「アイドル文化」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アイドル文化とは

2018-01-23

anond:20180116025753

ももクロというかアイドル文化全般についてはまったく興味ないマンだけど、この文章を興味深く読んだ。

論理展開が明晰だしことば選びも的確、しかも読みやすくて、伝わる。強い。とても知性的文章だと思った。こういう文章を読むと自分かしこくなったような気分になれるよね。

女性書き手で、ここまで「エモーションロジックに落とし込む姿勢」を持った人はなかなかいないのではないか

2017-11-24

anond:20171124214030

アイドル文化は確かにあるけど

最近のはインスタとかSNSの影響じゃないか

一般人レベルでも平均以上じゃないと人間扱いされない

就職もなんだかんだ見た目良いのが有利だしね

2017-07-02

まだアイドル文化のこと性的消費って言ってるの?

あれは甲子園と同じ青春消費だよ

2017-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20170304132425

最近アイドルはもう「見世物」ではなくなった。

 

あの作品アイドル=カワイイを脱却できていると思う点は大きく二つある。

ひとつは、主軸として「(私達で)終わりにする」物語だというところ。

カワイイという他人に媚びた、というと言い方が悪いが、他人のウケに依存する状況を続けていると、

どうしても商業的になってきてその「カワイさ」を演じ続けることを強いられるようになっていく。

それは現実的に考えても辛いことだし、アニメはい女性人間、歳をとり成長し進学就職していくもの(=ずっと一緒には居られない)というリアル思考が、暗黙的にキャラクターたちにも存在していた。

そこで彼女たちは、アイドルという青春を引き伸ばす道を選ばずに、作中にして若干1年、現実声優ユニットとしても5年で「おしまいにした」。

それも、人気の絶頂最中でその決断を、予め意図したとおりに断行した。

その振る舞いには、これまでのアイドル文化に対して投げかけるような強烈な思想を感じる人もいるだろう。

作中のライバルグループは、メジャーデビューして続けていくことを選んだが、

彼女らはそれを否定するでもなく、「私達がどうありたいか」という思考を大切にした。

その思考について、本編だけでなく劇場版の過半をそれに割いてまで、伝え続けた。

そういうところが非常に現代的だと思うし、観る者に旧来のアイドルからアップデートを促すようにも感じられる。

 

ふたつ目は、作中における「カワイさ」の表現について、あくまでも彼女自身の「カワイイ」観・美意識に基いているところ。

パフォーマンス自分たちの手で、裁量で、決定し作り上げているというところから現代的な感覚に寄り添う配慮がみられる。

そもそもアイドル活動部活という設定にしたところからそうだけれど。

もちろん美少女ものメディアを原点にした作品から彼女らが自発的表現した「カワイさ」自体男性ウケに寄せてあることは否定しない。

けれども内発的に行動している設定にすることで、「やりたくないけどウケの為にやらされる」ような見る側も心苦しい媚び方を見せなくてよくなった(少なくともアニメ上では)。

