はてなキーワード: ヒモとは
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
この増田を読んで、音楽大好き人間のおれからすると、「あぁ、こういう人が音楽業界をダメにしたんだな」とは別に思わなかった。
音楽業界がダメになったのは、そもそもこんな「責任者探し」なんかをしてしまう音楽市場に関わる全員だということにまず気づくべきだ。
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html
これにケチをつけたのにケチがついてそれにケチが…というのが流れ。
この一連の流れでまず問題なのは、「いい音楽」の定義があやふやなまま書かれていること。
どうしようもないことだが、万人に共有される「いい音楽」の定義など存在しない。
だから必ずどこかの側面を切り取って、暫定的にでも定義しないといけない。
ここでは、どうも「良い"音質"」や「満足の行く機材や環境」で作られた音楽のことを指しているように思われる(もちろん定義されてないからよく分からない)。
次にカメライターを自称する「かさこ」さんのブログ記事に移る。
「金がないから「いい音楽」作れない?~ビジネス感覚なき職業音楽家の末期症状」
http://kasakoblog.exblog.jp/18220333/
つまり予算とは関係なく、いい音楽は良いんだ、と言いたいらしい。
1000万のストリングスだろうが、200万のストリングスだろうが、そこに聴手が差を感じなかったら、意味のない800万かもしれない。
では、高品質の音楽とは何なんだろうか。誰がそんなことを決めるんだろう? その定義がない。
「金がないから「いい音楽」作れない?~ビジネス至上主義の末期症状」
http://anond.hatelabo.jp/20120622221514
なんか論文テイストなタイトルで、かさこさんのブログに商業主義の極みみたいなものを見出し、ボロクソに書いている。
つまり「商業主義」だからダメなんだ、ミュージシャンが良いと思ったものだけを作らない。
また作っても全然評価されないようにした商業主義が悪い、といって、マスコミ叩きもついでにやってしまう辺りが可愛い。
増田に求めるのは酷かも知れないが、さすがに音楽の歴史をあまりに知らなさすぎて苦笑する。
ビートルズが商業性のない芸術だとか言ってる時点でもうあまり喋らない方がいい。
ここでの「いい音楽」の定義は、歌い継がれる事だそうだが、歌い継がれるということは大衆に商業的に成功したからなのでは…と、これ以上は突っ込みどころ満載なので次に行こう。
「音楽業界をダメにしたのは「レコード会社」じゃなく「アーティスト」だろ」
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
まず音楽は大衆娯楽なんだ、日本にとっては!と強く断言している。
が、この国のみならず、音楽は全世界で宗教や娯楽、芸術と深く結びついていて不可分の存在だろう。そもそもなぜそれらが同時に成立してはいけないのかが分からない。
ある人からすれば芸術に聞こえるし、ある人からすれば宗教的な境地に達するものもある。もちろん娯楽にもなる。音楽とはそういうものではないのだろうか。
また、大衆に迎合せず、自分たちの好きな音楽のみを作り続けるミュージシャンを「アーティスト」とカッコで括り、どういうわけか彼らが音楽業界をダメにしたことになっている。が、論拠がない。
これが一番意味不明だった。なんで「アーティスト」は法律の問題に触れないといけないのか。そしてそもそも声を上げたかどうかちゃんと検証していない。ただ自分の聞こえる範囲内でいなかっただけなのに、一般化している。むちゃくちゃな主張だ。
この記事では、つまり大衆に向けてしっかり受ける音楽を作ることが「いい音楽」で、自分たちの好みや主義を通すことが音楽業界を破壊したということになる。また極端な話だ。
このように結局、「いい音楽」というものが定義されないまま話が進むから、何の実りもないケチの付け合いになっているのが残念だ、と、流れを概観して思う。
最初にも書いたが、もう犯人探しなんかしている段階じゃない。敢えて言うなら全員が犯人なんだと思う。ぼくも君も含めて。
少なくとも、ごねたところで、現状はどうにもならない。
