2014-01-03

3年前の正月にだ

親戚の女性が、正月にみんなで集まった時年配の人が言う「嫁をもらう」「嫁に行く」という表現にやたら喰ってかかっていた。「結婚する」なら良いんだそうだ。

まぁこうした表現をすべきなのはフェミニズム見地からすればその通りだと思う。私も「嫁をもらう」は現代では使わない方が穏当であることは充分にわかる。

だがな~それを大正生まれのばあさんに言うか?言葉の遣い方の向こうにある、「なぜ「嫁をもらう」がダメなのか?」についての時代背景をちゃんと伝えられるのか?

今の時代婚姻のあり方が問われているのであって、問題は「嫁をもらう」を使うか否かでは無いはずだ。

まぁ実際ばあさんが持っているような結婚への認識は、現代おいては改めて行かなくてはならない、ってのはわからんでもない。

だけどそれは若い世代留意していけばいいのであって、どうしてばあさんが今まで生きてきて培ってきた感覚まで掘り返さなくてはならないのか?

ばあさんの感覚認識を今からジェンダーフリーへと開放していくことを重要視しているのだろうか。

(いやもちろんそれは大事なんだが、正月のこの時期の短い会合でそうした「常識」の転換を迫るってのは難しいじゃねえの、という話)

こんな風な本で読んだ知識・学んだ学問だけで実践に挑むのは暴力だ。ばあさんへの。

twitterとかでこうした社会学への言及するのとはわけが違う。目の前にいるのは近代現代という激動の時代を80数年生きてきたばあさんなのだ

もう少し、「嫁をもらう」の是非だけにこだわらない言い方があったのではないか

そして私はばあさんの生きた時代私たち時代はどう切り結ぶのだろうかとか余計なことを考えてしまった。

ま、ばあさんはあまり気にしてなかったしその女性もそんなにそのことにこだわりまくっていたわけではない。

余計におせっかい的に悩んで3年たっても思い出すのは私だけなのだ

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