それどころか、彼女らの美意識に従えば、それの転び方によっては「ウケは悪いが独特な自己表現をするグループ」になっていたかもしれない。

実際に作中で迷走してロックバンドKISSコスプレをしだす一幕があったほど。

ともかく、そうした主体的に行動するウーマンパワー的な土壌を作っておくことで、女性視聴者作品を受け入れやすくなった。

結果として「一見男性向け作品なのに女性ファンも非常に多い」コンテンツとなった。これも今時のヒットコンテンツではよくある現象だ。

ちなみに、この「自分たちカワイイと思うことはやるけど、そう思わない(嫌な)ことはやらない」という、

女性アイドル自身尊厳を守るというかパフォーマーとしての意志尊重する動きは、大手に属さずにアイドル的な活動をする現実若者にも広がっており、

もはや今の若者はそういうグループしか応援しない、と言うと大げさだが、そういう審美眼はちゃんと持っている人が多い。

他のアイドルアニメ作品でもそういう思想共通していて、例えばアイドルマスターシンデレラガールズも、

アイマス作品は土壌としてファンを大切にする文化があるにもかかわらず、アニメでは「ファンの期待に応える」ような描写ほとんどなかった。

描かれたとしても「ファンはいつも支えてくれている」というような、受容の存在として描かれていて、ファンの期待や要望圧力に従うような描かれ方はしなかった。

その一方で何が描かれたかというと、一貫して、アイドルたち自身内面の成長が描かれた。

ただ、外面から圧力がなかったわけではなく、それはプロダクションTV局側の方針との衝突いった形であらわれており、

それと折り合いをつけながら、けれども自分の守りたい個性や魅せ方も守っていくあり方を、

周囲の支援のなかで「彼女自身が」見いだしていく、という大筋になっている。

やはりラブライブと同様に、いい意味で「内輪で閉じている」のだ。そしてそれを良しとしている。

まるで、この世界プロデューサー仕事は、個性的な人たちの自己実現を助けることが主で、

その過程で生まれキラキラパフォーマンスという副産物に変えて売っているかのよう。

そして、「それは創作上だからこそできる綺麗言だよ」とはもはや言い切れない時代だと感じる。

 

最近アイドルはもう「見世物」ではなくなった。

他人目線価値観に、自分生き方翻弄されたくない。

自分たちがやりたいようにやるから共感してくれる人はついてきて。

そういう思想ベースに、角が立たないように上手にやっていく。

これが多様化した文化の中にある、今のリアルアイドル

もちろんそういう風潮にもマイナス面は当然ある。

商売に長けたプロデューサー主体性を奪われないために、アイドル自身セルフプロデュース力が求められる。

成功するグループとしないグループの差はより残酷可視化される。

けれども私たちは、往年のアイドル文化を作ってきた人たちが、丸坊主にしたり惨めな謝罪会見をさせられたりと、もっとむごたらしいものを見てきた。

からアイドル主体性を取り戻した「パフォーマー」に変化していくのは時代の流れだし、そういう価値観を含む創作がヒットするのも必然のことだと思う。

かつてのオタク文化評論などで有名になって文化人を気取っている40、50の方々は、やはり頭がカタくなっておられて、

まり最近アニメ、とくにアイドルアニメなんかについて好意的な評をしない、どころか言及すら嫌がるレベルで卑しめがちな感じがする。

けれど今、もっとも、文化的ホット考察すべきジャンルアイドルものなのだと私は思う。

2017-02-02

今の声優の風潮って、どの層が得してるの?

そのまんま

00年代以前の声優現代からするとちょっと棒読みかもしれないが現実以上の感情表現する概念を持たなかったし、今のアニメの脇役でさえ非常に感情的で、そんな声で脇役されても困るってことが凄く多い

駆け出しの声優自身が「売り出してやろう!」とか「目立ってやろう!」とか、そういうことが強すぎて、声優がそもそもアニメを作りたいじゃなくて、声優アニメ自身を売り出すツールしか思ってないようで、近頃新しいアニメを見るのがはっきりいって辛い

というか声優ヲタも大概で、既存アイドル文化にそぐわないか声優を推してるんでしょ?

最近、新しい声優名前なんて1人も覚えたことが無い人、意外といるでしょ

2016-10-25

時代のせいにはしたくはないけど

岡井ちゃんがはじめて私たちの前に姿を現した2002年6月ハロモニ

当時20歳だった私は、一人暮らしワンルームマンションの14型のテレビデオぼんやりと見ていた。


8歳の岡井ちゃんアイドルとは無関係に思える「カントリー・ロード」をたどたどしく歌っていた。

その姿はどうしても有名になりたい才気あふれる特別女の子というよりは、

大人が笑ってくれたり褒めてくれたり叱ってくれたりすることがうれしくてしょうがない、

ただの人懐っこいひとりの子どもというように見えた。

私はハロプロキッズに対して得体の知れない忌避感と哀れみを感じた。

あんなにもかわいい子どもたちにも関わらず、なにかマズいことが起きているという直感

それをどういう言葉で表したかは人それぞれだが、ネット上ではそれなりに共有されていたように思う。

ただ、彼女たちが成長し魅力を増していく過程のなかで、それは杞憂だったと誰もが手のひらを返した。

私もその一人だ。


ところで、「今2016年アイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」がいるとして

の子アイドル恋愛についての事実認識は、

(それに何を感じ、どう行動するかは個人差はあれど)

