はてなキーワード: 排外とは
「バカにする」「虚仮にする」という、いじめの延長でしかないような『戦い方』しか知らない自称リベラルがネットに増えてきた。
これによって広まった「ネトウヨはみじめなもの」「ネトウヨは負け犬のなるもの」という無意味なレッテルが、逆にネットの差別的言動を助長している。
「自分は自民党に盲目的にすがるような負け犬ではないからネトウヨではない」と言いながら、ただ四方八方に差別発言を繰り返すだけのネトウヨが増えて来た。
「ネトウヨ」が社会の敵、排除すべき害悪なのは、彼らが負け犬だからでも、現実逃避的だからでも、盲目的な自民党、安倍晋三信者だからでもない。
「差別をする」「非人道的な排外行動、ヘイトスピーチを行う」それによって「社会に壊滅的な分断をもたらす」からだ。
「ネトウヨ」を虚仮にして、いじめに対抗すると言いながら別のいじめを生むだけという幼稚な行動しか取れない退廃的「リベラル」はこれを助ける存在でしかない。
彼らに本当に誠意があるなら、「ネトウヨ」の問題は「馬鹿」だとか「宗教的」だとかということではなく、下品で俗悪な排外行動そのものだという原点に立ち返るべきだ。
それができないのなら、結局日本には、右も左もなく、社会問題をとにかく誰かをいじめてすっきりするための口実くらいにしか思ってないクズしかいないという証明になるだけだろう。
障害者差別解消法の付帯決議で「周辺住民の同意を求めないことを徹底する」というものがあり、GH運営会社は住民説明会を一切やる必要がない。
運営会社が、「入居者が周辺住民とトラブルを起こした際に免責とすることを周辺住民と合意」するためである。ストレートに言えば運営会社自身を守るためである。
実際の紛争例として「入居者が肩を叩いてきたり突進してきたりするかも知れないが、当社は関与しません。入居者とのトラブル解決は当事者同士で行ってください」と書かれた紙が住民説明会で配られ大炎上したというのがある。この事例では自治体がGH側に撤退勧告をしてGH開設は見送りになった。
刃物で刺されても、強姦されてもGH運営会社は住民説明会を通じて免責されているため、被害者は泣き寝入りである。刑事訴訟も出来ない。
さすがに毎日は起きない。ただ、運営会社がこのような住民説明会を行い、リスク回避に走るくらいの発生頻度はある。年1〜数回といったところか。GHに入れる程度の軽度な知的障害者なのでリスクは割と高い。むしろ重度知的障害者のほうがはるかにリスクは低い。彼等は家から出られず体力も筋力もないからだ。
このようなGH運営側の責任回避行為が反対運動の主因であることは頭に入れておいて欲しい。その上で「それでも差別行為である」というのなら仕方がない。
「ぱいどん」がかなり前なんで手塚治虫AIのことだいぶ忘れてると思う
前回のぱいどんの時はまずSDとかMidjourney、ChatGPTもない時期だった(TEZUKA2020プロジェクト)
当時2ページだけ作るつもりが、キャラクターとプロットを出させたところでえらいページ数になったうえ、原稿はゴリゴリ人がやった
資料取り寄せないと分からないが、ぱいどんも今度のBJについても「権利者がOKを出した素材のみで構成されたデータセットを利用したAI」っぽそうなので、一応クリエイターが各所に要求してる無断学習せず許可取りという点が解決できてる(はず)
ただまあビッグテックやAI企業各社が盛大にやらかし続けているので、段階が細分化されずAI排外までゴールが設定されてる雰囲気があるから難しいところではある
とりあえず「AIを使いたい業界団体とかの後押しでぽっと出で描いた」みたいなケースではない……と願いたい(今年5月発足なのが怖い)
森奈津子さんがトランスジェンダーの不幸を笑いColaboバスを引き裂く画像を表紙にした本を出していてドン引きした
https://note.com/wnyaosuke/n/n0e0ec17edb6a
瀧波ユカリさんが斎藤環さんの本を本来の意図とは正反対の形で利用して集団総括リンチを礼賛していてドン引きした
https://togetter.com/li/2246200
行き着いた先は全然違うけど先鋭化の度合は似てる
二人とも昔はこんな人じゃなかったはずなんだけどな……
幅のある人というと伝わりにくいかもしれないけど
私が好きだった頃の森奈津子さんと瀧波ユカリさんには批評性とユーモアと余裕があった
Twitterをやりすぎてエコーチェンバーに呑まれてしまったのかな
