はてなキーワード: ホットミルクとは
夜、コメダに行った
所用のために外に出て、その帰りの道すがらに寄ったので店内に入ったのは21:00頃になる
年末調整の提出書類や今年も駆け込んだふるさと納税の申請書、生命保険の契約内容確認や積読本などが溜まっていたのでそろそろどこかで片付けたいと思ったからだ。
正直ここのコーヒーは美味しいと思わない。
この時間にあのハイカロリーな食事も摂ろうとはいささか思えない。
ただ自宅では捗らないのは自明であるためどこか作業場所が欲しかった。
ここは地方都市だ、夜遅くまで営業している店の多くは居酒屋かチェーン店になる。
ファミレスはもとより検討外だった、田舎にとってファミレスはその名の通り『ファミリー向けのレストラン』であって、一人で訪れる場所ではない。この時間でも家族連れの顔見知りに会う可能性は充分にある。
だからコメダを選んだ、コメダはこの近辺に何店舗かあるのだけれど、車社会のこの土地で立地と駐車場にやや不便さを感じるこの店は恐らく知り合いと遭遇する可能性は低いと踏んだからだ、とても消極的選択だった。
それでもまだ21時台なので、きっと店内は賑やかなのだろうなと想像していたのだけれど入り口をくぐると店の中は驚くほど静かだった。
店内に客はいるのだけど、タブレットで読書をするサラリーマン、参考書を広げる女子学生、会話もそこそこに眠たそうに寛ぐ部屋着の男女、みな静かに自分の時間を過ごしているようだった。
店の一番奥の2人がけの席に座った、壁を隔てた向こう側ではイヤホンをした女性が何やら書き物をしている。しばらくすると穏やかなそうな女性の店員がお冷を運んで来てくれた。
メニューを開く、前言撤回をして珈琲を飲みたかったのだけど、この時間にそれを飲めばカフェインに弱い私は確実に眠れなくなるのでホットミルクを頼んだ。
以前東京を訪れた際、夜遅くまで営業しているカフェに入ったことがある。薄暗い店内に間接照明、洒落た内装、店内中央に置かれた一枚板のカウンター、ハンドドリップで淹れる珈琲。
ひとり観劇の余韻に浸るには整いすぎた空間だった。珈琲一杯の値段にとても驚いたのだけど、この空間を買ったと思えば決して高くはない。嘘だ、ちょっと格好つけた。伝票の値段を見た時、田舎者の来る場所ではなかったのだと思った。入り口でこの値段を見ていたらきっと私は気後れしてこの店には入れなかっただろう。
とはいえ、こんな場所が地元にもあれば良いのにと都会の街をとても羨ましく思ったのだ。
木の温もりがある内装、程よい固さのソファー、音量を最小限に絞ったBGM、穏やかな店員、手元の良く見える明るい店内、他人に興味を示さず思い思いの時間を楽しむ見知らぬ人々、何もかも完璧だった。ここのドリンクも決して安くはないけれど、あの三茶のカフェに比べれば破格だ。あそこでは深煎りコーヒーを頼んだのだけど、正直味は覚えていない。
しばらくすると注文したドリンクと一緒に小さな袋が小皿に乗って運ばれてきた。セットの豆だと店員は言う。そうだ、コメダは久しぶりで忘れていた。
マグカップの横に置かれたちいさなホスピタリティに少し目頭が熱くなった。思えば最近は仕事に忙殺され一人暮らしの私の生活は荒れていた。こんな心遣いを受けるのは久々だ。この値段でこれ程素晴らしいおもてなしを受けられることに感動した。
豆をつまみながら飲むホットミルクは格別に美味しかった。暖かさを保ったままのマグカップを両手で持ち背もたれに寄りかかる。今私はこの時間を買っているのだと思った。
夜コメダは最高だ、この静かな感動を書き留めたくて机の脇に置かれた紙ナプキンを一枚取り出しボールペンで文字を綴った。こんなことするのは学生以来かもしれない。紙のスペースが足りなくなったので、こんどはここに文章を打った。おかげで雑務は全く捗らなかった。
このまま朝までここにいたいのだけど閉店時間が近づいてきたので会計を済ませ店を後にした。
店の外にでると冷たい風が肌を撫でた
