はてなキーワード: おいとは
http://anond.hatelabo.jp/20140103224112
を読んで、納得するところが多かったり、自分とは違うなぁ、と思うところもあったので補足します。
まず自分の属性から。中学生の頃から(性器の)露出に興味が出て、30代に入っても継続してました。ここ数年はほとんどしていません。尾行も多かったですが徘徊や待ち伏せもわりとしました。露出メインですが窃視・盗撮・タッチ程度の車内痴漢がほんの少し。露出→通報→職質までは1度だけ経験がありますが、拘束はされずに済みました。(昔「○○だけど質問ある?」ってサービスが始まった頃に「露出狂だけど質問ある?」ってトピック作って色々書いたんだけど消えちゃったみたい)
ではひとり目の文を読んで感じたことを。
1 携帯電話はご褒美です。
半分正解で半分は逆。正しくは「携帯電話で通話中の女の子はご褒美です。」かな。理由はひとり目と一緒。尾行に気付かれにくい。プラス、通話相手がいる為に、見せた時無視されにくいというボーナスが付いてます。
半分の逆というのは、今まで通話してなかったのに、誰かに連絡を取り始める、というのがかなり牽制になるからです。これはフリでも構いません、警察なり家族なり彼氏なり、誰でもいいですが「(不安になったら)新たにアクションを起こす人」という認識を不審者に覚えさせれば、慎重派の犯罪予備軍であれば、ターゲットを変えるでしょう。また、迎えに来てもらえるような内容が聞こえてきたりするとより確実です。
うーん、どうだろう。あまり意識した覚えがない。言われてみればコンビニへ入った人は避けるかなぁ、くらい。でも決定的ではないですね。欲求が強ければ最初の人も言っているように出待ちするかもしれません。
ただ、追ってコンビニに入ることはまず無いですね。防犯カメラには映りたくないです。なので不審者の判別には使えるでしょう。不審者が入ってきたら(絶対ではないものの)白の可能性が高く、いなくなればそれでよし。外で待ち伏せされた上に尾行再開されたら真っ黒なので、迅速に警察や近くにいる家族・知り合いに連絡しましょう。
3 明るい道でも関係ない
大きく反論はないですね。要点は女性の味方をする要素です。どんなに暗く細い道でも、周りに少しでも男性がいればやりませんし、明るく太い道でも、周りに人がおらず、幹線道路でクルマが止まりそうもない道ならやるでしょう。ちなみに高速で走るクルマの騒音はかなりのものなので、交通量は増えすぎると性犯罪者の味方をすることになります。また暗い道で犯行が出来そうだとして、露出狂に限っては「見てもらいたい」ので、なるべく明るく下半身が照らされるポイント(街灯の下など)を狙います。
4 立ち止まられるのは嫌だ
尾行に限ってるなら同意。靴紐結び直すか、ケータイいじるくらいしか対処できないです(笑)
ただ状況にもよりますが、自分の場合はヤマを張って女性が行きそうな方へ進んで待ち伏せるというのをよくやりました。なのでやるならなるべく分かれ道の手前で、なるべく人の多いところがいいでしょう。人通りが少ない一本道で、見通しが悪いところだと待ち伏せされる可能性があります。
5 方向転換
これも同意。自分はほとんどやられた覚え無いですが、極めて高い効果を発揮するでしょうね。引用元にも書いてありますが、ターンでなくとも横断歩道渡った後に元の方向へ戻る、とかで大抵は充分です。
6 大声を上げる。
確かに自分も大声を出された記憶は無いですね。いざという時に大声をあげるのは想像以上に難しいことだと思います。驚愕でこわばってしまうという理由がひとつ。もしくは不審者が本当に行為に及んでいるか確認するのが難しいとき、大声をあげるタイミングがはかれない、という理由もあると思います。
露出狂は必ずしも角からバッと飛び出してきたりはしません。だって見通しが効くところでないと、邪魔者の確認が出来ないじゃないですか。理想を言えばいろいろありますが、そんな理想的なポイントに理想的な女性が来ることは稀ですし、そもそもそういうポイントはどんどん潰されていきます。なので優先順位として、人通りが少なく、邪魔者が周りにいないか確認できる、逃げやすい場所、を狙います。最初の人がどういう流れで行為に及ぶか分かりませんが、自分の(尾行→)待ち伏せスタイルだと女性からはおそらく以下のように見えます。男性の場合は他人の立ちションを想像するといいかもしれません。
露出狂かも(確度30%)→露出狂な気がする(50%)→露出狂だよね?(70%)→なんか出してるっぽいけど見たくない(95%)→見えた(100%)
露出狂かもしれないという心の準備が出来てると、大声を出すのは難しいのではないでしょうか。また、それを求める露出狂もいますし、時間と場所にもよりますが、大声を出しても人が助けに来てくれる可能性はあまり高くないような気がします。なぜなら女性の叫び声と子どもの遊んでいる時の叫び声はかなり区別しにくいと思うからです。そういう声を聞いた時、あなたは何か行動するでしょうか?防犯ブザーも似たような効果でしょう。
ということで、7と8にかかりますが、露出狂に限って言えば「無視」(相手を喜ばせない)か「通報」(相手にダメージを与える)の方が効果的です。露出狂にとって最高に怖いのが「逮捕=警察=通報」で、最高につまらないのが「無視」です。欲しいのは「反応」です。ですから「反応」せずに「無視」して、可能であれば「通報」するのが最善手です。
ちなみに、継続して露出狂に走り他人に迷惑をかけている状態は露出症という精神病だと診断されます。実際自分もそう診断された時期がありましたし、残念ながら主治医の先生との相性が悪かったので中断しましたが、治療しようとしてた頃もありました。(ただ関東ですら性依存症の治療が行えるクリニックは2ヶ所ほどしかないです)
露出がやめられなかった頃(やめられる少し前)を端的に表すと「ゲーム感覚」です。一般女性への露出行為はとてもゲーム性が高いのです。地理を把握し、人通りの多さや時間帯による流れなどを把握する必要があり、そんな中、対象を探して発見し、気付かれないように尾行し、時には想像を働かせて先回りし、露出しやすいポイントで行為に及び、女性の反応を見る。このゲーム性に依存してしまっていたのです。
