を続けたケースもめずらしくない。
そういや1980年代当時は、メロンブックスやとらあなみたいに「市井の個人が作ったエロ同人誌を町中で買える書店」もなかった。イベント行くか雑誌の通販欄に頼るしかなかった。この点でも今のほうがよほどいい時代になったもんだと思う。
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表現の中身はどうか? 1990年代以降、実写ヌードじゃ陰毛がはっきり見える写真集がOKになった、この点なんかむしろ表現規制が解除されてるじゃん。
80年代当時のオタ向けエロ漫画は今よりずっと修正がきびしく、男女とも股間は広範囲にわたってべったり黒塗りでまったく何が描かれているのかわからん場合が少なくなかった。そもそも性器を精密に描くような絵柄も少なくなかった。
ところが、現在流通しているエロ漫画誌を見れば、ちんちんもおまんまんもリアルに描いたうえで、うっすらスクリーントーンを貼っただけという場合が平然とごろごろある。ジャンルの幅も、ロリ専門誌、ショタ専門誌、ファンタジー系専門とかずいぶん広がった。
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袋だたきを承知で書くが、表現規制反対派は、この30年ずっと「狼が来た」少年にしか見えない。じじいの実感としては、1980年代当時よりむしろ今のほうがずっとエロ漫画誌の刊行点数も増え、エロ表現はオープンになった気がしてならんのだ。
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つい先日も「ラノベの表紙」のエロ表現が問題になったが、叩いてる奴はほとんど、政治家でも権力者でもない市井のブロガー風情じゃないの。よほど政府与党の大臣が言い出せば実際に規制される可能性は高いだろうが、表現規制を言い立てるのは一部の左翼フェミニストだけで、国民の大多数が支持する長期政権の保守自民党はオタクの味方なんだろ?
要するに「エロ漫画表現規制は言論弾圧の危機だ!!」って騒いでる奴は、「今すぐ日本は中国みたいな左翼独裁国家になる!!」と言ってるのと同じようにしか思えない。そんなもん、まったくもって現実味が感じられないのだが。
戦後1980年代まで続いた冷戦時代、右派は何十年も「今すぐソ連のアカが攻めてくる攻めてくる!!」と言い続け、ついにその日は来なかった。左派は「今すぐ軍国主義復活だ!!」と言い続け、ついにその日は来なかった。冷戦体制崩壊後、右派は「中国経済崩壊」と言い続けてそろそろ30年になる……この手の予言が当たったことって何回あったっけ?
エロマンガ読み放題サービスのKomifloを2ヶ月利用してみた。
ほんとにすばらしいので広まってほしい。
第1 Komifloのここがいい
細かい部分で気になることはあるけれど、おおむね使いごごちは良好。表示もそこそこはやい。
2 クオリティが高い
快楽天・室楽天、ホットミルクなど有名所の雑誌ばかりなので全体的にクオリティが高い。
3 量が多い
月刊誌6誌+バックナンバーなので、毎日おかずにしても余裕で間に合う。
私は、気に入ったマンガを何度も読むので、最近は読むのが追いつかなくなってる。
めちゃエロいやん!ってエロマンガよんだあとに、みんな同じ気持ちだと知るとうれしい。
第2 Komifloのここが気になる
1 アプリがない
スマホでの利用がメインなので、使いやすいアプリがあると嬉しい。
2 サイトが発展途上
ブックマーク関連とか、あれ?って挙動することも。並び順記憶しなかったりとか。
商業かつ雑誌の特性上仕方ないっちゃしかたないんだけど、特殊性癖に対応してない。
アンリアルとか参戦してほしいなあ。ふたなりとか触手とか読みたい。
第3 まとめ
この間、エロのはてブがほしいってコメントあったんだけど、ランキングみれたりコメント見れたりって点で
少し近いものがある。単に読むだけじゃなくて、コミュニティとして発展していって欲しい。
エロマンガは長らく海賊版に悩まされてきているけど、それに対抗するにはよりよいサービスを提供するしかないと
個人的には考えている。Netflixが海賊版映画を駆逐したように。
昨日の夜遅く、なかなか会えない彼氏と2週間ぶりに会えることになった。
50kmくらい離れたところに住んでいて、私が電車で会いに行く。
最寄り駅で今度は彼の車に乗り、私の家まで送ってもらう。
ただ家へ送ってもらうだけのドライブなんだけど、会えない時はたまにやる。
お互い実家だし、忙しいし、昼間にどこかへデートなんて年に数回しかできない。当たり前に色んなところへ出かけてる世のカップルが羨ましくなったりもする。