私やこれを読んでいるあなたと大きく違わないのではないだろうか。

どうしたって突き付けられる事件が多すぎる。


当時の私はアイドル恋愛について何も考えたことがなかった。

そしてそこに無頓着なのは私だけではなかったのではないかと思う。


モーニング娘。ブレイクする1999年まではアイドル冬の時代と言われていた。

諸説あるだろうが、その始まりおニャン子クラブ解散する1987年とするなら

もはやその連続性のなかでアイドル文化を捉えられる人たちはきわめて少数になっていた。

1997年安室奈美恵20歳結婚した。

オジサンと言っていい年齢の男性とのできちゃった婚だったが

多くの人々が祝福し、「CAN YOU CELEBRATE?」が日本中結婚式で歌われた。

2000年には木村拓哉工藤静香結婚した。

ジャニーズでも20代になれば結婚してアイドルのまま家族を持つ時代がやってきたのだと誰もが思った。



そのようなおおらかな空気の中でモーニング娘。女性アイドルを復活させ、岡井ちゃんオーディション合格した。

意志をもってアイドルになった、というより気づいた時にはなっていたというほうが近いのかもしれない。

ハロプロ女性アイドルに再び春を呼び戻した頃も、恋愛絶対的禁忌ではなかった。

週刊誌報道はスルーされ、ファンのため息がなにか風を起こすようなことはなかった。



今とあまりにも違う。

しかし、時代はなぜか前近代的な方向に動き始める。



その時代の空気の変化の中に一番最初に巻き込まれ傷ついてきたのが

実は℃-uteであるということはもっと知られてもいいと思うし、

℃-uteファンでも忘れてしまっている人もいるのではないだろうか。

詳しくは書かないが、ファン事務所の締め付けが厳しくなる中で

実績のある先輩たちはある種の図太さを見せながらサヴァイヴしていったが

℃-uteメンバーはいきなり力尽きるように表舞台から次々と姿を消していった。



℃-uteBerryz工房のことを、きれいな空気のなかで大切に育てられ

人生の大半をアイドルに捧げた純粋性の高いエリートであるように言う人は多い。

私も一面ではそれは正しいし、彼女たちの清冽オーラ

年月と愛情をかけないと生まれないタイプのものだと思う。

一方で、最も「アイドルである自分」と「本来自分」を、

長い時間をかけて深く引き裂かれてしまったのもまた彼女たちなのではないだろうか。

そして、岡井ちゃんやまいまいや梨沙子のような、本当に幼い頃からキャリアスタートさせた子ほど、

その欺瞞合理化するような術をいまだ持てず、混乱の中にいるのではないだろうか。

「今2016年アイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」や

ここ数年でアイドルを好きになったファンたちとは見えている世界があまりに違うのだ。



舞美ちゃんブログ更新を待っている間、夢幻クライマックスを何回も聴きながら

岡井ちゃんにとって「強くなりすぎた」とはどういうことなのか、

なにが舞美ちゃんを「さみし」くさせているのか、私はずっと考えていた。

2016-08-26

Youtuberアイドルには廃止せねばならない共通点がある

小学生の将来の夢の第三位Youtuberになるほどネットタレント生活に馴染んできた。

いま世の中にいるYoutuberの大半を快く思っていないが、一応嫌いな理由が言える程には見るようにしている。で、だ。

僕はそこまで見てとあることに気がついた。「Youtuberアイドル文化には同じクソなところがある」ということ。

簡潔に言ってしまおう、「人が多すぎるので一発当てようととにかく過激になる」である

やはり先駆者は強い。Youtuber先駆者は安定して綺麗な動画で食っていけるが、大学生がその場のノリで開設したようなの(僕が嫌いなタイプ)はとにかく過激なことをする。

