はてなキーワード: 不定形とは
203x年、ついに発達障害配慮法が施行された。ここまで、長い戦いだった。
私は発達障害だ。今から20年ほど前に娘が生まれたが、育てるにあたって不注意が何かと多く、これは何かおかしいと思って精神科を受診してみたら発達障害だと診断された。
当時はまだまだ発達障害への理解が低く、この診断を受けるまでにも山あり谷ありだったのだが、それは今となってはどうでもいい。
この診断を受けたとき、今まで自分ができなかった多くのことは発達障害が原因だったのだとわかって、ホッと胸をなでおろしたことを覚えている。私自身はできないことでのコンプレックスだらけだったから、本当に救われた気がした。
そして、娘にはこのコンプレックスを受け継がせてはならないと思い、娘も早い段階で発達障害の検査を受けさせた。結果、娘も発達障害だったことがわかり、この結果は私の子育てに大いに役立った。
娘にはなるべく出来ないことで心に傷を負ってもらいたくなかったから、娘が苦手だとされた不定形のタスクなどはなるべく取り除くか事前にわかるように配慮してもらうため努力した。
この過程で夫とは教育方針に行き違いが生じ、結果別れることになったが、娘のためにはそれで良かったと思っている。
とにかく娘には、出来なくてもいい、ということを大切に言い聞かせて来た。
そして、発達障害の講演会などにはなるべく顔を出し、ネットでもブログなどで発達障害当事者の目線を発信して来た。それは私に言わせれば戦いであった。
そうして発達障害についての理解はここ20年で段違いに深まり、この度、数年前に国会を通った発達障害配慮法が施行されることになったのだ。
この法律の要旨は以下の点にある。
・発達障害は誰もが抱えていてもおかしくないグレーな障害であるから、仕事に就く際には全ての人にWAIS-IIIを受けさせその特性に合わせたタスクを振るように配慮すること
たったこれだけだ。たったこれだけのあまりにも基本的なことがこの国にはできていなかった。しかし、それもこれまでだ。
それに、これが今年施行されることには大きな意味がある。今年は娘の就活の年なのだ。そう、私の活動は娘が就職するまでに間に合ったのだ。
私はささやかにこの点を誇らしく思っていた。
娘は教育系の短大に通い、保育士になるために勉強をしている。まだ保育園に通っていた頃に大好きだった先生の影響で、ずっと持ち続けていた娘の夢だった。そして前期で無事に保育士試験に合格し、これから憂いなく就活に全力で取り組める。それに間に合ったのが、母として嬉しい。
だが、今日は娘の帰りが妙に遅い。何かあったのか心配だ。電話をしようかどうか悩んでいるとき、娘が帰って来た。
娘は、ボロボロに泣いた顔をしていた。
「どうしたの!?」
慌てて娘に駆け寄り肩に手をかけたが、その手は娘に振り払われた。
「お母さんのせいだ」
娘は下を向いたままポツリと言った。
「お母さんがあんな法案応援してたから、私は保育士になれない!」
娘はそう激昂した。
「どうしたの?何があったの?」
私は娘の言葉がよく理解できず、ただオタオタするしかなかった。
娘はこう言った。
「今日、保育士の就職試験の結果が返って来たの。今年から発達障害のテストを受けるってことになってて、私は昔っからそうだって言われてたからたぶんこのテストでも引っかかるんだって思ってた。でもそれは私にできることの配慮のためだから心配ないよってお母さんは言ってたけど、全部嘘だったよ」
「え?」
「子供の頃から私には不注意があるって言われてた。それを乗り越えるために色々工夫して来たのに、就職試験でこの結果じゃ子供を預けることはできないから、私にできる仕事はないから不合格だって」