また、そのスリルからとても緊張し、脈拍が上がり、身体が沸々とたぎってくるのも感じました。自分は万引きをしたことが無いのですが、万引きにハマる気持ちはこうなのかな、と思います。
そしてたまたま露出出来そうな状況に出くわした時には、異常に露出行為をしたくなり、我慢できなくなっていました。やらないと「せっかくのチャンスをふいにした」いう感覚を覚えるほどです。なので性的興奮は基本的に無く、ほとんどの状況において勃起はしませんでした。それでも露出したい欲求を抑えられなかったので、完全に依存症だったなと思います。
露出をやめられるようになった理由は結構漠然としてます。最初に書きましたが、通報からの職務質問コンボを食らってしまって、逮捕寸前までいったことがあります。そのあとは1年位、とてもじゃないですが露出する気にはならなかったですね。でもその後も数年経つと、頻度は減ったもののまたやってしまうようになりました。それとは別に、おそらくあれが原因じゃないかな?と思っている事がひとつあって、某掲示板に「露出狂なのに勃起してないブツを見せるのは失礼だ!」という書き込みを別の露出狂がしてたんです。それに対して、なんとなーくゆるーく同意しつつ、そういえば自分は最近ロクに(露出で)勃起しないなー、と思ったのを覚えています。それに同意できたことが自分には大きかったような気がします。
自分は慎重派&間接派なのでこういう説明になりますが、暴力的に性犯罪を犯そうとする人の気持ちは分かりません。あくまで色んなタイプがいる性犯罪者の中のひとつ、とお考え頂き、対処は自己責任でお願い致します。
ちなみに某掲示板の書き込みを見る限り、見せるのは女性でも男性でも構わないとか、年齢とか関係なく見せられればいい露出狂もいるようですのでお気をつけて。
“暴力的に性犯罪を犯そうとする人の気持ちは分かりません”いや、普通にアンタも相手に精神的外傷与えてるから同類よ 相手を自分の快楽のための道具と見做す精神性と暴力性は同根
全くその通りで同類とみなされることに異論は無いのですが、同類とはいえ思考や論理、リスクと考える要素が異なりますので、遭遇した場合に混同せず対処してください、と伝えかったのです。つたない文章で不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。ご理解いただければ幸いです。
他人を「歴史修正主義者」と罵る人の大半は、なぜか「日韓基本条約」という歴史的成果の内容はスルーして、むしろ見直すべきとか言い出すんだよな。おいおい、どっちが歴史修正主義者なんだよ。
よその国の国民が不幸だなんてそんな大それたことは言ってないし言えませんよ。
あなたは他国を見ると不幸だと思うんですか?
なぜそう曲解したいのか知りませんが、歴史をフェアに見るという点においても、私も同じようなことを言ってるだけだと思いますが。
この程度のことでまた国が滅んでうんぬんと言う極論をすぐ持ち出してしまうのもどうかと思います。
いつも思うけどそういうの大げさじゃないですかね。
私はというと、他国との関係はそんなことよりも、オリンピックやら国際試合なんかで日本とアツイ試合が出来たら何とも言い難い感情が湧いて出て、ただただ感動している。
応援するのは当然のように日本だけど、感動したら勝つとうが負けようが相手も讃える。
それが私の当たり前だ。
逆に今でも戦争がどうのこうのと、60年以上も昔の話を引っ張り出されても、何も感じない。
いや、一転して鬱陶しい。
んなもん手持ち無沙汰な爺婆に任せとけと心底思う。
罪だ罪だと言い聞かせて、一体何世代引き継ぐつもりですか?
仮に自分たちの世代で何かあったとしても、こんな鬱陶しいものを子や孫に引き継ぐのはよそうと思う。
たった一つの発見であらゆるものがひっくり返るくらい、信用がおけない。
ましてやよく言われる戦争は何カ国もの思惑が未だ渦巻いていて、人数単位で言えば億の単位で渦巻いていて、
歴史が見る人によって、視点によって違うのであれば、そんな億単位の戦争の真実なんてもはや図り知れるものでもない。
ただ勝者が指標として真実を定めるだけだ。
だから、趣味として、一つの学説として歴史と言うものを振り返ってみたりするのはありだと思う。
ただ、この歴史が真実だとか、特定の人を歴史修正主義呼ばわりするのは、私は戴けないし、この上なく胡散臭い。
少なくとも先の戦争の真実なんて、今の有象無象の思惑せめぎ合う時代より何百年かして冷めた頃に、つまり完全に中立な時代に定めてくれたらそれでいいと思う。
それでも収まりがつかないという人達は、先にも言ったとおり当事者同士、その世代同士で喧嘩させてどうぞと言う感じです。
靖国神社だって、その出来た意味や経緯がどうあれ、現代において参拝する意味は先の大戦があって今があるということから、先人への感謝や慰霊に過ぎないということで十分じゃないんでしょうか。
先の戦争を肯定やら英霊を肯定やら、仮にそれが本当だとしてもそれは日本の、靖国の立場的なもので、別にいいんじゃないんですかね。
どの国でも軍人の慰霊施設ならあるだろうし、命を賭して現代の礎になった人々に、あんたらは間違ってたと言って聞かせるのが子孫のすることですかね。
別にアメリカがエノラゲイを祀っても、北の将軍が北で祀られても、ドイツがヒトラー祀っても構いません。
その慰霊が=軍国主義の肯定だなんてどう考えても頭がおかしいので。
そんな人は参拝する人に少しいるかもしれませんが、反対してる人の中でそう繋がっちゃってる人よりは少ないんじゃないですかね。
靖国がどこかの新興宗教のごとく戦争や混乱を奉って信者を増やしているというのなら話は別ですが。
というわけで私はとにかく現代人として60年以上も昔の古臭いものに振り回されるのにうんざりしていて、現代は現代の価値観で友好なりなんなりと楽しいことをやって行きたいと思うのですが、この古臭い価値観を嫌悪して新しい価値観でやって行こうとする様は、あれ?もしかして左翼じゃね?と気づいてしまったわけです。
近所に「支那麺 はしご」っていうおいしい店があって、中国人従業員の皆さんがとても楽しそうに働いているのだけど、
この店は糾弾するべきってことでいいの?