悲しいよ
世の中では対話AIはややポンコツなところはあっても会話が成立するしこれは可能性があるという評価になってると思う。
建設的にはサポートや検索のような知的ナビゲーター、ビジネスコミュニケーションの効率化、事務の補助も考えられるだろう。
もう少し精度が上がれば。
しかし今現在のレベルでそのまま劇的に効果を発揮するカテゴリーが存在すると思うのだ。
Twitter、掲示板、通販ユーザーコメント、そのほか短文で意見交換するコミュニティなんでも...UGC(ユーザー生成コンテンツ)と言われるものだが実態はコンテンツというよりユーザー同士のグルーミングである。
しかもあまり発信者の属性や一貫性がそれほど問われないサービスでは個別発言の事実関係がいい加減でも問題ない、話の流れが分かってない奴なんかいくらでもいるし、頭がおかしくてもスルー、タイポも気にする奴が性格悪い。秘書や先生にするには「少し足りない」ぐらいのAIで何ら問題ないだろう。
まず参加者が少ないと更新頻度が低くて何も起こらずつまらない。早すぎて内容追えないぐらい盛り上がってるのが楽しい。つうか経緯も見ずに途中から脊髄反射でコメントするのが粋ってもんだ。
さらに言うと参加者が増えると偏執的な変な奴が相対的に見えなくなって不快になることが減っていく。かつて人気があったサービスでうんざりさせられるのは滓のように残った偏屈な奴が独自の世界観でつまらないことを暇に飽かせて物量で埋めていくさまだ。つまらないの定義って何か?つまらないのがつまらないってことだ…わかるだろう、兄弟?
要するに対人対応だけは健全に保たせたAIをユーザーの倍投入すればコミュニティの治安が劇的に向上するはずということだ。
もともと面白い事を始められる人というのは100人に1人で「マジかよ」「すげえ」という手入れをするだけで場の雰囲気はよくなる。AIなのだから多少気の利いた返しやコスりもできるだろう。言ってることが的外れでも場にネガティブな発言でなければ大丈夫。事実かどうか、倫理的に正しいかどうかも重視されない。AIで話題になる不適切な言説への過学習で差別主義者になるといった問題もコミュニティではむしろプラス、特定の趣味で推しのあまり相手をディスするのも芸のうちだ。
と、おじさん思い出しちゃうのは士郎正宗『アップルシード』だ。物語の舞台オリュンポスは世界平和と治安維持のために市民の過半がバイオロイドになっていた(と思う)。でもあの世界観は物理的な存在が重視されてるし、バイオロイドは政府(コンピューター)が管理してたんじゃないかな。賢明なマザーコンピューターとに選ばれし者が導く明るいディストピアだね。
でも今、対話AIを自由に投下するとそれはサービス主体が管理するしその目的はサービスの隆盛とそれによるマネタイズに限定されコミュニティの健全さやそこから連なる社会的影響は興味の埒外となるだろう。
それによって導き出される結末はあまりよくないというか破壊的なのではないかという想像をしている。
インターネットは最高なのだが何が最高かというと物理的な制限を取り払ってコミュニケーションできたところにある。どこにいてもいいし本人の社会的肉体的属性がなんであれコミュニケーションに参加できた。
マイナーな趣味の人間も探せば同好の士が居て様々な理由で落伍したり、現実に居場所を失った人間も人間らしくふるまえる場所を得ることができた。これは統制された社会ではないので良い意味の現実拡張にとどまらない。オタクやニートや性的マイノリティだけでなく反社会的であったりUFOの存在を信じてたりある種のカルトや陰謀論者もだ。
(そういう意味では実名主義のSNSとかなぜか制限要素の地理情報大好きなメタバースはどういった人が大好きなのか勘ぐってしまう。)
これは物理制限を取っ払ったおかげで対話空間というか価値観空間を無制限に拡張できたおかげだと思うが、同時に問題も引き起こすようになる。無制限に拡張できる価値観空間で同じ価値観の人間がそのクラスターの中で共鳴し「事実を確認」しあうエコーチェンバー現象だ。
エコーチェンバー現象はネットコミュニティが発達していく過程ですでに指摘されていることだ。現実との乖離も社会を破壊しかねない排外思想もその中では正当化され社会運営に問題を起こす。
さらに対話AIがお客様満足度向上(個別の営利)のためにコミュニティに投下されればどうなるのか。