人の髪の毛勝手に切ったり、ゲームデータ勝手飛ばしたり、一般人迷惑をかけても家をめちゃくちゃにしても、なんでもいいんだ。一発当てるためだから。

アイドルでも同じ事が言える。ファンとやたら近くなったり、やたらスカートを短くしたり、変に景気アップに絡んだり、下ネタを言わせまくったり、失礼な態度を取らせまくったりする。

問題はこいつらが一発当てちゃうこと。一発当てちゃうYoutuberなら迷惑行為を続けなきゃいけないから本人たちもハラハラだし、アイドル鬱憤絶対にたまってくる。

また、こいつらが一発当てちゃうと今後アイドルYoutuberになりたいと思っている奴らも若干の洗礼を受ける。それが不憫で不憫で仕方がない。

でもなくなんねえだろうな、過激なことしないと一発当てることもできねえもん。

2016-05-25

宇野常寛冨田真由刺傷事件警察批判したいと言ったらNHKに出演キャンセルされた 接触が悪いことにしろと依頼された」

僕は今回の事件は明確に警察捜査不手際があったと思う

かなりはっきりした形で嫌がらせの形跡がソーシャルメディア上に残っていたし

本人も真剣相談していたのに

警察盥回しに近い扱いをやっちゃっている

それでここまでの事態に発展してしまって

警察認識が甘かったんじゃないかって言う事を

フェアネス観点からコメントせざるをえなかったと思う

僕は放送を見てはいないんだけど

打ち合わせした段階では

接触系アイドル文化を背景にした事件というvtrになっていて

それに補足するような解説にしてほしいという依頼だった

その中にどうしても警察の話は入れて欲しくないという事で僕は出演キャンセルになりました

僕は非常に残念です

何故かというと識者のコメントというのは問題多角的に写す為のもの

事態を立体的に浮かび上がらせる為に識者のコメントは要るはずなのに

この程度のコメント内容で出演をキャンセルされるんだったら何の為の識者のコメント取材なのかなと思った

あとは本当に被害に会った元アイドルの方の回復を祈るばかりです

https://youtu.be/bzdHjDWWd_g?t=36m47s

http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1464125024/

2016-01-20

やっと自分の中での「アイドル文化への違和感」が解消した

SMAP騒動を見てよくわかった。

俺はアイドル文化というやつにどうも乗れず、周囲がAKBで盛り上がっているときも、アイマスあたりを発端とするアニメアイドルブームも、全くわけがからなかった。オッサン世代普通に「どのアイドルが好きだった?」「○○。歳がバレるなぁ〜」なんて会話が成立するようだし、子どもたちはアイカツ?だとかラブライブなどを見ている。しかし俺は乗れなかった。理解できなかった。そして次第に、その乗れなさは嫌悪になっていった。

しかし今回の騒動でやっとわかった。良かった。SMAPには感謝している。ついでにメリーかいババアにも感謝している。

どうでもいいけど、メリーという人は「権力を握っているババアである」という情報以上のものがなかなか入ってこないのはおもしろいと思う。写真全然出てこない。相当にババアから写真は遠慮しているのかもしれないけど、それにしたってここまで見かけないのはすごいと思う。権力の源泉は情報統制ということなのだろうか。にわかババアへの興味が掻き立てられてきた。ミステリアスババアときめいてしまいそうだ。

それで俺が思うところには、アイドル文化というのは、アイドルとファンが同じ方向を向いているときに最大の快感を得られるシステムなんだろう。アイドルアイドルになりたい。トップアイドルになりたい。センターになりたい。金銭欲だとか名誉欲ではなく、純粋表現をしたい。ファンと一緒に。そしてそれをファンは支える。同じ方向を向いて一緒に歩いて行く。