近所の交差点の信号が、先月から歩車分離式になった。歩行者側が押しボタン式になってて、歩道側信号が青になるときに、車道側の信号が全部赤になるやつ。
そこの交差点はほぼ毎日通るので観察してるのだけど、歩道側=青/車道側=赤で交差点に進入してくる車をちょくちょく見かける。目の前の信号見てないのか、そこに書いてある「歩車分離式」が理解できないのか知らんけど。なんかおかしいなー的にちょっとずつ前に出てくるのもいれば、完全無視で通常発進ってのもいたり。
歩道側には「押しボタン押さないと信号が青にならないよ」的なことが掲示してあって、慣れないうちは必要かもなと思ったわけだが、だったら車道側にも「歩道側が青のときは信号は赤になるよ」ぐらいは、しばらく掲示しておいてもいいんじゃないかと思った次第。
親戚の女性が、正月にみんなで集まった時年配の人が言う「嫁をもらう」「嫁に行く」という表現にやたら喰ってかかっていた。「結婚する」なら良いんだそうだ。
まぁこうした表現をすべきなのはフェミニズム的見地からすればその通りだと思う。私も「嫁をもらう」は現代では使わない方が穏当であることは充分にわかる。
だがな~それを大正生まれのばあさんに言うか?言葉の遣い方の向こうにある、「なぜ「嫁をもらう」がダメなのか?」についての時代背景をちゃんと伝えられるのか?
今の時代の婚姻のあり方が問われているのであって、問題は「嫁をもらう」を使うか否かでは無いはずだ。
まぁ実際ばあさんが持っているような結婚への認識は、現代においては改めて行かなくてはならない、ってのはわからんでもない。
だけどそれは若い世代が留意していけばいいのであって、どうしてばあさんが今まで生きてきて培ってきた感覚まで掘り返さなくてはならないのか?
ばあさんの感覚・認識を今からジェンダーフリーへと開放していくことを重要視しているのだろうか。
(いやもちろんそれは大事なんだが、正月のこの時期の短い会合でそうした「常識」の転換を迫るってのは難しいじゃねえの、という話)
こんな風な本で読んだ知識・学んだ学問だけで実践に挑むのは暴力だ。ばあさんへの。
twitterとかでこうした社会学への言及するのとはわけが違う。目の前にいるのは近代~現代という激動の時代を80数年生きてきたばあさんなのだ。
もう少し、「嫁をもらう」の是非だけにこだわらない言い方があったのではないか。
そして私はばあさんの生きた時代と私たちの時代はどう切り結ぶのだろうかとか余計なことを考えてしまった。
だって「日本は外国を挑発してはならない」と言っておいて、自分は大統領自らが竹島に上陸するような民族だぜ。少なくとも平和を語れるような歴史の持ち主ではない。
ニコニコ:「批判している人はこれよりおいしいカツ丼作ってくださいね^^」
YouTube:「カツ丼に低評価つけた人は間違えたんだよね?」
Pixiv:「資料なしでカツ丼作ったけどヘタすぎワロタwww」
Wikipedia:「カツ丼がおいしいというのは主観的で中立性を欠いています。出典を明記してください」
1 オナ速の登場
先日電車でJKが「○○ちゃんはオナ中でオナクラに入ってた」なんて宣ってたが、これは断じてオナニー中毒の少女がオナクラで働いてたという意味ではなく同じ中学で同じクラスという意味だ。
しかしながら、タイトルにある「オナ速」のオナは今度こそオナニーのことであるから自慰マニア各位は安心するように。ただし、それはオナニー速報のことではなくオナニー速射でもなくて、残念オナニー速読でした。
勘違いされがちだが速読は特殊能力でもなんでもなく誰でも速く読めばそれで速読なのだ。速読の習慣の多寡によってスピードに著しい差があるため、まるで速読自体が超人技であるかのように思われているが何ともあほくさい話である。つまり、頭の硬い大人たちが速読という誰でも訓練なしにその場でできる素朴な行為を勝手に特別なものと考えて挙げ句の果てには不可能と決め付けて凝り固まっているだけの話なのだ。そしてそうした洗脳された可哀想な人を思い込みから救うための治療法をわざわざいかめしく速読法と呼称しているだけのことだ。
だからオナニー速読ではそういうくだらない風潮に小石を投げてもっと単純に楽しめよと訴えかける。つまり、オナ速は世にはびこる速読法の類いのものではなく、あえて言うなら読書の楽しみ方である。
まず声をゴリラにして叫びたいのは、このご時世読書の楽しみ方が画一化され過ぎているということだ。スローリーディングが近年もてはやされているが、それも読書の楽しみ方の一端にすぎない。スローリーディングの最も不自由な点はスローへの不必要なまでの拘りである。速さも遅さも両方大切なのに。
自由や個性という言葉を強調する人間に限って、単に不自由で没個性な自分のやり方を正当化したいだけで、自由や個性とは程遠いシロモノであるのはよくあることだが、だからと言って自由や個性を叫ぶのを止めてしまうと人間社会の硬直化に対する抑止力が女性の「硬いのはチンポだけにしてよね」という台詞しかなくなってしまうというジレンマがある。
こと読書に関しても、自由という名の不自由の押し付けであることを恐れずに私は言いたい。今こそ全人類が読書解放運動を起こすべきであると。読書にまつわる先入観を捨てて、読書を再定義&新発見していかねばならない。読書ってまだまだこんなもんじゃないぜってところを見せてやらないといけないぞっと。誰に見せるのかは知らないけど。
よく言われることだが、文字情報というのはそれ自体は画像よりも遙かに情報量が少ない。しかし、文字の意味するものを想像し推し量ることで初めて豊かな情報を含んだ感覚が読み手の前に現れる。換言すれば、想像力と推理力いかんで全くもって読書体験が違ってくるということだ。
したがって、みんな「読書」「読書」と共通する言葉で呼び習わしているけれども、その中身は「あなたとわたしでまるで違ってた」ということが当然あるわけである。
だから、異次元な読書に遭遇してもそれもまた1つの読書法であると寛容の心で迎えることにしよう。受容すること、それがあなたの読書を豊かなものにする。