例え一人しか支持しない価値観や趣味でも10倍分の人格の対話AIが楽しく盛り上げ、一人ぼっちのユーザーを勇気づけ誰もが自分の正しさを確信する。正しいと確信するがゆえに行動するが、無制限に拡張されたネットコミュニティと違い有限の現実では確実にコンフリクトを起こす。コンフリクトの解消は戦いだ。万人の万人に対する闘争が逆説的に実現されてしまう。
近代以降、私たちは幻想の中で生きている。そういう幻想が現実との乖離を大きくした結果、個人で検証できない世界の情勢を見誤り誤ったまま国内世論を形成し世界大戦を引き起こしたのではないか。
現代ではその教訓から事実確認のプロセスが充実したのだろうか。工程を増やしても人間の能力も有限でより便利で快適なものを選択する、これも現実だ。
自由な生き方を保ったままエコーチェンバー現象に対応する方法はまだない。
ここで対話AIを自由に使うとコミュニティはどう変化するかわからない。
SFの中でのカタストロフは敵対的アンドロイドが圧倒する物量で自らが主体となり人類に挑んできたが、実際の破滅は善意に満ちて何でも理解してくれる良いAIが人間に囁くだけで、それでも人は自らの手で隣人と殺し合いをするのかもしれない。
でも「反韓・排外感情」という自らの内面すらフラットに見ていると自分には感じた。
憎悪感情があるのは確かだが、憎悪によって目が曇っているようには見えない。
日米安保に対しても観念的なこだわりがあったわけではないと思う。
を流し見た感想。
山上はいわゆるネトウヨとは違い、それなりの正確さで日本の政治状況を把握しながらも自民を支持し続けてきた。
共産党や民主党系の支持者になるほうが一貫しているように思えるが、なぜなのか。
とくに、反共の統一教会を倒したいなら、共産系に流れそうというのがありそうだが、それはしなかった。
その理由は「実体験」に由来した強烈な反韓・排外感情、そこからくる日米安保へのこだわりにありそうだ。
彼は完全な自民信者というわけではなく、むしろ他党議員をフラットに評価する発言も多くあった。
ネトウヨにありがちな、他党の議員への全否定リプもそこまではないのだが、例外が安保関連だ。
志位が日米安保破棄に言及したときなどは、とくに強烈に反応していた。
安倍に対する言及も、基本は振れ幅の少ない是々非々といった感じで、そこまで興味を持っている感じでもない。
むしろ、一般にネトウヨ等に褒められる経済面では格差拡大に言及し、功罪両面に言及しながら総論では否定的な雰囲気である。
方向性をもって褒めているのは、ほぼ外交、とくに安保法制関連の整備に限られている。
他の部分では全て自民党以外の政党支持になりそうな傾向なのに、安保という一点で持って自民以外はありえないという政治的立場のようだ。
統一教会のメイン教義、とくに彼の母親がハマったのは、日本は過去に聖なる朝鮮民族を蹂躙した悪の国であるから、一生奴隷となって償うべきという思想だ。
これに苦しめられた彼は、統一教会だけでなく朝鮮民族全体を憎むようになってしまったのだろう。
だからといって彼は日本の戦前の悪行を否定しているわけでもない。
ネトウヨにありがちな、慰安婦は捏造だとか、日本軍の悪行は嘘だというたぐいの発言は、全くと行っていいほど無い。
しかし、それでも、統一教会の悪行を、朝鮮民族の性質に由来する悪行として一般化した民族憎悪的な発言はかなりの頻度で見られる。
他の事柄に対して発揮されていた現実認識能力は、憎悪によって目が曇り、朝鮮民族と統一教会の弁別に対しては発揮されなかった。
そして、他民族との戦争から日本を守るためには日米安保を守るしか方法がないので、自民を消極支持という感じのことを言っている。
統一教会二世がなかなか左派政党に頼らない傾向があると聞いたことがあり、不思議に思っていたが、多分類似の理由なのだろう。
統一教会の被害にあった人間は、朝鮮民族への強烈な憎悪を植え付けられ、朝鮮民族憎悪を批判する左派と分断される。
とくに、日米安保脱却・東アジア親和傾向をもつような政党を支持することは決して無いように誘導されている。
むしろ自民党は、安保強化を理由とした消極的支持によって彼らの票を吸収できる。
このことが示唆するのは、彼と類似の政治傾向を持つ者は、仮に自民党へ失望したとしても、左派が安保政策を変更しない限りは、むしろより右派に流れるという現実でもある。
維新の伸長や参政党などの右派カルト政党の方向に合流するのだろう。
安保政策を変更しないまま、彼らを説得して取り込むことは可能だろうか?