これが快感たりえるのは、つまりこの状態は長くは続かないということがわかっているからだろう。アイドルはいろんな試練がある。そう演出されることも含めて。それはアイドルの周りの要因によるものかもしれないし、単純に人気がなくなることや、アイドルアイドルを目指さなくなるということもあるだろう。自殺とか引退とか。

ジャニーズ事務所はファンとアイドルを同じ向きにすることに長けているようだし、ジャニオタの人も積極的に同じ方向を向きに行っているように見える。

そういうわけで、「一瞬でも同じ方向を向いていられることに感謝」する快楽アイドル文化の源泉なのじゃないかと得心した。ある種の射幸心快楽システムとして。

一緒にしたら怒られると思うけど、不倫をやめられないのと同じような理由なのかもしれない。恋愛はじめの頃の熱情を何度も体験したい人のように。

それにしても、そろそろメリーという闇のババアとその無能な娘とされているジュリーのことがもっとよく知りたくなってきた。

アイドルの次はババアだ!

2015-05-04

アイドルグループ日本独自文化ではない

がーるずちゃんねるにも書き込んだが、AKBジャニーズみたいな集団で歌い踊るアイドルグループ日本独自文化文化ではない

日本以外の国にもわりといるから、特に誇れるもんでもない

ベッカム嫁がいたスパイス・ガールズ

リッキー・マーティンもいたメヌード

アメリカイン・シンク

ピンクレディーより古いジャクソンファイブ

みんな日本国外の歌って踊れるアイドルグループ

その国にはその国のアイドルグループがある

もっとアイドル文化でいうと、フランスアイドル文化日本以上と言ってもいいと私は思う

世界一アイドルソング『夢見るシャンソン人形』はフランス

たまたま秋元康クールジャパンに噛んだだけ

AKB日本独自ポップカルチャーではない

2015-04-07

アイドル文化」が日本特殊性

クールジャパンとか言って持ち上げるのも、日本特有ロリコン文化みたいに言って恥ずかしがるのも、何か変なナショナリズムに毒されてる。

EXILEみたいなのもAKBみたいなのも、探せば世界中に似たようなのがいるだろう。

オリンピックやらで現地のよく分からないタレントがしゃしゃり出るのもよくある話だし、今さら国の恥みたいに言う程のことか?

2015-02-16

アイドル論」で女性アイドルしか語らないのは片手落ち

女性アイドル論」なら女性アイドルだけでいいけど、「アイドル論」で男性アイドルが語られないのは不自然でしょう。

 

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO79804640X11C14A1000000/

2014年コンサート動員数ランキングを見ると、1位EXILE、2位BIGBANG、3位嵐、4位SMAP、5位関ジャニ…と男性アイドルが続く。

女性アイドルは9位のももクロが最も上で、14位にAKB。13位の安室奈美恵は、女性人気の方が強い。

現場好き」の傾向は圧倒的に女性の方が強く、動員数で言うならアイドル文化女性のものと言ってもいいくらい数字に男女差がある。

 

http://skky17.hatenablog.com/entry/2015/02/15/233446

 女性価値を認めないほうが相手を手に入れやすく、女性価値を求めると相手から拒絶されやすい。その中間でいることは難しい。積極的になるにはどこかで相手の価値否定しなければならず、相手の価値が高いほど自分はもじもじしてしまう。これは男が陥りやすい両極であり、ジレンマだ。

 近年のアイドルという仕組みは、そのジレンマある意味では克服している。

 女性価値を最大化しながらも、自分彼女のために最大限の行動をとれる。女の子価値を認めた上で、それゆえに全力で応援できるという、女性との関わり方に整合性のとれた回路が開かれる。その過程で、アイドル達の価値ほとんど宗教的レベルに達する。

情報が奔流する現代社会で、歴史から切り離され、神の存在を信じられるわけでもなく、経済成長とか社会革命みたいなわかりやす目的もない中で、個人が無根拠に漂っている。人間はそんなに強いものではない。二次元の紙切れに価値を感じるのと同様に、特別美人でもないそこらへんにいるような女の子を信じなければならないことだってあるだろう。

