はてなキーワード: M-1とは
いろいろ企業からのスポンサードが必要だからか、終わった後もファイナリストの反省会やら、打ち上げやらあって大変そうだなとも思ったし、それに対して意見も出てくるだろうな、って思った。
思ったけど、それも全部ひっくるめて、森田まさのり先生に今年のM-1の漫画を描いて欲しいと思ったよ。ご本人が出たことも含めて。
M-1は最近あんまり見てなかった。テレビはスマホを見ながらのながら見がほとんどで、緊張感を持って漫才を見るのがなんだかしんどくて。
でも今年は見ることにした。塙と富澤が審査員だったから。塙が好きなんだ。富澤も結構好き。
全体的に面白かったし、最後はジャルジャルが優勝してほしかったなーとは思ったけども、納得のいく結末でした。
でも昔のM-1の方が面白かったと思って。アンタッチャブルとかチュートリアルとかオードリーとか腹抱えって笑った覚えがあるけど、今回はそんなこともなく。
でも、そう感じるのは自分が歳をとったからだと思われる。高校〜大学くらいの頃って本当に箸が転がっても笑えたからな。漫才というものを見慣れてしまったのも原因なんでしょう。
今、M-1グランプリの準々決勝のネタがGYAO!で無料配信されてるのでいろいろ見てたんだけど、1組なんかよくわかんないけどすげぇとしか言えない漫才してるコンビがいた。
面白いかって言われたら「うーん、人によるかな・・・」って答えるタイプの漫才なんだけど、とにかくよくわかんないこと喋ってるのにめちゃくちゃ笑ってしまった。
どうやら準々決勝で敗退してるみたいなので、たぶんテレビで見られることはないだろうから、なんとなく書き記しておきたいと思った。
ダウンタウン松本とかが見たら褒めそうな感じ。ワードセンスやら発想やら構成やら、とにかく唸るしかなかった。
https://gyao.yahoo.co.jp/player/11185/v00046/v0000000000000001124/
お笑い芸人のカズレーザーがめちゃくちゃ好きなんだけど好きと言える人が周りにいないのでここに書く。
ヒーローやコブラが好きで高校時代からずっと赤い服・金髪を貫いていて、
年間150~200冊くらい本を読んでいる長身の色白マッチョで、
顔は基本尾藤イサオ氏似だけど映りによってはそこそこキレイな顔をしていて、
キャラ渋滞とよく言われるように漫画みたいなエピソードや特徴をいっぱいもっていて、
上に挙げた以外にも、Mr.ビーンbotを手動で運営していたり、極度の偏食だったり、特撮オタだったり、重度のさだまさしファンだったりする。
手先が器用で、日常会話程度なら英語を話せて、プログラミングの知識があって、歌もそこそこ上手い。
運動はそんなに得意じゃないみたいだけど、カズレーザーは概ね何に対しても平均以上のことができる。
何より抜群に頭がいい。
私はお笑いについて全然詳しくないミーハーなので、カズレーザーを好きになったキッカケも、
「カズレーザークリニック」というお悩み相談番組的で、将来が漠然と不安だと話す東大生相手に、
カズレーザーのしたアドバイスが名言としてSNSでバズっていた。
「ハッピーエンドに決まってるのになんでバッドエンドにしたがるの?」
「理由を見つけて自分が不幸だなと思おうとしているだけで思わなければずっと幸せだからね」
カズレーザーはあくまでその東大生一人に向けてしたアドバイスであって、誰にでも当てはまるものじゃないと後のインタビューで語っていたけど、
先行きにただただ不安を感じてるような、毎日息苦しいような人達には良い言葉で、実際、私にもこの言葉はすごく響いたのだ。
薄っぺらいきっかけと言われたらそれまでだけど、私はそれからカズレーザーの出る番組を見まくるようになった。
番組を見まくっていて気付いたのは、カズレーザーがぜんぜん、天然ものじゃないことだった。
カズレーザーは売れていない時代から毎日最低一本はネタを書いていて、安藤なつとコンビを組んでM-1で売れた。
今はめちゃくちゃ勉強してクイズ番組で結果を残しまくっているし、バラエティ番組での切り返しの精度も上げてきている。
カズレーザーは素のメンタルが強いばかりでなく、鬼のように努力をする人なのだ。
その上で売れたのは「運が良かったからだ」と言う。
カズレーザーを色んな媒体で追ううちに、なんとなく、カズレーザーってこんな人っていうのが私の中で見えてきた。