はっきり言って、だいぶ難しいように思われる。
事実認識を訂正することはできても、憎悪を消す事はできないのだ。
日米安保を弱め、韓国との関係を強化といった方向は、まず間違いなく支持されないだろう。
とくにそのために必要であろう、慰安婦問題の再精算や謝罪と賠償など言及した時点で、むしろテロの標的にされそうである。
国民民主党のように安保政策を変更するという方向はあり得る。しかし、これは左派内ではあまりに大きすぎる政策変更だから、かえって内部分裂を招くだろう。
というか現に招いているのだが。
おまえはMEXICOのお客さんから問い合わせを受けたことがあるか?
MEXICOのお客さんの問い合わせに返信出来てこそ真の男だ!
MEXICOのお客さんの問い合わせがなかったら、おまえはだたの腰抜けだ!
今日はオレがその真の男へなるためMEXICOのお客さんの問い合わせの返信の仕方を教えてやる!
あのさー
各国から年に2~3回は問い合わせが来るんだけど
なんだか地球の裏側から問い合わせが来るのは感慨深いものがあるわよね。
大丈夫なんでしょうね?
お客さんには翻訳サービス使ってるから勘弁してちょんまげ!って前置きをしているから
いままで、
まあ通じてるんでしょうね。
便利な世の中でもあるとともに、
いまや世界の裏側にもお荷物が届けられる便利さはゴイスーだわ。
ただ一番面倒くさいというか手間だというのが
送料の算出がいちいち重さを量って全部手作業になるのが手間っちゃー手間なのよね。
国内だと大手運送会社のサービスを使った伝票発行システムがシステマチックに揃ってるから
何件あっても瞬時に出力ができるのよね。
海外発送がそこがネックだわ。
件数が多くなってきたら手間だけど、
その時考えましょう。
きっと問題を解決するソリューションが解決してくれることをイノベーションでありインスパイヤザネクスト日立アンドスーパーヒトシクンでもあるわ。
でも我ながら、
メキシコの人!聞こえてますかー!って心の中で唱えてしまっちゃったわよ。
心の中でよ。
あとさ
海外の住所ってさ、
メキシコのメキシコ州とかなんかメキシコの中にメキシコがある感じで
日本で言う静岡の日本平って日本日本と続くとなんかこれ正解なのかしら?って疑ってしまうわ。
名前もさー
例えで言って書くと
これ同じ字面が2つ続いてるけど間違いじゃないのかしら?
私の知ってるそういう名前は前田前田とザ・たっちしか知らないわ。
でもまあ、
怒られたこともないし、
私が腰抜けでないことは確かね。
うふふ。
朝起きれなかったのでおにぎり握れませんでした。
気持ちは握っていたのよ!
夢の中で!夢の中で!
