はてなキーワード: 24時間テレビとは
私は主張したい。
決してメインストリームになれない「陰キャ」上がりの当時の業界人がメディアを介して間接的なマウンティングを行い「陰キャ」の聴衆が受け入れた結果なのである。
実際のところ、小山田が過去に障害を持つ同級生を虐めたか否かは大した問題では無い、何故なら日本全国で小山田の行為に類似したいじめはどの年代でもどの地域でも珍しいとは言えない内容だからである。
だが、普通はそんないじめの経験は、武勇伝としても自慢話としても公の場で話す類の内容では無い。
何故、小山田は25年前に積極的に悪質な虐めを全国誌で語り、その内容がそのまま出版され、多くの読者が受け入れたのだろうか?
その雰囲気を醸成したのが体育会系文化の下位互換としての90年代サブカル文化だったのである。90年代サブカル文化は、00年代以降のオタク文化とは似て非なるものであった。
00年代オタク文化はハレとケの、褻に当たる存在であることを自認しており、また、それは属性ではなく役割である。つまり、普段は「陽キャ」として振る舞う一般的な大学生が熱烈なオタク文化のファンになることも、役割であるが故に成立するのである。
90年代サブカル文化においては、これは成立しない、何故ならサブカル文化は属性であるが故に、メインストリームになり得ない存在であることが所属と同時に確定するからである。
多くの者が成長と共に就職等で、サブカル文化という属性から自然に離脱することにはなるが、留まり続ける者もいる。それが、メディアを牛耳る業界人だ。
今でこそ高収入で社会的地位が高いイメージだが、当時、サブカル文化属性の業界人はメインストリームに対して劣等感を抱いていた (※ ハリウッドでも似た話があるので、これは珍しいことでは無い)。
この劣等感は金銭的な収入では満たされない感情だったのだろう。社会的な地位が上がるにつれてサブカル属性の業界人は、メインストリームの体育会系の強者に匹敵するようなエピソードが欲しくなる。
しかし、人間は正直な生き物なので、完全に空想の嘘は付けない。結果生み出されるのが、90年代に公放送や出版物で繰り広げられた下劣ないじめ体験談につながった。
これは、小山田だけの問題ではない、小山田の経験を自らと同じサブカル属性の強者の武勇伝と位置づけ誇示するように掲載した雑誌関係者、自らと同じサブカル属性の英雄の功績として希望を感じた読者は、皆等しく文化を醸成した因子なのである。
陽と陰が協調し一つの目的に向かう初めての機会は、学生時代の文化祭である。(※ 24時間テレビが近いと思うかもしれないが、24時間テレビは、テレビ業界に所属している者が中心であるためにサンプリングに偏りが生じている)。
五輪はこの文化祭以来の、初の世代を跨ぐメインストリームと非メインストリームの協同作業だったのである。
この機会に、90年代サブカル文化の代表的な負の象徴である、小山田の過去が全国規模で炙り出されたことは決して偶然では無い。
そういや今年も24時間テレビ楽しみだよな
やっぱり必要なのはもともと持ってる知名度と、悲劇性、物語性。
幸せだった人がある日突然車椅子生活に!というのを入れると一気に再生回数が伸びている。
サムネにデカデカとこの人かわいそう!頑張ってる!と思われるような要素を入れるのが重要らしい。
脊髄損傷にも、色々できることできないことは違うようで車椅子からベッドに移るだけの動画とかが結構多い。
単純に動画として編集やトークが面白いことは稀で、いかに悲劇的で毎日大変ながらも懸命に頑張っているかを語ったり日々の生活の様子を見せる動画ばかりだ。
そして再生回数が落ちてきたりすると、「障害者の性」というセンシティブな話題をサムネにクソでかでかと表示する人も多い。
コメント欄は勇気が出ますとか、自分は何やってるんだろうと思いました!とか前向きでスルッとした感じのものばかり。
あとは介助者がいる場合だと愛の力!愛!愛!愛!というコメントが多い。
