「自分のクラスのいじめに立ち上がる」こと(フェミニズムで言えば「女性のために立ち上がること」)は批判されるべきではないでしょう。
でもフェミニズムはそもそも他勢力や社会に対して「女性のために立ち上がらないこと」を批判することでしか「女性の権利を拡張すべき」という命題の必然性を主張できません。
つまりフェミニズムは「自分のクラスのいじめに立ち上がらないこと」をクラスみんなに責めている、ことになるわけですが、
一方で「弱者男性」という自分のクラスの別のいじめに対してはフェミニズムは立ちあがっていない。
そこが矛盾です。
ところで上記にももしかしたら違和感を感じたかもしれませんが、僕の中ではフェミニズムにとっても弱者男性いじめは「自分のクラスのいじめ」です。
なぜ「他のクラス」になるのかわかりません。弱者男性はあなたと同じ社会に間違いなく暮らしています。
もし仮に「フェミニズムは女性クラスに属していて、弱者男性は男性クラスに属している、だから別のクラスだ」と言いたいなら、女性差別は一体どのクラスのいじめでしょうか?それはむしろクラス間の争いになってしまう。比喩としては不適切と考えます。
なぜ「他のクラス」になるのかわかりません。弱者男性はあなたと同じ社会に間違いなく暮らしています。 その辺は自分としても悩んだ。強いて言えば自分の関心の範疇として想定し...