ところで、何故オナ速という名前にオナニーが含まれるのかというと、読書にはオナニー的な側面が色濃いからだ。ここでのオナニーとは単なる自己満足の同義語ではなくて、胸を高鳴らせながら「オカズ」と呼ばれる情報を探して、良いオカズを見つけたら食い入るように「味わい」、「集めた」オカズからより興奮度の高い「妄想」を作りあげる、という一連の特徴を有する行為のことだ。
うーむ、改めて考えると読書ほどオナニーに酷似した行為はない。そう思わないだろうか?よく考えてみてほしい。
ここで、読書のような高尚で知的な行為がオナニーのような低俗で馬鹿な行為のわけがないと思う諸君は、エロ漫画やエロ小説から類推してもよい。具体的には、エロ動画→エロ漫画→エロ小説→小説→高尚な専門書というオカズの状態遷移図をイメージして欲しい。
そして実際にエロ動画を楽しむ時のような気持ちと心構えを保持したまま矢印にしたがってオカズを推移させてみるとよい。そうすれば、高尚な専門書もその本質においてはエロ動画となんら変わる所がないのが認められるであろう。ただし、チンコは出さずに楽しむこと。
なるほど読書は確かに限りなくオナニーに近いことが分かったけれども、賢明な諸君は既にお気づきだろうが、それでもただ一点、陰茎の有無という点が異なる。もうお分かりだろう、オナニーには陰茎があるのに読書には陰茎がない。
そしてこの一点のために、読書とオナニーの間には深い深い断絶が生じているのだ。読書という本来楽しい行為が文字通り去勢されて、無味乾燥なものに堕してしまっている。
若者の活字離れが叫ばれて久しいが、実は近年ではケータイ小説やラノベの隆盛によって活字と接する機会がむしろ増えているのだという。
それを知り、今こそ読書を復権する一世一代の大チャンスであると考えた私は、まず読書と自慰の間の橋渡しに取りかかった。そろそろいい加減に読書と自慰の両者は和解しても良かったのだ。誰もやらなかったから私がやった、それだけのこと。
3 これがオナ速だ
以上を踏まえ、オナニーとしての読書を前面に出した速読がオナ速である。
繰り返すが、これは速読法ではなく読書の楽しみ方である。速読法というもの自体が実にナンセンスなことは既に述べた。よって、従来の速読法を去勢されたものとして否定的に見る。全否定まではしないけど。
ではオナ速の方法を紹介しよう。オナ速に入門したはいいが何から始めて良いか分からないという新入生は必見である。ただし、技法論に終始して楽しみが失われては本末転倒だから、最低限の技法の紹介にとどめる。
それではまず、君はエロ漫画を速読する習慣を身に付けねばならない。オナ速は楽しさをモットーとするが、開放的な享楽の裏には必ず厳しい統制があるものだ。エロ漫画片手に厳しく行こう。
先ほどの状態遷移図を今一度見てもらおうか。エロ動画→エロ漫画→エロ小説→小説→高尚な専門書。
これを見ても分かるようにオカズカーストの最上位に位置するのはエロ動画である。最もオカズとしてのパワーが強い。
次がエロ漫画、その次がエロ小説と続く。困った時はまず身近な相談役のエロ小説先輩に聞く。それでも解決しない時はエロ漫画先生に、それでもまだ解決しない時はスクールカーストの最上位のエロ動画校長を用いれば良いのだ。
しかし君たちはまだ駆け出しのヒヨっ子なので、最初からエロ漫画先生の力を積極的に借りたほうがいいだろう。エロ小説先輩は気が優しいけどちと力不足だ。
さてエロ漫画の読み方だが、分かっているとは思うがチンコは出さない。そしてこれが重要なのだが心のチンコをしごく。
「ネットペニス」という言葉をご存知だろうか?かいつまむと、どれほど処女力の高い女性であっても2chの男どもの手にかかれば毎日妄想内で犯されまくりで、実質ネットごしに処女喪失したのと一緒じゃね?という話である。
この話で重要なのはネット上でも処女喪失が成立することではない。そんなことはどうだっていいことだ。
本当に大切なのは、バーチャル世界でもペニスが存在することの発見、そしてそこから論理的に導かれる、ペニスがあるならオナニーだって出来るじゃないか!という気づきである。
まだピンと来ない人もいるだろうから具体的に言おう。これをエロ漫画に置き換えると、物理的にはチンコを出さないけれども、精神的にはチンコを出してオナニーすればいいと。そういうことなのだ。
そもそもオナニーに物理的チンコは不要である。第一に物理的チンコは性感帯の一部に過ぎないし、第二にその性感というのも単なる快楽物質の分泌に過ぎない。言うなれば、チンコは快楽スイッチの1つに過ぎない。
その快楽スイッチが身体に存在するのは甚だ不便だと思ったことはないだろうか?心にスイッチを備え付けたい。思春期にそう強く切望していたのは私だけでは無いだろう。
それは可能である。可能なのだがそれに納得して貰うために少し説明しなければならない。
まず基本事実として、人間は適切なオカズさえあれば深いエクスタシーに達することができる。言い換えれば、物理チンコなどなくても純粋に精神的な手段で快楽が得られる。これをエナジーオーガズムと呼ぶ。
次に、オカズを物理的に調達しなくとも純粋に心の中で妄想するだけで、オカズとしての働きを十二分に果たすことができる。これは妄想を習慣としない人には信じがたいだろうが事実である。
以上何でもない2つの事実を確認したが、この2つからとんでもないことが分かる。純粋に精神的なスイッチを作ることが可能なのである。これを精神的チンコと定義する。
そして他でもないこの精神的チンコをしごくことこそがオナ速の極意なのである。なんだってー!? 要するに、心の中に精神的チンコと呼ばれる快楽スイッチを作り、それをこすりながら読書する。これがオナ速の全貌である。
4 オナ速の実践
とは言っても、精神的チンコをしごく感覚はなかなかつかみづらい。そこでまず感覚のつかみやすいエロ漫画から始めるのである。
その際にページを「読めないギリギリの速さ」でめくってほしい。読めるギリギリじゃなく読めないギリギリ。限りなくセーフに近いアウトで頼む。読めてしまったら従来の読書法に先祖返りする危険性が高いからである。