「そんな、ひどい差別……」
「差別なわけないじゃん!発達障害者の仕事に配慮するってことはその配慮に責任を負うってことなんだよ!?それが出来ない人は落とされるのは当然でしょ!?」
「でも、あなたには出来ないことがあるから仕方ないじゃない!出来ないことを理由にされるなんて!」
「また出来ないって言った!お母さん、そう言われる私の気持ち考えたことあるの!?」
なにか、ひどく頭を殴られたような一言を聞いた気がする。その言葉は私の心にひどく刺さった気がしたけど、私はとりあえずその痛みを無視した。
娘は続ける。
「私、昔っから出来ないことはやらなくていいって言われることが嫌いだった!私は出来ないから出来るようになりたいのに、お母さんに出来ないのは仕方ないからやらなくていいって言われるたびに私の努力が無視されるような気持ちになった……。どうしてあんなに出来ない出来ないって言ったの!?」
「だって、あなたの発達にはデコボコがあって苦手なことがはっきりしてて……」
「苦手なことだって出来たかもしれないじゃん!なんで最初っから諦めさせたの!?どうして出来ないことはやらせてはならないなんていう変な法律が出来上がっちゃったの!?それで私は夢が本当に叶わなくなった!」
そこまで聞いて、私は娘の話の論点がわかった。だから、出来る限り落ち着いて娘に話をした。
「発達障害っていうのは、どうしても苦手なことがある障害なの。そのことがまだはっきりとわかってなくて、苦手なことをやらなくてはならない社会だった昔、お母さんみたいな人たちはみんな傷ついてた。だから、お母さんたちは自分の子供たちにはそんな思いをして欲しくなくて、出来ないことはやらなくてもなんとかなる社会を作りたかったのよ」
「その結果が出来ないことを決めつけてやらせない社会だなんて、冗談にもならない」
娘の声色がひときわ暗くなった。
そして娘は私の方を見もせずに自分の部屋に閉じこもった。
今でも、娘の押し殺した泣き声が部屋から聞こえてくる。
私は、娘が言ったことをよく考えていた。これから私がすべきことは何か、よく考えた。
そして結論は出た。
配慮を理由に不採用にする企業は間違っている。この法律はそのように運用されるものではないはずだ。
だから、また戦わないと。
○朝食:なし
○夕食:考え中
○調子
はややー。
普段はNetflixで十分なんだけど、東京03の単独公演が出てたので、最新作だけど借りて見てた。
去年はゴールデンウィークぐらいに、第五回ぐらいから全部見て感想書いたりしたけど、今回はまあいいかな。
あと、新作が出るたびに思うんだけど、ボリュームがすごい。
本編見て、副音声みて、特典みて、特典の副音声みて、と四週したので、朝から見始めたのに、午後二時とかになってた。
そこから、買い物行って、昼飯食べて、としていたら、もう結構な時間に。
早めにお風呂はいって、月曜日に備えようと思いつつも、もう一本日曜日恒例のNetflixで映画を見ようのコーナーをやろうとしたら……
見事に爆睡。
さすがに、これをお昼寝と言い張るのは無理がある。
明日は仕事だけど、このまま起きていようか、それとも寝ようと足掻こうか……
っていうか、こういう不定形な睡眠とると、すぐ体調崩すんだよなあ……
●DS
DVDの副音声聴いてる間は、手元がフリーなので、このゲームをゴリゴリ進めた。
レベルを上げて、マップを埋めて、そして一気に15Fの中ボスを撃破!
これで第三層をクリアして、第四層に! やったぜ!
それにしても、どこまであるんだろう?