確かに、音楽の状況は変わった。
音楽コンテンツに支払う金額は少なくなった。当然のように市場は縮小する。
予算が下がる。確かに音質は落ちる。ストリングス楽団を必要するような高予算の音楽は簡単に作れなくなった。
ただ、予算は音楽の質と比例しない。ぼくはミックスと音質がクソみたいな初期BUMPOFCHICKENが好きだ。ハイファイで澄んだ音質の新曲は聴きすらしなくなった。
だからといって悪い訳ではない。ぼくにとっていい音楽でなくなったBUMPの新曲は誰かにとってのいい曲になっただろうから。
こんな風に変わっていく現状の中、レコード会社の人たちはレコード会社で、ミュージシャンたちはミュージシャンで各々の問題を考えて欲しい。
ぼくは門外漢なので何も言えない。ぼくはリスナーだから、リスナーの目線でものを言う。
ぼくは、単純に音楽をもっとたくさん聴いて、たくさんお金を落とせばいいと思う。
CDが売れないのが問題じゃなくて、音楽市場にお金が流れない現状があるなら、それは結局のところリスナーが財布のヒモを縛っているからだ。
お金を落とす価値のあるミュージシャンがいない、本当に良いなら喜んで金を出す。よくきく言い訳だ。
違う。逆だ。お金を払って、身銭を切って買った音楽だから、真剣に音楽を聴く。せっかく払ったお金をムダにしたくないから。
いま、音楽は猛然と無料化の方向に向かっているが、それでは絶対に音楽業界は良くならない。なぜならリスナーが育たない。
音楽はタダで聴けてはいけない、とは言わないが、やはりそれは限定的であるべきだ。
イタチごっことは分かっているが、もし本当に無料で違法にダウンロードされることが音楽市場にお金が流れない原因だとするなら、
人件費を割いてでも、YouTubeやニコ動などのストリーミングサイトを巡回する人員をもっと設けるべきだと思う。
先程にも書いたが、音質と楽曲の良し悪しの判断は必ずしも道を同じくしない。
音質が多少悪くても楽曲が気に入ってしまえば、タダを取るリスナーが多い。
そして、音楽が安くなることに関してだけは、大賛成。今、iTunesなどでは一曲が200円かそこらで買える。
作り手には申し訳ないがリスナーからすると、やはりこれくらいが限度だと思う。CDはちょっと高すぎる。
逆に、ダウンロード販売などで安く手に入る音楽の在庫はもっと拡充しないといけない。
iTunesなどで販売されていない曲がユーチューブでタダで手に入るとか、さすがにそれはユーチューブ使うよ。
つまり、リスナーは身銭を切って音楽をきくべき、と同様に、身銭を切りたくなるような仕組みをレコード会社やミュージシャンは考えていかなくてはならないだろう。
少なくとも、パッと思いつく上記のようなことはできないといけない。
彼女の家に住んでて半ニート(時々不定期で派遣やバイトしてるらしいが、彼女に還元されることはほぼない)
その癖「俺将来金持ちになるから!」などとのたまう(資格持ちどころか大卒ですらなく、長期の就業経験もない)(コネも特にない)
恋人としても、彼女を大事にしてるようには見えない。自己中心的な行動ばかり目立つ。
細かい気遣いも、自分ではしない癖に彼女はして当然と思っている節がある。
居候の上生活の面倒(金銭的+家事全般)を全て持ってくれている彼女に対して、感謝の言葉一つ出ないし
ヒモの分際で平気で夜中遊びに出歩いたり、暇つぶしにパチスロ行くからお金ちょうだい的な事を言ったりする。
友人も甘すぎると思うんだけど、いい加減話を聞く度にイライラして仕方ない。
人の恋愛事に口を出すのは野暮だと思うのであまりしたくないが、
私にとって本当に大事な友人に迷惑ばかりかけているその男をどうしても認められない。
20代前半の女の大事な時間をそんな奴のために消費していることが本当に無駄で、可哀想だと感じてしまう。
「いい加減、見切りつけなよ」と言っても、優しくて甘い彼女は、行く当てもなくお金もない彼氏を放り出すことができない。
はぁ。どうしたものか。
もしかして私が気にし過ぎなだけで、世の中の若いカップルというものは意外とこういう「先は見えないけど楽しい時もあるから今はまだ別れない」的なお付き合いが多いんだろうか。
よく分からない。
「図書館の貸出履歴をカルチュア・コンビニエンス・クラブに提供し、TカードのIDとヒモ付て管理することは、プライバシー上問題がないか」
