はてなキーワード: 少子化問題とは
でも被害者は女性ですし、日本の社会システム自体が男女別定員制度で成り立ってますよね
その事には言及しないんですか?
女性の貧困率や進学率、正規雇用率など須く男性より不遇な立場にあります
それを無視して女性差別がないと誤魔化すことこそが女性差別の象徴ですよ
その上で女性に稼ぎを求めたり、少子化の責任を転嫁するのは厚顔無恥な恥知らずだと思いませんか?
少子化問題が取り沙汰されてから何十年、男性は何が変わったんですか?家事育児分担しない、労働時間は減る、稼ぎも減る、堕落する方向にしか行っていないですよね
反面女性たちは社会に出て、今の社会は共働き世代が7割以上に達しています
本当に働いていないのは男性ではないですか?少子化にさせてるのは男性ではないですか?変わる努力が必要なのは男性なのではないですか?
男性はこの数十年間で何が変わったんですか?
何もしてないですよね
いいえ、不正入試事件は明確に女性のみが減点されていたので女性差別にあたりますね
先立って日本の雇用や進学の場面では男女別定員制度として正式に男性を優先的に採用、合格する構造があります
そういうシステムの中で育てば、男性は家庭貢献をしなくても許されるいう風潮が然るものとして形成されますよね
女性が選ばないのではなく、選べないのが現状なのです
稼ぐ手段を規制され、かつ家庭に貢献する男性がいないとなればもう子どもを産む選択肢なんてありませんよね
少子化なんて50年前から言われてきたのに対策しなかったのは歴代政治を引っ張ってきた男性なんです
その上、稼ぎが少ない子どもが少ない現状を全て女性に責任転嫁する男性の姿を見れば女性が反発するのも当然ですね
特に厚顔無恥な女叩きに従事する無能なチンカスの劣化した遺伝子は後世に残す必要もないので見せしめとして去勢するのが少子化問題解決の一助になるでしょう
今年の出生数がこのままだと70万を割る見込みらしい。
そのニュースに触れて、多くの人が政治の批判をしている。こども家庭庁が必要なのかという話や、政府はほとんど何も対策をしていないという主張が目立つ。
ただ、正直ずっと疑問に感じているのだが、少子化問題を政治の力で改善させることは現実的に可能なのだろうか。
よく少子化の最大の原因として「若者にお金がないから」を挙げる人をよく見る。もちろん要因としてありそうだと僕も思う。子どもを育てるためのお金がないという人もいるだろうし、結婚願望を持っててもお金がなくて婚活できないという人もいるだろうし、そもそも出会いすらためらう人もいるだろう。
若者の貧困が改善すれば、多少は効果があるかもしれない。でも、それが劇的に問題を解消するような「銀の弾丸」になるともあまり思えない。
というのも、少子化のグラフと給与水準のグラフに乖離がある気がするからだ。
たしかにどちらも下がり調子だから相関関係があるようにも見えなくないが、給与は1996年頃から下がり初めているのに対し、少子化は70年頃からずっと下がり続けている。
もしも貧困が一番の要因なら、給与水準と少子化はもっとダイレクトに反映されるのではないのだろうか。
もっとも、僕は統計や分析に関してはド素人だし、税金や物価なども考慮にいれないと実際の貧困状態をあらわすことはできない。ただ、バブルがおきた頃には既に出生率は下がり続けていたのだから、最大の要因は経済とは別の場所にあるのではないかという気がしてならない。
じゃあ何が一番の要因なのかというと、結局のところ「生き方の多様化」ではないのか。
出生率の高い国をみると、生き方の選択肢が限られている国が目立つ。
女性は「結婚する」以外に生きる方法がなく、結婚すれば子どもを産む以外に選択肢がない。そして家族は子どもという働き手を得るために夫婦に子どもを産むよう強制する。
そういう生き方しかできない国が今でも出生率が高い。そして逆に、いろんな生き方が選べる国は、軒並み出生率が低くなっている。
日本も昔は結婚する以外になかった。親族からの結婚圧力は高く、結婚すれば次は子を産ませるという圧力がかかった。
30代にもなって結婚してなければ社会不適用者の烙印を押され、男女問わず同性愛者は同性愛であることを隠して結婚するしかなかった。
結局そういう圧力や、選択肢のなさが出生率につながっていただけではないのか。
断っておくと、当然ながら「そんな昔がよかった」なんていうつもりはさらさらない。
いろんな生き方ができる今のほうがずっといい。
問題は、「生き方の多様化」が最大の要因だとするなら、少子化対策は政治でどうにかなる問題じゃないんじゃないかという点だ。