車椅子「なのに」前向きな姿勢を見せて賞賛を得つつ、つまらないギャグを入れたりして、障害者というのは健常者の皆さんと同じ人間なんですよとアピールするのも欠かさない。
単純にYouTuberをやってる車椅子の人はほぼ見かけたことがなく、車椅子をメインにしたチャンネルがほとんど。
とにかく悲劇性があり、大変な生活を送っていて、それなのに前向きという視聴者求める姿を演じれば割と簡単に1万回再生に行くので副業としてオイシイんだろう。
しんどい新情報がバーーーっと公開されて、うちの村は消し炭になった みんな彼の人生に想いを馳せてしんどい…しんどい…と言ってる
でもなんかそれ、そのしんどい人生、手放しでかわいそうかわいそうってしてて良いのかっていう…
かわいそうな人生をエンタメとして消費することの是非、難しいよね 架空の人間だし 架空の人間であることを除けば24時間テレビと一緒じゃん?と思う 感動ポルノも人に何かを与えないわけではない………と思ったけどいま記事読んだらちょっと感動ポルノの意味誤解してた ごめん
https://news.yahoo.co.jp/byline/usuimafumi/20160905-00061835/
社会的制度の中で落ちこぼれてしまう人がいることを伝えたかったのかもしれん どうなんだろう 確か前に「このキャラを作者があまりにかわいそうな人として書くからなんとなく苦手」という声をどこかで聞いたことがある それはちょっとわからんでもない
まあここまではなんかまあ微妙だねで済んでるんだけど、かわいそうな境遇だからかわいい、かわいそうな境遇だからエロい、まで来ると倫理的にアレでは?とマジで思う 特に子供を対象としていると……………………
作者めっちゃ子供の扱い気遣ってるのになあってなってしまう ちゃんとクソガキだけどそれでも大人は子供を守ってるだろ 作者は少年誌にしては相当倫理大事にしてるじゃん、それも数年前に掲載された第2話から、全部ちゃんと読んでんのか?推しのとこだけ見てない? 原作のファンなら作者が大事にしてること大事に欲しかったなあって思ってしまうよ…
不快だとかお気持ちだとかで片付けられてしまうことではあるしそれでいいけど、だとしても批判はさせてほしい (増田なので批判にはなってない)
みんなちゃんと鍵掛けたり多少伏せたりはしてるけど だからまあ責められはしないんだけど だとしても社会的にとても弱い立場にいる子供が性暴力に遭う作品を嬉々として書いてるやつら本当に無理だし、そいつらにめちゃくちゃファンがいるし、みんな大絶賛だし、なんなん? 本当にお前ら無理だよ 何で作者が大切にしてるもの大切にしないの?性癖と原作への愛は別だというのはそれはそうだけどなんかこうもうちょっとなんか無いの? っていうかうちのジャンルガッツリ作者に見られてること分かっちゃったけど、息してますか?
こんな感じなので、推しのファンを愛せない だから推しも愛しづらい 最近一つのジャンルの中の細かな界隈のことを村という表現が広まっているけど、村というのはまじで村で、村社会なのよ 私はきっと異端 村にもよるだろうけど だからこの国を出てどこか違う村へ向かうか、この村の神さまになるしかない 新しい神さまになって新たに入ろうとしてきている村民を信者にするしかない まあこんな状況だから需要はなくはないと思う でもそれだけの熱量と時間と技術と対人スキルはない あーあ
まあTwitterなので好きにやってほしいですし、私も好きにやればいいけど、ブロックすると交流が死にそうだしやりたくない 村だから あと怒りが創作の原動力なので、反対の解釈見てキレたいというのもある それはどうなんだ?まあいいか
村民へ 原作分かるように書いてあるからまあ分かるよね 文体で私と分かるかもしれない まあ私が不快に思うようにこの文章も不快だろうから適当にブロックしてください でもちょっとでもなんか気づいてくれたら嬉しいです
男子の例にもれずヒールやってたレスラーは基本いい人のイメージあるけど実際どうなんだろう。
ダンプ松本とか理不尽なシゴキに耐えられなくなった新人が脱走した時に見つけて匿ってたとか、極悪同盟時期にファンに定期的に嫌がらせをされていて親に負担をかけていたけどその稼ぎでマンション買ってあげたとか。