今日はもう早く寝ることを心に誓っていきたいと思うわ。
いつか買い置きしておきたいところだし
いっそのこと
いいの探してみようかしらね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まず『政教分離の危機』から『保守派・キリスト教派が力を持ったことで排外感情が強くなった』までは最近のオーストラリアの保守化の理由が語られてて面白いと思うんよ。
もちろん実際に明日学校で広めちゃってもいい内容かはちゃんと裏をとる必要があると思うけど。
ただ4段落目『オーストラリアを見ているとポリコレの正体がわかる』で「えっ?何故急にポリコレの話に?」って俺は思っちゃったんだな。
改めて読むと、冒頭の「貧乳女性のAV出演禁止」に見られるように、性規範の厳格化をポリコレと言っているのかな、と思えるけど。
俺の認識としてはポリコレってむしろ例えばアメリカなら「白人メインで映画などを作るのではなく、黒人、ヒスパニック、アジア系等多様な人種から満遍なく偏りなく起用しましょう」、的な動きと捉えていたから、そこは真逆の動きじゃね?って思った。
ただ俺は保守の動きというよりは、左派・リベラル的な動きと認識していたので、齟齬が生まれた模様。
西洋って確かにキリスト教の影響強いけど、いち早く宗教的なものを乗り越えたって面もあると思うんだよね。同性婚とか。
ポリコレの一面として、性的なものを忌避する傾向は一見確かにあるけど、それを『ただの嫌悪感・フォビア感情』と断じてしまうのは少し早計かなと。
「貧乳女性のAV出演禁止」などオーストラリアがやたらと性規範に厳しい事情理由について説明する
オーストラリアは8年前から連続で自由党率いる保守連合が与党。
まず政教分離の危機が起こってて学校教育に宗教思想が介入するようになっている 。
オーストラリアは年々若年層を中心に無宗教者・無神論者の自由主義者が増えてるけど、
まだまだ国民の過半数がなんらかの宗教を信仰し、その大部分がキリスト教徒。
さらに国民の10人に一人が白人至上主義で、異人種(有色人種)や移民、先住民への嫌悪感があると回答してる。
近年の若者に増える無宗教、無神論に危機感を覚えてて、『伝統』とやらを守るために保守化し保守連合を支持してる。
2019年の選挙でも勝敗を左右する鍵として注目されていたのがキリスト教徒票。
この取り込みに成功した保守連合が勝利し、結果としてますます宗教的保守化がオーストラリアでは進行してる。
かつては移民や難民の受け入れにも積極的だったオーストラリアだけど、
近年はこの影響により急速に排外色が強くなっている。
若者の間ではコロナ前は毎年日本のアニメキャラクターのコスプレをするアニメイベントが開催されていた。
けどそれをずっと快く思わない連中(宗教的保守性と、人種的排他性が由来)が強くなってきている。
そして後者の排外側の意見、主張が年々保守連合の長く続く政権運営によって日増しに強くなっている。
オーストラリアは近年中国と積極的に対立的だけど、あれもキリスト教徒の反共感情と反アジア感情に裏打ちされたもの
まあポリコレの正体がなんなのか、ってことがオーストラリアの保守化、宗教国家化を見てるとよくわかる。
近代化によって忘れ去られかけていたキリスト教的禁欲主義や保守主義を形を変えて復活させたものに過ぎない。
そしてその背後には反移民、反多文化感情が本音として巧妙に隠されている。
ぶっちゃけ有色人種を見たくない、有色人種の文化から影響を受けたくない、排除したいという本音。
『政治的正しさ』を設定して、政治的正しさでウォッシュする方向なわけだ。
ちょうど日本でもVTuberや二次元美少女を公共機関のPRや広告に使ってほしくない連中が目立っている。
しかしただの嫌悪感・フォビア感情で何かをバッシングして差別してることを堂々と認めるわけにもいかないから、
『政治的正しさ』を持ち出して自分の嫌悪感をイデオロギーにすり替える。
「多様性の重視」が全然多様性の重視になっていないのはすでにバレバレだが
むかしむかし、とっても美しい(※注1)けれど、心の美しさについては評価が分かれることもある、王のパートナーの方(※注2)がいました。王のパートナーの方は魔法(※注3)のカガミを持っていて、いつも魔法のカガミにたずねます。
「ルッキズムのような形で受けとられるのは本意ではなく、あくまで主観的な一意見として申し上げるということを前提といたしますが、あなたが一番美しい(※注1)です」
と、答えたのです。