とうことですねよ。これに関して、セキュリティの専門家、高木浩光さんと、武雄市長が論争を繰り広げています。
ただ、法律の専門用語が多かったりして難しいので、偏差値3でもわかるように、要約・解説してみました。
お二人の議論を整理すると、
武雄市長「図書館の貸出履歴は、現行法の「個人情報」に該当しない。したがって、問題がない」
高木浩光氏「現行の「個人情報」の定義が遅れている。不備がある。現行の解釈では個人情報が守れない」
という議論をしています。もう少し詳細に見ていきましょう。
武雄市市長の主張は、以下のようなものです。(元リンク http://hiwa1118.exblog.jp/15848122/)
・現行の個人情報の定義は「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。」
・したがって、貸出履歴は個人情報に該当しない。なぜなら、容易に個人を特定できないから。
・よって、高木はファック。俺は国Ⅰ。
という論理です。文章は自意識がひりでて読みにくいのですが、役人的論理としては、しっかり筋を通しているあたりは流石ですね。要するに、法律論でのかっこつきの「個人情報」に害というしなので問題ねぇぜ!というお話です。
一方、高木さんの主張は以下のようになります。(元リンク http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20120508.html)
・現行の個人情報の定義に不備がある。たとえば、スマホアプリの端末IDに紐付いた行動履歴等は現行法では個人情報ではないが、個人のプライバシーに関わる重要な情報である。
・アメリカでも、スマホ端末IDに紐付いた行動履歴をプライバシーとして定義するようになっている。
・IDに紐付いた貸出履歴は、上の定義でいえば、個人情報に該当する。
・加えて、営利企業であるCCCに貸出履歴を提供することは、図書館の自由に関する宣言に反する。
という論争であって、要するに、論点は以下の3つになります。
・CCCの管理する「IDに紐付いた貸出履歴が個人情報に該当するか」問題
・図書館の自由を守るべきか否か問題
の3つになります。では、具体的に諸論点をみていきましょう。
武雄市長の主張は確かに筋が通っています。つまり、現状ではTカードに紐付いた貸出履歴・行動履歴は「個人情報」に該当しないと述べることができます。
この解釈の上では、みなさんが使っているスマホの端末IDに基づいた利用情報も「個人情報」ではありません。
でも、IDと複数の情報が結びつくことで、個人を特定できる場合がありますよね。だから、米国の消費者権利章典では、IDに紐付く利用履歴・行動履歴は、パーソナルデータとして定義されています。
また、日本でも提言レベルでは、同種の配慮をするべきだとの主張がされています。
流出したら嫌な個人情報というのは、生年月日・氏名だけではないですよね。
たとえば、僕が「淫乱娘Aチーム」というのをTSUTAYAで借りている。さらに、僕がある珍しい難病にかかっていて、その関連書を図書館であさり読んでいるとします。
これが流出したら、IDという形で匿名化されていても、僕を知っている人は、僕個人を容易に特定できます。さらに、下手に氏名が流出するより、社会的なダメージが大きいですよね。
IDに紐付いて様々な行動情報が収集されるようになりました。詳細な点と点を結びつければ、該当の個人へと繋がる線をつくるのは難しいことではない。
だから、「IDに紐付く行動履歴」も個人情報として考えようよ、というのが最近の潮流になっています。
ただ、武雄市長が述べているように、「現行法では問題ない」のも、また事実です。
このグレーな部分をどう解釈するか、という問題になるでしょう。
現行では問題がないと解釈することが出来るのは、先に触れたとおりです。
ただ、経済産業省の「総務省:行動ターゲティング広告の経済効果と利用者保護に関する調査研究 報告書」を見ると、
我が国では ID 化する等して個人識別情報(氏名等)を匿名化した場合であっても、その他の情報で個人が推知される場合は個人情報となりうる場合があると解釈されている
ということで、提言レベルでは「ID化しても他の情報との関連で個人がバレるのはマズイよ」という風に問題を認識しているわけですね。