階数的には第六層まであると30Fでキリがいいけど、層的には第五層の方が5の倍数だからキリがいいな。(いや、5の倍数がキリがいい扱いなら、第五層まででも25Fだからキリがいいんだけど)
●3DS
どれも順調にプレイ。
台確認のみ。
○ポケとる
デイリー要素のみ。
ストップ巡ってポケモン無視するの、めんどいから課金しようかな。
ログボのみ。
全部の服を脱ぎ終えた二人はベッドの上で対座する。まだ何ら行為をしていないのにもかかわらず、夏の暑い室内のせいで二人の肌にはすでに汗がにじんでいる。扇風機もクーラーもあえて付けない。今から始まる舞台は涼しさなど少しも必要としないのである。
正座して見つめ合う二人は「よろしくお願いいたします」と日本人らしい丁寧な敬礼で始めの合図をする。男が股間へ手を伸ばそうとすると、女もそうしようとするが、男はじらすと見えて再びその手を引っ込める。女も引っ込める。熱い試合が見込まれるからこそ立ち合いの呼吸はなかなか合わない。
観念した女がついに自ら口火を切った。男もにわかに右手を激しく上下させる。声は男の方が先だった。それにつられた女も負けじと甲高い美声を部屋中に轟かす。男の「おっ、おっ、おっ」という一定のリズムを保った野太い喘ぎと、女の「あー、んっ、っあ、あーー」という不定形の悲鳴とは、双方の良さを引き立てながら、独特の協奏曲を奏でる。浅黒い男の逞しい筋肉と、純白の女の麗しい乳房。互いの目は互いの身体へと注がれ、興奮の波は上昇の一途をたどる。目の前の体には指一本触れていないのに、まるで相手と同化したような気がするのは、性交では決して得られぬ自慰の奇跡と呼んで差し支えなかろう。
小さくうなずく男に女も同じようにして応える。もはや二人は以心伝心の関係だった。「あっ」と短い声が重なったかと思うと、窓から差し込む夕日の向こうから、カラスの群れの鳴き声が、まるで試合終了の笛が鳴るように、二人の心に響き渡った。「ありがとうございました」。裸の男女は、はずかしそうに微笑みながらあたたかい握手を交わした。
よくはてブやツイッターなどでメタ視点で「これは良いリトマス試験紙」という発言を見かけるけどこういう勝利宣言ってバカみたいだよ。
どうも左翼の人に多い傾向が見受けられるけど、なんで物凄い上から目線で人をふるいにかけて「馬鹿と賢い人が分けられましたよ(喜)」って言えるんだろうか。
もしくは「敵と味方がこれでわかりますね(ドヤッ)」なのかな。
この発言している時点で馬鹿だと思うことにしているけど。
「このネタで、お前が俺並みにわかってるかどうか俺が判定してやるよ」的な使い方は確かにイラッとくるかも。
でも、たとえば2つの価値体系が交わるところで発生するような具体的問題に対して、各人がどう考えるかという
「リトマス試験紙」もあって、それは結構おもしろい。自分自身も含めて試験される感覚といえばいいのかな。
最近話題のトピックで言うと、言論の自由とヘイトスピーチの関係とか、女性の人権とセックスワークの関係とか。
どっちを取るかだけじゃなく、どれぐらい考えて答えるかで、その人のひととなりが見えたりする。
ぷよぷよで不定形を組まない人って、ツマラナイ人間が多いです。正直見下しています。
対戦がツマラナイ、対応が少ない、「博打だ」と断定するのがクセ、それなのに定型を使う裏付けがない。こんなヤツと一緒に対戦したくなんかありません。その上、対戦記を書かせても全くダメ。blogもまともに書けない。
不定形を組まない人の特徴として、私が最も問題だと思うのは、彼ら彼女らはモノの見方が1つじゃないことが分かっていないのです。世の中には、色々な考え方があって、人の立場や状況によってモノの見方が変わるということを理解できないことが多いです。おそらく想像力の欠如が主な原因でしょう。
言い方を変えれば、価値観の相違を認めない人が多い。
国際化が進むぷよぷよ界において、価値観の相違を認めるということは、コミュニケーションの基礎です。それが出来ないのだから、正直言ってバカとしか思えません。
最近ネットを見ていると、批判されている人は不定形を組む人。格付けスレで批判している人は、不定形を組まないGTRバカ。そんな構図が多いような気がします。
批判といっても建設的なものならいいけれど(それは色々なモノの見方があることが分かっている人がすること)、誹謗中傷の類をしているのは確実に不定形を組まないバカ。「自分が正しい、こいつが間違っている」そう思い込んでいるんでしょうね。
こんなことを書くとステマとか言われるけれど、くまちょむもモモケンも不定形を組んで自分なりの理論を作り上げているのだからすごいと思います。でも、不定形を組めばあれくらいのことは誰にでもできるのです。
不定形を組まない人が、モモケン信者、くまちょむ信者になったり、誹謗中傷をする人になるのです。
不定形を組む人は、モモケンやくまちょむの言っていることを批判的に見て、いいところだけを自分の中に取り入れていけるでしょう。
つまり、信者と誹謗中傷している人は、不定形を組め。ただし、くまちょむが勧めている連鎖を組むだけなら、それはくまちょむを真似ているだけだ。みんなが組んでいるから組むのではなく、組みたい連鎖を組んで、自分なりの考えをまとめるクセを持ち、想像力を豊かにしていくことで、価値観の相違への理解もできるようになる。
逆説的ですが、自分の考えがある人は、価値観の相違への理解が深いです。
ペルシャを組め。
こんなことを書くと、不定形を組まない人はダメみたいな言い方をするのだからモノの見方が1つではないことが分かっていないとの批判を受けると思います。私もそう思います。ですが、不定形を組む以外にいい方法が見つかりません。なにかいい方法があれば、教えてください。
では今日はこの辺りで、ほなさいなら。(さそりまん)
参考:http://anond.hatelabo.jp/20130528133141
たいして改変してなくても意味が通じるのは素晴らしい文章ですね!