大きく息を吸った。静かだ、完璧すぎる夜だ。
暗闇の中で少し寂しそうな車が私を待っていた。
どこに停めたかすっかり忘れていた、私は真逆の方向に向かおうとしていたらしい。
なんてことを考えながら車の待つ方へ私は踵を返すのだった。
こう寒いとあたたかい汁物が欲しくなる。お茶はともかくココアやホットミルクではこの気持ちが満たされないのは不思議だ。
うどんやラーメン、味噌汁などはまだ良い。簡単に作ってもいいし、既製品のバリエーションも豊富だ。しかし、おなかはいっぱいで麺や具はいらないと、実現が格段に難しくなる。ただ麺や具を入れないだけで、ずいぶんと味気なく感じてしまう。汁そのものの味に集中してしまうからだろう。
今のところ、レトルトや粉末のスープのおいしいものを見つけられていない。作るとなると大仕事だ。幸い近所においしいスープを出してくれる店はあるが、いつでも手に入るわけじゃない。
結論は出ないまま、もう一度おなかが空くまで、汁…汁物…と何度も求めることになるだろう。はー、手軽においしいスープを飲みたいなあ…
反応感謝。ポタージュやシチューはお腹すいていない時は重いので、 JAL のコンソメスープ探してみる。
書いてみてから意外と色んな所でスープを売っていることに気付いたので、片っ端から試してみるよ。とりあえず白湯で結構満足するしあったまるしすぐ手に入るのでひとまず落ち着いた。
1日でも寝れなかったり寝れなかったせいで起きれなかったりするとおわりじゃん
さらに泣きつくと、運動しろ、ブルーライトカットしろ、寝る前に風呂に浸かれ、ホットミルク飲め、二時間前から寝る準備に入れ
いや、そんなの続かないし
で毎晩9時ごろには眠気が到来してないことに絶望しながら、寝れなかったらまた努力が足りなかったと自責の念に押しつぶされながら眠れない夜を2時間ぐらい過ごすじゃん
暗い部屋でじっと横になってるとどんどん思考が鬱々していくじゃん
あーもう無理だと思ってスマホ弄ってまた寝付くのは明け方じゃん
月曜なんか寝ずに迎えることが9割だし自律神経ホルモンバランスぶっ壊れて生理周期がめちゃくちゃだし食欲ないから体重落ち続けてるし
生活にも健康にも支障をきたしてる上に、自己肯定感もどんどん失われていくじゃん
週末も生活リズムがおかしいから出かけられないし、人とも疎遠になってくじゃん
そりゃあお医者様としては安易に睡眠導入剤に頼らせたくないと心からの親切で薬を処方してくれないのかもしれないけど
この生活をもう何年もやってる身としては、睡眠導入剤に依存してでも普通の生活リズムを取り戻したい
どんなに優しい精神科医でも、睡眠に関しては努力しろって言ってくるんだよな
その日の俺は学業を終えた後、夜遅くまでバイトに従事していた。
家路に着く頃には、肉体的にも精神的にも神経的にもクタクタだ。
時間も真夜中近く、明日も学校が待っているから今すぐ寝てしまいたい。
しかし、この時の俺は空腹だった。
寝たいのに腹が減っているというのは、日常における最も煩わしい状態だろう。
空腹感は微睡みを掻き消すが、そのくせ食欲は判然としない。
何か食べる必要はあったが調理する気力なんて残っていないため、インスタント食品しか選択肢はなかった。
となると、自宅にあるもので手早く作れるのはプレートの冷凍食品だ。
しかし手軽に作れるからといって、軽い料理であるかは別の話である。
1つの皿に押し込められた料理群は腹を満たしてはくれるが、いずれも消化に悪い。
これだけでも堪ったものではないが、ダメ押しは就寝前に流し込んだエナジードリンクだろう。
ケミカルな味わいはホットミルクの代替品としては不適切であり、カフェインと砂糖が織り成すハーモニーは本末転倒だ。
そこに、いまだ腹に残ったままの未消化物が合わさるのだから強力無比といえよう。
しかし人体というものは意外と丈夫なのか、これが若さというやつなのか。