今回の件は、「IDに紐付いて貸出履歴を管理」します。では、「IDに紐付いた貸出履歴」というので、個人を特定できるのか。
結論をいえば、特定できます。
たとえば、マイナーな病気にかかっていて、図書館で自分の関連書を借りているような人の貸出履歴が流出したら、その人が誰かを特定される恐れがありますよね。
上記の報告書でも「特に、書籍の購買履歴や疾病に関する検索履歴などを通じ、思想・信条や身体に関する機微情報が明らかになる懸念)」が指摘されています。
さらに、TSUTAYAの貸出情報とあわさるなんてことがあれば「お前、団地妻と三銃士〜隠された王女の首飾り〜借りとるやん!」なんてのがわかってしまう。
貸出履歴でも、個人を特定することは不可能ではありません。
ということで、「」つきではない、個人情報に貸出履歴が該当する可能性が高いと考えるのが妥当です。
セキュリティの議論から離れて、図書館が利用者の貸出履歴を行政に差し出すのは、図書館の自由に関する宣言に反するという問題もあります。
図書館というのは、戦前は思想善導機関として機能していた歴史があります。思想善導機関として、「あるべき思想」を押し込むために、国民の知る自由を妨げてきてしまった。
その反省の上に、「図書館の自由」が宣言されました。図書館は、思想統制の歴史を繰り返さないために、
1. 読者が何を読むかはその人のプライバシーに属することであり、図書館は、利用者の読書事実を外部に漏らさない。ただし、憲法第35条にもとづく令状を確認した場合は例外とする。
のように宣言。他にも検閲への反対は有名ですね。
要するに「図書館というのは、民主主義の根本である『知る』を支える機関だから、それを守るために利用者の貸出履歴も守る。」ということですね。
「共産主義の本をかりている奴らがいました。奴らはアカです」なんて報告されたら、思想の統制なんて簡単ですから。
もちろん、宣言ですから法的な拘束力はないです。図書館法には貸出履歴の提出を禁じるという部分があるわけでもない。
でもな、違うんだよ!!!
これを認めちまったら、図書館の自殺と同じだよ。「何を読むか」が弾圧につながった時代を経験してきたからこそ生まれた「利用者の秘密を守る」とか検閲への反対がある。それこそが「知恵の保護者」たる今の図書館のアイデンティティなんだよ。
それだけは知恵の機関たる図書館が絶対に、絶対にゆずちゃいけないところだ。
で、もちろん、今回の件は、図書館の自由に反します。TSUTAYAも武雄市も外部ですから。
この点武雄市長は「単なる部族社会の宣言」と述べて、退けています。
おい、どれだけの歴史があって、苦心があって、図書館の自由に関する宣言が生み出されていると思ってんだ。てめぇの薄っぺらい頭髪の何兆倍の厚みがあると理解してんだ?Ah?
はい、ということで議論をまとめると、
・現行の解釈下での「個人情報」には、TSUTAYAに提供する貸出履歴は該当しないということができる。
・しかし、アメリカ、経産省の提言レベルでは「IDに紐付いた行動履歴」はプライバシー、個人情報と考えられるようになってきた
・なぜなら、難病患者などは、貸出履歴でも個人を特定できてしまうから。
・今回の貸出履歴の問題は、「IDに紐付いた行動履歴」なので、法律上問題ないにしても、流出すればプライバシーを大きく侵害するおそれがある
・さらに、利用履歴を提供するのは、図書館の自由に関する宣言に反する(これ、大事)
となります。
以上を踏まえた上で、みなさんはどう考えますか?
参考URL
・http://hiwa1118.exblog.jp/15848122/
さてこんな文章を見たのです。
[文系が、インターネットの仕組みについて教えてもらった記録 - のんたんのインターネット日記]
酷い。
てへぺろじゃねーよ。
ブコメみたら、あぁ皆さん優しいなぁ〜って。
「知ってる人からみたら当たり前、でも知らない人からしてみたら凄い事なんだぞ★」みたいなのは基本的に戯言だと思っていて、
なぜなら彼女は「知っておくべき立場」ですよね。「インターネットの会社」の中の人なのだから。
あの、申し訳ないのですが、はっきり申しまして「この人が営業に来たら嫌だな」。まずはこの一言に尽きる。
だって、知識がないんでしょう?
