はてなキーワード: アイドル文化とは
あの作品がアイドル=カワイイを脱却できていると思う点は大きく二つある。
ひとつは、主軸として「(私達で)終わりにする」物語だというところ。
カワイイという他人に媚びた、というと言い方が悪いが、他人のウケに依存する状況を続けていると、
どうしても商業的になってきてその「カワイさ」を演じ続けることを強いられるようになっていく。
それは現実的に考えても辛いことだし、アニメとはいえ女性も人間、歳をとり成長し進学就職していくもの(=ずっと一緒には居られない)というリアルな思考が、暗黙的にキャラクターたちにも存在していた。
そこで彼女たちは、アイドルという青春を引き伸ばす道を選ばずに、作中にして若干1年、現実の声優ユニットとしても5年で「おしまいにした」。
それも、人気の絶頂の最中でその決断を、予め意図したとおりに断行した。
その振る舞いには、これまでのアイドル文化に対して投げかけるような強烈な思想を感じる人もいるだろう。
作中のライバルグループは、メジャーデビューして続けていくことを選んだが、
彼女らはそれを否定するでもなく、「私達がどうありたいか」という思考を大切にした。
その思考について、本編だけでなく劇場版の過半をそれに割いてまで、伝え続けた。
そういうところが非常に現代的だと思うし、観る者に旧来のアイドル観からのアップデートを促すようにも感じられる。
ふたつ目は、作中における「カワイさ」の表現について、あくまでも彼女ら自身の「カワイイ」観・美意識に基いているところ。
パフォーマンスを自分たちの手で、裁量で、決定し作り上げているというところから、現代的な感覚に寄り添う配慮がみられる。
そもそもアイドル活動を部活という設定にしたところからそうだけれど。
もちろん美少女もののメディアを原点にした作品だから、彼女らが自発的に表現した「カワイさ」自体が男性ウケに寄せてあることは否定しない。
けれども内発的に行動している設定にすることで、「やりたくないけどウケの為にやらされる」ような見る側も心苦しい媚び方を見せなくてよくなった(少なくともアニメ上では)。
それどころか、彼女らの美意識に従えば、それの転び方によっては「ウケは悪いが独特な自己表現をするグループ」になっていたかもしれない。
実際に作中で迷走してロックバンドKISSのコスプレをしだす一幕があったほど。
ともかく、そうした主体的に行動するウーマンパワー的な土壌を作っておくことで、女性視聴者も作品を受け入れやすくなった。
結果として「一見男性向け作品なのに女性ファンも非常に多い」コンテンツとなった。これも今時のヒットコンテンツではよくある現象だ。
ちなみに、この「自分たちがカワイイと思うことはやるけど、そう思わない(嫌な)ことはやらない」という、
女性アイドルら自身の尊厳を守るというかパフォーマーとしての意志を尊重する動きは、大手に属さずにアイドル的な活動をする現実の若者にも広がっており、
もはや今の若者はそういうグループしか応援しない、と言うと大げさだが、そういう審美眼はちゃんと持っている人が多い。
他のアイドルアニメ作品でもそういう思想は共通していて、例えばアイドルマスターシンデレラガールズも、
アイマス作品は土壌としてファンを大切にする文化があるにもかかわらず、アニメでは「ファンの期待に応える」ような描写はほとんどなかった。
描かれたとしても「ファンはいつも支えてくれている」というような、受容の存在として描かれていて、ファンの期待や要望の圧力に従うような描かれ方はしなかった。
その一方で何が描かれたかというと、一貫して、アイドルたち自身の内面の成長が描かれた。
ただ、外面からの圧力がなかったわけではなく、それはプロダクションやTV局側の方針との衝突いった形であらわれており、
それと折り合いをつけながら、けれども自分の守りたい個性や魅せ方も守っていくあり方を、
周囲の支援のなかで「彼女ら自身が」見いだしていく、という大筋になっている。
やはりラブライブと同様に、いい意味で「内輪で閉じている」のだ。そしてそれを良しとしている。
まるで、この世界のプロデューサーの仕事は、個性的な人たちの自己実現を助けることが主で、
その過程で生まれるキラキラをパフォーマンスという副産物に変えて売っているかのよう。
そして、「それは創作上だからこそできる綺麗言だよ」とはもはや言い切れない時代だと感じる。
自分たちがやりたいようにやるから、共感してくれる人はついてきて。
そういう思想をベースに、角が立たないように上手にやっていく。
もちろんそういう風潮にもマイナス面は当然ある。
商売に長けたプロデューサーに主体性を奪われないために、アイドルら自身にセルフプロデュース力が求められる。
成功するグループとしないグループの差はより残酷に可視化される。
けれども私たちは、往年のアイドル文化を作ってきた人たちが、丸坊主にしたり惨めな謝罪会見をさせられたりと、もっとむごたらしいものを見てきた。
だからアイドルが主体性を取り戻した「パフォーマー」に変化していくのは時代の流れだし、そういう価値観を含む創作がヒットするのも必然のことだと思う。
かつてのオタク文化の評論などで有名になって文化人を気取っている40、50の方々は、やはり頭がカタくなっておられて、
あまり最近のアニメ、とくにアイドルアニメなんかについて好意的な評をしない、どころか言及すら嫌がるレベルで卑しめがちな感じがする。
岡井ちゃんがはじめて私たちの前に姿を現した2002年6月のハロモニを
当時20歳だった私は、一人暮らしのワンルームマンションの14型のテレビデオでぼんやりと見ていた。
8歳の岡井ちゃんはアイドルとは無関係に思える「カントリー・ロード」をたどたどしく歌っていた。
その姿はどうしても有名になりたい才気あふれる特別な女の子というよりは、
大人が笑ってくれたり褒めてくれたり叱ってくれたりすることがうれしくてしょうがない、
ただの人懐っこいひとりの子どもというように見えた。
私はハロプロキッズに対して得体の知れない忌避感と哀れみを感じた。
あんなにもかわいい子どもたちにも関わらず、なにかマズいことが起きているという直感は
それをどういう言葉で表したかは人それぞれだが、ネット上ではそれなりに共有されていたように思う。
ただ、彼女たちが成長し魅力を増していく過程のなかで、それは杞憂だったと誰もが手のひらを返した。
私もその一人だ。
ところで、「今2016年にアイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」がいるとして
(それに何を感じ、どう行動するかは個人差はあれど)
私やこれを読んでいるあなたと大きく違わないのではないだろうか。
どうしたって突き付けられる事件が多すぎる。
そしてそこに無頓着なのは私だけではなかったのではないかと思う。
モーニング娘。がブレイクする1999年まではアイドル冬の時代と言われていた。
諸説あるだろうが、その始まりをおニャン子クラブが解散する1987年とするなら
もはやその連続性のなかでアイドル文化を捉えられる人たちはきわめて少数になっていた。
多くの人々が祝福し、「CAN YOU CELEBRATE?」が日本中の結婚式で歌われた。
ジャニーズでも20代になれば結婚してアイドルのまま家族を持つ時代がやってきたのだと誰もが思った。
そのようなおおらかな空気の中でモーニング娘。が女性アイドルを復活させ、岡井ちゃんはオーディションに合格した。
意志をもってアイドルになった、というより気づいた時にはなっていたというほうが近いのかもしれない。
ハロプロが女性アイドルに再び春を呼び戻した頃も、恋愛は絶対的な禁忌ではなかった。
週刊誌報道はスルーされ、ファンのため息がなにか風を起こすようなことはなかった。
今とあまりにも違う。
その時代の空気の変化の中に一番最初に巻き込まれ傷ついてきたのが
実は℃-uteであるということはもっと知られてもいいと思うし、
℃-uteのファンでも忘れてしまっている人もいるのではないだろうか。
詳しくは書かないが、ファンや事務所の締め付けが厳しくなる中で
実績のある先輩たちはある種の図太さを見せながらサヴァイヴしていったが
℃-uteのメンバーはいきなり力尽きるように表舞台から次々と姿を消していった。
℃-uteやBerryz工房のことを、きれいな空気のなかで大切に育てられ
人生の大半をアイドルに捧げた純粋性の高いエリートであるように言う人は多い。
長い時間をかけて深く引き裂かれてしまったのもまた彼女たちなのではないだろうか。
そして、岡井ちゃんやまいまいや梨沙子のような、本当に幼い頃からキャリアをスタートさせた子ほど、
その欺瞞を合理化するような術をいまだ持てず、混乱の中にいるのではないだろうか。
「今2016年にアイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」や
ここ数年でアイドルを好きになったファンたちとは見えている世界があまりに違うのだ。
舞美ちゃんのブログの更新を待っている間、夢幻クライマックスを何回も聴きながら
岡井ちゃんにとって「強くなりすぎた」とはどういうことなのか、
なにが舞美ちゃんを「さみし」くさせているのか、私はずっと考えていた。
小学生の将来の夢の第三位がYoutuberになるほどネットのタレントが生活に馴染んできた。
いま世の中にいるYoutuberの大半を快く思っていないが、一応嫌いな理由が言える程には見るようにしている。で、だ。
僕はそこまで見てとあることに気がついた。「Youtuberとアイドル文化には同じクソなところがある」ということ。
簡潔に言ってしまおう、「人が多すぎるので一発当てようととにかく過激になる」である。
やはり先駆者は強い。Youtuberも先駆者は安定して綺麗な動画で食っていけるが、大学生がその場のノリで開設したようなの(僕が嫌いなタイプ)はとにかく過激なことをする。
人の髪の毛勝手に切ったり、ゲームのデータ勝手に飛ばしたり、一般人に迷惑をかけても家をめちゃくちゃにしても、なんでもいいんだ。一発当てるためだから。
アイドルでも同じ事が言える。ファンとやたら近くなったり、やたらスカートを短くしたり、変に景気アップに絡んだり、下ネタを言わせまくったり、失礼な態度を取らせまくったりする。
問題はこいつらが一発当てちゃうこと。一発当てちゃうとYoutuberなら迷惑行為を続けなきゃいけないから本人たちもハラハラだし、アイドルも鬱憤が絶対にたまってくる。
また、こいつらが一発当てちゃうと今後アイドルやYoutuberになりたいと思っている奴らも若干の洗礼を受ける。それが不憫で不憫で仕方がない。
でもなくなんねえだろうな、過激なことしないと一発当てることもできねえもん。
かなりはっきりした形で嫌がらせの形跡がソーシャルメディア上に残っていたし
打ち合わせした段階では
それに補足するような解説にしてほしいという依頼だった
その中にどうしても警察の話は入れて欲しくないという事で僕は出演キャンセルになりました
僕は非常に残念です
何故かというと識者のコメントというのは問題を多角的に写す為のもので
事態を立体的に浮かび上がらせる為に識者のコメントは要るはずなのに
この程度のコメント内容で出演をキャンセルされるんだったら何の為の識者のコメント取材なのかなと思った
あとは本当に被害に会った元アイドルの方の回復を祈るばかりです
https://youtu.be/bzdHjDWWd_g?t=36m47s
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1464125024/
俺はアイドル文化というやつにどうも乗れず、周囲がAKBで盛り上がっているときも、アイマスあたりを発端とするアニメのアイドルブームも、全くわけがわからなかった。オッサン世代は普通に「どのアイドルが好きだった?」「○○。歳がバレるなぁ〜」なんて会話が成立するようだし、子どもたちはアイカツ?だとかラブライブなどを見ている。しかし俺は乗れなかった。理解できなかった。そして次第に、その乗れなさは嫌悪になっていった。
しかし今回の騒動でやっとわかった。良かった。SMAPには感謝している。ついでにメリーとかいうババアにも感謝している。
どうでもいいけど、メリーという人は「権力を握っているババアである」という情報以上のものがなかなか入ってこないのはおもしろいと思う。写真が全然出てこない。相当にババアだから写真は遠慮しているのかもしれないけど、それにしたってここまで見かけないのはすごいと思う。権力の源泉は情報統制ということなのだろうか。にわかにババアへの興味が掻き立てられてきた。ミステリアスなババアにときめいてしまいそうだ。
それで俺が思うところには、アイドル文化というのは、アイドルとファンが同じ方向を向いているときに最大の快感を得られるシステムなんだろう。アイドルはアイドルになりたい。トップアイドルになりたい。センターになりたい。金銭欲だとか名誉欲ではなく、純粋に表現をしたい。ファンと一緒に。そしてそれをファンは支える。同じ方向を向いて一緒に歩いて行く。
これが快感たりえるのは、つまりこの状態は長くは続かないということがわかっているからだろう。アイドルにはいろんな試練がある。そう演出されることも含めて。それはアイドルの周りの要因によるものかもしれないし、単純に人気がなくなることや、アイドルがアイドルを目指さなくなるということもあるだろう。自殺とか引退とか。
ジャニーズ事務所はファンとアイドルを同じ向きにすることに長けているようだし、ジャニオタの人も積極的に同じ方向を向きに行っているように見える。
そういうわけで、「一瞬でも同じ方向を向いていられることに感謝」する快楽がアイドル文化の源泉なのじゃないかと得心した。ある種の射幸心、快楽システムとして。
一緒にしたら怒られると思うけど、不倫をやめられないのと同じような理由なのかもしれない。恋愛はじめの頃の熱情を何度も体験したい人のように。
「女性アイドル論」なら女性アイドルだけでいいけど、「アイドル論」で男性アイドルが語られないのは不自然でしょう。
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO79804640X11C14A1000000/
2014年のコンサート動員数ランキングを見ると、1位EXILE、2位BIGBANG、3位嵐、4位SMAP、5位関ジャニ…と男性アイドルが続く。
女性アイドルは9位のももクロが最も上で、14位にAKB。13位の安室奈美恵は、女性人気の方が強い。
「現場好き」の傾向は圧倒的に女性の方が強く、動員数で言うならアイドル文化は女性のものと言ってもいいくらい数字に男女差がある。
http://skky17.hatenablog.com/entry/2015/02/15/233446
女性に価値を認めないほうが相手を手に入れやすく、女性に価値を求めると相手から拒絶されやすい。その中間でいることは難しい。積極的になるにはどこかで相手の価値を否定しなければならず、相手の価値が高いほど自分はもじもじしてしまう。これは男が陥りやすい両極であり、ジレンマだ。
近年のアイドルという仕組みは、そのジレンマをある意味では克服している。
女性の価値を最大化しながらも、自分が彼女のために最大限の行動をとれる。女の子の価値を認めた上で、それゆえに全力で応援できるという、女性との関わり方に整合性のとれた回路が開かれる。その過程で、アイドル達の価値はほとんど宗教的なレベルに達する。
情報が奔流する現代社会で、歴史から切り離され、神の存在を信じられるわけでもなく、経済成長とか社会革命みたいなわかりやすい目的もない中で、個人が無根拠に漂っている。人間はそんなに強いものではない。二次元の紙切れに価値を感じるのと同様に、特別美人でもないそこらへんにいるような女の子を信じなければならないことだってあるだろう。
あなた、観測範囲がめちゃくちゃ狭いんじゃないすか、と思いました。
まあ人は「考えたいように考える生き物」だから好きにすればいいんだけど。
hungchang 彼は飽くまでいくつかの事象を一般化して描いているであって、ユニバーサルな話をしているのではないと思うんだ。私自身がそうだからまったく気にならないし、むしろ読解力の問題ではないかと思ってしまう。
だったら「非モテ男性目線の女性アイドル論」とかにすればいいんじゃないですかね。
繰り返すようだけど観客動員数ランキング上位10位中、8つが男性アイドルグループなんですよ。
アイドル市場の多数派は男性アイドルを買い支える女性ファンなんですよ。
そこで「近年のアイドルという仕組みは、男のジレンマを克服している」とか言ってるもんだから「はぁ?」と思うわけです。
男性アイドルを応援している女性には、東方神起オタの既婚女性やらジャニオタの彼氏持ちやら、
男に不自由しているわけでもない女性が非常に多いわけです。だから元の記事を男女反転させた
男性に価値を認めないほうが相手を手に入れやすく、男性に価値を求めると相手から拒絶されやすい。その中間でいることは難しい。積極的になるにはどこかで相手の価値を否定しなければならず、相手の価値が高いほど自分はもじもじしてしまう。これは女が陥りやすい両極であり、ジレンマだ。
以上の説が正しいのなら、価値を否定することで彼氏や旦那を手に入れつつ男性アイドルを崇拝している女性が世にたくさん居ることになりますね。
「普通」が出来ないからアイドルの需要が生まれるんでしょう?(笑)
アイドルになりたいと思う女の子がたくさんいるのは、よくわかる。彼女たち自身にとっては漠然とした憧れの感覚なのかもしれないが、それは、人間の身でありながら二次元になろうとする試みなのだ。
アイドルになりたいと思う男の子がたくさん居るから、バンドマンやら、エグザイルの養成所に通う男子やらが居て、ジャニーズにも常に新しい人材が供給されているのでは?
マツコさんの記事が話題にあがっていたので前から思っていたことを書こうと思う。
僕はもともとアイドル文化に興味はなく、かといって悪感情があるわけでもなかったので、
視界に入らないぶんには日本独特の文化だし、一部の海外の人には受け入れられて
今後も脈々と楽しまれていくんだろうな、くらいにしか思っていなかった。
でもここ何年かはアイドル文化が文化としてメインストリームになり、
街を歩いていると嫌でも目にするようになった。
それこそお店で流れる有線なんか、半分くらいはアイドルソングなんじゃないかと思う。
こうやって生活圏内にどんどんアイドル文化が侵入してくると、だんだんその魅力でもあるはずの
幼児性になぜか自分の方が恥ずかしさを覚えるようになってきてしまった。
アイドルブームは昔もあったし、今の状況が日本人的に特殊ではないと思うけど、
世界が狭くなったこの時代に喧伝される日本の姿がこれだと思うと、やっぱりなんだか恥ずかしい。
自分の恥ずかしい気持ちはこうした外面を気にした感情だと思うけど、