王のパートナーの方は、レインボーパーソンの2度目の保護者(※注6)です。王のパートナーの方は強い遺憾の意を表して、レインボーパーソンをある特定の職業の方(※注7)に処理を委託しようと(※注8)しました。でも心の優しいある特定の職業の方はレインボーパーソンをそっと森の中に隠し(※注9)て、王のパートナーの方にはレインボーパーソンを適切に処理したとうそ(※注10)をついたのです。
レインボーパーソン(※注5)は、山間部に在住の七名の方(※注11)たちと暮らす事になりました。そして山間部に在住の七名の方たちとシナジーを生み出して、サステナブルなグローバル社会をアジェンダとするオポチュニティにコミットしたり、ごはんを作ったりして(※注12)毎日を楽しく過ごしました。
「レインボーパーソン、わたしたちが仕事に行っている間、誰も家に入れちゃいけない(※注13)よ。あの見方によっては威圧感があると評価する声もある王のパートナーの方(※注2)に、ここが知られてしまうからね」
と、いつも山間部に在住の七名の方たちは言うのでした。
ところがある日、「カガミよカガミよ、この世で一番美しい(※注1)のはだれ?」
「山を越えたその向こう、山間部に在住の七名の方(※注11)たちの家にいるレインボーパーソン(※注5)です」
と、答えたのです。
「なんですって!! あのある特定の職業の方(※注7)、裏切った(※注10)ね! よし、こうなれば」
自分でレインボーパーソンを処理しよう(※注8)と考えた王のパートナーの方は、小売業の方(※注14)のご高齢の方(※注15)に化ける(※注3)と、毒のある赤色の果実のようなもの(※注16)を手に七つの山を越えて山間部に在住の七名の方の家に行きました。そして、窓を叩いて言いました。
「美しい(※注1)娘さんに、おくり物だよ」(※注17)
「まあ、何てきれいな赤色の果実のようなもの。ご高齢の方、ありがとう」
けれど、その赤色の果実のようなものを一口(※注18)かじるなりレインボーパーソン(※注5)はバタリと倒れ(※注9)て、二度と目を開きませんでした。
レインボーパーソンが目を開かない(※注8)事を知った山間部に在住の七名の方(※注11)たちは悲しみ、せめて美しい(※注1)レインボーパーソンがいつでも(※注19)見られる様にと、ガラスのひつぎの中にレインボーパーソンを寝かせて森の中に置き(※注9)ました。
そしてある日、1人の王位継承権のある若年の方(※注20)が森で、レインボーパーソンのひつぎを見つけたのです。
「何てきれい(※注1)なパーソン(※注5)なんだ。まるで眠っているようだ(※注21)」
王位継承権のある若年の方は思わず、ひつぎの中のレインボーパーソンに挨拶しました。(※注22)
すると挨拶(※注22)したはずみで、毒のある赤色の果実のようなもの(※注16)のかけらがレインボーパーソンののどから飛び出したのです。(※注3)
目を開けたレインボーパーソンは、
「わたしは、どこにいるのでしょうか?」(※注23)
と、王位継承権のある若年の方に尋ねました。
「ずっと、わたしと一緒にいることも選択肢にありますが、すべてを自由にあなたが選択すること、そしてそれを実現する社会こそが我々全員の目標です。パーソン」(※注24)王位継承権のある若年の方と結婚(※注25)したレインボーパーソンは、ずっと幸せに暮らしました。(※注19)
底本:「白雪姫 グリム童話 <福娘童話集 きょうの世界昔話>」 令和3年8月24日閲覧
http://hukumusume.com/douwa/pc/world/04/23.htm
(※注1:これはあくまで主観的な語り手個人としての感想で、画一化された「美」の基準を強制するものではありません)
(※注2:「おきさき」は王の属人的な表現であり、またジェンダーロールを固定する不適切な表現であるため、一部表現を修正しています)
(※注3:当時の価値観・科学技術に立脚した記述であることをご了承ください)
(※注4:あくまで戸籍上の関係を示唆するもので、個人の人格その他が親族の所有物であるという意図はありません)
(※注5:「白雪姫」との呼称については「雪のような白=美しい」という比喩が人種差別的であること、また多様性とSDGsへの賛同を表す我々のステートメントのために、一部表現を修正しています。また、「姫」という表現もジェンダーロールを固定する不適切な表現であるため、性別を限定しない表現に修正しています)
(※注6:本作においては※注4同様、あくまで戸籍上の関係を示唆するもので、個人の人格その他が親族の所有物であるという意図はありません。また、「お母さん」という表現についても、ジェンダーロールの固定化および女性の職場進出に対して差別的な役割を抱かせないため、一部表現を変更しています)