好きなものへの探求心が強く、色んなジャンルに興味を持っているからその分深堀度がものすごい。
息を吸うように努力をするのが当たり前で、プロ意識が高く、売れるための努力を何もしていないのに口ばっかりで行動に移さない人や、高望みする人に対しては厳しい。
そのかわり、一生懸命努力している人たちへの面倒見はものすごくいい。
自分のことを冷静に見つめていて、過小評価に感じられるくらい、自分のお笑いの才能をこれっぽっちも信じていないかわりに、
周りの芸人仲間に対しては深い愛情をもっていて、仲間たちが売れることを自分のことのように無邪気に喜ぶ。
子ども相手でも大人相手でも、上からでもなければ下からでもない、同じような一定の距離感で接する。
感情が無いとかサイコパスっぽいとか言われるけど、そのフラットさの中に情がないわけじゃないんだということも分かってきた。
カズレーザーに何でこんなに惹かれるのか、私もまだよく分かっていないけど、とにかくスゴい人だ、と思っている。
欠点も山ほどあると思うけどそれ以上に目が離せない。
型にハマらないとか自由だとか飄々としているとか、色んなカズレーザー評を見てきたけど、まだ自分の中でカズレーザーをどういうカテゴライズにしていいのか分かっていない。
ただ、息苦しい気持ちになったときにこの人のことを思い出すとちょっと息継ぎができるような、私にとってはそういうスゴい人だ。
恐ろしく保守的だし、百年に一度の天才がやってきてエイヤっと条件出すと五十年は変化が無くなる世界。
ブローニングのコルトM1911が正式採用されたのは1911年だし、ストーナーがAR-15/M-16の原型を完成させたのは1956年だし、改良版のAR-18は1963年、CETMEとAK-47は1949年。新参で樹脂部品の劣化がないのかと度々話題になるグロックですら1979年。
これらのデッドコピーで銃器市場の2/3が語れて、米軍では3回か5回くらい代替品や強化版や発展コンセプトが提案されては「重い、壊れる、動かない」と却下されてるくらい、一度固まってノウハウを積み始めた設計が覆せない世界。
だから銃器にフォーカスするより話に集中するべき。漫画版エヴァでは「かっこいいし描くのが楽」というだけの理由で全ての小銃がHK G11だし、特に銃知識披露したいんじゃなければ、今だったら世界中どこでも何の話でもMk18とグロック19とAKMで全て済ませられるし、そうすべき。
あと言及群で触れられていない点では、
ご丁寧にも、敵味方に弾切れをお知らせしやがる銃、というものがありました。WW2に米が使用していたM-1ライフルです。
これは、弾が切れると弾を入れるための金属容器を銃が機械的にはじき出し、この際に特徴的な金属音を立てるので彼我共に弾切れが起きたことがわかってしまう、という特性がありました。
いくつかの創作(例を挙げるなら、NHKの咬んだ日豪合作映画「最後の弾丸」。あと松本零士の戦場漫画シリーズにあった気がする)でこれが弾切れを知らすサインとして使用されています。
ごく少数ですが、外部動力によって駆動する銃、というものはあります。
例えば初期のガトリングガン(日本では維新動乱の時に河井継之助がつかまされたことで有名)。これは人力です。
現在でも米系のガトリングや、大口径機関砲の一部は外部電源で駆動されます。ただし、これらはヘリを含む航空機用のシステムで、人が手持ちで扱うような代物でもなく、そのためバッテリー切れの心配などというモノはありません。
とここまで書いて、バッテリー駆動の拳銃を一個だけ思い出しました。「H&K P11」という奴です。ググれ。かなり特殊な部類ですが、水中用のダーツを射出する拳銃で、信管を電気的に激発させるためにバッテリーを使うという代物です。が、この銃は再装填すらメーカーに一旦送りなおしてやるような代物で、使用中にバッテリーを入れ替えるような仕様ではありません。ま、銃版の「写ルンです」だと思えば。
お笑い芸人の典型的なキャリアパスは、以下の通りであるような気がする。
①M-1やキングオブコントなどの賞レースで結果を出したり、ネタ見せ番組で大きくウケたりする
↓
↓
③MCになる
他にもワイドショーのコメンテーターとか色々あるけど、単純化するとこう。
仮にこうだったとして、①と②と③って、求められる能力が、全部違わない?