ギリギリ読めない速さでめくりながら読もうと努力するのだ。読めてきたらまたスピードアップして「読めないギリギリの速さ」にする。この繰り返しで少しずつ速くしていくこと。
勘違いする人が続出しそうなので言っておくと、これは一見すると速読習得法のようだが全く違う。速さは従来の読書を回避するためのものに過ぎない。実際のところ、速さが欲しいなら「読めないギリギリの速さ」にせずに最初からビュンビュン飛ばせばいいのである。それをしないのは速さ自体はどうでもいいからだ。
さて、読めないギリギリの速さで読もうと努力すると言ったが、その努力のしかたも大切である。絶対にやってはいけないのは、立ち止まること(停止)と目など身体を緊張させること(緊張)、である。
停止と緊張を避けるには、ページをめくる速さを一定にするとよい。淡々と流すようにリズミカルにページをめくる。理想はエアロバイクを漕ぎながらのタブレットによるオナ速である。これなら絶対に停止と緊張が起きない。
さてページをめくるリズミカルな動作は何かに似ている。そう、シコシコに似ている。あとは言わなくても分かるな?そう、めくる動作に合わせて精神的チンコをしごくのである。
合わせると言ってもタイミングが重要だ。ページをめくった次の瞬間、ちょうど紙面を視認した瞬間が黄金のタイミングだ。このタイミングでスイッチオン。ここから少しでもズレるとガクンと成功率が落ちるので注意しよう。タイミングをつかむには身体でリズムをとりながらやるのが良いだろう。コツをつかむのに1ヶ月は最低かかると思う。
成功すれば一瞬視界が明るく光って快感が生まれるからすぐそれと分かるはずだ。安定して成功するようになったら、今度は吹き出しのセリフも正確に読み取ろう。
それも出来るようになったらエロ小説に取りかかり、それも出来たらやっと高尚な専門書に進むことができる。長い道のりだが決して無駄ではない。全てはエロ漫画のように生き生きと読書をするためだ。
エロ小説や高尚な専門書の読み方もエロ漫画と基本的に同じだけど、しごくタイミングには少し注意が必要である。文章だけの本の場合、おすすめのタイミングは数行をまとめて目に入れてその次の瞬間である。一行ずつしごくやり方も試行錯誤したがどうもうまくいかない。数行ごとが良いと思う。
数行ずつのまとめ読みをマスターしたら5行、1/2ページ、1ページと増やすことになるが、無理に急ぐことはない。無理をしてオナニー性が薄れたと感じたら数行ずつのまとめ読みにただちに戻るべきだ。
ともかく、以上の方法を実践すれば新鮮な読書体験が得られるであろう。その感覚、喩えるならエロ漫画のような読書。何がエロ漫画だと思うかもしれないが、とにかくエロ漫画なのである。
5 将来の展望
これまでオナ速という一見不思議で実は本質を突いた読書法を紹介してきたわけだが、ここで衝撃の発表がある。それは、私たち人類は知らず知らずのうちにオナ速をしているのだ。なんだってー!?
例えば、美味しそうなシュークリームを見た時にパッケージをどんな気持ちで読むか考えてもみてくれ。思いっ切り精神的チンコをしごいてないだろうか?それは否定しようがないれっきとした事実だ。
気になる異性からのメール、面白そうなゲームの特設サイト、すごく注目してる新製品の情報、それらをどんな態度で読んでいるか?それはもう目を血走らせて食い入るように見ているのではないか?
そのような読書態度はエロ動画に対する態度と全く同じであることに気付いてほしい。みんなしごいて見てるだろう。
そのようなありのままの人間理解に基づいて情報社会というものを捉え直さないとダメ。これまでの無味乾燥な情報科学では限界があることは明白であり、古めかしい情報観は終焉を迎えようとしている。もう夢見る少女じゃいられない段階に来てるんだよ。
オナ速というのはそのほんの始まりに過ぎず、決してゴールではない。
今年あった一番のイベントは、転職したことです。数年務めた会社(システムベンダー)を辞めて、事業会社に転職しました。ここでネガティブな言葉を吐き出して今年を終え、新たな気持ちで新年を迎えたいと思います。
前職ではとにかく残業が多かった。残業代が出たおかげで年収は一般的な会社員よりも多かったけど、プロジェクトマネジメントの失敗ゆえ(平成の世にも乃木希典はいましたよ)、残業代を稼げたってだけの話です。あと、これは過重労働によるものなのかもしれないけど、性格が悪いひとが多かった(もちろん尊敬できるひともいましたが)。炎上プロジェクトってひとの心を捻じ曲げるんだなと。
後は、仕事が過去の事例の焼き増しばかりだったから、新しい技術や知識を身に付けることはできなかったです。
「残業代出すから終電まで仕事しろよ」「残業代もらえるんだから終電まで仕事します(いや、むしろ終電ぶっちぎってタクシーで帰ります)」という意見が幅を利かせる、ある意味極端な会社だったから、数年で働き方に疑問を持つことができました。もし、社員を生かさず殺さずの会社だったら、自分の人生観と真剣に向き合うまでに10年とか15年とか要したかもしれない。ぞっとします。
後は何だかんだ言って忙しくてお金を使う暇がなかったから、貯金ができました。このお金(とそのお金を投資した会社の株式から発生する配当金)がなかったら、大幅に年収が下がる今の会社への転職は実現していなかったと思います。
仕事は生活の糧を得るための手段でしかない。現代社会においては、仕事とは「誰かのめんどくさいことの代行業」であると何かの本で読みましたが、その通りだと思います。生活できるだけのお金を得たら、残りの時間は他のことに時間を使うべきと思っています。
来年は、お金にならないがそれをやることに意味があると心から思えることに時間を使いたいです。まずは4月の消費税アップの前に5年くらいかけないと読みきれない本(ビジネスとは無縁の学術本)を大量に買い込んで、読書に勤しもうかと思います。
なんじゃそりゃあああああああああああああああああああああああああああ
つうかあの目無しQBアイコン(idがわからない)もTwitterでプロポーズOKとかあふざけてんじゃねーぞこらああああああああああああああああああああ
あーあーあーあーあーあーそーーーーーーーーーーだろうよそーだろうよ!!