できるとすれば「生き方の多様化」を縮小させるような政策しかないのではないか。
しかも生半可な政策じゃ効果は薄いだろう。相当過激な、副作用も多いような政策じゃないと効果がでないのではないのか。
なんか、今のペースでゆるやかに減っていくのを許容しつつ、最終的にクローン技術とかでなんとかする以外に方法はないんじゃないのかな。
少子化対策が「理想主義的」か「現実主義的」かは、政策のアプローチや目標設定によって異なるため、一概には決められません。ただし、多くの国の少子化対策は、理想主義的なビジョンと現実主義的な方法論の両方を織り交ぜています。
理想主義的な側面
少子化対策は、未来の人口構成の安定、社会の持続的発展、子育て環境の充実といった高い理想を掲げることが多いです。たとえば、日本やフランスのように、子育て支援や家族政策を通じて出生率の回復を目指す国々では、社会全体で育児負担を軽減し、子どもを産みやすい環境を整えようという理想が根底にあります。こうした理想的な目標は、持続可能な未来を描くうえで重要な価値観を提供し、政策を支える理念として機能しています。
現実主義的な側面
一方、少子化問題は構造的な問題であり、短期間で劇的に改善するのは難しいとされます。こうした状況では、財政的な制約や労働力確保のために、出生率回復以外の現実的対策も重視されがちです。例えば、移民政策を通じた人口増加策や高齢者の社会参加、さらには定年延長などが現実的な施策として組み込まれることがあります。また、財政負担の増加が懸念される場合、対策にかける予算を抑える選択がされることもあり、これは現実主義的な対応といえます。
少子化対策には、理想主義的な目標設定と現実的な手法の両面が含まれます。たとえば、出生率向上という理想を掲げつつ、実際には経済的支援策や労働環境の改善など現実的な課題に対処する形で、少子化対策を多面的に進める傾向が見られます。そのため、少子化対策は必ずしも「理想主義」か「現実主義」に完全に偏るものではなく、両者を織り交ぜた政策と考えることが妥当でしょう。
国会の議事堂は白熱する議論に沸き返り、各党の議員たちが口角泡を飛ばして意見をぶつけ合う。
だが、どれもこれも的外れだ。
税制をいじっても、保育所を増やしても、何をやっても人々は子どもを産みたがらない。
「こうなったら仕方がない...」総理は秘書官に静かに命じた。
「娯楽を、止めよう。」
その瞬間、場内は凍りついた。記者たちのペンが止まり、議員たちは一様に顔を見合わせた。
しかし誰も反対はしない。今はもうそれしか手がない。皆が分かっていたからだ。
ネット上のすべての娯楽を完全にシャットダウンする。それだけじゃない、テレビはニュース一色、ラジオもお役所が発表するお知らせばかり、出版物はすべて半年間の停止だ。
国民は急に何もすることがなくなった。会社から帰っても、家でできるのはせいぜい家事か、静かに座って窓の外を眺めるくらいだ。
最初の一週間はパニックだった。ネットカフェや図書館には長蛇の列ができ、裏ルートで娯楽コンテンツを手に入れようとする連中が現れた。
だが政府の監視は厳しい。アンダーグラウンドの娯楽マーケットもすぐに摘発され、密かに楽しんでいた者たちは「娯楽依存者」として社会的に抹殺された。
人々は絶望し、娯楽を渇望した。
彼らは朝起きて仕事に行き、帰ってくればYouTubeを見るか、またはお気に入りのドラマを見ながらお酒を飲むのが日常だったのだから。
しかし、今やそれがすべて奪われた。もうやることがない。誰もが手持ち無沙汰に過ごす毎日が続いた。
やることがなくなった国民は、そのうち奇妙な行動に出始めた。
最初は手芸やDIYを始める人が増えた。次に家庭菜園がブームになり、自宅のベランダでトマトを育てたりする人々が増えた。
でも、それも飽きるのに時間はかからなかった。何かもっと根本的な「刺激」が必要だと、人々は感じ始めていた。
そして、半年後、街角ではこんな光景が普通に見られるようになった。
「暇だし…セックスでもする?」
「うん、そうだね」
実際、半年の禁娯楽期間が終わった後、日本中の産婦人科は赤ん坊の泣き声で溢れかえった。
少子化、労働力不足で、早いうちから働いてもらいたいのに、宿題や学ぶことが大嫌いな学生が、早く働きたくない、もっと遊びたい、大学出てないと碌な就職先がないという理由で、大学に入っても、大学出ても高卒で就職できるような会社ばかりだろうし、日大出ても3割が派遣会社って意味ないじゃん。そして、親も稼いでないから奨学金という消費者金融地獄で。大学入ってもバイト、ゲームなど、大学に入らなくても出来ることばかりでは。入学してもマルチのUSBを買ってしまって、より高い勉強代だ。