今若し三億円位貯金が有ったら、もう一生働かないで不定形生物みたいになってだーらだーら暮らしたい。
金に余裕が有って働く必要が無い状況なんてもう想像しただけで身震いする程憧れる。
働かないと暇を持て余すとか社会との繋がりが必要だとかなんだとか言われるけど、
特定の時間に何かをしなければならない、とか、人と付き合わないといけない、とかそんなのはもう嫌だ。学生時代だけで十分そんなのは。
何の制限も受けず独り毎日自由に生きる!これ程魅力的で幸せな人生って他に有るんだろうか。
人生は短く、辛い事を我慢する時間的余裕なんて全く無いのだと天に向かって力説したい。
今苦労して研鑽を積む、なんて生き方は以ての外!今現在が楽しくなければ意味が無い。そんな思い日に日に強まる。
どこかに「ねむーいあつーいさむーい」って言っているだけで暮らせる国が無いかなぁ。
どっからか宇宙人が来て、昆虫採集みたいに俺を捕まえて、毎日インターネットとご飯を与えてくれないかなぁ。
そういえば俺は『トム・ソーヤーの冒険』みたいな、家出して自由に生きるって物語が小学校低学年とかその頃から凄く好きだったな。
基本的には前項の内容に関する指摘・修正等はトラックバックでしていただいた通りです。
少しマイルドな形でトラックバックを利用させていただき、また元の疑問に対して再提示しましょう。
・代数的な意味での「無限大」、極限で用いる「無限大」、複素関数の意味での「無限大」は異なる。
→無限大、という言葉は様々な定義、文脈上で発生する一概念であり、ひとまとめに語ることはできない。
→ 様々な観点でとらえらることができるが、∞は四則演算可能な数とは考えないのが無難。
四則演算可能とする立場でも、通常の四則演算則は成立しないことが分かっているため、
高校の間では考えないのが良い。
高校の間でこの表現に触れるのは微分だけであり、そこなら触れなくても大丈夫。
どうしても触れたい場合は、解析で用いるε-δ論法の軽い解説をするのが良いです。
・不定形の極限について
不定形の極限という表現そのものが(便利ではあるが)危険なので、使用しない。
→代数としての無限大と、極限値としての無限大との混同の怖れがあるため。
(受験期にこれを混同することがそれほど問題とは思えないのですが、とはいえ生徒の今後の混乱を招く可能性もあります。)
次のような表現、説明とする。
ここまで書いて、
がナゼ無限大にならないことがあるかを説明するには、
数列同士の差が完備性を持っていることについて=コーシー数列についての説明をしないといけないことに気付きまして。
この3つの条件について、「数学が苦手な生徒に」「分かりやすく」説明するプランを何か考えないといけないですね。
・暫定として
数列Anと数列Bnの差を取る時、nがある一定以上の値とする。以降、δAn>δBnならば、An-Bnは常にその差分だけ増加していく。
ずっとδA =δBn ならば、差は0。
(*:1値の取り方によってはアウト。差分数列がコーシー数列である場合。)
数列Anで数列Bnを割る時、nがある一定以上の値とする。その商Cnが無限大に発散するならば、
An/Bnは無限大に発散する。
(*:2値の取り方によってはアウト。数列がコーシー数列である場合。)
また暇があったら考えます。
http://anond.hatelabo.jp/20120418003806
塾でもよく訊かれるので解説を。
無限(+∞)というのは、「私達が理解できないくらい大きい数」ということを表す記号です。
そういうテキトウなことを塾で教えるなよ。
「∞」についての四則演算を考えてる文脈なら「∞」は通常のどの実数よりも大きいと「定義された」元にすぎない。「∞ + ∞ = ∞」と定義してる文脈なら普通「2 * ∞ = ∞」でもあるから
∞ + ∞ = 2 * ∞
は成立する。あるいは複素数(リーマン球面)で考えてるなら「∞ + ∞」も定義されないから、
が成り立たない。それから、
ちなみに、∞ - ∞ 、∞/∞ 、(n^∞)^(1/∞)は同様の理由で、その結果を私達が知ることはできません。この形式を、不定形の極限と言います。神ならぬ私達では、その結果は知りえないのです。
は極限の話で、「∞」を含んだ四則演算とは別の話。
http://kanasoku.blog82.fc2.com/blog-entry-22498.html
66 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2011/11/08(火) 23:44:28.30 ID:PjCFZfxU0
理由を聞いても理解できない
塾でもよく訊かれるので解説を。
無限(+∞)というのは、「私達が理解できないくらい大きい数」ということを表す記号です。
∞ + ∞ = ∞ と定義します。私達が理解できないくらい大きな数を加えあっても、それが理解できないくらい大きいことに変わりはありません。
なぜ、∞ + ∞ = 2 * ∞ ではないのでしょうか? それは、∞は我々が知りえない数だからです。つまり、∞ = ∞ という計算が、 「私達の知っている意味で」等号計算が正しいかどうかなんて、誰も知らないからです。
例を挙げましょう。
私達が1~9の数しか知らず、9より大きな数を数えることができなかったとします。
そして、私達からは知りえない四次元生命体によれば、9<A<B<C<D...という数が続いているとします。(便宜的に、10以上の数をA~Zで代替します。11=A、12=B,13=C...と換算されるとお考えください。)
私達は、A以上の数を知らないので、9より大きい数はとりあえず全て∞として扱います。
さて、
∞ + ∞ という計算があったとして、「実は、四次元生命体から見れば、」その計算は A + B であったとします。(すると、A + B = U となります。)
しかし、私達はあくまで9までしか数字を知らないので、∞が「実際はいくつの数字になるか」知ることができず、よって演算結果を知ることもできません。
知りえるのは、9 < ∞ より、∞ + X ( >0 ) = ∞ ということだけです。
ここから考えると、∞ + ∞ = 2 ∞ はひどくナンセンスであることが分かります。四次元生命体からすると、A + B = U なのに、人間は愚かにも、A + B = 2 * A ( = T) と答えているのです。算数もできないのか! と。
これは、∞ - ∞ について顕著に現れます。∞ は Aなのでしょうか? Bなのでしょうか? それともZなのでしょうか? いやいや、実は四次元生命体にも知りえない、更に高次元の数なのでしょうか? それは分かりません。
仮に ∞ - ∞ が、 A - B だとします。だとすると、結果は - 1 となりますが、これは我々には知りえません。仮に B - Aだとします。だとすると、結果は 1 になりますが、これは我々には知りえません。 つまり、∞ - ∞ は、∞ が私達が知りえない数であるが故に、「その結果を知ることができない」演算なのです。
ご理解いただけたでしょうか。 ∞ は、私達が知りえない禁断の領域への演算なのです。であるが故に、この記号を用いることで、本来知りえないことを、私達は知ることができます。その意味で、非常に便利なのです。
ちなみに、∞ - ∞ 、∞/∞ 、(n^∞)^(1/∞)は同様の理由で、その結果を私達が知ることはできません。この形式を、不定形の極限と言います。神ならぬ私達では、その結果は知りえないのです。
キメこな問題についてのツイートのまとめを見た。
いつか来ると予測されていた問題がついに表面化。
しかしこれは梅ラボ本人一人が気分的に凹むということ以外は実害がなくてよかった。
災難だったね、としか言いようがない。
そして※欄の予想通りすぎる人格攻撃っぷりは、見てて少し虚しくなった。
ふたばという「歪な形で維持し続けられる楽園」の脆さを住人自体がいまだに把握できてない。
そんな場所の住人であるということがアイデンティティと不可分レベルに融合してしまった多くの
「としあき」たちにとってどうしたって不快であり、許しがたい行為だということは分かるが、
前提として招待制SNSでもなんでもなく「匿名掲示板」なんだから誰もがやってきてしまう、
ということはシステム上仕方ないのに彼らは「この中のルールを守ることで新参の訪問は最小限に抑えられる」
という幻想を持っている。まるで「9条さえ守っていれば戦争は起こらない」と信じる9条信者のようだ。