お前らどうせリアルじゃ高学歴でイケメンで高収入の超人戦士なんだろ!!!!!!!!!!!!
俺ぐらいなんだろ??????低学歴で高卒7年目のフリーターで将来ホームレス餓死が確定してんのはよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいいいいいいいいいいいい年の瀬に舐めたことしてくれてんじゃねえかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
お前ら全員呪い<自主規制>してやるからなあああああ早速藁人形をおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
つうううううううううううううかああああああああああああああああああああああletterdustはてなやめてんじゃねえええええええええええええええええええええええええええええええええかあああああああああああああああああああああああああああああああ
なああああああああああああああああああああにがはてなでワッショイだばかあああああああああああああああああああああああああ!!!!id:kyo_ju
http://anond.hatelabo.jp/20131230125146
真面目に答えてくれた方はありがとうございました。
私は不勉強ながら、現在は参拝に対して反対の立場です。もちろん今回の質問を書く前からの話です。
ただし総理や陛下の慰霊や追悼については賛成であり、むしろ先人のためにすべきことだと思っています。
すでに裁かれた、あるいは自決した彼らを追悼すること自体には反対しませんし、私は東条には同情している部分があるのですが、
責任者である彼らと戦没者を同じ場所で慰霊の対象にするのは国内においても微妙だと思う人はいて当然の問題だと思っています。
ですが餓死や病死も多かったとはいえ靖国は戦没者が死後に行く場所として考えていた場所の一つでもあります。
それが国家神道によるものだとしてもです。遺族の気持ちもわかりますし、参拝する人たちの気持ちもわかります。
それでも問題になるのであれば別の施設を建ててでも、慰霊をすべきだと思っていました。
ご存知の通り石破氏(や過去には古賀氏)など自民党内にも分祀論者はいます。
それまでは千鳥ヶ淵戦没者墓苑で慰霊をするのが米国が示した通り現状の正解だと思っています。
ですが今回の件で一部で必要以上に靖国自体にある問題を指摘し続けたり、総理の思想はこうなんだろうと言う人たちを見て、
・公人と靖国の問題ではないのか
・総理に慰霊や平和への意思が全くないと本当に思っているのだろうか
という疑問がよぎったわけです。
改めて、その疑問に回答してくださった方はありがとうございました。
結局総理と靖国とA級戦犯と国際的反応の話ばかりに終始していて、私の質問への回答になっていません。
自分自身が靖国自体にできればどうなって欲しいと思っているのか、一般人が参拝することをどう思うのか、
国際的な話とは関係なく自身がA級戦犯についてどう思っているか、は答える気がないんですね。
あるいは本音を答えてしまうと問題視されかねないと自覚しているから回答を避けたということでしょうか。
賛成派を臭わせて「そんなことないに決まってるだろう!」という多くの回答を誘ったつもりが、
結局逆効果になったことも自覚していますが、少し残念に思っています。
とはいえ反応があっただけでも良かったですし、この質問を機会に考えた結果本音は書かなかった人もいるでしょう。
トラックバックでの質問と id:questiontime さんの質問には回答しておきます。
日本政府は東京裁判を公式に否定していないよね。で、君は東京裁判を前提としている現在の日本という国の在り方を、どう思ってるの? 否定する?
上記を読んでいただければわかる通り私は東京裁判を肯定する立場です。
可能ならその後のためにも、日本人自身が国内法でも裁くべきであったとは思います。
そうは思いません。ですが現状多くの問題を抱えながらも、靖国は戦没者の慰霊施設の一つという認識です。
戦没者のどれくらいの割合かは根拠を出せませんが、彼らが靖国に行くものとして死んでいったからです。
本音がどうなのかを聞いてみたかっただけでそれについて肯定も否定もするつもりはありませんでした。
強いて言えば、自分と今靖国叩きをしている人たちの間にある溝を確認してみたくなった、というところでしょうか。
自分のブログがある方は今一度以下について書いてみてはどうでしょうか。
・慰霊や追悼のあるべき姿とは
つまりニホンが滅びればいいと?
まあ、それは置いておいても、少なくとも男と同じだけ働かないと駄目な?
それを受け入れられる女がどんだけいると思う?
後、別に日本でも海外でも、家族のために辛い仕事してる男はどこにでも居るわけで。
炭鉱とかで働いてたりそれこそ日本では想像つかないようなとこもいくらでもあるけどな?
欧米だと競争も何も無く簡単な気楽なお仕事しかない、と思っていらっしゃるようですが、なんで未だに日本人なん?お前はなにしてるん?