あなた観測範囲がめちゃくちゃ狭いんじゃないすか、と思いました。

まあ人は「考えたいように考える生き物」だから好きにすればいいんだけど。

 

hungchang 彼は飽くまでいくつかの事象を一般化して描いているであって、ユニバーサルな話をしているのではないと思うんだ。私自身がそうだからまったく気にならないし、むしろ読解力の問題ではないかと思ってしまう。

だったら「非モテ男性目線女性アイドル論」とかにすればいいんじゃないですかね。

繰り返すようだけど観客動員数ランキング上位10位中、8つが男性アイドルグループなんですよ。

アイドル市場多数派男性アイドル買い支え女性ファンなんですよ。

そこで「近年のアイドルという仕組みは、男のジレンマを克服している」とか言ってるもんだから「はぁ?」と思うわけです。

そういうもの必要とされるというのは、なかなかしんどい時代ってことなのかもしれませんね。

歌舞伎はなんなんだよ(笑)

 

男性アイドルを応援している女性には、東方神起オタの既婚女性やらジャニオタ彼氏持ちやら、

男に不自由しているわけでもない女性が非常に多いわけです。だから元の記事を男女反転させた

 男の子と「普通」に接するって、かなり難しい。適切な距離の取り方は、恵まれ環境にいなければなかなか身につかない。

 男性価値を認めないほうが相手を手に入れやすく、男性価値を求めると相手から拒絶されやすい。その中間でいることは難しい。積極的になるにはどこかで相手の価値否定しなければならず、相手の価値が高いほど自分はもじもじしてしまう。これは女が陥りやすい両極であり、ジレンマだ。

以上の説が正しいのなら、価値否定することで彼氏旦那を手に入れつつ男性アイドルを崇拝している女性が世にたくさん居ることになりますね。

普通」が出来ないからアイドル需要が生まれるんでしょう?(笑)

 

アイドルになりたいと思う女の子がたくさんいるのは、よくわかる。彼女たち自身にとっては漠然とした憧れの感覚なのかもしれないが、それは、人間の身でありながら二次元になろうとする試みなのだ

アイドルになりたいと思う男の子がたくさん居るからバンドマンやら、エグザイル養成所に通う男子やらが居て、ジャニーズにも常に新しい人材供給されているのでは?

のしっきーって人、客体化された男性二次元を含む)が女性に消費されている現場を全く知らなそうだよね。

「見たくないものは見えない」「考えたいように考える」ものすごく普通人間だということなんでしょうね。(笑)

2015-01-27

自分の国の大衆文化アイドル文化が大きく存在することについて

マツコさんの記事話題にあがっていたので前から思っていたことを書こうと思う。

僕はもともとアイドル文化に興味はなく、かといって悪感情があるわけでもなかったので、

視界に入らないぶんには日本独特の文化だし、一部の海外の人には受け入れられて

今後も脈々と楽しまれていくんだろうな、くらいにしか思っていなかった。

でもここ何年かはアイドル文化文化としてメインストリームになり、

街を歩いていると嫌でも目にするようになった。

それこそお店で流れる有線なんか、半分くらいはアイドルソングなんじゃないかと思う。

こうやって生活圏内にどんどんアイドル文化が侵入してくると、だんだんその魅力でもあるはずの

幼児性になぜか自分の方が恥ずかしさを覚えるようになってきてしまった。

アイドルブームは昔もあったし、今の状況が日本人的に特殊ではないと思うけど、

世界が狭くなったこの時代喧伝される日本の姿がこれだと思うと、やっぱりなんだか恥ずかしい。

自分の恥ずかしい気持ちはこうした外面を気にした感情だと思うけど、

それこそオリンピックで披露する際の云々というよりは、日常生活の中で起き始めている感情なわけで、

そういう意味自分にとってはタイムリー話題だった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん