2019年05月10日の日記

2019-05-10

anond:20190510230628

中高時代の友人で妹が3人いるという奴がいたが、妹たちに部屋が与えられるせいで本人は屋根裏暮らしな上にグレたDQNな次妹にパシられててちょっとかわいそうだったな

子供が多ければ多いほどいい、っていうのも大人側のエゴだよ、エゴが悪いってわけじゃないけど他人に誇るべきものでもない

anond:20190510230755

お前が表現の自由を抑圧したいと思う欲望は「公共の福祉」でも「世間常識」でもないぞ。

世間の決まりには表現の自由保障されてる。

議論の場に立ちたいなら自分と「世間」の区別をつけてくるんだなぁ

規制派は結局、分かりもしない「世間常識」とか「公共の福祉」に逃げ込むことしかできない。

ここにきて愛子天皇待望論が盛り上がっている理由

あらためて最近愛子さんの顔立ちをみると、ものすごく上皇とも今上ともそっくりからだと思う。

男系遺伝子が云々とかいヨタ話を吹っ飛ばすくらい、色濃く「皇室遺伝子」を感じさせるお顔立ち。

あの顔で「次の天皇です」と言われたら、反対のしようが無い。

これが、婚約当時は「美人」と騒がれた上皇后や皇后の血の方を彷彿とさせるお顔立ちだったら、また世間の反応は違っていたように思う。

真剣に答えて欲しいんだけど

夜の営み何回戦できる?

自分は息子的にも気分的にも2回戦以上やる気全然ならないんだけどさ。

Hな漫画とかじゃ何回戦もやってるじゃん(参考にならないとはいえ)。

実際どーなの?

anond:20190510230202

まず表現の自由が「表現者自由」でなく「表現を受け取る側の自由」と思い込んでた

出発点から藁人形

言っても無いし思っても無い。

そして、BL本には有害図書指定はおこっていないとおもっていた。

同上

一般女性が指摘したこと規制本が増えるとおもっていた。実際は発売前に議会などで決定されている。

同上。

フェミ規制する権限など無い。ただ暴力的クレームで潰すだけだ。

CMという棲み分けできない(子供が目にする可能性がある)ものだけを挙げてきた。そりゃそうだ。

子供が目にするコンテンツオタクでいけない理由をどのフェミ根拠尽きて説明できない。

そして「棲み分け」というならオタク不快コンテンツも当然棲み分けてくれるんだよな?お前の書き込みとか。(これも答えられない)

指摘した側は原作レイプとか現実認識を曲げるものフィクションとして棲み分けしろっていってるだけ。

現実認識を曲げる」が証明されてない。棲み分け必要なし。

なぜ自由戦士は電書が買えないとおもったのか。

未成年で電書登録できないのか

電子書籍で買えない訳じゃないが、電子書籍限定されるべき理由はない。

表現者表現の場を選択するのも表現の自由

未成年で電書登録できないのか。

なら子供のくせにエロ本リアル書店で好きなだけ買いたいなんてワガママなだけだろといったら発狂して最初から表現の自由ガー(受け取る側の自由よこせ)と繰り返し始めた。

この根拠なき妄想が示す通り、どちらが発狂たかは明らか。

犯罪がおこりそうなとき参加者全員が安全第一でやる。あたりまえだよな。

バス事件は当然知っていたが、かの事件のような急迫不正侵害がどこに起こってる?

犯罪が起こりそう」を証明してくれ。

あと、あの事件テロリストに屈したという点で対応に誤りがあったと思ってるよ

徹頭徹尾曲解邪推妄想オンパレード

対人論法しか出来ないことはよく分かったよ

anond:20190510230719

どういうこと?下級国民連帯しないか労働争議革命もおきなくて上級国民支配は磐石だってこと?

anond:20190510230735

じゃあそのまともな母親とよくはなしあってからここにきてくれないか

まず「俺はエロ本書店で買える権利ペドフィリア幼児性交する権利って基本的人権だとおもうんだけどどう思う」って質問からどうぞ

日本社会が「失われた30年」とか騒いでる間に、ポルトガル大先生は「失われた250年」を絶賛継続中なんだよなあ

やっぱり本物の衰退先進国は格が違う(確信)

就職して2年でホァーッ!!

20万しか! 貯金増えてないじゃん

いったい何に使ったんだ?

同期は年間100万とか、いやあいったいどうなってんの?

anond:20190510230439

はいはい、おまえのなかでは揺るがないな

wikipediaをおまえが書いたなんてはなから期待してないよ

議論の場に立ちたいならまず世間一般常識やきまり認識してからこいって言ってるだけだ

おまえのいう人権私利私欲権だから公共の福祉に優先させることはできません

おわり

強く生きる

自信がないから疑うんだ

いか、強く生きろ

全部自分のものになると思うな

余計なことは言うな

耐えろ、負けるな

どうしてもだめならシコって寝ろ

anond:20190510230545

きっと君の母親はそういうクズだったので君もそのように育ってしまったのだろうけど

この世の大抵の母親ちゃん社会でまっとうに生きてきた結果として結婚して子供ててるんからもっと常識的だよ

子育てコスパで語れない」って言う人も、持つ子供は1、2人程度

なんか最近子育てリスクコスパで語るのは嘆かわしい」みたいな論者が増えてるけどさあ

結局そういうこと言う人らも、育ててる子供の数はせいぜい1人か2人程度なんでしょ??

「さすがに3人、4人となると家計が厳しい」ってなって、産もうとはしてないんでしょ???

リスクコスパ概念に囚われてんじゃん。

子無しの人間よりは相対的に背負ってるものが多いか

リスクコスパに囚われない人間」と自己定義したいんだろうけど、

そっから大家族モノみたいな状態になろうとはしないんじゃ~ん。

リスクコスパに囚われない人間」と自称するんだったら、

せめて子供を5人から10人くらい持ってからにしていただきたいもんでありますなあ。

anond:20190510230435

ヒント 本来フェミ要素はどの女の人ももっている

ミソジニストが目についた嫌いな女をフェミと都合よく分類してるだけ

 

「翔」の字の羊偏って甲骨文字ぽくない?

anond:20190510230202

毎回言ってるが、私が言っても無いことを並べ立てて論破ごっこしても何にもならないぞ?

表現の自由は揺らがない。

anond:20190510224942

ヒント

ぼくのママときみのママとその他のママは全部違う人

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

日本人の下級国民はお肉でできた働いて納税する用の機械なんだからサードプレイスなんて必要ないのでは

anond:20190510011821

それは実際に存在するという意味での架空ですか?

anond:20190510225543

ようやく帰ってきたか。駄目じゃないかフェミニストとの戦いを投げ出したりしちゃ。使命を果たすのだ。

anond:20190510225945

anond.hatelabo.jp/20181114164030から自分で再掲するね

横さんにはすまないが、こいつは常識がないのでどれもつまらないと思う。

・まず表現の自由が「表現者自由」でなく「表現を受け取る側の自由」と思い込んでた

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1 表現の自由作品発表するがわのためのもの

  

・そして、BL本には有害図書指定はおこっていないとおもっていた。

http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/dms/ss/bukai/H28yugaitosyo.pdf 拷問本、BL本もエロ本同様規制対象だ。

 

一般女性が指摘したこと規制本が増えるとおもっていた。実際は発売前に議会などで決定されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%AE%B3%E5%9B%B3%E6%9B%B8#%E6%B5%81%E9%80%9A%E6%A5%AD%E7%95%8C%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C

 

・で、いままでに一般女性が指摘したこと規制がかかった作品リストはあるのかと尋ねたら

https://anond.hatelabo.jp/20180927093435

CMという棲み分けできない(子供が目にする可能性がある)ものだけを挙げてきた。そりゃそうだ。

どれもさほどオタク向け萌えコンテンツには見えない。

指摘した側は原作レイプとか現実認識を曲げるものフィクションとして棲み分けしろっていってるだけ。

子供が目にしてはいけない作品女性用に存在していないわけではなく(2つ上のリンク指定図書リストにあるとおり)、

書店ではなく電子書籍ネット通販で買えばいいだけで、成人女性はたいていそうしている。

なぜ自由戦士は電書が買えないとおもったのか。

未成年で電書登録できないのか。

なら子供のくせにエロ本リアル書店で好きなだけ買いたいなんてワガママなだけだろといったら発狂して最初から表現の自由ガー(受け取る側の自由よこせ)と繰り返し始めた。

 

 

さら腐女子プロ漫画家表現自粛させられた経験として

黒子のバスケ脅迫事件https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E5%AD%90%E3%81%AE%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%B1%E8%84%85%E8%BF%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

があるのも知らなかった。犯罪がおこりそうなとき参加者全員が安全第一でやる。あたりまえだよな。

兵庫県警は頑張ってるんだよ

この前兵庫県警のおじさんに会ってね、最近ひったくり被害いから気をつけてくださいねって言われてね。へぇって思ったね。

 

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