普通の人が「頑張って勉強してます」を実直に語るのは素敵な事だと思うのだが、
「インターネットの会社の中の人」なのだ。外から見たら変わらない。シス担だろうとマーケディレクターだろうと、「インターネットの専門知識を持つ人」なのだ。
少なくとも、彼女は企業名をヒモ付したアカウントで、当該の日記を書いている。
そんな訳で、ちょっと話が変わってくるのだ。
まぁ、確かに?企画/アプリレイヤーならインフラ周りとか一切分からなくても良いでしょうよ。
まして営業となると、余計そうでしょうけど。
うん、確かにそうだ。
って事で用意してくださった研修、これの意味を軽く考えていないか。
会社としては、趣味なんかではなく「必要だから」企画したはず。
なのだが、一体いつまでの期間で行われていたかは知らないけれど、
彼女は9月の時点で「えーれこーど」の事が分かってなかったらしい。
いや、この文章が、それをありし過去の事として、段違いに成長した今の自分の目線で語ろうという試みならば痛快だった。
だがどうやら違うのだ。
理解がね、とても遅いのです…
終盤に綴られたこの一言は、当人の自覚以上に余りに色々を語っていると思う。
体系的に書かれているサイトがすごく少ない
そうかもね。
でもさ、本屋で少し立ち読みとかしてみた?一流のテクニカルライターとプロの編集者が高い意識でまとめた作品が、たくさんあるよ。
家にいながら指を10本だけ使う作業によってカバー出来る範囲だけが「勉強」だとは、とても思えないです。
ともすれば、「インターネットに書かれてないことは分かりません!」って無意識に思い込んでるよね。「逆切れ」、ってそういう事だろ。
惜しいなあ、その悔しさをバネにした素晴らしいエピソードも載せて欲しかったな。
大変だ。(笑)
というか、「理解」するまでを「学び」というのでは。理解してない、ならそれを恐らく「学び」とは言わない。
いやはや、恥ずかしくないのか。
周りと比べたら、多分遅れてるよね。同じ選考を通過して、給料で働かせて貰って。
鑑みるに、「勉強したら、分かるんだね」という経験を今までしたことが無いのかも知れない、
「知識は人に教えてもらうもの」と、そう思い込んでませんか。
第一、タイトルからして「文系」などとう言い訳がましい冠を自ら被っている。
職種は、業種は。「文系」
業務領域に対する意識の低さを見事に露呈してるようで、それがとても鼻に付く。
この文章がムカつくところは、そこだろう。
たぶん社内SNSで日報として学びをUPするのはとてもいいコミュニケーションであり、等身大の自分を伝えたほうが上司にとっても有難いだろう。
なぜ、はてブロに書かなければならなかったのか。
「ソーシャルメディア」に載せるというのは360度どこから刺されてもおかしくないリスクがある訳だが、
そこで「専門領域」に関して「素人」となる事に関して、何も気持ち悪さを感じなかったのだろうか。
15回ほど色んな方に説明をしていただいていました
そのうち、10〜13回くらいはうんざりされたんじゃないかな。どうだろう。
僕の高校時代の女友達も、そこそこハイレベルな公立大で堅実に勉強していたんだが
残念ながら男好きの性格かつ不美人だったためか、多数の男に色仕掛けで迫って一晩寝ては別れ一晩寝ては別れを繰り返す恋愛をしていて、
最終的には学部内の男に相手にされなくなったそうで、
モバゲーだったかグリーだったかで「勉強ばかりでさみしいの…」と釣った男と卒業後結婚した。
○○(超大手食品メーカ)に勤めてる彼氏だよ!と鼻高々で惚気るのをよく聞いてみたら、通信高校卒の派遣工だった。
今は彼は食品メーカの派遣を切られてこんどは機械メーカに派遣されているそうな。
本人達がそれでいいならいいんだろうが、女性の方が学歴も収入も上の場合って、ちょっとなーと僕は思ってしまう。
でも(不美人とはいえ)ヒモ募集の看護婦の卵がモバゲーやグリーに出会い求めて来てるなんて、ゴミ箱の中から真珠が出たようなもんだよね。
一部、鬱みたいな症状はあるのに、それ以外の部分ではまるで普通って人を、そう呼ぶことが多いです。
要するに、「(別に何も重病じゃないしよくわかんないから)ああ風邪ですね」みたいな感じで、
「(別に何も鬱じゃないしよくわかんないから)ああ適応障害ですね」って雰囲気と思ってくれたらいい。