俺はそのままベッドに横たわり、十数分ほどで夢の世界へ迷い込んでいった。
俺は地平線に立っている。
見たことも来たこともない場所だったが、ここは地平線という確信があった。
地平線上には、人がまばらに行き交っている。
人々は互いに目もくれず、俺の視界を右から左へ過ぎ去っていく。
なぜか誰も服を着ていなかったが、俺は意に介さない。
ふと、自分も服を着ていないことに気づく。
鏡がないので全体像は分からないが、その裸体はマネキンのように無機質に見えた。
突如、風が吹きすさぶ。
纏わりつく空気を阻むものはなく、俺はただ逃げるしかなかった。
しかし体が上手く動いてくれない。
何も着ていないはずなのに、何だこの鈍さは。
脳からの「動け」という命令に、四肢が渋々と従っているような感じだ。
このままでは風に殺されてしまう。
危機を感じ、俺は近くにあった川辺へ倒れこむように潜り込んだ。
水の中ならば風にはやられないだろう。
呼吸ができず息苦しくなっていく。
かといって、水面から顔を上げれば風が待ち構えている。
たまらず水を吸い込んだ。
なんと、水中でも呼吸ができている。
これならば逃げられるぞ。
俺は風をやり過ごすため、更に奥深くへと潜っていく。
いつの間にか、川は海となっていた。
潜る、潜る、どんどん潜る。
だが、その最終地点に待っていたのは太陽の光だった。
深海の果ては地上。
俺は潜っているんじゃなくて上がっていたんだ。
その事実に打ちひしがれる間もなく、海から高負荷の斥力が襲いくる。
抗う術もなく、俺は地上へと放り投げ出された。
その先には“無”が溢れており、自分が落ちているのか、それとも昇っているのかすら分からない。
何も分からなかったが、もう助からないという諦念だけはあった。
俺はそっと目を瞑る。
その時、ふと一つの考えが浮かんだ。
「あ……夢か」
言葉通じない感じが無理
ホットミルクは「そろそろだな」ってタイミングで毎日こっちから「ホットミルク飲みたいなあ❤️作って❤️一緒に飲も❤️」ってお願いして自分で2人分作らせて、習慣化すればいい
美味しいとありがとうを忘れずに
ブックといいつつ、2回目は雑誌を紹介する。
いまでこそあまたあるエロマンガ雑誌が、いわゆる「(美少女)ロリコン系雑誌」と呼ばれていた頃の(レモンピープル、ホットミルクなどに対する)後発誌のひとつ。
高校に進学し、電車通学で行動範囲が広がり、より大きな書店に出入りできるようになって、少ない小遣いから何を買おうか悩んでいる頃に、創刊号に出会い、表紙(いがらしゆう)の可愛らしさに一目惚れして、即定期購入することに。
(これは一読者としての贔屓目にすぎないが)必ずしもエロにこだわらないマンガを積極的に掲載したり、裏表紙の広告面に「意見広告」的なものをちょくちょく入れ込んでくるなど、後に快楽天や、comic LOが打ち出す独自路線を先取りしたような紙面であったように思う(もちろんそれは、後発雑誌ゆえ差別化をはかる必要があったからでもあるのだが)。
詳しくはwikipediaの該当項目を見てくれ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BF
とにかく自分にとってのさまざまな「性癖」の入り口になった記念碑的雑誌のひとつ(あとの二つは快楽天とGirls forM・・・と書いた時点でいろいろとお察し)。
イラストよりも文章スペースの方がメインの構成で、絵の描けない自分は毎月せっせと漫画の感想や高校生活の愚痴を書き連ねて投稿し続けた(掲載のお礼に当時松文館で出していた単行本がランダムでプレゼントされるというのも大きなモチベーションであったが)。
編集長は「マンガー・シラン船長」と名乗り、読者は「海豚」と名付けられた。そうした読者のコミュニティからは、後に読者の集いが開かれるまでになった(残念ながらこの集いは、同時期に起きた「事件」によって、こうした雑誌や趣味嗜好に対する攻撃や偏見が社会的に大きくなる中で、中断を余儀なくされてしまったのであるが)。