だけど、ドライブしてくだらない話をするだけの時間が何より人生の励みになっていることを実感すると、生きていてよかったと思う。生きていればいいことがあるんだなとしみじみする。
深夜ドライブは何年も前からやっているけど、いつからかホットミルクティーが車のドリンクホルダーに置いてあるのが定番になってる。
昨日も、車に乗ると当たり前のようにミルクティーが置いてあって嬉しくなった。
私は特別ミルクティーが好きなわけではないのだけど、多分ドライブをはじめた頃まだコーヒーが飲めなくてミルクティーばかり飲んでいたからその頃の名残だと思う。
今では、ミルクティーを飲むのは車に乗るタイミングだけだからとても特別な飲み物のように感じて幸せに思う。
何も特別なことはしないけど、一緒にいるだけで幸せになれるから、やっぱりこの人のそばにいたい。
ないものねだりをして、悩んで苦しんでいたけど、会ったら元気が出た。
今週も頑張ろう。
8年悩んだ不眠がようやく良くなってきたので記録として書いてみようと思う。
前提として、あくまでこれはわたし自身の判断で行ったことで正式な治療法でもないのでへぇ〜くらいに思ってもらえれば。
眠剤飲んで眠れないって言ってる人、飲んだあと携帯触ったり布団に入ってなかったり部屋の電気がついてたりしない?
わたしもそうだったんだけど眠れね〜っつって寝る以外のことしてたら頭も冴えてきて気がつけば朝なんだよね。
まずは薬飲んだら寝ること以外のことやめてみませんか?
薬以外で体を動かすとかホットミルクを飲むとか色々言われてことごとく無理だったけど、正直これが一番効いた気がする。
はじめのうちは確かに難しいけれど一度癖がつくと布団入る、電気消す、何も考えず目を閉じる、十分経たずに寝る…というサイクルが身についた。
ちなみに三年くらい前から飲んでも眠れないという理由で薬は時々飲まない日もあった、今は全く飲んでいない。
ゆっくり治していこうな
最近、深夜に起きているとよく流れているCMがある。それがこちら。
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『キリン 午後の紅茶』「あいたいって、あたためたいだ。17冬」篇
https://www.youtube.com/watch?v=n2ii6Vyv5ME
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最初は何気なく聞き流していて、「きれいな声だな」とか「スピッツの曲だっけな」とか、ふわっとした感想しか持っていなかったのだけど、よくよくCMを見てみると妙な違和感を覚えた。何だかこう、脳裏がざわつく感じがしたというか。
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CMの流れとしては、以下の通りだ。
・夕暮れ時。田舎の駅で電車を降りた女子高生が、ホームの自販機で午後の紅茶(ホットミルクティー)を買う。そのまま帰り道を歩く。
・歌いながら帰り道を歩くうちに、星の見える夜になる。立ち止まって、空を見上げる。
・東京のどこか。高架を走る電車を見上げる、厚着の純朴そうな青年が映る。片手にはスーツケース。
・再び女子高生。星空の下のあぜ道でスピッツ「楓」のサビを歌い続ける。
・女子高生が鼻をすするカットの次には、青年が「会いたい」と呟くカット。
・「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーとともに、商品の大きな画像。ここでCMは終わる。
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シーズン的には「大学入学をきっかけに地元を出る青年と、彼を田舎から見守る女子高生」を示唆していると思う。「楓」のサビは「さよなら 君の声を 抱いて歩いていく」だが、映像からすれば「さよなら」して「抱いて歩いていく」と宣言しているのは女子高生だし、「君」のフレーズで映るのは東京に降り立った青年だ。とすれば、二人の境遇はそう考えるのが妥当だろう。
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CMの終盤、歌声だけがフェードアウトして「会いたい」と呟く青年の声に被さるくらいの勢いで「あいたいって、あたためたいだ」のキャッチコピーが続くことでノスタルジーを演出したいのだと思うのだけど、私はそう受け取ることができなかった。おそらく冒頭で述べた「違和感」のせいで。
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その違和感を簡潔にまとめるとすれば、「別に男だけが田舎から『外(敢えて都会とは言わない)』に出るわけじゃないじゃん?」ということになる。