ブル中野は引退後のお店に後輩が皆手伝いに来てくれるし引退興行にいろんな選手が駆けつけてくれて人望ありそうだし、井上貴子のブログでも新人にも優しく、でもプロとして厳しく指導してくれたみたいな話あるし。
逆に北斗晶って人望がないイメージあるんだよな。いろんなインタビュー見てるととにかく自分が中心で、対抗戦時代とか考えるとそりゃ当たり前なんだけど、最後まで最高王座ベルト巻けなかったり、24時間テレビのマラソンで駆けつけてくれたのが長与堀田だけだったり、いい話あんま聞かないなあ。
(出演メンバーが偏ってるけど、書いててキリ無いので、残りはホロ好きのキモオタに任せた)
あと、所属人数だけはやたら多い某箱(司会はド葛本社とか?あそこの面子はよく知らん)とか、昼と夜の喫茶店がやたら有名な某箱とかでもできそう。
別にやらんでいいけど。
ジャニヲタはグループ間、メンバー間でのヲタの競争意識が強く(ジャニ以外にはほとんど向かない)、CDや雑誌等は「他んとこに負けないよう」必死で複数買いして数字を出している。AKB系は「握手」というサービスを買ってるけど、ジャニヲタは「売れてる人を応援してる私」という自己満足を得る(キープする)為に投資してる人が多い気がする。
そんなジャニヲタ気質とがっつり組んでるのがここ15年くらい?の24時間TVで、パーソナリティを任されたグループのヲタは、去年より募金額を上げようと(普段全くチャリティに興味なくとも)募金をし、Tシャツを全色買ったりするのだ。
嵐ブレイク以降、そのマウント気質への乗っかり商法でジャニーズはどんどん大きくなって行ったが、ここ最近それが限界に達している気がしている。ネットやSNSがない時代は他のヲタがどうしてるかなんてほとんどわからず、皆マイペースに応援していたのに、フォロワーがCD全種類買ってるから私も初回ABと通常盤買わなきゃ、自担は数ページしか載ってないけど雑誌買わなきゃ、と半ば義務のようになって来る。コロナでただでさえ現場がなくなり、元々他の事務所に比べて触れ合い供給を出し惜しみ、リターンも少ないのに、せっせとお布施だけ続けるとどうなるか。ヲタが「私らの金で食わせてやってるんだから私らの望むようにすべき」と増長し出す。
ここ最近「ジャニーズがスキャンダルを抑える力が弱くなった」と言われるけど、ネットでスキャンダル(写真がある記事に限らず怪しげな匂わせインスタ、媒体での不用意な発言等含む)があった時一番ジャニを叩くのはジャニヲタだ。ライバルが潰れてくれれば万々歳なので積極的に叩いてRTしたりする層+他人の不幸は蜜の味とばかりにどれどれとアクセス数を上げる層+同じグループの他メンバーを「自担に迷惑かけるな!」と叩く層+特に女性絡みの時「愚痴垢」と化して裏切られた!と自担をボロクソ叩く層と、さまざまな立場のジャニヲタが、同じジャニーズ仲間をしつこく叩く。ネットメディアにとってこんな美味しい事はなく、例えTVで取り上げられなくても、ジャニーズネタはネットで頻繁に取り上げられる事となる。
要するにジャニタレを潰しているのは他ならぬジャニヲタ自身なのだ。今回の山Pなどのモラル違反のようなものならともかく、「今日のコンサートで首にキスマークがあった!」なんてしょーもない真偽不明のネタで「最低」「アイドルとしてのプロ意識なさすぎ」「はぁ?うちらが今まで貢いできた金返してくれる?」なんて具合に簡単に炎上する。ただでさえジャニーズは世間的に「歌もダンスも演技も下手なくせにゴリ押しで仕事貰ってる」と厳しい目で見られているのに、味方のはずのファンまでこれでは、ジャニタレも逃げ出したくなって当然かなと思う。
今年の24時間テレビは「安心安全なメンバー」つまりスキャンダルが絶対出ないだろうという面子を集めたらしいが、魅力的で才能のあるタレントはどんどん退所し、プライベートの振るまいにおいて「だけ」プロ意識の高い、独立するほどの人気も実力もない人達だけ残っても衰退するだけなのでは、と思う。