そりゃ、婚期も遅れるし、奨学金返済で金がないから結婚もできない。車も買えない。
昔は高卒でバリバリ働いて、車を乗り換え、早く結婚して子供育ててという親が多かったと思うけど、最近は上記の理由で経済は回らないし、相手もいないし、借金あるしで幸せそうには見えない。
大学って高度な勉強を極めたい人や、親が金あって就職と別で音楽とか芸術とか没頭するとか、大学でしかできないことをやるとか、なんかの理由がないと。小学生のころから学ぶことが嫌いな人が行ってもバイトとゲーム、飲み会とかだけなら、大学に行かなくてもできるんじゃ。
身の丈に合っていない。騙されているよ。奨学金を社会に出てから稼げばいいとか、車の残クレと一緒。そういうセールスというか、みんな行くからという雰囲気に乗せられているだけ。
企業も高卒より4才歳くってる変な知識と、さぼり癖だけ身に着けた奴より、常識や知識が足りなくても素直な高卒のほうが教えやすいんじゃないの。
新卒が無気力なのも大学生の時のさぼり癖からのギャップがあるからというのもあると思う。高校生みたいに8時半には学校行ってという規則正しい生活してないから。そのまま就職まで緊張感ある生活をしたほうがいいだろ。
22歳でも23歳でも、高卒と大卒の顔つき。大卒のほうがボケっとしてて、高卒のほうがキリっと見える。そりゃ、若いうちから社会に出て働いてれば、顔つきも変わるだろう。
子供っぽい20代が多いのも大学在任中にノンビリ過ごしたことで、ストレスが抜けきったんだろうか。
宣伝禁止、相続禁止、助成金カット、留学生補助禁止などして大学を潰せれば、労働力不足、少子化問題も数パーセントは改善するはず。
子供を育てるのに金がかかる→子供を産まないというプレッシャーや選択肢は緩和させるだろうし、就職してから勉強して努力している人はいくらでもいるはず。無駄な大学の存在こそがこの国の衰退の一因だから。
大学の半分は、いらんいらん。統合、廃止!それよりも高卒で働いてもらって、夜間や空き時間などに学ぶことに対して、補助したほうがいい。
こちらの増田さんがどういう立場なのかは明記されていないが、読み取れるのは3号被保険者という弱者気取りもしくは弱者の味方気取りということくらい。
そんな弱者気取りもしくは弱者の味方気取りの増田さんですが、働けない3号さん以外への言及は総スルー。私に友だちや知り合いにいないのかとやたら言われていますが、私の周りで事情があって働けない方は3号さんよりも3号以外の属性の方の方が多いです。一番わかり易いのは身体(メンタル)を壊して休職退職した独身男性ですね。結構いますし、アラフォーにもなると身内の介護の話もそれなりにちらつきます(結婚しててもしてなくても親はいるからね)。また、私の学歴職歴の都合があり私の友人で一番多い属性は男も女も独身子無しです。また仕事をしていても自営業、フリーランスの方も多くいます。こと3号被保険者制度で言えば何の後ろ盾もない特に2号さんの彼らですが3号被保険者を維持するために3号さんの分の保険料もゆるく按分されて支払っています。そして自分が働けなくなった時に3号の恩恵は受けられません。
私は別に働けない3号さんを見捨てろとは言っていませんが、既に多くの人を見捨てている3号制度を継続する意味は見出だせないと言っています。また、同時に働ける3号は百何万とか気にしないで働いた方が世のためになると言いました。
なぜなら人格攻撃というのは議論には関係のない憶測による決めつけであるためそれを持ち出す事に本来正当性があった主張まで「これはただの憶測なのでは」という疑いの目を向けられる為。
私に友だちがいないとか私が世間知らずであるとかの真偽って議論にまるで関係ないんですよ。ひろゆきのあれとはちょっと違うんだけど「それってあなたの印象ですよね?」みたいな。この人全部印象で話しちゃってるんじゃない?て思われる。少なくとも冷静ではないなと思われる。私は思いました。なぜなら私は私に友だちがいることを知っているし、世間知らずなんて概念的な話をここで持ち出しても意味がないことを理解しているので。あと、職場ではこんなプライベートな話で深く議論していないで仕事の話をした方が良いと思います。
私は別に専業主婦への憎悪を募らせているわけではなく、働ける人間は働く社会にした方が良いと言っています。(特に深刻なのはブルーカラーですが)労働者が足りないので。
労働人口不足と少子化問題は両輪ですが両輪なのでどちらかの問題の為にどちらかを無視することはできないと思っていますって話。3号の話題ばかりに目が向いてる時点で冷静じゃないですよ。