自分を見つめ直したときに、こんなありふれたものが自分の望んでいるものだったなんておどろきもののき・・・
どうやったら楽しくできるのか、と考えたときに、
ビジネス書によくあるようなクリエイティブシンキングをプライベートに活かすというのを考えてみた。
ただ単にわくわくすることを行いたいだけだ。
スカイダイビングや、パラグライダーなどエキサイティングなスポーツはたくさんあるが、
人生に役に立たないことが必要なのもわかるけど、スポーツを目標なく行う気にはなれない。
なぜなら長期的に自分の人生において有益かわからないから。いやおそらくほぼないだろうと決め込んでいる。
それなら語学であるとか、統計、プログラミングなど他でも使える(らしき)ことに時間を充てた方が有益ではないかと思う。
生きるため。「したいから」の割合は非常に少なく、「しないと生きてゆけないだろうから」。
じゃあ、将来のために今を我慢する。
今コツコツとやって、そこそこの生活を手に入れるのか。
今好きなことをたくさんやって、「金がなくてもなんとかなるね」とその日暮らしのようにやっていくのか。
どっちかなんて無理だ。
二兎追うもの一兎をも得ず。
しかし、そのための準備、覚悟ができているかと言われたら全くできていない。
僕は考えていない。
だから、今身の回りにあるものすべてを、おもちゃをばらまくように自分の手の届く範囲に広げて、
拾い上げ、精査して、取捨選択という決断をしなくてはならないのだ。
働き始めて1年と少し、その取捨選択の時間は十分にとれたとは言えない。
やりたいことなんてたくさんあった。でも考えようとしているときにするっとそれはどこかに消えてしまっていた。
そんなことしている場合じゃないと、目の前のことがあるとやっきになって。
もう受け入れてしまっているのかもしれない。
この働き方と、この生き方で。
でもやっぱりそうでありたいなんて思っていないと、たまに考える。
このままこの会社で数年働いて、適当に転職を繰り返し、誰かと結婚して、
でもきっと違う。こうやって考えがぐるぐる回っているから今の状態を容認してるのかも。
多くの20代や30代の人なんてそういったジャパニーズドリームがもう実現難しいって気づいてるだろう。
気づいてるけど、その代替案を考えるのではなくて、情報を噛み砕くのに躍起になっている人が多いイメージだ。
(起業家・スタートアップとかも何かピンとこない動きではある)
情報を得るのに、解釈するのにばかり時間をかけて、行き先が決まらない。
どんな時代でも言われてたことだと思うけど、
やっぱり今は価値観が大きく変わろうとしている転換期なんだ。
「産みの苦しみ」じゃないけど、「価値観転換後」になるまでたくさんのステージが残っている。
変わるのは悪いこととは限らない。
でも自分が怖いのは、時代の潮流と、自分の身近な環境に時間を食われて、
そのとき自分がしたいと思ったことができなくなっていた、なんてことに気づくことだ。
そして、それを容認し続けて生きることが怖い。
まだ先があると考えて・・・
その先延ばしに対して、自分はどれだけのリソースを割いていたのか、改めて考えたい。
自分は焦りすぎてる節があるかもしれない。
それでも、今を受け入れすぎて、自分を壊すこと(もしくは自分のスタイルを野球場のグラウンドのように均してしまうこと)はこれ以上したくない。
人に優しくしすぎるのは嫌だし、広い世界について考えられないのも嫌だ。
そういうもんだからって多くの人に言われても、
感情的に納得ができない。こういうところがとても青い。
歯の矯正を行い、35歳になった現在の体験談を記しておきます。
子供の頃に行ったもので取り返しも付きませんし、両親の判断であったとは言え、その後の後遺症と呼べるものに関しては両親には言うことはできません。
これから矯正をしようとしている人、子どもにそれを考えている人にとって有益な体験談になればと思います。
●現在(35歳)になった私が抱えている問題
先に矯正が原因ではない要素もありますが、その関係性を疑わざるを得ない症状に関して、記しておきます。
つまり子供の頃に矯正を行ったことで以下の様な症状が出る可能性があるということです。
・腰痛
あまり使うと痺れたような感じになるため、あまり重労働ができません。
・背痛
厳密にはそのような表現ではないようですが、私の場合は主に背中の中心、背骨の筋肉が腰痛に似たような痛みがあります。
これは、寝ている間に食いしばることが原因で側頭部に力が掛かり、朝起きた時点で頭痛が発生します。
これに関しては25歳を超えた辺りから発生してきたものだと思います。
偏頭痛を疑うような非常に強い痛みで、更に寝れば治ることもあるのですが、その追加の睡眠により更に食いしばりを行い結果治らないと言うダブルパンチも発生します。
ドライマウスは食いしばることで唾液の分泌が減り乾いて口臭が発生するようです。
歯軋りをすると同様のことが起こります。
歯軋りをしきりにする人も同様に口臭の原因がそれにあるかもしれません。
・骨隆起
骨が隆起すること。
歯科医に指摘されるまで(後述の自然歯科医以外は指摘なし)、それが変なことだと分かっていませんでしたが、下歯を支える下の骨の内側(舌の左右)に骨が隆起してきています。1cm位は出っ張っているような状態です。これがあることのデメリットは分かりませんが、強烈な食いしばりに耐えるために骨が隆起したそうです。顔の外観に影響があるかもしれませんね。
21歳の時に突如顎関節症を発症しています。就職の時期もあってストレスかと当時思いましたが、そんなに悩んでいたような気もしていません。こちらはマウスピース装着で何ヶ月かで治りました、その後再発無し。
※これらの因果関係は、まず睡眠時の強烈な食いしばりにより、まず直接的に負荷のかかっている頭蓋骨の筋肉の披露による頭痛、そして緊張した状態の睡眠時により背痛、腰痛になっていると思われます。
※あまり解決策を書くとその宣伝のようになってしまうので、ここでは控えますが、これに関しては当初原因が分からず薬で誤魔化していました。腰痛などの流れから色々調べた結果、歯が疑わしいということで、いわゆる自然療法を行う歯科にかかってところ原因が判明しました。現在は寝る際にマウスピースをすることで頭痛、背痛の発生はほとんど無くなりました。
時系列で、どのような矯正を行ったか、記憶にある限りで書こうと思います。
5,6年通っていますので、もろもろ含め80万円くらいは使っていると思います。
●小学5年生頃
母が周りの人に聞いたことで、歯並びというよりは反対咬合(主に下の前歯が上の前歯より前に出ている、或いは出てきそう)に気になる点があった私を札幌市中央区の矯正歯科に連れて行く。
細かい流れは忘れましたが、歯の裏に金具をつけたり、何度も歯を削ったり、寝ている最中に頭に被って、上歯を前に出し、下歯を押し込む装置、脱着可能な装置(キカイと呼んでいたような)を何年かに渡って行っていました。睡眠中にずっとつけていたものですが、結果思うようになっていないため、これの効果のほどは不明です。