私も、ついには読者投稿欄で知り合った人と文通をするまでになり、浪人時代には手紙で、また大学進学後は互いに大学を訪れたり、電話をするなどして交流は続いた(それぞれの大学生活が軌道に乗り、進路が分かれていく中で交流は途切れてしまったが)。その彼と、大学在学中、松文館の編集部をウイスキーを土産に訪問し、「船長」と職場で酔い潰れるまで飲み明かしたのは、いい思い出(・・・か?)。
私が生まれたときからある電子レンジがついに動かなくなった。NE-N40という機種だ。
夕飯の準備に使っていたら、温めている途中で唐突にブツンと電源が落ちた。ボタンを押しても反応しない。使っている年数を考えれば寿命を迎えたことは明白だった。
それにしても、こんな前触れもなく壊れるものなのか?確かに数年前から温まりが悪くなってきてはいたものの、あの日のあの瞬間まで何の問題もなく使えていたのに。
あの電子レンジと共に過ごした思い出が蘇る。日常生活では三食全てにおいてお世話になった。なかなか取り出しに来ないと怒ったようにベルを鳴らして催促してきた。思い返せば、幼稚園の芋堀遠足でとってきたサツマイモでできたスイートポテトや、毎年母が作ってくれた誕生日ケーキを焼いてくれたのはこのレンジだ。バレンタインでは大活躍だったし、眠れない夜はホットミルクを温めてくれた。私の人生はこの電子レンジと共にあったと言っても過言ではない。
https://i.imgur.com/4kmqo3h.jpg
実話BUNKAタブー編集部@BUNKA_taboo
と、言いたいところですが、これはますます社会への悪影響を来す可能性があります。エロ漫画が枯渇したキモオタくんが、クジラックス顔負けの性犯罪に走る懸念があるからです。
いっそコミケを開催し、オタクにコロナを大感染させて浄化した方が良かったんじゃないでしょうか。 -2020年03月27日 19:28 Twitter for iPhone
身内からこんな事言われてなおもホットミルクとかでエロ漫画描いてんのってどういう神経してんの?www
特にコアマガで描いてるのにコミケにも出てる作家、あんたらこうまで言われて、今後も黙って従順にコアマガの雑誌で漫画描くつもりなの???wwwwww
暇だから性生活について書く。性生活を語ることに性的興奮を見出すアノニマスニー。
共働きの未就学児持ち、かつフェラを日課とているため、月の性行為の頻度は1~3回と少ない。そのうちの半分以上を占めるのがクソ雑セックス、残り半分は休み休み暴力を振るうことを前戯とした本気の性行為のため、気力体力時間の三拍子が揃わないと中々踏み切れず、自ずと性行為に占めるクソ雑セックスの割合は高まる。
クソ雑セックスとは、クソ雑なセックスである。簡単に言えばヴィィィン→パンパン→ふぅ、である。適当に濡らして、挿入して、出すことである。時にヴィィィンは潤活®️に置き換えられる事もある。あまりに雑な扱いに興奮する。まるでオナホ扱いである。
クソ雑セックスは導入もクソ雑だ。「(挿入)するから(ローターorローション)持ってきて」とムスッとした顔で言いつけられる。皆まで言わない雑さや、当たり前のように拒否権のない命令をする傲慢さはマゾヒストの性的嗜好を的確に刺激する。「ああこの人は……」と思いながらも従ってしまうことを堪らなく思う。
クソ雑セックスの事後は例に漏れず雑で、そのまま放置される。クソ雑セックス以外の時はいちゃつきながら真面目にピロートーク程度のことはする間柄だが、クソ雑セックスにピロートークはない。ただ、TVの電源をつけながらさっさと着ろよと申し付けられるか、何服着てんのそのまま立っとけよとかなんとか言われるか、そんなところである。この大変理不尽な事後の対応には物凄く興奮する。時に、ホットミルクを作り、ボタンを上まで留め、頭を撫でられたりもするが、この気まぐれな優しさもとても好きだ。