「外」の人間はそのルールを知らないし、意に介することさえないかもしれないのに。
今回の件は若干違うか。例えが悪い上に無駄なツッコミどころになったかもしれない。どう違うかは後述する。
ふたばはある意味、かつてのアンダーグラウンド系掲示板の文化の匂いを残したまま現在まで存続しているという
ちょっと珍しいサイトだが、哀しいかなシステム上でなんらかの方策を講じているわけではなくWeb上に
置かれたものは大概がフラットに消費される可能性を抱えている。それを作った人間の快・不快という感情的な
問題とは別個に。アンダーグラウンド、という領域が存在し得たのはGoogle以前でしかないだろう。
検索エンジンが未発達な時期には確かに「見つかりにくい領域」はあった。もう、昔の話だ。
ふたばが2chと違ってちょっと面倒なのは、「としあき」という名に仮託された奇妙な選民意識の
存在がある。だが、梅ラボ自身もブログで「2年ROMってた」ということを表明している。
(古参住人にとってはその理解はまったく足りないものに映ったのだろうとしても)
「不定形匿名人格の一部」である自分の立ち位置と自らの「表現欲求」やどうにも抑えようのない「作家性」
(「人のもんの貼りあわせだけで何が作家だ」とかいう意見もあるだろうがそこはひとまずおいといて)
の間で引き裂かれ、今回の件で梅ラボは苦しんでいる。かつて同人誌「カオス*ラウンジファンブック」にて
仲山ひふみに「著作権問題が発生したらどうなるのか」という問題提起があったので、冒頭の一言が
あるわけなんだが、感情的な「許す」「許さない」の問題はもうどうしようもないんだろうと思う。
少なく見積もっても1000の意見が表明された。それが1000人なのか一人なのかということも実際のところ
わからない。まあTogetter見てる分には流石に一人ではないだろうということは分かるが、ふたばのスレでの
そして多くの人間がいればその構成員の「許容の基準」だってバラバラだろう。もうこれは仕方がない。
だが、「絶対許さない」とか言ってる人間だって別になにかできるわけではないのだ。
それに、時間が経てば忘れられる。「絶対許さない」とか言ってる人間だってずっとこの件だけを
考えつづけることはできないだろう。出来るような人はちょっと常人離れしたなにかである。
それはそれである意味すごい。もしかしたら現人神「絶対許早苗」かもしれないwww
うむ、早苗さんに許してもらえないのは東方厨である梅ラボにはキツいなー。
冗談はさておき。
結局のとこ諸行無常、ってね。不変なものってのはなくて物事は相互に影響しあう。
水の上に油をたらす。油の粒は水の力によってその形を変える。しかし逆に見れば
油が垂れてきたことで水全体の形も変わったと言える。ネット上の出来事も基本的には
大して変わらない。ちょっと私見になってしまうが「キメこな」はともかく海外での
「Moetron」の成長において梅ラボの作品の特徴が全く影響がなかった、というのは
ちょっと考えにくいのだ。多くの作品で「いくつかの別のキャラの顔のパーツをひとつの
顔であるかのように構成した」構造が見られる。梅ラボの作品はTumblrなどを通して
かなりの拡散をしており、カオスラウンジはよくも悪くもそれなりに一部で目立つ存在と
なっていた。それに刺激された4Chanの人間が「Moetron」と梅ラボ作品に共通するエッセンスを
感じ取ったということはありうると思う。もっとも、根拠がないので妄想ととらえてくれて
一向に構わないが。
文化という言葉がこの件で多く出てきた。自身のコミュニティの文化に誇りを持ち、
それを保護する姿勢もわからんではないが、そんなに過剰に護らないと壊れてしまうほど
脆弱な文化なのか?ふたばは、二次裏とは。そうではないのではないだろうか。
「見ろ また奇妙なやつが出てきたぞ」
くらいの気持ちで興味をもって動向を捉えていればいいのではないだろうか。
キメこなは生まれてさほどの時間が経っておらず、成長途中のキャラである。
だからこれもまた、成長の一過程だと捉えることはできないだろうか。
なんのまとまりもないが、思いつくまま書いてみた。
異論は大いに認めたい。むしろ読みたい。