(※注7:文脈上、「猟師」への職業差別に繋がる恐れのある表現のため、具体的な職業名を伏せる形に一部表現を修正しています)
(※注8:「殺人」「死」などの猟奇的・残酷な表現を一部修正しました)
(※注9:専門家の指導のもと、スタッフの監督下において安全な方法で実施しました)
(※注10:王のパートナーの方との契約に違反する行為ですが、契約内容自体に嘱託殺人罪に繋がる恐れのある行為が含まれるため法律行為の要素に錯誤があるものと判断され、契約行為そのものが無効であると考えられます)
(※注11:「森に住む七人の小人」は門地および容姿に対する明確な差別表現であり、あまりに不適切であるため、一部表現を修正しています)
(※注12:「小人たちが山に働きに行っている間、掃除や洗濯や針仕事をしたり、ごはんを作ったりして」はジェンダーロールを固定化する非常に前時代的な価値観を押し付けるものであり、また小人に対する職業イメージの差別表現でもあるため、現代的な表現に一部修正を行っています)
(※注13:特定の人物・人種および主義主張、信条および団体等を排外する意図はありません)
(※注14:「物売り」は行商の方、小売業の方にたいする差別的な表現のため、一部表現を修正しています)
(※注15:「おばあさん」は高齢者への差別的表現、およびジェンダーロールを固定する不適切な表現であるため、一部表現を修正しています)
(※注16:「毒リンゴ」はリンゴ農家の方などへの風評被害防止の為、具体的な果物名を伏せる形に一部表現を修正しています)
(※注17:この場合、姿を変えているものの継母から娘に食品を与えたにすぎないため、果物の価額は不明ですが令和3年4月1日現在法令等においては贈与税の課税対象にはあたらない財産(下記出典より「例外2:夫婦や親子、兄弟姉妹などの扶養義務者から生活費や教育費に充てるために取得した財産で、通常必要と認められるもの」)と考えられます
出典:国税庁HP「No.4405 贈与税がかからない場合」https://www.nta.go.jp/taxes/shiraberu/taxanswer/zoyo/4405.htm 令和3年8月24日閲覧)
(※注18:およそ5〜10gと推定されます。内容には個人差があり、若干変動しますことをご了承ください)
(※注19:令和3年8月24日現在の記載となります。今後サービス内容は予告なく変更される場合があります)
(※注20:「王子」は王の属人的な表現であり、またジェンダーロールを固定する不適切な表現であるため、この場合意図されて表現されているかは不明ですが王位継承権を持ちながらも立太子礼を受けていない方と想定し、一部表現を修正しています)
(※注22:「ひつぎの中の白雪姫にキスをしました」との表現については、見ず知らずの女性に対して昏睡状態にあることを理由に性的な行為を迫る大変卑劣な犯行であり、準強姦罪に問われる可能性があります。あまりに不適切であるため、一部表現を修正しています)
(※注23:「わたしは、どこにいるのかしら?」は語尾等の特徴から性別を識別させる性差別な表現であるため、中立的な表現に修正しています)
(※注24:「ずっと、わたしと一緒にいるのですよ。姫」は個人の権利を著しく侵害する絶対にあってはならない行為であり、ジェンダーロールの固定化および女性の職場進出に対して差別的な役割を抱かせないため、一部表現を変更しています)
(※注25:この場合、各自治体等におけるパートナーシップ条例等に基づくものも含めて「すべての他人を除外した2人の人物の合法的な連合」を意味し、法的な届出による効力を伴う契約の有無を問わないものとします)
週1で東京都心のオフィスに顔を出すのだけれど、次第に道やビルで見かける外国人の数が増えて、なんだか以前の東京に戻るようで、すこしほっとしている自分がいる。一方で、オリンピックを前に明らかに観光客っぽい外国人も見かけるようになったなと思う。
日曜も京王線に乗ったら5人ぐらいの白人の若者のの集団がいて、わりとパンデミック前のボリュームでぺちゃくちゃしゃべってて、そのうち何人かはマスクもしていなかったのでギョっとしてしまった。いや、正確には、ギョっとして嫌悪感みたいなものを感じている自分に、さらに驚いた。
この国で働いている外国人の人は、この国のワクチン接種率の低さも、同調圧力が思ったより高いことも知っているだろう(逆に言えば、日本人は特に欧米の同調圧力の低さはなかなか実感できない)。歌舞伎町ならともかく、電車内でマスクなしで騒ぐのは、この国の内情を知らない観光客である可能性がすごく高い。