※ここでは「女子高生は後輩であり、青年のほうが先に大学生になったのでは?」という単純な疑問はここでは置いておくとする。論点から逸れてややこしいから。
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何故そう思うかって、私自身が「田舎から『外』に出た女」だからだ。「外」に出て、もうすぐ3年ほどになる。
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私の出身はとある片田舎で、田んぼと畑と幹線道路に囲まれて育った。このCMに出てくるほどの田舎ではないが、まあたぶん「田舎」と形容して差し支えないだろう、くらいの田舎。どのあたりが田舎なのかと訊かれればいろいろと答えられそうだけど、特筆すべきは「保守的で閉鎖的」なところだと思う。
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それを自覚したのは高校生の頃だった。元々県外への進学を希望していた私は、模試で記入する志望校欄に地元の大学を頑なに書かなかった。けれど、当時の担任は「第5希望でも第6希望でもいいから『とりあえず』××大学(地元の国立大)か△△大学(隣県の国立大)って書いとけ」と再三念押ししてきた。
最初は不思議に思っていたが、周囲の友達に志望校を訊くと、決まって「『とりあえず』××大学か△△大学かなあ」と返ってきた。その答えには男女差がなく、受験期になると滑り止めの私立がどこか訊いても県内の私大や短大の名前を返されることが多くなった。
そもそも地元国立大信仰が強い傾向があって、それもある種のムラ社会の名残のようなものなのかもしれないけれど、だからってみんながみんなして目指す必要なんてなくない? というのが私の持論だった。模試にも進路希望調査にも地元国立大の名前は最後まで書かなかった。
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その後、私は第一志望ではなかったが県外の大学へ進学が決まり、地元へは長期休みと年末年始だけ帰省する生活が続くこと、1年と少し。「成人式出る?」「同窓会出る?」といったLINEが送られてくる季節になっていた。中学校単位で開かれる成人式と、高校の同窓会。どちらにも出席はしたが、金輪際同窓会には行かないなと思った。単純に「合わない」と感じたからだ。
私が県外の大学に行くことは仲の良い友人たちくらいにしか伝えてなかったとはいえ、それ以外の「それなりに仲は良かったが連絡をしていない」人や、「元クラスメイト」ぐらいの人たちに会うたび、「いまどこにいるの?」と訊かれ続ける。「○○大学ってところ」と愛想笑いで答えるのにも骨が折れた。
久しぶりに会ったのだから普通の質問だと思うかもしれないが、そうじゃない。田舎は閉鎖的だ。普通に暮らしていれば、どこかで知り合いに遭遇するのだ。ましてや大学生。地元の大学に通っていれば誰かしら中学や高校の同級生に会うだろうし、電車通学をすれば遭遇率はさらに高まる。だから、この「いまどこにいるの?」は「『最近見かけないけど』いまどこにいるの?」という意味だ。何だこの怖い質問。そう訊いてくる人たちは大抵××大学か△△大学、もしくは県内の私大に通っていて、「外」に出た人は一クラスでも片手で数えられるくらいだった。
それぐらい、田舎(というと主語が大きいが少なくとも私の地元の場合)から「外」に出る人は少ない。田舎は保守的だからだ。
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「外」に出た人間が偉いとか、田舎から出なかった人間が偉くないとか、そんな話をしているわけではない。ある友人は県外の大学に進学して馴染めずに今期休学を選んだし、彼女の母親は地元から一度も出ずに働いている。そんなのは人それぞれだ。
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感情に任せて書き殴っているせいで言葉がまとまっていないが、「『外』に出て勉学に励むのは男で、女は田舎に残るものだ」みたいな安直なジェンダー観を当該CMから受信してしまってどうにもならなくなってしまっただけだ。そんなわけない。「外」に行くのは女だっていい――――いつの時代の発言みたいなこと言ってんだろう。勉学にジェンダー差なんて必要ないのに。
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