面白いことを言う、みたいなレベルでは共通してるかもしれないけどさ。
そこで何が起きるかと言うと、①から②へ、②から③へ上がってきたときに、前の段階で出来ていたほどの成果が上がらない、とか、②や③なら出来るのに①が出来ないから世に出られない、みたいなことになる。
もしそうだとしたら、途中段階すっ飛ばせるようになってた方が良いんじゃないかな。
sukekyo
sukekyo
各出版社の漫画賞に対してのM-1みたいなノリだったのが「このマンガがすごい!」だったんでそれをまた権威のほうに戻してどうする?とは思うけど。どこかの賞がテコ入れしてショーアップすればいいんだわな。
年末も近づいたこの季節、TVではM-1を始めとしたお笑い番組が大量に流される。
漫才、コント、色んな形態で芸人たちのネタが披露されるわけだが、
母親を亡くしたのは四年前で、自分でもずいぶん長いこと引きずっているとは思う。
また、自分は科学の徒であることを自認しているので、死後の世界だの霊魂だのが現実にあるとは思っていない。
ただ、自分を育ててくれた母親が、死とともに完全に消滅したと思うのも辛い。
生前あまり親孝行できたとも思っていない。ようやく孫の顔を見せてやることができ、
これからやっと親孝行ができるかと思った矢先に、母は病で亡くなった。
だからその母のためになることを何かしたい、母を喜ばせたいと強く思った。
もう死んでるのに。
肉体は完全に死んで、脳も活動を止めてしまい、客観的には母の人格は完全に失われてしまったというのに。
葬式というのは本当に優れたシステムで、一定のルールに従った服を着て、決められた儀式を開催し、
決められた受け答えをこなしていけば、死者のために尽くしたことにしてくれる。
それなりに信心深かった母のことだ、母が祖父母にそうしていたように、自分が母に対して正しく儀式を執り行えば、
母はきっと喜んでくれるだろう。
そう信じて、その場にしゃがみ込みたい気持ちを抑えながら、とにかく正しく、つつがなく儀式を終えるように努力した。
列席者もおそらく同じ思いで、ひたすら正しく、何事も起きないように儀式を進めてくれた。
ところが、お笑いのネタとして葬式を消費する場合、そうはいかない。
奴ら芸人は、ひたすら「正しくない」葬式を舞台で演じ、それを観客が嘲笑う。
例えば無神経な葬儀会社の人間を演じ、遺族の神経を逆撫でするような発言を連発する。
自分が母を送った時に、もしそうやって葬式を台無しにされたら、と思うと恐怖しか感じない。
亡くなった母のために何かしてやれる唯一の機会を、一人(あるいは二人)の馬鹿のために奪われてしまうのだ。
さらに恐ろしいことに、その状況はどうやら、他人から見たら面白いらしい。
死者を悼む無言の一体感など全くなく、喪主が何とか儀式を正常に戻そうと無駄にあがく様は、
どうにも笑えて仕方がないらしい。
恐怖だ。
そう遠くない将来、父も送ることになるだろう。
自分はその時も、信心深い父のために、正しく、つつがなく儀式を進めようと努めるだろう。
そのとき、TVでうまくいかない葬式を見て嘲笑っていた人々は、どう思うだろうか。
どこかで「喪主のセリフが飛んだら面白いのに」「焼香の時に誰かが祭壇をひっくり返したら面白いのに」
とか思ってるんじゃないだろうか。
もしそうなった時、場を収めようとする自分は、やっぱり笑えて仕方がないんだろうか。
その時が怖い。
ワイドナショーで古市(下の名前読めない&知らない)さんが「M-1はともかくM-1について語りたがる人が嫌いだから嫌い」とおっしゃってました。
なるほどと膝を叩いた。
詳しくは知らないですがM-1自体はK-1などの格闘技のパロディ的なネーミングですよね。笑点が焦点だか氷点だかの人気ドラマのパロディといっしょで。
いつしか登場人物にはこういうドラマがあるからあそこでああいうことをいって審査員がこう答えたことに感動するというのは非常に格闘技、あるいはプロスポーツ競技と似通ったものがある。それをして「気持ち悪い」という感覚もわからなくはない。
そうなると古市さんはそういうことをずっと語り続けている「とくダネ!」の小倉智昭さん(彼も下の名前がわからないけど検索候補で出てきたのでこれだと思う)のことも嫌いということになるのか。オリンピックのたびに仕事半分遊び半分で現地リポーターをしてる彼を。
言いたいことは分かるが、どういうネタでもやる人のパーソナリティと密接不可分だから、そこを切り離すのは困難だと思う。
というのも一般的に言えるかというと微妙。芸人の人となりを知って、見るネタに深みが増したという経験は増田にもあるはず。
「頑張ったで」賞みたいなことになるのは困るが、審査員がたまたま知りえた努力量を考慮事情の1つに入れるのはそんなに問題ではないと思う。
やっぱり新鮮さって大事だと思う。
でももちろん面白いネタは簡単にできないし、劇場での反応を見て、これはウケるネタなんだ!と思ってやるネタを決めることもあると思うし、どんどんネタをやって完成してくこともあると思う。
そんなことは重々承知だと思ってる。
でもやっぱりお笑いで1番すごい番組をわくわくしながら見たいのだ。
新品のゲームを始めてやる感覚。これを感じたい。せっかくのM-1なんだもん。
っていう話。
M-1見ました?
ジャルジャルって見るたびに、どういうネタで勝負するんだろうってわくわくさせてくれるから好きなんだけど、そういうわくわくをもたらしてくれるコンビほかにいるか?いないよな?いたとしても、今回のM-1にはでてなかったよな?
芸人として、男として、見てる人間の好奇心をくすぐるようなヤツってすごいと思うわけよ。今回のネタはうまくはまらずに最後の3組に残ることさえできなかったけど、俺にとってはそこじゃなくて、さっき書いたわくわくをもたらしてくれる芸人としては、うーんさすが。。。とおもったわけなんだよな。結果じゃなくて、そういう芸人としての心意気を評価したいなと。
M-1という賞レースに出場している以上は結果を残さないと何の意味もないじゃないかっていうのは正論だとは思うが、こういうチャレンジャーは評価されるべきだよ。ほかの出演者はロックで、こいつらはパンクだよ。まあ俺の音楽的観念でいうと、なんだけど。パンクは衝動だよ。パンクが時代を更新するんだよ。
別にお笑いファンでもなんでもないのですが、ジャルジャルには感動したので書いてしまいました。
さいなら。