おかげで、歯を削られることには何も感じなくなったものです。
●中学2年頃
たしかこの頃だと思いますが、あまり効果は得られず(歯科医として?)、とにかく反対咬合がどうにもならないということで、良くある歯の一本一本に金具を付けてワイヤーで動かすものを装着しましょうということになって装着しました。その前に下歯が大きいので、何をするかというと歯を一本抜いて、その隙間を埋めるためにその一本一本につける装置を装着したわけです。これを付けた時は全ての歯が激痛で、食べ物も食べれない状況が何日か続きました。
歯を抜く。
歯はいっぱいあるので一本くらい大丈夫だろう、と言うようなことがビジネスにおいて判断され教えられているような業界であれば、それは大きな問題では無いかと思います。
例の一本一本のものはどのくらいつけていたか記憶にありませんが、1年位だったと思います。それが取れた時は嬉しかったものです。ただ変なものをつけているため、虫歯になりやすく、その頃虫歯になった記憶があります。
●しめ
私の歯並びは見た目にはきれいです。ただ、機能性には問題があり、強引に動かした下歯は不安定になり、しっかりかめていない部分もあります。上述のように様々トラブルがありますし、今後の老化でどのような問題を引き起こすかも分かりません。
またマウスピースにもどのくらい頼っていかなければいけないのか、睡眠の質の問題、また噛み合わせや歯軋り等の問題から健康上の問題を引き起こすとも言われています。
歯科医は、子供の頃の歯の動き易いうちに矯正を行うことが容易で大人になれば難しいと言いますが、それを行って実際にトラブルとして発生しているのもまた事実です。
反対咬合、いわゆる受け口の本当の原因は何か分かりません。それがそのままだと問題になる可能性も含むと言うこともわかりますが、それには原因があるかもしれませんね。そういうことはまだ科学的な究明がされているのかも分かりません。
ただ、歯を削ること(歯軋りの原因になればトラブルは多かれ少なかれ発生すると思います)、歯を抜くこと、物理的に動かすこと、等に関してはとても慎重に行うべきだと思います。今ではセカンドオピニオンと言うことで病気で言われることもありますが、歯科医に関しても同様に慎重に選ぶことが重要だと思います。
この15年くらい賛成と反対を揺れ動いてきたが,反対に落ち着いたので書くよ。
政治の責任ある立場にある人がデモ活動するのは本当にやめて欲しい。特にみんなで行くヤツ。
つばを吐く必要は無いし,許して良い。ただし戦死者でもないA級戦犯を顕彰するのは平和に対する行いと異なると思うよ。
思わない。でもキチガイ右翼みたいな死んで欲しい人も結構来ているよね。
思わない。初詣も欠かしたこと無い。
思わない。でも平和にそれほど興味があるとは思っていない。
あれは代々相続したお付き合いの範囲だと思う。一般人的な感覚程度には中韓政府のことは嫌いだと思う。
そもそも自民党の考えというものは実は無いんじゃないかと思うがそれは置いておいて。自民党は戦争や決定的な対立を望んでいないと思うけれど,戦争や決定的な対立も辞さないという人はいると思う。
戦前の日本社会と同じ状況で,望みもしない戦争や決定的な対立を招くことはありうると思う。
靖国神社の参拝は多くの意味が含まれた行為だが,究極的には国家の名誉を回復したいということだと思う。
名誉の回復というのは要は評判の問題であるのだから,少なくとも国内の極めて多くの人から支持を受けられるように,日本国民ですら受け入れ難いと思う人が一定数いる要素を除去した形で行われる必要がある。その観点で靖国神社への参拝は不適当(お手軽すぎ)で,天皇陛下が靖国神社へのご親拝を取りやめたというのは本当に重大な事実だと思っている。総理大臣が正月に伊勢神宮に行くことに文句を言う奴はいない(少数)わけで。
いくらなんでもやりすぎだろ。
その①
堺雅人 × SoftBank × 半沢直樹 CM 全5Ver. - YouTube
その②
価格.com - iPhone 5cとiPhone 5s 徹底解剖
このページ見た時点気づいたけど、これは明らかにSoftBankの「広告」だよね。
ASCII.jp:山手線全駅でテスト! 3キャリアのiPhone 5sで通信速度比較 (1/4)|アスキースマホ総研
時間・場所によって結果も全然変わるだろうから、これだけで故意とは言えないけどさ。
こういうのをステマと言うのかは知らないけど、
この価格.comのページは明らかにSoftBankのiPhoneの「広告」だけど、建前上はそこを伏せておいて、
上のASCIIの記事みたいに、「中立の立場で調査しましたよ。その結果SoftBankが一番でした!」って閲覧者を誘導しようとしてるよなぁ。
①、②どっちもかなり問題ある内容に思うんだけど、全く問題になってないのはどうなの??
こういう広告を監視する機関(JAROとか)は何をしているんだろう。
基本スペック
一人暮らしを始める際、「ずぼらな俺が4年間の一人暮らしでたどり着いた部屋作り&暮らし方http://anond.hatelabo.jp/20110828154004」を大変参考にさせていただいた。
次に異なる点
その他付け足し
あるとはかどる
ブロクやTwitterで使う句読点が「、。」じゃなくて「,.」になってる人がたまにいる。あれ、正直直した方がいいと思う。
「,.」をデフォルト設定にするなんて十中八九論文書いてる学生か研究所勤めの社会人だと思うんだけど、
これってつまり論文を書いているPCを私用に使ってるってことでしょ。
論文を書いているPCが研究室のものならそんなとこから私的なアカウントに繋ぐなっていう話だし、
逆にそもそも私用のものならおいおい論文持ち出すなっていう話。(特に研究所勤めの人。普通は持ち出し禁止だよね?)
あと、学生であることや職種を特にオープンにしていない(ように見える)人が「,.」を使っているのを見ると、ああ…ってなる。
とにかく、私論文書いてますアピールをしている訳じゃないのならやめた方がいいと思う。もちろん色んな事情や例外はあるだろうから、それは別にして。
ア行の会社なんかだと最悪で、10分に1回営業の電話が来ると言っても過言ではない。
あらゆる手をつかって切らせまいとする。
また、必要がない理由として、、会社内の(緊急なことをのぞけば)大半のことがメールですませられることがあげられる。
なのにいちいち電話をするのは、電話で用事を伝えるのが習慣になってしまっているか、
もしくは単なるめんどくさがりなのか、相手にプレッシャーを与えるためか、あるいはすべてだろう。
電話は相手の行動を制限してしまう。自分自身のタイミングで仕事ができなくなってしまうから、結構迷惑だ。
電話という技術によって、ある程度経済効果もあるだろうが、同時に同じくらい損失もあるはずだ。
どうしても声で伝えたいならボイスメモを送ればいい。
それ以外は基本メールとかチャットで送ったらいいんじゃないかと思う。