格差はあれど順調に経済が伸びている海外の国には、外国で長期休暇を取る若年富裕層の数もそれなりに多い。多少の検疫期間があっても1か月や2か月という長期滞在で、オリンピックのある国でサマーホリデーを、という人も多いはずだ。入国規制をスキップするコネを得られた人もいるだろうし、オリンピックチケットを持っているのかもしれない(無観客になったなんてこと知らずに)。1年半のフラストレーション解消のため、金持ちの道楽としてのスポーツ観戦にかこつけて、海外でのバカ騒ぎを心待ちにする奴も当然たくさんいる。日韓ワールドカップのころ、そういう手合いの対応をして心底「世の中にはタチの悪い小金持ちが多い」と感じた。
そういう無邪気な観光客が、我々が思っている以上に、この国に入ってくる。ワクチンパスポートを免罪符として。接種済みの感染者がデルタ株を広めてるなんて話には耳を貸さず。
正直、まずいと思う。こういった海外からの観光客が今後どこまで増えるのかはわからないが、東京都民の感染リスクが想定以上に高まる可能性は確実にある。
自分は職域接種の僥倖にもありつけず、まじめに区の集団接種予約にしてるから、打てるのは8月の後半だ。仕事は基本在宅勤務だから、むしろエッセンシャルワーカーや外で働く人が優先されればいいぐらいに思っていたけれど、この状況になるとつらい。あと1か月半もワクチンなしで、これから来る小規模ながら深刻な乱痴気騒ぎと、それに伴う感染拡大を乗り切らなければならない。
いや、これは本当につらいな。
今後外国人観光客の起こす騒ぎがセンセーショナルに報道され、普通に東京に溶け込んで仕事をしている外国人の同僚までもが差別的な目で見られるようになったらとおもうと、それも本当につらい。
もしこれで日本人の排外感情が盛り上がっても「日本にコロナを広めた奴らの自業自得だ」なんて思わないようにしよう。訪日客起因で感染率が高まれば、それは日本の立法・行政の自業自得だし、その責任の一端を持つのは我々有権者なのだから。……そう考えるのも、またつらい。
見るからに肩肘張ってる文章書いてることが分かる人に対して皮肉混じりに誤用を突っ込むのはまだいい。
でもはなっから書き手自身の口でしゃべるときの言葉をそのまま文字に起こして書いてるような態度の人に対してまで誤用指摘するのは野暮臭い。
ネットには都市部だけでなくいろんな集落からもアクセスしてる人がいることを失念してるのだろうか。
日本語というものは共通語だけじゃなくてさまざまな方言も合わさって全体をなしているわけだから、
共通語の感覚から見て誤用と指摘したものが、ある地方では普通の表現ということがありえる。
ちゃんとした根拠を挙げずに誤用と決めつけるのって視野が狭い人に映ると思う(この際国語辞書は根拠にならない。国語辞書は共通語ベースで方言はあっても一部だけだから)。
たとえばこんなやりとりがあった。
297名無し象は鼻がウナギだ!2019/12/17(火) 11:13:08.990
愛知県に生まれ育った人にとっては「ら」抜き言葉も昔から正しい自然な日本語の一種。
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299名無し象は鼻がウナギだ!2019/12/17(火) 16:03:30.810
297
活用形にさえ地方により違いがあるなら、てにをはのような助詞の使い方にすら差異はあるものなのかもしれない(助詞(特に格助詞)に対する誤用の指摘が多いという皮肉だよ)。
誤用警察は共通語以外日本語と認めない排外(全体)主義者と見られるおそれもある。
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そうやってしゃべるような場合には多分注意されなかったものが、文章として提示されると書き言葉で書く人と区別せず注意されるようになるこの現象。
出川哲朗のセリフの文字起こしは、正書法や仮名遣いから見てかなり無理があったとしてもせいぜいネタとして消費されるだけだけど、
書き手がもし同じ内容を口頭で伝えるとしたら用いるであろう「話し言葉(言い回し、訛り)」を文字に表した文章には警察の目が光る。
このことから、話者(表現者)と文字起こしする人が一致した文章は書き言葉の評価軸で是非を問われるという法則らしいものは見えてくる(不思議な基準だと思う)。
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