俺も適応障害でした。
元増田もきっとそう。
ヒモだから不安だけど、結婚して専業主夫になるなら、それで何の問題もない気がする。
まあ、彼女は一時的だから助けてくれてるのかもしれないし、元増田自身も納得できてないのかもしれないから、そんな簡単な話じゃないのかもしれないけど。
今は38円の充填豆腐の冷奴食いながら、ブラックニッカの水割り飲んでます。
それでですね、俺元は一応金融マンでした。結構イカした金融マンだったと思います、自分で言うのもなんだけど。
ところが、ある日突然何もかもがプチーンと弾けて、俺は仕事を辞めました。まー、限界だったんだと思います。
親は俺を勘当し「二度と我が家に近寄るな。タカリに来るな」と言いました。まー、そんなもんです。しょうがないです。
そういうわけで、俺は二度と親に迷惑をかけないようこの東京でヒモ生活を始めました。そろそろ四ヶ月が経ちます。
彼女は公務員です。結構キツい仕事のようで、大分疲れた顔で帰って来ることが多いです。
大学時代から付き合い7年目。仕事を辞めた俺を受け入れてくれた、大事な宿主です。
そういうわけで、家事は全般的に俺が請け負うことになりました。まぁ、それくらいは当然ですよね。
朝起きると、まず朝食を拵えます。彼女は和食が好みなので、魚をメインに組み立てます。
まぁ、アジの開き、厚焼き玉子、ほうれん草の胡麻汚し、メシ、味噌汁、みたいなのを作ります。
彼女は6時半には家を出て行くので、その後膨大な時間が残ります。まぁ、洗濯をして掃除をして一時間半。
それから買出しその他の雑用をしてもう一時間半。まだいいとこ10時です。
この辺りで煙草を一本吸って、コーヒーを飲みます。そして本を読む。すると、2時くらいになります。
さて、この後彼女が帰るまでの数時間、俺は何をすればいいんでしょうか?
もちろん、この生活がずっと続くとは思ってません。いつかは、俺も働かなきゃいけない。
そういうわけで、FPや証アナをとってみたり、あるいは中小企業診断士の勉強をしたりと色々してみたんですが。
なんていうか、自分がもう一回組織で働くビジョンが一ミリも出て来ません。多分、働くくらいなら死ぬ、と
割と真剣に思ってるんだと思います。ところが、埋め難い退屈が同時にある。
ふと思うんですけど、専業主婦の皆さんって普段何してるんでしょうか。だって、どう考えても家事なんて、
どんなに遅いとしても午前中には終わるじゃないですか。その後数時間の空白をどうやって埋めてるんだろう?
これは人生に二度と訪れない休憩時間だ、やりたかったことをやろう、とかも思ったんです。
例えば、かつて小説家になりたくて本を読む時間が欲しかったこととかを思い出して、必死に本を読んだり
あるいは文章を書いたりしてみたんです。でも、全然やる気にならない。
じゃあ、カネになることをやればいいじゃないか。例えば、金融出身なら投資やれよ、とかそういう話なんですが。
これもまた、全く手につかない。マネー・ゲームは大好きだった筈なのに。だから金融に行った筈なのに、
全然やる気が起こらないんです。自分の状態が全然理解出来ない。家事は楽しいのに、それ以外何もできない。
一日煙草を二本吸います。コーヒーを二杯飲みます。あと、人並みにメシを食います。
それでも生活費って、年金と保険を入れても正直5万でお釣りがきちゃうんです。
この生活が永続しないことなんてわかりきってます。俺も彼女もいずれ老いる。何かを考えなきゃいけない。
なのに、全く気力が回復しないんです。「これって鬱か?」と思ったんですが、そういう症状も全くない。
これまでの半生、わりとエネルギッシュに生きて来たつもりなんです。なのに、今ここから抜け出す気力が1ミリもない。
これはどういうことなのか、自分にも全然わからない。欲望という欲望が消えてしまったみたいなんです。
身体的な症状といえば、完全な不能になったことだけが唯一の問題点なんですが。
その点も、あの若かりし頃の行き場のない欲望から開放されて、むしろ快適なくらいで。
なんなんでしょうか、この状態。甘えるな、働け、と言われたらそのとおりです。
しかし、俺は多分カネが尽きても多分働かない気がしてならない。彼女に放り出されたら、今のこの気持ちのまま